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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第五章
93/515

本気

 クリスタ・セル・アギー様は、アギー公爵家で三十人以上いらっしゃるお子の、真ん中辺りの方だ。

 アギー公爵様には第一夫人から第八夫人までいらっしゃる。お子も、成人をとうに済ませた方から、赤子まで揃っており、同じ月に生まれた子も少なくない。

 もう誰が何番目で性別は如何かなど、どうでも良いといった感じで、ご兄弟皆、好き嫌いはあれど概ね仲が良く、後継争いがあるという噂は聞かない。貴族社会には珍しい、円満家庭だ。

 これだけ妻を抱えて、妻同士の諍いも無いというのだから凄い。まあ、情報が伏せられているだけかもしれないが。


 クリスタ様は現在二十二歳。体質のこともあり、学舎へは途中編入されて来た。俺より上の学年にいらっしゃったのだが、講義への参加自体が難しく、進級出来ぬ為、そのうち同学年となった。

 男性とは思えないくらい細身なのは、陽の光を浴びられず、運動もままならないのだから仕方がないことだと思う。俺より少し濃い灰髪で、紅玉の様な赤い瞳、抜ける様な白い肌で、まるで精霊のように見目麗しい方だ。

 性格は……見た目の繊細さに比べて天地がひっくり返った様というか……豪快で、ちょっと独善的で、気高くて……雄々しくて……なんというかこう……人の上に立つ為に生まれたような、そんな方。


「当時は、俺と身長差もあまり無かったし……なんか良い具合に利用されてたな……」


 陽の下に長時間いなければならない式典だとか、参加したいけれど体調が許さない行事ごとに、替え玉として駆り出されていた。あまり人前に出ない方だったし、兄弟も多いから、案外俺が入れ替わっていても気付かれなかったし、同席しているご兄弟方もノリノリだったんだよな……。


「ご兄弟の方が入れ替われば良い様に思いますけど……」

「いや、うん……俺も何度も、そう進言したよ。だけど、経験を積めとか、他の貴族の顔や名を覚えるにはうってつけだとか、なんか良い様に言いくるめられて……。クリスタ様ってなんか、逆らい難いというか、従ってしまう雰囲気がある方なんだよ。……まあ、俺が流されすぎだったって話なんだけどね……」


 客間の窓の大きを測りながら、俺はサヤに、クリスタ様のことを語っていた。

 どんな方なのかと聞かれた為だ。で、いざ思い出してみると……なんだかこんな思い出ばかりだった。


「部屋からあまり出られない方と、どうやって知り合われたのですか?」

「んー……暇な時に、他学年の講義に紛れ込んでいたんだけどね、その一つで、ユーズ様と押し問答してるところに出くわして……なんかなし崩しに……」


 実家に帰らず、学舎にこもりきりだった俺は、構ってくれる友人が居ない時は暇だった。その暇をつぶす手段として、どうせだから予習、復習をしようと、他学年の講義に潜り込んでいたのだが、そこで、体調が思わしくないのに、講義に出ると言って聞かないクリスタ様と、ユーズ様が大喧嘩をしていたのだ。講義中の講堂で。

 近くに座っていた俺は、どんどん険悪になる雰囲気にたまりかねて、講義は代筆しておきますからと、声をかけた。それがきっかけだったと思う。

 味をしめたのか、気に入られたのか、それからは結構そんなことをしてくれる相手を、クリスタ様は増やしていき、俺もその中の一人となったわけだ。


 必要とされる。

 それは、俺にとって特別なことだった。

 そこに居て良いと、役割があると言われることに、俺は弱かった。

 クリスタ様は、どこかでそれを、分かっていらしたように思う。何かと理由をつけては俺を呼び出し、役割を与えてくれたのだ。色々振り回されたけれど、それでも俺にとっては、大切な時間だった。

 実際、あの経験が無ければ、ここに戻って、領主代行を言い渡されても、俺に出来ることは今より更に、少なかったのじゃないかと思う。

 ああいった場で、なんとなくでも見聞きしていたことは、少なからず、俺の糧となっていた。


「……クリスタ様は、レイシール様を、高く評価されてたんですね」

「え? そういうんじゃないよ。背格好が似てたし、彼の方はなんだかんだで、世話焼きだったんだ」

「そうでしょうか……。クリスタ様は、レイシール様に、言葉通り経験を、積ませようとされていた様に、思いますけど……。お身体の弱いクリスタ様の身代わりなら、ご兄弟や従者の手は必須なのでしょうし……、何かあれば、周りが手助けできる体制で、代役に立てていた様に聞こえます。良い距離感で、貴族社会を体験出来る様、配慮されてたのじゃないですか?」


 サヤの指摘に、改めて考えると、あれは確かに、破格の待遇だったと気付く。

 言葉に詰まれば、体調を理由に周りが距離を取ってくれていたし、あの人はどこの誰だとか、事前に教えてもらえてた。貴族同士のやりとりや駆け引きを、自身の目で見ることが出来た。

 そうか……。彼の方は、俺に、そんな風に、してくれていたのか……。


「俺……本当に恵まれていたんだな……。

 あの時はただ大変で、ボロを出さない様にと考えるので、精一杯だった。

 ハインもギルも居ないし、不安で仕方なくって、考える余裕が持てなくて……。でも、本当だ。凄く、良い経験をさせてもらってた。妾腹の二子には、本来経験出来ないことだ」

「うーん……そうではなくて……、クリスタ様は、レイシール様を、必要とされていたんじゃないのでしょうか?

 なんていうか、貴族社会で立ち回れる様に……矢面に立たされても、大丈夫な様にって」

「いやいや、俺は後継ではないって、クリスタ様もご存知だ。それは必要無いことだよ」

「でも、学舎は立身出世の場だったのでしょう?

 なら、その経験は、とても有効だった様に、思えますけど……」


 サヤの意見に、 俺の顔が自然と渋面になる。

 あのね……ほんと言うけど、俺、全然そんなことを期待される成績じゃ、なかったからね?


「……サヤまでお声が掛かるとか、言わないでくれよ。みんなは変に高評価したがるけど、ほんと俺、凡庸だったんだから。

 どの教科でも主席どころか、五位内に収まったことって殆ど無いし、指を麻痺させてからは、武術なんか底から数えた方が断然早かったんだからね」

「なら言わせて頂きますけど、人の評価というのは、数値だけのものではないと思います。

 貴族というのは、上に立つ方々ですよ? そうである以上、人の使い方、接し方だって、重要な要素です。

 私の世界では、人との摩擦が少ないことや、問題解決の能力を高く評価する職種があったりします。

 成績より、人間を磨く方が、難しいんですよ?」

「それなら尚のこと俺はぼんくらだと思うけど? 貴族らしくないから奇姫なんて言われてたんだ」

「貴族らしくない方を必要とする場合だってあると思いますけど」


 引かないな、サヤも……。なんだってみんな、俺を高評価したがるんだ……自分のことは自分が一番分かっているんだけどな。


「私は……今私の話を、こんな風に、普通に聞いてくださるレイシール様を、凄いって思いますよ。

 身分が絡むと人は……人を、人として見れなくなったりしますから」


 何やら意味深なことを言う。

 人を、人として見れなくなる……か。そうだな。貴族の中には、領民を家畜程度の感覚でしか見ていない者も少なくない。

 とはいえ……元庶民の俺としては、過去の俺を家畜として見るとか、無理ってだけの話なのだけど。


「サヤ、そろそろ賄い作りでしょう? 後はレイシール様と進めておきますから、行って下さい」


 他の部屋を掃除していたハインが戻ってきて、そろそろ時間だと教えてくれた。

 サヤも「では、行ってまいります」と、立ち上がる。

 それを見送り、部屋の掃き掃除を再開する。そうして充分な時間をあけてから、サヤがもう、別館から遠く離れたと判断したのだろう。ハインは箒を吐く手を止め、言った。


「サヤが無害であることくらい、数日観察すればすぐに分かりそうなものです。

 クリスタ様の急な暴走に、混乱されただけなのでは?」


 先程の、ルオード様のことだ。

 俺の心配は、ハインに筒抜けであったらしい。

 大抵の人間を敵視することから始めるハインが、サヤに関しては早々に無害認定したものな。

 そう考えると、ハインより温厚なルオード様なら、すぐ誤解は解けるように思える。


「とはいえ、我々の目の無い所でサヤに無体を働かないとも限りません。極力、サヤは一人にしない様にいたしましょう」


 今日はどうしようもありませんが。と、付けたし、小さく溜息を吐く。そのハインの表情に、普段あまり見せない、不安要素に懸念を示すような、本当は今だって一人にさせたくないんだという苦悩が見て取れて、こいつも変わったなぁとしみじみ思う。

 俺に関わること以外は瑣末ごと。そんな風だったのに、サヤのことを本当に心配していると分かる。だが、守る対象が増えたことで、ハインの負担は増すばかりだ。

 俺といいサヤといい、人手不足なのに人手がいる事態に陥り過ぎだよな。

 しかし、一人にしないのは正直無理だと思う。


「……そうしたいのはやまやまだけどな……。俺たち、三人なんだよ……。

 俺に護衛が必ず必要で、サヤが一人になれないってなったら、どうしようもないと思うんだ」


 そんな俺の感想に、ハインが異を唱える。


「レイシール様とサヤが極力行動を共にすれば解決する問題です」

「だけどサヤには賄い作りがあるだろう」


 今みたいに、一人で出かける時間は、どうしても出来る。俺が賄い作りについて行くわけにはいかないんだから。

 そう思ったのだが、ハインの考えは違う様だ。


「賄い作りは、明日の朝食でひと段落出来ます。

 明日の昼以降は、早急に、あの料理人にサヤの味を覚えさせて、そちらに丸投げすれば問題ありません」


 無茶苦茶言ってますよハインさん……。

 いくらなんでも、そんな簡単に憶えられるものでもないと思う。サヤの料理は、調味料も調理法も特殊なことが多いのだ。

 そう思ったのだが、ハインは問題無いと言い切った。


「あの料理人のうち、一人が獣人です。なら、人より鼻がきく。

 私などより、血も濃い上に、料理人と名乗るのです。大丈夫な筈ですよ」


 一度味わえば、だいたい察しはつくだろうと言うのだ。


「……獣人は、臭いが混ざっていても、分類が可能です。更に味で確認すれば、再現自体は難しくありません……」


 使われた食材、調味料が匂いで判別できるのだと、視線を俺から外したまま、そんな風に言った。

 そして最後に小声で「……獣ですから」と、付け足す。


 獣人に、その様な特性があるだなんて知らなかった俺は、目を見張るしかない。

 そして、ハインがそれについてを俺に話してくれたことに、胸が熱くなった。

 だけど、最後の一言はいただけないな。


「種の特技。だろ?そんな言い方するな」


 獣だなんて言うな。俺は、そんな風に卑下してほしくない。


「そうか……。ハインが料理を好きになったのは、そんなことも関係してた?」

「…………そう……ですね。……人より、有利であることは、自覚しておりました。

 匂いを確認すれば、どの調味料が使われているかは、判別ができましたから」

「ハインはなんだって上達が早かったけど、料理はワドも褒めてたもんな」

「…………」


 ふいと、顔を背ける。

 今も、獣人という己を、受け入れたくはないんだろう。だけど、俺たちの為に……選択できる行動を増やす為に、口にしてくれたのだ。


「ありがとう。そうだな……食事処の準備の為として、あそこに出向く回数を、増やすか。

 そこでサヤに、できるだけ品数を作ってもらって、ガウリィらに憶えてもらおう」


 試作を沢山作るとでも言えば、別段怪しくもない。雨季の間の暇つぶしだとでも言えば良い。

 そう思っていた矢先……。

 俺を呼ぶルカの声がした。レイ様どこだー!と、何時ぞや聞いた様な、切羽詰まった声。


「どうしたルカ⁉︎」


 慌てて廊下に出て叫ぶと、 走り回っているらしいルカが「どこだっつーの!」と、怒りを露わにまた叫ぶ。

 急いで階段に向かうと、駆け上がってきた様子のルカとぶつかってしまった。

 よろけた俺を、ごつい手が容赦なく掴む。


「あんたなぁ! なんで何時もどこ居るか分んねぇんだよ‼︎」

「す、すまない。どうした? ルカ……手、手が、痛い……」


 ギリギリと力一杯握られていて、尋常じゃなく痛い。しかし、ルカはそんなことになど、気にもとめていない様子で、そのまま俺を引っ張ってどこかに向かおうとする。

 そのルカの腕を、今度はハインが掴んで止めた。


「何をする。離せ」

「今てめぇにかまってる暇なんざねぇんだ! サヤ坊やマルの旦那が斬られちまう‼︎」

「⁉︎」


 察しがついた。

 ルカの手を振り切り、階段を駆け下りて外に向かう。

 後ろから、何か叫ぶ声が聞こえた気がしたが、気にもならなかった。

 異母様方の通る道は決まっている。だから迷うこともない。ただ、気持ちほどに身体は動いてくれず、自分の足をこれほど疎ましく思ったことは無かった。しかも肺まで俺の願いを聞く気が無い。もっと早く動け、もっと空気をちゃんと吸え! 心の中で怠けそうになる自身を罵倒しながら、必死で進むと、程なくそれは見えてきた。

 蹲るのはマル。それを背に庇い、立つのはサヤ。何故か道幅いっぱいに騎士が囲み、サヤに剣を突き付けていた!


「剣を引けぇ‼︎」


 全力で吼えた。

 俺の怒声に、数人の騎士は剣先を下げるが、すぐにまた構えを取る。それを見て、怒りが俺の視界を赤く染めた。


「引けと言っているのが、聞こえないか‼︎」


 怒りのまま大喝すると、怯んだ様に、騎士らが二歩ほど後退する。しかし、やはり武器は下ろそうとしない。腹が立った。その腹立ちに任せて前に進む俺の足に、何かがゆるりと触れて、離れる。


「レ、レイ様……ちょっと、落ち着いて、ください……」


 か細い声。慌てて足元に視線をやると、肩の辺りを押さえ、蹲ったマルが、必死の様子で、俺に手を伸ばしていた。この馬鹿! 右手は左の肩を押さえている。その左手で、俺の足を掴もうとした様だ。肩の傷に響いたのか「酷いぃ、痛かったですよぅ」などと、言うものだから、急激に怒りが霧散してしまう。慌てて抱き起こすと、左肩がぬらりと血濡れていた。


「誰か! マルの手当てを……っ。何故こんな……」

「やぁ、すいません。一応、総指揮を、任されているものですから。

 事情を、ご説明しようと思ったのですけど、聞く耳持たずで……」


 へらへらと笑いつつ、血の気の引いた白い顔でマルが言う。

 しかし、俺の呼びかけに応え、手を差し伸べようとする者は現れなかった。

 視線を上げ、巡らすと、人足や土建組合員らと、それに交じった村人が、恐怖に引きつった顔で、こちらを見ている。

 ……そうか……そうだな。この状況で、前に出ろだなんて、酷か。


「マル、少し待っていてくれ……」

「あぁ、お気に、なさらず。僕なら、もう暫くは、平気ですから」


 懐を探り、手拭いを引っ張り出す。それでマルの傷口を押さえると、マルの震える血濡れた手が、手拭いの上から改めて傷口を押さえた。

 それを見届けてから、立ち上がる。振り返り、目を眇めると、騎士らが怯えた様に、少しざわめいた。

 ……よくよく見渡すと、奥の方で数人が呻いたり、座り込んだりしている。多分サヤに何かされたのだと思うが、こちらは血で汚れていたり、動かない者が居たりする様子は無い。サヤは、彼らを必要最低限だけ、痛めつけた様だ。だから尚のこと、何故マルを斬ったのか、それを問い質さずにはおれないと思った。足を進め、サヤの横に立つ。サヤに怪我は無い様だ。ちらりとこちらに視線をよこすサヤも、怒っている様子で、圧を感じる。サヤの闘気だ。騎士らがあれ以上踏み込んで来なかったのは、サヤを恐れてのことであったらしい。


「何故斬った」


 低い声で問うと「ご、ご命令です……」という、返事が何処かから返る。


「命令……。命令であるなら、疑問を挟む余地は無いと言うのか。

 言われた通り、斬れば責務を果たしていると、そう胸を張れるのだな、お前たちは」


 俺の皮肉に、応える声は無い。

 命令なのだから、自分の行いは正しいのだと、そう思えるなら、是と言えば良い。だが彼らは、視線を泳がせて、少し俯いた。


「君たちはセイバーンの騎士だ。その役割は何だ。自身の胸に問うてみろ。

 セイバーンに忠義を尽くすというのは、その様にただ命令に従い、民を斬ることなのか、問うてみるが良い!

 何故、マルクスの話を聞かなかった、彼は、状況の説明に名乗り出た筈だ! お前たちの目にも見えているな、あの壁が! あれが何故あそこにあるか、何故必要か、その確認すらせずに、何を成すつもりでいた‼︎」

「主人の命が聞けぬ様な暗愚は要らないわ」


 おっとりと優しい声が、突き刺さった。

 まさか……馬車から降りて来られるとは、思っていなかった。

 背骨に沿って、剣を突き立てられた様な恐怖に、反射で身体が動く。罰を受ける際の姿勢。背筋を伸ばし、首部を垂らす。

 騎士らの垣根が割れた。煌びやかな赤い礼服の異母様が、一瞬視界の端を掠める。扇で口元を隠し、汚いものを見る様に、俺を見ているのが、視界に入れずとも分かる。


「暗愚だわ。私は、この様なことは指示しておりません。何と愚か。主人の声ひとつ、ろくに拾えないのね」


 主人……。

 ……分かっていたさ。俺が、一族に数えられていないことくらい。

 顔を伏せたまま、唇を噛みしめる。

 動け、俺。

 今は、怯える時じゃない。俺は、領主一族の責務を果たす為、動いたんだ。間違ったことはしていない。堂々と、顔をあげておけるはずだろう?

 ここで俺が抗わなかったら、サヤや、マルや、関わってくれた皆の誠意に、泥を塗ることになってしまう。

 それが分かっているのに…………何で俺は、動けない……⁉︎


「誰が、あの様なことをせよと指示しました? 今まで通り恙無くだと、伝えた筈ですね?

 まったく、本当に、なんと愚かなのでしょうねぇ」


 震える足。震える手。恐怖に絡め取られて、俺は息一つ吐くことが出来ない。

 もう俺は、幼い子供じゃない。成人してなくても、領主代行という、責任ある立場だ。抗うと決めたのは俺だ。異母様に逆らってでも、氾濫を食い止める手段を選んだんだ。胸を張れよ、俺! お願いだから‼︎


 震える手を、何とか動かして、拳を握った。けれど、足元を見下ろす俺の視界に入った、男物の長靴を見た途端、そのささやかな努力すら霧散した。更なる恐怖に、身体を乗っ取られてしまった。


 兄上…………っ。


 まだ何もされていないというのに、言葉一つかけられていないというのに、俺は次に襲う痛みや、突き刺さる言葉を想像して、勝手に苦しくなってしまう。

 また間違うのか? 今度は何を犠牲にするんだと、そんな言葉を想像して、呼吸が浅くなる。空気がまた、ドロドロの油の様にまとわりつく。けれど、次の瞬間ふわりと、圧がやわらいだ。


「レイシール様は、責務を全うされたまで。責められる謂れなど、ございません」


 サヤ……!


 半歩前に出たサヤが、俺と、お二人との間に、身体を割り込ませていた。

 異母様を見据え、きっぱりと言う。

 サヤが俺を庇う様なことをしたものだから、異母様の視線が剣呑な光を宿す。その視線が、サヤを見据えたことに、俺は全身の血が凍った。

 だが、サヤは気圧されない。そんなことは意にも解さず、ピンと伸びた綺麗な背筋で、堂々と言葉を口にする。


「騎士の皆さんへの、正しいお手本です。

 ただ上の命令に従っていれば、責務を果たしただなんて風に、レイシール様は考えたり致しません。

 ちゃんと民の声を聞き、考えて、行動したのです。何が望まれているか、何が正しいかを、ご自身でちゃんと判断されたのです。ご自身の責任の元に!

 いくら異母様や、ご領主様の命であろうと、それが民の為にならないのなら、意味がありません。今、領主一族の責務を正しく果たしているのは、レイシール様です」

「主人に逆らう不届き者を処分せよ」


 サヤの言葉が終わらぬうちに、異母様の命が下る。

 異母様の側に控えていた、ジェスルから異母様に付き従ってきた騎士が動く。それと同じくして、兄上を別の従者が、手を引きそそくさと下がらせた。

 サヤは動かない。いや、心なしか膝を曲げ、踵を浮かせたように見えた。

 騎士が迷いなど微塵もない様子で抜刀、サヤの立つ場所を横薙ぎにする……と、思っていたのに、それは起こらない。抜こうとした剣は、サヤの踵に容赦なく押し戻され、その衝撃で、一瞬身体の流れた騎士の側頭部に、剣の柄を蹴った足が、一度も地に下りることなく襲っていた。

 見事に吹き飛ばされる。人垣になっていた騎士の一角に、突っ込んだ。


「草さんの真似、出来ました」


 呆然とする俺の耳に、そんな茶目っ気のある小声が届く。

 草…の、真似? あっ、ギルが、剣を抜けなかったあれか!

 そんな脈絡もないことに気を取られていたら、身体の自由が戻っていた。

 サヤがトンッと、足を地に付ける。


「私の主人は、セイバーンではありません。レイシール様です。主人の命には背いておりませんから、処分される筋合いも御座いません」


 そうきっぱりと宣言した。


「私の主人は正しく、民の為に、セイバーン男爵家の一員として動いています。異母様は、別館に大量にある、ご領主様の書記をご覧になられたことが、ございますか。

 毎年毎年、きっちりと記録を残してらっしゃいます。氾濫の度の試行錯誤が、苦悩が、ご領主様が、跡を継がれた年からずっと綴ってありました。その前の方、更に前のご領主様も。資料を残してらしゃいました。

 氾濫の駆逐は、歴代のご領主様からの切望です。レイシール様の勝手ではありません。

 レイシール様は、正しく、領主代行としての職務を全うしております。そしてあの壁が、それを果たしてみせます」

「……不敬な愚民を捕らえよ」

「どうぞ、いらっしゃって下さい。セイバーンに仕えるなら、命を全うするしかございませんものね?

 ですが私は、マルさんと違ってやり返しますから、そのつもりでどうぞ」


 騎士らに皮肉を贈り、にこりと笑うサヤ。

 首を振り、足首を捻りながら、手首を揉みほぐすような動作をする。それからトントンと数回飛び跳ねて、自身の身体の調子を確認した様だ。腰を落とし、構えを取る。


「多勢に無勢ですし、主人とマルさんをお守りせねばなりませんから、もう、手加減致しませんけど」


 そう言うと、闘気が、破裂するかの様に膨れ上がった。

ちょっとそこなの⁉︎というところで終わってます。ごめんなさい。

今回の更新もなんとか時間内に出来てホッとしました。

次の更新も金曜日を予定してます。今回も、読んで下さってありがとうございました。

次週を乞うご期待!……して頂けたら嬉しいなぁ……。

そういえば、ツイッターはじめてみました。かなり今更。作品の経過についてとか、日常ごととか、呟く所存。興味があれば探してみてくだい。

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