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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第四章
57/515

帰還

 日差しはもう夏の様相だ。立ってるだけで汗が滲んでくる。

 しかし、日陰に入れば風が心地よく、過ごしやすい。

 もう暫くすれば、ジメジメとしてどこにいても暑苦しくなってくる。それが、雨季の訪れる合図だ。

 収穫も脱穀も終わったセイバーンは何もない。畑には雑草が伸びており、この時期の農民達は氾濫に備えての準備に追われている。

 いつもなら男手が主に川の周りで作業に勤しむのだが、今年は少し違う。土建組合の職人がちらほらと混ざっていて、届く資材の受け入れを担当してくれている。そして合間に、こっそりと土嚢作りの練習をお願いしてあった。


 六の月十六日。

 今日から現場に人足がやって来る。雇用期間は十日間。その後は七日間ごとに更新可能だ。

 日給は銅貨六枚。肉体労働として考えると若干割安なのだが、賄いが付くので妥当な金額となっている。

 雇うのは五十人。まず始めの十日間で、土嚢作りに慣れてもらい、次からの七日間では指導者側に立てる者が育ってほしいものだと思っている。そこからはまた、人足を増やす予定なのだ。

 ただし、こちらが要求する技術水準に到達しなかった者は解雇。

 また、問題行動等が目立った場合、三度の警告を受けた時点で解雇だ。

 随分と厳しい設定なのだが、要求する通りのものを作ってもらえなければ強度に影響するので、妥協はできない。通常なら賃金を高く設定して人足の士気を高めるのだが、今回は別の手段でもってそれを行う予定だ。


「早く食べて下さい。やることが山積みなのですから」


 ぼーっとしていたら、文句を言われた。

 不機嫌なハインの声音に、はいはいとおざなりな返事を返しつつ、朝食をかき込む。

 首の後ろで括った髪が鬱陶しい。頻繁に洗うようになってからはベタつきもなく、随分とマシなものの、やはり結わえられていないと、バサバサ広がって邪魔だ。

 結わえ方はサヤに聞いていたし、一応挑戦はしてみたのだが、やはり上手くできなかったので、首元で括るだけにとどめてある。というか、後頭部を結わえるって……後ろが見えないのにどうすれば良いんだ……。サヤは自分でどうやって結っていたのだろう……。そんなサヤの器用さに今更気付く。


「ふはぁ……おはようございます。ハイン、僕汁物だけで良いよ……なんだか食欲無い」

「巫山戯ないで下さい。貴方に食欲なんてものは元から無いでしょう。

 雨季も来てないのに暑さに滅入る気ですか。私がわざわざ作ったものを食べないつもりなら、無理矢理口に突っ込みますよ」


 寝癖まみれの頭でフラフラとやって来たマルに、そんな脅し文句を浴びせつつ、小さな麺麭(パン)と、申し訳程度の塩漬け肉を炙ったものが乗った皿を渡すハイン。

 ほんと、一口程度の大きさなんだから食べようよ……。たっぷりとよそわれた汁物の椀にげんなりした顔をするマルに苦笑しつつ、頑張れと声を掛ける。

 とにかく食べることを怠けたがるマルには、一日に最低限食べる量が設定されている。


「予定通りなら、今日の昼前には人足達と、資材、食材が届きます。

 村の女性陣には、食材が届き次第、指示した下処理を、各家庭で行うように伝えてあります。

 土建組合の面々には、資材の受け入れと、人足達を一旦集会場に連れていくように伝えてあるので、その後は時間によって指示を出します。

 私は午前中雑務がありますので、マルは書類関係を。

 レイシール様は、報告書の確認をお願いします」


 サヤが居なくなって、ハインは雑務に追われている。

 掃除や洗濯、食事の準備と忙しい。サヤはその辺をそつなくこなしていたので、役割分担も可能だったのだが、マルには生活能力が皆無だ。俺以上に体力も無いのでほんと使えない。

 なので必然的に、書類仕事はマルに回され、雑務をハインが担っている。

 更に氾濫対策に関しても細々やることが増えたので、目の回る忙しさだった。

 一通りの予定を話し終わってから、ハインがやっと席に着き、食事を始める。

 そして、何か視線を彷徨わせてから、ふっと、溜息を吐いた。

 その様子に、俺はつい、口元が綻ぶ。


「……今日で、何日目だっけね」


 それで、意味は通じる。


「…………御託は良いので早く食べてください」


 サヤが居ればな……と、そんな風に考えている顔だったから、ついそう聞いたのだが、機嫌を損ねてしまったようだ。


 サヤのいない生活が始まって、今日で六日目だ。

 ちょっと前に戻っただけなのに、初日は特に、違和感だらけだった。

 サヤは機転がきくのだと思う。何か言う前に、なんとなく先を察して動いてくれていたようで、気付けば必要なものが手元にある。そんな感覚でいたのだ。

 だから、サヤが居ない時間を過ごし始めてみると、なんだか身の回りに、妙な手順がひとつ加わってしまったかのような違和感を感じた。


 例えば、書類に署名をする時、署名用の筆と墨壺を、戸棚から探してくる一手間。

 書類を書いている時、紙が切れてしまい、席を立って探しにいく一手間。

 作業の最中に、妙に喉が渇いて、お茶を用意する一手間。


 サヤは、そんな一つ一つを先回りしてくれていたのだろう。書類を見ているうちに筆を用意し、少なくなった紙を補充し、仕事の合間にお茶を用意してくれていたのだと気付いた。

 サヤはこちらの文字が読み書きできなかったので、書類仕事には関わっていないような気でいたのに、ちゃんと俺たちを支えてくれていたというわけ。

 そういえば、男二人で作業してると妙に殺伐とした雰囲気になっていたり、言葉のやりとりがトゲトゲしてたりしたのだが、サヤが来てからは平和だった気もする……。

 サヤはハインのように仏頂面で仕事してないし、大体は機嫌よくニコニコしてたからかな。

 あ、でも機嫌を損ねたとしても、あのムッとした顔はなんだか可愛い。心なしか頬を膨らまして、俯きぎみになっている様子は微笑ましくて笑ってしまいそうになるのだ。


 普通にしてるときは、どこか儚げで……繊細そうで……年より落ち着いて見えるのに、気を許した相手には幼さが出る。そのくせ、鍛錬の時は人が変わったように凛々しくなる。

 はじめは、どれが本当のサヤらしい姿なのかと考えたりもしたのだが、その落差の激しさがサヤらしさなのかな……と、最近は思うようになっていた。

 サヤに会いたい。けれど、異母様方の脅威がある。サヤの安全を思うなら、遠去けるべきだ。

 あの方は明らかにサヤを見ている。まだ兄上はサヤを意識していないようだけれど、気付かれてしまったら…………っ。


 …………あ、駄目だ。妙に気持ちが落ち込んでくる……。


 気持ちの立て直しを図ることにする。食後のお茶を飲み干してから、俺は立ち上がった。


「ごちそうさま。荷物の到着は、昼頃だよな?」

「早朝、人足達の出発前に発つとあったので、早いと思いますよ。

 馬車列に巻き込まれるのを避けるつもりでいるでしょうから」


 ハインの指摘に、ふむ……と、考える。

 じゃあ、十時前後と思っておこう。メバックの街門が開いてすぐなら、それくらいのはずだ。


 食堂を出て、自室に向かう。

 サヤを補給しなければ。

 このままでいると、また後ろ向き思考にどっぷりと浸かってしまいそうだ。

 部屋に戻って、執務机の引き出しを開ける。

 サヤからの報告書は下の執務室だが、個人的な内容の手紙はここに置いていた。資材の受け取り等、荷物の行き来があるついでに、報告書や納品書のやりとりをしている。その中に、サヤからの手紙があったのだ。

 折りたたまれたそれを開くと、辿々しい、いびつな形の文字が書き連ねてある。


 れいしーるさまあて さやよりふみをしたためます


 こんにちは ちゃんとねむれていますか

 ぎるさんが ただもじをかくより てがみをかくほうがれんしゅうになるというので かいてみることにしました

 よめるもじが かけているとよいのですが じしんがありません

 おぼえきれていないため おてほんをみながらなので すごくじかんが かかります

 こちらのさぎょうは とどこおりなくすすんでいます

 ほうこくしょに しょうさいはまとめてあるのですが わたしのもじは まだよみにくいということで ぎるさんが だいひつしてくださっています

 しょめいだけ わたしのじなので なんだかあまり しごとをしているきがしません

 ぎるさんは かけるだけすごいといってくださったのですが どうなのでしょう

 はやくひとりで ほうこくしょがかけるよう がんばって れんしゅうしようと おもいます

 それでは たいちょうにきをつけて あまりむりをしないでくださいね

 こちらのしょりがおわりましたら せいばーんにかえります


 もう何度も読んだのに、サヤの手紙を見て、またにやけてしまった。

 まるで幼い子供が書くような文字。間違った文字が見当たらないので、何度か書き直しているのかもしれない。

 三種類、数千の文字を駆使するサヤでも、初めての文字は辿々しくなるのかと思うと、微笑ましくて仕方がない。

 結構な長文だ。つい数日前までこの世界の文字なんて、全く読み書きできなかったはずなのに、サヤは本当に凄い。そうやって日々努力を積み重ねている姿に頭が下がる。


 ちゃんとねむれていますか……か。

 手紙を引き出しに戻し、よし! と、気合いを入れる。元気が出た。大丈夫だ。

 こちらに戻ってから、二度目の夢を見た。一度目は回避に成功したのだが、今朝は水中に沈むまでを見てしまい、飛び起きてしまったのだ。

 久しぶりの感覚に、しばらく震えが止まらなかった。ちゃんと自分が生きているか不安になり、つい、身体があることを抱き締めて確認して、そのことに笑ってしまった。

 要らないことを刻み込まれることよりも、死を、恐れている自分に、気が付いたのだ。

 今までは、望まれるなら生きていく。必要とされるうちは、ちゃんといるからと、言い訳するように、そう考えてたのに……。


 俺、生を、望むようになってるのか……。


 しばらく笑って、そのまま布団に潜り、眠れないまでも、目をつむって身体を休めるよう努めた。

 サヤが、そうしているだけでも体は休まるのだと教えてくれたから。起きて仕事をしたら、怒りますよと、別れ際に言われたから。

 サヤに心配を掛けたくないし、雨季はまだだ。先は長い。だから身体を大事にしなくてはいけない。

 そう……サヤが帰った時、俺が死にそうな顔してたら、きっと、自分を責めるだろうから。

 やっぱり無理矢理帰ればよかったと、顔を歪めてほしくない。

 どうせなら、安心して、ただいまと言って欲しいのだ。


 元気が出たので執務室に向かう。

 まずは報告書の確認……。セイバーン領内から寄せられる、たくさんの書類に目を通す。

 この時期は、ここを離れられないと皆知っているから、視察を請う様な内容のものは無い。

 少し気になったのは、山賊紛いの傭兵団についての報告書だ。

 セイバーンは、ここ数十年隣領との諍いを起こしていない。だから、傭兵のような稼業の者はあまり多くない。特に、傭兵団のような大所帯は養うにも金がいるから、殆ど居ない。仕事が無いからだ。

 たまたま移動のために通過してるだけなのか……。しかし、山賊紛いというのが良くない響きだな……。

 場所を確認すると、セイバーンの南西部、他領に程近い地域だ。

 視察しようにも、往復するだけで一週間掛かるな……。やはり、雨季が終わらないと動けそうにない。

 それ以外は目立つ内容は見当たらない。あと、麻袋発送の報告書がやたらと多い。

 氾濫対策のために集めているのだが、メバック行きの荷物や商隊がある場合は、在庫の麻袋を便に追加するよう手配しているのだ。他の便に便乗させて経費を浮かせる為の手段だ。

 報告書の確認は、一時間程で片付いた。一息ついていると、マルが一仕事終えて帰って来たので、丁度良いから席を立つ。お茶を入れることにしたのだが。


「お疲れ様、マル。お茶にする?」

「いやいやいや、レイ様手ずから入れないで下さいよ」

「自分のを入れるついでじゃないか。お前が入れるよりマシだろ」

「いや、だから……自分のを入れるのもどうかって話なんですよ。

 あと、飲めたもんじゃないお茶でいいなら僕が入れますよ。湯呑割ったり溢したりしても微笑ましく見守ってくださるならね。でも嫌でしょう?」

「……じゃあやっぱり俺が入れるしかないんじゃない?」


 不毛なやり取りをして、結局俺がお茶を入れる。

 ハインは忙しいので、わざわざ手を煩わせたくないのだ。それにお茶くらい、飲みたい奴が入れたら良いと思う。

 というか……学舎で寮生活してれば自然と身につくことだと思ってたのに……マルは、掃除も洗濯も、お茶汲みすら身につけていない……なんでだ。むしろそれが不思議でならない。


「レイ様って、本当そういうところが庶民的というか……。並の貴族はほっとくと死んでそうですけど、貴方は普通に暮らしていけそうですよねぇ」

「……お茶を入れるって、そんな特殊な技能じゃないと思うよ……」


 平和なやり取りだなと思う。

 雨季は日々迫ってきているけれど、あまり心配していない。日程通り、順調に進んでいるからだ。

 ただ、明日からが本番だ。人足達に土嚢作りを教え込む。そこが一番の難関。

 一足先に来てくれている土建組合の面々に、物資の受け取りと、こっそり土嚢作りの練習をしてもらっていたのだが、どうにも大きさが揃わないで難儀した。

 結果、土の量を一定量に定めるために、器を用意することにしたのだが、その器作りで浮かせたぶんの氾濫対策費用をほぼ使い切ってしまう結果となった。

 土嚢作りの手順が一つ増えるし、ただでさえ手間なものがより手間に感じるようになってしまったが、形が揃わなければ話にならない。致し方ないと、発注書を先日サヤに送ったのだが、翌日すぐに、サヤから待ったの返事が送られて来てびっくりした。

 辿々しい歪な文字ながら、もっと効率良いやり方があるから任せてほしいと綴られていたので、これに関しては一任してある。そして今日、そのサヤに任せた器作りの結果も届く予定だった。


 ……はぁ、サヤか……。順調なら明日あたり、帰ってくるはずだ……。

 まだ異母様が館にいらっしゃる。それを考えると、急に身体が重くなる。

 本当は、もう少しメバックでゆっくりしてほしい。

 異母様方が出発した後に、安全が確認できてから、戻ってほしいのだ。

 俺たちがこちらに帰還した後、異母様からの探りがあった。サヤはどうしたのかと。

 その時は、ハインが即座に、メバックにて荷物の移送手続きを担っています。と、答えてくれたが、この方はやはりサヤを狙っているのかと考えてしまうと、心臓が潰れそうだった。

 サヤが戻っても……襟飾りがある……だから引き抜きはもう出来ない。

 だが、引き抜けないとなったらどう出る? 見切りを付けたら、手段を選ばなくなったら……?


 と、扉がトントンと叩かれ、思考が遮られた。

 後ろ向きな思考に浸りかけていたので助かった……。相変わらず、悪夢の後はこのざまだ。

 入れ、と、声を掛けると、ハインだった。ハイン以外いないのだけれど。


「待ち望んでいた出立が来たようですよ。明日です」


 そう言われ、俺の中に膨れ上がりつつあった恐怖感が、幾ばくかは薄らいだ。

 明日……。なら、サヤと鉢合わせする心配は無さそうだ。


「あ〜……やっと緊張から解放されますねぇ」

 ハインの報告に、マルが安堵の溜息をつく。お前緊張してたのか……。全然そんな素振り無かったけど?


「してましたよ緊張! 魔女のお膝元ですよ? 視界に入らない様、ほんと気を使ってましたよ!

 まあ、別館にいれば基本出会わないと伺ってたので篭ってただけですけど」


 そうだね……。一度メバックに戻って商業会館の仕事に行った時と、土嚢壁を作る範囲を決定した時だけしか外に出なかったよな。まあ、仕事に支障が無いなら良いんだけど。

 因みに現在マルは、別館の客間を利用中だ。サヤ用の新しい家具が届く度に元の家具は戻してあったのである。ただ、寝台はまだ届いていない為、寝台がわりの長椅子をハインの部屋から借りている。

 マルは寝具に拘りがない。……というか、意識が飛んだ場所が寝る場所だ。どこでだって寝れる。

 河川敷が出来上がるまで、一年間以上はこちらが主になるわけだから、部屋も決めて掃除もしてあるのだが、まだ家具が届いていないのでその様な状態だ。因みに、場所にも内装にもこだわりは無いらしく、場所はハインが適当に決めた。


 それはそうと、前々から気になっていたのだが、マルは異母様のことを『魔女』と呼ぶ。

 聞くと、一部では『ジェスルの魔女』と呼ばれているとか。

 社交界の華っていうのは聞いたことあったんだけどな……。


「まあ。魔女の話してると魔女を召喚しそうだからやめましょう。

 そんなことより、サヤくんです。サヤくん、もうそろそろ帰還時期なのでは? 何日の予定なんです? それによって作戦が変わってくるんですけど」


 マルが急に妙なことを言い出した。

 作戦……って? なんの作戦……。意味がわからず、ハインと顔を見合わせた。


「そんなの、人足達の人心掌握作戦に決まってますよぅ。人足達は今日到着なんですよ?

 姫役はレイ様確定として、鬼役をどうするかって話なんですよ。まあ、ハインは鬼確定してるんですけど、サヤくんの立ち位置がね」


 姫やら鬼やら出てきたので嫌な予感がする……。

 学舎時代に、散々それで模擬戦とか、討議戦とかやった覚えがあるぞ……。

 姫鬼というのは、懐柔役と威圧役。防御と攻撃のことだ。それを例えてそう言う。

 あと、もう見たまんま、護衛対象と護衛側という風に例えたりもする。


「ちょっと待て……、なんで選択権無く姫確定なんだ。これでも身長はハインを超えたんだよ?」

「身長の問題じゃないですって。性質的な問題です。

 レイ様に鬼は無理ですよ。武力行使しない。威圧しない。どこにそんな、間を取り持とうとする鬼がいるんですか」

「顔からしても姫ですよ」


 ハインにそう付け足されてグサリとくる。

 か……顔って今関係あるかな⁉︎ そう言い返そうと思ったのだが、物音が耳を掠めて、俺の動きが止まった。

 今、部屋の外で何か音がしたのだ。同じく気付いたらしいハインの目に、剣呑な光が宿る。

 この別館にいる人間は、全員ここに揃っている。なのに外で音。

 と、執務室の扉がガチャリと鳴って、ハインが腰の剣を抜刀し、突き付けたのは同時だった。


「……おおい、なんで俺、来るたびに剣突きつけられるんだ?」

「扉を叩かないからですよ!」


 ハインがギッと睨み付け、怒鳴った先にいたのはルカだ。

 訪いも無しに扉を開けるから、ハインがいつも臨戦態勢で迎えることになるわけだが、まだ理解してくれない。苦笑するしかない俺だが、ルカは気にも留めないのだ。ハインの剣先を指で摘んで押し退けてから、ズカズカと部屋に入ってくる。


「私の話を聞いていますか⁉︎」

「もう何回も聞いたじゃねぇかよ。それよりもよぅ、いつもと毛色の違う馬車が来やがったから、知らせに来てやったんだろ。文句言うんじゃねぇよ」


 耳を指で塞ぎながら、ハインの話を聞き流すルカが、聞き捨てならないことを言った。だから、ハインを手で制して、俺は口を開く。


「毛色の違う……?」

「おぅよ、二頭立て四人乗りの馬車。人足は乗ってねぇだろ、あれには。

 先に知らせたほうがいいかと思ってよ」


 ルカの言葉に眉が寄った。

 今日届く荷物に特殊なものは記載が無かったはずだ……。来客予定も聞いてないな……。

 異母様方の来客か?


「馬車に紋章は?」

「んー? わかんねぇよ。御者一人だったし、周りを護衛が固めてるってわけでもなかったぜ」


 紋章は不明。護衛無し。じゃあ、貴族の来訪って可能性は低いか。

 なんにしても、目で見て確かめるのが確実だ。


「ありがとう、ルカ。確かに気になる。様子を見に行くことにするよ」

「おぅ。んじゃあ、俺たちはいつも通りだな。馬車が来たら、荷物と人足の誘導やっとくしよ」

「おねがいする。……あ、人足たちだけど、手荷物も、疲れもあるだろうから、集会場に案内したら、先ずは休憩で良い。召集時刻は後で連絡する」


 ひらひらと手を振って帰って行くルカに、ハインは舌打ちをして剣を鞘に戻す。

 毎回抜刀されてもビビらないルカも凄いけどなぁ。やっぱりそれくらいの礼儀は身につけてもらわないと困るな。気付けば死んでそうだ。組合長の心労が伺えてしまった。


「とにかく、確認しに行こう。……あ、マルは留守番しておいても……」

「行きます。待望の、僕の荷物かもしれませんし。

 あ、異母様方が居れば、隠れさせてくださいね」

「はいはい、隠れられるなら好きにして良いから」


 そんな風にあしらってから、三人揃って執務室を出た。

 そのまま馬車用の出入り口に向かう。わざわざ館の前を通る気は無い。本館に向かうなら、馬車用出入り口を通るだろうし、その時、件の馬車を確認しようと思ったのだ。

 道に出ると、丁度馬車の先頭が、道の合流地点に差し掛かったと同時であった様だ。そのままこちらに進路を変え、緩やかな上り坂を登ってくる。

 やはり来客かな……。なら尚更、あの馬車の中が気になる……。登ってくる馬車に道を空けるため、馬車用入口の端に寄る。すると何故か、馬車が速度を落とし、そのまま入り口に乗り上げ、進むのかと思いきや、俺たちの前で停まるのだから、混乱した。

 中から、何か話し声がする。何を慌ててるのか、少々言い合いめいているな……。首を傾げて待っていたら、バンッ! と、扉が開いた。


「意味分かんねぇよ! どっちでも良いだろうが!」

「良くないです! どっちでも良いならギルさんが先に降りて下さい!」

「もうそうしただろ⁉︎」


 ええっ⁉︎ な、なに…?

 なんでギルと、サヤが⁉︎ しかも、喧嘩腰?

 馬車から降りたギルが、髪を撫でつけつつ、はぁ! と、盛大に溜息を吐く。いつもの男前が苦渋に満ちても男前だ。こちらに視線をやってから、チッと、舌打ちして……。


「おう」


 と、不機嫌さをチラつかせつつ言った。

 え…? く、来るって聞いてない……しかも怒ってる理由が分からない……⁇


「な、なに? サヤと、喧嘩?」

「別にぃ。喧嘩って程のもんでもねぇよ。道中、長々と時間があったっつーのに、心の準備がいるとか言いやがるから早く出ろって言ったら、なんかキレやがったんだ」

「余計なこと言わないで下さい!」

「がぁ! 文句あんならさっさと降りて来やがれ‼︎」


 凄いやりとりに呆気にとられてしまう。そして内心で、モヤっとしていた。

 ギルとサヤの距離感が、また縮まってる……。

 そ、そりゃあ、この数日間、ギルの所で世話になってたわけだし……そういうことも、あるとは、思う……ん、だけど……。


「……あーもー! お前も変な顔するな!」


 ギルにそう言われて、眉間にシワが寄っていた自分に気付いた。

 慌てて取り繕う。い、いや、別に、気分を害したって訳じゃない。断じて、違う。

 そんなやりとりをしている間も、サヤは馬車から出てこない。なんでだ? 帰って来たなら出てくれば良い。別に予定に無かったからって、怒ったりしないのに……。

 焦らされている気分だ。こっちはサヤが帰ってくるのを、結構、真剣に、心待ちにしていたのに……。

 そんな風に考えてしまうと、なんだか少し、気持ちがささくれた。顔を見たいと思っているのはこちらだけで、サヤはそんな風には、思っていないということか。


「サヤ、出てこないなら、こちらから迎えに行くけど?」


 つい、そんな意地悪を言ってしまった。

 すると、ガタンっと、馬車が揺れる。


「お、降ります……」


 そんな返事があり、ふた呼吸ほど間を開けて、艶やかな黒髪が扉から覗く。

 ……頭しか見えない……。

 俯いたままでサヤは出て来た。上半身を隠す、短い外套を羽織っているが、頭巾は取り払われていた。

 髪は高く結わえられ、馬の尻尾のように纏められている。いつものサヤだ。

 そして、顔を上げないままで、更に、頭を下げる。……なんなの⁉︎ 俺に顔見せるのがそんなに嫌⁉︎


「よ、予定より、早めに目処が立ちましたので……急遽、戻ってまいりました……」

「じゃあ、顔を上げて欲しい。もう、サヤの頭は充分堪能したから」


 そう言ったけど、サヤは頭を上げない。

「ま、まだ……気持ちの整理が……」とか、もごもご言っている。


 準備の次は整理⁉︎

 で、いつまで掛かるの気持ちの整理は? いい加減、腹が立つんですが⁉︎


 忍耐の限界を迎えた俺は、ガシリとサヤの頭を両手で掴んだ。そのまま強引に上を向かせる。

 目の前にサヤがいるのに顔が見えないとか、なんの苦行だ。

「えっ、えっ?」と、慌てるサヤだが、抵抗は少なかった。握力の低い俺の右手でも、なんとか頭を持ち上げることに成功する。ああ、やっとのことで視線が合った。

 サヤだ。少し顔が赤い。目が若干、充血してる気がする。でも、元気そうなサヤだ。


「おかえりサヤ。待ってたよ」


 自然と、そう口にしていた。

 勝手に口がにやけてくる。嬉しくて、つい。

 するとサヤは、はっとするほど目を見開いて、それから眉毛が下がった。

 次の瞬間、ボロっと、大粒の涙が溢れ出す。うええぇぇ⁉︎


「だ、だから嫌だったんです! 気持ちの整理出来てないんです‼︎

 泣きたくなかったから一生懸命頑張ってたのに無理やり顔上げさせるって酷いです‼︎」

「な、なんで泣くの⁉︎ たかだか六日だろ!

 手紙だって報告書だってやりとりしてたのにそこまでとは思わないよ‼︎」

「だって不安だったんです! 本当に不安だったのにいいぃぃ‼︎」


 一体何が不安だったのか全然分からないんですが⁉︎

 慌てる俺の横からはぁ……と、溜息。ハインだ……。泣かせやがったな……みたいな顔で睨まれた。

 え、だってこんなの誰が想像できる? なんで帰って急に泣くんだ。顔を無理やり上げさせるって、そんなに傷つくことだったか⁉︎

 マルはケタケタ笑ってて戦力外だ。ギルに助けてくれと視線をやると、馬車にもたれて腕を組んでたギルが、ニヤリと笑う。


「なんで帰って来たって、怒られるかと思ったんだと。

 口ではああ言ったけど、無理やり残されるんじゃないかって、不安だったんだよ。

 不意打ちで帰ったのもそれが理由。聞いたら帰って来るなって言われるかもしれないってしつこいから、じゃあもうそのまま帰るぞってことでな。で、今に至る」

「前科がありますからね。致し方ありません。責任もって慰めて下さいね」


 ハインにも冷めた目でそう言われ、どうすりゃ良いんだと途方にくれた。

 取り敢えず掴んでいたサヤの頭を離して……、でも泣き止まない……よね……そりゃぁ……。

 仕方なく頭を引き寄せて胸を貸した。もう、ホントごめんなさい。いらない心配をさせてしまった……。しかも無理やり顔をあげさせて泣かせるし。サヤだけに聞こえるよう、小声で「ごめん」と付け足す。


「とりあえず、化粧が落ちる前に、別館に入って下さい。見つかるといけないので」

「だな。荷物も下ろさねぇとな。おーい、別館前までそのまま進めてくれ」


 ハインとギルがさっさと歩きだし、馬車も続く。マルが「僕の荷物もありますか」と、ギルに聞きつつ更に後に続く。


「ちょっ、お、置いていくな!」


 サヤに胸を貸したまま、おいていかれた俺は、酷く慌てたけれど、サヤを無理矢理連れて行くことも出来ず、しばらくそのまま待つしかなかった。

 馬車入口の内側で良かった……木立で、人目が遮られる。

 皆の姿が離れてしまってから、俺は少しだけ手に力を込めた。

 サヤは六日間、縋る場所が無かったのだ。もしかしたらという不安もあったというなら、この涙は不安の涙じゃない。安堵の涙だよな……。


「おかえりサヤ……不安にさせて、悪かった……」


 泣いているサヤには悪いと思ったけれど、俺はどちらかというと、申し訳なさより、嬉しさで胸が熱かった。

 俺の言葉に、ちゃんとサヤの返事が帰って来るのだから。


「た、ただいま、戻りました……」

やっとセイバーンです。今回も難産…以下略。

何とか二話ずつは更新、続けていきたいなぁ。


次の更新も来週日曜日を予定です。

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