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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第三章
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赤面

 腕の包帯を解き、油紙を取ると、まだ生々しい傷口が出て来る。

 赤い線が腕にくっきりと刻み込まれ、手で触れると少し凹凸が出来ているのが分かる。癒合はきちんとしているようだ。傷の周りが多少熱を持っているように感じる……。そのまま手をサヤの首元に当てると、ビクリとされてしまって咄嗟に引き戻した。


「ご、ごめん……傷口が熱を持っているように感じたから、サヤに熱が出てるんじゃないかと思って……」

「あっ、いえ、すいません。レイシール様の手が冷たくてビックリしただけです」


 あ、なんだそうなのか。

 ごめんと謝罪して、もう一回首元に触れる。……うん。大丈夫そうかな。

 盥の上で、傷口に水差しの水を掛けて洗い、新しい油紙を乗せてから包帯を巻いた。


「うん、順調。もう何日かしたら、包帯を取れるかな。

 だけど、まだ日常通り使うのは駄目だ。あまり力を入れないようにね」

「はい、ありがとうございます。……あの、鍛錬も、まだ行っては駄目でしょうか」

「そうだね。もう暫く腕を気遣ってほしいかな」

「そうですか……。まあ、仕方がないですよね」


 眉の下がった笑みを浮かべたサヤが、そう言いながらたくし上げてた袖を元に戻す。

 そして、小さくふぅ……と、息を吐く。


 腕を負傷してから二日目になるが、サヤは日課の鍛錬を控えていた。

 サヤ曰く、一日使わなければ、その勘を取り戻すのに一週間は掛かるのだそうだ。

 そのため二日目にして暗い気分になっているらしい。


「そんなに心配しなくても……数日鍛錬を休んだからって、サヤの強さは損なわれたりしないよ」

「……私、強くなんてないです。昨日は護衛どころか……お荷物、でしたし……」


 口を尖らせてそう言うサヤに、苦笑する。

 昨日というのは、酔っ払いに絡まれた時のことだと思う。

 何か不快な思いをしてしまったようで、青くなって震え、何もできなかったのだ。そのことをどうやら気にしているらしい。


「あれは仕方がない。それに……あー……」


 言いかけて、口を噤む。

 この先の言葉は、女性を見る目で見られたくないサヤにとって、あまり喜ばしいことではないように感じたのだ。だから口にすべきじゃないかなと思った。

 けれど、途中止めは気に入らないらしい。ムッとした顔をする。

 その不満顔に苦笑して、後頭部を掻きながら、しかたなく続きを口にした。


「ああいう場合は、やっぱり、俺の役目だよ。

 サヤが万全の状態で、体調を崩していなかったとしても、俺はああした。

 サヤは女の子なんだから。

 どれだけ強かろうと、そこを譲るつもりは無い」


 女性としての危機を男が庇わないでどうするって話だ。

 俺がそう言うと、サヤは暫くぽかんとした後、パッと顔を伏せてしまった。

 肩や腕が、何やらワナワナ震えてて、俺は慌ててしまう。

 うわ、侮辱と受け取られてしまっただろうか……。俺より確実に強いサヤに対して失礼だよな、やっぱり。


「ごめんっ、サヤを見くびっているとか、そういうことじゃないんだよ⁉︎

 ただ、あの状況を強いからって女性に押し付けるのはどうかって話で……」

「い、いえ、怒ってるわけじゃ、ないんです……。ちょっと……その、びっくりして……」


 お、怒ってないの? なら、まあ、良いんだけど……。

 顔を伏せたままのサヤに少し戸惑いつつも、追求は避けておく。

 実際、馬鹿らしい話なのだ。

 俺はサヤに守ってもらう立場。いざとなったらサヤを盾にする身なのだ。矛盾してるよなと思う。

 しかも守ったっていっても……貴族の身分を振りかざしただけだしなぁ……ほんとしまらない話だ。

 手の障害があるから、強くなろうったって、剣も満足に握ってられない。

 一番まともな短剣の扱いだって、接近戦じゃほぼ役立たずだ。握力不足で剣を受け止められないもんな。

 昨日の酔っ払い、身分に慄いてくれる人たちでほんと良かった……。そうじゃなかったら詰んでたところだ。


「それにしても……他のみんなは何してるんだろ?

 サヤは、何か聞いてる?」


 応接室には、俺とサヤしかいない。会議の支度は昼からで充分だから、なにかしら問題があるわけではないのだが……どうも気になった。

 サヤの手当ての間、席を外して会議の話を詰めてくるとは言っていたけど、ここ最近……なんで俺は除け者なのか。

 今まではハインが常にべったりだったから違和感しかない。

 サヤがいるから安心して離れられるってことなんだろうけど……。


「私が伺ったのは、氾濫対策の資金集めについて、 情報共有をしておくってことでしたけど……」

「それ、俺たち知らなくって良いのかな……」

「纏まったら教えてくれるってことなのでは?」


 話を逸らしたお陰か、サヤが顔を上げて俺に応えてくれる。

 確かに怒っている風ではない……。良かった……。

 胸中でホッと息を吐き、俺は今日の会議のことを考える。

 いつもの手順でいくと、一時間ほどは、またお互いの意見交換をすると思う。そして、再決だ。その一時間程度の時間に、考えを改めてもらえるよう、交渉しなければならない。と、なるとだ…。反対理由を排除するのが一番手っ取り早いのだ。


「サヤ……昨日の会議根回しがあったって話してただろ? どの人物が喋ってたか、特定はできる? 声を聞けば、誰か分かるかな」

「え……はい。多分分かると思います……。でも、1人はもう分かりました。ルカさんですよ」

「え?」

「昨日お名前を伺いましたから。

 なんでですかって、食い下がっていたのがルカさんです。 睨まれるのはごめんだって、応えてらっしゃったのが土建組合の組合長さんではないでしょうか。

 しがらみがあるって仰ってた方のほうは、まだ分かりません」


 サヤの言葉に腕を組む。厄介ごとになる……睨まれるのはごめんだ……か。

 土建の組合長は確か四十代……会議の人員の中では高齢だ。つまり発言力でいうならある方だよな……。土建組合長よりも古株なのは麦商のカスペルと両替商エゴンか……。あの二人に睨まれるのは嫌だというのは分からないでもない。

 二年前までは、エゴンが言わば、貴族の代弁者であったのだ。だから、エゴンに睨まれるということは、貴族に睨まれるということだった。

 貴族からの通達をエゴンが受け取り、それを街に通す。指示に従うしかない領民は、エゴンの言うままだったということだ。

 俺が領主代行になった時、俺の縁で来たギルが、その立場に取って代わると思われたらしい。

 王都から来た、貴族相手の商売を大きく手掛ける大店の息子。妾腹とはいえ、領主息子の学友だった男が、アギー公爵家の推薦状を持ち、完璧な根回しを済ませて、メバックに乗り込んで来たのだから……どんな強権が振るわれるのかと、皆は恐怖していたに違いない。

 ……が。

 ギルは、思っていたような人物ではなかったと思う。

 まず、こんなキラキラした美青年はそうそういないと思うし。

 街の規則はきちんと守り、居丈高な態度に出るわけでもない。

 貴族と懇意であるからといって、それを利用したりはしない。

 王都において長く商売をしている一族なので、貴族を利用するということは、諸刃の剣なのだと知っているのだから、そんなことするわけないのだが、エゴンに従ってきた街人らにとってそれは新鮮だったと思う。

 結果、二年そこらでメバックにおけるバート商会は、確かな信頼と地位を確立した。業績も確かだし、街への貢献活動も行っている。たかだか二年であるが、大店会議に出席する事に文句など言われない立場を、権力を使わず確保したのだ。

 その裏で、エゴンの発言力は陰りを見せた。

 俺が直接大店会議で通達を行うようになった為、貴族の威を借りることが出来なくなった。

 それまでのエゴンの評価はどうしたって落ちるし、それに文句を言うわけにもいかない。で、今に至っているわけだ。

 とはいえ、エゴンにはまだそれなりの発言力がある。

 貴族の後ろ盾は無くなったが、大店であることには変わりがない。麦商カスペルや酒造組合は、元々エゴンの傘下といえる立場を取っていた。そしてそれは今も変わらず続いているのだ。

 そうか、(しがらみ)……。他の組合にもそういった柵が残っているのかもな……。氾濫対策で資金を貸し付けるということは、何かあった折にエゴンの世話になる可能性が高いということなのだ。エゴンに睨まれてしまうと、貸付を渋られるかもしれない……そう考えても仕方がない。特に今回は、頭っから二年分を借りると宣言してるわけだし……今年と来年資金を提供するというのは、街の商人たちにとっては死活問題に直結することなのだ。

 ああ、そうか。土建組合の受ける仕事は、基本成功報酬だものな……。仕事が終わるまで金が入ってこないなら、一時的に借りるなんてことは日常茶飯事か。


「うーん、そうか。それは、反対するか……」


 じっくり考えてみるとあっさり問題が見えた。

 つまり、二年間、望まない大金を貸し付けるのだ。しかもいつ返されるか分からないのだから、帰って来るのだとしても、楽観できやしない。

 それなら、昨日の資金調達方法を示すことで、ある程度は反対意見が抑えられると思う。

 マルがどうやって資金調達しようとしてるかが不安だが……。

 行き着いた結論を、サヤにもかいつまんで説明しておく。


「結局、昨日話した案しか出てこなかったけど……もう一つくらい、何か手立てが欲しかったなぁ」


 昨日のうちに問題点を絞り込んでたら、もう少し他にも思いつけたかもな……。自分の思慮の浅さに嘆息するしかない。

 そんな俺の様子に、サヤは少し考え込んでから……。


「資金調達についてですけど……これって、貸付をした状態で、更に税金を徴収されて、その後に返還されるのでしょう?

 それだと、二重に取られている感じがしてしまうと思うんです。

 だから例えば、貸付をしている人たちからは、貸付ぶんから税を差し引くとかにすればどうでしょう?

 あと、寄付した場合、税が一定額免除されるとか、そういった特典が付くと、案外受け入れられるのではないでしょうか」


 具体的にそんな提案をされ、びっくりしてしまう。


「資金調達はメバック限定で行われているのですよね。

 それなら、手間も然程ではないと思うのですけど……。

 大店会議に出ている大店や、組合限定。ほんの十数件でしょう?

 難しいでしょうか……」


 小首を傾げて問うサヤに、言葉が出てこない。

 い、いや……考えもしていなかったのだ。そんな方法があるだなんて。

 税というのは一律で集めるもので、貸付ぶんは徴収後に返還する。それが当然だと思っていた。

 そうか……途中を省くという手法があるのか……それは確かに、上手い考えかもしれない。


「うん……いや、いける気がする。マルとハインが戻ったら、話してみよう。

 これを機会に、常々感じてた問題点を整理するのも良いかもな。

 そうか……そんな方法もあるのか……サヤは、本当に凄いな」

「え? ち、違いますよ。私が考えたんじゃありません、私の国で度々見られる方法なだけです」


 頬を赤くしてそんな風に弁解するサヤだが、俺からすれば、知っていることと、活かせることは別物だ。

 どれだけ膨大な知識があろうと、使えなければ意味がない。何が使えるか、どう使うか、それを考えられることが凄いのだ。

 サヤはまだ社会経験のない、たかだか十六歳の成人前。学生だと言っていたし、社会の仕組みに深く関わる立場ではないはずだ。俺は成人前にこの役職についたから例外だが、貴族だって、成人前は社会の仕組みなど知識で知っているだけだ。それを世に出て、すぐに実践に移せる人なんて、やはり少ないと思う。


 サヤは、俺が困っている時、必ず何かを提案してくれるな。

 河川敷の話をした時、不確かな知識を提供することに、怖いと震えていたのを、俺は忘れていない。

 きっと、今も勇気を振り絞っていると思う。言って良いのか、何か間違っていないか、ちゃんと力になれるのか……沢山のことを考えて、それを飲み込んで、俺に知識を差し出してくれる。


「ありがとうサヤ……。ありがとうじゃ全然足りないんだけど、その言葉でしか表現できないのがもどかしい。

 サヤが居てくれること、本当に、感謝してる」

「お、大袈裟です!」


 真っ赤になったサヤが、そう言って顔を俯けた。

 耳まで赤い。その仕草がまた可愛くて、手を伸ばして頭に触れた。

 サラリとした髪を撫でる。サヤの黒髪は、滑らかで、すごく心地良かった。

 その手触りを楽しみつつ、感謝の気持ちを込めて頭を撫でる。


「…………あ、あの……」


 俯き、真っ赤になったままの顔で、サヤが硬直している。

 そんなサヤが愛おしい。


「言葉で言うと遠慮してしまうみたいだから、行動で表してみたんだけど」


 あと、ちょっとした悪戯心だ。

 俺のそんな返答にサヤは大変困ったという顔をした。だけと、それ以上は何も言わない。やめろと言われればやめるつもりだったけれど、吝かではないということか。

 なので俺は、思う存分サヤを愛でておいた。

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