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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十四章
404/515

前文明の叡智

【注意】

七月三日に内容を大きく修正しております。

ジェイドをバート商会へ走らせた時、ついでに持って来てもらったものがある。

手荷物に紛れ込ませて来たものだ。

話の進み方次第では、切り札として使える。

そのつもりで懐の隠しに忍ばせていたそれを取り出し、絹布に包まれたまま、エルピディオ様の前の小机に置いた。

ほんの小さな切れ端ではあるけれど、本来出回っている形状ではないものだから、一目瞭然だろう。


机に置かれた絹布は、嵩もなく、薄い。

差し出されたそれを、エルピディオ様は不思議そうに眺めてから開き、そこで当然、表情が変わった。

俺の背後でも、オブシズが僅かに動く気配があった。お前何してるんだ⁉︎ といったところか。


「……こ、これは…………⁉︎」


俺が絹布に包み、持ってきたものは黒く炭化した、節のある、薄い板。


「竹炭。我々が秘匿権を取ったものです。とはいえ、燃料としてではなく、除湿材として申請しました。

ですから、オゼロの秘匿権には抵触しておりません。勿論、作り方も異なります。

これは今、研究を続けている品を、少しでも長く保つために必要なものなのですが、燃料としても使用可能。実際に燃えます」


敢えて竹炭を見せることを選んだ。

俺たちが、ここに到達しているのだということが、否が応でも理解できるだろうから。


「それ、家庭にあるような鉄鍋で、比較的簡単に作れてしまうんですよ」


そう伝えると、極限まで見開かれた瞳が、こちらを向いた。

悪魔を見るかのよう。

俺に向く、畏怖に染まった瞳……。

小刻みに揺れているのは、現実を受け入れきらず、迷いが渦巻いているからだろう。

俺はその瞳を敢えて無言で見返した。エルピディオ様のお気持ちが落ち着くのを、いつまででも、待ちますよ。それを態度で示す。


エルピディオ様は、浅く震えた呼吸を何度も繰り返し、けれど最後には、自分を律し、瞳に力を宿した。

きっと、可能性は考えていたのだと思う。

ダウィート殿との交渉の席で、それなりに匂わせていたしな。

そして、わざわざオゼロに、この新たな炭を見せた。その真意を確認せねばと、口を開いた。


「……何故、これを私に見せた」

「近いうちに、無償開示へと踏み切りたく考えております、とある保存食があります。これはそれに使うためのもの。

あの保存食が世に出たら、オゼロでも当然、この竹炭を目にすることになるでしょう。

ギリギリまで隠し、品を世に出し、結果を押し通したところで……そのうちどうせ、問題になります」


素材が竹とはいえ、形状が炭であることは一目瞭然なのだ。問題にならない方がおかしい。

サヤは俺が何か考えている。ということを察しているようだ。特に口を挟まず、やるに任せてくれている。

その信頼が嬉しい。期待に応えたい。思えば、結構な修羅場を皆で越えてきたよなと思う。今回も、きっと大丈夫だ。


「まず説明をしましょう。何故竹を炭にしたのか。

竹はものの腐食を遅らせる性質があるというのを、ご存知ですか?

調べてみますとね、隣国のジェンティローニでは、竹の若木……その皮を食物の包みに利用したり、竹を加工した製品を開発することに力を入れつつあるようです。

特に調理関係品。食品等の鮮度の保ちが良いのだとか。

その性質は、炭になっても残るものであるようです。我々はそれに着目しました。

この竹の性質を利用すれば、越冬の期間中保つ品を、作れるのではないかと」


サヤは抗菌作用と言っていたけれど、それの仕組みは俺にもいまいち分かっていない。

目に見えない菌というものは、見えないだけに、理解が及ばないのだよな……。

けれど実際、ジェンティローニで竹細工が多く作られるようになっているのは確かで、サヤもその効能については有用だと述べていた。


「また、竹は木よりも着火し易く、燃え尽きるのも早いのだとか。木材よりも、中に油が多いのだそうです」

「……竹に油だと?」

「燃えやすいものというのは、動物にしろ植物にしろそうであるそうですよ。

ところで、石にも燃えるものがあるのはご存知ですよね。それも炭にできるのだと言ったら……エルピディオ様は世迷言だと、笑いますか?」


そう言って笑い掛けると、エルピディオ様は、今度こそ瞠目し、言葉を失った。

竹炭を見せられた後だ。炭にできると言われてしまえば、できると信じるしかない。

エルピディオ様の瞳を覗き込むと、俺をどうすべきかという葛藤が渦巻いていた。


こいつは危険だ。

やはり、私の懸念は正しかった。

秩序を掻き乱す。国がまた荒れてしまう。今あるものが、また幾つも失われる。

これは悪魔の所業だ。

消すべきか。

……消えるのか?

もう秘匿権の無償開示は始まり、この男は動いている。

こうして口にするからには、口にできる段階まで、進んでいるのでは……?


もう……取り返しがつかないのでは?


「竹炭は、鉄鍋で作れると言いましたね。燃えやすい性質であるから、簡単な設備で作れたのだと、我々は考えています。

そして木炭は、それに続く。これも本来は、然程の手間をかけず作れるものであるようです。

実際セイバーンで何度か試してみたのですが、まぁ、五回に二回は成功していますかね。まだ失敗も多いのですけれど。なにせ手探りで進めていますからね」


言って笑いかけてみたけれど、エルピディオ様には笑えないことであったようだ。ただただ俺に瞠目している。

思い切り秘匿権を侵していると発言したのだが、そのことを追求する精神的なゆとりも無い様子。

エルピディオ様だけでなく、ダウィート殿も、他の方々も、気絶しやしないか心配なほどに血の気の引いてしまった、青い顔をしている。


そりゃね。五度に二度は木炭が作れているだなんて言われれば……ね。

だけど……逆に考えられるということも、忘れてはならないのだ。


「我々がオゼロの木炭に匹敵するものを作り出そうとしても、一年や二年では無理でしょう。

最低五年……もっと長く掛かるかもしれない。木炭の形状をしたものは作れていますが……木炭としての質では、まだまだオゼロのものに劣るでしょう。

長年、オゼロは木炭を造り続けてきたのです。その経験値の蓄積は、やはり大きいですよ。

作り方が分かったからといって、簡単に真似できるものではありません」


俺の言葉に返るものは無い。

まだ衝撃から抜けられないようだ。


きっと立ち直っても、すぐに今以上の衝撃を、また与えてしまうことになるだろうしな……。


そう思ったから、もう待たずに、要求を伝えることにした。

どうせだから一回の衝撃で済ませてしまおう。


「そこでエルピディオ様……ご相談させていただきたいという件なのですが。

木炭……これを有償開示品に加えませんか?」


エルピディオ様、周りの配下の方々、とくにダウィート殿が、これには流石に、非常に強い警戒を示した。

無論この反応は分かっていたから、俺は隙を作らぬよう、即座に言葉を続けた。


「オゼロが長く独占してきた、収益の多くを占めているこれを、有償であれども開示するということは、国民から高く評価を得られることだと考えます。

金の卵を提供する決断をしたオゼロを、皆が称賛し、注目しますよ。

木炭に対し、石鹸はというと、売り上げとしては木炭に遠く及びませんし、木炭を開示するという話題性の方が大きく取られる。

きっとこれを開示しないことを、とやかくいう声は上がりません。

心配であるならば、そういった非難の声が上がりにくいよう、我々も話題を提供することに協力致します。

とまぁ、これだけではオゼロは損ばかりに聞こえるでしょうから、将来的に木炭に匹敵することになるであろう、別の秘匿権を提供しようと思うのですが」


想定外の提案であったらしい。

エルピディオ様は、それまでとはまた違った驚きの顔で、口をあんぐりと開いた。


「その石の炭です。

もう先人たちが石炭と名付けてしまっていますから、ちょっとややこしいのですけどね。あれはまだ、厳密な意味で、使える炭ではないようなのです。

エルピディオ様はご存知のことと思いますが、石炭をそのまま燃料として燃やしても、製鉄には使えません。鉄が脆くなってしまいます。

けれど……木と同じく加工することで、鉄を弱らせずに、木炭よりも高温を得られる燃料になります。

また、石炭の加工は木材ほど容易にできるものではありません。

高温を得られるということは、それだけの高温に耐える炉が必要になるということです。

この高温に耐えられる設備は、現状オゼロしか所持できていないと、我々は考えておりまして……」

「ま、待て! 少し待ってくれ!」


待ったがかかり、俺は一旦口を噤んだ。


オゼロ側の方々は、皆それぞれが放心に近い状態で、何やら瞳が虚になってしまっていた……。

長年守ってきた秘匿権を開示しませんかという、とんでもない要求をした後に続いた、新たな燃料開発話が、想定外過ぎたようだ。

皆が怒り狂い、部屋を叩き出される可能性も視野に入れていたのだけど、俺の考えていたよりも、衝撃の方が優ってしまったようだな。魂が抜けかけている。


「大丈夫ですか?」

「それを其方が聞くのかい……」


そんな中でも口を開くことのできたエルピディオ様は、やはり流石、公爵家当主であられる方だと感心する。


エルピディオ様は、俺の言葉を今一度反芻し、とんでもないことを提案されていると再確認したようだ。

頭を振り、聞き間違いであってくれとばかりに、眉間に深いシワを刻んだ。


「…………確認させてもらうが、木炭の秘匿権を、有償開示だと?

 その見返りに、石炭の秘匿権を進呈するだと⁉︎」

「概ねその通りなのですが、石炭の秘匿権はまだ得ておりません。これ、木炭を使って加工しなければならないのですが、現在我々に使用可能な木炭量では試験もままならなくて」


石炭の加工には、木炭で出せる最大火力を一昼夜維持しなければならない。

当然、高温を維持し続けるには、かなりの木炭量が必要になる。オゼロから木炭を買い付けている我々では、当然木炭が足りない。


「一応我々はコークスと呼び分けているのですが……これを製造していただきたく、その研究をお願いしたいのです。

オゼロには、そうできる技術と設備があると、我々は考えています」

「何を根拠に⁉︎」

「エルピディオ様。我々は、木炭を作るための施設。あれが元々、この石炭を加工するためのものだったのではと、考えているのですよ」


エルピディオ様は、またもや絶句した。


マルとサヤによると、石炭を作るための設備というのは、劣化して、使用できなくなっているのだろうと結論が出ている。

けれど、まだ施設の形は保っている。その内部に使われていたものも、残っているはずだと。


内部で使われていたもの……それは即ち、耐火煉瓦というものだ。

サヤの世界において、木炭で出せる最大火力は、好条件が揃った上で千二百度が限界。けれど、石炭ならば千五百度。我々が目指す鉄製品の鋳造を行おうとした場合、この千五百度が必要になってくる。


千二百度でも鉄は加工できるが、鋳型に流し込めるくらい、液状化した鉄を大量に作るためには、融点以上の温度が必要であるという。

我々も煉瓦は作れるが、これに耐えられるのは千二百度までだそう。

しかし、耐火煉瓦があれば、千五百度の高温にも耐えることのできる炉が作れる。

更に、高温に耐えられるということは、蓄熱性にも優れている。

多分、その耐火煉瓦が取り出され、木炭を作る炉で使われているのだろう。比較的少ない炭で、多くの炭を製造できるように。


この温度の差について話してくれた時、サヤは言った。


「煉瓦は泥や砂から作られていると思うのですが、耐火煉瓦は二次鉱物から作ります。

二次鉱物……って言うと難しいのですが、要は、粒子の極力細かい粘土だそうです。

多少不純物が混ざっていても、質の良い粘土層を発見することができれば、耐火煉瓦は作れると思います。

作り方自体は、通常の煉瓦と大差ないはず。……私の世界でも、昔から使われていたはずですから」


サヤの世界では、木材が不足し、その結果石炭の需要が高まったという経緯がある。

どうやら俺たちの世界で言う樹海は存在しないらしく、木々が異常増殖する地域があったりはしないらしい。

そのため、早くから石炭の利用法が模索された。その模索の中に、耐火煉瓦の模索も含まれていた。


耐火煉瓦と通常のレンガとの違い。その特徴は色に出てくるらしい。

不純物を取り除いた、粒子の細かい粘土のみで作られた煉瓦は、焼けば白い色になるのだそうだ。


「とはいえ、私の世界の耐火煉瓦も進歩していまして、現在は黒い煉瓦が出てきてるって、父が興奮してた覚えがあるんですよね……。

オゼロの遺跡の煉瓦が、どの段階なのか、そもそも私の世界の耐火物と同じ進化を遂げたのか……分からないですし、なんとも言えないのですが……」


ただ、サヤの世界での手法は、この世界でも有用だろう。成功率の高い選択肢があるというのは、俺たちにとってとてつもない福音となる。


「コークス炉の中には、耐火煉瓦の相当分厚い層があったはずです。

おそらく、何重にも重ねて使われていた耐火煉瓦を、少量ずつ使って炉を再建しているのでは。

性能は耐火煉瓦の層が、厚ければ厚いだけ上がるでしょうが、木炭にそこまでの耐火性も蓄熱性も必要ありませんし」


だから、素材が残っているうちに、それを再現する研究や、新たな炉の建設を行う。

その煉瓦の大きさや形。前文明では、最良と思われる形状が使われていたはずで、それを同じように作ることができれば、フェルドナレンで鉄製品の鋳物が製造可能になるだろうと、マルは結論を出した。


あるものを使うのではなく、新たに作り上げる研究に入るのだ。


オゼロは歴史の中で木炭の採算量を飛躍的に増やしている。つまり、炉を拡張することには成功している。

前文明の炉を解体して、中の煉瓦を利用しているのだとしても、その耐火煉瓦を接着するためのつなぎも同じく、粒子の細かい粘土から作ったものでなければならないから、その耐火煉瓦に加工できる粘土層が発見され、使われているのではないかと、サヤは言った。


「私は、話として知っているだけなので……実際は、分からないことだらけですが……」


されど、サヤが知らなければ、無かった知識だ。

オゼロの炉が木炭を作るためのものではなかった可能性があるなんて、いったい誰が気付けたろう。

長年その施設を管理してきたオゼロには、炉の再建のために得た経験が蓄積されていることだろうし、俺たちが手を組めば、決して勝算は低くないと思う。

オゼロとしても、やってみる価値はあるはずだ。


「木炭は、陶器を焼くのと大差ない設備で作れました。ですから、今ある施設を使わずとも、製造可能。

となれば、あの施設はもっと別なものを作るためのものだったのではという、可能性が出てきますよね。

そう考えていくと、通常では加工し難いものを加工していた。それが生活に欠かせないものだったのではないかと考えられます。

それで我々が出した結論が、木炭よりも高温を得たかったのではないか……と、なりました」


一応それらしい説明はしてみたけれど、エルピディオ様は茫然自失状態。だから構わず話を続けることにした。


「木炭は、簡単に作れてしまうがゆえに、秘匿し続けるというのが、難しい……。

木炭の秘匿権が維持し続けられているのは、その所持者が公爵家であればこそ」


争って勝てる相手ではない。だから、維持できてきた。

けれど、もうそれも限界がきているのだと、俺は考えている。


木炭の製造に成功した者も、それなりにいたのだと思う。

けれど、公爵家には勝てず、それらは消されていった。それがオゼロに対するやっかみにと変わっていった。


「オゼロで狙われている秘匿権。それはもっぱら、木炭ではないですか?

石鹸の生産量は変わっていない。けれど、木炭は年々上がってきています。

他領は常に買い続けているのですから、そこからオゼロの収入額だって試算できる。だからこそ、狙われる……」


つまり、今以上の燃料を、喉から手が出るほどに欲しいと考えている領地は、多いということだ。

もしくは、木炭が叩き出す利益。その一部でも掴みたいと考えている領地も、同じく。

これで木炭の秘匿権が有償とはいえ開示されれば、盗み出さずとも手に入るならば、金を払ってでも得たいと思うだろうことは、想像するまでもない。

需要は確実に確保できる。


「この秘匿権を、オゼロが持つようになった経緯は、我々も存じ上げております。

樹海の侵食を抑え込むためだ……。

樹海を放置すれば、人の住む場所がどんどん脅かされる。

だから、使う、使わないに関わらず、木の伐採をし続けなければならない。

けれど、その労力を割くことが、苦しかった時代があった」


大災厄で大きく人口を減らした人は、追い討ちをかけるような樹海の浸食により、住む場所まで減らしていった。

そんな時代が、実際あったのだ。


人の居なくなった村は、畑も、家も、あっという間に樹海の中に飲み込まれていった。

特に南の浸食は目に見えるほどで、広がるにつれ、どんどんと速度を増していったという。


災害と自然に猛威を振るわれ、獣人と交わるまでして逃れた滅びが、またひたひたと、近寄ってきたと感じる恐怖たるや……。

あの当時の人々が、神に縋り付いた理由も、肯ける。なんでもいい、救いが欲しかったのだ。


「オゼロは私財を投げ打って、その伐採された木材を大量購入するという形で、民の生活を救ってくださった。

木炭の秘匿権確保も、雇用を保障するために取られたものだ。

あの時代をオゼロは、献身的に支えてくださった。

そうして今です。

昔はだぶついていた木材も、人口が増えることで需要が伸びた。

樹海の侵食も、伐採量を確保することで何とか均衡を保てる状況になった。

けれど、今度は逆に、燃料の不足が懸念され始めている。

そろそろ、オゼロだけでフェルドナレン全土が利用する木炭を賄うのは苦しい。違いますか?」


人口が増えたことで、木炭の需要は伸びた。生産量も増やしたが、そろそろオゼロだけで賄える木炭量ではなくなりつつある。

そのため領ごとに買い付けを行う形で生産量を管理し、想定外の大量購入には料金の上乗せという牽制を行っていたのだろう。


「そしてこの木炭の制限が、文明発展の足枷となりつつあるのです……。

実際我々は、汲み上げ機の製造量を制限されているし、硝子筆ひとつだって、思うように製造できない。

現在職人を育成しておりますが、自領に戻った職人が筆の生産を始めれば、当然そちらでも木炭の使用量は増える。

これから、更に、木炭の需要は伸びます。だからこそ、今これを有償開示すべきと、提案しました」


有償開示であれば、オゼロの収入もある程度維持できる。

これから伸びる需要を考えても、悪くない選択であるはずだ。

そして石炭の加工は特別な設備を必要とするから、たとえ知識を盗まれたとしても、簡単には真似できない。

つまり、木炭ほど他者に脅かされずに済む秘匿権なのだ。


「有償開示する相手は選ぶ必要があるでしょう。

あまり生産力の無い、貧しい領地を選ぶのが望ましいでしょうか。

そうすれば、オゼロを越えるような勢力には育ちにくいでしょうし、何より国力の底上げになります。

陶器の窯くらいはどの領地にもあるでしょうから、設備投資にはさほど掛からないのも魅力ですね」


職人を派遣し、指導を行うことで、更に料金を取っても良いだろう。

木炭の製造元が増えれば、輸送料も減らせるだろうから、木炭の製造に関わる職人の給与は維持しつつ、木炭の料金自体は下げられるだろう。

それに、オゼロの今までの経験値も活きると思う。

例えば、鍛治師など、高温を必要とする職人は、オゼロの品質の高い木炭を購入すれば良いし、そこまででなくて良いなら、割安の他領産のものを買う……などだ。

消費者からすれば、選択肢が増え、経費削減に繋がるかもしれない。


俺の提案に、オゼロ様は頭を抱えた。

顔を伏せ、必死で情報を処理し、考えている様子。

そうして暫くしてから……。


「石炭を加工せよとのことだがね……。果たしてそれは、需要があるのかい?

そもそも、高温を得られるというが、使える炉が無いでは話にならんし、買い手が無いでは、労力を割くだけ無駄だ」

「買い手はありますよ。というか、これも作ることになるのですが」

「…………待て待て、買い手を作るとはどういうことだ」


もうお前の言ってること全然分からん! とばかりにエルピディオ様。

だいぶん衝撃に慣れてきているようで良かった。

だから俺は安心して、この先のことも伝えることにする。


「手押し式汲み上げ機です。

これを作るために、石炭が必要である形を取ろうと思います」


国中から職人を募るのだ。利用しない手はない。

多数の領地に鉄の鋳造ができる技術を持つ職人を配置できれば、需要の確保は容易だ。


「今のところ、鉄の鋳造は殆ど行われていません。大量の鉄を溶かすには、融点以上の高温が必要。

少量ならまだしも、大量の溶かした鉄を用意するのは、現状では無理ですからね」

「鉄製品の鋳造だと⁉︎ あの大きさのものをか⁉︎」

「できるはずです。前文明では行っていたはずだ。

だって鉄製品であるのに、異様なほどに規格の揃った加工品、オゼロには色々残っているでしょう?」


前文明には、到底人の手では作れないようなものも、数多く作られていた痕跡がある。

とてつもない大きさの設備が地中に埋まっていたりもするのだ。


人の手では作れない……と、思っていたようなものも、サヤを見ていれば、作れるのだと分かる。

彼女の国は、ありとあらゆるものの形が、効率を考え、生産されているのだ。規格を揃えるというのも、道具や場所を無駄にしないための工夫に他ならない。

鋳造品であれば、規格を揃えることが、比較的容易に行える。ものの製造の、規格を揃えるという概念も、自然と広がることになるだろう。


「オゼロの設備を再現することができれば、鉄の鋳造に対応できるはずです。

多少補強した炉を確保しなければなりませんが、そうすれば鉄製品の製造速度が格段に上がる。

投資する領地は得られると考えます。

競争相手が少ないうちに動けば当然、利益に繋がりますからね。この利に気付かぬ領主はいませんよ。

そうしてその後は、ありとあらゆるものが鋳造する方式に切り替わる。鋳造で済むものは、鋳造に切り替わる。

そうなれば、また沢山のものが生まれる土壌ができあがります。発明品も増える。石炭の需要も高まるでしょう」

「…………其方の頭はどうなっているんだ……」


多弁なことで知られるエルピディオ様が言葉を失う、貴重な場面。

けれど、この方は公爵家の当主。責任のもと、傘下の貴族を生活させていくこと、民を支えていくことを、考え続けなければならない立場の方なのだ。

頭を抱えていても、思考は巡らせている。利と害。それを必死に吟味している。


できるのか。

できなければどうなる。

そもそも此奴の言うことを鵜呑みにして良いのか。

だがもしそれができれば、きっと色々が変わる。豊かになる。

百年後のオゼロまで安泰ならば、挑む価値がある。

文明が進む。そうすればいつか、前文明の解析も…………。


「エルピディオ様。

一足飛びに、前文明の叡智を取り戻すことは、きっともう無理なのです。

失った直後ならば違ったかもしれません。

けれど、きっとあの時代の人々は、生きることで精一杯だった。

だから、もう一度初めから、知識と経験を積み重ねていかなければならないのです。

オゼロの守ってきた秘匿権は、そのための手掛かり」


エルピディオ様の前に、膝をつき、俯けられた顔を覗き込むと、思いの外、強い光をたたえた瞳があった。

守ることに必死で忘れていたでしょう?

本当は、もっとワクワクして良いのだと思いますよ。

一人で重荷を抱え込み、苦しまなくても、良いのだと思いますよ。


「オゼロだけで戦わなくて良いのです。我々も、同じことを考えます。

きっと行き詰まることも多い。新たに作り出す道は、当然険しいものになるでしょうから。

だからその時は、相談してください。

同じ目的に向かい、違う目線から考える友となりましょう。

本来人は、手を取り合って、そうやって生き延びてきたのです」


一旦は手放し、そしてまた一から歩いて、いつか到達するのだ、前文明の叡智に。

そのために協力し合い、また新しく、沢山のものを生み出していくべきなのだ。

火と水。オゼロとセイバーン。協力すればきっと、人の生活は大きく、良い方向に変わるに違いない。

俺たちが、それを望み動くなら、そうなるはずだ。


「どうか、我々のお願いを、聞き入れてくださいませんか?」

今週最後の更新です。

終わりそうで終わってないオゼロ編、もうちょっと続くよー。

来週も金曜日の8時以降となります。

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[良い点] いや~なんとかかんとか、どうにかなりましたね。 今回の一話目は久々の大ピンチでしたが……。 レイ「説得します!! ダイスロール!」 説得85 1D100→70 成功!(実際に振りました) …
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