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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第三章
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 翌朝。

 朝食は、皆と一緒に取ると、やって来たハインに言った。

 余計な詮索はせず、ハインはただ一言「畏まりました」とだけ答え、いつも通りの日常が始まった。

 サヤも来たので挨拶を済ませ、身支度の続きにかかる。服装を整えた俺の髪を、サヤは丁寧に結わえてくれた。

 飾り紐を結び、それを背中に垂らした俺は、一度大きく深呼吸してから立ち上がる。

 扉に向かうと、サヤが控えていて、視線が合うと、にこりと笑った。

 うん、大丈夫。決意は揺らいでない。大丈夫だ。


「昨日は、すまなかった。

 気持ちの整理が追いつかなかったんだ。

 ……皆が、俺の為にと考えてくれたことだというのに、あれは無いな。

 だから……その……反省してる」


 応接室にて、一同が揃ってから、俺はそう口にし、頭を下げた。

 すると、明らかに、マルがホッと、胸をなでおろしたのが分かって、申し訳ないという気持ちは、より一層大きくなった。

 ギルを伺うが、視線を合わせてくれない。

 まだ駄目だってことだな……。少し寂しい気持ちになる。だけど、俺が蒔いた種なのだから、仕方がない。

 意を決して、続きを口にした。


「正直……俺は、自分の存在を知らしめるとか……そんなのはどうだって良いんだ。

 環境改善と言われても、良い状態っていうのが……なんかあまり、想像できない。

 ただ、皆が、恙無く笑っていられる為に、俺がそうでなきゃならないなら……俺、も、その努力を、しなきゃいけないと、思う」


 だから、宜しくお願いします。と、もう一度頭を下げた。

 やっとギルの視線が、俺を見る。そして、不機嫌な声で問うた。


「サヤは……?」

「……つ、連れ帰る、方向です。

 た、ただな。手続きの為にしばらくは残って欲しい。

 やっぱり、不安なんだ……極力、異母様や兄上と、時間を共にしてほしくない。

 それを、考えるだけで……もう、駄目なんだ」


 恐怖に跳ね上がる心臓を、服と肉の上から抑え込むけれど、そんなのじゃ全然落ち着いてくれない。

 前回は、上手く避けた。だけどあれは、サヤが有益だと考えたから……引き抜こうと思ったから穏便だっただけだ。もう引き抜けないと見切りをつけたら……初めから、刈り取る気できていたら……そんな風に考えると、恐怖が膨れ上がってくる。

 そんな様子を見ていたサヤが、静かに「良いですよ」と、答えてくれた。


「良いですよ。こちらに残って、移送の手続きをお手伝いします」

「サヤ! お前……っ」

「大丈夫ですよ、ギルさん。昨日、話をつけました。七日間だけです。

 そのあとは私、セイバーンに戻りますし……私が本気なら、誰にもどうにもできませんよ」


 にっこりと笑う。ドスの効いた笑顔というのはこのことか。

 文句あるなら言ってごらんと言われている心地だ。いえ、無いです。もう、サヤを置いていくことはしない。それがサヤとの約束だから。

 一緒に進むのだ。サヤが進めない時は俺が、俺が進めない時はサヤが、手を引く約束。

 そう、サヤは強い。俺だってもう子供じゃない。ただの足手まといには、もうならない……。あの人のようになんて、してたまるか……。


「マルの計画を進めてくれ。マルが言うなら、それが良いんだ。経験上、よく知ってるのにな。

 それなのにあんなこと言って……ほんと悪かった。マルに任せるよ」


 全幅の信頼をおいて、満面の笑顔で……とは、いかない。

 眉が下がるのだけは、勘弁してもらいたい。正直、今の俺にはそれでいっぱいいっぱいだった。

 脳裏を掠める怖い想像を、見て見ぬ振りしておく。


「じゃあ、そんなわけだから。朝食にしよう」


 そう言って、空元気で笑っておいた。


 食事が終わると、各自、自身の役割をこなしに行った。

 俺は応接室の、執務机を占拠している。出来上がった書類の確認に勤しんでいた。

 今執務室にはワドしかしない。しんと静かな部屋で、俺が書類を繰る音がするだけだ。

 とはいえ、書類を確認しつつも、事あるごとに嫌な予感がせり上がって来て、遅々として進まない。仕事に集中してやり過ごしたいのに、それが出来ないのだ。

 不安に押しつぶされそうになっている俺に、手を差し伸べてくれたのはやはり、ギルだった。


「お前さ、これに心当たりは」


 やって来たギルが、まだ少々不機嫌そうな顔で、俺の前に小箱を置く。中を改めると、見覚えのない小さな装飾品が収まっていた。


「いや、見覚えない。俺のじゃないよ」

「違うわ! これが何か知ってるかって聞いてんだ」

「そりゃ、知ってるよ。従者が着けてる、襟飾だろ?」

「そう。で、これの意味は」

「………意味?」


 首をかしげる俺に、盛大な溜息を吐くギル。やっぱりかああぁ。と、頭を抱えた後、非難がましく俺を見る。

 そして、その箱を俺の手に無理やり握らせた。


「サヤを、従者にしろ。で、それをサヤに持たせろ。毎日襟に着けさせるんだ。

 これは、印だよ。ほらあれだ、耳飾と似たようなもん。貴族にありがちなやつだ。

 身分差による強制的な引き抜きの、対抗策な。

 ここ、五、六年で出来た風潮なんだ。特別目をかけていて、従者もそれを受け入れているっていう印なんだよ。ある程度の身の保障になる。

 これを身に付けている従者は、王族でも引き抜きできない。

 それが叶うのは、従者が主人の前でこれを外し、返した時だけってなってる。だからな……。

 サヤをセイバーンに連れ帰るなら、助けになるだろ」


 お前、もうちょっと貴族の集まりとか顔を出して情報収集しろよ。せっかくの有利な手も取りっぱぐれてるじゃねぇか。

 と、そう言って、ぐしゃりと俺の頭をかき回した。

 これには返す言葉もない。言われた通りだった。

 印を身に付けた従者はたくさん見かけていたというのに、その意味なんて考えたこともなかったのだ。

 ごめん……と、謝る俺に「いやまぁ……お前は成人前だし、忙しいし……機会も少ないしな……」と、擁護する。

 そして、意を決したように、話を変えた。


「あのな……昨日は、言い方が悪かった。すまん!

 もどかしかったんだよ……。お前は、役立たずなんかじゃねぇって、俺は知ってるからな。

 俺はお前をずっと見てきたんだよ。それこそ、なんでそこまでってくらい、お前は頑張ってきたんだ。

 いい加減、それを認めてくれ。

 お前自身が認めてやらねぇと、お前はずっと、役立たずのままだ。お前がお前を苦しめてるんだ。

 お前はもう、先に進めるのに、ずっと自分を痛めつけて足踏みしてるんだよ。

 それを見てるこっちの方が、苦しくなるんだって」


 頭を掻きつつそう言ってから、ギルは背を向け、執務机に行儀悪く腰を下ろした。

 言葉を返せない俺に、はぁ……と、溜息が、また聞こえる。


「あとな、腹が立ったんだ。

 もう十二年つるんでんのに、お前はまだ、何も言ってくれないのかって。

 お前の拘りが偏ってんの、理由があるんだろ?

 自分はほったらかしなのに、俺たちや、サヤを、必死で遠ざけようとするもんな。

 罰だとか、持ったら駄目だとか、そういうのの根拠の部分を……お前は、いつまで一人で抱えとくんだ。

 言いたくないのは分かってる。それがむちゃくちゃ重いことなのも。

 内容も……なんとなく、想像はしてる。

 けど、覚悟もしてる。

 後は、お前の口から、聞くだけなんだ。

 なあ……俺はお前の、親友だよな。一緒に抱えちゃ、駄目なのか」


 ギルの中には、受け止める覚悟しかないのだと気付いた。

 元から男前だって知ってたけど、どこまで潔いんだこいつは。

 どこまで俺のこと考えてるんだよ……。

 正直、感動を通り越して呆れてしまっ……。


 唐突に脳裏に声が過ぎる。


 学舎に、行け。友達を、つくれ。笑って、泣いて、怒鳴り合って、殴り合って、一生もんの、親友をー。


 うわっ……。


 急に蘇った言葉に、一瞬目が眩んだ。

 胸をギュッと掴まれたような、あのどうしようもない多幸感のようなものすら、思い出した。

 あの人の、最後ばかりに囚われていた。そればかり思い出してた。

 だけどあの人は……あんな時にまで、俺のことを考えてたのだ。それが急に浮上してきた。

 そんな部分を思い出したのは初めてだった。咄嗟に心臓の辺りを掴む。落ち着けと、言い聞かせる為に。じゃないと、泣く。


「おい?」


 俺の様子に慌てたギルが、肩に手をかけ、顔を覗き込んでくる。

 俺はそれに構ってられない。芋蔓式に溢れてきそうな記憶を、必死で押さえ込んでいた。


 だけど、これはあれだな……。一度……、全部一から、思い出さなきゃ、いけないかもしれない。

 罪悪感から、考えないようにしてきた。ずっと腹の底に沈めてきた。だけどあの人が、俺に用意してくれた場所が学舎だったのだ。今の俺の土台を作ってくれたのは、あの人なんだ。

 ちゃんと、あの人の望みに答えられていたのか……知らなきゃいけない……。


 少し落ち着いてきた。

 俺よりもよっぽど切羽詰まったような顔をした、ギルに視線をやる。

 親友はつくれたよと、心の中で呼びかけて、意識して口角を上げた。


「自分の人生を、どれだけ俺に消費する気なんだ」


 そう言ってやる。

 強がる俺に、ギルは乗ってくれた。


「馬鹿野郎、もう人生の半分以上注ぎ込んでんだ。元を取らねぇで商売人やってられるか」


 その返答には、もう笑うしかなかった。

 うん、ギルだ。ギルらしい考え方だ。

 そうだな……ハインにも責められたし、サヤにも、教えてって、言われたしな……。


「……そうだね。

 今すぐは……ちょっとまだ、勇気が無いんだけど…近いうちに。

 うん……。ちょっと俺も……ちゃんと、思い出さなきゃいけない気がした」


 踏み越えられる日なんて、想像していなかった。

 一生引きずって歩くしかない枷だと、思っていたのだ。

 俺の所為で儚くなったかもしれない人。名前も知らないままだった人。あの人を、閉じ込めたままにしておくのは、もう終わりにしないといけない……。


 色々を、終わらせなきゃいけない……。

 ギルの言う通り、子供のままでいては、いけないんだ。

 思い出すのはきっと苦しい。だけど、たぶん、支えてくれる手には、不自由してない。

 あの人の用意してくれた場所で、出会いに、恵まれたから。



 ◆



 館の裏庭に、馬車が準備されていた。ハインが荷物を詰め込み終えて、最後の確認を行っている。

 眠そうに目をこするマルが、のろのろと馬車に乗り込むのを見送って、俺はサヤを見た。

 こちらに残っての手続きを済ませたら、サヤもセイバーンに戻ってくる。

 その間は、ギルの所でサヤをお願いする。移送手続きは、一週間ほどで終わるはず。

 そして目算通りなら、七日間ほどで異母様方は父上の所に出立されるはずだ。

 サヤの襟元には、ギルの用意してくれた襟飾が輝いている。

 印があっても、恐怖は変わらない。引き抜きをかけられる不安が無くなっただけで、それ以外の手段はいくらでもあるのだ。


「何か、後ろ向きになってませんか?」

「……なってる……。朝からなんか、どうしても……考えたくない方向にばかり考えてる……」

「ですね。顔に出てます」


 サヤの言葉に、額を押さえる。

 いざ帰るとなると怖気付く…俺の覚悟ってその程度だよな……。

 サヤを残したい。手続きが終わっても残ってくれたらと、そんな風に思ってる。


「実は、こっちの方が心配なんですよ? 七日間だって、断腸の思いなんです」


 急にサヤがそんなことを言う。

 何が? と、思って首をかしげると、不満ですと書かれた顔で、サヤが言うのだ。


「起きて、仕事をしてたら怒りますからね。目を瞑って、横になるだけで身体は休まるんですから、無茶はしないで下さい」


 頬を少々膨らませて、上目遣いに見上げてくるサヤ。その言い方で、夢の心配をしてくれているのだと分かった。こっちはサヤの心配をしているというのに、サヤは俺の心配をしていた。


「私のは、まだ起きてもいないことですよ。そんなの心配したって仕方ないです。

 でも、レイシール様のは、起きてることです。心配するのは当然です」


 若干屁理屈めいた理屈を述べる。いや、起きてから心配したんじゃ遅いでしょと思うのだが……サヤの中の優先順位ではそうらしい。

 私も譲歩したんです。レイシール様もして下さい。と言うサヤに、なんだかなぁ……と、溜息を吐いて、それからお互い笑った。

 なんかサヤが、遠慮しなくなったなぁと思う。

 いつからだろう……何か前より、遠慮なく話してくれてる気がする。


「やれることからやって、いくしかないかぁ」

「そうですよ。まずは氾濫対策です」


 その言葉に、よしと、気合を入れた。


「では、こちらのことは頼む。

 ギルも、いつも済まないな。サヤを頼むよ」

「行ってらっしゃいませ」

「約束守れよ。近いうち。だからな」


 腕を組んでそう言うギルに、苦笑を返し、うんと頷いた。

 うん。話すよ。約束したから。


 馬車に乗り込むと、マルはもううつらうつらしていた。

 昨日は夜更かししていたのかな。馬車で寝て、揺れで頭とか、ぶつけなきゃいいんだけど……。


「では出発します」


 ハインの声で、馬車が動き出した。

 向かう先はセイバーン。氾濫対策の本格的な始動だ。

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