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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
最終章
515/515

神の祝福

 ふと目を覚ますと、窓越しに見える空は、青一色。


 朝か……。とはいえ、少々早かったのか、腕の中の愛しい人は、まだ夢の中である様子。健やかな寝息が規則正しく聞こえている。

 視線をやると、長い髪が一房顔に掛かっていて、指で掬い取って退けたら、感触がくすぐったかったのか、きゅっと身を縮こまらせて「ん……」と、小さな声が溢れた。

 けれど、起きる様子は無い……。

 俺が腕を外したからか、温もりを探すようにもぞりと身を寄せてくる。

 その様子が愛おしく、可愛らしくて、もう一度腕を肩にまわし、引き寄せたら、上掛けが肩からはらりと落ちた。

 うっすらと傷の走る白い肌がのぞいた。ついでに、その下の豊かな膨らみと、そこに散らばる紅痕も見え、上掛けを引っ張り上げて隠す。

 普段はもちろん、こんなあられもない姿で眠るなんてしないのだが……。


 昨日はちょっと、誘惑に負けてしまった……。


 ルーシーがニヨニヨして自信作だと言ってきた、新作夜着の試着日。

 ワンピース型のそれは、別段透けてもおらず、露出が多いわけでもなかったから油断した。あの様子だと、多分サヤも油断していた。

 薄絹をふんだんに使った、踝まである長い裾で、回るとふんわり広がる、艶やかというよりは、幼く可愛らしい意匠。

 部分的な刺繍織やら、飾り紐やら、細かく手が込んでいるなとは思ったけれど、第一印象はそれだけ。

 が、しかしだ。

 立ってるとなんともなかったのに、寝転がると布の特性と重みで身体の輪郭がはっきり出るという、なんとも魅惑的な仕様だったのだ!

 柔らかい布地が肌に吸い付くように広がり、光沢が艶かしく立体感を出してきて、ついムラッときてしまったというか、抑えられなくなって……。


 これは絶対貴族受けするやつだな……。

 慎ましくありつつも寝台では扇情的とは。ルーシーが夜着に何を求めているのかちょっと気になるが、とりあえずこの仕様は最高だと伝えておこう。


 と、昨晩の可愛らしかった色々を思い出してしまって慌てて頭を振った。朝から何いかがわしいこと考えてんだ俺。それに……。


 …………ちょっと無理させてるかなぁ……。


 ここのところ、サヤは疲れているのか、お寝坊さんだ。

 昨日だって本当は、ゆっくり休ませてあげたいと思っていたはずなのに、気付けばむしゃぶりついていたわけで……。

 我ながら猿だなと思う。反省しよう。


 それから暫くすると、時間が来たのだろう。部屋に入ってくる人の気配。

 寝室の前でまごまご戸惑っている様子だったから、起きてるよと声を掛けた。すると、おずおず顔を覗かせる。

 獣人である彼は、鼻が良いからなんのかんので色々を察してしまう様子。


「お、おはようございます……」


 欠けた片耳に、水色の瞳。がっちり立派な体格を極力縮こまらせて、申し訳なさそうに……。

 彼ももう二十一だというのに、いちいち反応が幼くて、なんか悪い大人になってしまった気分になる。


「おはよう。悪い……」

「あ、はい。お風呂の方を、先に準備いたします」

「助かる」


 小声でこそこそやりとりするのは、気付けばサヤが盛大に恥ずかしがると分かっているからだ。

 妻となって五年以上を共に過ごすのに、彼女は未だに初々しく、幼い少女のような部分を残したままだ。その恥ずかしがったり嫌がったりする姿にとても嗜虐心が刺激され、ついやり過ぎてしまって後で怒られるのだけど、その一連が好きなので全く問題には感じていない。むしろ楽しいので改めるつもりも無い。


 隣室に消えた従者のウォルテールは、そのまま暫くして戻ってきて、風呂を温めるための鉄塊を取りに、隣室の暖炉に向かった。基本的に火を絶やさないこの時期は、常に鉄塊が複数個暖炉内に置かれ、暖められているのだが、これは部屋の空気を温めるのにも一役買っている。

 それをひとつ手提げ桶に入れて持ってきて、また隣室へ。


 寝室横に小部屋を設け、小型の風呂を置いたのは、我ながら英断だったと思う。

 片手が無いから、事後のサヤを自ら整えてやることができないための、苦肉の策だったのだけど、サヤ的に、風呂を気兼ねなく使えるというのは最大級の贅沢であるらしく、大変喜んでもらえている。たまに一人で入っていたりもするから、彼女は本当に綺麗好き民族なんだなと実感もする。

 そうしてまた少しすると、小部屋の入り口が開いた。今度は閉めず、そのままに。


「では、また一時間後に伺いますので」

「うん、ありがとう」


 眠ったままのサヤの、長くなった髪をくるりと巻き、簪でまとめてから、ウォルテールは部屋を去った。

 それを待って俺も寝台から身を起こし、サヤを胸に抱え上げ、風呂に運ぶ。

 右手首の先が無くても、これくらいのことはできる。どうせ一緒に入るので、そのまま胸に抱えておくだけだし。


 こうまでして起きないって、やっぱりだいぶ疲れさせてしまったんだろうなぁ……。

 しつこ過ぎだろうか……いや、でも反応が可愛いのだから仕方がないというか……うーん……。


 そんなふうに思いつつも湯船にサヤを抱えたままで身を浸した。心地よい温かさに胸まで浸かり、サヤを俺に寄り掛からせるように抱えなおしてから、極力優しく声をかける。

 因みに眺めも最高です。見事な双丘が眩しいほどで。……なんか最近、また大きくなってやしないだろうか……錯覚かな……嬉しいけど……もしかして触り過ぎ?


「サヤ、朝だよ……」


 耳や首を唇で刺激すると、甘い感覚に小さく身を捩り……。


 風呂に浸かっても目が覚めなかった自分に大いに狼狽え、恥ずかしさで縮こまって真っ赤になるサヤがまた可愛いので、つい意地悪をしてしまった。

 朝から良い気分だ。うん、今日も頑張ろう。



 ◆



 スヴェトランとの緊張状態が緩和されて、もう四年が経つ。

 その間に色々が動き、俺は今も、北と南を行ったり来たり、忙しく過ごしている。

 交易路のお陰でかなり短縮されたとはいえ、片道十日はやはり遠い……。

 正直移動時間が勿体無い。仕事していたい。ということで、旅の最中に助かる秘匿権が、あれこれ増えていく。


「そりゃ仕事しなくて良いならその方が良いよ。

 だけど道中で潰しとかないと、後で忙殺されることになるんだ……」

「もうちょっと他に割り振るか、時間の使い方考えるかしたらどうだ」


 そう言いつつもギリギリまで机に齧り付いている俺に、呆れた様子でジェイドが言う。

 今日は朝から、更に一時間ほど遅刻してしまったため、後が押しているのだ。まぁ、予定してないことを堪能してしまったから仕方がない……。サヤが可愛かったのだ。しょうがない……。


 だがそんな突発的な我儘が許されているのは、二人の時間がここのところ少なかったからで、また本日より、俺は出張に向かうことになっていたからだ。

 サヤは今回も留守番。社交界用の衣装製作やら、とある方の花嫁衣装制作やらで手が離せないらしく、ルーシーとギルに捕まりっぱなしだ。


「さっきも針持ってうつらうつらしてンの見たぞ。お前、もうちっと加減してやれよ」

「き、今日はその……いろいろ間が悪かったというか……っ」

「今日もか」


 朝からか。と、半眼になるジェイド。

 あっ、あれはルーシーの策略だ!


 先日まで俺はヴァイデンフェラーに出張で、サヤはアヴァロンに留守番だった。そして本日よりまた俺は北へ。

 夫婦なのに、一緒に過ごせるのが年の半分程度って酷くない⁉︎

 だからつい、色々こう、構いたくなるというか、愛でたくなるというか、同じ空間にいる時間が限られると思うと我慢できなくなるというかっ。朝はその…………可愛い反応するのを愛でてたらだな、こう…………あああぁぁっ。

 越冬前には戻るから、越冬中は共に過ごせる予定だけれど、犬橇があるので場合によっては王都に呼び出される可能性もある……。

 獣人の立場が改善され、名誉回復のための取り組みとして、王家も率先して彼らを雇用し始めており、特に獣化できる者の雇用率は高かった。何せ冬場の足は、今までにはない画期的なものなのだ。

 そんなわけで、近頃は越冬が越冬じゃなくなりつつあって、良いんだか悪いんだか……。


「まだか」

「あと一枚だけ……」


 だけどその言葉は途中で掻き消された。


「遅い!」


 執務室の扉が開くなり飛び込んできた怒りの声。ビクッと身を竦めた俺とジェイド。


「ジェイド、摘み出しなさい、遠慮するなといつも言っているでしょう!」


 片脚が義足だとは思えない、力強い足運びでズンズンやって来たハインは、左手で俺の手から硝子筆をむしり取った。あと一枚なのに!


「知りません。これは道中に進めてください。残った荷物は貴方だけなんですよ。さっさとする!」

「荷物扱い⁉︎」


 ひらりと揺れる右袖。上腕のみになってしまったこちらは、見た目を整える必要がある時だけ義手を嵌める。

 でも普段は基本、このままだ。

 潰れてしまって見えない右眼は、少し長く伸ばした髪で隠されているものの、精巧な義眼が入れられていて一見失明しているとは分からない。

 顔に走る大きな刀疵のせいで、より一層凄味の増したハインは、執事長というよりも歴戦の猛者か、もしくは……。


 いや、猛獣だな。

 前より容赦ないし。


 この男、昨年奇跡の婚姻を結んだのだが、それが全く生活に反映されていない。

 良いのかこれで。いや、まだ奥方は遠方勤務。人員の調整に手こずっていて、共に暮らせるのは来年の春以降となるのだけれど……。そうなってからも俺を最優先とか、お願いだからやめてほしい。


 追い立て外に叩き出され、あれよあれよという間に馬車へと放り込まれた。

 そこにはクロードが待っており、お疲れ様ですと優しい労いの言葉。


「ごめん、待たせた……」

「いえ、申し訳ありません。私が早く仕事に慣れなければいけないのです」


 いつまで主に付き添ってもらうつもりかという話で……と、申し訳なさそうに頭を掻くから。


「いやいや、担うって言ってくれるだけで、どれだけ有難いか……」


 貴族の身で、獣人らとの関係改善に尽力してくれることがまず、有難いのだ。

 そもそも幼くから教え込まれてきた価値観から覆さなければならないのだし、大変なのは当然で、申し訳なく思う必要は無い。


 神殿がスヴェトランを焚き付け起こした、五年前の戦。

 結局それをおさめるのに一年を有した。

 ただ、人死を出す武力的な衝突は初めの頃の数度のみで、国同士の衝突としては、小規模に止めることができた方だろう。


 一枚岩ではなかった神殿が内側からの反発で瓦解し、当時の運営陣が多く捕縛されたり、亡命したり、不審死したりした結果、神殿内部は大きく組み直され、教典も修正される運びとなった。

 そのゴタゴタの煽りを受けてというか、便乗する形でというか……獣人の扱いも見直され、彼らの生まれる仕組みが解明されたと国が発表し、彼らが悪魔の使徒などではなく、我々自体がそういった血の種なのだとなり……と、まだごちゃごちゃ続いている最中なのだけど、ここ最近やっと、ひとつ区切りがつきつつある。


 その区切りのひとつとして、北の荒野にアヴァロンがもうひとつ、建設されていた。それが完成間近なのだ。

 元々産業の乏しい北の地で、この大きな事業が成り立つのかと訝しむ声も多かったけれど、かねてよりの俺の願いで、褒賞だったから、陛下はこの無理を押し通してくださった。


「アーシュも頑張ってくれてるんだけど、結局子爵家だって侮られるみたいで……」

「あちらは血を尊ぶ土地柄ですからね」


 まぁ問題もあった。

 アヴァロンの第二都市を建設した立地が、北の荒野だったのだけど……ここは一応、他領の領土の一部だ。

 生産性が無いため捨て置かれていた場所で、本来ならば土地代すら取らないお荷物的なものなのだけど、それでも領土であるとして、国の預かりになることに難色を示す領地が続出したのだ。

 土地を使うならば出すものを出せ。と、権利を主張してきたわけだ。

 でもそうすると、元々荒野に住む貧民らにまで、土地代が請求されることになってしまう。


「ではオゼロの荒野をお使い頂こう。無償で構わぬ。もともとそういう土地だ。

 ここに産業が立つことが、北の恵みそのもの。民の生活向上のためゆえ、なんら惜しくはない」


 新たにオゼロ公爵となられたラジルラフト様の、この一言がなければ、未だに話し合いが進んでいなかったかもしれない。

 きっとオゼロからの根回しもあったのだと思う。その後は近隣の領地からも協力の声が上がり、結局荒野は今まで通り、無税のまま、土地を借り受ける俺たちにも料金は掛からないこととなったため、思う存分に使わせていただいた。


 けれどそうして小銭を稼ぐ手段を逃した領主らは、今度は獣人の扱いに難色を示してきたのだ。

 学の無い獣人らが、この高度な都市で生活できるわけがない。ここはまず、人の管理する場とすべきでは? と。

 そうして俺や、こちらの責任者に抜擢されたアーシュの出自をあげつらってグダグダ言い、なかなか協力しようとしない……。


 で、出自がそんなに大切なら、公爵二家の血を引くクロードが言えば良いんだね? ということで、彼に出張してもらうこととなったわけだ。


「なかなか馴染めず、申し訳ございません……」

「いやだから、獣人らも反発しちゃうから仕方ないんだよ。

 こっちも先入観あるけど、あっちにもあるから……」

「レイシール様の偉大さが骨身に沁みます。地位にも種にも垣根を作らない。私もそうありたく思っているのですが……」


 あー……、これは、獣人らへの苦手意識が結構蓄積してるっぽいなぁ……。


 生粋の大貴族であるクロードは、貴族としての染み付いてきた習慣や考え方があるから、何気ないちょっとしたことが、獣人らの逆鱗に触れてしまったりする場合もあった。

 特に彼らの主従性質というか、主ならば許すけれど、それ以外は駄目。みたいな感覚が、なかなか理解できないのだ。

 荒野の獣人らは、どうにも公爵家に警戒心が強い。

 そして彼らにとって主は俺で、俺の部下であるリアルガーで、それ以外は駄目と、断固拒否してくるのだ。

 アーシュも多分同じく困っているはずだが、こちらは頑なに弱音を吐かない……。意地でも喰らい付いていくつもりらしい。

 それにアーシュは元々騎士試験を受けに他領に飛び込むくらい、なんというか、見た目に反して血気盛んなところがある。そういう体当たりなところが、獣人的には好印象というか、理解しやすんいんだよなぁ。

 思考し、使うことが当然の血筋のクロードだからこその、苦労なのだと思う。


 落ち込み気味の様子で、膝上の丸めた手に視線を落としたままのクロード。俺はそこに、自らの左手を添えた。


「クロードは、頑張ってくれてる。焦らなくて良い。

 俺は……クロードが、俺をもっとちゃんと知りたいと言ってくれた時、本当に救われたし、嬉しかったんだよ」


 五年前、春の会合を終えてから、やっとセイバーンの地に足を踏み入れたのは、夏も間近という頃だった。


 結局、半年以上領地を空け、役職を放棄していたに等しかったのだけど、クロードはその間もきちんとセイバーンを管理し、守っていてくれていたのだ。

 正直、彼らに秘密を抱えていたことを、なんと言って詫びようかと悩んでいた。

 獣人らの秘密は、確かに繊細な問題だったけれど、結局のところ俺が、部下を信用していなかったということでしかなく。

 だから、何故言ってくれなかったのかというヘイスベルト達に、謝るしかなかったのだけど……。

 最後まで部屋の隅で、強張った表情のまま立ち尽くしていたクロードは、恐ろしいものに必死で立ち向かうような表情で、なんとか俺の前まで進み出てきた。

 そうして、申し訳なかったと詫びる俺に対し、その場で膝をつき、震える両の手で、俺の左手を取った。


「不甲斐ない部下で、面目次第もございません。

 ……貴方が私に語れなかったのは……貴方が正しく、私を見極めていたからでしょう」


 公爵家の直系であるクロードは当然、それに相応しい教育を受けてきた。

 だからこそ獣人を恐れ、嫌悪する感情が育まれている。ただ獣人が獣人であるというだけで、自分は嫌悪感を抱いてしまう。相容れぬものだと決め付けてしまう。


「ですが私は、彼らを獣人と知らない時は、こんな感情を抱かなかった!」


 俺が去った後、今まで当然のように接してきた者らから、己は獣人であるという申告が相次いだ。

 ガウリィを筆頭とする、この村に職人として入っていた獣人らが、仲間の暴走を詫び、俺の名誉を汚さないために嘆願に来たのだという。

 俺には逃げろと指示された。けれど、元々自分たちは、この時のためにここに住まわせてもらっていたのだから、その役割を果たすのだと、言ったそうだ。

 代表として名乗りを上げたガウリィとは、今まで何度も言葉を交わしていた。職人の心意気に、尊敬の念すら抱いていた……はずだった。


 なのにまるで汚物を前にしたようなこの嫌悪感はなんだと、クロードは必死でそれを押し殺そうとしたそう。

 だがやはり、ガウリィはそれを感じ取っていて……受け入れた。


「当然だろう。俺たち自身、そう思って生きてきた」


 今だってその思いを捨て切れているわけじゃないと、ガウリィは苦笑したという。


「だけどあの方が、そうじゃねぇと言う……。口先だけじゃなく、行動で示してくれる。

 地位も名誉も捨てる覚悟で、俺たちを囲って、いざって時にも、結局切り捨てなかった……。

 それに俺たちが、命で報いたいって思うのは、別に、おかしなことでもなんでもないと、思いやせんかね」


 このまま囚われて、殺される覚悟でここに来たのだと、その言葉は語っていた。

 ガウリィは、獣人だと名乗った以外は、今まで通り、何も変わっていなかったという。


「あの人は、兇手でいるしかなかった俺たちに、まともな職と環境を与えてくれただけだ。あの方はなんも、神に叛いた行いをしちゃいない。

 人並み以上に、慈悲深かった。愛情深い方だったからよ、獣人すら捨て置けなかった。切り捨てられなかったんだ。

 保身に走るくらいしてくれりゃ、もっと都合良かったのにとすら思う……。俺らは主と決めた彼の方には、どんな仕打ちをされたってかまわねぇってのに」


 そういう習性なんだと、知ってるくせに、結局こうだ。と、彼は言って笑ったそうだ。


 そうしてアーシュが、俺の部屋から陛下への報告書を見つけてきて、残された皆でそれに目を通した。

 真偽を疑ったけれど、娘が救われたと同じものが、獣人を苦しめたままであると知り、愕然としたそう。

 これを、握り潰すことはできなかった。それは、娘を裏切るのと同じこと。


 結局皆で覚悟を固め、陛下に謁見を望み、俺の遺書として、それを差し出した。

 そうしなければ、陛下に目を通してもらえないと思ったという。

 そのお陰で、俺の処遇は据え置かれ、吠狼やロジェ村の処遇も、保留になったのだ。

 彼らのこの決断がなければ、どれだけの民を失っていたろう……。

 獣人を恐れる住人らが揉めた時も、仲介に尽力してくれたのだと、ガウリィにも聞いている。


「……身に染み付いているものだから、覆すのは難しい……。

 それでもクロードは、俺の手を取ってくれた。知りたいと言ってくれた。

 あれは俺の救いだったし、今もその決意を示してくれている」


 ハインにも、新たに従者となったウォルテールにだって、まだ少なからず嫌悪感を持っていると思う。

 それでもクロードは、彼らを受け入れようと日々、努力してくれていた。


「大丈夫。ちゃんとそのうち、分かり合える。だって俺たちは、みんな同じものだから。

 人型同士だって、誤解したり喧嘩したり、意見が衝突したりだってするんだし」


 敢えて軽くそう言うと、クロードは笑ってくれた。

 それに、その日が来ること自体は、疑っていないのだ。

 だってクロードは、もう出自の垣根を越えたという実績があるのだから。


「そうだ。今回の視察、良かったら獣の皮剥ぎに挑戦してみる?

 彼ら、頑ななようで素直な性質だから、クロードが努力してるのは感じてると思うし、一緒に何かすれば、また一歩近付けると思うんだけど」

「うーん……商品を駄目にしてしまう気がするのですが……」

「大丈夫大丈夫。努力は認めてくれる」

「裏目に出ませんか……」

「…………まぁ、その時はまた考えよう」


 彼ら、案外笑ってくれそうな気がするけどね。



 ◆



 それから半月を荒野で過ごした。

 そしてその最中に、大司教の巡歴にも遭遇した。

 枢機卿への推薦を辞退し続けているこの方は、常に各地を巡り、ひとところに長居しない変わり者だ。

 秩序を正すためとはいえ、同志を訴え出たことの責任として、これ以上の地位には就かないし、特定の神殿にも身を置かないと、自ら宣言している。

 ……まぁ、表向きは。


 実際のところは、常に命を狙われているため、所在をはっきりさせないように努めているのだろう。

 狂信者の残党は然程多くないとは思うのだが、何せ元が秘密裏な集団なので、なんとも規模が読みにくい。

 切らなければ切られていたとはいえ、仲間の命を売り渡したに等しいことをしているのだから、それも当然。

 そして敵は、そんなかつての仲間だけではない。


「レイシール様、お久しゅうございます」

「アレク、息災なようで良かった」


 完璧に制御された表情からは、内心を絶対に読み取らせない。

 大司教となってもアレクは、居丈高にならず、丁寧に人と接し、贅沢もしない。

 各地を巡り、貧民と同じものを、同じ鍋から食べ、共に眠る。完璧な聖職者となっている。

 その柔和な立ち居振る舞いからは、かつて信仰を正し、徹底的に汚職を糾弾した苛烈な姿は見受けられない。

 清貧なその暮らしぶりに、民からの人気は鰻登りだった。


 俺の前で綺麗に微笑むアレクは、もうとっくに傷も癒えているのだが……。俺に会う度、左腕が小刻みに震えている。

 そして、俺を二度と、レイとは呼んでくれなかった。


「本日はどちらにお泊まりで?」

「信徒の方に、部屋をお貸しいただけることになっております」

「たまにはうちにお越しいただきたいのにな」

「ご冗談を。そのような暇なお身体ではございませんでしょう?」


 お互い忙しい身で、会う時間を確保するのがやっと……。

 そんな風に演じている。

 この短い会合が、お互いの生存確認であり、戦いであり、旧友との大切な時間だった。


「荒野に本当に街を作ってしまわれましたね」

「礼拝堂も設けたし、小さいが神殿としての機能も備えている。

 ブンカケンにも近いので、どうか立ち寄った際には、顔を見せてほしい」


 えぇ、是非。と、笑っていない瞳が、憎悪を燃やす。

 それに紛れて見えるのは、恐怖。俺の本当の感情が見えないという恐れだ。

 あの日の俺を、アレクは今日も身に刻む。

 腕の骨を踏み砕き、それでもなお体重を掛けて、抉り、踏み躙り、心を売れと告げて、顔色ひとつ変えなかった俺を。

 今、再会を喜び、安堵している。このような苦境に追いやったことを、申し訳ないと感じている。そんな演技の真意を見極めようとしている。


 ……演技じゃなく、本心なのだけどね。

 でも、俺は今日も、お前の悪魔であれているよう。そんな歪な柵であっても、繋がっていることを嬉しく思う。

 生きていてくれることを、俺も、昨年来世に旅立たれたエルピディオ様も、嬉しく思っているよ。


「サヤ様は、ご不在ですか? よもやご懐妊……?」

「あー……ううん。共にいれる時間も少ないし、なかなかね……」


 そう言って頭を掻くと、アレクの視線がちろりと流れる。

 異界の民の彼女と、俺は、種が違うから……子はできないだろうと、サヤは言っていた。

 何度も身を重ねて、胤を注いで、愛を育んでいるけれど、こればかりはな……。


「神の祝福が、あなた方の元にも巡ってくることを、願っております」

「ありがとう。心強いよ」


 後五年、子に恵まれなければ、養子を得るつもりでいる。

 セイバーンには親戚筋も無いし、あまり強すぎる柵の無い家からとしたいのだけど、これもなかなか難航しそうだ。

 いっそのこと、孤児からならどうだろうかと、最近は考えている。


「さて、来春予定している新しい無償開示品の候補に、神殿で是非お試しいただきたいものがある」

「拝見させていただきます」



 ◆



 その日の業務を終え、屋敷に戻ってきたのだけど……いつもバタついている館内が、バタつくというより、混乱していた。


「レイシール様!」


 急ぎ走り寄ってきたのはオブシズ。

 この第二のアヴァロンに移り住む予定で、家族ごとこちらに移住の準備を進めていた彼が、強張った表情で駆けて来た。


「どうした、また何か揉め事か?」

「いや……あのな、気を確かに持って、聞いてほしい。

 先程早駆けの速達が届いて、サヤ様がその……お倒れになったと……」


 血の気が引いた。


「夏バテなんて時期でもないのに、最近、食が細くなってらっしゃったそうなんだ。

 顔色も優れなかったけれど、ここのところ忙しくて、疲れが溜まっているのだろうと……。

 そう言っていた矢先、メバックで……」


 退任されたリヴィ様を迎える準備に出向いていたのだそう。

 そろそろ到着という頃合いに、前触れもなく崩れるように座り込んでしまったらしい。


「幸い意識はすぐ戻ったそうだ。言動もしっかりしてらっしゃるが、お前には連絡するなと言われたらしくてな……。

 でも、ことがことだし、一応伝えるだけはと……」


 気をきかせたハインが連絡してくれたということだった。


「熱は微熱程度だったそうだ。荊縛にはまだ早い時期だし……もう、十日前のことだから、日常に戻っていらっしゃるかもしれないが……」


 どうする? と、オブシズ。

 無論、飛んで帰りたい!

 しかし、こちらの業務は、まだ半分近く残っている。


 十日前……。今更戻っても、更に十日経つわけで、俺に、何ができるというわけでもない……。


 だからサヤの言う通りにすべきなのだろう。彼女を不安にさせないためにも、仕事はちゃんとしなければ。でも、とにかく前倒して、少しでも早く…………。

 そう、言葉を口にしようと、開いたのに。


「荷の準備はできております。供は引き続きシザー、ウォルテールに任せました。

 吠狼にも連絡しましたら、アイル・ジェイドが影に徹するとありましたので護衛面はご安心を」


 足早にやって来たアーシュがそう言い、俺の肩に外套を掛ける。


「え、いや……」

「こちらはお任せください。クロード殿もおりますから、どうとでもします」

「だ、だけど……っ」

「何のための夫婦ですか」


 ピシャリと言われてしまった。


「お帰りください。妻の大事より仕事を優先しない!

 我々の幸せには、あなた方の幸せが不可欠なのですよ」


 そんな言葉まで添えられた。


 そのまま来た方向に押し返されて、馬車に詰め込まれた。

 極力速くと考えたのか、御者もウォルテールが兼任。四人乗りの小型馬車なのに、二頭立て。


「これをお持ちください」


 更に、急使の証書を渡された。

 全力で飛ばし、馬は変えろ。費用は惜しむな。という無言の圧力。


「…………ありがとう」


 その言葉以外が無く、感謝しかなかった。シザーも馬車に乗り込み、出発となった。



 ◆



 通常ならば、十日の距離。

 交易路を急使として、夜も交代で馬車を走らせ、進めるだけ進んだ結果、七日目の朝方、アヴァロンの門を叩いた。

 駆け込んだ俺に、ナジェスタの診察を受けていたサヤが慌ててはだけた衣服を整える仕草をし、どこが悪いんだと詰め寄った俺に視線を彷徨わせる。

 潤んだ瞳を困ったように伏せるから、正直絶望した。それほどの病を患っていたなんて、気付きもしなかった自分を呪い殺そうかと思った。


「大丈夫だ。絶対に大丈夫。治るさ、例えどんな薬だって手に入れる!」


 必死でそう言って抱きしめる。

 抱え上げて寝台まで運ぼうとしたら、やめてくださいっ、恥ずかしいっ! と、暴れるものだから、巫山戯るなと怒った。


「安静にしてなさい!」


 けれどそこで、困ったように割って入ったのはナジェスタの声。


「……あ、レイ様あのね? そこまでしなくて大丈夫なの。そこまでじゃ、ないから……」


 昨年誕生日の祝いに贈った小ぶりな耳飾りが、真っ赤になった耳たぶを飾っている。

 何だ、俺の早とちりか……。不治の病かなにかではないようで、それにはホッと、胸を撫で下ろしたが。


「でも……」

「うん。無理しちゃいけないのはその通りよ。特にこの時期は。鍛錬も控えてくれないと駄目。

 食欲無いと思うけど、まだ取れるもの取ってりゃ大丈夫だから、そんなに不安にならなくて良いからね?」


 言い聞かせるようにナジェスタが言い、腕の中のサヤがこくこくと頷く。

 そしてその様子ににっこり笑ったナジェスタは……今度は俺に怖い顔を向けた。むしろお前が自重しろよ。という、圧。


「良い? 当面、仲良し禁止!」


 …………は?


「病人にそんな無茶するはずないだろうが⁉︎」


 俺を何だと思ってる⁉︎


 しかし俺のその反論に、ナジェスタどころか周りの皆まで溜息を吐いた。


「いや……そうじゃなくてね。ちょっと長い禁欲生活になるから、大丈夫かなと思って。

 レイ様三年我慢できた人だから、そこはほら、信用したいんだけど……したいんだけどねぇ……」


 ここのところが信用ならんと言いたいのかっ!


「お腹に影響あるといけないから、とりあえず、最低ふた月は我慢しようか。その後は様子見しつつだから、とりあえずそこまでね」


 ……なんか、どうも状況が見えてないのが俺だけって雰囲気なんだけど……。


 困惑した俺の表情に、サヤが困ったように眉を寄せる。

 どう切り出したものかといった、けれと、サヤの思考も定まらない様子。まだ、信じて良いものかと、疑っているような……?

 すると、黙って部屋の隅に待機していたハインが、埒が明かないと思ったのだろう。


()()()()が訪れました」


 遠慮を捨てた。



 ………………………………え?

長らくご来読下さいましてありがとうございました。

これにて 多難領主と椿の精 閉幕とさせていただきます。

書ききれなかった部分も多くあるのですが、そこはまた外伝として、ちまちま書かせていただこうかと思います。

特に最終話、ちろっとしか触れてない色々とか、触れられなかったこととかもね。うん。

三年と四ヶ月、四百万字越え。何でこんなことになった……。でもちゃんと終わった。良かった。ていうか、今更終わりたくない気持ちも湧いて来ますが、彼らの幸せのお裾分け(外伝)で、またお会いできたらと思います。

あ、リクエストは今後もどうぞ。要望多いようなら早めに頑張る努力はしますので。


とはいえ、来月からは、また別のお話を用意していこうと思うので、よかったら覗いて頂ければ幸いです。


追記:外伝はこちらです

https://ncode.syosetu.com/n1439gy/

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― 新着の感想 ―
[良い点] 祝・完結。本編は完結しましたが、まだまだ語られてないことがありますので、後日談が楽しみです。 [気になる点] ハイン、まさかの結婚。相手は本編での描写考えるとロレンでしょうか? リヴィ…
[良い点] 最後まで鈍感だったなあ、レイ。しょうがないなあw 我慢できなさそう。年子生まれそう。がんばれサヤ!疲れてるときは拒否するんだ! アレクとのことはしょうがないんだけど、それ以外は幸せに終わ…
[良い点] まずはお疲れ様でした。大団円で終わってよかったよかった。最終回の感想は長々とせずスッキリ終わらせたく思うので長文は避けます。 レイは、イイやつなのは十二分に分かるんですが、正直受け入れが…
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