再会
夢だったのか……?
目覚めた時、そう思った。
早朝、自然と目が開いたら、サヤが丁度長椅子から身を起こす所で、ここ最近の、いつも通りの朝だったのだ。
「おはようございます」
「……お、おはよう……」
あれ? 俺……変な夢を見てたのかな……? もう、半日くらい過ごした気でいたのに……。
ぼんやりする頭でそんなことを考えていると、手足の防具を外したサヤが、立ち上がる。
「少し早いお目覚めですよ?」
そうだな……まだ外が薄暗い。サヤは、こんな時間に起きて、賄い作りに行く準備を始めるのだよな……。
そんな風に考えていると、サヤがこちらに来て、俺の頬に手を伸ばした。優しい手つきで髪を払い、そのまま顔を近付けてきたので、一気に意識が覚醒する。な、何⁉︎
「お顔の色、大丈夫そうですね。
良かった……。心配しました。昨日、あれからずっと、眠ったままだったので……」
昨日……?
そこでサヤの服が、記憶にあるものではないことに気付いた。
じゃあ、あれは夢じゃなく……昨日のことか。
「……すまなかったな。少し、疲れていたのかもしれない」
崩れかけたのだ。
それを思い出し、自己嫌悪に顔が歪みそうになった。けれど、サヤが覗き込んでいる。気にした顔をすると、きっと心配させてしまう。そう思ったので、極力、平常通りの笑顔を顔に貼り付けた。さりげなく、頬の手を外す。
そんな俺に、彼女は眉を寄せる。
「レイ……過呼吸起こしてたんやで。そんな、なんでもないみたいな顔、せんといて」
強めの口調でそんな風に言われてしまい、誤魔化せないのだと悟った。
そりゃまあ…… そうか。サヤは、俺が呼吸が出来なくなっている時、一緒に居たのだものな。
「あの時はありがとう。
息が出来なくて、本当にどうしようかと……焦ったよ。あれが、カコキュウって言うの?」
「レイ、何か、気にかかることがあるんやろ?あれは、不安や恐怖や、重圧がある時に起こることが多い。気持ちと、身体の機能の混乱や。
言うて。一緒に頑張るて、約束やったはずやろ」
「…………うん……ありがとう。でも……大丈夫。なんでもないから」
言えないよ……。あんな、どうしようもない理由。
手を汚してないことに、引け目を感じてしまうだなんて、馬鹿らしい理由。
剣が握れないから、せめて足手纏いにはならない様にと……。貴族のすることではない、邪道だと叱責されても、短剣と、小刀の修練を積んだ。
学舎に居たあの時は、それが俺の最善だと思ったのだ。
だけど……やっぱり、違ったな……。
全然最善なんかじゃなかった。
だって結局、人の手を汚し、自分はのうのうと安全な場所に居る。ということだ。
そこまで考えた時、サヤの手がもう一度、俺の両頬を挟む様に添えられた。その手が強引に、俺の顔を向きを、サヤの方に向かせる。
「言うて」
有無を言わさぬ、気迫のこもった瞳で言われた。
「レイが何を思って、何を考えているか分からへんと、レイのこと、本当の意味で守れへん。
私は、そないんなんは嫌や」
近い位置にある顔が、怒ってる。怒っているけれど、瞳の奥は揺れていて、俺のことを一生懸命、真剣に考えてくれ、案じてくれているのが分かった。
嘘も、はぐらかすことも許さないと、サヤの表情がそう言ってる。
でも、これだけは口にできないと思った時、コンコンと扉が叩かれた。
「おはようございます。サヤ、起きてますか」
「は、はい!」
サッと、サヤの手が俺の両頬から離れた。そのまま風の様な速さで移動して、寝室の扉をそっと開ける。
「お、おはようございます。レイシール様も、お目覚めです」
「そうですか、良かった。お加減はいかがでしょう」
言葉を交わしながら、ハインが寝室に入ってくる。
俺の方を見て、少し、眉間のシワを深くした。昨日のこと……怒っているのだと思う……。
「顔色も、問題無いかと思います。けれど、今日はゆっくりされていた方が……」
そんな風に言われ、慌てて寝台から身体を起こした。
ゆっくりするってことは、自室に閉じ込められるということ。それは、嫌だ!
「大丈夫だ! 問題無い。
半日以上眠ったんだろ。これ以上寝られるわけがない。
そ、それに、ルオード様がいらっしゃっているのだよな? なら、俺が寝ていて良い筈が無いだろう⁉︎」
咄嗟に口から出た言葉で、ルオード様のことを思い出した。
そうだ、三年以上お会いしていなかった。しかも俺は、意識が朦朧としていたから、まだお顔を拝見すらしていないのだ。
急いで寝台から降りて、身支度の為に衣装棚を開けようとすると、その手を掴んで止められた。
怒った顔のハインだ。また何か言われるのかと思い、身を硬くすると、
「昨日は、申し訳ありませんでした……」
急に謝罪され、拍子抜けした。
怖い顔をしていたのは、別に怒っていたからではなかったらしい。
「レイシール様のお気持ちを、蔑ろにしているつもりはありませんでした。
ただ、危険なことは、して欲しくなかったのです……。
見回り、ですが……サヤと、私とを伴ってであれば……今日、明日くらいなら……」
苦渋の決断といった顔で、そう言う。
その言葉に、俺は正直、後ろめたさを感じた。俺が見回りをすることで、二人はまた危険に身を晒す。襲撃があったら、また、手を汚す。
気付いてしまった。
今度は、サヤが、穢れてしまうかもしれない……。
「い、いや……やはり、いい……お前の言う通りだ。
安全が確認されていないのに、外に出るのは……お前たちを、煩わせるよな……」
恐ろしかった。サヤの手が夢の俺みたいに、血に染まるのを想像して、身の毛がよだった。
そんなことになるくらいなら、部屋に閉じこもっていた方が良い。それくらい耐えられる。耐えなきゃ駄目だ。もうこれ以上、まわりを振り回したくない。俺は、俺は……間違えたくない!
「……レイ?」
サヤに呼ばれ、慌てて顔に笑顔を貼り付けた。
だ、駄目だ。気を付けないと……。
サヤを穢してはいけない。ハインもギルも、これ以上、煩わせてはいけない。
俺は、ここにいた方が良い……どこにも、出向かない方が……。
「もう少し、休む。まだ、起きるには早いよな……」
二人の視線を避けて、俺は寝台に戻る。早く、上掛けの中に。怖い。震えが、押さえられなくなる。
二人に背を向けて、身体を小さく丸めて、俺は身体を抱きしめた。震えるな、二人が去るまで我慢しろ。必死に身体に力を込めて、二人が去るのを待った。
怖い、怖い、怖い、もう駄目だ。ハインを、ギルを、サヤを、これ以上、汚したくない。
俺は、ここにいた方が良い。俺は、何もしない方が……俺は、俺は……。
俺は、どうすれば、人の手を煩わせずに生きていけるのだろう……。
◆
朝食の時間までずっと惰眠を貪った。
寝過ぎて頭が痛い。けれど、膨れ上がってきていた恐怖をもう一度、押し込めることには成功した様だ。
着替えを済ませて、俺を呼びに来たサヤとともに食堂に行くと、
「やぁ、おはよう、レイシール」
ルオード様が、食卓についていた。……え? う、嘘⁉︎
「あ……あの……まさか……こちらに?」
「ああ、昨夜はギルバートの部屋で世話になった。久しぶりに色々話せて、有意義だったよ」
「も、申し訳ありません! 私が……指示を……っ!」
子爵家の方なのに、近衛をされている方なのに、まさか元使用人の住居に泊まらせてしまうだなんて⁉︎ しかもギルのいる客間にって⁇
あまりにも無礼な対応に血の気が下がった。慌てて謝罪を始めようとする俺を、ルオード様は手を振って遮る。にこやかに笑みを浮かべて言った。
「いや、館へと案内されかけたのだけどね、私が我儘を言ったのだよ。
知り合いが一人もいない、しかも家主すら不在の館なんて居心地が悪すぎると思わないか。
それに、ここならギルバートも、ハインも、マルクスもいる。旧交を温めたかったんだよ」
だから私の来訪自体を、伏せてもらっているよ。と言う。
優しい笑顔、優美な物腰は記憶の通りだ。
そして実際、こちらの不敬を歯牙にもかけていない様子で、それよりも体調はどうだと気遣われてしまった。
席を立ち、こちらに歩いて来たルオード様が、俺を少しだけ見上げて言う。
「昨日は驚いた。別人の様に立派になっているのだからね。
ああ、背は抜かれてしまったな」
立派……。本当にそうなら、良かったのに。
「ルオード様は、王家の……近衛になられたと伺いました……お祝い申し上げます」
「ふふ、ありがとう。とはいえ、末席だよ」
「部隊の長をされていらっしゃるのでしょう?流石ルオード様です」
近衛に加わるだけでも相当だ。なのに、この方はこの若さで、部隊の一つを率いているのだ。
柔らかい物腰だけれど、模擬戦では緻密な作戦をきめ細かく管理する見事な将だった。よく覚えている。
優れた騎士であり、優れた軍師。同じだとは思えない。同じ、妾腹の方とは……。
「ギルバートから、賄いがつくのだと聞いた。我々の部隊は結構な大食漢が多いのだが、大丈夫かい?」
……何か不思議なことを言われた。
賄いがつく? 部隊? 大食漢⁇
何の話なのかと首を傾げていると、食堂にマルがやって来た。彼が最後の一人だ。欠伸をしながら挨拶をする。
「おふぁようございます。
あー……ルオード様、どうも、ご無沙汰です」
「やあマルクス、おはよう。
すまないな、部隊の到着は明日になると思う。大事無いか?」
「ああ、ぎりぎり大丈夫でしょう。明日の昼にメバックの衛兵部隊を帰すことになってるので」
「ま、マル? ちょっと……」
何の話をしているのか、分からないんだけど……。
ギルが、顔を抑えて視線を逸らした。サヤも何か、オロオロと挙動不審気味だ。
ハインは調理場に消えた。逃げたのか、汁物を温めに行ったのか……どっちだ。
「ああ、レイ様、お待たせしました。楽しみが到着です。まだお一人だけですけど、期日通りに」
「楽しみ?」
「ええ。前にお伝えしてたでしょう?メバック衛兵の借受期間が終わりますから、次の警備要員ですよ」
「………は? ルオード様は、近衛の、部隊長だよ?」
「ええ。そうですよ?」
「…………ちょ、ちょっと、冗談だよな?」
「まさかぁ、王族の近衛部隊引っ張り出す冗談なんか、かましませんよ。
ちゃんと正式に受理された派遣ですから安心して下さい。伏せてたのは、極秘の遠征訓練扱いだからです」
「おまっ、お前……何考えてるんだー⁉︎」
ルオード様の目を気にする余裕など吹き飛んだ。王族近衛部隊を警備に呼ぶって意味が分からないから‼︎
どんなコネを使ったんだ⁉︎ いくら、いくら学舎で一緒に学んだ間柄とはいえ、そんな、あり得ないだろー‼︎
「いえ、僕のコネではなく。レイ様、貴方のコネです」
「俺にそんなコネあるわけないだろ⁉︎」
王族の方になんて遠目にでもお会いしたこと無いよ‼︎
叫びすぎて酸欠になった。ヨロヨロと机に手をつく俺を心配して、サヤが椅子を引き、座らせてくれた。
ちょっと、ほんと、何がどうなってる……これはいったい、なんの悪夢だ……?
「レイ様のコネですよ。正確にはクリスタ様経由ですねぇ。
土嚢の軍事における有用性を、レイ様と交友のあった貴族の方々に手紙でお伝えした所、クリスタ様に高く評価して頂けました。その結果、王族の方、姫様の目に触れることとなり、レイ様は近衛になられたルオード様、ユーズ様とも親睦があったということで、この状況です。ほら、レイ様のコネでしょう?
で、実地訓練が必要ですから、土嚢の作り方、積み方をお教えするついでに、経過観察を兼ねた警備をやって頂けることになったんですよ。
なんと無償です。食費はうち持ちですけど。有難いですねぇ」
意識が飛ぶかと思った。
しかもニコニコ話すマルの横でルオード様までニコニコしているのだ。
「私は嬉しいよ。レイシールと、こんな形で再会できたことを、誇りに思う。
こちらに来る際、アギー領も通るので、クリスタ様にもお会いして、ご挨拶して来た。
レイシールのことを、とても気にしておられたよ。ちゃんと元気にしているのかとね」
そんな風に言われ、ぎゅっと、心臓を掴まれた心地を味わう。
不義理をした俺に、そんな言葉を、掛けて下さるなんて……。
「……クリスタ様は、今、どうされておいでなのですか……」
「アギーにて、療養中だよ。元々、お身体が強くないからね。それでも、あの方なりに元気にされているよ。
……家の事情で、卒業間近に退学したと聞いた。私は長らく知らなかったんだ。悪かったね」
「いえ……私が、誰にもお伝えせず、去ったからです。……不義理なことをして、申し訳ありませんでした」
「良いんだよ。君にとっても急なことだったのだから。
気持ちの整理が出来なくて当たり前だ。皆、ちゃんと分かっているよ。
今回の知らせは、皆嬉しかったと思う。君の安否が知れたし、珍しく頼ってもらえたからね。
レイシールは人の世話ばかりして、なかなか頼って来てはくれない子だったから」
手が伸びて来て、俺の頭を優しく撫でた。
胸の奥につっかえていたものが、一つ取れた様な、気持ちが軽くなる、優しさに溢れた手つき。
「そうやって、もう少し、周りに助けてもらえるようになりなさい。
君は一人で頑張ろうとし過ぎだ。君が思う程、人は完璧ではない。誰だって、他に支えられて、なんとかやっていってるだけなんだよ」
自立していて、常に穏やかで、素晴らしい方。クリスタ様の従者をされていたルオード様は、誰かに支えられている様には見受けられませんでしたよ……。
内心、苦くそんな風に思いつつも、ありがとうございますと、口は動く。
ハインが温め直した鍋を持って食堂に戻って来たので、朝食にしましょうと、声を掛けた。
ルオード様は、美味しそうだねと、よそわれた朝食を受け取り、麺麭を手に取った。
「ああ、業務事が終わるのは何時頃だろうか。後で、君の部屋に行って良いかな?
今回の派遣の細かい部分について話し合いたい。今後のこともあるから。
それと、クリスタ様と、ユーズから、君宛に預かり物があるのだよ」
柔和な笑みを浮かべたルオード様がそう言い、卵を口にする。その目が見開かれた。
「これ……なんだか不思議な味がする。見慣れてるものなのに、食べたことのない味だ。昨日も思ったのだけど、凄く美味だね」
「見た目は炒り卵ですけど、サヤの国の調味料を使っているので」
「へぇ、とても珍しい髪色をしていると思っていたのだけど、異国の者なのだね。顔立ちも、ここらでは見ない雰囲気だものな。美々しい少年だね。昨日も、とてもしっかりとしていてびっくりしたよ。幾つかな?」
「じゅう……十四歳、です」
サヤが居心地悪そうに身を縮こめて言う。年齢詐称を気にしている様子だ。二つくらい若く言ってるだけなのに……。女の子は不思議な部分を気にする。
「その年で従者か。しかも結構な鍛錬を積んでいる様子だね。騎士を目指しているのかい?」
「い、いえ……旅の途中家族とはぐれ、彷徨うところを、レイシール様に保護して頂きました。
家族を探す手立ても無いので、こちらでお世話になっております。
私はその……レイシール様に、お仕えしたくて、ここにおります」
「そうか。もし、騎士を目指すという気持ちになったら、口利きできるから言いなさい。正直、喉から手が出そうな程なのだけれど、レイシールが凄い顔をしているからね、自重するよ」
苦笑しつつそう言われ、自分の顔に手をやると、眉間にシワが寄っていた。
慌てる俺に「冗談だよ。印のある者に手は出せない。知っているだろう?」と、襟を指差す。
サヤの襟には、メバックを離れる時に渡した、ギルの用意してくれた小粒の襟飾りがきちんと収まっていた。
それにしても……見る人が見れば、サヤの強さは一目瞭然か……。それとも、俺が寝ているうちに何か、あったのだろうか……。
とりあえず、サヤの話から離れたくて、俺はルオード様の質問に答える形で、話の道筋を正した。
「業務事は、午前中に終わらせます。午後からなら、いつでも大丈夫ですが……」
「そうか、では私も、午前中のうちに、部隊の駐屯する借家を確認させてもらおう。
それにしても、賄いというのもこれだとは……もっと質素なものを想像していたのだけど」
「肉体労働なのに、質素な食事じゃ仕事になりませんよ」
「それは常々思っていた。だが料理人を雇うとなると出費も馬鹿にならない。
百食単位で作るとなると、雇う人数も必要だ。店を一軒貸し切っているのかい?」
「あはは、そこは企業秘密ってやつにしましょう。
料理を気に入られて、料理人を取られちゃったら困りますもんねぇ」
マルがサヤをチラリと見ながら、おどけてそんなことを言う。
「そんなことはしないよ。けれど、並みの腕じゃないだろう? これは……」
サヤの国の調味料を使っていると言ったのに、サヤが作っているとは思わなかったらしい。
まあ、従者は普通、料理しないよな……うちは例外として。
人手不足と、信用のおける食べ物を得る目的で、うちではハインがずっと調理も担当していたのだけれど、普通は料理人を雇うなり、通ってもらうなりするのだ。
それにしても……。
サヤが料理を担当している。と、言えば済むのに、マルははぐらかした。
どうせ、警護の任に就くと、自ずと分かってしまうことだと思うのだが……。何を考えているのやら。
あえて伏せたのだと思ったので、俺も合わせて、ルオード様には笑顔を振りまき誤魔化しておいた。
マルはすまし顔。そして襟飾は身に付けていない。メバックの商業会館使用人という立場でいる様子だ。
またとんでもないことを考えてないだろうな……。お願いだから、王族とか絡んでくるようなことは、金輪際秘密にしないでほしい。いや、正直そんな可能性、小指の先程もあると思ってなかったのだけど……。
王族が氾濫対策に絡んで来たという、その現実を再確認したら、冷や汗が出て来た。いまだに現実感が……ううぅ。胃が痛くなりそうだ。腹の辺りをさすっていたら、一足早く食事を終えたギルが、食器を重ねながら話しかけて来た。
「レイ、昨日言いそびれたが、俺は今日、一旦メバックに戻る」
急に言われたことに、びっくりして匙を落とす。慌てて無作法を詫びたが、正直、動揺していた。ギルが、戻る……。いや、彼は俺の従者じゃないのだし、当然か。一応、兇手の問題は解決したのだしな……。
そう思うのだけれど、気持ちはついていかない。何故、そんな急に?
「そろそろ、店の方を一旦覗かねぇと。まぁ、何も言ってこなかったから、問題は無いと思うんだけどな」
そう言われ、長い間こちらに無理して残ってくれていたことを、今更思い出した。
そうだった……。本来なら、こんなに長居できるような立場じゃないのだ。彼は、店の責任者なのだから。
俺の眉が下がっているのを見て、ギルが苦笑する。
「んな顔してんなよ。どうせまたすぐ顔を出す。報告に来なきゃならないこともあるし」
そう言って、食器を持って立ち上がった。台車に食器を置き、サヤに何かを耳打ちする。
サヤはそれにこくりと頷いた。
「んじゃ、見送りとかはいらねぇから。ルオード様も、また縁がありましたら」
そう言って、さっさと食堂を後にした。
「気を遣わせてしまったかな。
私が領主の館ではなく、ここに留まりたいと言ったから」
ルオード様が、少し眉の下がった顔でそう言うが、それにはサヤがかぶりを振った。
「いえ、正直、かなり無理をして、留まっていて下さったんです。
レイシール様には、私とハインさんしか仕える者がおりませんから、昼夜問わずお護りするとなると、少々難しく……」
「そうか……難儀だな」
配下が二人しかしない理由も、領主の館ではなく、元使用人の宿舎を利用している理由も、ルオード様は詮索しなかった。
学舎にいた頃からこの方は、こんな風に気を使う方だったよな。
場の雰囲気を修正するかの様に、麵麭を食み、さすが小麦の生産地だねと賛辞を贈ってくれ、次は汁物をゆっくりと口に含む。
「こっ、これは…………⁉︎」
驚愕の顔になった。
……この表情は珍しいな。急激な表情の変化には、乏しい方なのに。
「?どうされましたか」
「…………尋常じゃなく、美味なのだが……」
ワナワナと震えつつ、ルオード様が言う。
あ、そういえば、ルオード様は、汁物があまりお好きじゃなかったのだったか……。
好き嫌いされず、きちんと食すのだけれど、好んではいないのだと、前にこっそり教えてもらったのを、今更思い出した。
「あー……これも、少し特殊な作り方を、しておりまして……」
作り方を教えちゃ駄目なのか?と、マルに視線をやると、指でバツを作って止められた。
兇手の面々には手軽に作り方を教えてたのに……。
そんな俺たちのやりとりも、ルオード様は手元に注力していて気付かない。
「何故こんな……奥行きがあるのだろう……色も見事な黄金色で……ん? 肉⁉︎ 何故汁物に肉が⁇」
通常汁物に肉は入れないから、吃驚されてしまった。夕食にも、あまり入れないからな。
「それ僕が理由なんですよねぇ。
朝から肉って重たいでしょう? だから食べ易い様に、汁物に入れて下さってるんですよ。美味ですよねぇこれ」
「一品で、手早く確実に滋養がつくので、大人数の朝食にとても有効なのですよ。
まあ、入れる部位や調理の仕方次第で不味くなる場合もあるらしいので、そこは料理人の腕ですか」
今日の汁物には鶏肉が入っているのだが、パサつく胸肉やささみ肉を使い、小麦粉を纏わせて調理してある。
手間はかかるが、喉越しが良くなり肉汁も閉じ込められて美味なのだ。鳥の骨でダシとやらも取ってあるらしいしな。
「……この様な料理が一日三食か?」
「はい。昼食には汁物は付きませんが」
「セイバーンには、相当名の知れた料理人が……まさか、テイクか⁉︎」
懐かしい名前が出たな。
「いえ、彼は今何処に居るのだか、全く存じ上げません。
名の知れた料理人になっているのですか?」
「いや……レイシールと交流のあった料理人をふと思い出したものだから……違うか」
「ええ。それに、特別名の知れた料理人など、この片田舎には居りませんよ」
「そんな……この味は、そこいらで埋もれて良い腕ではない筈だ!」
結構強い口調で言われた。
まあ、サヤが特殊なだけで、普通料理人の扱いはこんなものだ。
美味なものには価値がある。当然料理人にも下手な宝石より価値がある。
兇手の一人にも、そんな風なことを何度も言われたな……。
けれど、サヤの料理を、サヤがどの様に扱うかは、彼女の自由で良いと思うのだ。
「その料理を作る者は……その腕で得る名声や報酬より、より多くの人に美味だと言ってもらえることの方が、価値が有ると考えるのです。
それに……埋もれはしません。だって美味でしょう?」
食べたらもう、忘れられないと思う。
「……寛大だな、君は。この料理人の腕を、独占しようと思わないなんて」
そんな風に言われて、笑ってしまった。
サヤの中では、料理は独占できる類のものじゃない。けれど、サヤの料理はサヤだけの作れる料理だ。
その人の手が作れば、その人の料理。彼女はそう言った。
誰にだって作り方を教えるし、真似されたって構わない。サヤの料理はサヤにしか作れないから。
「そんな生易しいものじゃないんですよ、その者の考え方では、独占なんて出来るわけがない。
与えて、広めて、増やすんです。もう、想像を超えてしまって、笑うしかないんですよ」
独占するなんて発想にならない。
笑いながら俺がそう言うと、いつも穏やかな表情のルオード様は、珍しく複雑な表情をした。
言ってることの意味が分からないといつた顔。
「まあ、警備をして頂くことになるなら、料理人とはすぐ顔を合わせることになるでしょう。
楽しみにしていて下さい。きっと、もっと、びっくりさせてしまいますが」
これくらいは言っておいても良いだろう。
俺の言葉にルオード様は、複雑な表情で「レイシールがそう言うなら、楽しみにしておこう」
と言って、汁物を口に運んだ。
今回も少し遅れた。ごめんなさい。
しかも素直に獣人話にいかないという……。
そこはまあおいおい、ほかにも問題は山とあるので。マルの暗躍でいろいろ動き出しそうです。
そろそろ雨期に突入します。次の更新も来週金曜日を予定しています。
今回も、読んで下さってありがとうございます。




