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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十九章
507/515

見えているもの

 雪を蹴散らして、狼たちが疾走する。

 たった四騎で逃げる俺たちを、狼を多く含む一団が追ってきていた。

 雪山をどうやって超えて来たのかと思っていたが、あちらもやはり橇を取り入れていたようだ。

 狼に引かせた橇を、狼の主と思しき者らが操っているのが見える。


 無償開示をしたのだから、それも当然か……。


 けれど、橇を最も上手く扱えるのは、お前たちじゃなく、俺たちだと自負しているんだ。

 知り尽くしている俺たちに、同じ道具で勝てると思うなよ。


 内心でそんなことを考え気を紛らわせつつ、とにかく身を低くして、ウォルテールの背に身体を添わせた。

 そうすると、重心が安定してウォルテールも走りやすくなるのだ。

 右腕は毛皮の外套に隠したまま。極力相手を油断させておきたかったのと、矢避け、そして体温維持のために、外套を外すのはまだ暫く後にしたい。


「ウォルテール……木々の間を縫うように走れるか。あちらの橇はそれで機動性を殺せる」


 紐を加えたままは喋りにくかったが、耳が近いからなんとか伝わったよう。ウォルテールの耳がピクピクと動き、顔もチラリとこちらを向く。

 俺が片手だから、変則的な動きに身体がついてゆかず、振り落とされるかもしれないと考えたのだろう。


「……大丈夫。今ならまだ掴まってられるから、今のうちに……」


 あちらの取れる行動を減らしておこう。


 急に方向を変え、木々の間に身を躍らせたウォルテールの横を、矢が掠めていった。やはり狙ってきたか。

 姉妹とシザーも同じく木々の間に身を滑り込ませ、橇から多少距離を稼ぐことができた。

 しかし、今度は追うように指示を受けたであろう狼が、こちらに向かい放たれたよう。人を乗せてない分速い。みるみる距離を縮めてきた。


 良いぞ、釣れた。


 単身の狼はできるだけ減らしておきたかった。

 匂いに敏感な者は少ない方が良い。


 姉妹が動いた。

 短めの小剣を抜き、一気に狼に肉薄。両側から挟み込むようにして一頭を仕留める。

 またパッと離れ、器用に木々を避けながら次の狼へと向かっていく。

 木々に囲まれたこの状況では、シザーの大剣は振り回せない。そこを察して動いてくれたよう。


 俺も近くにきた狼に胸の小刀を放った。

 揺られていても、この至近距離なら外さない。ウォルテールも重心の移動で俺の意図を汲み取り、変則的な動きは控え、まっすぐ進んでくれた。


 そうやって単身の狼を合わせて十頭近く屠ったが、そこで木々が途切れてしまった。ここは雪崩でもあったのか、木がまばらなのだ。

 頭の中で、マルと飽きるほどに眺めた地形図を思い起こす。隠れるものがないここが、一番の難所。

 距離は大分稼げた。もう少し……。


「アッ」


 そこで姉妹の片割れから、悲鳴に近い声。

 慌てて思考を切り離し、視線を巡らせると、放たれたであろう矢が、狼の太腿に突き立っていた。

 必死で走っているが、当然擦り傷ではない。ガクンと速度が落ちる。

 狼から飛び降りた彼女は、狼の傷を確認し、そのまま来た方向を振り返り、向かってくる一軍を見て……。


「行ってください!」


 そう言われた。


 シザーが焦った表情を俺に向ける。


「……っ、逃げろ! 身を隠せっ、生きろ!」


 そう叫び返すのがやっと。

 ここで追いつかれ囲まれれば、今まで捧げられた命も、時間も、未来もが犠牲になる。

 それが分かるから、止まれない……けれど、死なせたくない。


「ご武運を!」


 明るく、朗らかな声。そして遠吠え。

 手を振る姿がちらりと視界の端を掠め、その向こうに蠢く一団も見えていた。


「行きましょう」


 姉妹の片割れが敢えてそう口にし、率先して速度を上げる。


 ……とにかく、ここを抜けなくては。隠れる場所が無いここにいても、犠牲を増やすだけだ。


 振り返れない。

 振り返ったら駄目だ。


 そう自分に念じて、必死に身を伏せ、ウォルテールの脚に任せた。

 矢を射掛けられるくらいの距離にいたはずの一団が、少し遅れたようだ。

 こんな、妨げの無い場所で……。


 生きろと、言ったけれど。

 あぁ。彼女らは、命を燃やす方を選んだのか…………。



 ◆



 雪がちらつき始めていた。

 禿げた山肌を抜け、必死で進むうちに、また木々がちらほらと立つようになり、難所は抜けたのだと知らせてくれた。

 けれど当然、俺たちを追う影はまだ背後にある。


 距離は縮まっていた。目的の場所も近付いていたけれど。

 三騎となってから、相手はより勢い付いたようだった。

 初めは援軍なり、伏兵を警戒していたのだろう。

 しかし、一人を置き去りにし、必死で逃げるしかできない俺たちに、それ以上はできないのだという結論を導き出したようだ。

 もう、相手の狙いは俺だけだろう。俺の首さえ刈り取れば終わる。だから二人をどこかで離脱させることができれば、死なせずに済む。

 しかし……。


 こうも近いと、二人を離脱させるのも難しい……。


 少しでも離れれば、単騎になった途端に狙い撃ちされてしまうだろう。

 また死なせてしまう。それは嫌だ。だけどこのままだと、追いついてくるのではないか……。

 一人を失った焦りが、胸を締め付けていた。


 まだか。なんでこんなに遠い場所にしてしまったんだ……! オブシズたちは無事か? 百人程度釣ったところで、あそこにはまだ八百からの兵力がのこっているのに……っ。


 嫌だ、嫌だ、死にたくないし、死なせたくない! だけどこれが最良であるはずだ。ここを乗り切れば、脳を潰せば勝機はある。違う、脳を潰すしか、俺たちに生き残る道は無いんだ!

 必死で自分に言い聞かせ、とにかく距離を稼ぐのだと念じていたけれど……。


「主っ!」


 その声にハッと顔を上げた。途端にウォルテールが進む角度を変えたため、グンと身体が引っ張られる。

 慌てて腕に力を込めた。すると頬のすれすれを風が薙ぐ。


 嘘だろ……追いつかれっ⁉︎


 違う。回り込まれていたんだ!

 俺たちが進むであろう方向を見定め、迂回して回り込むよう指示されていた者がいたのだ。

 騎狼したその相手に視線を向けると、二名と二頭。狼は首に革の首輪を巻かれており、馬に使うような馬銜(はみ)を咥えさせられていた。

 手綱は首輪に短いものがついている。引けば首を締め上げるだろうに……でもそんなことは、お構いなしという雰囲気。

 咄嗟に視線を向けた狼は、瞳に思考が無かった……。首を締め上げられる恐怖と苦痛を回避することだけを考え、無心で指示に従っているのだ……。


 獣だ……。

 正しく、獣の扱いを受けている。


 それを見て、気力を奮い起こした。

 心を折っては駄目だ。こんな風にすることを、当然とする相手に屈しては。


 近いなら、応戦すれば済む話。


 とはいえ、叫んだ時、咥えていた外套の紐を口から離してしまっていたから、自分からこれを外す手段を捨ててしまっていた。

 距離もまだある。今外套を捨てて、目的の場所に到達するまで、寒さに身体が耐えられるだろうか?


 ……そんなこと考えている余裕が、まだあると思っているのか?


 今を乗り切るしか、先は無いのに。


「主っ、こちらへ!」


 残った姉妹の片割れが、無理矢理方向を変えてこちらに迫ってきた。

 俺を守るため、間に身を割り込ませる。

 そこからは剣の応酬。巧みに間合いを調整して剣を叩きつけ、二騎を相手に奮闘。

 騎狼慣れしていない様子の追手は、跨る狼が泡を吹いていることに気付いていない。

 そして彼女が狙っていたのも狼の疲労であったよう。

 騎手に集中させていた攻撃を、次の瞬間狼に切り替え、胴体の側面を長く浅く斬り裂いた。

 朦朧としていたであろう狼は、その攻撃で転倒、騎手を振り飛ばし、自らも混乱した様子で何処かへ走り去った。飛ばされた騎手は、後方から迫ってきた仲間に踏み荒らされ、消えていく……。


 その、様子に視線を向けていた俺は……。


 追手の中にあった顔に、その時ようやっと気付いていた。


「主!」


 その声に視線を戻し、すまないとおざなりな詫びを口にする。

 もう一騎と切り結んでいた彼女は、そのもう一人の喉首を掻き切り、こちらも撃退した。

 絶命した騎手が手綱を手放さなかったため、死体を引き摺る羽目になった狼はそのまま木に激突し、動かなくなる……。


 そうして体勢を立て直し、俺たちはまた、前を向いた。


 俺の顔を知っていて当然だな……。


 焦りが冷めていた。

 まさかこんなところでまた、相見えるとは思っていなかった。ずっと、役職名でしか意識してこなかったが、そもそも名乗っていたのはきっと偽名だったろう。けれど、かつては言葉を交わすことも、度々あった相手だ。

 ジェスルの者としてあの場にいたけれど、やはり神殿関係者だったのだな……。ジェスルを探して見つからなかった理由も、マルをだし抜けた理由も分かった気がする。

 彼は当時から手練れだった。その上で神殿関係者だったから、マルと吠狼の包囲から逃れることができたのだろう。


 ハイン……。思っていた以上に俺は、元からお前の傍に、居たみたいだぞ……。


 俺たちの運命は、お前の想いなど関係なしに、ずっと深く絡まっていたみたいだ。

 まさかお前の古巣が、こうも深く関わっていたなんて、お互い、気付かなかったな……。

 そしてあの男も、それに気付いていなかったのだろうと思う。気付いていれば、ハイン(おまえ)を使えただろうから……。


 今更それが分かったところでどうしようもなかったけれど、この戦いを絶対に負けられない理由が、またひとつ増えた。

 だから勝ちを得るために、冷静になれ。目的の場所まで、あともう少し。


 木々が増えてきて、左右に振られることが多くなった。橇が減速し、少し距離が開く。しかしまた、俺もギリギリだった。

 右手を失った療養のために落としてしまった体力も、戻りきっていなかったし、この緊張状態だ。自分で意識しないまま、疾うに限界を迎えていたのだと思う。

 速度を落とさず木を避けたウォルテールの動きは今まで通りだったはずなのに、俺は一瞬、身体を浮かせてしまった。

 慌てて掴まり直したけれど、時既に遅く、ずり落ちた身体を片手で支え直すことはできなかった。

 それをウォルテールも、重心の移動で咄嗟に察知したのだろう。

 無理矢理速度を落とし、そのせいで二人して、雪の中を転がった。木々に激突しなかったのは、せめてもの幸運。


「レイ様!」


 シザーの声。


 急いで身を起こすが、その前にシザーの腕が伸びた。

 無理やり俺の左腕を掴み引っ張る。その勢いで身体の位置を入れ替えられて、大剣が、俺に振るわれたであろう小剣を弾く金属音が鳴った。

 急ぎ戻った姉妹の片割れが、膝をついたままだった俺を引き起こしてくれる。


「主、お怪我は⁉︎」

「ない」


 無いと思う。

 状況を確認しようと視線を巡らせた俺の耳にまた……。


「レイ様行って!」


 剣戟の音と、シザーの叫び。


 今度は……お前が道を塞ぐのか? 身を呈して?


 懐に左手を突っ込み、引き抜いた小刀をシザーと切り結ぶ者の頸動脈に放ち、突き立てた。衝撃で動きを止めた追手をシザーが押し退け、蹴り倒す。

 一人突出していたその人物は、橇が立ち入れない場所に逃げ込んだ俺たちを追ってきていた、最後の騎狼者。


「こんな場所じゃ、お前はその剣を振れないだろ」


 木々が邪魔をして、大剣は役に立たない。文字通りの肉壁にしかなれない。

 そんなのはごめんだ……。


「行くぞ……」


 あと少しなんだ……。

 そう言い足を踏み出そうとして、がくりと膝が崩れた。

 歩くのもままならないくらい、太腿が笑っている……。


「……ウォルテール、背を貸してくれ……」


 起き上がり、やって来たウォルテールの背に捕まって、なんとか身体を支えて立った。

 けれどそうしている間に、橇を捨てた者たちがこの林に踏み込んできたよう。

 木々が邪魔で飛び道具が使えないのは有り難いが、今戦力になるのが姉妹の片割れただ一人というのが問題だ。


 もう少しだったが……。


 この膝ではな……。

 シザーが、大剣を背中の鞘に戻し、たった今死んだ男の小剣を拾った。そして迫ってきていた追手の首を、目に止まらない程の速度で跳ね飛ばす。

 これならば文句はないでしょうとばかりに血を振り飛ばして、次の相手に剣先を向けた。


 まったく、命を疎かにはするなと、言ったじゃないか……。


 例えシザーを足止めに残して進んだとしても、この足の状態では直ぐに追いつかれる。

 そう思ったから、残りの距離を考え、勝負に出ることにした。


「久しいな執事長。まさかこのような場所で会うとは思わなかった」


 膝を休めるために、敢えて覚えのある顔に向けて、言葉を発す。

 すると木々の間から、どこか笑いを含んだ返事が返ってきた。


「本当に。何故このような所にいらっしゃるのか、目を疑いました」

「それは私の言葉だよ。……やはり見間違いではなかったんだな」


 木々を盾にして、一人、二人と人影が見え始め、だんだんと包囲されていくのが気配で分かった。

 全方位を囲まれるわけにはいかない。少しずつ後退する俺の前方をシザーが、後方を女性が守り、目を光らせる。


「いえいえ、これは私こそが言うべき言葉です。

 いったい何故……いつの間に貴方は、獣人を使役するようになっていたのでしょう。

 貴方が学舎に逃れた時も驚きましたが、四年前の一連は、それ以上の衝撃でした」


 そう言い姿を表した執事長は、四年近く前から、殆ど変わっていなかった。

 冬の山脈を踏破して来たとは思えない、穏やかな表情。

 けれど……表面に出している表情ほど、内心は穏やかではないようだ……。焦っている。警戒している。俺を……恐ろしいと、思っている?


「貴方は急に変わってしまった……。

 従順で貧弱な飼い犬であったはずなのに」

「……そうだな。私もあのまま、朽ちるのが自分の運命だと思っていたのに……」


 その返答に執事長は、皮肉を返されて苦笑する、親しい友人のような顔をした。


「よく言う……。全く貴方は、今に至るまで、悉く私の意表をついているというのに……」


 そうだったろうか?

 幼かった頃からの薄氷を履むような日々を思い起こし、いったい何を指してそう言っているのだろうと首を傾げた。

 するとまた苦笑。


「何より、未だに不思議でならない。貴方はどうやって渡人を得たのです?

 その上隠しもせずに堂々と連れ回し……。正直本当にね、想定外のことをされすぎて、意味が分からなかったです」


 そう言われ……。

 サヤにちょっかいをかけていたのは、異母様ではなく、異母様を誘導した執事長だったのだと確信を持った。

 別館に侵入し、サヤや俺たちについて探っていたのも……。

 だけど、彼自身が渡人を信じていなかったか、まさか居るはずがないという疑いの気持ちがあったのだろう。そのため初動が遅れ、担っていた役割もあり、動きが取れないうちに、状況が進んでいってしまった。


「そのうえ貴方が王家と繋がっているなど……。想定外すぎて本当、困りましたよ」


 神殿の裏の姿を王家に勘付かれるわけにはいかず、俺たちへの手出しは困難を極めた。

 そもそも神殿は、息の長い策略を得意としているのに、俺たちはいちいちが性急だった。


「あまつさえ渡人の知識を振り撒くなど……国を盾にしてそんなことをされた前例も、ございませんでしたしねぇ」


 前例……。

 まるで、渡人を何人も知っているような言い方だと思った。

 五百年前の一人だけではない。今まで他にも沢山、いたということか?


「貴方がたを国から切り離すのに、こうまで手こずらされた……やっとそれが叶ったかと思ったのに、それすら思惑通りにいかないばかりか、獣を奪われ、姿を眩まされ、しかも何故か我々の手を読み、狩猟民を焚き付けてこんなことまで……。

 なんなんです本当……貴方には、一体何が見えている…………」


 そう唸るように呟き、俺を見る。

 さっさと殺してしまいたい。けれど、下手に殺して良いものか。この男が知り、我々が知らぬことが、他にも動いているのではないか……。


「……まぁ、良いです。

 それでもまだ、取り返せる……。あの男は貴方がたの処分を望んでおりますが、折角の渡人を始末するのはあまりに惜しい……。

 貴方がここにいるということは、あの渡人もいるんでしょう?」


 そう言った執事長の言葉で、覚悟が決まった。

 サヤを渡す気など、毛頭無い。


「私がそれを許すと思うのか?」

今週最後の書き込みです。ちょっと歯切れ悪い場所でごめんなさいね。

来週も三話更新できるよう、本日よりラストスパート頑張ります。いや、もうちょっとかかりそうだけども。

宣言通り終幕となれるよう、頑張ります。


ではまた金曜日8時以降にお会い致しましょう!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回は息詰まる攻防ですね。あんまりあれこれ感想の口を挟む隙がない感じ。 あー姉妹の片割れちゃんが(´;ω;`) >>潜伏は少ない方が有利だし、 有利というかバレにくいというか。 >>執…
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