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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第五章
86/515

再会

 夢だったのか……?

 目覚めた時、そう思った。

 早朝、自然と目が開いたら、サヤが丁度長椅子から身を起こす所で、ここ最近の、いつも通りの朝だったのだ。


「おはようございます」

「……お、おはよう……」


 あれ? 俺……変な夢を見てたのかな……? もう、半日くらい過ごした気でいたのに……。

 ぼんやりする頭でそんなことを考えていると、手足の防具を外したサヤが、立ち上がる。


「少し早いお目覚めですよ?」


 そうだな……まだ外が薄暗い。サヤは、こんな時間に起きて、賄い作りに行く準備を始めるのだよな……。

 そんな風に考えていると、サヤがこちらに来て、俺の頬に手を伸ばした。優しい手つきで髪を払い、そのまま顔を近付けてきたので、一気に意識が覚醒する。な、何⁉︎


「お顔の色、大丈夫そうですね。

 良かった……。心配しました。昨日、あれからずっと、眠ったままだったので……」


 昨日……?

 そこでサヤの服が、記憶にあるものではないことに気付いた。

 じゃあ、あれは夢じゃなく……昨日のことか。


「……すまなかったな。少し、疲れていたのかもしれない」


 崩れかけたのだ。

 それを思い出し、自己嫌悪に顔が歪みそうになった。けれど、サヤが覗き込んでいる。気にした顔をすると、きっと心配させてしまう。そう思ったので、極力、平常通りの笑顔を顔に貼り付けた。さりげなく、頬の手を外す。

 そんな俺に、彼女は眉を寄せる。


「レイ……過呼吸起こしてたんやで。そんな、なんでもないみたいな顔、せんといて」


 強めの口調でそんな風に言われてしまい、誤魔化せないのだと悟った。

 そりゃまあ…… そうか。サヤは、俺が呼吸が出来なくなっている時、一緒に居たのだものな。


「あの時はありがとう。

 息が出来なくて、本当にどうしようかと……焦ったよ。あれが、カコキュウって言うの?」

「レイ、何か、気にかかることがあるんやろ?あれは、不安や恐怖や、重圧がある時に起こることが多い。気持ちと、身体の機能の混乱や。

 言うて。一緒に頑張るて、約束やったはずやろ」

「…………うん……ありがとう。でも……大丈夫。なんでもないから」


 言えないよ……。あんな、どうしようもない理由。

 手を汚してないことに、引け目を感じてしまうだなんて、馬鹿らしい理由。

 剣が握れないから、せめて足手纏いにはならない様にと……。貴族のすることではない、邪道だと叱責されても、短剣と、小刀の修練を積んだ。

 学舎に居たあの時は、それが俺の最善だと思ったのだ。

 だけど……やっぱり、違ったな……。

 全然最善なんかじゃなかった。

 だって結局、人の手を汚し、自分はのうのうと安全な場所に居る。ということだ。

 そこまで考えた時、サヤの手がもう一度、俺の両頬を挟む様に添えられた。その手が強引に、俺の顔を向きを、サヤの方に向かせる。


「言うて」


 有無を言わさぬ、気迫のこもった瞳で言われた。


「レイが何を思って、何を考えているか分からへんと、レイのこと、本当の意味で守れへん。

 私は、そないんなんは嫌や」


 近い位置にある顔が、怒ってる。怒っているけれど、瞳の奥は揺れていて、俺のことを一生懸命、真剣に考えてくれ、案じてくれているのが分かった。

 嘘も、はぐらかすことも許さないと、サヤの表情がそう言ってる。

 でも、これだけは口にできないと思った時、コンコンと扉が叩かれた。


「おはようございます。サヤ、起きてますか」

「は、はい!」


 サッと、サヤの手が俺の両頬から離れた。そのまま風の様な速さで移動して、寝室の扉をそっと開ける。


「お、おはようございます。レイシール様も、お目覚めです」

「そうですか、良かった。お加減はいかがでしょう」


 言葉を交わしながら、ハインが寝室に入ってくる。

 俺の方を見て、少し、眉間のシワを深くした。昨日のこと……怒っているのだと思う……。


「顔色も、問題無いかと思います。けれど、今日はゆっくりされていた方が……」


 そんな風に言われ、慌てて寝台から身体を起こした。

 ゆっくりするってことは、自室に閉じ込められるということ。それは、嫌だ!


「大丈夫だ! 問題無い。

 半日以上眠ったんだろ。これ以上寝られるわけがない。

 そ、それに、ルオード様がいらっしゃっているのだよな? なら、俺が寝ていて良い筈が無いだろう⁉︎」


 咄嗟に口から出た言葉で、ルオード様のことを思い出した。

 そうだ、三年以上お会いしていなかった。しかも俺は、意識が朦朧としていたから、まだお顔を拝見すらしていないのだ。

 急いで寝台から降りて、身支度の為に衣装棚を開けようとすると、その手を掴んで止められた。

 怒った顔のハインだ。また何か言われるのかと思い、身を硬くすると、


「昨日は、申し訳ありませんでした……」


 急に謝罪され、拍子抜けした。

 怖い顔をしていたのは、別に怒っていたからではなかったらしい。


「レイシール様のお気持ちを、蔑ろにしているつもりはありませんでした。

 ただ、危険なことは、して欲しくなかったのです……。

 見回り、ですが……サヤと、私とを伴ってであれば……今日、明日くらいなら……」


 苦渋の決断といった顔で、そう言う。

 その言葉に、俺は正直、後ろめたさを感じた。俺が見回りをすることで、二人はまた危険に身を晒す。襲撃があったら、また、手を汚す。

 気付いてしまった。

 今度は、サヤが、穢れてしまうかもしれない……。


「い、いや……やはり、いい……お前の言う通りだ。

 安全が確認されていないのに、外に出るのは……お前たちを、煩わせるよな……」


 恐ろしかった。サヤの手が夢の俺みたいに、血に染まるのを想像して、身の毛がよだった。

 そんなことになるくらいなら、部屋に閉じこもっていた方が良い。それくらい耐えられる。耐えなきゃ駄目だ。もうこれ以上、まわりを振り回したくない。俺は、俺は……間違えたくない!


「……レイ?」


 サヤに呼ばれ、慌てて顔に笑顔を貼り付けた。

 だ、駄目だ。気を付けないと……。

 サヤを穢してはいけない。ハインもギルも、これ以上、煩わせてはいけない。

 俺は、ここにいた方が良い……どこにも、出向かない方が……。


「もう少し、休む。まだ、起きるには早いよな……」


 二人の視線を避けて、俺は寝台に戻る。早く、上掛けの中に。怖い。震えが、押さえられなくなる。

 二人に背を向けて、身体を小さく丸めて、俺は身体を抱きしめた。震えるな、二人が去るまで我慢しろ。必死に身体に力を込めて、二人が去るのを待った。

 怖い、怖い、怖い、もう駄目だ。ハインを、ギルを、サヤを、これ以上、汚したくない。

 俺は、ここにいた方が良い。俺は、何もしない方が……俺は、俺は……。


 俺は、どうすれば、人の手を煩わせずに生きていけるのだろう……。



 ◆



 朝食の時間までずっと惰眠を貪った。

 寝過ぎて頭が痛い。けれど、膨れ上がってきていた恐怖をもう一度、押し込めることには成功した様だ。

 着替えを済ませて、俺を呼びに来たサヤとともに食堂に行くと、


「やぁ、おはよう、レイシール」


 ルオード様が、食卓についていた。……え? う、嘘⁉︎


「あ……あの……まさか……こちらに?」

「ああ、昨夜はギルバートの部屋で世話になった。久しぶりに色々話せて、有意義だったよ」

「も、申し訳ありません! 私が……指示を……っ!」


 子爵家の方なのに、近衛をされている方なのに、まさか元使用人の住居に泊まらせてしまうだなんて⁉︎ しかもギルのいる客間にって⁇

 あまりにも無礼な対応に血の気が下がった。慌てて謝罪を始めようとする俺を、ルオード様は手を振って遮る。にこやかに笑みを浮かべて言った。


「いや、館へと案内されかけたのだけどね、私が我儘を言ったのだよ。

 知り合いが一人もいない、しかも家主すら不在の館なんて居心地が悪すぎると思わないか。

 それに、ここならギルバートも、ハインも、マルクスもいる。旧交を温めたかったんだよ」


 だから私の来訪自体を、伏せてもらっているよ。と言う。

 優しい笑顔、優美な物腰は記憶の通りだ。

 そして実際、こちらの不敬を歯牙にもかけていない様子で、それよりも体調はどうだと気遣われてしまった。

 席を立ち、こちらに歩いて来たルオード様が、俺を少しだけ見上げて言う。


「昨日は驚いた。別人の様に立派になっているのだからね。

 ああ、背は抜かれてしまったな」


 立派……。本当にそうなら、良かったのに。


「ルオード様は、王家の……近衛になられたと伺いました……お祝い申し上げます」

「ふふ、ありがとう。とはいえ、末席だよ」

「部隊の長をされていらっしゃるのでしょう?流石ルオード様です」


 近衛に加わるだけでも相当だ。なのに、この方はこの若さで、部隊の一つを率いているのだ。

 柔らかい物腰だけれど、模擬戦では緻密な作戦をきめ細かく管理する見事な将だった。よく覚えている。

 優れた騎士であり、優れた軍師。同じだとは思えない。同じ、妾腹の方とは……。


「ギルバートから、賄いがつくのだと聞いた。我々の部隊は結構な大食漢が多いのだが、大丈夫かい?」


 ……何か不思議なことを言われた。

 賄いがつく? 部隊? 大食漢⁇

 何の話なのかと首を傾げていると、食堂にマルがやって来た。彼が最後の一人だ。欠伸をしながら挨拶をする。


「おふぁようございます。

 あー……ルオード様、どうも、ご無沙汰です」

「やあマルクス、おはよう。

 すまないな、部隊の到着は明日になると思う。大事無いか?」

「ああ、ぎりぎり大丈夫でしょう。明日の昼にメバックの衛兵部隊を帰すことになってるので」

「ま、マル? ちょっと……」


 何の話をしているのか、分からないんだけど……。


 ギルが、顔を抑えて視線を逸らした。サヤも何か、オロオロと挙動不審気味だ。

 ハインは調理場に消えた。逃げたのか、汁物を温めに行ったのか……どっちだ。


「ああ、レイ様、お待たせしました。楽しみが到着です。まだお一人だけですけど、期日通りに」

「楽しみ?」

「ええ。前にお伝えしてたでしょう?メバック衛兵の借受期間が終わりますから、次の警備要員ですよ」

「………は? ルオード様は、近衛の、部隊長だよ?」

「ええ。そうですよ?」

「…………ちょ、ちょっと、冗談だよな?」

「まさかぁ、王族の近衛部隊引っ張り出す冗談なんか、かましませんよ。

 ちゃんと正式に受理された派遣ですから安心して下さい。伏せてたのは、極秘の遠征訓練扱いだからです」

「おまっ、お前……何考えてるんだー⁉︎」


 ルオード様の目を気にする余裕など吹き飛んだ。王族近衛部隊を警備に呼ぶって意味が分からないから‼︎

 どんなコネを使ったんだ⁉︎ いくら、いくら学舎で一緒に学んだ間柄とはいえ、そんな、あり得ないだろー‼︎


「いえ、僕のコネではなく。レイ様、貴方のコネです」

「俺にそんなコネあるわけないだろ⁉︎」


 王族の方になんて遠目にでもお会いしたこと無いよ‼︎

 叫びすぎて酸欠になった。ヨロヨロと机に手をつく俺を心配して、サヤが椅子を引き、座らせてくれた。

 ちょっと、ほんと、何がどうなってる……これはいったい、なんの悪夢だ……?


「レイ様のコネですよ。正確にはクリスタ様経由ですねぇ。

 土嚢の軍事における有用性を、レイ様と交友のあった貴族の方々に手紙でお伝えした所、クリスタ様に高く評価して頂けました。その結果、王族の方、姫様の目に触れることとなり、レイ様は近衛になられたルオード様、ユーズ様とも親睦があったということで、この状況です。ほら、レイ様のコネでしょう?

 で、実地訓練が必要ですから、土嚢の作り方、積み方をお教えするついでに、経過観察を兼ねた警備をやって頂けることになったんですよ。

 なんと無償です。食費はうち持ちですけど。有難いですねぇ」


 意識が飛ぶかと思った。

 しかもニコニコ話すマルの横でルオード様までニコニコしているのだ。


「私は嬉しいよ。レイシールと、こんな形で再会できたことを、誇りに思う。

 こちらに来る際、アギー領も通るので、クリスタ様にもお会いして、ご挨拶して来た。

 レイシールのことを、とても気にしておられたよ。ちゃんと元気にしているのかとね」


 そんな風に言われ、ぎゅっと、心臓を掴まれた心地を味わう。

 不義理をした俺に、そんな言葉を、掛けて下さるなんて……。


「……クリスタ様は、今、どうされておいでなのですか……」

「アギーにて、療養中だよ。元々、お身体が強くないからね。それでも、あの方なりに元気にされているよ。

 ……家の事情で、卒業間近に退学したと聞いた。私は長らく知らなかったんだ。悪かったね」

「いえ……私が、誰にもお伝えせず、去ったからです。……不義理なことをして、申し訳ありませんでした」

「良いんだよ。君にとっても急なことだったのだから。

 気持ちの整理が出来なくて当たり前だ。皆、ちゃんと分かっているよ。

 今回の知らせは、皆嬉しかったと思う。君の安否が知れたし、珍しく頼ってもらえたからね。

 レイシールは人の世話ばかりして、なかなか頼って来てはくれない子だったから」


 手が伸びて来て、俺の頭を優しく撫でた。

 胸の奥につっかえていたものが、一つ取れた様な、気持ちが軽くなる、優しさに溢れた手つき。


「そうやって、もう少し、周りに助けてもらえるようになりなさい。

 君は一人で頑張ろうとし過ぎだ。君が思う程、人は完璧ではない。誰だって、他に支えられて、なんとかやっていってるだけなんだよ」


 自立していて、常に穏やかで、素晴らしい方。クリスタ様の従者をされていたルオード様は、誰かに支えられている様には見受けられませんでしたよ……。

 内心、苦くそんな風に思いつつも、ありがとうございますと、口は動く。

 ハインが温め直した鍋を持って食堂に戻って来たので、朝食にしましょうと、声を掛けた。

 ルオード様は、美味しそうだねと、よそわれた朝食を受け取り、麺麭を手に取った。


「ああ、業務事が終わるのは何時頃だろうか。後で、君の部屋に行って良いかな?

 今回の派遣の細かい部分について話し合いたい。今後のこともあるから。

 それと、クリスタ様と、ユーズから、君宛に預かり物があるのだよ」


 柔和な笑みを浮かべたルオード様がそう言い、卵を口にする。その目が見開かれた。


「これ……なんだか不思議な味がする。見慣れてるものなのに、食べたことのない味だ。昨日も思ったのだけど、凄く美味だね」

「見た目は炒り卵ですけど、サヤの国の調味料を使っているので」

「へぇ、とても珍しい髪色をしていると思っていたのだけど、異国の者なのだね。顔立ちも、ここらでは見ない雰囲気だものな。美々しい少年だね。昨日も、とてもしっかりとしていてびっくりしたよ。幾つかな?」

「じゅう……十四歳、です」


 サヤが居心地悪そうに身を縮こめて言う。年齢詐称を気にしている様子だ。二つくらい若く言ってるだけなのに……。女の子は不思議な部分を気にする。


「その年で従者か。しかも結構な鍛錬を積んでいる様子だね。騎士を目指しているのかい?」

「い、いえ……旅の途中家族とはぐれ、彷徨うところを、レイシール様に保護して頂きました。

 家族を探す手立ても無いので、こちらでお世話になっております。

 私はその……レイシール様に、お仕えしたくて、ここにおります」

「そうか。もし、騎士を目指すという気持ちになったら、口利きできるから言いなさい。正直、喉から手が出そうな程なのだけれど、レイシールが凄い顔をしているからね、自重するよ」


 苦笑しつつそう言われ、自分の顔に手をやると、眉間にシワが寄っていた。

 慌てる俺に「冗談だよ。印のある者に手は出せない。知っているだろう?」と、襟を指差す。

 サヤの襟には、メバックを離れる時に渡した、ギルの用意してくれた小粒の襟飾りがきちんと収まっていた。

 それにしても……見る人が見れば、サヤの強さは一目瞭然か……。それとも、俺が寝ているうちに何か、あったのだろうか……。

 とりあえず、サヤの話から離れたくて、俺はルオード様の質問に答える形で、話の道筋を正した。


「業務事は、午前中に終わらせます。午後からなら、いつでも大丈夫ですが……」

「そうか、では私も、午前中のうちに、部隊の駐屯する借家を確認させてもらおう。

 それにしても、賄いというのもこれだとは……もっと質素なものを想像していたのだけど」

「肉体労働なのに、質素な食事じゃ仕事になりませんよ」

「それは常々思っていた。だが料理人を雇うとなると出費も馬鹿にならない。

 百食単位で作るとなると、雇う人数も必要だ。店を一軒貸し切っているのかい?」

「あはは、そこは企業秘密ってやつにしましょう。

 料理を気に入られて、料理人を取られちゃったら困りますもんねぇ」


 マルがサヤをチラリと見ながら、おどけてそんなことを言う。


「そんなことはしないよ。けれど、並みの腕じゃないだろう? これは……」


 サヤの国の調味料を使っていると言ったのに、サヤが作っているとは思わなかったらしい。

 まあ、従者は普通、料理しないよな……うちは例外として。

 人手不足と、信用のおける食べ物を得る目的で、うちではハインがずっと調理も担当していたのだけれど、普通は料理人を雇うなり、通ってもらうなりするのだ。

 それにしても……。

 サヤが料理を担当している。と、言えば済むのに、マルははぐらかした。

 どうせ、警護の任に就くと、自ずと分かってしまうことだと思うのだが……。何を考えているのやら。

 あえて伏せたのだと思ったので、俺も合わせて、ルオード様には笑顔を振りまき誤魔化しておいた。

 マルはすまし顔。そして襟飾は身に付けていない。メバックの商業会館使用人という立場でいる様子だ。

 またとんでもないことを考えてないだろうな……。お願いだから、王族とか絡んでくるようなことは、金輪際秘密にしないでほしい。いや、正直そんな可能性、小指の先程もあると思ってなかったのだけど……。

 王族が氾濫対策に絡んで来たという、その現実を再確認したら、冷や汗が出て来た。いまだに現実感が……ううぅ。胃が痛くなりそうだ。腹の辺りをさすっていたら、一足早く食事を終えたギルが、食器を重ねながら話しかけて来た。


「レイ、昨日言いそびれたが、俺は今日、一旦メバックに戻る」


 急に言われたことに、びっくりして匙を落とす。慌てて無作法を詫びたが、正直、動揺していた。ギルが、戻る……。いや、彼は俺の従者じゃないのだし、当然か。一応、兇手の問題は解決したのだしな……。

 そう思うのだけれど、気持ちはついていかない。何故、そんな急に?


「そろそろ、店の方を一旦覗かねぇと。まぁ、何も言ってこなかったから、問題は無いと思うんだけどな」


 そう言われ、長い間こちらに無理して残ってくれていたことを、今更思い出した。

 そうだった……。本来なら、こんなに長居できるような立場じゃないのだ。彼は、店の責任者なのだから。

 俺の眉が下がっているのを見て、ギルが苦笑する。


「んな顔してんなよ。どうせまたすぐ顔を出す。報告に来なきゃならないこともあるし」


 そう言って、食器を持って立ち上がった。台車に食器を置き、サヤに何かを耳打ちする。

 サヤはそれにこくりと頷いた。


「んじゃ、見送りとかはいらねぇから。ルオード様も、また縁がありましたら」


 そう言って、さっさと食堂を後にした。


「気を遣わせてしまったかな。

 私が領主の館ではなく、ここに留まりたいと言ったから」


 ルオード様が、少し眉の下がった顔でそう言うが、それにはサヤがかぶりを振った。


「いえ、正直、かなり無理をして、留まっていて下さったんです。

 レイシール様には、私とハインさんしか仕える者がおりませんから、昼夜問わずお護りするとなると、少々難しく……」

「そうか……難儀だな」


 配下が二人しかしない理由も、領主の館ではなく、元使用人の宿舎を利用している理由も、ルオード様は詮索しなかった。

 学舎にいた頃からこの方は、こんな風に気を使う方だったよな。

 場の雰囲気を修正するかの様に、麵麭を食み、さすが小麦の生産地だねと賛辞を贈ってくれ、次は汁物をゆっくりと口に含む。


「こっ、これは…………⁉︎」


 驚愕の顔になった。

 ……この表情は珍しいな。急激な表情の変化には、乏しい方なのに。


「?どうされましたか」

「…………尋常じゃなく、美味なのだが……」


 ワナワナと震えつつ、ルオード様が言う。

 あ、そういえば、ルオード様は、汁物があまりお好きじゃなかったのだったか……。

 好き嫌いされず、きちんと食すのだけれど、好んではいないのだと、前にこっそり教えてもらったのを、今更思い出した。


「あー……これも、少し特殊な作り方を、しておりまして……」


 作り方を教えちゃ駄目なのか?と、マルに視線をやると、指でバツを作って止められた。

 兇手の面々には手軽に作り方を教えてたのに……。

 そんな俺たちのやりとりも、ルオード様は手元に注力していて気付かない。


「何故こんな……奥行きがあるのだろう……色も見事な黄金色で……ん? 肉⁉︎ 何故汁物に肉が⁇」


 通常汁物に肉は入れないから、吃驚されてしまった。夕食にも、あまり入れないからな。


「それ僕が理由なんですよねぇ。

 朝から肉って重たいでしょう? だから食べ易い様に、汁物に入れて下さってるんですよ。美味ですよねぇこれ」

「一品で、手早く確実に滋養がつくので、大人数の朝食にとても有効なのですよ。

 まあ、入れる部位や調理の仕方次第で不味くなる場合もあるらしいので、そこは料理人の腕ですか」


 今日の汁物には鶏肉が入っているのだが、パサつく胸肉やささみ肉を使い、小麦粉を纏わせて調理してある。

 手間はかかるが、喉越しが良くなり肉汁も閉じ込められて美味なのだ。鳥の骨でダシとやらも取ってあるらしいしな。


「……この様な料理が一日三食か?」

「はい。昼食には汁物は付きませんが」

「セイバーンには、相当名の知れた料理人が……まさか、テイクか⁉︎」


 懐かしい名前が出たな。


「いえ、彼は今何処に居るのだか、全く存じ上げません。

 名の知れた料理人になっているのですか?」

「いや……レイシールと交流のあった料理人をふと思い出したものだから……違うか」

「ええ。それに、特別名の知れた料理人など、この片田舎には居りませんよ」

「そんな……この味は、そこいらで埋もれて良い腕ではない筈だ!」


 結構強い口調で言われた。

まあ、サヤが特殊なだけで、普通料理人の扱いはこんなものだ。

 美味なものには価値がある。当然料理人にも下手な宝石より価値がある。

 兇手の一人にも、そんな風なことを何度も言われたな……。

 けれど、サヤの料理を、サヤがどの様に扱うかは、彼女の自由で良いと思うのだ。


「その料理を作る者は……その腕で得る名声や報酬より、より多くの人に美味だと言ってもらえることの方が、価値が有ると考えるのです。

 それに……埋もれはしません。だって美味でしょう?」


 食べたらもう、忘れられないと思う。


「……寛大だな、君は。この料理人の腕を、独占しようと思わないなんて」


 そんな風に言われて、笑ってしまった。

 サヤの中では、料理は独占できる類のものじゃない。けれど、サヤの料理はサヤだけの作れる料理だ。

 その人の手が作れば、その人の料理。彼女はそう言った。

 誰にだって作り方を教えるし、真似されたって構わない。サヤの料理はサヤにしか作れないから。


「そんな生易しいものじゃないんですよ、その者の考え方では、独占なんて出来るわけがない。

 与えて、広めて、増やすんです。もう、想像を超えてしまって、笑うしかないんですよ」


 独占するなんて発想にならない。

 笑いながら俺がそう言うと、いつも穏やかな表情のルオード様は、珍しく複雑な表情をした。

 言ってることの意味が分からないといつた顔。


「まあ、警備をして頂くことになるなら、料理人とはすぐ顔を合わせることになるでしょう。

 楽しみにしていて下さい。きっと、もっと、びっくりさせてしまいますが」


 これくらいは言っておいても良いだろう。

 俺の言葉にルオード様は、複雑な表情で「レイシールがそう言うなら、楽しみにしておこう」

 と言って、汁物を口に運んだ。

今回も少し遅れた。ごめんなさい。

しかも素直に獣人話にいかないという……。

そこはまあおいおい、ほかにも問題は山とあるので。マルの暗躍でいろいろ動き出しそうです。

そろそろ雨期に突入します。次の更新も来週金曜日を予定しています。

今回も、読んで下さってありがとうございます。

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