異話 追想 2
「レイ、顎を引け!そうやって上見たって、息苦しさはかわらねぇ。喉が空いて狙われるだけだぞ」
「う、うん……」
「ほら、右!」
「うっ、いっ、……っ」
「ほらまた顎が……引けっつーの!」
「いだっ!」
頭を木刀で叩かれて、レイは尻餅をつき、自分の持ってた木刀を放り捨てて頭を抑えた。
俺は、今レイを叩いた木刀で、自分の肩をトントンと叩く。
全く……何度やっても顎を上げる。なんで上を見るんだ?涙目で頭をさする様はほんと美少女で、なんか俺が酷いことをしたみたいに見えるじゃねぇか。
俺はしゃがみ込んで、レイに視線を合わせる。
涙目のレイが、俺を見て涙目ながら、むぅっと、不満そうな顔をした。
よしよし。そんな顔も可愛い。表情があるのは良い事だ。例えそれが、感情を伴わないのだとしても、固まったままよりは、断然良い。
「休憩するか?」
「い、いやだ……」
「けどお前さ、足がもう動いてねぇもん。踏み込まないから、俺にとどかねぇって、気付いてるか? ただでさえ身長差があんだからさ、それじゃ無理だ。休め」
「うううぅぅ……」
「……休憩終わったらまた相手する。だから休め」
「うううぅぅ……」
嫌そうに、それでも俺が譲らねぇとわかってるので、渋々こくりと頷く。
嫌そうなのは本当っぽく見える……。きっと、本当に休憩したくないのだ。だけど、頷く。頑なに貫くほど執着していない。レイは、まずほぼ全てのことを、結局は譲る。
そして、こうやって無理矢理にでも辞めさせないと、身体の限界なんて無視してやり続ける。幾らやっても足りない。常に満たされない。穴の空いた袋の様に。
負けん気が強いのは良い事だ。良い事だががむしゃらに無理すれば良いってもんじゃない。
「あのさぁ、木刀、もうちょっと短く持ってみろ。
お前にはまだ重いんだ。先が軽くなれば、もう少し振ってられる」
「短くしたら、届かない、よ」
「馬鹿。振れなかったら、届いたって意味ねぇじゃん。
それとな、お前は他のやつより、二つ若い。他のやつと同じことができねぇのは、当然だろ?
二年後のお前なら、きっと簡単にできる。だから焦らない。先生も、そこは分かって採点してくれるだろうが」
間もなく、武術の試験日。
一年先に進むための試験なのだが、レイは相変わらず小柄で、同学年の中で最も体力が無かった。
それ故に、試験の合格基準である、一勝が危ぶまれ、こうして自主練習に、俺が付き合う羽目になっているのだ。
レイが俺とつるみだしてそろそろ二年。人形みたいに動かなかったレイの表情は、随分と豊かになった。言葉にも抑揚が付き、人形の様な美少女というよりかは、希少な小動物という感じだ。素直で優しいレイは、同学年にも、上級生にも好かれ、関係も良好だ。
そして、同学年より二歳若いにも関わらず、座学は上位に割り込む程で、落第すれすれの俺を教えてくれさえする様になった。
レイは努力家だ。落第するとは思えない。
先生だって、レイの事情は充分理解していると思うのだが……レイは落第しそうだと焦っている。こいつはいつまで経っても、自分を信用するということを、憶えなかった。
「休憩、したよ。もういい?」
「……あと五十な」
「むううぅ……」
休憩を削り、息も整ってないのに練習に戻ろうとする……。レイにあと五十ほど数えろと言い渡すと、律儀にゆっくりと数え出す。一呼吸を一だと言い含めてあるのだが、忠実に守る。刷り込まれたままを覚える。生まれたての雛の様に。
「数え…………あまい」
五十数えたレイの口に飴をねじ込んで、更に時間を稼ぐ。
甘いものに恍惚とした表情をしてるレイ。
くそぉ、なんで女じゃないかなぁ……と、しみじみ思う。飴を食い終われば、息も整い、手足も動く様になっているだろう。
一年、結構な時間をレイと共有して、分かったことがある。
そして、調べて知ったこともあった。
上級生に、マルクスという変人がいるのだが、そいつが情報を売ってくれると聞いたので、レイのことを興味本位で聞いた。
「ええぇ? セイバーンは嫌だなぁ……あんまり関わりたくないんだよねぇ」
金を払って、レイについて聞くと、そんな風に渋られた。この野郎……料金釣り上げる魂胆か? そう思ったので、上乗せぶんを机に置く。
「違うって。あそこはさぁ、魔女がいるんだ。気持ち悪い噂が多い女の人。
レイシールって、ここにいるセイバーンの貴族の子でしょ? 人形みたいな。だから、あまり変な話はしない方が良いよ。もしバレたら……水に浮くとか、木に釣り下がるとか、起こっちゃうかもよ?」
子供だと思いやがって……誰がそんなんで怖がるんだ。
ひょろひょろのマルクスが幽霊みたいに手を胸の前でフラフラさせているのは、マジで幽霊っぽくて若干、ビビったけど。俺はその手を叩き落として辞めさせた。
「痛い……」
「レイは、告げ口するような奴じゃねぇよ。
あいつ、ここに来た頃は人形みたいだったけど、今はちゃんと話すし、動く。
それより聞かせろ。その魔女ってなんだ?」
「ええ〜……子供に言うような話じゃないんだよねぇ……ほんと、聞くと耳が腐りそうだし……。
あのね、貴族の話は、興味本位で聞いちゃダメだ。後で聞かなかったことには、出来ないんだよ?」
何度も念押しされるが、俺は引かなかった。だからそのうち、マルクスも面倒臭くなってきたらしい。まあ良いか……と、溜息をつく。
「聞かないと分かんないか……。
えっとね、セイバーンには子供が二人いるんだ。上はもう成人する頃かな? そっちは正妻の子。下がここに居る、レイシールって妾の子。はじめは庶民だったのに、三歳で認知されて貴族になったんだ」
「なんで三歳?」
「教えない。ここは譲らないよ。子供の聞く話じゃない。
それでまあ、その正妻が魔女って言われてる人。社交界の華っていうほど、綺麗らしいんだけど……恋敵が急死したり、恋人が自死したり、使用人がすぐに変わるって噂が、独身の頃からまことしやかに囁かれてたんだ。
レイシールって子もさ、殴られたり、躾として酷い扱い、されてたらしいよ。結構な大怪我して、危険だからって、家を出されたって。それがここに来た理由みたいだね」
だいたい想像してた通りの答えだった。
金を払って裏付けが取れたって程度か。使えねぇ……。そう思ったのだが、もう少し続きがあった。
「魔女はね、呪いを刻み込んでくるんだよ。関わると、死にたくなるんだって。実際、あそこの子供……二人とも人形みたいって噂だよ。成人間近の一人目も、糸の切れた操り人形みたいな人だってさ」
さすがにゾッとした。
子供が二人とも人形みたい? それは明らかに異常な事態だ。
だって、俺の家では、子供は騒がしい。兄貴の娘とか、マジでうるさい。いっときも黙ってねぇし、悪戯三昧だし、すぐ泣くしすぐ怒る。子供ってそんなもんだろ?
俺もうるさいって言われるし、兄貴に殴られることもある。けど、出会った頃のレイのような、あんな酷い痣を作るなんてことは、一度たりとも経験していない。
「その正妻に、何で文句言わねぇんだ……」
ついボソリと不満をこぼしたのだが、マルクスは言えないんでしょ。と、俺に金の半分を突き返す。
「その魔女、伯爵家から降嫁した人だって。男爵家じゃ、逆らえないよねぇ。
はい。料金ぶん以外は返すから、もうセイバーンの話は聞きに来ないでね」
マルクスとの会話は、相手に拒否され、そこまでとなった。
隣で飴を舐めるレイを見る。
人形の様だったけど……まだ感情は、微かにあった。
顔は固まってたけど、目は怯えていたし、微かに笑うこともあった。蝶を壊れない様にと逃す優しさも。けど……コワレナイヨウニ……と、表現していたことが、今更ながら、やばい感じだったよなと、思う。
なんとなく、可哀想になってきて、飴を舐めるレイの頭に手をやって、なでなでと、撫で回す。すると、キョトンとした顔が、擽ったそうになり、クスクスと笑うのだ。あああぁぁ、なんで女じゃないんだこれ……マジで可愛いのになああぁぁ。
レイは、優しくて可愛い。
俺はレイが、暴力を振るうのを見たことが無い。
殴られても、殴り返さない。怒りもしない。まるで、殴られるのが自分の役回りであるみたいに、受け入れる。
けれど、やはり、怖いのだと思う。体は強張り、手は顔を庇う。暴力の後しばらくは、瞳が不安定に、揺れている……。
こんな出来事があった。
俺が友人と喧嘩をした時、急にレイが駆け込んで来て、俺を庇って殴られた。ギルじゃない、僕だ。と、譫言のように言って。
レイとは全然関係ないことで、俺が勝手にした喧嘩だったのに、レイは俺を庇いに来たのだ。
あっち行け、お前は関係無いだろうがと、つい八つ当たりして怒ったら、壊れたようにごめんなさいを繰り返した。そして、俺に寄り付かなくなったのだ……。
今までの関係が無かったかのように、空気と接するように素通りする。虚ろな目で。
根負けして声を掛けたら、いらないんじゃないの?と、不思議そうに聞かれた。
縋るような目が一瞬俺を見たけれど、感情の片鱗はすぐに消えた。硝子玉みたいな、虚ろな瞳が、俺を写していなかった。
見え隠れしていたレイの感情は、いつの間にやら、消えてしまっていた……。出会ったばかりの頃の様に……。
何を言われても良いよう、ただ待つレイに、俺は愕然としたのだ。
レイは何も悪くなかった。ただ、よくつるむ俺が殴られるのを、庇って代わりに殴られただけなのだ。八つ当たりで怒鳴り散らした俺が、明らかに悪いのに……こいつはそれすら、分かってない。自分がいけなかったのだと、ただひたすら、そう信じている。
そして、きっと、俺が求めるままに動くのだ……。許すと言えば許され、許さないと言われれば、ひたすら謝り、そして受け入れる。
壊れてる。
それを痛感した。そして、レイを壊した連中は、きっと俺と同じように、理不尽なことでこいつを責め続けて来たのだと思った。
どんなことでもレイの所為にされ、暴力や暴言を浴びせられ、こいつはそれを受け入れるしかなかったのだ。
三歳から六歳までを、そんな風に、過ごしたのだ。
「悪かった……。あれは、俺が悪かったんだ。お前は、なんも、悪くねぇ……」
人のために泣けたのは、初めてだったかもしれない。
レイが不憫で、そんなレイを自分勝手に傷つけた自分の不甲斐なさに泣けた。
もう絶対、そんなことはしないと子供ながらに誓った。
誓いは守られず、結局幾度となく破ってしまったけれど……。失敗しながら、俺はレイと時間を積み重ねた。そしてその度に、レイは人間らしくなっていったのだ。少しずつ。
「ギル、もういい?」
木刀を持って、レイが俺を覗き込む。
飴は食べ終えたらしい。俺は頷いて、立ち上がった。レイも立ち上がる。
木刀を握る手を開かせ、拳一つ分短く持たせる。レイはちょっと、不満そうな顔をしたけれど、何度か振ってみて、あれ?と、首を傾げた。やっと動かしやすさを理解したか……。面倒臭い奴だなホント。
そしてまた、練習が再開される。
余談だけど……。
レイは問題なく進級を果たした。むしろ俺が若干やばかった。
武術の練習を手伝ってくれたからと、レイが座学を見てくれることとなり、ギリギリ合格点だった。
あぶねぇ……。進級できなかったらレイと同学年だ。それは恥ずかしい。
俺は、レイとつるむ限り、留年はできないのだ。




