異話 追想 1
ギル目線 学舎時代をお送りします。
ギルが二年、9歳 レイが一年、6歳です。
学舎って……つまらねぇ……。
入学して一年で、俺はそれを悟った。悟りきった。
何がつまらねぇって、まず座学が多い。勉強自体はそこそこ出来たが、詰め込むもんが多すぎて気が滅入る。
そして大好きな武術が極端に少ない!
体格に恵まれ、容姿に恵まれ、騎士になるに相応しいと思って入学したのに、剣の腕はさして重要視されていなかった。最低だ。
そして何より、女っ気が無い‼
目が霞むほどに潤いが無い。
同学年に女はおらず、上級生とは接点が無い。
こんな環境で俺は何を学べばいい⁉︎
美意識もへったくれもない男に囲まれて、俺の美意識すら歪みそうだ。辞めよう。もう学舎はいい、充分だ。
二年目の春。夏の長期休暇が来たら、父に土下座してでも辞めようと思っていた俺の耳に、一年に妖精のような美少女が入学して来てると教えてくれたのは、町人の友人だった。
「えー……それ本当かよ……入学者名簿に女の名前なんかあったか?」
「でも俺見たんだよ! 人形みたいな、妖精みたいな、なんかこう、消えてしまいそうな……儚い感じの美少女が、一年の寮に入っていったんだよ!」
「……女っ気無さすぎて目が腐ったんじゃねぇの」
「マジだって!」
「マジなら女子寮に入るだろ……なんで一年の寮なんだよ……」
女は少ない。滅多に入ってこない。だから、男は学年ごとに寮があったが、女の寮は一つきりだった。そして女子寮に入らない女は皆無だ。
「でも見たんだってばあああぁぁ、だから覗きに行こうって誘ってんだろおおおぉぉ?」
「やだよ。めんどくせぇ……」
「あ、それ本当だぞ。マジで美少女。弟が言ってた。男だけどな」
「えっ⁈」
「美少女に見えるけど男。小さいのは六歳だから。
なんか変な奴らしいぞ。貴族だって。人形みたいに顔が動かないって」
どんなだ。
男と知って打ち拉がれる友人とは逆に、俺はその想像できなさ加減に、逆に興味が湧いた。
意味が分からん。けど面白そうだ。人形のような、妖精のような、美少女のような貴族の男。
通常、八歳から入学するこの学舎に、たかだか六歳で入るとは。頭が良いのか、結構な金持ちなのか、家庭の事情ってやつか……。なんにしても、一度見てみるかと思った。
「よしっ、じゃあ見に行こう。その面白い奴」
「俺はもういい……女じゃないなら興味ない……」
結局、言い出しっぺは興味を無くしてしまったので、俺は一人で一年の寮に向かった。
どうせ男しかいないのなら、せめて見た目だけでも女っ気が欲しい。そして面白いなら尚更良い。
貴族はあまり好きではないが、将来のお客様だから、せめて慣れてこいと兄貴に言われていたこともある。兄貴はどうせ、学舎なんてすぐ辞めると言っていた……くそっ、なんかそこだけは負けた気がして嫌だな。
家族は、俺になんか、何も期待していない。
まさかの高齢出産で授かった俺だ。兄は余裕で成人し、既に娘までいる。当然家も継いでいたから、後継の心配は済んでしまっている。
だから、俺には、期待するものが無い。急に騎士になるといい出しても、反対は一切無かった。結構な額の金すら出して、じゃあやってみなさいときたもんだ。
服と一生関わって生きていく一族の中で、俺にはそれが、求められていない……。
…………いいけどな。別に。なら好きなことを好きな様にするまでだ。
そんな風に、脈絡のないことをつらつら考えながら歩いていたのだ。
すると、一年の寮に向かうまでもなく、目当てらしき人物を発見した。
寮の手前。花壇の前に。
「うわっ……マジで男? 女にしか見えねぇ……」
横顔だけでも、それは充分、分かった。美しい。確かに美少女だ。
友人を馬鹿にしていたのに、俺はそう、納得するしかなかったのだ。
胸にかかるほどの灰色の髪を、括るでもなく垂らしたまま、夜空のような、磨かれた瑠璃のような瞳の美少女が、何故か空を見上げてた。
長い睫毛が、頬に長く影を落とす。鼻筋は通っていて、唇はやや薄いが、柔らかそうな桜色だ。まだ幼さの強く出た、丸みのある顎の輪郭……。
視線の先に、小さな蝶が、ひらひらと彷徨うように飛んでいて、それが何処か、遠くの方に消えていくと、何事もなかったかのように踵を返し……⁉︎
「おい!」
腕を掴んで止めたのは、見えていなかった顔の反対側……髪の毛で隠されていた部分が、風の悪戯で見えてしまったからだった。
右半分の顔は、確かに美少女だった。でも、左半分……こめかみ上部から、頬にかけて、赤紫に変色した、尋常じゃない顔。
明らかに、暴力を振るわれたのだと子供の俺でも分かった。腕を掴んだ途端、その美少女は火鉢を押し付けられたように身を竦ませて、手で顔を庇ったのだ。
「お前、それどうしたんだ。誰に殴られた⁈」
「ちが……、ごめんなさい……ちょうが、こわれちゃうと、おもって……」
急に腕を掴まれたことが怖かったのだと思う。
抑揚のない声で何か分からないことを言い、頭を庇うように腕を上げて座り込む。
掴んだ部分にも変色を見つけ、俺は慌てて手を離した。
なんなんだこいつ……痣だらけだ……。めくれてしまった袖に隠されていたのは、緑がかって消えかけた痣と、紫の濃い痣。皮膚に染み込んでしまったかの様な黒ずみ。肘までの小さな面積に、幾つも刻まれている……っ。
俺が手を離しても、そいつはその体勢で動かず、そのまましばらく時間だけが過ぎた。
何も降ってこないことを訝しく思ったのか、腕と腕の間から、怯えた目が俺を見た。瞳にはありありと恐怖が張り付いているのに、何故か顔は……表情は……微動だに、しない……。
「…………だれ……?」
「……急に掴んで悪かった……。俺はギルバート、二年だ。
お前、それどうしたんだ。誰に殴られたんだ?」
「ちがう……。だれも、なぐったりしない……。みえた……きもちわるいの……ごめんなさ……」
「謝るなよ。別に、気持ち悪くねぇし……。痛そうだとは思うけど……。なあ、上級生が殴ったのか? それなら、先生に相談しろ。俺がかわりに言ってやってもいい。
そのままにしておくのは良くない。学舎は、貴族に文句言っても怒られねぇぞ。学ぶ場だから、ここでは対等だ」
「ちがう……。まえからある……。ここのひとは、なぐらないよ……」
前からある……。入学して二週間近く経つのに、それでも残っているような痣……。
そして、ここのひとはなぐらない……ここの前は、殴られてたって、ことだ。
なら身内か……。こんな綺麗な顔を、こんな色が残る程、殴るなんて……どんな身内だ。しかも相手は六歳の子供だ。子供同士の喧嘩じゃない。大人の力じゃなきゃ、こんな風になんてならない……。
出会ったばかりの、痣の美少女めいた子供に、俺は自分がたかだか九歳の子供であるにもかかわらず、同情した。そして、もともと騎士に憧れていたなんてのもあり、小さな子供や姫は守らねばと思った。
男だが。
子供だし。
姫みたいな顔だし。
「なあ、俺は名前を教えた。ギルでいい。お前、名前は?」
守るなら、名前を知らなきゃ話にならない。そう思ったので聞いた。
痣の美少女めいた子供は、首を傾げてしばらく考える。
「なまえ……レイシール・ハツェン……セイバーン」
「あ、そっか。貴族だっけな。レイシール……様?」
「きぞく……ちがう。レイで、いい。ニセモノだから……」
「え? なにそれ、意味わかんねぇ。なんの偽物?」
「きぞくの、ニセモノ……。うすぎたないめかけばらのにせものきぞく」
六歳の子供の口から出てくるとは思えないような言葉に耳を疑う。
そこだけはすらすらと。まるで耳に馴染んだ言葉であるように言ったのだ。
動かない表情で、たどたどしい口調で、なのに毒のある言葉だけ流暢な、子供。
俺は背中に氷を突っ込まれたような寒気を感じた。
おかしい……こいつはなんか、おかしい。
「あのさ、貴族に偽物なんてねぇから。妾から産まれても、認知されたら貴族。
だからお前……レイは、偽物じゃねぇよ」
「ニセモノだよ……いぼさまはただしい。あにうえはただしい……。しにぞこなって、ひろわれただけ……うすぎたな……」
「待った。それはいい。もう聞いたから、言うな。……あのさ、それは人に言うべきじゃない。お前以外にも妾の子の貴族は沢山、いるんだ。そいつらが不快に思うから……な?」
「……うん……」
素直だぞおい……。
今までの一連のやりとりの中で、一度も表情は動いてない。
なんかほんと人形みたいできみ悪いな……、配色の失敗した蝋人形だ。
そう思ったけれど、コクリと頷いたその素直さと、痣の隠れた顔の可愛さで、俺はそのきみ悪いと思ってしまった部分を振り捨てる。
まだほんのちょっとしか知らない相手に、きみ悪いもなにもない。知ってみなきゃ、分からないのだ。
「なあ、もう一個聞いていい? さっきは、何してたんだ?」
「さっき……? りょう、に、ちょうが、きたから……。つかまると、こわされる……」
蝶を、逃してた……のか?
風が吹いて、俺とレイの髪が、大きく掻き乱される。
優しい子だと、思った。貴族が虫を嫌うのは知ってる。それこそ、蛇蝎の如くってヤツだ。見るのも嫌ってくらい嫌悪してる。どこにでもいるんだから、嫌うだけ無駄な気がするのにだ。
授業中も、虫が入ってきただけで阿鼻叫喚だ。最終的に、箒で叩き潰されたり、どさくさで逃げていったり、結末は様々なのだが、基本的に、貴族は虫を触らない。穢れると言って、近寄ろうともしないのだ。
なのにこいつは、蝶を逃した……。貴族なのに、貴族らしくない……。
ふいに、俺とレイの間を蝶がかすめて飛ぶ。レイはそれに気を取られたように横を向き、痣のある顔を、少しだけ歪めて……「もうきちゃ、だめだよ……」と、言った。
逃した蝶と、一緒とは限らない……そう思ったけれど、一瞬だけ動いた顔、口元が、少しだけ微笑んだように見えた。
痣がなければ、きっととても可愛かった……。そう思うと、なんだか、それを見れないことが、とてももったいないことの様に思えて……気づけば俺は、また口を開いていたのだ。
「なあ、甘いもんは好き?」
「あまい……?」
「今度持ってきてやる。そうだな……明日。授業の後、この辺にいろ。俺また来るから」
「……うん……」
「じゃあな、また明日、レイ」
「うん……ギル……」
無表情だった。
でもなんかこそばゆかった。
そのうちまた笑うかもしれない。しばらく構ってみよう。痣が消えたらきっともっと可愛い顔だ。
そんな風にして、その日は別れた。それが、俺とレイの、最初。
出会いだった。




