表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第三章
43/515

大店会議

「よし、準備は問題無いな。サヤ、腕は……」

「朝、レイシール様が包帯を変えて下さったので、大丈夫です。

 ちゃんと癒合したようですよ」


 ギルの確認に、サヤがそう答える。紫紺の髪をおろし、横髪だけを少し結わえて髪留めを飾っている。化粧を施したサヤは、年齢より更に年上に見え、なんだか随分大人っぽい。

 女性って凄いな……化粧一つでこんなに変わるんだから……。同じ化粧でも男装と全然違うのが、また凄い。

 服装は、肘までの袖がある桃色の短衣に、少し広がりのある紺色の袴だ。足元は短靴ではなく、紺色の布靴。白い前掛けをしているのがなんだか新鮮だ。

 因みにルーシーも同じ意匠なのだが、こちらは色が違う。象牙色の短衣に瑠璃色の袴と布靴だ。前掛けだけが、サヤとお揃いの白。そして髪はサヤと同じく、横髪だけを少し結わえている。サヤが片側だけなのに対し、ルーシーは両側を結わえ、それを後ろに回して髪飾りを飾っていた。きっとサヤがしたんだな。とても似合っている。


「一応な。一応。くっついたってだけなんだから、とにかく今日も、出来る限り重いものは持つなよ。

 それで……レイはなんか、気合入ってるな……」

「俺に入ってたんじゃないよ。サヤとルーシーに入ってたんだ」


 鬱々とそう答える。

 俺の今日の髪は、凄いことになっていた。

 なんと表現すれば良いんだこれは……右側の横側が細く数本に分けて編み込まれ、それが後頭部から別の編み込みに加えられ、左肩から編まれた髪が垂れている。サヤ曰く、右上から左下にかけて編み込んだらしい。いつもより細かく、繊細な感じに結わえられているのだ。


「いや、良いと思うぞ。いつもより女顔じゃない」

「何だよそれは! 俺が普段女顔ってことか⁉︎」

「何不機嫌になってんだよ…。似合うって言ってんだろ?」


 ニヤニヤと笑うギルがなんか、腹立たしい……。

 今日の俺は礼服姿なのだが、サヤとルーシーに気合を入れて飾られたのだ。

 そう、何故かルーシーも加わった。サヤの支度をしに来ていたルーシーが、そのまま俺の支度に雪崩れ込んだのだ。そしてただ礼服を着るだけの予定だった俺に、あれやこれや付け加えた。長衣を入れ替えられ、腰帯を取り替えられ、眉まで整えられた。

 で、その俺の出で立ちは、淡い水色の長衣に薄緑色の上着と細袴、で腰帯は紺色。髪を括る飾り紐は紺と黄金色の二色だ。何故ここで黄金色が出てくるのか…。今回は別段上着の裏地が黄金色でもないのに……。やはりよく分からない…。


「いや、でも真面目に似合ってるって。

 いつもより大人っぽくなってる。良かったじゃねぇか」

「そうですよ。しっかりして見えますから良かったんじゃないですか?」


 それ、普段しっかりしてないって言ってるよな⁉︎

 横を通り過ぎながらぐさりと刺してくるハインに、俺はふて寝したい気分になった。

 そんな俺の不機嫌をどう思ったのか、ルーシーと話をしていたサヤがやって来る。


「レイシール様、本当に、とても素敵だと思います。

 あの、もしかして、頭のどこかが引きつりますか? 痛いなら、直します」

「違うよ、別に痛くない。ただなんというか……なんともいえない気分なだけで……」


 なんともいえない……うん。そうとしか表現できない。

 社交界でもこんなに気合が入った格好したことない……。

 それがなんか、面映ゆいというか、居心地悪いというか……。大店会議にそんな気合入れなくって良いと思うんだけど……と、そんな感じなのだ。

 だいたい、今まで何度も顔合わせしてる店主や組合長がなんて思うか……。こいつどうしたんだって思われたらどうしよう……ああああぁぁ、考えたら恥ずかしくなってきた……!

 顔を歪めて羞恥に耐える俺をどう思ったのか、サヤがちょいちょいと手招きしてくる。

 なに。どこか崩してる所でもあった? そう思いつつ少し身をかがめて耳を貸すと。


「レイ、ほんまよう、似合うとるから、大丈夫やで? その……か、かっこええと、思う」


 髪を直すふりをしながら、サヤが耳元でそう言った。

 おかげで一気に顔が熱くなった。

 逆効果だよ……。余計に恥ずかしくなったんだけど……。でもなんか、まあ、サヤにそう思ってもらえるならまだマシかな……うん、そう思って耐えよう。


「あ、ありがとう。

 ……サヤもとても綺麗だよ。今日は、お互い頑張ろう」


 お礼ついでに、まだ言ってなかったことを伝えると、サヤがびっくりしたような顔になり、サッと頬を染める。その表情に胸を貫かれた。

 なんか、自滅してしまった気がする……。可愛い。ダメだ俺……なんかもう、疲れた。


「ギルぅ、なんでこんな格好しなきゃいけないの? なんか凄く服に着られてる感じがするよ」


 あちらはあちらでのほほんとした会話がされていた。マルがきっちり上着まで着せられて不満を述べているのだ。こんな格好と言うが、従者服とほぼ変わらない。上着の下は短衣に細袴だし、普段と違うのは上着くらいだ。


「お前、貴族相手に普段着でいいと思ってんのか……レイは気にしないが建前は気にしろ。

 あと、会議の時レイ様って呼ぶなよ。マジで怒るからな」

「それくらいの分別僕にだってあるよ。信用無いなぁ」

「分別ある奴は上着くらいで不満言わねぇんだよ」


 ギルも、きっちり上着を着込んでいる。

 ギルはいつも以上に王子様だ。前髪を後ろに撫で付けている。上着は飾り気ないのに、顔が豪華だからそれでも相当キラキラだ。

 ハインも、今日は前髪を分けていた。……ハインも⁉︎ ど……どうしたんだ?


「マルさん! 髪を整えますから……なに逃げてるんですか!」

「僕はいいって! やめてよ似合わないからさぁ」


 分かった。ルーシーにやられたのか。

 俺だけが被害者じゃなくて良かった。マルも甘んじて受けてくれ。


「失礼致します。

 会議の参加者様方が到着し始めたようですので、旦那様、サヤ様、ルーシーは移動をお願い致します。ああ、サヤ様。会議の間敬称を省きますが……」

「はい。承知してます。今日は宜しくお願い致しますね、ワドさん」

「はい、宜しくお願い致します」


 サヤとギル。そしてルーシーは、一足先に来客を出迎えに行くらしい。

 応接室にはワドが残り、今回マルは、俺と一緒に会議室に向かう。あ、そういえば……商業会館の組合長に、話を通さなきゃならない。マルを長期間借り受けることになるのだし……。とはいえ、商業会館の仕事もあるだろうしな……。どのへんまでマルを借りてられるか、そこも交渉か。

 ハインとワドが何かやりとりをしているので、俺は暇なうちに、マルにお願いをしておくことにする。


「マル、組合長に、後で話があるって、席で伝えておいてもらえる?」

「はい? うちの組合長ですか? もしかしなくても、僕絡みです?」

「勿論そうだよ。マルを長期間借り受けたいって話を、しなきゃいけないだろ?」

「はぁ……。それなら、呼ばれたんで行ってきますって、僕が報告すれば済むと思うんですけどねぇ」


 済むわけない。

 従業員を……しかも情報管理の部からいきなり引き抜くだなんて、言語道断だぞ?


「済みますよ。僕の場合。商業会館に入った時、そういう条件で契約したんで」

「は?」

「いえいえ、こっちの話ですから。

 まあ、僕から言っておきますよ。それで、何か組合長から文句でもあった場合は、レイ様に繋ぎます。なかったらそれで充分ってことで……」

「文句が出る前に繋げろよ! とにかく、一度きちんと伝えたいから、俺の口から伝えるから、話を通してくれ」

「えぇ〜。まあ、いいですけど。じゃあ伝えますね」


 なんか渋々了解した。

 いや、普通通すべきだろ? そちらの使用人を一年以上借りますって話をしないで良い筈ないだろ? そりゃ、普段は貴族から、一方通行の報告だけで、済まされてた事かもしれないけど、俺はそんな風にしたくない。

 ちゃんと組合長と話をして、借り受けてる間の給料の問題とか、月のうちの何日を借りられるかとか、契約内容をつめなきゃいけないと思うぞ?

 と、そこで扉が叩かれた。


「八割方揃われたので、そろそろとのことです」


 やって来たのはサヤだった。

 ワドがサヤと交代し、応接室を退室する。

 俺が入室するときは、サヤがつくのだろう。ギルが、気を回したんだろうな……。そう思いつつ、サヤに労いの言葉をかけにいく。


「サヤ、おかえり。どうだった?」

「はい、えっと……思ったより、若い人が多くてびっくりしました」

「……若いかな?」

「……いえ……普通ではないですか?」


 ハインと二人で首をかしげることとなった。

 会議の面々を思い浮かべるが、別段……特別若い感じはしないんだけどな。上は五十代、下は二十代か……。普通だよな、やっぱり。

 俺たちの反応に、サヤは苦笑している。そして、サヤが若いと感じた理由を教えてくれた。


「私の国では、組織の代表者って、ご高齢の方が多いんです。四十代が若者に分類されるくらいなのに、ここでは、五十代で高齢だったので、びっくりしたんです」

「え?それだと困るだろう? 何か問題が起こった時に動けないんじゃないか?」


 四十代が若者分類って……。六十代や七十代が代表してて、事件や問題が起こったらどうするんだ? 体力面が心配でならない…。問題が無くても気付けばご臨終じゃあ、更に話にならないぞ?

 びっくりする俺に、サヤは「私の国は、長寿ですし」と、言葉を濁す。


「長寿なんだ。じゃあ七十歳くらいの人も結構いるの?」

「平均寿命がそれくらいだったかと。確か男女ともに八十歳辺りでしたね」

「っ⁉︎……それは、大抵の男性がそれくらい生きるという意味ですか」

「大抵……。そうですね。百歳以上の人も結構いますし」

「ひ、ひゃくさい⁉︎」

「干物なんじゃないの? ちゃんと息してるのかな……」


 マルまで呆気にとられ、そんなことを呟く。

 俺たちの周りでは、七十歳まで生きれば結構な長寿だというのに、更にに三十年生きるだなんて……。


「うちのご近所にも、毎朝ジョギング……走ってらっしゃるおじいちゃんがいましたよ?確か、九十四歳だったかと」

「走れるの⁉︎」


 よろけてしまった。サヤの国って、なんか色々がとんでもない……。

 でも、おかげで緊張がほぐれた気がする。


「ま、まあ、とりあえず移動しよう。会議室の前まで」

「あ、はい」


 慌てて応接室を後にする。

 ちょっと脱線話で時間を取ってしまった。

 八割方と言っていたから、もう全員揃っているかな。


「……そういえば、エゴン親子はもう来た?」

「いえ、私が会議室を離れる時には、まだでした」

「そうか……」


 ウーヴェという男が気になった。

 改めて詫びると、そう言ったらしいから、早めに来るのかと思ったのだが……。

 まあ、会議の後にと考えているのかもしれないしな。そう思いつつ足を進める。


 会議室に近づくと、サヤが中の音に耳をすます。そして、「もう揃ってるようです。入りましょう」と、言い足を早めた。聞こえるって便利だ。


 サヤが扉に手を掛けるので、俺はそれに手を添える。大きな扉だし、サヤの傷に響く気がしたのだ。少し手伝うくらい、中から見えなければ問題ない。


 扉を開けて、サヤが一礼して中に入り、扉の横に立つ。

 それから一呼吸間をあけて、俺は会議室に入室した。

 視界の端に、頭を下げている一同が見える。

 サヤの入室を合図に、頭を下げているのだ。俺が席に着き、声を掛けるまでこの体勢で待たなくてはならない。

 だから俺は、少し早足で歩く。

 俺が自身の席に到着すると、サヤがその後ろに立った。それを待って椅子に座り、一同を見渡す。

 ウーヴェは、すぐに分かった。全身黒尽くめ……確かに。エゴンの右隣で頭を下げている。


「待たせてすまなかった。頭を上げて、席に着いてくれ」


 俺が声を掛けると、一同が姿勢を正し、席に着いた。

 そしてその一同を見渡し、俺は内心でギクリとする。

 ウーヴェが、サヤを見ていた。

 気付いてる……。直感でそれを悟る。

 心のどこかでやはりという気持ちと、何故という疑問が渦巻く。

 だが、今ここでそれを問い質す訳にはいかない。俺は深呼吸をして自分を落ち着け、意識の端でウーヴェへの警戒を緩めることはしないと決めた。


「日程がなかなか定まらず、申し訳なかった。

 もう雨季も近い。氾濫対策についてのお願いをしたくて集まってもらった。

 今年は氾濫の可能性も高いという話があってね。少しバタついていたのだよ」


 俺の言葉に、一同が近場に座る人間の顔を伺う。明るい表情をした者は一人もいないが、嫌そうに顔をしかめた者が数名……眉を寄せ、不安を顕にした者が数名……極力無表情を保った者が残りで、一名、俺を注視している。

 俺の言葉の間に、それぞれの席に茶が運ばれ、机に置かれた。

 俺の元にもサヤが茶を運んできたので、視線を送ると緊張した面持ちだ。俺と視線が合うと、少しばつが悪そうな顔をした。

 ウーヴェがサヤに気付いていること、サヤも分かっている……そして心当たりがあるのだな。後で話すようにと、小声で伝えると、小さくこくりと頷いた。

 サヤが戻り、俺が視線を前に戻すと、ウーヴェが俺をまだ見ていた。

 思っていたより、若く見えるな……たしか、二十八だと、聞いた気がするが……。

 視線が一瞬だけ交錯するが、俺は、言葉を口にすることを優先する。


「つい先日までは……例年通りの氾濫対策をするしかないと考えていたのだが……光明が見えた。

 毎年同じことを繰り返すのも終わりにしたい。だから今年は、今までと違うやり方でいこうと思うので、それについて検討してもらいたく、集まってもらった。

 とはいえ……これから提案する方法は、今まで例のないものだ。

 費用も規模も、大きく変じる事となる。

 その為、領民の意見により、賛否を決するつもりでいる。つまり……メバックにおける大店会議。今ここに座る其方らが、領民の代表となる。

 其方らからすれば、急な重荷かもしれないが、気負わずとも良い。知人、隣人が、恙無く過ごせる方はどちらか……それを考えるだけだ。

 今年を上手く抑え込むことができれば、来年以降、氾濫を抑えることも可能になるかもしれない。そのような方法を、マルクスが提案してくれた。ここからの説明は、そちらに任す。

 今日一日は、私のことは気にせず、好きに発言してもらって構わない。忌憚ない意見を聞かせて欲しい。

 そして、賛同が多数となった場合は、援助をお願いしたい。寄付、貸し付け、どちらでも構わない。

 強制ではないし、そちらの事情も考慮するつもりでいる。まずは、対策方法を聞いて吟味してくれ」


 そう言ってから、ハインに視線を送る。

 ハインは若干不満顔だが、まあそこは、俺の決めたことだと納得してもらうしかない。

 本来なら、領民に対策の賛否を問う必要など無い。貴族が決めて終わりだ。

 だが私は、領民の意見を聞きたかった。

 氾濫する川に、辟易していない者はいないと思うが、大金をかけて川を改良したいかどうかは、また別だと思うのだ。しかも前例の無い、初めての方法であるのだから、尚更不安に思う者は多いだろう。

 だから、どのような工事を行い、どのような結果を目指すのか……そこを知ってもらいたかった。知った上で、納得して出資して欲しかったのだ。

 初めての事である以上、想定していなかった事態も多々起こるだろう。今年は失敗に終わるかもしれない。だが、一度失敗したからもうこの方法は選ばない……となっては、困るのだ。

 何度だって挑戦する。その為にも領民の理解が必要だと思った。とはいえ、時間も掛けていられない。

 だから俺は、この大店会議で、工事を行う可否を決めることにしたのだ。

 賛成多数を得られるならば、工事に着工する。

 反対多数となるなら、例年通りの対策となるが、実験を兼ねて、土嚢で壁の補強をしようと考えている。こちらの場合、河川敷に移行できないので、ただ川の氾濫を抑えるだけとなる。とはいえ、例年通りの資金繰りであるなら、余り分しか土嚢に当てられない。さした量の土嚢壁は作れないだろう。


 会議室の一同を見渡すと、不安そうな顔の者や、急に言われた重大事項の決定に動揺している者も見受けられる。そんな彼らだからこそ、意見を聞きたい。上の意向など関係なく、自身のこととして、決めてもらいたかった。

 こちらを伺ってくる視線も多く感じるな……。俺がしかめ面しい顔してたら、きっと顔色を気にされてしまう。そう思ったので、柔和に見えるよう顔を意識する。……まあ、いつも通り笑って取り繕うってことなんだけど。


 ここからは、ハインとマルによって話が進められた。今までの氾濫対策がどのようなものだったのか、その説明と結果の報告を、まずハインが行う。

 当然それは、皆が知っていることなので、ふんふんと頷くもの。適当に聞き流すもの。他と意見交換を行う者など行動が様々とられる。


 今までの氾濫対策。

 それは、付け焼き刃と言うのが一番無難な表現だろう。

 川と、道の間の隙間に板壁を二枚打ち付け、そこに土を入れて押し堅めるのだ。それと同時進行で、仮の住居が建てられる。夏場のことだし、家屋再建までの短い間の住居なので、造りはとても粗雑だ。

 川辺に作った壁で、微々たる時間を稼ぐ間に、農民たちが避難し、氾濫が収まった後に、家屋や畑の整備、再建を行う。

 つまり、被害が出るのが前提だ。だから、氾濫対策の費用の殆どは、氾濫後の整備や再建に当てられる。

 水量の増減が思ったより少なく、被害が無ければ壁と仮の住居は解体される。税金の徴収も見送られ、余った資金のうちの寄付が優先的に費用に充てられ、借り受けぶんは返される。寄付だけで足りなければ、また税金が徴収され、借り受けぶんは翌年以降に返金される。

 貸す方も大変なのだ。しばらくの間、店の運営やりくりに苦心すると思う。なにせ、何かの折に使える資金が減り、いつ返されるかはっきりしないのだから。

 それこそ昔は、その期間エゴンに借金しなければならない店などもあったようだ。


「私からは以上です。

 では、マルクスより新しい氾濫対策についての提案に移ります」

「はいはい。じゃあ……自己紹介はいいですね、みんな僕のことは知ってるだろうし。

 ……あれ? エゴンさん、何か質問ですか?」


 マルが説明を始める前に、エゴンが机を指でトントンと叩いたので、マルが動きを止める。


「お前は商業会館の使用人だろう。なぜお前が説明に出てくる」

「あー、それはですねぇ……」


 マルが説明を始める前に、横に座っていた商業会館の組合長レブロンが口を開いた。


「マルクスは、確かにうちの使用人ですが、レイシール様にこちらが借り受けているだけですよ。

 レイシール様より要望、指示があった場合は、そちらを優先すると、契約当初からそうなってます」

「なに……」


 組合長の言葉に、俺もびっくりした。

 いや、確かにマルを紹介したけど……そんな話は、していない。いつの間にそんなことになってたんだ?

 とはいえ、俺が知らないとか言うとややこしくなりそうなので、とりあえずいつもの笑顔を貼り付けてお茶を濁す。


「そんな訳なんですよねぇ。

 僕は常に、商業会館の仕事をしつつ、レイシール様の仕事もしてたんですよ? ここに来た当初から、セイバーンの氾濫問題は取り組んでたんです。それで今回なんとか、目処が立ちましたから、提案させて頂くことにしました。

 質問は以上ですか? じゃ、始めさせて頂きますね」


 マルがそう言うと、周りが騒めいた。マルが会館の仕事以外をしていたことに対してかな。

 そりゃあね……。マルのいる情報管理の部門っていえば、厳しすぎてなり手がいないって言われているほどに忙しいのだ。給料は良くても誰もが倦厭する……そんな場所で、その膨大な仕事量以上のことをしてたというのだから、あり得ないよな。

 だが、嘘は言っていない。確かにマルは、商業会館以外の仕事もこなしていたのだ。川の増水の要因を探してもらっていたのだし。そこにサヤから、解決策の糸口が示されたにすぎない。

 そんな騒めきの中、ワドとルーシーが、壁に掛けてあった大きな布を取り去る。

 現れたのは、氾濫しやすい箇所を中心とした、川とのその周辺の地図。

 そして、サヤの描いた川の断面図を、布に大きく描き直したものだった。

 その図の前に移動して、マルが口を開く。


「えっとですね。結論から言いますと、畑を数枚潰しますが、氾濫を食い止める方法に切り替えます。

 今までのやり方、氾濫ありきでは、全く状況は改善されません。一年一年を見るならともかく、今まで掛かった総額を考えると、方向転換は止むなしって思うんですよねぇ。つまり、費用が掛かり続けてるわけですから」


 ざっくりとした計算でも、セイバーンの年間収益で換算して三年ぶん余りの費用が注ぎ込まれていると、マルが言った。しかも、記録が残る年のみの合計だ。

 その金額に全体がざわつく。


「家屋の再建と畑の整備、川の補強をこれだけ繰り返せばねぇ。それくらい掛かりますよ。しかもこれからも出費し続けるなんて、なんて贅沢な無駄遣いかって話なんですね。

 今のやり方を続けるなら、もういっそのこと、毎年この氾濫対策用の費用を税金徴収して、被害があろうがなかろうが集めた方が良い思うんですよ。被害が無かった年は貯えに回し、あった年に使用する。そうすれば、 臨時で集める金額の三割程度の金額を徴収する形で当面補えるんですけど……嫌でしょう?」


 そりゃ嫌だろう。三割程度の金額と言われても、それを毎年上乗せされるのだから。

 嫌に決まってるだろうという周りの反応に、マルは満足げに頷く。

 なので、やり方を変えようと思ったんですよ、と。


「畑数枚の収益と被害額を比較しましたらね、毎年一分程度の収益低下で済むみたいなんですよ。道や橋の掛け直しも必要になりますが、最低限で良いなら、二年分程の氾濫対策資金で、一応賄えます。畑の収益低下と、二年分の氾濫対策資金。それで今後の氾濫が防げるなら安いものでしょう」


 マルがニコニコと笑いながらそう言うが、組合長や店主らは顔を見合わせる。

 その顔には、いくら今後のためとはいえ、一年で二年分の資金をひねり出せと言うのは、到底無理だと書かれている。

 当然そうだよな……。俺が内心で溜息をついていると、エゴンがまた机をトントンと叩く。


「安いもんだと言うがな、その二年分の金の工面を一体誰がやると思っている。

 いくらメバックが豊かだといっても、無茶だと思わんのか」

「そうですか? でも、出せなくはないですよねぇ……。僕、その辺もちゃんと計算してみました。ねぇ、エゴンさん」


 ヘラリと笑ってマルが言う。


「出せなくはないはずですよ。具体的に述べましょうか?」

「……何をだ」

「僕、情報収集は得意なんですよねぇ。だから、バルチェ商会の資産も結構きっちり計算してますよ。それぞれの大店、組合……全ての資産を、計算してます。それが僕の、商業会館での仕事。その一部ですから」


 何人かが口を噤む。

 マルの優秀さを知っているから、それが大袈裟でもなんでもないと分かっているのだろう。

 もしくは、何か含む部分を持つ者は、痛い腹を探られていると感じているかもしれない……。

 さっと視線を巡らすと、またウーヴェと視線が合った。何か……ギラつく感情が見えた気がしたが、それはすぐに逸らされ、俺の後ろ、サヤに向けられる。

 俺は手を挙げサヤを呼び、呼んでから茶を消費してないことに気がついた。器を手に取り、一気に呷ってからサヤに注いでくれとお願いする。

 ウーヴェの視線は、それでサヤから外された。

 とりあえずの目的を達成できた俺は、サヤが器を取り替え、茶を注ぐ間にサヤを見る。

 顔色は……悪くない、震えている様子も無い……な。

 小声で大丈夫かと確認すると、サヤはこちらに顔を向けて、口角を上げる。

 そうか。大丈夫なら、いい。

 腕を組んで、椅子の背もたれに背中を預け、俺はギルを見た。

 昨日のうちに、マルやハインと話を詰めているギルは、慌てるでもなく、状況を見守っていたが、俺と目が合うと、片目だけを閉じて分かってると合図してきた。


「話が脱線しかけている気がするんだが?

 こちらの話をさせてもらうと、いくら資金があろうともな、二年ぶんもの氾濫対策費を捻り出してしまったんじゃ、火急の時に対応できない可能性が出てくるんだ。

 それを考慮してもらいたいもんだな」


 他の代表者の気持ちを代弁する言葉を、ギルが敢えて口にする。

 それによって、言いたいことがあまり口にできない内向的な代表者数人が、ホッとした顔をする。張り詰めていたものが少し緩んだ気がした。


「ええ、勿論ですよぅ。それに僕は、二年分を一度に出せだなんて、一言も言ってませんから、誤解しないでくださいね?」


 にこやかにそう答えるマル。またザワついた。一体何を言っているのか分からないといった感じだ。


「今年の氾濫対策費用は、去年と同額で充分です。

 ただ、畑の整備や家屋の再建、農家の方々の仮住まいの建設には使いません。全額を、川の補強につぎ込みます。つまり失敗は許されないってことになるんですよ。失敗した場合、必要な資金が、文字通り倍額になっちゃうんで、中途半端にはできません。全力でかかって成功を収めるしかないんですよねぇ。

 けれど、成功すれば、翌年の今頃には……川の氾濫を、抑えられる川に、生まれ変わる可能性を残せます」

「どういうわけだそれは……」


 誰かの呟きが聞こえた。うん。もっともな意見だ。今のじゃ俺も分からない。

 そのつぶやきに答えるように、マルは視線を一巡りさせて、ニコニコと説明をはじめた。


「つまりね、今年の氾濫対策は、二段構成になってるのですよ。

 今年の氾濫を防いだ後、次の構想に移る予定です。

 まずは、基礎段階の作業で、今年の川の氾濫を防ぎます。

 雨季が終わったら、その作業に補強を加えて強化し、道と橋の作り変えを行います。

 それがこの図です。川の断面を描いたものなんですけどね」

「……そうか、断面……」


 また誰かの声だ。視線をやると、土建組合のどちらかの発言であるように思えた。

 それを聞いたマルが、図を指差してどれが何かの説明をしていく。


「ここが川。ここは現在畑の部分です。川よりの畑は潰すことになりますねぇ。

 道も当然、沈みます。雨季の間少々不便ですけど、川の北側の道は塞がない予定なので、メバックとの往来に不便はありませんよ。

 ここに、壁を作っていきます。板壁は一枚で結構。その壁の後ろに隙間無く、土入りの袋を積み上げていきます」

「土入りの袋?」

「土を盛るんじゃなくて、袋なのか?」


 ザワリと会議室に疑問の声が湧き上がる。

 しばらくそのざわざわした声が会議室の空間を埋めていたが、そのうち後方でトントンというか、ゴンゴンっと、机が叩かれた。


「あの! なんで袋詰めなのか、聞きたいんすけど……それは、強度を上げるための作業なんだよな? あっ、で、ですか⁉︎」


 土建組合の後継の方だったか。若干血の気の引いた顔でアワアワしている。

 喋り慣れてない感じだ。気持ちが急いて、言葉を選び間違ってしまったみたいだな。

 俺は気にしてないよという気持ちを込めてニコリと笑っておく。

 後継は真っ赤になってしどもどしていたが、マルが話し出すと、意識はそちらに切り替えられた。


「ああ、はい。そうなんですよ。これは、要は岩の代わりですねぇ。一定の作り方をきちんと守っていただけると、結構な強度のものが完成する予定です。

 現物、見てみたいですか?」

「みっ……み、見たい……です」

「そうこなくっちゃねぇ。あ、じゃあすいません、あれお願いします」


 マルが、ワドに声を掛けると、ルーシーが部屋を出た。

 暫くすると、布に包まれた何か大きなものを抱えた数人の使用人と共に帰還する。それを室内の、中心地に運び、布を広げると、数個の袋詰め……昨日作った土嚢だった。


「これが現物です。ちょっと待ってくださいね。今積みます」


 そう言って、マルがひょこひょこそちらに歩いていき、数個の土嚢をよいしょと積み上げる。

 荷物の中に一つだけ収まっていた円匙を手にとって、パンパンと叩いてならしていく。

 昨日練習してるので、マルでも案外簡単に形を作れた。整えた岩を重ねたような、台形の形が出来上がる。隙間は少なく、綺麗に形が整っていた。


「まあ、こんな感じです。これをもっと高く、幅広く、長くつらねていくんですけどね。

 土をただ盛るのに比べると、比較にならない強度なんですよ。なにせ、水で流そうと思っても、なかなか削れませんからねぇ」


 ほぉ…だとか、おお。だとか、感嘆の声が上がる。

 さっきの後継が、なんだかワクワクとした顔で、それを観察し……また口を開いた。


「な、なあ……側で見ても……?」

「ええどうぞ。なんならくずして作り直してもらってもいいですけど。

 ふふふ、これ、画期的でしょう? 正直ほんと、鳥肌ものだと思うんですよぅ。

 特に、長期間天候と戦う必要があるあなた方、結構これ、使えるんじゃないかって思っててねぇ……作り方と、使い方。普段なら、情報料次第でお伝えするんですが……」


 マルがにこやかにそう言って、場所を譲る。

 すると、土建組合の後継は土嚢の手前で足を止めた。


「え……積むだけじゃ、ないのか?」

「勿論違いますよ。細々とある手順。これが一つ抜けると、一段階強度が落ちる。下手をすると、用を成さないものになってしまいます。注意点はいくつも有りますよ。

 更にね、この程度積むだけならご覧の通り、僕にだって出来ますよ。だけどこれをもっと長く、厚く、高く積み上げなきゃいけない。結構技術とコツが、必要だと追うんですよねぇ。

 あ、そうだ。川の補強期間に、組合さんから人員を出してくれるなら、これの方法、覚えて帰って頂けるよう手配しますよ。

 実践で土嚢の作り方と積み方を、嫌という程身体に叩き込めます。

 それの場合、情報料は必要無いです。人件費と相殺ということで手を打ちますからねぇ」


 但し、十人以上、最長ひと月の期間参加してくださいね。と、マルが言う。

 席についたままの組合長は、渋い顔をした。しかし、後継は期待に満ちた顔を紅潮させている。なんか食い付きが良い青年だ。

 そしてマルが何を狙っていたかも、察することができた。

 土建組合か。川の補強にかれら専門職を無料で借りようってことなのかな。

 そう考えたのだが、更に声を掛けた。


「因みにね、災害時の対応としても有効ですよ。例えば豪雨の時ですねぇ。

 これで建物を囲えば、雨が流れ込むのを防ぐことにも使えるんですよ。

 建物の入り口に枠を作るだけで効果が出ます。人は跨いで通れますから、害にもなりません。

 まあ、声を掛けていただければ、土建組合と同じ条件で引き受けますよぅ」


 ほう……と、職人組合の組合長が興味を示す。

 雨季に被害が出るのは、なにも川だけではない。街の中も水浸しなのだ。

 職人組合の今の組合長は確か大工だ。

 火災、災害時に呼び出され活動する大工には、使い道があるらしい。こちらも食いついたな……マルの思い当たっていたのはこっちか?

 だが、ニコニコしている顔からは何も伺えない。


 他にもいくつか質疑応答が繰り返された。費用の内訳や工事にかかる期間などについてだ。

 そこで、日雇いや専門職を招集しての突貫作業となることも告げられる。なにせ雨季は目の前なのだ。


「他に質問はございませんか。

 ……では、ここで休憩を挟みます。

 一時間後に、またこちらまでお願いします。戻れる方は、一旦組合や店舗に戻って相談等していただいても構いません。では、四時に再開致します」


 ハインがそのように声を掛けると、一同は各自思う動きを始めた。

 大急ぎで部屋を出て行く者、知り合いの組合長を捕まえて話し出す者。ただ席に座り続け、なにか考えている者……。それぞれを見渡してから、サヤに視線をやり……慌てて立った。

 サヤの元に向かう者が一人いたのだ。

 サヤも当然それに気付き、視線をそちらにやっていた。


「こんにちは。傷のお加減は……大事無かったですか?」


 サヤの元に向かう俺の耳に、そんな言葉が聞こえた。

 低い……少し掠れ、冷えた声音だった。

 サヤから三歩離れた距離。黒尽くめのウーヴェだ。


「はい。大丈夫です」

「そうですか、よかった……。

 やはり……女性だったのですね」

「…………」


 やはり……と、言った。

 確信は持っていなかった……ということなのかな?

 そう考えつつ、俺が足を早めると、ウーヴェはこちらの動きに気付いていたようで、道を空けて頭を下げた。

 そのまま進み、サヤを俺の後ろに下がらせる。


「面を上げてもらって構わない。昨日は……サヤが世話になったようだね」


 若干、言葉に棘が含まれるのを抑えることができなかった……。とはいえ、小声で、周りに聞かれぬよう、そう口にする。

 俺の言葉に、ウーヴェが視線をこちらに向けてくる。俺はその目を見返した。


「昨日は……こちらの不手際の尻拭いを、そちらの方に負わせてしまう事態となりました。本当に、申し訳なく思っています。

 ……この方は、ご子息様の、……懇意の方なのですね……」


 その言い方に、うっとなる。

 や、なんか、含みを感じたのだ。あえて濁した様な……。

 だが、挑む様だったその視線は、俺からサヤに移された途端力を無くし、何か諦めたかの様な……淀んだものに変わった。そして、自嘲気味にふっと、笑う。


「何故男装までさせて……と、お聞きしたい所なのですが……。傷をつけてしまった以上、申し開きも何もございませんね……。如何様にでも処分して頂いて……」

「ちょ、ちょっと待て。

 ……すまないが、ここで話せる内容では無いのだ。場所を移して構わないか」


 違和感を覚えてそう持ちかけた。

 どうにもこの男の様子が、飲み込めなかったのだ。

 会議の間は、ずっとこちらを睨む様だった。俺やサヤ、ギルを値踏みする様に見ていた。

 なのに自分から声を掛けに動き、サヤにまず聞いたのは傷の具合だ。

 昨日のことは伏せるとした筈なのに、なぜこの場で声を掛けた?

 更に俺に、何か含みのある物言いをする。

 そして、この目だ……。

 なんでそんな目をするのかが分からなかったが、その目のままでいさせるべきではないと思った。そんな……諦めることに、慣れた様な目を。


「先に外で待つ。遅れて出てくるといい。裏庭にいる。

 行こう、サヤ」

「はい。では、後程また」

「え、あ……」


 挨拶を受けた程度に見えるよう振る舞ったつもりだ。

 そして外に向かう途中、ハインに裏庭だと告げる。承知しましたと黙礼したハインは、多分ギルに報告をして、遅れてやって来ると思う。

 部屋を出る前に周りをさらりと伺うと、エゴンの姿は無かった。

 退室組に含まれていた様だな。

 なら、気兼ねなく話ができそうだ。

 そう思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ