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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十八章
473/515

終幕の予兆 3

 俺の祖父母、二代前となるセイバーン領主夫妻は事故死したと、父上に聞いた。山間の道で崖崩れに遭遇したのだと……。

 それが四十年ほど前の話で、父上は唐突に、十九という若い身空で領主とならざるを得なかった。

 その後、婚約者も亡くし、妻を娶ることのないまま時は過ぎ……ジェスル伯爵家より異母様が嫁いで来られたのは、十年後になる。

 つまり情報が売られていたとしたならば、その先先代か、更にその前の領主の頃から。

 そして継続的にそれが続けられていたとしたら……どこかの段階で、セイバーン領主自らが関わっていた可能性も視野に入る……。


「…………五十年、以上……」


 お祖父様が……セイバーン領主ともあろう者が、フェルドナレンを裏切っていた⁉︎


 まさか、あり得ない!


 そう叫びそうになって、喉元まで迫り上がってきた言葉をなんとか押し留め、飲み込んだ。


 落ち着け。

 信じ難い……信じたくない! けれど……俺はそれを否定できるほど、セイバーンを知らない……。

 俺の知ってるセイバーンは、ここ最近の、片手で数えられる程度の年数。しかもその殆どが、書類上のことだけなんだ……。


 そんな風に考える一方、どこかで冷静な部分の俺は、クロードの言葉を情報として吟味していた。

 俺ではない……と、クロードは言った。

 探ってくると前置きしていったクララすら、口を閉ざすことを選んだ。

 それは、セイバーン領主が関わっているという証拠があったということではないか。

 セイバーン領主の関わりをそこまで強く示せる証拠は、領主印以外、考えられない……。


 ホライエン伯爵様があんなにまで怒気をあらわに詰め寄ってきたのも、セイバーン領主の、領主にあるまじき所業へのお怒り……その罪がはっきりしているからこそだったのでは。

 しかもフェルドナレンを裏切った血筋の俺が、現在陛下に重用されている……一国の王が、このアヴァロンに滞在されているのだ。


「な……何を言うのです⁉︎ そんなこと、あるはずがない!」


 ダン! と、机を叩き立ち上がった者がいた。

 ルフスだ。

 そのままクロードに掴みかかるのではという剣幕で、詰め寄ろうとするのを、隣のエヴェラルドが慌てて止めた。


「離してください!」

「おっ、落ち着きましょう⁉︎」


 羽交い締めにされたルフスは、鬼の形相でもがいたけれど、急いで駆けつけたシザーが取り押さえると、身動きが取れなくなった。

 同じ職場の同僚とはいえ、庶民のルフスがクロードに何かしたら大問題に発展しかねなかったから、エヴェラルドの判断は正しかったと思う。

 ルフスの年齢的に、彼も先先代を知らないだろうし、たとえお会いした記憶があったとしても、幼い頃のものだろう……。否定を裏付けることのできる証拠は無い可能性が高い……。


 そこで、戸惑った別の声が場に割って入った。


「あの……どうしてセイバーンの出荷情報がホライエン領に保管されていたんでしょう?

 そもそもスヴェトランは、麦の情報なんて、どうして集めたんでしょう? 価格帯調査か何かでしょうか?」


 サヤの問いかけ。

 それにより皆の視線がサヤに向かい、サヤは困惑した表情を俺に向けることとなった。


「麦の出荷情報って、そんなに重要なのですか?」


 今まで普通に、書類で見ていた数字の羅列だ。それが急に危険情報扱いだもんな。

 ルフスの怒りを理解できない……。場の緊張の理由が分からず、戸惑っているといったその様子に……あぁ、そうだなと。彼女に説明しなければならないのだと、余計気が重くなる……。

 サヤは、もうセイバーン貴族の一員となってしまった……。彼女にとってもこれは、身内の問題となったのだ……。


「…………ひとつふたつを口に出すくらいは構わないのだけどね……元来、麦の出荷情報は軍事機密に含まれる」

「麦の出荷情報が……軍事機密ですか?」


 サヤの問いにクララがキュッと眉を寄せる。貴族ならば知っているべき知識を得ていないサヤを、男爵夫人として危ぶんだのだろう。

 だけど、今まで貴族でなかったサヤに、この手のことはまだはっきりと伝えていない。


 公爵家に生まれたクララとしては当然のことだろう。でもサヤは知らないことが当然なのだ……。

 これが貴族外の出自の者が、貴族に加わることの難しさ……。そもそもの常識基準が、庶民と貴族では違う。

 貴族入りする前に伝えるわけにもいかない。当然そこには、口外できないことも多く含まれるから。


 それに、サヤはこの世界自体に疎い。それこそたったの数年しか、この世界に関わっていないのだ。

 彼女は俺よりよほど博識だけれど、そもそもが異界の民で、得てきた経験が違う。ありとあらゆる知識の共有が当然のことである彼女の世界において、きっとこれは然程貴重な情報ではないのだろう。

 これは貴族知識以前の問題……言うなれば、世界の差なのだ……。


「麦は主食。その量で人口や国内の食糧事情等、色々が読めてしまう。毎年の情報ということは、その変動までもが明らかにされているということだ」


 その説明で、ようやっと状況が理解できたのだろう。サヤは両手で口元を覆った。


「勿論、麦の産地はセイバーンだけじゃないし、災害時や不作対策もあって、一箇所からのみ仕入れを行なっている領地なんて無い。

 だから、これ一つで全てが把握されるということではないけれど、伏せるにはそれ相応の理由があるんだ」

「……つまり、集積された出荷情報は、領主権限で扱う情報になる……ということなんですね」

「そう」


 それでも……一度や二度漏れるだけなら、たいした情報ではない……。この場合、年数が問題なのだ。何十年と積み重ねれば、そこには別のものが見えてくる……。

 その年ごとを追うことでは見えてこなかった、奥行きの部分が見えてしまう……。


 ぎゅっと拳を握った俺を、公爵家の二人は無言で見ている。

 俺が一族の過ちを否定できないのだということを、クロードとクララは、どう思っているのか……。

 気持ちの混乱ゆえか、上手く表情が読めない……だけど、そんなことより今重要なのは……。


「……調べよう。

 領主の館は焼失したけれど、歴代の資料は別館に移していたから、それなりに記録は残されているはずだ。

 できうる限り調べて、その上でなければ……否定できない…………」


 ルフスが、驚愕に表情を歪め、次に非難と失望の色が瞳を過った。

 セイバーンを背負って立つ立場の俺が、この疑いを否定しなかったことが信じられないのだろう。

 彼の怒りや悲しみは分かっていたけれど……でも、だから尚のこと、引けなかった。


 調べるべきだ。確実なものがないうちに、軽はずみなことはできない。

 クロードは、近年から五十年以上前の情報があったと口にしたが、その領主が関わっていると断定できる証拠……これが五十年以上前のものであるとは言っていないのだ。

 ならば、セイバーンの不正の根拠となっている領主印が、いつのものなのかが重要になってくる。

 そこを確認してみなければ分からない。


 俺は、彼らの得ていない情報をひとつ、握っているのだ。

 セイバーン領主印が、ふたつ存在しているかもしれない、可能性を……。

 先先代が死亡後の領主印であるなら、状況がひっくり返せる可能性がある。


「皆の仕事を増やして申し訳ないが、歴代の資料管理者を洗い出そう。そしてその資料から当たる。

 毎年のものであれば、必ず業務に組み込まれていたはずだ。何かしらの形で偽装してある可能性もあるから、関連するものは全て集めよう。

 領主権限で出す情報だから、領主印のあるものだ。報告が揃うのは雨季以降……情報が引き出されているとしたら、きっと八の月から十一の月の間だろう」


 業務手順は全て頭に入っている。だから、おおよその検討はつく。

 父上が領主としての職務を行えない状況に陥ってからは、領主印は利用されていない。それは父上がご生存の時に確認が取れている。

 だから、その期間の情報がどうなっていたか……ここが特に重要になってくる。


 そんな風に考え指示を飛ばす俺を見ていたクロードとクララは……。

 顔を見合わせ、ホッと、安堵したように頬を緩めた……。


「慌てなくて良いわ」


 そうして今度はクララが。


「……陛下は、セイバーンの意思ではないだろうと仰ったし、きっと急かされないから、大丈夫」

「え?」


 皆の動きが止まった。

 張り詰めていた空気が、今度はクララに視線を向かわせる。

 その視線をものともせずクララは、余裕綽々で口を開いた。


「王都ではね、セイバーンの政務報告は、穴がないほどに緻密なことで定評があるのですって。

 その辺はクロード様も、職務上確認したことがあるそうだから当然ご承知。

 セイバーンは歴代の領主が、麦の生産性を上げるために並々ならぬ財と精力と熱意を注いできてて、大体どの代でも、提出書類はきっちりしてる。

 だから王宮にもセイバーンの麦の生産量、出荷情報は全て揃ってるのですって。……つまりこれ、セイバーンだけにある情報じゃないのよ」


 そう前置きしたクララは、そこから厳しい表情になった。


「フェルドナレン王家は代替わりが早い分、その辺の業務移行は慣れてるし、洗練されているわ。

 だけど当然完璧じゃないし……回数が多い分の隙も増える。

 セイバーン領の不正を疑うより、王宮内の不正や情報操作を疑う方が可能性としては高いでしょうって。

 それが陛下のご意見。でも……」


 それを言ったらホライエン様怒っちゃったみたいでさぁと、肩を竦めた。


「あの若造を庇い立てするのですかって言うから、陛下がレイが領主になってからの出荷情報は抜けてるんでしょって指摘したら、更に怒っちゃったらしいのよ」


 いや……うん…………怒るだろうね。

 おおかた、この情報を根拠に陛下に何かしらの要求を突きつけたかったのだろうと思うし……。

 大司教様まで担ぎ出したのは、勝てると踏んでいたからだろう。

 実際陛下の一声が無ければ、そうなっていてもおかしくなかった……まぁ、そうできない理由もあるから、敢えて退けたのかもしれないが。


「だから、陛下はセイバーンの忠誠を疑ってないわ。そこは安心して」


 クララの言葉で、ルフスが踞る。生きた心地がしなかったのだろう……。疑われてないと知り、安堵で足の力が抜けたのだ。

 俺もホッとしたけれど……。


「ありがとう……。でも、どっちにしても調べよう。

 セイバーンからの情報流出じゃないと言い切れる根拠を見つけないことには、安心できないから。

 それにどちらにせよ、スヴェトランがこの情報を集めていたことの意味を、探すべきだ」


 豊かな農地を持つフェルドナレンを狙っているからという理由ではいささか納得いかない……。

 セイバーンはスヴェトランの地から遠いし、麦の生産地なら、他の、もっと近隣で良かったと思うのだ。それに、麦の生産地を抑えようとすること自体が、スヴェトランの思考とは思いにくい……。

 彼らは定住地を持たない民だ。逆に言えば、定住に慣れていない。一つの作業を年間通して続けることにもだ。

 たとえ国を奪い農地を得たところで、彼らにはこの地の生産力をそのまま維持することはできないだろう。当人らにも、それくらいのことは分かっているはずだ。


「分かっているでしょうか……」

「分かっているさ。でなければ、セイバーンに標的を絞って何十年と情報を集めるなんてこと、するとは思えない……」


 それに……。


「……いや、とにかく調べよう。何も無ければそれで安心できるしね」


 そう言うと、皆も神妙な顔で頷いてくれた。

 どんな結果が出るにせよ、調べて損は無い。それでスヴェトランの尾を掴むことができるならば……このフェルドナレンを守れるならば、価値は充分だ。


 皆には伏せたけれど……スヴェトランの手ではない可能性も、想定すべきと思っていた。

 クララが陛下の見解を教えてくれたことで、少し気持ちが落ち着いたのか、色々と思考が働くようになり、可能性が見えてきていた。

 セイバーンの意思ではない……と陛下がおっしゃったということは、彼の方にはそう言う根拠があったのだ。

 セイバーンの領主印がふたつ存在する可能性があることは、陛下もご承知なのだもの……。


 だから尚のこと……。

 どうもきな臭い……と、感じるのだ。

 なんだろう、誰かの意思? 思考の残滓を感じる……。


 今回のこの件……スヴェトランからの侵入を、ホライエンがいち早く見つけ、しばらく泳がせていたと言っていたけれど……。

 長年完璧に潜んでいた間者が、こうも易々と正体を晒すだろうか? 貴重な根城と、溜め込んでいた情報までもが綺麗に見つかるって、酷く作為的に思えてしまうのだ。

 敢えて見つけさせにきた可能性も視野に入れておいた方が良い気がする。

 斥候の侵入自体が見つかることも、仕組まれていたと考えられないか?

 大司教が顔を出したことも、ホライエンが要請したのではなく、神殿側からの介入だったかもしれないしな……。


 そう考えた場合、ホライエンが選ばれた理由は?

 そして、セイバーンを標的にした理由があるとしたら?

 と、色々……。そういったことを、無視できない気がした。


 今この時期に、敢えてセイバーンを標的に選んだのだとしたら……相手は俺たちの内情を相当熟知してることになるけれど……。



 ◆



 とりあえずの方針が定まり、皆がより一層忙しくなってから、俺はクララとクロードを呼んだ。

 礼を言っておかなければと思ったのだ。


「ありがとう……。だけど、陛下の許可が出ていないことまで、口にしてしまったんじゃないのか?」


 そう言うと、クロードの視線がクララに向き、クララは更にそっぽを向く。やっぱり……。クララが、口止めを無視したんだな。

 でも、クララを止めなかったクロードも、気持ちは一緒であったのだろうし……まぁ、同罪だ。


 多分だけど……陛下がセイバーンを疑っていないという部分、あれは本来伏せるべきことだったはず。

 もしくは俺の出方を伺うため、敢えて当面は伏せよと支持されたと思う。

 彼の方は(しがらみ)程度で俺を全面的に信用したりなんてしない。ご自分の立場を、そんな風に軽く捉えてはいらっしゃらない。

 国を背負っている自覚がある王だ。そしてそれを自ら選んだ方だ。


 俺がそういった部分を察知していると察したクララは、バツが悪そうに視線を逸らしたまま……ゴニョゴニョ言い訳を加えた。


「貴方が保身に走って調査を行わない方を選ぶなら、言わないつもりだったわよ……。

 陛下もそう仰ったの。そうするならば容赦なく調査するって。だけど……貴方はそうはしないだろうとも、おっしゃったし……そんなに強く言うなとは、言われなかったし……。

 でも良かったわ。貴方が陛下のおっしゃる通りで……。だから一応、今のところは、陛下に免じて信じてあげる」


 それに私、ここの文官でもあるもの……。と、クララ。

 言い訳がましく言っているけれど、俺の文官として、俺を信頼してくれたのだ……。


「俺も、お前たちに、恥じない主でありたいと、思ってるよ」


 そう伝えると、ふんっ! と、照れて、明後日の方向を向いてしまう。


 サヤの言うツンデレのツンだなと思いつつ、温かい気持ちで笑っていたのだけど……。


「レイシール様……」


 そこでクロードが、口を挟んだ。

 その表情は、クララとは少し違う。何か、決意を滲ませた……。


「…………レイシール様、私も貴方を主として、信頼しております」


 静かに口調でそう言ったクロードはしかし、そこで言葉を止めた。

 俺が唇の前に、指を立てたから……。


「うん。分かっているよ。だけどもう少し、時間が欲しい……」


 彼が何を言いたいのかは、分かっていた。だけどまだ、待ってほしい……。もう少し、もう少しだけどうか……。


「お前たちに、恥じない主でありたい。お前たちに報いるためにも、セイバーンの民のためにも……サヤのためにも、俺自身の、ためにも。

 約束は、忘れていない。だけどもう少しだけ……時間が欲しい」


 クララが不思議そうにクロードを見上げた。

 俺とクロードの約束を、彼女は知らないから……。

 クロードは少しもどかしそうに眉を寄せたけれど、瞳を伏せ、顔を上げた。


「……畏まりました…………」


 納得はできてない表情だったけれど、そのもう少しの言葉を、受け入れてくれた……。


 二人が退室し、とりあえずはこの苦難を乗り越えられたことに俺は、ホッと息を吐く。

 急なことで慌ててしまったけれど、とりあえず、やるべきことはできたはずだ。

 もしかしたら、ジェスルに何か仕掛けられているのかもしれないけれど、隙は与えなかったと思う。


 後は……反撃のための情報を得る。


 こちらが領主印を変更していることは、まだ知られてい……。領主印が二つある可能性に、気付いていることもだ。

 だからここで隙をつくことができれば、相手の正体を暴けるはず……。


 この時、マルがいてくれたならば……。

 きっとこの可能性を、もっと深く、正確に、掴めていたろう。

 敢えてこの時期を選びセイバーンを標的にした理由を、きっと彼なら気付けた。

 だけどそう考える意味は、きっと無い。

 これは、この形で今を選び、仕組まれた罠の、ほんの表層部分だった……。

ちょっと遅刻になりまして申し訳ないっす。とりあえず三話、なんとか間に合った……。

来週も金曜日の八時からお会いできるよう、頑張ります。

ではまた金曜日に!

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― 新着の感想 ―
[良い点] うーんストレス展開になる予感ー。今回はまだストレス展開ではありませんが、もう締めの一語がもうストレス展開を予告してるようで気が重いっすな。 >>「セイバーンの血にアミの加護があらんことを…
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