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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第四章
63/515

執着

 六の月十七日。

 朝起きたら、妙な音がしていた。


 ダン!……ガッ……ッ…………ダァン!


 ゾッとした。

 いったい何の音か分からないから飛び起きた。

 寝室まで聞こえてくるって、相当な騒ぎなのではと思ったのだ。

 寝室の扉を開くと「おはようございます」と、部屋にハインがいる。あれ、俺寝坊したのか?

 部屋の入り口が開いていた。これで階下の音がよく聞こえてたのか。にしたって、何の音……。


「間もなく異母様方が出立されそうなので、起こしに来たところです。急いで身支度をして下さい」

「あ、ああ……。ハイン、あの音は?」

「身支度が終わりましたら、ご自分で見に行かれたら良いですよ」


 扉を閉めたハインが、そう言って寝室に入って来て、衣装棚から服を取り出す。

 そっけない態度に、俺は首を傾げながらも、着替えを優先することにした。音は微かにしか聞こえなくなっが、気になって仕方がない。


「御髪はお見送りの後、サヤに整えてもらって下さい。今は一括りにしておきます」


 上着を纏う前に座らされ、さっさと髪を纏められた。

 俺はそれを待って立ち上がり、上着を羽織ってから外に向かう。

 扉を出て、階段の手摺に手を掛けた時、階下で動いているものに気付いた。

 その光景に、俺は悲鳴を必死で飲み込む。

 小剣を振るうギル相手に、サヤが突撃と退避を繰り返していたのだ。

 ギラリと光る刀身。軽やかに身を翻すサヤは、膝丈の短い細袴と、袖の無い短衣という、ごくあっさりとした出で立ち。髪はいつもの如く、馬の尻尾の様に纏められていた。女性が腕も足も出していることに本来なら赤面ものだが、刃物が振り回されている現場では、それを指摘するどころじゃない。一応、脛と腕に防具らしきものを着けてはいたが、胴体や顔には守るものが何も無かった。


 ギルが刃を横薙ぎに振り回し、サヤはそれを身を低くして躱す。そのまま動きを止めずに、今度は上段から斬り下ろす。それは半歩だけ横に移動し、ギリギリで躱した。すると引き戻した剣をくるりと回転させる様にして軌道修正したギルが、サヤに向かって躊躇なく突き出す。背の高いギルの肩のあたりから、斜め下に向かって突き出された剣に血の気が下がった。回避で体重を片足に掛けているサヤには避けられない様な気がしたのだ。

 しかしサヤは、突き出されを剣をもう半歩の移動で危なげなく交わしたかと思うと、そのまま一瞬で間合いを詰め、ギルの腕に手を添えた。ギルはその動きに腕を引き、サヤの手はギルの腕を捉えることは出来なかった。が、剣に身体を吸い付けるかの様に、そのまま更に肉薄する。

 剣の間合いに戻そうとしたのを阻まれた形のギルは、更に大股で後方に一歩逃げる。と、見せかけて肩でサヤを吹き飛ばそうかという様に、後ろに移しかけていた体重移動を前方に戻す。いつ腰から引き抜いたのか、左手で逆手に握った短剣を、サヤの顔に突き立てる様に、無造作に突き出す。

 容赦の無い攻撃だった。これほど真剣に、奥の手まで使って攻撃を繰り出すギルは、もうサヤを殺す気でいるとしか思えない!

 だがサヤはそれすら避けた。どうやっているのか、急に一歩半ほどの距離が二人の間に開く。サヤが、瞬間移動している様にしか見えない。ギリギリ短剣の届かない、小剣は振るいづらい絶妙の距離を空け、サヤのとギルの間に何かが掠めた。

 ガランガラガラとけたたましい音を立てて小剣が床を滑っていき、短剣を握る手を取られたギルが床の上に背中を叩きつけられる一瞬手前で、引き上げられる。


「………参った」


 ダン、と音を立て、床に背をつけたギルが、脱力してそう答えた。

 汗が凄かった。

 だが運動した為のというよりは、冷や汗が大半であるといった様子だ。サヤに投げられたというのに、どこかホッとした顔で身を起こす。

 そして、俺に気付いてバツの悪い顔をし「おぅ……」と、片手を上げた。


「おはようございます」


 サヤがにこやかに挨拶してくるが、俺はホッとすると同時に、膝が崩れた。

 階段の手摺にしがみ付いて、詰めていた息を吐く。

 怖かった……殺気が無いのは分かっていたけれど、下手をしたら、死んでる。

 座り込んでしまった俺に、サヤが慌てて階段を駆け上がってきた。ギルは短剣を腰の鞘に戻し、吹き飛ばされた小剣を拾いに行く。視線をこちらに向けてこないのは、きっと俺の反応に罪悪感を覚えているからだろう。


「申し訳ありません、驚かせてしまいましたか?」


 駆け寄ってきたサヤは、そう言って俺の背中をさすったが、俺は返事が出来なかった。

 近くに来たサヤの腕には、昨日、上着で隠れ、見えていなかった細かい切り傷が幾つもあり、ギルとの鍛錬が、決して無傷で済んでいないことを物語っていたのだ。

 嘘だろ……こんなことを、していたのか? こんな鍛錬を、何故そこまで⁉︎


「おや、ひと段落しましたか。

 サヤ、朝食の前に、私達は異母様方の見送りに行って来ます」

「畏まりました。戻られたらすぐに食べられる様、準備しておきますね」

「お願いします。レイシール様、惚けている場合ではありません、行きますよ」

「まっ、待て! こんな、こんな鍛錬をお前は……っ」

「従者ですから。鍛錬くらいします」


 俺の動揺などどこ吹く風で、ハインは俺を急き立てるようにして外に向かった。

 ギルとサヤは、そんな俺を玄関広間から見送る。

 外に出て、口を開こうとした俺に、ハインがギラリと怒気をはらんだ視線を寄越してきて、黙れ。と、言われているのが分かり、反射的に口を噤む。

 厩に続く道の前を横切り、正門前に差し掛かった辺りで、ハインはやっと口を開いた。


「従者は、主人を守るのが仕事です。サヤはその為の鍛錬をしているに過ぎない。貴方に彼女の努力を妨害する権利はありません」


 ハインの言葉に息を呑む。言葉が突き刺さる様だった。

 俺の反応を見たハインが溜息を吐き、館の玄関に留まる馬車に、異母様方が乗り込むのを目にして姿勢を正す。だから俺も、慌てて姿勢を正した。


「あの娘は安全と平穏より、あの鍛錬とここの仕事の方を選んだのです。その覚悟を踏み躙る行為はおやめ下さい。受け入れると決めたのでしょう、いちいち、そんなことでブレていてどうするのですか」


 護衛の騎士が進める馬に続き、馬車が動き出した。その後を、荷物や女中を乗せた次の馬車が続く。護衛だけで十人に及ぶ大所帯だ。ハインは深々と頭を下げていて、俺も先頭の騎士が前を過ぎる直前で頭を下げる。が、視界の端に、小麦色の髪がチラリと見えて、兄上が目前を通り過ぎているのだということは分かった。


 ざまあみろ……。


 そう言われたのを、最近思い出した。

 あの人を、始末したと……… そう俺に言った時……。

 ざわりと胸が泡立ち、怒りなのか、悲しみなのか、分からない負の感情が腹の底で蠢くけれど、グッと堪える。

 ギルに話すと約束したこともあり、俺は時間がある時に、昔のことを、少しずつ思い返していた。

 ただ、それをすると、一度に嫌なことが溢れ出てくる事があり、気持ちが暴走しがちだ。

 自分の過去なのだから、自分で始末をつけなければならない。だから行っている行為なのだが、自分の未熟で、短慮だった行動が思い出され、罪悪感や後悔に苛まれる。

 幼くて、取れる手段が限られていた……だなんて、言い訳だ。やりようはいくらだってあった。


「無事出立されましたし、戻りましょう」


 ハインの声で、行列がもうとっくに通り過ぎていたのだと気付く。

 頭を上げた俺に、ハインは「レイシール様」と、低い声音で呼び掛けてきた。


「もし、何者かが貴方を襲う様な事があった場合、私は貴方を守ることを優先します。

 サヤが自身を鍛えることは、貴方を守る為でもあり、自身を守る為でもあるのです。

 中途半端な心配で、あの娘を危険に晒す様な発言は控えて下さい。

 その様なこと、言うまでもなく、分かって頂けていると思っていましたが」


 反論出来ない……。うん、分かっていた筈だった。

 けれど、実際に見てしまったら、あまりに衝撃だったのだ……。

 項垂れて戻る。これからもあの鍛錬が日課として続くのかと思うと、心臓がギュッとなる。

 しかし、戻った俺たちを、サヤはにこやかに迎え入れた。「おかえりなさいませ。支度は整ってますから、食堂へどうぞ」と、微塵も曇りのない笑顔で言うのだ。


 食堂には、配膳の済まされた麺麭(パン)が並び、ギルも席に着いていた。俺たちが室内に入ると、少し遅れてマルが「おはようございます」とやって来る。


「遅い」

「遅くないですって。みんなの朝が早すぎるんですよ」

「お前……主人より遅く起きてくる部下ってどうなんだよ……」

「昨日は遅くまで仕事してたんですよ。大目に見てくださいって」


 ギルとマルがそんなやりとりをし、サヤがクスクスと笑いながら、汁物を配る。

 今日一番朝が早かったのはサヤだ。集会場の調理場で朝の賄い作りを既に終えているのだから。なのに、戻って早々あんな稽古……駄目だ。頭がどうしても考えてしまう……。

 沈んだ表情になってしまっていたのだと思う。サヤが俺の隣の席に着き「先程はすいませんでした」と謝罪してきたので、慌てて首を振った。


「いや……こっちこそごめん……ちょっと……その」

「今日のは特別、吃驚させてしまう鍛錬だったんですよ。

 ギルさんに相手をしてもらえる最終日だったもので、突きと蹴り無しの、投げ技のみで行なっていましたから。

 普段はあそこまでじゃないんですよ? 間合いもそこまで詰めなくて良いんですけど……」


 そう言われて、サヤがひたすらギルに肉薄していたのを思い出す。

 そう……か。ギリギリで避けて、あんなに踏み込んでいたのは、そういうことだったか……。

 けれど、それでもサヤの腕や足に切り傷があったことは事実で、正直簡単に安心できる心境では無い。


「最後は俺の勝ちだったな。足使ったから反則だ」

「もう。両手に刃物を持たれると、さすがに投げにくいです。あれは譲って下さい」

「お前、刃物を手放す様にする関節技もあるって言ってただろ。それ使え」

「むうぅ……。次は勝ちます」


 大人気ない態度な気がするぞ、ギル……。

 投げられ、参ったと言っていたのに……そう思いギルを睨むと、ギルは肩を竦めてから朝食に手を伸ばす。

 朝の食事は具沢山の汁物と麺麭だ。俺たちも人足達と同じものを食すのだが、野菜と切られた腸詰めがごろごろした汁物は食べ応えがある。量としては充分だ。


「あ、この汁物食べ易いや。朝の肉って重いけど、これなら僕も大丈夫」

「本当だな。なんか汁も美味い……なんで白いんだか不思議だけどな……」

「良かった。汁物はお代わりもありますよ。白いのは牛乳入りだからですね」

「牛乳⁉︎」

「コクが出て美味しくなるし、栄養満点です」


 当然のことの様にサヤは言うが、ギルとマルは驚愕の顔だ。

 俺はシチューも牛乳を使っていると知っているので驚かない。

 牛乳は日持ちしないので、今まであまり使っていなかったのだが、サヤが来てからは結構定期的に購入していた。

 日持ちしないのが原因で、栄養価が高いのに結構安価なのだ。だから賄いにも最適。


「そういえばサヤくん、今日の景品、大丈夫そうかな」

「はい、牛乳から乳脂も沢山取れましたし、お昼に卵白も沢山余るので、丁度良いのが作れます」

「景品?」

「そうそう。遊戯ですから景品が必要でしょう?やる気も出ますしねぇ。

 土嚢作りで優秀だった班には菓子を進呈するんですよ」

「菓子かぁ。サヤは菓子も作れるんだよなぁ……お前本当なんでもありだな」

「いえ……たいしたものは作れませんから……ほんと、ほんとですよ?」


 和気藹々とした会話に、やっと気持ちが落ち着いてきた。

 俺は会話がひと段落したところで、ギルに問う。


「ギル、今日は……?」

「ああ、昼にうちの荷物がまた来るから、その馬車で戻る。

 これで一応、お前のところからの注文は終了。あとは、契約が纏まったら、また知らせに来ることにするから。まあ、半月後くらいか」

「そうか……」

「あ、それまでにサヤとハイン、その衣装の着心地とか、修正箇所とか、不満とか、なんか要望があったら纏めとけよ。売り出す前に、極力そういうのは洗い出しておきたいからな。急を要する内容は手紙で送れ」


 ギルが二人にそんな風に言うので、そういえばハインもサヤ考案の従者服だったなと思い至り、改めて視線をやった。

 短衣と細袴は見た目の変化が見られないが、よく見てみれば、不思議な形状の上着だった。上着の前と後ろで丈が違うのだ。後ろの方が、少し長い。しかし、そのお陰で腰の剣は上着の中に隠れず、ちゃんと柄が出ている。


「不満……? 快適です。

 昨日のサヤの様に肩が出るのはちょっと…と、思っていたのですが、これは出ませんしね。

 腕を動かすと背中がスッとするのが不思議です」

「背中心に細工があるからな。実はその上着は俺も作る予定。良いよなこれ」

「……ギルは普段帯剣しないでしょうに……」

「良いんだよ。この形が気に入ってんだから」


 ハインが腕を動かすと。背中心が一部開く。しかし、中には布が当ててあるので、本当に穴が空いているわけではないのだが、それでも涼しいらしい。

 爽やかな若草色の上着は、ハインに良く似合っていると思った。


「絽の生地を当ててあるから中は見えねぇんだよなぁ。ほんとこれ、秀逸だ……」

「脇もそうしてあるのですね。手が込んでます」

「お前のは同色で目立たない様にしてあるけど、俺のは色を変えようと思うんだよな。それはそれで良いんじゃないかと思って」

「色を変えるのも良いですね。きっとかっこいいと思います」


 ニコニコと笑みを浮かべサヤが言う。と、サヤはまだ鍛錬中の肩出し膝出しの衣装のままであることに気付いて、慌てて視線を逸らした。

 なんでみんな気にせず普通に話してるんだ……だが着替えて来なさいとも言い難い……。

 俺がサヤの方を見れないまま、食事は進み、食べ終えたサヤが食器を片付ける。


「申し訳ありません、先に失礼して、身なりを整えて来ます」

「いってらっしゃい」


 サヤが退室して、俺はやっと緊張を解いた。

 なんであんな格好で鍛錬してるんだ……薄くとも上着一枚でも着ていれば、切り傷が減ると思うんだが……。


「ギル……サヤは鍛錬の時……いつもあの服装なの? その……妙齢の女性なのに、あれは……」

「あー……俺も言ったんだけどな……服を数枚駄目にしたら、勿体無いからって練習着がああなったんだ。初めの数日は、ちょっとトチることも多かったからな……」

「ギルのことですから、躊躇して剣筋がブレたりしていたのでしょう?

 変な動きをするから生傷が増えるのですよ」

「あのなぁ……俺が好きこのんでサヤに刃物向けてねぇの分かってるよな……。お前じゃないんだから、そんな簡単に割り切れなかったんだよ……」

「それで怪我をさせていたのでは本末転倒ですね」

「……殴るぞ?」


 青筋を浮かせたギルがそう言って拳を握る。

 ハインは素知らぬ顔で、食事を続けている。こいつほんとブレないな……。安定の皮肉だ。

 反省の色がないハインと、サヤを怪我させてしまっている負い目があるギル。だから結局ギルが折れた。はぁ……と、溜息をついて拳を下ろす。


「まあ、サヤの国では別段変わった格好ってわけでもないらしいぞ。もっと短い細袴とか、肩どころか鎖骨の出る服とか、臍の出る服とか女でも普通に着るらしい。意味分からん」

「破廉恥な国なのですね」

「楽園の間違いだろ? まあサヤは、あまり露出する服は着たことないって言ってたけどな」


 俺は絶対目のやり場に困って外出できないな……。サヤがあまり着たことないらしい事にホッとした。そんな肌を晒す格好していたら、襲ってくれと言っている様なものだろうと呆れるしかない。だが着てなくても無体を働かれかけたのだから、サヤの不安は相当だよなと思った。


「夏の盛りはもっと凄いらしいぞ。水遊びの時は下着同然の服装らしい」

「ちょっ……何聴き出してるんだよ!」

「水に入る専用の服装なんだとよ。胸当てと下穿きしかないらしいぞ。図面も書いてもらったから見るか?」

「要らない! 余計なこと言うな! サヤが体調崩す様な話をよくもまあ聞いたな⁉︎」


 まさかそんな話をさせていたとは。

 だがギルは「サヤの世界では日常らしいからな。別段気持ち悪くなったりもしてないみたいだったぞ」と、取り合わない。

 なんでギルとそんな話をしてそんな図を描いているのか、その状況に至った理由を考えると凄くモヤモヤした。サヤが、ギルに相当気を許しているのだと分かるから、余計だ……。くそっ。


「まあ冗談はさておきだ。

 メバックでやっておくことは無いのか? あるなら言っとけよ」

「あ、じゃあ商業会館に寄って、僕の資料が出来てるか確認しておいてもらえます? 出来てたら即、送ってほしいんですけど。ああ、でも送るのが三日後になる様なら、僕がそちらに一日戻るので、必要ありません」

「ややこしい事頼んでくるなよ……まあ、やるけど」

「ギルはそう言ってくれると思ってましたよ」


 そんなやりとりをしつつ食事を終える頃、サヤが戻って来た。

 ハインと同じく、背中に細工があるという上着の様だ。丈の長い上着と幅広の細袴は緑青色。短衣は生成色。腰帯は鳶色だ。そんなサヤは、帰ってくるなりギルに何か描かれた紙を数枚差し出した。


「改善点です」

「……なんだこりゃ」

「とりあえず昨日一日過ごした感想として、腰帯が暑いです。腰回りが凄く汗をかき不快だったんです。

 なので、腰帯を巻かなくて良いように、ベルトを作りたいなと思って」

「……説明してくれ」


 ギルが仕事の顔になった。それはもうギラギラと、目が輝いている。

 サヤは数枚の紙に数種類のベルトと呼ばれるものを描いた様だ。


「正確に形が分かるものだけ、バックル部分を主に実寸大で描いてみたんですけれど…。

 これが一番構造が簡単なものです。ディーカンという金具を二つ、重ねて纏めておき、この隙間に帯の部分を通すと固定されます。

 とはいえ、重たいものには耐えられないと思うので、帯剣される方向けではないですね。

 その場合はこれです。帯の部分に穴を用意するタイプと、穴を開けずに済むタイプ。

 帯とする部分も、布や革、編み紐、革紐を編んだもの、いろいろな種類が作れますけど…」

「なんだこれ……括らずに留まるのか?」

「はい。ある程度硬さが必要だと思うので、厚手の布や芯地を中に入れるなど工夫が必要かもしれません」

「これで知ってるベルト全部か」

「いえ、描きやすいものを描いてきただけなので…まだ沢山ありますけど、形をきっちり覚えている自信がないものも多くて…」

「じゃあそれも全部描け。ある程度でいい。後は試作を作って検証していったっていいんだ」

「分かりました。数日お時間頂いても良いですか?」

「ああ、まずはこれを作ってくる。構造自体は簡単だしな…金具部分は外注するとして……五…四日もあれば出来るか。それまでに描いとけ」

「四日後にいらっしゃるんですか?」

「当然だろ」


 結構近距離で顔を付き合わせて話し合う二人。

 その姿にまた気持ちが揺らぐ。

 真剣な二人がまるで慣れた様なやりとりをするものだから、ギルの、サヤとの時間がどれほど濃密なものだったのかと考えてしまった。

 しばらくギルの質問にサヤが答える時間が続き、興味を引かれたのか、マルも横から覗き込む。ハインは洗い物を片付けに退室していった。俺はただ呆然と、二人のやりとりを眺めているしかできなかった。


「よし、大体分かった。じゃあこれ貰ってくぞ。で、料金は? 希望は幾らだ」

「え……この前の服に含めて……」

「含めるな。ああもぅ……じゃあ四日後までに考えとけ。一案金貨二枚以上な」

「じゃあもう二枚でいいですから……」

「考えろって言っただろ⁉︎ それより安く言ってくるなって意味で言ったんであって、金額指定してねぇからな⁉︎」

「うううぅぅ……だって金貨……大金なんです……学生が持てる金額じゃないのに……」


 そんなお金持つなんて怖いです。と、身を引くサヤに、ギルが溜息をついて頭を抱える。

 図一つで金貨二枚は確かに大金だよな。サヤの一ヶ月分の給与とほぼ同額だ。


「お前さ……このベルトが腰帯に取って代わったら、どれくらい莫大な財を築けるか、理解してるか?」

「してません。取って代わらなくていいんです。夏が快適に過ごせさえすれば」

「…………まあ、考えとけ」

「はぁぃ……」


 二人のそんなやりとりを、これ以上見ていたくないなと思った。

 だからそっと席を立つと、サヤが気付いて「どうされましたか?」と、声を掛けてくる。


「いや……仕事してこようかと思っただけだよ」

「その前に、御髪を整えましょう。申し訳ありません、副業に脱線してました」

「ああ、悪いな。じゃあこの下図は貰っとく」


 二階に戻り、自室の長椅子で、一括りにしてあった髪をサヤの手が結わえていく。

 沈黙が続くのに耐えられなくて、つい「意匠師の仕事は楽しそうだね」と、口走ってしまう。

 胸の奥がムカムカする。その気持ちのまま、言葉を口にしてしまったことを後悔したけれど、サヤには俺の言葉の棘は、気付かれなかった様だ。クスクスと笑い声。


「うーん……楽しいよりも、少し、居た堪れないというか……。

 私の世界には当たり前にあるものを、図にしているに過ぎないので……なんだかズルしているみたいな気がしてます。

 あ、でも……先程ハインさんが、快適ですって、言って下さった時は、なんだか面映い感じがしました。

 なんというか……誰かが喜んでくれるなら、まあ、良いかなって……。

 あ、従者の仕事を疎かにしたりはしません! 私の仕事はあくまで従者で、意匠師は副業兼、仮姿ですから」


 朗らかなサヤの声。

 そして、「はい、出来ました」と、結わえられた髪が背中に戻る。

 俺は「ありがとう」と礼を言った。


「それでは、私も仕事に戻ります。

 菓子作りもありますから、昼食の賄い作りにそのまま向かいますね。

 少し遅くなるかもしれませんが、昼食は後ほどお持ちします。ギルさんのお見送りが出来ないかもしれませんけど……」

「まあ、四日後また来るって言ってるから、適当に送り出しておくよ」


 ギルは、セイバーンに来たことが、殆ど無い。

 この地に戻って、二年と少しの間に、片手で数えられる程度しか、ここに来ていないのに……サヤには会いに来るんだな……。

 そう考えるとイラっとする。

 じゃあなんで、サヤを傍に置けなんて言ったんだとすら考えてしまう。

 俺がサヤをどう思ってるかも知ってるくせに……そんな風に訝しんでしまう。

 もう……なんだよこれ。気持ち悪い。ムカムカモヤモヤして、ほんと気持ち悪い……。

 ギルがどう思っていようが、関係ない筈なのに。サヤにはカナくんがいるのだから、関係ない。そう、俺の気持ちだって関係ないのに……。

 持ってはいけない。望んではいけない。

 それを止めようとすると、こんなにも気持ち悪い。

 苦しいのと、気持ち悪いの、どちらがマシか考えてしまう。


 部屋を出て、執務室に向かう。ただがむしゃらに仕事をして過ごす。余計なことを考えたくなかった。

 マルはもう現場に行ったのか、執務室にやって来る様子も無く、俺が書類を捲ったり、署名をしたりする音だけが、時折部屋に反響する。

 あっという間にやるべきことが終わってしまい、しまった、ここからどうやって時間を潰そうかと悩み始めた頃、トントンと訪いを告げる音がした。


「時間あるか?」


 ギルだ……。今は嫌だったのに、困ったことに時間ができてしまってる……。仕方なしに頷くしかない。するとギルは、苦笑しつつ、執務室に入って来た。


「なんか不機嫌そうだな」


 そういうギルは機嫌良さそうだよね……。

 口を開けば嫌な言葉しか出て来ない気がして、顔を背けた。

 そんな俺の態度に肩を竦めてから、空いていた席に適当に座る。執務室を見渡して、俺に視線を戻してから、じっとこちらを見た。

 …………ああもぅ。


「……何?」

「約束の近いうちがいつくんのかなって、確認に来たんだよ」


 ギクリとして、身が強張った。あの人の話を、ギルに伝える約束……だが、記憶の整理が上手くいってなかった。

 あの人のことを思い出すと、引きずり出されて来る別のものが、俺の邪魔をするのだ。

 仮面の笑顔が……。俺を水底に引き込もうと、腕を伸ばして来る……。


「……なんてな。十二年言えなかったことが、七日程度で口に出来るなんて思ってねぇよ」


 俺の顔色を伺ったであろうギルが、そんな風に言って、俺の心情を慮ってくれたのだということが分かった。いつまでたっても横に並べない……それが分かるのはこんな時だ。

 そりゃあ、俺よりギルの方がよっぽど頼りになるだろうと考えると、溜息しか出てこない……。

 多分、俺の考えているそんなつまらない事すら、ギルにはお見通しなんだろう。


「サヤを預かってた間の報告に来た。

 仕事に関しては報告書で見てるだろ。だから生活面な。

 まあ、昨日大泣きしたのを見ての通り、結構張り詰めてたぞ。

 初めの一日で文字は全部覚えちまった。記憶力が良いっていうより……やる事がないと不安だったんだろうな……ひたすら何かやって気を紛らわす。そんな感じだった。

 なるだけルーシーをつけておいたんだが、あいつすらサヤが不安そうだって報告に来たぞ。

 無理矢理お仕えするって押し切ったけど、迷惑だったんじゃないかって言ってたらしい。

 自分の希望を優先してしまったって。だけど……」


 そこで一旦、口を噤む。


「知らない世界でお前から離れるのが怖い。そう言ったとさ。

 ちょっと不安定になって、つい溢しちまったんだろうな……。

 ルーシーは、なんかサヤが、人に言えない事を抱えてんだって察しちまってたけど……サヤと友人でありたいなら黙ってろって言っといたから、大丈夫だと思う」


 ギルの報告に、俺は耳を疑っていた。

 サヤはそんな弱い部分を、俺には全く見せてくれなかった。

 いつも元気で、笑っていて、この世界にいることの不安なんて、チラつかせたこともなかった。

 俺が不甲斐ないから、支える側に回る。自分のことに手一杯の筈のサヤに、無理をさせていた……。

 そう思ったのだが、俺のそんな考えはお見通しとばかりに、ギルは言葉を続けた。


「帰ってからあいつ、妙に張り切って、そんな面を微塵も見せねぇから……。

 泣いちまったから余計かな。お前の前では大丈夫でいようとするから……報告しておこうと思ったんだ。

 間違っても、お前が頼れないとかじゃなく、お前の負担になりたくないって考えの現れだと思うぞ。だから、そんな顔してサヤの前に出るなよ。

 ああ、お前が寝れてるかって、それも凄い心配してた。後で、時間が出来たら……サヤが居ない間の、お前らの話でもしてやれ。きっと聞きたいだろうから」


 そんな風に言うから、もう罪悪感しかない……。

 俺が昨日、ギルに思ってた事、それがどれだけ利己的な考えであったかと突きつけられてしまった。さっきの態度だってそうだ……。

 ギルが怖いって? サヤを取られそうだって?

 俺はなんで、そんな風に考えることしか出来なかったんだ……。


「ありがとう……それから、ごめん。

 ギルが、俺やサヤの為にいろいろ考えてくれてるの、分かってるのにな……。

 なんか勝手にイラついて……嫌な態度だったよな、俺……」


 そう言うと、何故だかにんまりと、機嫌良く笑う。


「いいや? 構わない。

 執着するって、そういうことだろ?

 なんもかんも空気みたいに扱ってたお前を見てるより、よっぽどマシだしな。

 演技じゃなく、何かに執着してるお前を見るのは、悪い気はしない」

「演技?」

「学舎にいた頃は、そんな風だったぞ。

 本気で執着してないから、簡単に諦めるし譲るんだ。

 だから、二年前も……俺を簡単に切ったろ。

 ああ、巻き込まない為だったのは分かってる。分かってるけどな……。

 十年つるんで、それでも簡単に切られちまう程度にしかなれなかったのかって……そう思ったらもう、すげぇ悔しくてな、腹が立ったんだ。

 だけどお前、今は俺に、サヤを譲ろうとは思わないだろ?

 サヤが俺に(なび)いてるの見たら、気分が悪いって思ったんだろ?

 そうやって思えるお前が見れてホッとしたってのが、今の俺の心境だ」


 そんな風に言われたら、もうどう答えて良いやら分からなかった。

 学舎を辞める時、俺はギルにそのことを知らせなかった。

 まあ実際には、口止めしたにも関わらず、ハインが勝手に連絡していたわけだけれど。

 ギルは学舎を卒業していたし、知らせてしまえば絶対に俺を心配し、何くれと手を差し出して来ると分かっていたから。

 そしてギルを、絶対に壊されたくなかった。

 兄上や異母様に知られなければ、手を出しては来ないと思った。

 現に十年、知られず過ごせたなら、手放せばバレない。大丈夫だと思った。

 同じく手放そうとしたハインは、手放せば死を選ぶと宣告されてしまい、連れ帰るしかなくなったけれど、せめてギルだけは……。そう思ったのだ。

 決して、簡単に切れたわけじゃない……そうしてでも、守りたかった。

 俺の中のギルは、もう特別なものであったのだ。


「際どかったけどな。今回お前は、あの時と同じ選択をしなかったんだから、成長したよ。

 マルの言葉じゃないけどな、もうお前一人じゃねぇんだから……これからは、切り捨てる前に、足掻く方法考えるようにしろ。それと、考えるときは相談しろ」


 ぴっと指を突き付けられて、要相談。と、念を押された。

 ああもう、ほんと敵わない……。

 いつもギルに与えられてばかりな気がする。俺とつるんで、ギルは何か得ているものがあるんだろうか……なんで俺を、親友だって言ってくれるんだろうか……。

 そういえば…………ギルが俺を親友だと言ってくれる様になったのは、いつからだろう……。


 ふとそんなことを考えた時だった。

 トントンと、執務室の扉が叩かれて、俺は顔を上げた。どうぞと声を掛けると、失礼しますとハインの声。


「レイシール様、仕事です」

「は?」


 仕事は一通り終わった……んですけど?

 そう思って首を傾げたら、追加の仕事です。現場に移動しますよと言われた。

 そして、ギルに視線をやって「ギルも、試食がしたいのならば、ついて来たら良いみたいですよ」と言う。試食?よく分からないが、ギルは「行く」と、即答した。食い意地張ってるよな……。


「ここの食い物は美味いからな。試食って言うからには、サヤだろ」

「でも仕事に試食ってどういう意味なんだろうな……」

「毒味?」

「俺って守られる立場だよね、一応……」


 物騒なこと言わないでくれ。

 とりあえず現場に向かうことにして、俺たちは席を立った。

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