希
エゴンの失踪。
一見後ろ暗いことをし、バレてしまったから逃走した……とでもいうような展開だ。
従業員は少数を残し解雇。
ウーヴェも勘当同然に放り出した。
そして帳簿は持ち出されていた……と。
俯き、机の上で両手を白くなるほど握り締めているウーヴェを、俺は見た。
明らかに、身辺整理だな。繋がる先を隠す為の。そして、もう引き返せない……ということか。
馬鹿だなエゴン……もう、義理立てすることもないんじゃないのか……? それとも……ウーヴェの為に、なのか?
エゴンはウーヴェを巻き込みたくなかった様子だ。
だから叩き出した。事情の説明一切無しに。自分の意思でこうしていると言わんばかりに。
仲違いの絶えなかった息子でも、やはり守りたいのだな……。
ウーヴェが手掛かりを得ない様に、墓場まで持って行くつもりなのかもしれない。
だが、時間はあまり無かったとみえる……。もしくは、ウーヴェがまさか、俺の所に出向くとは思ってもみなかった……ということなのかもしれないが……。
「……ルカ。
ひとつ頼まれてくれないか」
そう声を掛けると、訝しげに首を傾げるルカ。
土建組合は頑健な肉体の者が多い。喧嘩ごとにも強いらしい。三人しかいない俺の所よりはマシなはずだ。
「ウーヴェを匿ってほしい。
極力、組合員を複数伴わせる様に出来るだろうか……」
「そりゃ、できっけどよ……工事の方の人手が減る」
「構わない。今丁度マルがいないだろう?マルにつけていた人数をウーヴェに。
あと、借家の中に匿っておくよりは、現場で人足に混じっている方が目立たないだろうし、手を出しにくいと思う」
「……ウーヴェもヤバいのか?」
「分からない。だから、念のための警戒はしておこうと思って。
何かあってから慌てるのは嫌だろう?」
にこりと笑って、そんな風に言っておく。
あまり重たく受け取らない様、軽い口調を心掛けた。
エゴンの行動からして、警戒しておく方が良いと思ったのだ。
「借家に余裕はあるか? 寝泊まりもそちらでお願いしたいんだが」
「ああ、問題無い。ウーヴェは預かる」
「助かる。じゃあお願いするよ。
あとそうだな……ウーヴェは、読み書き計算は問題なく出来るよな」
「は、はい……仕事柄使いますから……」
「じゃあ現場を手伝ってくれるか。暫くここに居てもらいたいから、ついでに。
マルが一人抜けているからな、書類仕事を手伝ってもらえると、とても助かる。ただやること無しに現場を彷徨いていても、手持ち無沙汰だろう?」
人足に混じって働きつつ、土建組合員が常についているなら、簡単に手出しは出来ないだろう。
マルが戻るまでに何日掛かるか分からないが、とりあえず目標が定まるまでは、ひたすら身を守り続けるしかないことははっきりしているのだ。
それにしても、俺一人の問題ではなくなったな……ウーヴェを守らなきゃならない。
とはいえ、あっさり逃しているし、店にも一度戻っている。張り込まれていて捕まるなんてことも無かった様だから、躍起になって探し回られているというわけではないだろう。
だからこれで大丈夫なはずだ……。
「ウーヴェ、エゴンのことは、こちらで調べを進める。貴族絡みの可能性が高いから、これ以上の手出しはするな。
ことが済めばちゃんと説明するし、エゴンを保護できるよう、努める。犯罪の片棒を担いでいたなら、裁く。辛いと思うが、暫く待ってくれるか」
俺の言葉にウーヴェは首肯した。
元より覚悟して参りましたと言い、もう一度、どうぞお願いしますと、深く頭を下げた。
それをもって、晩餐は終了となり、ウーヴェとルカは、万が一を警戒し、ギルに護衛させて借家へ帰す。
そこからはバタバタと過ごすこととなった。
何せギルが来る予定をしていなかったから、その準備にばたついたのだ。客間をざっと掃除し、寝台の敷布を交換して部屋を整える。
しかもギルときたら、慌てて手ぶらで来ていたものだから、どうするんだよ⁉︎ となった。
何せこいつはデカい。俺たちの服は当然着れない……。今までここには数える程度しか来たことがなかったから、当然ギルの衣類は置いてなかった。
夜着はまあ小さかろうが短かかろうが無理やり着てもらうしかない。明日、一度衣服を取りに戻ってもらうか、送ってくれと手紙を出すかしようと決まった。こいつ着の身着のままで来たんだな……。
本当に大急ぎで駆けつけてくれたんだと思うと、文句も言えないのだが……。
「ウーヴェの話、どう思う?」
一通りの準備を一応終えた後、もう一度俺の自室に集まった。
一応俺の考えたことと、推測を皆に伝えておく。
「ウーヴェの言う通り、全く無関係ではないんだろう……時期を考えても……な。
だが、俺もレイの命を直接狙うような度胸が、エゴンにあるとは思えねぇ……」
「メバックに出入りしている者は多くいます。異母様と兄上様以外で、レイシール様を侮りそうな者なら、ジェスルにいくらでもいるでしょう。
私ならエゴンはいざという時の為に生かしておきますよ。足がつきそうな時、脱ぎ捨てる殻に使います」
エゴンを隠れ蓑に使うということか……。貴族のやりそうな手口だな。
しかし、ジェスルの者は多い。騎士、衛兵、従者。文官に至るまで、輿入れの時より異母様に付き随う家臣は相当数いるし、月日が経つうちに、入れ替わりもあった。現在も、父上の所に付き従った者、本館に居残っている者、と、別れている。
死人の口は語らない。こいつが犯人だと言えば、そうなる世の中だ。だが、思惑通りに進ませはしない。身分があれば何をしても許されるなんて、道理に合わない。
「問題は誰か。ということだな……流石にそれより先、絞り込めるほどの情報が無いしな」
後はマルに任せよう。となった。どちらにしろ、襲撃が失敗した以上、今エゴンを殺すわけにはいかないだろう。先に腐ったのでは殻に使えない。
そういった意味では、俺が生きていることがエゴンの命綱となる。
なら、足掻く価値はあるというものだ。
こちらの推測は、一応マルに手紙で伝えようと決まった。
そして、そこからまた一悶着があった。
議題は俺の護衛、夜番である。
通常、夜の護衛は二人一組で三交代が基本だ。
なのに俺の護衛は計三人だ。無理。回らない。
しかも三交代をしていたら、日々睡眠時間を中途半端に削られ、長引けば長引くほど体力も集中力も低下していくだろう。どれくらいの日数を耐えれば良いのかも分からないのに、そんな手段は選んでられない。なので、仕方がないということで、一日ずつ交代で、俺の寝室で一緒に就寝するという方法で妥協しようとなった。
そこで急遽、俺の部屋に執務室の長椅子が運び込まれた。夜番用の寝台がわりだ。
しかし……この決定は、困る……なにがって、俺が三日に一日しか眠れないということなのだ。
ギルとハインが担当の日に寝たら、魘されているのがバレる……ていうかもう、仕方がないかなこれは……諦めるしかないか。
今までよくぞ隠してきたと思う。
けれど、もう無理だ。
知られたくない……実の母にまで疎まれていただなんて知られてしまったら……ギルやハインは、きっとそれでも、俺を受け入れてくれると、知っているけれど………。
俺は自分の存在意義が無いことを、認めなきゃならない……それが苦しい。
二人が思ってくれるほど、俺には価値が無いのだと……。
ここまで知られずにいれたことが奇跡みたいなものだし……、こうなったらもう、どうしようもない。そう覚悟を決めたのだが……。
「あの、夜番は私が担当します」
サヤがとんでもないことを言い出した。ちょっ、ちょっと待て!
俺が口を挟む前に、サヤは畳み掛ける様にその利点を述べる。
「私が適任です。
私の耳なら、兇手が部屋に侵入してくる前に、音を察知できる可能性が高いと思うんです。寝てたって聞こえます。屋外なら自然発生の雑音が多いので、集中しにくいのですけれど、屋内ならかなり有効だと自負しています。
それに、お二人には万全の状態でいて頂きたいんです。何日続くか分からないこの状況だからこそ。
もし、何かあれば大声を上げますし、それくらいの時間を稼ぐくらいは、してみせます!」
決意の篭った鋭い眼差しで、サヤはそう言った。
俺のサヤへの気持ちを知っているギルはにんまりとほくそ笑み、男女ごとに頓着しないハインはあっさりと了承した。抵抗したのは俺だけだった。
けれど、サヤには全幅の信頼を寄せられているし、ギルには疚しい事を考えてなければ問題無いよな?と揚げ足を取られるし、ハインには俺の身の安全以外のことは瑣末な事だと一蹴されてしまい、抵抗しきれなかった……。
ああもぅ…………兇手相手に一歩も引く気が無いだなんて……。異界の女性は、皆サヤみたいに勇敢なのだろうか。だけどどんなに止めても、きっとサヤは、諦めてくれない……。どこから飛来するかも分からない矢を前に、立ち塞がった娘だから。
「三人に、お願いがある。いや、約束だ。絶対に守って欲しい。
関わるなとは、言わないよ……エゴンを救う為にも、言えない……。
だけど、なら絶対、犠牲にならないでくれ……。
何よりも自分の命を優先してくれ。俺は、もう誰一人として、俺の所為で亡くしたくない……。
誰一人としてだ」
言おう。あの人のことを。
俺が、持ってはいけない、望んではいけないと、自分に枷をはめた理由を。
異母様や兄上に言われた所為もあったけれど、俺がそれを受け入れたのは、もう誰も、失いたくなかったからだ。
「俺に望めと、言ってくれるなら……お願いだから……」
あの人みたいには、ならないでくれ……。
「三歳を少し過ぎた頃だったと思う……俺が認知されて、ここに呼び戻されたのは……」
そんな出だしで、俺の話が始まった。
◆
終えるまでに掛かった時間は、ほんの一時間程度だった。
母のことを伏せ、異母様らとの誓約のことを伏せ、としていくと、語れることは削られる。
しかも、たった数日の出来事だものな……。その中でも、あの人と共に過ごした時間は少ない。語れることは、本当に、少なかった……。
俺は長椅子で横になっていた。
思いの外、削られた。何って、気持ちをだ。
あの人の記憶が頭の中で廻るのだ。笑顔が。声が。髪の隙間から覗く美しい瞳が。頭を撫でる、カサついていた手が。左の額にあった大きな傷が。足を引きずって歩く後ろ姿が。……っ。ああ!
両腕で目元を隠した。
駄目だ、泣くな。
あの人を死なせたのは俺だ。俺がそれを引き寄せた。言い逃れなんて出来ない。
なにが心配だっただ。結局俺は、人恋しさで、甘えて、あの人を巻き込んだ。
温もりを手放したくなかったんだ。
俺のことを知らない、優しい人につけ込んだ。
結果が、これだ。
だからもう二度と、誰も巻き込みたくなかった……俺のせいで刈り取られる命なんて、作りたくなかった……! だから人形でいなきゃいけなかった。だけどそれも出来なくて……、ギルの優しさに甘えて、周りの優しさに甘えて、俺は結局今こうして、ここに居る。
気持ちが淀んでいた。悪夢の後の様に。俺は間違ってしまったと、そんな風に考えてしまう。怖くて、身が震えた。
俺は間違ったかもしれない……いや、きっと間違ってる。ギルやハインが今ここに居ることが……サヤが今、ここに居ることが!
どうしよう、あの人みたいにしてしまう。今からでも、どこか安全な場所に……っ。やっぱり俺との縁なんて断ち切ってもらった方がいい、その方が絶対に良い! だってそうだろう、たまたま今まで皆無事でいたというだけで、これから先なんて保証されていないんだから!
俺と時間を共有していくってことは、常にその危険と隣り合わせってことで、それがこれからもずっと続くってことで、そんな状況にみんなを、巻き込みたくない……っ!
「酷い顔になってんぞ」
ギルの声に、俺はびくりと身を震わせた。
「今考えてること当ててやろうか。
どうやって俺たちを遠ざけよう。あんな風にしたくない。また間違ってしまった。
そんな風なこと、ぐるぐるぐるぐる、飽きもせず考えてんだろ」
「……腕があるのに、顔が見えてるわけないだろ」
「バッカ、こんな時のお前の顔なんか見飽きるぐらいに見慣れてる」
ハインは部屋を出て行った。お茶を入れなおしてきますと、それだけ言って。
サヤは、自室だ。少し、気持ちを落ち着けてきますと、退室した。
両目を赤くしていたから心配だ。きっと怖かったろう、嫌な話を聞かせてしまった。自分の身がこんな危険なものに委ねられているだなんて考えたら、いてもたってもいられないだろう。
そうだ、今が良い機会かもしれない。サヤをギルに託して、意匠師として、メバックで暮らせば良いんだ。サヤを元の世界に帰す方法が分かるまで、そこで安全に……。
ガシッと、頭を鷲掴みにされた。
「くだらねぇこと考えんな。今お前、すげぇ良からぬこと考えてんの、筒抜けだぞ」
「良からぬことって……」
「良からぬに決まってんだろ。
俺はお前の親友辞めねぇし、ハインはお前の従者辞めねぇよ。サヤだってきっとそうだろ。お前が何企もうと、絶対にお前と縁を切らない。お前の過去がどうだろうと、何が起こってようと、覚悟してるって前言ったよな。聞いても、やっぱ変わんなかったぞ、俺の気持ちは。
俺は、お前の親友辞めねぇよ。これからも絶対。お前の傍にいる。これは、俺たちが自分で決めることだ。俺たちの領分だ。お前が口出しすることじゃない」
そう言ってから、頭を掴んでた手を離して、一度撫でた。
そうしてから「よく、話してくれたな……。本音を言えば、もっと早く聞きたかったけどな」と、言葉を続ける。
「そうか……。そうだよな……、お前優しいから、全部自分の所為だって考えちまったんだなってのは、よく分かった。
けど……俺は、その人は、自分のために動いたんだって、思うけど」
「は?」
ギルの言い出したことの意味が分からず、俺は腕で顔を隠したまま聞き返す。
「その人はさ、お前ほっとけなかったんだよ。
お前のことを大切にしたいって思ったんだよ。
時間なんて関係ないだろ? 誰かを大切だって思えるかどうかなんて。
お前と触れ合って、お前を好きになったんだよ。お前のために何かしてやりたいって、思ったんだよ。
自分がそうしたいって思ったから、動いたんだ。
傭兵やってたって人が、命引き換えにしてでもなんて、考えてなかったと思うぞ。出来る。してやれると思ったから、動いた。
結果は……まあ、あれだったけど……お前を恨んじゃいない。自分で決めて動いた結果だから。
……聞いてる限り、その人は、そんな人だ。
話を聞いただけの俺に何が分かるって、思ってるかもしれないけどな……分かることもあるぞ。その人がお前にどんなことを思ったか、とかは、たぶん」
俺たちと一緒だろ。と、ギルは言った。
「だから、自分が納得するために動いたんだ。その人自身にも、何かあったのかもな、お前を守りたいって思う理由が。
けどお前は、その人に申し訳なく思うよりも、先にすることがあるだろう?」
「…………何を?」
「感謝。
ごめんよりも、その人が望むのは、ありがとうだって、気がする」
もうこいつ嫌だ……、俺を泣かそうとでもしているのか?
だけど言われた言葉には、何かひどく納得できるものがあって、何かがストンと、胸に収まった気がしたのだ。
あの人は最後、なんて言った?
いつか、会いに来いって言った。それが別れの言葉だった。
あの先がどうなるか分かっていたと思う。分かっていたから俺を残して行った。恨み言ではなく、会いに来いって……。死ぬつもりなんてなかったんだ……。絶対生き抜いて、俺と再会する気でいたはずなんだ……。
そうだ、きっとあの人は、そういう人だった。
「お前はもう子供じゃないし、ましてや一人じゃない。
しかも今は、立場ってもんがあるだろ?領主代行様。
エゴンを切って捨てる気がねぇんなら、足掻くしかない。
少なくとも、腕が二本しかなかった子供のお前より、俺たちと居るお前の方が、伸ばせる腕の数が格段に違う。
な。
その人が、お前の為に用意した道を、お前はちゃんと、自分の足で進んだんだ。それで、俺やハイン、サヤが今、ここに居るんだ。
その人が望んだものをお前はちゃんと掴んでんだ。胸を張れよ。
友達を作れって言ったんだろ。それは、今のお前を、その人が望んだってことなんだぞ」
間違ってねぇよ。
と、ギルは言った。
そうなんだろうか……本当に?
だけど聞きたい人は、もういない。
でも……間違ってないと言ってくれる友が、いる。
「死なないでくれよ……」
「縁起でもないこと言うな。誰が死ぬか」
その為に色々やってんだぞこっちはと、ギルは笑った。




