毒
「サヤを守るのは、初めから決まってることだよ」
そう答えた俺に、真剣な顔でギルは言った。
「本心……そう思ってんなら、な。離れるべきじゃ、ねぇと思うぞ」
「……? いや、無理だよ。俺の傍が一番危険なんだって、分かってるだろ?」
なぜギルがそんなことを言うのか、意味が分からなかった。
そもそも、サヤを男装させるなって言ったのはギルだ。性別を隠す為に厚着をせざるをえないサヤだから、夏の暑さの中で、従者の仕事をこなしていくのは無理だと、そう言ったのだ。
過酷な労働環境に加え、異母様や兄上という、取り払えない危険と隣り合わせ。
サヤを連れ帰るなんて、論外じゃないか。
そう思ったのだが、ギルの意見は違うようだ。
「言ったよな。サヤを守れるのは、お前だけだって。
俺も、お前が心配してる通りだと思うよ。サヤが心底辛いときに、お前、離れてて良いのか?
あいつが苦しかったり、怖かったりしてんのをさ、知らないままでいて、良いのかよ?
本当に大切なら、お前がサヤをきちんと見ておくべきだと思う。お前の手が届く場所に、居させるべきだ」
静かな声音で、真剣な顔で、そんな風に言われ、俺は言葉に詰まった。
たった独りの孤独……。
幼かった頃に感じた、あのなんともいえない、居心地の悪さを思い出す。
必要とされていない、望まれていない。なのに、そこに在るしかない……。
父上に自分から近寄ることは許されておらず、そうすると必然的に、父上と共にある母からも遠離るしかなかった……。
けれど、幼い子供に孤独は耐え難く、異母様に、兄上に縋るしかなくて、独りでなくなる代償に、持つこと、得ることを更に禁じられた。それを血肉に刻み込む為に……っ。
つい、引き摺られそうになった記憶に急いで蓋をした。
一気に膨らむ恐怖の渦に飲み込まれないよう、頭をギルの話に集中させる。
「サヤ、怒ったよな。無かったことにされたくないって。
あれはさ……お前を失くしたくないっていう、あいつの本音だろ。
お前がそれに応えないでどうするよ? 男は女守ってなんぼだろうが」
そうだよ。守らなきゃいけないんだ。サヤをあんな風にしたくないんだ。だから……。
「守る為に、離れるんだろ。
俺だって、俺自身でサヤを守れたらと思うけど、俺自身が害なんだから……」
過去にも、恐怖にも抗えない、役立たず……。
俺が持ってしまったから、失くなった。愛おしいと思ってしまったから、選別された。そして俺はそれに抗えず、羽根を散らし、骨を砕いて、動かなくなる……。
灰色の外套が視界の端をちらついた気がした。
反射的に身を硬くした俺の肩が掴まれ、顔を上げると、酷く険しい顔をしたギルが執務机の向かいで、俺を睨みつけていて、怯んでしまった俺に、イラついた声音で言うのだ。
「あのなぁ! お前、いつまでそうやって、何もしないでいようとすんだよ⁉︎
誰がお前を役立たずにしてんだよ⁉︎ お前自身だろうが‼︎」
ギルは感情表現が大袈裟なタチだ。すぐに抱きつくし、撫で回すし、笑うし怒る。
だけど何やら憔悴したような、疲れたような声音で、吐き出すように声を荒げるのを見たのは、久しぶりだった。
随分と見てなかった……ギルが、脆さを見せるところ……。
「何もやってねぇのに、役立たずって決めてんのは、お前自身だろうが!
だんだん腹が立ってきたぞ、俺は! お前がいつまでもそうやって、お前自身を貶めてるから、俺はずっと、苦しいままだ‼︎
一番苦しいのはお前だって分かってるから、ずっと堪えてきたけどな……こっちだっていい加減、限界だっつーの!
俺はな、知ってんだよ! 十二年お前見てきてんだよ!
お前はずっとそうやって、お前自身から目を逸らしてるから、俺の方がお前をよほど知ってんだよ‼︎」
呆気にとられた俺の胸ぐらを掴んで引き上げる。
ガタンと椅子の倒れる音がして、執務机越しに首を締め上げられて息が詰まった。
「ちょっ……はな、せっ、て……」
「離すか。お前、もうガキじゃねぇだろ。
何も出来ないふりしてんじゃねぇよ! いい加減自分を見ろよ‼︎
過去がお前の足枷なのは知ってるよ。それが俺の想像よりよっぽど過酷だったってことも、薄々分かってるよ。
けどお前、それが今のお前に何か関係あるか。今動かねぇ理由になんのかよ?
惚れた女より、自分の過去抱えとく方が大切かよ?
守りたいって口先だけで言ってんなよ! 手の届かない場所にやって、どうやって守るってんだ!」
息が、マジで止まった。
惚れた女って……ちょっ、ちょっとまって⁉︎ なんで知ってる⁇
まさかギルに知られているとは思っていなくて、俺は狼狽えた。や、そ、そりゃ、あれだけどな……。サヤにはカナくんって想い人がいるわけでだな、俺なんかおよびじゃないんだよ。
「か、関係ないだろ! サヤは戻るんだよ。サヤの世界に。家族だって、想う人だって待ってるんだよ。俺がどうこうは、関係ない!」
「サヤを帰すかどうかも、サヤが誰を好きかも関係ねぇよ。
俺が聞いてんのはお前の覚悟だろ。お前、まだガキのつもりでいんのかよって、聞いてんだろ!
大切だってんならな、目ぇ離してんじゃねぇょ。
お前から離せば安全だ? そんな訳あるか! サヤは自分で、危険にだって突っ込むからな。
お前の見てねぇところで、お前の為に、無茶するぞ。
お前、それを、見えてねぇから知らねぇよって、言えんのか?
後悔したくないなら離れるべきじゃねぇんだ。そもそもあいつはな、お前に守って貰おうなんざ、考えてねぇ。あいつが考えてんのは、どうやってお前の役に立つかだけだぞ?
その為に俺に、刃物相手の鍛錬させろって言うほどなんだからな‼︎」
刃物………⁉︎
「ちょっ、待って、どういうこと⁉︎ なんで刃物相手の鍛錬⁇」
前後のやりとり全部が頭から吹っ飛んだ。
真剣を相手に戦う鍛錬って何⁉︎ なんでそんな危険な鍛錬を⁉︎ そりゃ、いざという時はお願いするよって言ったけど、あれは建前みたいなもんで、サヤを矢面に出そうなんてこれっぽっちも…! そもそも、いざなんて時は、無いの前提だろ!
「なんでそんな話が出てるの⁉︎ 俺はそんなの許してないよ!」
「知らねぇよっ! お前がどう思ってようがサヤは勝手にやるって話だろ。
サヤをここに置いていくってなら、更に関係ないよな!」
突き離されて、うっと詰まる。
関係ない……な、なくないよ! サヤを守るのは俺の責任だ。怪我するような、そんな鍛錬認められない!
サヤに、確認しなければ……そんな危険なことは止めるよう、言わなければ……。
襟首を掴むギルの手を無理やり引き剥がして、サヤの所へ向かおうとしたら、マルとハインが戻ってきた。部屋に入るなり、マルがニマニマと笑いつつ、俺に話し掛けてくる。
「あ、レイ様見てくださいこれ。なんて書いてあると思います?」
馬克思。と、書かれているわけだが、俺にはそれがサヤの国の文字であることしか分からない。
しかも今それどころじゃない。
「分かるわけないだろ。それよりサヤのところにいたのか? 今サヤはどこ⁉︎」
マルに詰め寄ると、かわりにハインが教えてくれた。
「サヤならルーシーの着せ替え人形ですよ。
明後日には戻ると伝えましたら、サヤと買い物もお茶もしてないと怒り出しましてね……。
しばらく時間があるので、ルーシーに付き合っておくよう伝えてきました」
「これ、マルクスって書いてあるんですよぅ。
サヤの国のカタカナは憶えたので、漢字を教えてほしいってお願いしたら、これを教えてくれたんです。サヤは太っ腹ですよねぇ」
俺の焦りなんて意に介さず、二人がそんな風にのほほんとしている。
ギルもこちらにやってきて、先ほどまでの会話など無かったかのように、マルの持つ紙を手に取り眺めた。
「へえ……マルクスって……四文字なのに三文字で書くのか……。どれがどの文字なんだ……」
「馬克っていうのが、『マルク』だそうですよ。けどね、この文字の読みと意味、全然違うのが面白いんですよ。
『馬』って、馬のことだそうで、『克』っていうのがまた複雑で、勝つとか、統治するとか、そんな意味があるそうですよ。『思』は思う、考える。
基本的に、し、と読むのに何故、す、と読ませるのか不思議だったんですけれど、サヤの世界にかつてマルクスという名の方がいらっしゃったそうで、その方が馬克思と書いたからということでした。
因みに、マルクスと読むだけなら、他にも山ほど当て字ができるそうです。
ただ、サヤの国では、人の名前には意味を持たせるそうで……その場合だと僕の名前はこれではなく、『巻来守』としたいそうです。書物を集め守る。という意味なんですって。凄いですよねぇ」
「へぇ……凄ぇ。なんかご大層だな。書物を集め守る……確かに、お前っぽい」
「でしょぉ! 因みにサヤの名前の意味も聞きましたよ。小夜と書くそうで、本来は『さよ』と、読ませるそうなんですけれど、サヤの祖母が『さや』と読むと決めたらしいんですよ。
小夜は、貴き夜という意味だそうで、なんだかサヤくんらしいなあって思ったんですけどね」
「貴き……夜? なんで夜?」
「夜半に産まれたそうです。難産だったとか。あと、鞘の意味も含めたかったのだそうですよ。争いを収めるような、優しい子に育つようにと」
「二文字でどれだけ意味があんだよ……」
呆れ気味にギルが言うが、俺はサヤの名前の由来に心を揺さぶられた。
小夜……貴き夜。サヤの美しく艶やかな黒髪は、名前そのものだ。優しい気質も、誰かを守ろうとする姿勢も、名の由来通りだと思ったのだ。
「名をつけるのは、親から子への最初の贈り物なんだそうですよ。
何千何万とある文字の中から、その子にふさわしい文字を選び組み合わせ名にするのだそうです。高度な文明の国ならではだと感心したんですよぅ。我々にとって名は分類のための記号ですが、サヤの国では違うのですねぇ。
あ、しかも画数制限があるらしく、名に使う漢字を……」
つい、そのままマルの話に聞き入ってしまい、サヤの元に行く機会を逃してしまった。
ギルは途中で退室した。先ほどの話を蒸し返すつもりはない様で、そのまま仕事してくると言い置いて、部屋を後にしてしたのだ。なんとなく、俺を避けて立ち去った様にも思え、少々気分が悪い。
とはいえ、サヤだ……。
ルーシーと二人でいるという話だし……邪魔をするのは気がひける……。
そのうち、帰ってくるだろうと、しばし保留にすることにした。
それに……ギルに言われたことが、結構ぐさりと胸に刺さっていたのだ。
何も知らないくせに……と、心の奥底で、罵る俺がいる……。
しかし、言っていないのだから知るはずもないと、分かっている。
何もやってねぇのに、役立たずって決めてんのは、お前自身だろうが。
そうだよ。
だけど、そうしなければならなかった。
俺が何かをしてはいけなかったんだ。
まだ理解できていないのかと。何も望んではいけない、持ってはいけないと言い聞かせているのに、まだ分からないのかと。言葉で通じないならと。分からせるために、しかたなくだと。俺が一度できちんと理解できない悪い子だから、仕方がないからと……お前のせいなのだと…………そうして、分かるまで、分からされたのだ。
お前がいつまでもそうやって、お前自身を貶めてるから、俺はずっと、苦しいままだ‼︎
貶めてるんじゃないよ……俺は俺が不甲斐ないのをよく知ってる。一番よく分かってるんだよ。
俺は役立たずで、惰弱で、卑屈な、どうしようもないやつなんだよ……。
望まれていない、求められていない、ただ在って、言われるがままをすることを求められていたのに、そうすることが出来ず、沢山のものを犠牲にした。愚鈍で暗愚な痴れ者だ。
なのに……。
出会った頃から、ギルは俺をたくさん構って、たくさん褒めて、まるで真っ当な一人の人間の様に扱ってくれた。言われたことを言われてままにしかしない、聞かれたままのことを聞かれた通りにしか答えない。もう殆ど人形でしかなかった俺を、人に戻してくれたのは、間違いなくギルだ。
ギルがそう望んだから、求めたから、俺はそうなった。
言われるままに、望まれるままに。その様に躾けられたから、その通りにした。
あの時の俺には、それが異母様の望むものであるかどうかなんて、判断できなかった。
ただ求められたから、従った。
だから、これはギルを責められない。ギルは俺に求められていたものを知らなかった。そして俺は、結局人に戻るまで、俺に求められていたものに気付けなかったのだ。
ギルが俺に望んだことは、異母様が俺に求めたことと真反対だった。
ちゃんと人形をやっていれば、誰も不幸にせずに済んだのかもしれない……。
けど俺は……人形のままじゃなくて、良かったと思ってる。学舎で過ごしたあの年月が、あって良かったと思ってる。
出会い、過ごしてくれたのがギルでなかったら、俺はきっと、こんなじゃなかった……。
あの時間がなければ、俺はとっくに壊れていた。きっとそうなってた。
ギルが……俺を作ったんだ。感謝してもしきれない……。ギルのおかげで今の俺がある。
だけど、そんなギルの言葉でも従えない。怖い。どうしても怖いんだよ。
俺は異母様の求めるものを得なかった……。だから異母様は、きっとまた、俺を責めるその口実を、探している。
「望んだら……駄目なんだよ……」
そうしたら、また壊される。羽根をむしられ、骨を砕かれ、儚くなってしまうんだ……。
学舎には異母様も、兄上も居なかったから、俺は自由にしていられた。だけど、ここはセイバーンなんだ……。俺はギルを壊したくないんだよ。ハインも、サヤも、壊したくないんだよ。あの人みたいに、したくないんだよ!
二年前は、アギー公爵様のお力添えがあった。だから二人を失くさずに済んだ。
だけどな、もうそんな幸運は望めない……。サヤは、無防備なんだ。
しかも俺は、今回異母様に逆らう。
領民を守るのは領主一族の務め……父上のやるべきことを俺が代行しているのだから、これは正しい行動のはずだ。
だけど、異母様は理屈や務めなど気にされない。あの方は正しくセイバーンに身を捧げてはいない。あくまでジェスルの方なのだ。だからきっと、俺を叱責する。躾けようとする。その時にサヤがいたら、あの人みたいに……!
「レイシール様?」
名を呼ばれて、ハッと我に帰ると、目の前にサヤがいた。
あ……そうだった……。
夕食を終えて、お茶の時間だったのに、また頭が引きずられてしまったのだ。
ギルとハインは素知らぬ顔だ。あえて見ないでいてくれてるのだと思う。マルは元から気にするたちじゃないし、必然的にサヤが、余計俺を心配する構図になっている気がする。眉の下がったサヤが、お疲れですか? と心配そうに聞いてくる。
「大丈夫。なんでもないから」
笑ってそう答えて、サヤの質問をはぐらかす。追求されても答えられない……。話を逸らすにかぎると思ったのだ。
そう、俺は異母様に逆らうのだ。叱責は逃れられない。
ハインは、アギー公爵様のお力添えがあるから、今更切って捨てられたりはしないだろう。マルは大丈夫だ。情報操作は得意なんだから、尻尾を握られるようなヘマはしない。現場の総指揮はマルだが、実際の責任者は俺なのだし、何よりメバックの商業会館に努める一介の使用人だ。実は俺に仕えているなんて俺すら知らなかったわけだし、マルに累は及ばせないで済むだろう。
ギルも俺の使用人じゃないから、手は出せない。何より、アギーとの繋がりが彼を守ってくれる。
けれどそうなると、やはりサヤなのだ。最も手が出しやすい。狙われるのはサヤだ。
だから連れ帰れない……サヤに落ち度が無くとも、叱責を捏造するくらい容易い事だろうから。
考えれば考えるほど、どうしようもない結果しか見えてこない……。
「……なんでもない感じじゃないです」
ボソリと、何か怒気を含んだ声で言われ、慌てて顔を上げると、サヤが腕を組んで俺を見下ろしていた。
あ……なんか、怒ってる……。
「えっ、いや……た、たいしたことじゃ……」
「たいしたことじゃないなら、レイシール様はもう少し人目を憚ります」
「あ、サヤくん正解。人目も憚らず考え込んでるのは追い詰められてる時のレイ様だねぇ」
サヤと、何故かマルにそんな風に指摘され、言葉に詰まる。
マルは相変わらずのヘラヘラ顔だが、その答えを聞いたサヤの顔が、一層剣呑になった。
半眼で、頬が心なしか膨らんでいる……。助けを求めて部屋を見渡すが、ギルは知るかと視線を逸らし、ハインは甘んじて受けてくださいとばかりに無視を決め込みやがった。ワドはニコニコと見守っていて、ルーシーは居ない。
観念して……一人サヤに向き直る。
「今後の身の振り方を考えてたんだよ。
明日、発注諸々を済ませる予定だけどね、資材や人員の移送の手続きが必要だ。
セイバーンでも、受け取り側の体制を整えなきゃならない。だから、俺、マルは早々にセイバーンに戻る必要がある。で、そうなるとハインは俺についてくるんだろうし……ここの手続きは、サヤにお願いするしかないかなって、思ってたんだ」
嘘ではない。今までなら、人手不足でギルにお願いするしかなかったことだ。けれど、ギルは俺の使用人ではないし、バート商会にはバート商会の仕事がある。本来は頼むべきでないのだ。
「すべて移送するまで一週間ほど掛かると思う。それが終わって……異母様がたが、父上の所に出立したら、サヤも帰還したらいい。お願いできるかな」
そう。そして、異母様がいない間に、サヤを説得する。従者を辞め、メバックで新しい生活を考えてもらう。もうそろそろ、こちらの世界のことにも馴染んだはず。そしてメバックならギルもいる。
俺の考えを見透かしたように、ギルの表情も剣呑になる。だがギルが何かを言う前に「嫌です」と、サヤがきっぱり拒否をした。
「……サヤ……。これは、重要な役目なんだ。受けてもらえないと、困る」
「嫌です。それ、建前ですよね。なんだか似たようなことを、先日体験した覚えがあるので、承知できかねます」
にっこりと微笑みを浮かべるサヤ。だが、立ち昇る怒気が尋常じゃない……。前屈みに俺に顔を近付けて、ボソリと小声で言った。
「望んだら駄目なんだの、理由を教えて頂けないと、納得できません」
血の気が引いた。
え……? まさか俺、口に出してた?
サヤの顔を見上げるも、答えは教えてくれそうにない。ますます口角を吊り上げて、笑いながら怒るという顔を、凶悪にしていく。
ギルとハインが明らかに青くなっているのが分かる。サヤの威圧だ。この子はほんと、自分がどれほど強いか自覚してないのが不思議でならない。たかだか二段。十段あるうちの二段階目だと言っていたが……じゃあ、カナくんは、サヤの師匠はいったいどれ程なのか、考えると恐ろしい。
そして、それと同じくらい、じわじわと広がるようなこれはなんだ……。笑いながら、怒っているのに、やっぱり違うのだ。なんでそんな、悲しそうなんだよ……。
「言えないなら従いません。私は私で勝手にします」
「サヤ……聞き分けてくれないか。でないと、村のみんなが困るんだ」
「聞き分けてくれないか? こちらが聞き分けてほしいです。私は、この前も嫌だって言いました。レイシール様が私をここに残していくのを諦めてください」
「あはは、そうそう。レイ様はそんなとこあるよねぇ。
何でもかんでも自分でなんとかしようとして、やたら背負い込むんだ。で、結局、相手を怒らせて裏目に出るんですよねぇ」
マルの茶々がいちいち心臓に刺さる。
なんなんだよもう……なんでそんな、サヤを援護射撃してるみたいに口を挟むんだ⁉︎
俺が睨み付けると、ケロっとした顔で「あ、漢字分の代金払ってるんです」と宣った。
そういうこと⁉︎ なんかいいように使われてないかお前⁉︎
けれど、俺よりサヤが優先されるようだ。お前の上司は俺じゃないのかと言いたい。
しかし睨む俺に、マルはとても楽しそうに笑った。
「あのですね、レイ様が、間違ってらっしゃいます。
そろそろ学習して頂かないと困るんですよね。
今迄は、ハインしかレイ様のお傍に居なかったんですから、選択肢が限られるのは致し方ありませんでした。ですが状況は変わりましたよ? 何より貴方は、ジェスルの魔女に刃向かう行動を取ると決めた」
急に話の矛先を変えたマルが、にまぁと、笑った顔のまま、抑揚のない喋り方になった。
こ、怖いぞそれ……いっつも無表情だったのに、なんで今笑顔……。まさか、頭の中の図書館に入った時の顔で固まるのか?
「刃向かうからには、最低限を守るだけで良い筈がありません。逆ですよ。最大の利益を得るべきです。そしてその為には、打てる手は全て使うべきなんですよ。
幸い、貴方には僕がつきます。戦術面はお任せ下さい。全部先手を取ってやりますよ。もう準備は済ませましたから。
そしてサヤくんがいます。これはほんと素晴らしい戦力ですよ。一個小隊抱えるより有意義かもしれませんね。とはいえ、使える肉体が一体なのが少々痛いですけど」
戦力的には高いんですけど、一度に一つのことしか出来ないですからねぇ。と、マルが愚痴る。それに慌ててしまう。その言い方はまるで、サヤを戦いの矢面に立たせると言っているように聞こえたのだ。
「マル! 余計なことはするな! 異母様は……っ!」
「あ、承知してますよぅ。魔女に刃向かうと怖いですよねぇ。
でもレイ様が刃向かうと決めたんですよ? もう怒らせるの確定なんです。
けれど、あえて殴られてやる必要なんてありました? 無いですよね? 僕も嫌です。怖いので。
ですからね? ここはもう腹を括るしかないんですよ。幸い、ハインもギルもとっくの昔に覚悟は固まってますし、サヤくんもやる気なので、残りはレイ様だけなんです」
言われていることの意味が分からない。何が固まってて、何が俺だけなのか。
「まだ頭が逃げてますね。
僕らが取りに行くのは、レイ様の存在価値ですよ。
貴方の立ち位置を、フェルドナレンの中に作るんです。魔女や兄上に良い様にされるのはもうお終いにしましょうって言ってるんですよ」
さも当然のことを言うように、マルは笑顔の張り付いた顔で、俺にそう宣言した。
物凄い、難産でした…。木曜日まで書き直しの日々。何万文字捨てたか……。
もう一話、書き込みたいのですけれど、まだもうちょっと仕上がってません。
今日中になんとか、したい…です。少々お待ちください。