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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第一章
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 呆気にとられる俺たちから数歩ぶん距離を取り、こちらに向き直る。


 右手を握り込み、腰のあたりに固定、左手は開いたまま、すっと前に出して、右脚を引き、腰を落とす。ふうっと息を吐くと、急に空気がピリッと鳴ったような気がした。

 瞳を閉じ、深く呼吸を繰り返してから開く。すると、眼光までもが鋭くなっている。

 ハインが、すっと俺の横に移動。警戒したのだ。俺を守るために距離を詰めたのだと分かる。

 けれど、俺は別に身の危険を感じてはいなかった。彼女の雰囲気は一変したけれど、危険な様子はない。

 何故かとても美しくて、目を離せなかった。凛として綺麗な彼女から。

 そして、フッと鋭く息を吐くと同時に、サヤは動いた。


 拳が空を裂き突き出され、脚が高く上がり空間を薙ぐ。体を捻りながらさらに身を屈め、また拳が振るわれる。黒髪がフワリと広がって、身体の動きを追って跳ねる。

 まるで舞のようだった。剣技で言うところの型のようなものなんだろう。

 飛び跳ねたり蹴り上げたり、流れるように動く。

 

 まさか、素手の武術⁉︎

 

 と、いきなりハインが動いた。

 腰の剣を鞘ごと引き抜き、あろうことかサヤに向けて踏み込み、振り下ろしたのだ。


「ハイン⁉︎」


 制止の声は無視され、剣は過たず、サヤに迫る。

 ハインが本気で攻撃したのが分かった。容赦も遠慮もない速さ。俺は横からだから見えているけれど、サヤは……っ。

 しかし彼女は、急な展開だろうに悲鳴をあげるでもなく、弾むように右に半歩だけ身体を外し、身を捻るようにしながら左の拳の甲で剣の腹を弾く。

 ビシッという音。


「⁉︎」


 そこで彼女の舞は終わった。

 左の拳はハインの剣の軌道を逸らし、受け止めている。が、たいした衝撃も受けていない様子。器用なことに、打撃の重みは流してしまったらしい。

 そして右の拳がハインの顔の手前、顎から紙一重で止められていた。剣を弾くと同時に、一気に距離を詰め、一撃を繰り出していたようだ。一瞬すぎて、全然分からなかったが……。

 流石のハインも驚いたのだろう。動くに動けないでいるのが分かる。

 俺も驚きのあまり、声すら出なかった。


 言っておくけど、ハインはそこそこ強いんだよ? これのどこが素人よりマシな程度⁉︎

 だが、驚いたのは俺たちだけではなかったらしい。


「わっ、嘘⁉︎ ごめんなさいっ、なんか身体がやたらと軽かったというか……っ、絶好調だったみたいです! 申し訳ありませんっ」


 サヤは両手ををささっと背中に引いた。若干腰も引けている。今までの気迫が嘘のように霧散してしまって、申し訳なさそうに眉と頭を下げる。

 いや、先に手を出したのはハインなんだから、どちらかというと君はハインを責めて良いと思うんだ。

 そう言おうと口を開きかけた俺の目の前で、もうひとつ信じられないことが起こった。

 なんと、ハインの剣が真ん中からパキンと折れて落ちた。鞘ごと。


「…………」

「ぅうえぇ⁉︎」

「ひああぁぁ⁉︎ な、なんで、なんで⁉︎」


 ハインは呆然と言葉を失い、俺は意味のない奇声を上げることしかできず、サヤは泣きそうな顔で大混乱。

 ないないない、だってこれ鉄製だよ? 拳で叩いて折れるようなもんじゃないからね⁉︎


「お、落ち着こう。きっとあれだ、剣が古かったんだ。たまたまだよ、うん、たまたまっ」

「そ、そう? ですよね! 金属なのに叩いて折れるっておかしいですよね!」

「失礼な。確かに長年使っておりますが、手入れはきちんとしてますし、つい先日も研ぎに出しましたし、充分使用に耐えうるものですよ」


 一生懸命現実を飲み込もうとしているのにハインが否定する。

 鞘から剣を引き抜くと、見事に中程から先が無かった。

 いきなり強力な負荷が掛かったのだと分かる。曲がりもせず、きっちり綺麗に、まるで切り取られたかのように折れているのだ。

 ハインの言葉通り、ちゃんと手入れの行き届いた曇りも錆もない刀身。

 鞘の方はというと、こちらは多少破片も飛び散っているようだ。というか指の形に凹んでいたりもする。これも鉄製です。

 恐る恐る剣の有様を覗き込む俺とサヤをさせるがままにして、ハインは剣をひっくり返したり、断面を見たり。そして暫く考えた後……。


「もうひとつ気になっていたのですが……先ほどサヤは、我々の話が普通に聞こえていたと言いましたね?

 初めの方の、怒鳴り合いならまだしも……全て聞こえていたのですか?」

「え? はい……多少聞き取りにくくはありましたけど……聞こえてました」

「レイシール様、窓の外に出て、こちらに背を向けたまま、何かを喋っていただけますか」


 急に話を変えたハインの意図が分からない。

 あえて現実逃避してみました。と、いうわけでもないだろうし……?

 とりあえず、言われた通り、露台に出て窓を閉め、ハイン達の方に背中を向けたまま「ハインはいつも顔が怖い」と呟く。怖いので結構な小声で。

 そして振り返ると、歪んだ窓硝子の向こうで、サヤが明らかに困った顔をしていた。

 窓を開け、室内に戻る。


「やってきたけど?」

「私には何も聞こえませんでした。サヤは?」

「……き……聞こえました……」


 ちらりと俺を見て、ハインを見て、なんでそんな事を言ったの⁉︎ と言いたげな顔。

 答え合わせをするよう促すハインに。


「……い、良いんですか?」


 俺がこくんと頷くと、サヤさんは絞り出すような小さな声で……。


「ハインはぃつもかぉがこわぃ……」

「ほぉ」

「うん、正解」


 凄い。あんな小さな声が本当に聞こえたんだ。

 初めはびっくり、ただ凄いとだけ思った。だがよくよく考えてみると、なんか変だぞと気付く。

 だって俺は、相当小声で言った。しかも窓に背を向けて。ましてや――。


「サヤはハインより後ろにいたのに……聞こえた?」


 三人でしばし沈黙した。

 到底、聞こえないような声を聞き取り、鉄の鞘に入った剣を拳で叩き折る。

 これは、彼女が異界の人間だから?

 サヤを見ると、何か怯えたかのように俯き、青い顔をしている。

 剣を折った時も驚いていた。

 あれが演技だとは思えない……。


「一応聞くけど……サヤは鉄を折ったのは、はじめて?」

「は、はい! ありえないです!

 さっきも言った通り、私は二段……十段階ある階級の、たった二つ目なん。

 師範は、昇級試験受けるかて言うてくれてはったけど……師範かて鉄を叩き折るとか、できると思えへん!」


 おろおろととサヤが答える。気持ちに揺らぎがあるためか、言葉遣いに気を回す余裕もないようだ。

 俺は、サヤを泉から引き上げた瞬間のことを、思い出していた。

 泉から出た手を、俺は右手で握った。そう、左手は泉の岸についていたはずだ。

 全力で、力一杯引いた。そうしたらスルッと抵抗もなく一気に持ち上がって、水面を離れた瞬間にぐいと腕を引かれたような負荷がかかった。それまで俺は、重さを何も感じていなかった……。


 握力の弱い(・・・・・)右手だったのに。


「うん。とりあえずあれだ。

 サヤのいた場所と、こことでは、何かが違うってことで良いんじゃないかな」


 違う世界からやって来たというサヤの不思議。

 全く違う世界と言葉が通じる不思議。

 サヤは夕方と言っていたのに、今は朝だという不思議。

 理由を探したってどうせ分からない。そして、今さらそれが増えたってなんだというのか。


「サヤにとって良いことだと思おう。

 人より秀でた能力は、あって損はないさ」


 そう言うとサヤは、少し驚いたみたいに瞳をこちらに向けた。


「え……アマゾネスとか、狂戦士とか、……キモい、とか、怖いとか……思わへん?」


 そしてまた出てくる謎の呪文。


「アマゾネス……それも謎の単語だ。

 でも、狂戦士は違うんじゃない? サヤは別に、戦場に身を置きたいわけじゃないだろう?」

「う、うん……別に、敢えて戦いたないし……」

「ほら、じゃあ違う。それからキモいって気持ち悪いのこと?

 いやいや、それはないよ。サヤは可愛いとか綺麗とか、そんな分類だ。

 怖いっていうのは……こんな感じだ」

「……左様ですか」


 ハインを指差すと、いつもの眼力でギロリと睨まれた。

 うん。怖い。


「そんなことより、重要なことを思い出したんだ。

 朝食! もういい加減、食べさせてくれ! こんなんじゃ頭も働かないと思う!」


 サヤの気持ちを切り替えさせよう。色々なことが起こりすぎているから、これ以上追い詰めたくない。

 そう思って、食事と、休息を取ろうと提案した。

 俺の主張に、ハインがポンと手を打つ。


「そうでした。サヤ、手伝ってください。貴女の分も用意しなくてはいけませんから」


 返事も待たずにスタスタ行ってしまうハインに、サヤは「え? あっ……は、はいっ」と、とりあえず従うことにしたようだ。後を追って、部屋を出て行く。

 それを見届けてから、俺は長椅子にどさりと身を投げた。

 落ち着きたかったのは、俺も一緒。

 

 なんなんだ……今日はいったい何が起こってるんだ……。

 

 嫌な夢を見て飛び起きて、泉に行って不思議な少女を拾って、その少女が異界の人間で、鉄を素手で折ったり妙に耳が良かったり……ここまで盛り込んでまだ朝とか!

 はぁ……と、溜息を吐いて、暖炉横の衝立に視線をやる。

 ……片付けなきゃ。ハインもサヤも行ってしまったし……。

 そう思いつつ立ち上がり、衝立を畳んでいくと、濡れた服が、きっちり整頓され籠の中に収めてあった。

 貸した俺の上着が一番上に、綺麗に畳まれている。

 律儀だなぁと思うと同時に、サヤの面差しと、艶やかな黒髪が脳裏をよぎる。


 ……異界の人間は、皆あんなふうに美しいのだろうか……。


 泣いていたのに、俺を慮る優しさを持っていて、苦境にあっても、強く立とうとする。

 そして微笑んだ時、本当に綺麗で可愛くて……なのに、出会ってから今まで、彼女を悲しませてばかり。

 雇うと決めたからには、俺は彼女を守らなければならない。

 いつかサヤが、故郷に帰れるその日まで。


「……守る。絶対に、絶対に…………」


 震える手を、握り込んで誤魔化した。

 サヤは女性だ。だから尚のこと、たとえ護身のためでも、兄上に手を出させるわけにはいかない。俺は妾の子で、兄上は跡継ぎ。立場が違うから、正当防衛であってもこちらが不利になる。


「そんな危険に、サヤを晒しちゃ駄目だ……」


 兄上に会わせちゃ駄目だ。そうなるしかないとしても、必ず俺が、盾になる。

 でも始終俺が付いて回るわけにもいかないよな……。

 そう考えると背に冷汗が伝った。

 

 やっぱり、雇うべきじゃなかったかな……。

 例えばそう、信頼できる人……ギルに事情を話して預けるとか……その方が、彼女のためには……。

 

「いや……あの泉から出てきたんだ。帰り道もあそこかもしれない……。

 だからここを離れてしまったら、良くないよな……」


 言い訳するように自分で呟いて、誤魔化すために思考を切り替えた。


「……朝食食べてから考えよう。今は頭働かない……」


 結局衝立を畳んだだけで、片付けも保留にして、俺は部屋を出る。

 一階の食堂に向かうのだ。

 ハインのことだから、そろそろ降りないとまた顔が怖くなるに違いないのだから。

 ほどなく、汁物の良い香りが鼻腔に届く。俺の腹が、思い出したかのようにきゅうと鳴った。

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― 新着の感想 ―
小夜さんは腕力だけでなく聴力もすごいことになっていて、全体的に身体能力が上がっていると考えます(*'ω'*) 転生や転移でチート能力付与とかよく聞きますが、異世界との環境の違いからくる基本スペックの違…
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