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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第三章
42/515

慈悲

「これはこれで面倒臭いんだね……」


 椅子に座るサヤの頭はがっちりと包帯を巻かれたような状態だ。

 黒髪を頭に巻きつけるようにしてしまい込み、入れてある。


「そりゃあそうですよ。坊主頭でもない限り、この作業は必須です。

 でないと、髪の毛が溢れてしまうし、鬘もきちんと頭に添いません。

 ちなみに、レイシール様くらい長いと、無理です。(かつら)の中に髪がしまえません」


 ルーシーが、そう言いつつ、櫛で梳いて整え終えた鬘をサヤの頭に被せる。

 サヤの鬘を整えるために呼ばれたのだ。

 なんだかサヤのことで呼び出されてばかりで、申し訳ないのだが、本人はとても嬉しそうにやって来たので、文句は無いのだろう……。

 この子は、こういった着飾るに該当すること全般が得意であるようだ。しかも相当幅広い。

 服飾の仕事とはどこかズレているような気もするが……今はルーシーの存在が有難かった。

 本来なら、それ専用に人を呼ぶ必要がある。そうすれば、サヤを知る人が増えてしまうわけで、サヤが黒髪なことも、それを隠していることも知られてしまう。得策ではないのだ。


「じゃ、後は任せた。俺はちょっと、続きをしてくる。

 ハイン、付き合え。サヤがいれば護衛はいいだろ?

 マル、お前もな。明日の段取り、こっちでも先に詰めとくぞ」

「分かりました。ではレイシール様、暫く外します」

「うん、任せる。マルも、よろしくお願いするね」

「はいはい、行ってきます」


 サヤの身支度に気兼ねしたのか、それとも言葉通り、明日の準備の一環なのか……三人が応接室を退室していく。

 俺も出た方が良かったんじゃないだろうか……? そう思ったけれど、残されたのだから、仕方がない。サヤ一人にするのもなと思うし……。もしくは、朝のことがあるから、俺にも休憩をと、考えたのかもしれない。

 とりあえず、言葉に甘えることにして、サヤの状況を見守るに徹する。


 紫紺の髪となったサヤは、見慣れない所為か違和感があった。

 やっぱり、黒髪なサヤが美しいと思う。内心そんなことを考えるが、口にはしない。

 鬘の位置を確認し終えたルーシーが、前髪はどうしましょうかとサヤに聞く。


「眉をできるだけ隠す長さにしたいです。

 化粧で誤魔化す部分は、少ない方が良いし、誤魔化した上でも隠した方が良いですよね」

「そう思います。じゃあ、目と、眉の間で切りましょうか。

 暫くじっとしてて下さいね」


 櫛で髪を整え、慎重に前髪に鋏を入れる。

 ある程度切ってから、今度は均等かを確認しながら少しずつ調整する。

 サヤの身体に巻かれた白い布に、紫紺の髪片が散らばる。

 程なくして整ったようだ。

 そうしてから、今度は前髪以外の部分の長さを整える。こちらも胸の上辺りできっちりと揃えられた。

 手際がいい。揃えられたその鬘は、鬘だと思わない程綺麗に納まった。

 髪型としては、いつものサヤと大差ない。前髪ができ、後ろ髪が多少短くなり、色が紫紺となった。


「はい、終わりました。

 明日は、念の為髪を下ろしたままにして、髪飾りをつける程度にしましょう。

 それで大丈夫だと思います」

「ありがとうございます。

 いつも手を煩わせて……ごめんなさいね、ルーシーさん」

「煩ってないわ。サヤさんのお手伝いなら、大歓迎だもの」


 サヤに巻いていた布を片付けながら、ルーシーは朗らかにそう答える。

 しかし、そのあと少し、沈んだ顔をした。

 俺とサヤは顔を見合わせる。ルーシーらしくない表情だったのだ。一瞬だったけど、二人がそう気付いたのだから、気の所為じゃない。


「ルーシー?」


 俺が声を掛けると「はい、なんですか?」と、いつもの明るい笑顔が帰ってくる。

 俺は、そのルーシーをじっと見つめた。


「えっ? な、なんですか? 私、何か粗相をしてしまいましたか?」

「違うよ。何か、気に掛かることがあるのかと思ったんだ。

 ルーシーらしくない感じだったよ」

「え? ええ? そ、そうですか?」


 パタパタと顔を叩き、笑って誤魔化す。

 しかし、俺とサヤが真剣な顔を崩さなかったので、誤魔化せないと悟ったようだ。口を噤む。

 暫く逡巡してから、えへへと、また笑った。


「えっと、……なんでもないんですよ。私の個人的なことですから」

「個人的なことを零すルーシーじゃないのは知ってるよ。

 それでも俺たちに見えてしまったってことは、それくらい深刻なんじゃないのか?

 相談くらいは、のるよ」

「ええっ、き、貴族のレイシール様が相談役⁉︎」

「俺が駄目ならサヤがするよ」


「いえっ! レイシール様がダメというわけではっ⁉︎」と、ルーシーが慌てて取り繕うが、俺としては断られさえしなければなんだって良いのだ。

 いつもお世話になりっぱなしのルーシーが、困ったままでいるのは嫌だ。きっとサヤも同じ考えなのだと思う。俺の横でこくこくと首を縦に振っている。

 ルーシーは、暫くの間言い淀んでいたのだが、サヤがずっと見つめるものだから、だんだん顔を俯けた。

 俺は、とりあえずその場を離れ、長椅子に移動する。多分、サヤと二人が良いだろうと思ったのだ。

 暫く黙っていたルーシーだったが、サヤがルーシーの手を取り、両手で包み込むと、観念したようだ。ポツポツと話し出す。


「本当を言うとね、実家ではあまり良い顔をされないの。

 私はバート商会の後継だしね。

 服のことに、もっと一生懸命になれって、お父様に言われて……ここに、半分家出みたいにして、出て来たの。

 服のことは好きよ? 家業にも誇りを持ってる。でも……その他のことも、大好きなの。

 だから、ここでサヤさんに、私の特技を必要としてもらえたのは、とっても嬉しい」


 はにかんだ笑顔でそう言うルーシー。

 けれど、また暫くすると表情が曇った。サヤは、ただ黙って、話を聞いている。


「十八歳になったらね……。辞めなきゃいけないの……。叔父様が、お父様と交渉してくれて……十八までは此処に居て良いって。叔父様の言うことをちゃんと聞くならって。

 ……私、もう少ししたら、十七歳になっちゃう。

 叔父様は、無理矢理好きなことを辞めさせようとはしない。俺も好きなことを好きなようにしてきたからって、言ってくれた。でも十八歳になったら……一旦帰って、ちゃんとお父様と話し合えって……。

 分かってるの。家業は大切。沢山の人が、うちの家業で食べていってるし、何代も続いてるのに、私の勝手で辞めるなんてできないし、辞めたくない。

 でも……好きなの。お化粧とか、装飾品とか、全部ひっくるめて好きなの。着飾ることが楽しいの。なのに、服だけにしなきゃいけない……」


 天真爛漫といった風なルーシーにも、大きな悩みがあったんだな……。

 話を耳にしながら、俺は二人の成り行きを見守ることしかできない。

 そして、俺じゃ相談には乗れなかったなと、考えていた。

 俺は、夢を諦めた人間だから……。初めから持たないことを選ぶ人間だから……。

 ルーシーみたいに苦しむのが辛くて、逃げてしまったから。

 サヤは、そんなルーシーの話がひと段落すると、にっこり笑った。


「私の国には、ルーシーさんがしているようなお仕事がありますよ。

 パーソナルスタイリストって、言います。

 服、装飾、髪型、化粧までを総合的に提案するお仕事です。

 その人に似合う綺麗を探す仕事だから、服に詳しいだけじゃいけない……沢山の知識を必要とする、難しい仕事です」

「そうなんだ……。でも……いいなぁ〜、とっても楽しそう」


 サヤの話に、ルーシーが目を輝かせる。悲しそうな、眉の下がったままの、苦笑に近い笑顔であったけれど。

 俺はふと思った。ルーシーは、二百年先のフェルドナレンでは、当たり前の夢を描いているのではと。

 もっとこの国が発展していけば、ルーシーの夢は、叶わないものではなくなるのかもしれない。

 俺がそんなことを考えている間も、二人の会話は続く。


「ルーシーさんの特技は、服飾のお仕事に、とても役立ちます。だって、服だけ整えたって綺麗じゃないでしょう?

 今は理解してもらえないかもしれないけど、そのままのルーシーさんを、貫いたら良いと思います。

 そのうちきっと、ルーシーさんの特技が必要とされる時が来ます。

 例えば……私がいたみたいに」

「でも……あと一年と少ししか無いわ……」

「違います。まだ、一年以上あるんですよ」


 サヤが、キュッとルーシーの手を握り締めたのが分かった。

 サヤの雰囲気が変わった。そう思った。真剣な表情だ。凛々しい、騎士のようなサヤになる。


「ルーシーさん、ギルさんは、お父様と話し合うようにって仰ったんでしょう?

 それは、好きなことを諦めなさいとは、違うと思います。

 ルーシーさんがどれくらい真剣で、ルーシーさんの特技が、どんな風に服飾に活かせるかを見つけ出して、直談判してこいって意味だと思います」


 サヤの言葉に、ルーシーが呆気にとられた顔をする。

 俺もびっくりした。つい、二人をガン見してしまう。

 そんな俺たちの様子を気にも止めず、凛々しい顔でサヤの話は続く。


「昨日、商業広場に連れて行って下さった時に、分かりました。

 ギルさんは、今の行動が先に与える影響を、考えて動いてらっしゃるんだなって。

 飾り紐のお店で、店員さんに苦言を呈してらっしゃいました。

 はじめは、値切り交渉なのかなって思ったんですけど、きっと違うんです。

 希望する値段で売るために、必要なことがあるって、伝えてらっしゃったんです。

 だから、次に伺った、装飾品のお店では、言い値でそのまま、買い物をされました。

 そのお店は、商品を大切に扱っていたから、言うままの値段の価値があると、認めてらっしゃったんだと、思います」


 サヤの観察眼にも驚く。

 ただ買い物をしたってだけで、そんなことまで考えたの?

 だけど……確かにギルは、そんな所がある。世話好きというか……常に前に進もうとする姿勢をやめない。自分だけじゃなく、周りも引っ張り上げようとするのだ。


「だから、ギルさんがルーシーさんの好きにさせているのは、好きなことを諦めるまでの時間つぶしじゃありません。

 きっと、ルーシーさんが私と関われるようにして下さってるのも、それを考えてのことなんだと、思います。

 ルーシーさんが、家業と、大好きなことを、両立できる道を見つける時間を、与えて下さってるんですよ」


 ルーシーの呆然とした顔が、だんだんと紅潮してきた。瞳が潤む。

 ギルが、どれほど自分のことを大切に思ってくれているか、分かったのだろう。


「ギルさんって、かっこいいですよね。

 そういった心配りができて、悟らせないように、影に徹するところなんか、特に。

 ルーシーさんの、自慢の叔父様だけのことはあります」

「ふふっ、褒めすぎだと思う。だらしない所もいっぱいあるのに」


 そう言いつつも、ルーシーは嬉しそうに笑った。

 ギルが何を思って自分をここに置いてくれているか、理解したのだと思う。

 そして、そんなギルの心配りを無駄にするほど、ルーシーは大人しくないと思うのだ。


「うん……。まだ、一年以上あるのよね……。

 サヤさんありがとう。私、好きなことと仕事の両立? 考えてみる。

 さしあたって、明日。サヤさんの準備のお手伝いを頑張ることにする」

「はい、よろしくお願いします」


 二人で楽しそうに笑い合う。良かった。ルーシーが元気になれて。

 俺も、見習わなきゃな……と、そう思う。

 諦めることを選んできたけれど……間違っていたかもしれない。

 目の前の道は一つしかないのだと、そう思っていたから。

 でも……もし、違ったなら……他の方法があるのだとしたら……。それを見つけ出していたなら、俺は、もっと違う俺になれていたのかな……。

 サヤと一緒に歩めたなら、そんな道も、見つけられるのかもしれない……そうなれたら、いいのに、な。

 だけど、それは望んではいけないことだ。こればかりは、ダメなんだ。

 それが、ちょっと……辛かった。



 ◆



 一通りの準備を終えてから、明日の準備の為にと、湯浴みをした。

 もう夏となるこの時期だからまあ、苦にはならないのだが……。


「久しぶりにこうやってみると、何か、違和感があるな。

 こう、爽快な気分になれないというか……意外に窮屈というか……」

「そうですね。水汲みはサヤがやってくれてましたから、我々は湯に浸かるだけでしたしね。

 全体をいっぺんに洗ってしまえるというのも楽だったように感じます」


 更に言うなら、ハインにいちいち世話されているのがなんか、居心地悪い……。

 サヤが来るまでは当たり前であった訳だが、風呂が出来てからは全て一人で洗ったりしてたしな……。あれって案外、息抜きにも良かったんだなぁと、思う。

 ハインがいるのが嫌というわけではないのだが、一人になる時間というのは、俺にはほぼ無い。それこそ不浄場や、寝ている時くらいなのだ。

 どうせ衝立一枚隔てた場所に誰かしらがいるのだが、視界に入らないだけで違うらしい。

 そうか、風呂にはそんな効果もあったかと、改めて感心した。


 うーん……ギルにも風呂を作ってみないかと提案しようかな……。いや、俺たちの為ってわけじゃなく、あれはかなり気持ち良いのだ。ギルがセイバーンに来ることは殆ど無いし、体験してもらう機会が無い。だけど、気に入ると思うんだよなぁ。


 体の方を洗い終えてから夜着を着て、サヤに髪をお願いする。

 湯浴みの間は自室に引いてもらっていたサヤが、いつもの小瓶を取り出して、盥の湯にそれを数的垂らし、掻き混ぜる。その準備の間に、ハインが櫛で髪を梳いた。

 最近よく洗うから、普段から艶もあるのだが……明日の為にと言われてしまったのだ。


「サヤ、腕が……」

「力を入れる作業ではないんですから、大丈夫ですよ」


 心配する俺に、サヤは苦笑する。

 だが結局ハインが交代し、サヤの代わりに髪を洗った。

 眉間のシワからして、ハインも心配なのだ。力を入れずとも、使えば痛みもあると思う。サヤはなんでも我慢して、それを顔に出さない節があるからな。


「……随分、減ってしまったように見えるんだが……良かったのか? 俺に使ってしまって……」


 小瓶の中身は半分程になっている。初めは確か、小瓶の七分目ほどまで入っていたと思う。

 サヤの持つ柘植櫛というものは、この油を使って手入れする必要があるのだそうだ。

 俺に使い、サヤ自身に使い、櫛にも使用しているのだから、減るのも当たり前か。小さな瓶だしな……。

 表情が曇る俺を気にしたのか、サヤはなんでもないことのように笑って言う。


「その時はその時ですよ。物は、いつかは失くなります。それに、使うべき時に使わない方が、勿体無いです」

「何か、他のもので代用などは出来ないのですか?」

「うーん……何かの油で代用は効くと思うのですけど……椿油と同じ効果にはならないと思います。この油は、とても人に馴染みやすい性質みたいなんですよね。

 他にスキンケアに使う油と言えば、ホホバオイルとか、ココナッツオイルとか、よく聞きますけど……あるんでしょうか……」

「うーん……聞いたことが、無い……」

「油なのですよね……紅花油、胡麻油、菜種油、阿利布油……食用しか思いつけません」


 悩む俺たちに、サヤは眉の下がった笑顔だ。

「気を使って頂いて、ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。あまり気にしないで下さい」と、逆にこちらに気を使うのだ。

 でもな……いつか失くなってしまうというなら尚更、使ってはいけないのではないか……だって、サヤの大切な……祖母から祝いに貰ったという櫛が、手入れ出来なくなってしまうのだ。

 サヤの世界から持ち込めたものは、サヤの着てきた服と小物、その小瓶の油と、櫛しかない。なのに、そのうちの二つを失うことになる……。


「こちらの世界に椿があれば、良いんですけどね。この油は、椿の種を絞ったものなので。

 ここは、私の世界と同じものが沢山あるので、どこかにあるかもしれません」

「植物なのだよな……どんなものだ?」

「木です。赤や、白の花が咲きます。可憐な花ですよ」


 と、そこでトントンと扉が叩かれた。手拭いをお持ちしましたと、女中の声がする。

 ああ、そうだった。手拭いをお願いしてたな。

 なんとなくそこで会話が途切れてしまい、持ってきてもらった手拭いで髪の水分を拭き取る作業に熱中する。なにせ長い。手拭いをかなり消費するのだ。


「ああもうっ、切りたい!夏は最悪に暑いし痒いのにっ」

「あと二年の辛抱です」

「頻繁に洗ってますから、今までよりきっと、随分マシだと思いますよ。でも……二年で切っちゃうんですか……ちょっと、残念です」

「ええっ、毎日毎日、結わえるだけでも大変な作業だろう?」


 意外なことを言うサヤにびっくりするが、サヤはそんな風には思ってないらしい。

 俺の髪にサラリと指を通して、しんみりと言うのだ。


「そんなの、全然苦じゃありません。むしろ、とても好きな作業です。

 こんなに綺麗なのに…………切っちゃうんですか」


 う………………。

 そんなに残念そうに言われると……切りにくい……。


「貴族は、どちらにしても切らねばなりません。神殿に奉納せねばなりませんからね」

「そう、でしたよね。でも、それまでは毎日、結わえたいです。最近は特にサラサラで、すごく手触り良くなって、毎朝楽しいんです」

「そ、そうか……」


 うう、なんと返答して良いやら……。

 それに、毎日と言われてもな……サヤはやはり……残ってくれる気は、無いのだよな。この物言いからして……。

 なんとなく気まずい思いをしていると、使った手拭いや盥を纏めたハインが、片付けてきますと部屋を後にする。嘘だろ⁉︎ なんで今、わざわざ今⁉︎

 部屋に二人にされてしまい、更に気まずい気分になった。

 それまで普通に会話していたのに、それもピタリと途切れてしまった。

 すごく居心地の悪い沈黙の中、サヤは退室せず、明日の準備か、衣装棚から礼服を取り出し、整えている。俺はその後ろ姿を暫く見つめてから、視線を手元に落とし……困っていた。


 実は……サヤに怒鳴りつけられてから……ずっと、謝罪せねばと思いつつ、それが出来ていない……。

 昨日の自分の言動を思い返すと……そして今日俺のしたことを思い返すと、身悶えしたいほど恥ずかしい。

 俺はサヤに、命令したのだ。ここに残れと。サヤの考えや、意思を無視して。

 そして今でも、サヤはここに残ってほしいと思ってる……。せめて、夏の間だけでも。

 夏場の従者は、本当に過酷なのだ。特に俺の周りは、人手不足でやることも多い。そこに更に男装では、体調を崩すなという方が無理だ。

 化粧も落ちやすくなるだろうし、サヤが危険に晒される可能性が、格段に上がるのだ。

 サヤに啖呵を切られた後、有耶無耶にしたまま、ここまで過ごしてしまった……。当たり前のように、当たり前の顔で話をしていたけれど……二人きりになると、意識してしまう。

 やっぱり……謝罪は、すべきだよな……。


 俯いて自分に言い聞かせ、気合を入れて顔を上げると、険しい顔のサヤがじっと、俺を見ていた。

 ザッと血の気が下がる。いつまでも謝罪しないから、また怒ったのかと思ったのだ。

 だが、予想に反して、サヤは深々と頭を下げた。


「あの、申し訳ありませんでした」

「えっ、な、……ち、違うだろ! なんでサヤが、俺より先に謝るの!」


 サヤは顔を上げなかった。頭を掻き毟りたくなる。これじゃあ、あべこべだろ⁉︎


「謝るのは俺なんだから、頭を上げて……そんな風にしないでくれ!」

「ハインさんに、叱られました。本来ならば。従者ならば。主人の命令は絶対ですと……」


 そう言われて頭を抱えてしまった。そりゃ、通常ならそうだよ。俺以外に仕えるならね!

 だけど俺は、大抵その通常が通用しないって、分かってるだろうに! いっつもそう言って小言を言ってくるくせに、こんな時に限ってそんなこと、言わなくて良いじゃないか‼︎


「そりゃ、俺以外ならそうだろうけど! 謝るのは俺だ……。

 サヤの意思を無視して、サヤの意に沿わないことを、命令した……。

 もっと、きちんと……時間をかけて、説明すべきだったと思う……。俺の考えを押し付けるべきじゃなかったんだ!」

「はい、それもお聞きしました。だから、今回は、私が正しいと」


 ……はい?

 なら……なんで、謝った……の?

 つい首を傾げてしまう。

 サヤは一旦頭を上げた。そして、何か、険しい顔で暫く逡巡した後、俺の目前まで歩いてきて、ふうっと、視線を逸らして溜息をつく。なんだか凄く、居心地悪そうに。


「それでも……ひとこと、謝りたかったんです……。

 レイシール様は、私のことをとても心配して下さって……その上での言葉だったんですから……。

 なのに私、あんな風に……感情的に怒るべきではありませんでした……。

 大人気ないことをしました……」


 あ、いや……お、大人気ないって……サヤ、まだ十六歳だろ……。

 じゃあ、気持ちの制御すらできなくて、半日部屋に篭った上にあんな醜態晒した十八歳の俺ってどうなの……。

 逆にグサリときてしまった。

 十六歳の少女に感情的になってしまってた自分が恥ずかしい……。そして精神の均衡を保つことすらできない自分が……。

 ……でも……情けないのなんて、今更かなと、考え直す。

 今更だな……ほんと。


「サヤ……ちょっと、仕事を休憩しても良いかな」


 レイシールではなく、レイとして話がしたかった。

 サヤの目を見て、ちゃんと伝えたい。


「すまなかった……。

 サヤの気持ちを蔑ろにしていた。例えどんな理由があっても、それはやっぱり、すべきことじゃなかった」


 頭を下げ、謝罪する。

 その上で、俺の事情を、きちんと話しておくことにする。

 俺の勝手で、サヤを振り回してしまったのだ。

 何も知らなかったサヤは、きっととても、悲しい思いをしたはずだ。何度も何度も、傷つけてしまったはずだ……。謝っておしまいじゃあ、不誠実だと思った。


「俺……たまに、あんな風に……気持ちがぐらぐらして、自分を保てなくなることが、あるんだ。

 えっと……どう、説明すれば良いのか……分からないんだけどね……何もかもが、怖くなるというか……頭の中が、いっぱいになるというか……。

 そうなると、自分で感情の手綱をどうにも、握れなくなって……あんな風になってしまう……」

「……うん」

「あまりに、情けない姿だから……誰にも、見られたくなくて……知られたくなくて……ハインやギルには、見ないふりして貰ってて……あの二人は、俺がああなってる時を何回も見られてて……迷惑掛けてて……。

できるだけ、ああならないようにって、気を張ってはいるんだけど……」


 言っててだんだん情けなくなってきた。なんか、言い訳してるみたいだ……。

 後二年で成人するって年なのに、なんで俺はこうなんだろうと……自分の気持ちひとつ、満足に維持することすらできないなんて、どれだけ未熟なのかと……そう思ったのだ。

 ハインやギルが、そんな風になったとこなんて、見たことない……ハインはたまに暴走するけれど、それだって、俺のような暴走とは違う……。俺は、どうしてこうなのだろう……何故、人と同じように出来ないのだろう……自分のことひとつ満足に管理できない……どうして俺はこうも…………。


「弱いんだ……何もかもが未熟で……本当に、情けない……」


 ほんと、消えてしまいたくなるくらい、情けない……。

 いくら背が伸びても、歳を取っても、成長できない……強くなれない……人の手を煩わせ、気を使わせ、更に迷惑を掛ける、不甲斐ない自分を、サヤに晒し続けてる……。

 うなだれるしかない俺に、ただ黙って聞いていたサヤが、手を伸ばした。

 柔らかく、細い指が、俺の手を取る。


「辛いこと、ぎょうさんあったんやろ?」


 ああ、やっぱりもう、知られてしまったんだな……。

 俺が異母様や兄上に抗えない理由を……。

 あんな醜態を晒してしまったのだから、サヤを傷つけてしまったのだから、言わなきゃならないことだったけれど……知られてしまったことがやはり、辛い。

 どうしてこんなに情けないのかと、サヤにそう思われやしないか、考えると、怖い……。

 サヤを守るべき立場の俺が、こんなに情けない人間だなんて……きっとサヤを不安にさせてしまう。強くなければいけないのだ、俺は。民を守れるよう、強くなければ……。

 それなのに、過去の恐怖一つ振り払えない。脆くて、情けなくて、醜くて、弱い。

 サヤは俺より背が低い。だからいくら足元を見ていても、近くに立つサヤには、俺の顔が見えている。情けない表情が、全部見られている。

 そして、サヤに握られている俺の手も、視界の中にあった。


「レイ、人はな、身体だけ怪我したり、病気したりするのんと、違うんやで?」


 そんな情けない顔の俺を見上げて、サヤが言うのだ。


「心かて怪我したり、病気したり、するんやで。筋肉疲労かて起こすんや。

 レイの心は沢山怪我してたんやし、癒すんに時間掛かってまうのは、仕方あらへん。

 せやのにレイは、全然休息取らんとひたすら酷使しとるから、あかんのんや」

「サヤ……意味が、全然、分からないよ……」


 意味は全然分からない。けれど、サヤの顔は優しく微笑んでいた。

 労わるような……慈しむような、たまに見せる、アミ神のような微笑み。

 包んだ手を、やさしい手つきで撫でながら、言い聞かせるように続けるのだ。


「休まへんから、あかんのや。休憩せな、あかん。なんもかんも一人でやろうとするし、休憩ができひんのんやで。

 ハインさんも、ギルさんも、私もレイが……一人で闘うとるのを見てるんは、嫌や。

 何もできひんのんは辛い……。もっと頼ってほしいて、そう思うてる……。

 レイは、一人で闘わんでええんやで?

 我慢したらあかんって、私には言うたやない。手伝わせてくれな、辛い」


 良いんだろうか……今でさえ、手を煩わせているのに。

 これ以上周りに頼って、許されるのだろうか……。

 サヤがいる間だけ、ここにいる時だけ……そう思って、良いのだろうか……。

 俺には、それを望めるほどの、価値があるのだろうか…………。


「良いのかな……。

 俺は……もっと自分で立たなきゃ……こんな弱いままで、更に頼って……そんなことで……」

「あんなぁレイ。レイはそもそもが、間違うとると思う」


 言い澱む俺の鼻先に、ぴっと、細い指が突きつけられた。指の向こうのサヤが、何か、不満気な顔で、俺を見上げている。


「レイは、闘うとる。一人でずっと立ち向こうとるやろ?それは弱いって言わへん」


 そう言った。


 サヤが扉の方を見て、俺の手を離したのがもう一瞬遅かったら、きっと動いてしまっていた。

 俺の前をすり抜けたサヤが、扉を開ける。お帰りなさいと、ハインを迎える。

 突っ立ったままの俺に、ハインが訝しげな視線をよこすが、俺も口元に笑みを貼り付かせて、おかえりと声を掛けた。

 やばかった……大間違いを犯してしまうところだった……なんとなく、雰囲気に飲まれそうになってた自分にびっくりだ。

 動かしかけてた手の所在に困って、額を押さえた。余計なことを考えるなと頭に叩き込む。

 サヤのあれは慈悲なのだ。勘違いしてはいけない。

 サヤは誰にだってああするんだ。落ち込んだり、辛そうにしてたら、ああするんだよ。

 ルーシーにだって、バルチェ商会の息子にだって、刃物を持った街人にすら分け隔てなく、サヤは優しいだろ。だから勘違いするな。

 サヤの特別は、カナくんにあるのだから。

 そう考えると、気持ちの高揚も一気に鎮火する。

 もう特別は決まっているのだから、俺が入る余地など無いのだ。

 そんな風に、自分に言い聞かせながら、それでも俺の心は救い上げられていた。


 それは弱いって言わへん。


 そうなのだろうか……。

 少しは頑張っていたのだと、誇っても良いのだろうか……。

 サヤがそう言ってくれたから、少し自分を認めても良いような気持ちになっていた。

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