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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第三章
44/515

過ち

「申し訳ありません……。気付かれているかどうか……確証が持てなかったんです。

 斬られた際に、受け止められて……その……なんとなく、その後ぐらいから、違和感が……。

 敢えて言葉で確認されたわけではないですし、それまでと態度が変わったという風でもなく……気の所為かなって……」


 裏庭に向かう道中、サヤがそう言った。

 俺はその言葉を聞きながら溜息をつく。


「確証がなくても……今後は、可能性がある以上は、報告すること。

 それによって取れる方法が全然変わってくるし、状況も変わる。

 ……どうしたもんかな……サヤが女性だと知っている人間が、部外者に出てしまった……か。

 まあ、黙っとくようお願いしてみるしかないね」

「……申し訳ありません……」

「サヤが悪いんじゃないよ。報告が無かったのはいけないことだったけど……今後は気をつけてね」

「はい」


 今後……か。今後がどうなるか、余計分からなくなってしまったな……。

 あのウーヴェって男がどう出るか……何を考えているのか……全く見えてこないから。

 信頼を置けない者に、サヤが性別を詐称していることが知られてしまった事実に、不安を感じつつ、俺は取れる手段を取る以外、やれることもないのだと自分に言い聞かせた。


 ウーヴェは、程々の時間を空けて、やってきた。

 俺とサヤに気付くと、キュッと口を噛み締め、少し逡巡してからこちらに歩いてきた。

 俺はサヤを見て、心配そうなその顔に、案じなくて良いと、告げる。

 ウーヴェが俺に何かを企んでいるとは思わない。例え企んでいたとしても、この場でそれをする意味が無い。だからまず、あの場で話ができなかった理由を説明しようと思った。この男の人となりを知らなければならない。


「わざわざすまない。とりあえず、其方にお願いしたいんだが……。

 サヤは……私の従者だ。故あって、性別を隠している。だからあの場で、今のサヤと、従者のサヤが同一だということを前提で、話はできなかった。

 どうかその様に承知して頂きたいのだが……良いだろうか」


 俺の言葉に、ウーヴェが面食らった顔をする。

 一体何を言われているのか分からないと言った顔だ。

 うーん……やっぱり、何か誤解が色々入り乱れている気がするな。ちょっと説明しないと駄目か。


「君は昨日、サヤの髪色を見た筈だ。

 あの特徴的な色をしているものだから、サヤは特定されやすい。

 男装で過ごすことを常にしているのでね、女性の姿は晒せないのだ。

 だから、君がサヤの性別を知ってしまった以上、今の姿と同一の者だと知った以上は、黙っていてくれとお願いするしかないのだよ。

 どうか、聞き入れてもらえないだろうか……。性別が周りに知られてしまうことは、サヤを危険に晒すことなんだ」


 周りっていうか、主に俺の身内とその家臣なんだけど……。

 とりあえず周り全部ってことにしておく。

 俺のお願いに、ウーヴェはより一層混乱したような顔になる。


「……従者? 男装が常? 女性が……従者⁉︎

 こっ、この方は、あなた様のその……思者なのですね……? だから従者と偽ってらっしゃる?

 あれは……ご子息様が、うちの内情を探ってらしたのでしょう? ならもう……」


 おもっ…⁉︎

 頭が一瞬、真っ白になった。

 ちっ、違う、断じて違うから!


「違う! サヤは、そういった理由で素性を隠しているのではない!

 い、色々事情があるので、詳しく述べるわけにはいかないが、そのような誤解は、サヤの名誉を汚す。サヤは、言葉の通り、従者をしているのだ。

 それに、何故私が其方の内情を探らねばならない!」

「おもいもの……?」

「さっ、サヤはそのような言葉を口にするな! 俺は断じて、そう言った目で見たりしてないからな⁉︎」

「えっ、いえ……その、どういった意味なのですか?」

「聞くなああアァァァァ‼︎」


 一瞬でその場が修羅場と化した。

 というか、俺の頭が大混乱だった。

 サヤは不思議そうに首を傾げ、ウーヴェは状況が分からないのか、頭を抱えて、え? なに? みたいな感じになっていて、俺といえばもう騒ぐしかできない。

 サヤに聞かなかったことにしろと言っても、納得できませんという顔をされ、更に慌てた。だっ、だってな、知らなくていい言葉なんだよ! これは、その……その手の類の……とにかく、関係ないことなんだ‼︎


「教えて貰えないと、全然理解が出来ません!」

「理解しなくて良い! 知らなくて良いことだ‼︎」

「それを判断するのは私ですよね!」

「こればかりは違う! とにかくウーヴェ、そういうのではないんだ‼︎」

「え、ええ……それはとても、納得できました……意味を知らないでらっしゃるとは……」


 俺たちのやりとりに、ウーヴェが呆然としつつも、そう答える。

 その反応に、サヤは更にムッとした顔になった。

 自分だけが分かっていない。そのことが納得できないのだと思う。だが俺としては、教える必要は全く感じない! 知っておくべきとも思わなかった。だから、そのまま話を変える。


「サヤは、友人が治安のよろしくない地区に使いに出されるのを心配して、護衛の為に同行したまでだ。

 なのに、内情を探るとは、どういった意味だ。

 私が何故、その方の内情を探る必要があるというのだ」


 前のやりとりのせいで、緊張感もなにもあったものじゃないが、こちらの発言の方が問題なのだ。思者のことは、もう忘れてくれ!


「そ、それは……」


 ウーヴェが言い淀む……。

 と、そこで足音がした。ハインだ。いつもの眉間にしわを寄せた顔で、こちらにやって来て、場の雰囲気がなんともいえないものであるのを見て、片眉を上げる。

 すると、サヤがここぞとばかりに口を開いた。


「ハインさん、おもいものとは何ですか⁉︎」

「サヤ!」

「妾。情婦。ですが?」

「答えるなあアアァァァァ‼︎」


 お前は何でそう、物事に頓着しないで卑猥な言葉を平気で解説するんだ‼︎

 俺の絶叫に、ハインはなにを騒いでるんだという顔をし、サヤはへなへなと座り込んでしまった。ほらあああぁぁ‼︎


「……状況が分からないのですが、今一体何の話をされていたのですか?

 何故サヤが思者など口にしているので?」

「解説する前に聞け‼︎」

「も、もう分かりましたから、言わないでください‼︎」


 真っ赤になった顔を両手で抑えて、サヤが裏返った声で叫ぶ。

 俺も座り込んでしまいたかった。



 ◆



 結局、場所をまた移動した。

 なんというか……状況を説明した際ハインが、その様にしたのだ。

 急遽、ギルに部屋を一つ用意してもらい、そこに俺たちは集合していた。俺たち……というのは、俺、ハイン、サヤ、ギル、マルである。

 用意された部屋は、なにもない閑散とした部屋だった。

 椅子が運び込まれ、俺だけがそれに座る。俺の周りに他の一同は立った状態だ。

 俺から離れた場所で、ウーヴェは床に膝をつき、項垂れている。


「内情……ね。

 痛くない腹なら、探られているなど勘ぐる必要も無いですからね。

 しっかりと話をお聞きしたいものです。ねぇ、ウーヴェ」


 にんまりと、人の悪い笑みを浮かべるハインに、俺の気分が滅入る。楽しそうだな……。

 もう、肉食獣が獲物を前に舌舐めずりしてる顔でしかないぞ、お前……。

 ウーヴェは、そんなハインを睨み付け……だがすぐに、顔を背けた。


「もう、……目星は付けてらっしゃるのでは……」

「それだけでは不満なのですよ。洗いざらいが欲しいのです。

 正直に話すなら、お優しいレイシール様のことですから、酌量の余地があるかもしれませんよ」

「ふっ……その様なもの……今更……」


 まただ……。

 ウーヴェが、皮肉げに歪んだ笑みを浮かべていた。

 挑発する様なその顔だが、目は淀み、態度が虚勢なのだと分かる。

 腕を組んで、口元を手で隠しつつ、俺は小さく溜息をついた。

 そうか……俺って、こんな感じだったんだ……と、思ってしまったのだ。

 匂いのようなものがある。

 いや、実際に匂うわけじゃなく、感じるのだ。ウーヴェから。空気を。何か重い、伸し掛るようなものを。

 それは俺には馴れ親しんだというか……今もずっと俺に纏わりついているもの。それに酷似してる気がした。

 とりあえず口を開くことにする。ハインとのやりとりじゃあ、精神を疲弊するばかりだ。俺は別に、ウーヴェをいたぶりたい訳じゃない。サヤも心配そうだし……。


「ウーヴェ。サヤの件は、サヤが勝手に取った行動だ。それについて其方をどうこうしようというつもりは無い。貴族の従者に手傷を負わせたということに関しては、サヤは立場を偽っていたのだし、其方に問われる罪は無い。

 ただ……サヤから、店での其方の行動、言動、事件とその顛末についての報告はされている」


 俺の言葉に、ウーヴェの顔が苦渋に歪む。

 ……ここか。

 サヤのことは罪に問わない。そう言っても、この男は何の反応も示さなかった。

 なら、ウーヴェが内情と表現したのは、エゴンと自身が営むバルチェ商会に関してだ。

 まあそうだろうなとは思っていたが……。どうやらバルチェ商会は、踏み込んではいけない部分に踏み込んでしまっている様だな……。

 胸が軋む。ウーヴェの心情が、分かる。自身の預かり知らないものに翻弄されて、疲れてしまった目だ。

と、そこで急に、マルが口を開く。


「ああ、なんの話かと思ってたら、バルチェ商会のそれでしたか。

 そりゃ、まぁ、ねぇ。情状酌量の余地は無いですかね。あはははは」

「……空気読めよ、てめぇ……」


 ギルが顔を歪め、マルの頭を鷲掴みにする。マルが痛い痛いと抗議の声を上げているが、気にしない。

 俺は視線をやっていたマルから、もう一度ウーヴェに視線を戻した。

 ウーヴェの顔は無表情に凍りついていた。


「ほら、もう私が、何を言う必要も無いようですが……」


 抑揚のない声で、俺を見上げるようにして言う。

 言葉は丁寧だけれど、好きにすりゃいいだろと、投げやりな気分なのが分かる。

 うーん……実は何も分からないんだよねー。とか言えば、どんな顔するんだろうな、こいつ。


「それでも、私は其方の口から、聞きたいと思うが?

 其方しか知らぬ事情もあるだろうし、こちらが知っている事が全てだとも思わない。

 ウーヴェ……。私は、其方の言葉で、伝えて欲しい。

 断っておくが、サヤがバルチェ商会に伺ったのは、ただの偶然だ。お前たちのことは、まだ何一つ、明るみに出ていない。

 其方の家業のことだとして、其方がそれに関わっているかどうかも、また別の話だろう」


 俺の言葉に、ウーヴェが俺を睨んだ。

 苛々しているな。気持ちが混乱しているのか? 俺を睨み付けるウーヴェに、ハインが反応して剣に手を掛けようとするが、眼力で俺がどうこうなるわけもない。控えておくようにと首を振った。サヤはハインの反対側、俺の後ろ横で、黙って立っている。

 悠長に待ちの体勢に入っている俺に、ウーヴェのイライラは募るばかりのようだ。喋り終えた俺が、腕を組んだまま沈黙を続けると、痺れを切らし、声を荒げた。


「もう、そんなややこしいことは良いではないですか!

 私は従者殿の秘密を知った。家業の方もきな臭い。それならさっさと切って捨てれば良いでしよう。

どちらにしてもバルチェ商会は、ご子息様にとっては不要のもの。

二年前から、そのつもりでいらっしゃったのではないのですか⁉︎ ならグダグダ詳細など問わず、ここで……」

「何故、サヤの秘密を守るために、領民を斬らねばならん」


 自暴自棄だなと思ったので、ウーヴェの言葉を遮り、不敬を重ねる前に制止する。

 正直俺は、ウーヴェに会う前に懐いていた敵意のようなものは、もう持っていなかった。

 サヤを傷付ける要因となった男……という認識だったのだけどな……違う。エゴンの息子……というには、あまりに似てないと思う。

 害意が感じられない。俺にイラついたような態度を取っていても、それは俺に対するものではないようだ。

 エゴンが、俺を疎ましく思っているのは知っている。慇懃な態度を取っていても、内心がそれにそぐわないのは、貴族社会では多々あることだ。だからその息子も、俺をよく思ってないだろうと、そう考えていたのだけど……。

 この男にあるのはただ、自身に対する嫌悪ばかり。

 ウーヴェは、あの家業でいるには潔癖すぎるのではと、そう思った。

 親の家業は子が継ぐ。それが当然なのだが、ギルのように、それを天職とできる者ばかりではないと、俺は身をもって知っている。望まぬ未来を、用意されている苦悩も。

 俺も出自に翻弄される身だ。ルーシーも、それに苦しんでいた。そして、ギルだって……なんの葛藤も無く、自身が生まれた時に用意されていた道を、歩んだ訳ではない。


「ウーヴェ……。私は、サヤの秘密を守る為に、領民を害する気は無い。不確かな罪で、裁こうとも思わない。二年前、今までのやり方を変えてしまったのは、其方の実家の家業を疎んだからではない。……不誠実なのが、嫌だと思ったんだ。

 領主は領民を護る責務がある。それは管理することとは違う。一方的に下知を押し付けるのは、領民の為の行為とは、思えなかった……。

 そのことで、其方の父に、泥を被らせることになってしまったのは、申し訳なかったと思う。

 だが……正しいと思えないやり方をやっていけるほど、私は割り切れなくてね……。そうする方が良い場面もあるのだと思う。思うが……。

 すまない。貴族らしくあろうと思うのだが、なかなかに不出来なのだよ。私は」


 自身が貴族でなかったらと思ってしまう。それを望んでいた。だから、どうしても……自分がそうありたかったと思う人たちが、苦しむのは嫌だ。

俺はそうなれなかったけれど、笑ってほしい。恙無く、平穏に、日々を重ねてほしいのだ。

そしてそれを願える立場に、俺はいる。ならば、せめて、夢に見る貴族でない自分が、笑顔でいられそうな市政を作りたい。


「だからウーヴェ……。そんな風にするな。其方の家業と、父と、其方自身は別物だ。私はそれを承知しているつもりだ。

 きちんと話せ。其方の言葉で。生まれた時から全てが決まっていたと、決めつけて諦めるな。

 ……と、偉そうに言える立場でもないのだがな……。俺も、つい先日まで、そんな心境だった訳だし……はは」


 自分で言ってて恥ずかしくなってしまい、そんな風に誤魔化した。

 昨日までの俺は、まさにこんな風だったよなって、思ってしまったのだ。

 諦めて、戦うことをしなかった。運命に抗ってすらいなかった俺が、言えた義理じゃない……。

 ふと視線をやると、ウーヴェが変なものを見たと言わんばかりの顔で、俺を見ている。

 ああ……威厳も何もないよなぁ……。まあいいけど。

 苦笑して、俺は席を立つ。ウーヴェがビクリと身を縮めた。


「休憩時間が、半分ほど減ってしまったぞ?」

「……は?」

「後半の会議がある。其方も休め。

 あまり心休まる心境ではないだろうが……焦ることもない。ゆっくり考えれば良い」

「ちょっ、い、意味が分かりません!

 バルチェ商会の罪は、充分分かってらっしゃるのでしょう? ならここで拘束すべきです!」


 焦ってそんなことを言うウーヴェに笑ってしまった。自分で捕まえろって進言する悪人はいないと思うよ。


「ウーヴェがそれに関わってるかどうか分からない。まだ其方から聞いておらぬ。

 それに、其方は逃げぬよな。なら、言える心境になった時に来れば良い。

 今は雨季の氾濫対策を優先したい。村民の命と生活が掛かっているのでな。私にはそちらの方が重要だ」


 バルチェ商会の罪というのを把握しているのは、多分マルのみだし。確認する時間も必要だ。

 と、いうのが主な理由だったが、誤魔化しておこう。

 ウーヴェがボロを出してくれたおかげで明るみになったようなもんなんだよね、本当は。でもそれは、知らぬが花ってやつだろう。


「後半も、宜しく頼むよ」と、言い置いてから、俺は退室した。それにサヤがついてくる。

 応接室に戻り、程なくして残りの面々も戻ってきた。ウーヴェは呆然とした感じで、会議室に戻ったそうだ。


「私は、何度、立ちくらみを起こしかけたか……なんなんですかあれは‼︎ さっさと処分すれば良いでしょう! 勝手に自滅したのですから、便乗すれば済むことでしょうに‼︎」


 帰った途端ハインにそんな説教を始められてげんなりする……。

 けどなぁ……俺の印象では、ウーヴェは限りなく白に近い気がしたのだ。

 視線を逸らして逃げる俺を、こいつはしつこく追いかけてきて、グダグダと腹黒い言葉を吐き散らかして来るのだが、サヤがハインのその様子にビックリしているからやめてほしい。

 いやぁ……こういう奴なんだよ、前から。今まで結構しっかり猫かぶってたけど……。


「バルチェ商会を取り潰して、その資金を氾濫対策に当てれば、万事解決だったのでは⁉︎

街から悪人が減り、借金も無くなる。会議で足を引っ張ってくる者も居なくなる。これ以上ない解決策ではないですか!」

「ハイン……それ、悪人の発想だと思うよ……」


 俺の言葉にハインがギラリと目を光らせる。

 怒るなよ……。でもそうだろ? 俺はバルチェ商会が何をしてたかまだ知らない。どうやら何かやらかしてるぞって分かっただけで、処分なんてできる訳ないじゃないか。


「マル、情状酌量の余地無いって、バルチェ商会はどんな悪事を働いたの」

「小狡いものですよぅ。

 上からのお達し額より多くの金額を報告して、寄付ぶんを着服してたんでしょうね。

 十数年、続いてたんじゃないですかね?その辺りから、帳簿の差異が増えてきましたし。

 考えると結構凄いことしてますよ。

 資金の貸し付けができないところには自身が金を貸し、更に利息をせしめてます。

 協力しなければ、上に睨まれると言われれば、仕方ないと従う店も多いですしねぇ。

 あとこれ……多分、役人も絡んでるんじゃないですかね? 賄賂を貰って報告を怠った者が居そうです」

「お前……それ、いつから知ってた?」

「やー、数字の差異は前々から知ってましたけど、悪事の概要がはっきりしたのはさっきですかねぇ。処分もやむなしと自暴自棄になるような悪事って、貴族の金に手をつけてるとか、その辺りでしょう?そう考えると大体の部分に辻褄が合うのですよねぇ。

 大体なんで、もうちょっと違う何かも混じってそうですけど。

 もう一回、資料を当たり直せば、その辺の証拠も拾えると思いますよ」

「いや、今はいい……氾濫対策が先だし。それに、ウーヴェから報告してもらえたらと思うし」


 俺の言葉に、またハインの目が吊り上がった。ギルも呆れたような溜息をつく。


「お前さ……優しいにも程があるんじゃねぇの?

 ハイン程過激に行けとは言わねぇけどよ……明らかに着服してんなら、強権振るっても良い筈だろ。もうその疑いがあるってだけでも処罰の対象もんだろ、本来は」


 本来は……ね。

 貴族の常識でいけば、そうなんだよね……。

 利益より不利益の方が多い者は、さっさと処分する方が早い。

 今後の禍根になりそうなものは、早々に捨てておくべし。でもそれを俺は好まない。


「ギルは、疑わしいだけで罰せられて、納得できるの?」

「……そりゃ、できねぇけど……」

「自分がそれで納得できないのに、人にそれを強いるのは、ただの悪政だと思う。

 もしかしたら、バルチェ商会側には、そうせざるを得なかった理由があるのかもしれない」

「悪事は悪事だろ」

「悪事は悪事だよ。だけど……だからって、上から押さえつければ良いとは、思えないよ……」


 刃物を持って暴れた。それは罪だ。だから切って捨てた。

 今回の、サヤが斬られた事件だって、そうなっていれば、何も明るみに出なかった筈だ。

 ウーヴェは、話を聞けと指示を出したのだ。刃物を向けられても、翻さなかった。自分の身すら危険に晒そうとした。サヤが居なければ、刺されていたのはウーヴェだったのだ。

 謝罪なんて、する必要も無かった。無かったこと。それで全てを済ませれば、罪をこちらに気取られることもなかった。いちいちが、引っかかる。ウーヴェは、わざわざ墓穴を掘りに来ている。


「それが、悪人のすること?

 俺は……そうしたウーヴェを、斬って捨てたくないと思ったんだけど……間違ってるかな。

 サヤが傷を負ってしまったのは、正直今も腹立たしい。だけど……なんか、ウーヴェを責められないなって、思ってしまったんだ……。

 さっきだって、サヤに傷の具合を聞いてた……。保身を考えての行動だと思えない。

 あいつは、良い奴なのかなって……。

 ウーヴェがしたと同じぶん、俺も彼に、機会を与えて良いんじゃないかって」

「良い奴なら、悪事を黙認していたことを見逃すというのですか」

「そんなことは言ってない。ただ、自身の口で告げる時間を、与えたかっただけだ」

「放置している間に、証拠隠滅を図るとか、悪足掻きに走るとは思わないのですか⁉︎」


 ハインを見る。

苛々している。俺がじっと見てると、ギラリと一度すごい視線を向けてから、逸らした。

 これはあれかな…………。


「ハイン、サヤの仇は、ウーヴェじゃないと思う」

「なっ⁉︎」

「お前、俺の時もキレてたし」


 ハインは禁忌の壁というものが薄い。本来なら選ばないような手段も躊躇なく選んでしまう。それが最善だと思えば、自分が泥を被るくらいは平気でやってしまおうとするのだ。

 俺の為だと思えば、自分の命を消耗してでも、俺の危険を排除する方を選ぶ。

 あくまで俺が一番優先されることに変わりは無いのだろうが、サヤも守る対象になったのだろう。

 ハインにとって大切なものが増えた。それは喜ばしいことだけれど……ちょっと不安だ。

 ハインは、自分の手の中にあるものを傷つけられたりすることに過剰だ。

 それはきっと、ハインの生い立ちが関係していて、ハインが人生の中で失ってきたものの大きさを物語っていて……侵入してきたと思う外部からの圧力に、気持ちが暴走してしまうのだと思う。

 冷静なふりや、口調をして、誤魔化しているけれど。


「大丈夫だよ。そこは俺だって、同じくらい怒ってる。

 だけど、ぶつける先を間違ったら、駄目だろ?」

「勝手に、こちらの考えを、でっち上げないでください! 私は……っ」

「ウーヴェに八つ当たりしたら、サヤが悲しむよ」

「っ……だから、勝手に、でっち上げないでくださいと言ってるでしょう‼︎」


 ハインが激怒して、大股で部屋を出て行ってしまった。

 サヤが呆然と見送り、ギルは腹を抱えて笑っている。

 マルも呆れたように肩を竦めた。


「相変わらずだねぇ、ハイン」

「そこをしつこく抉ぐるレイも相当だよな……ああ腹痛ぇ……もう駄目だ……」

「あ、あの……追いかけなくて、良いのですか? ハインさん、すごく怒って……」

「ないない、怒ってない。言い当てられて焦ってんのな。

 しばらく放置しといてやれよ。顔面取り繕えないと、帰ってこれねぇから」


 扉とこちらを見比べながらオロオロするサヤに、ギルが笑って手を振る。


「あいつさぁ、サヤが怪我したのに責任を感じてんだよ、多分。

 で、ねちこい性格だから、全然まだ怒ってんの。怒りのぶつけ先に叩きつけるまで怒ってる。

 一番頓着してませんって態度取っときながらな。

 だから手っ取り早く、バルチェ商会叩き潰してやるつもりでいたのに、レイが先延ばしにしやがったからイラついてたんだよ」


 ギルの解説にサヤは唖然とし、俺は苦笑する。

 まあ、ぶっちゃけるとそんな感じだ。

 うまい具合に悪事のしっぽがちらついたので、ここぞとばかりに掴んでやろうとしていたのだ。

 なのに俺が勝手に話の筋を変えた。ウーヴェをいたぶってやろうくらいに思ってたのに、それどころか擁護した。今すぐ復讐できるだけの材料も揃っているのに、お預けをくらった。

 それであんな風にイラついて、怒ってたのだ。


「ハインはサヤのこと、すごく大切に思ってるってことだよ。

 だけど、サヤは……ウーヴェは良い人だったって言ってたし、俺も悪い奴だと思えなかったし……暫く我慢してもらうしかないかな。

 あれだけ釘を刺しておけば、自重するだろうし」

「あ、あえてされてたんですか⁉︎」

「ハインの性格は弁えてるよ」


 俺はそう言って肩を竦める。殆ど一日中、九年以上一緒に過ごしてるんだから。

 禁忌の壁が薄いハインは、サヤの危険を排除するために多少の反則もやむなしと行動しそうだ。だがそんな方法は選んで欲しく無いし、自分を大切にしてほしい。エゴンが悪人だとして、それを処罰するために、自分が悪事を働いてでも…なんて、本末転倒だ。


「会議を再開するまでには、戻るよ。それまでそっとしておこう。

 さて、問題はここからだよな。感触は良かったように思うけど……どうかなぁ」

「土建の後継は釣れそうだったな。

 若い方が思考が柔軟だし……まあ、視野も狭いし? 釣れやすいと思うが…。

 エゴンと、オレク、カスペル辺りはどうせ反対だろうしな……あいつらつるみがちだし。

 反対意見をどれだけ論破できるかかな…」

「賛成はまあ、ギルだろ? 後は…」

「うちの組合長は賛成すると思いますよぅ。楽しそうだったし。

 革新的なのが好きな方ですからねぇ。そうすると材木組合辺りも釣れますかね」


 それぞれの意見を纏めていくと、反対が濃厚なのはバルチェ商会、麦商のカスペル、酒造組合オレク。

 賛成。もしくはそれが見込めそうなのはバート商会ギルバート、商業組合レブロン、材木組合エイルマー。あと、食いつきの良かった土建組合もかなとなった。

 職人組合も反応してたが、どうだろうな…大工には好印象でも、組合全体の意見をと考えると、分からない。


「前例が無い。は、絶対出てくるよな。前例が役に立たねぇのに前例に習ってどうすんだって話をすりゃ良いか。

 工事の規模と費用は突っ込まれるだろうな。実際、全金額つぎ込むって言ってる状況だ。失敗したらどうするんだってなるよな。農民らの生活する場所が確保できないってのは……やっぱり問題だし……」

「そこは、別館を使うよ。

 万が一の場合は、農民全員、別館に避難できるし、生活できる。それだけの部屋数と設備は整っている」


 俺のその言葉にギルが目を見張り、サヤが唖然とする。

 ちょっと後出しにバツが悪い思いをするが……俺だってやる時はやるよ。


「……れ、レイシール様?」

「良いんだ。

 正念場だから。

 俺だって立場を賭けるくらいのことはするよ。大した価値もない立場だけど……」

「で、でも……!」

「良いんだ。

 領民を護るのは、領主一族の責務。だろ?

 領民に身銭を切れって言って、俺が踏ん反り返ってるのってどうなの? って、話だろ。

 無理をお願いするのだから、これくらいのことは引き受けなきゃね。

 大丈夫だよ。成功すれば良いんだ。その為にマルも頑張ってくれる。だから、ね?」


 俺がそう言って笑っておくと、ギルは苦虫を数匹口に突っ込まれたような顔をし、サヤは両手を口の前で握り締めていた。マルは相変わらずですねぇと、へらへら笑う。

 大丈夫だよ。そんなに心配しないで。これはね、俺にも必要なことだと思うんだ。

 サヤの痕跡を残すために……。必要なことだと思うんだよ……。


「だからさ、まあ、あまり気にしないで。先のことを心配しても仕方がないよ。

 それよりもまず、対策資金の確保だろ。目の前のことを、一つずつ、こなしていこう?」


 自分の中で変化が起きているのは気付いていた。

 サヤが俺を大切なものの記憶に分類してくれていると知ったから。俺は弱くないと言ってくれたから。

 だからといって、異母様や兄上に対して感じる恐怖や、過去の出来事が振り切れたわけではなかったけれど、それでも、立ち向かえそうな気がしていた。

 サヤの中の俺を、辛い記憶にしたくない……。思い出してもらえる記憶でありたい。そう考えたのだ。

 サヤは捨てないと言った。辛い記憶であっても、きっと大切にしてくれる……けれど、思い出す度辛くなるような記憶でいたくないのだ。いつでも取り出して、眺めておける記憶でありたいと、そう思ったのだ。

 だから頑張る。少しくらい無茶もしよう。

 その為になら、怖くて痛いことくらいは、我慢できそうな気がした。


 ……多分これは、反動なのだと思う。

 引き摺っていた重荷が急に減った気がして、身体を軽く感じているだけだ。

 まあ、それが分かっていても、動けそうだから動きたい。動けるうちに動きたい。

 どうしようもないところまで進むことが出来れば、後は進むしかないのだ。

次も来週日曜日のつもりです。


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