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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十四章
401/515

セイバーン

 官邸の中でも、比較的良質な部屋に通された俺たちは、オゼロ公爵様のお越しを待って、部屋で寛ぐこととなった。

 雰囲気になんとなく既視感があるのは、調度品の数々が北の工芸品であるからだろうか。

 セイバーン村の領主の館には、異母様が集めたこんな雰囲気の高級調度品が、数多くあった。


 俺たちは、部屋の中心にある、長椅子へ移動。

 俺とマルは座り、サヤ、オブシズ、ジェイドは背後に立つ形を取る。

 本日サヤは、従者に徹することを決めていた。

 マルは身を守る術を持たないから、戦える三人は動ける状態を維持するという形だ。

 席に着いてすぐ、俺たちはピタリと動きを止めた。

 極力音を発しない。その間にサヤは耳を澄まし、この部屋と、その周りに違和感を探す作業を行う。


「部屋を囲う音があります……」

「まぁ当然でしょうね。言うなれば敵地ですし」


 調度品の棚と、入り口側、長椅子の背後の壁。

 人のものらしき音がしないのは窓からだけという状態。けれど、窓の外は木々が茂っている中庭。窓の近くに潜んでいないだけだろう。


「まぁ、警戒はあると思うよ。拠点村の交渉でも、結構色々を匂わせたしね」

「それにしては物々しすぎではないですか?」

「でも、オゼロ官邸に行くと言って出てきて、貴族街に入る時もそれを示してる。

 庶民相手ならともかく、端くれでも俺は貴族だから、口封じは難しいよ」


 陛下直属であったり、注目を集める政策を立ち上げてしまっていたり、俺はなかなか消しにくい相手だろう。

 だからこそ、消すと決めればとことんやってくるだろうけれど、その判断はギリギリを見極めてからとなるはずだ。オゼロ公爵様は、まだ(・・)その結論を出していない。


 はたして俺が、どっち(・・・)であるかの見極めを、終えていないから。


 ダウィート殿が持ち帰った情報と、俺の印象。

 式典の折に俺が演じていた人物像と、会合の時の俺と、実際の俺。それを自分の目で見極めなければ、結論を出せない。

 その結論だって、簡単には下せないのだと踏んでいる。

 代々のオゼロ公爵様が求めてきたもの。それの手掛かりを、俺たちが持っているのかもしれないから。


「……いらっしゃるようです」


 一瞬押し黙ったサヤが、緊張した声音で鋭く告げた。

 その言葉で俺たちは、小声で交わしていた会話もやめて、席を立つ。


 コンコンと扉が叩かれ、入室してきた女中が、オゼロ公爵様のご来室を知らせる前に準備を済ませていた俺たちに、少々驚いた顔をした。

 けれどそのまま、扉を押し開いて、横に控える。

 それを待って俺たちは、一斉に頭を下げた。


 入ってきた足音は、ふたつのみ。


「口をきくのは春の会合以来であったね。レイシール殿。面を上げられよ」


 その言葉に従い顔を上げると、柔和に微笑むオゼロ公爵、エルピディオ様のお姿と、後方にダウィート殿が控えていた。

 武官に従者、小姓を引き連れている俺たちは、武装の解除も行われていない。にも関わらず、身の守りを側に置いていない。

 ……部屋を取り囲む警備はあれど、一瞬の隙を突かれてしまえば危険だろうに、そこを敢えてか。


 俺は今一度頭を下げて、まずは詫びた。


「春の折は、大変失礼を致しました」


 式典で己を偽った演技をしてみせ、会合ではエルピディオ様と真っ向からやり合った。

 長を賜っているとはいえ、成人前が、公爵家当主に喰らいつき、我を通したのだ。相手によっては、愚弄されたと激昂されてもおかしくない。

 けれどそれに対し、当のエルピディオ様は、もう済んだことと割り切っている様子。


「よいよい。今となっては、其方がああしていた理由も察しがついているからね。

 王宮勤めに入る成人前と、其方を侮っていた……。あれは私の落ち度だよ。

 宮仕えをせぬうちから長を賜るという、異例尽くしの件であったし、其方が抜擢された理由を、もう少し深く考え、探っておくべきだった。

 あの件に関しては、あの場で代案を出せなかった私の負けだ」


 あそこまで周到に、計画を練られていたんじゃねぇ……と、溜息混じりにエルピディオ様。

 その様子に、やはり木炭の値段の件も、口実作りであった線が濃厚だなと、結論を出す。

 会合で声を荒げてみせたのも、あの場でとっさに取れる対処があれのみであったのだろう。

 そんなことを考えていたら、エルピディオ様は……。


「まあでも、ああいった行動になったのも仕方がないんだよ」


 と、言葉を続けた。

 席に座るよう促され、ご自身も一人掛けの椅子に身を沈めた。ダウィート殿も、隣の椅子へ。

 俺も言葉に従い、マルと共に長椅子に腰を下ろす。

 すると、扉横に控えていた女中が動き、廊下から新たな女中が台車を押して入室してきた。


 オゼロ公爵様が口を噤む。

 その横で、女中が準備を進め、それぞれの前に、お茶と菓子が配られた。

 お茶は、赤みの強い色合い。菓子は……何かペロンとした、薄皮を折ったような……。それが数枚重ねられている。


「懐かしいのじゃないかな?」


 そう問われたのは、俺ではなく、マルだった。


「其方がレイシール殿の学友であり、土嚢の発案者だね。発言して構わない」

「マルクスと申します、オゼロ公爵様。

 えぇ、懐かしいです。北では祝詞日に食べる、特別な菓子。あちらでは貴重な、小麦のみで作られる、薄麵麭(うすパン)


 楓の樹液を煮詰めたものを掛けて食べるんですよ。と、マルは言った。

 その樹液も貴重で、甘さが濃厚になるまで煮詰めるには薪代も掛かるため、それなりに裕福な家庭でしか味わえなかった甘味なのだそう。


「北は冬が早い。雪の舞い始める頃、寒風の吹く中で晴れの日を選び、木を傷付けて、垂れてくる樹液を集めましてね。

 桶一杯が、杯一杯になるほどまでじっくり煮詰めると、まるで蜜のようになるんです」


 マルのその説明を聞く中、エルピディオ様は自ら小壷の蜜を掬い掛け、丸められたその薄皮を口に放り込んだ。

 そして茶を一口啜る。


「茶の渋みが、なんとも甘さを引き立ててくれるんだよ」


 毒味を済ませてから、どうぞと促された。

 サヤが作ってくれた、薄い生地を重ねたような菓子に似ていたけれど、それより風味は簡素で、素朴な味。

 濃い色の樹液は、とても贅沢品なんですよと、マルは提供された蜜を見て言う。

 マルの故郷の味か……。それを噛み締めていたら、エルピディオ様は女中を退室させた。

 部屋の中が、俺たちとエルピディオ様、ダウィート殿だけになってから、茶器を小机に戻したエルピディオ様が……。


「レイシール殿はどうも、影を操るようだ」


 気の緩みに滑り込んだ言葉に、一瞬手が止まってしまった。


 動揺するな。


 自分にそう言い聞かせて、口元に運んでいた杯から、茶を口に流し入れた。

 口内で転がすと、成る程。確かに渋みが強い、独特の風味をしている。


 これは、確信のある言葉か? それとも、カマを掛けられているのか……。

 まだ分からない。


 茶を飲み込んでから、ふぅ。と、息を吐く。


「……びっくりしました。田舎の男爵家に、影などと……。

 一体何故、そんな話になっているのです?」


 言われた言葉にただただ驚き、身に覚えが無さすぎてキョトンとしている。

 そんな風に演じたら、クッと、エルピディオ様は、可笑しそうに笑った。


「其方のそれは、年季が入っておるな……。本気にしか見えぬから、たちが悪い。

 持っておろうよ。そこは間違いないと見ているよ。だが解せぬのは、どうも……」


 そう言って、エルピディオ様も茶を口に運んだ。


「其方は自ら選択しておるようだ」


 杯に隠された口元から、そんな音。


「何かに傾倒しておる様子が無い。いや、ある……。

 だが思うておったものとはどうも違う。分からんのだよ。

 そこなダウィートも、其方にその様子は見受けられぬと言いよった。

 だが残滓があると。

 無いようで、有る。有るようで無いのだよ」


 読めない。

 言葉の意味が理解できない。

 残滓? 傾倒? 影に関しては、持っていると言い当てられてしまっている。誤魔化せる状況であるように思えない。


「このようなことは私も初めてだ。其方はなんなのか。何故其方が後継となったのか」


 後継……?


「何故血の(しがらみ)を厭うのか。

 なのにヴァーリンを、手元に置いた。

 その意味は何だ。

 このように不確かなものを、陛下のお傍に置いておいて良いものか」


 血の、柵……。


「何故それを選択したのか。息の長い策略の一端なのか……」


 息の長い?


「其方の本当の目的は何か……。

 もう、利を得られずとも、害を除くことを優先すべきか……とな。

 それで、捕らえてしまおうかと、今日は呼んだのだがね」



 ◆



 まず動いたのはオブシズだった。

 長椅子を跨ぎ越し、俺の前に身を割り込ませて、腰の小剣に手を掛け、止まる。

 背後で動いた気配はジェイドだろうか。

 サヤも警戒を強くし、身を沈めて直ぐにでも踏み出せるように態勢を整えた。

 けれど、殺気を纏い、今にも剣を抜きそうな歴戦の猛者、オブシズの本気を前にしても、エルピディオ様は涼しげ。

 それは周りに数多く発生した、こちら向きの殺気が、桁違いの数だからだろう。


 正直、首元に抜身の刃を突きつけられた心地に、恐怖を抱かなかったといえば、嘘になる。

 エルピディオ様が俺を排除すると決定を下せば、皆の命が消える。

 抵抗したところで、切り抜けられる可能性は限りなく低いだろう。

 それだけ、力の差が歴然なのを、肌で感じる。

 だけど……。


 エルピディオ様はまだ本気ではない。

 これはあくまで、こちらの反応を見るための一手だ。

 だから、反応を返せ。彼の方が見たいのは俺の反応だ。

 俺から何かを探りたい。

 言葉を繋ぐ間に、エルピディオ様の探る何かを、俺も探れ。それしか皆が生きて帰る道は無いだろう。


「利よりも害を除く……。

 それはまさしく、現状の秘匿権の形、そのものですね」


 混乱し、暴れそうになる思考の手綱を必死で握り、乾いた唇を舐めて、言葉を絞り出した。


「ですがそれは私にとって、先細りの道なのです」

「ほう……。先細りの道とは?」


 エルピディオ様より、隣のダウィート殿の方が、緊張している。

 いや、違うな……混乱だ。

 きっとダウィート殿としても、予想外の状況なんだ。


「近い未来、オゼロの金の卵も、失われるだろうということです」


 俺の言葉に、周りの殺気がより高まった。

 肌を破って心臓に達しそうな、強い怒り……。だけどこれは、エルピディオ様のものではない。


「そうなってきているはずです。この二千年のうちに、少しずつ。

 時が経てば経つだけ、掬った水が手の隙間から溢れていくように。

 ただ守るだけでは、失われていく。守っているつもりで、削り、磨耗していることから、目を背けているだけだ。

 俺が歩いていたのも、そんな道でした」


 駄目だ。意識が、集中が保てない。

 サヤが危険だ。守らなければならないのに、彼女だけはなんとしても、逃さなければいけないのに。

 そのために言葉を紡がなければ。見つけ出さなければ。エルピディオ様の、探すものを。


「いつか朽ちるまで、その時間を無闇に、過ごすだけ……。

 今が、そうであるはずです。

 オゼロは、何度もそれを覆そうとしてきたことでしょう。けれど、そのための道が見えなかった。進むべき方向が。

 それは、きっと今のままでは、変わりません。朽ちるまで」


 俺の断言に、ダウィート殿が顔色を変える。

 エルピディオ様は、それでも黙って俺を見ていた。


「それが、利よりも害を除くことを、選んできた結果です!」


 そう叫ぶと、エルピディオ様がスッと、手を挙げた。

 待て。

 その動作で殺気が緩む。


「続きを聞こう。

 其方には、違う道が見えていると聞こえるが……其方はオゼロの何を知っているというのかな?」


 少なくとも興味は引けたようだ。

 その言葉に、握っていた拳を開いて、汗を細袴に擦りつけて拭った。

 落ち着け。時間は得た。エルピディオ様は、この話を聞く気がある。何を選ぶべきだ。どこまでを口にしても許される?


「……オゼロが……進むべき道を、見出せないのは……。

 過去の礎を、失っているからです」


 残滓、傾倒、血の柵、息の長い……策略?

 利よりも害を除く……。影を、操る……。


「意味が分からんな。もっと具体的に述べてくれないか」


 核心に触れるのを避け、当たり障りない言葉を選んだことが、指摘されてしまった。

 瞳にも不満の色が強くなる。

 だけどこれは、確証を持っていることではなく、あくまで推測……。本当にオゼロが目指しているものかどうかが、分からない。


 でも、次に誤魔化せば見限られるかもしれない。


 俺が思わせぶりに言っているだけで、利にならないとなれば……利よりも害が大きいとなれば……。

 いや、余計なことは考えるな。正しいことを選ぶんじゃない。エルピディオ様の探っているものを探る、時間稼ぎなんだ、これは。

 ダウィート殿は反応した。だから、オゼロが足掻き、進むべき方向を見失っているというのは、当たりだ。

 この方向で口を動かせ。頭を回せ。それと同時に、エルピディオ様の言葉を吟味するんだ。


「二千年前の大災厄。ここはあくまで、通過点なんです。

 本当に知るべきは、もっと前。三千年、もしくは四千年の過去。その時の人々が刻んできた道筋。

 今残る遺跡の形。そこに至った過程です。

 だけど我々には、手掛かりが無い。二千年前の知識すら、塵になろうとしている。

 だからオゼロは、全てが塵と化す前に、金の卵が、金の卵たり得た形の(ことわり)を、見つけ出したいと、足掻いてきた」


 其方は、自ら選択しておるようだ……。

 無いようで、有る。有るようで、無い……。

 俺は、影を操る……。


「けれどもう、やり残したことが見つからない……。なのに、得られない。失うばかりで、朽ちていくばかりで。

 その焦燥は、人を絶望に向かわせます。

 無気力になるならばまだ良い。

 まだ踏み入っていない場所を探し、踏み込んではいけない場所……禁忌にも手を伸ばそうとし始める……」


 俺の言葉に、顔色を失っていくのはダウィート殿だった。

 エルピディオ様は、ただ俺の吐く言葉から、俺の核心を探ろうとしている。


「でも行き詰まっているのは、立ち位置を変えないからです。

 同じ場所からでは、同じ風景しか見えません」

「ほう。では違う風景とやらは、どこからならば見えるのかな?」


 違う風景を、見る方法は…………。


 残滓、傾倒、血の柵、息の長い策略……

 利よりも害を除く……。影を、操る……。

 其方は、自ら選択しておるようだ……。

 無いようで、有る。有るようで、無い……。

 俺は、影を操る……。


 エルピディオ様から見た俺の姿は……。


「もう、追わないことです。

 金の卵は、失われるものだ。それを受け入れる。そこにしがみ付かない。

 そうではなく……」


 オゼロが利よりも害を除くことを優先したのは、大災厄を恐れたから?

 大災厄は、都を砕いた。それにより人は、滅びの寸前まで数を減らした。

 生き残るために獣人と交わり、獣人もまた、血に潜って数を減らした。

 多分、滅びは同時ではなかった。獣人は元々、原始的な狩猟を主とした生活を送っていたから、常に楽観的で、今を生きていたから、彼らは絶望していなかった。

 血に潜ってしまったことで、数を減らしたかに見えたんだ。


 ……ん……潜る?


「…………やはりどうも違うな……」


 エルピディオ様の、独り言……。


 何と(・・)


 そこで何故か、兄上が思考を過った。

 何が違った。俺と、兄上は。


 あ…………、もしか、して?


「…………俺の影は、ジェスルの影ではありません」


 ついポロリと口から溢れた言葉に、エルピディオ様ばかりか、ダウィート殿も反応した。

 息を詰め、瞳が見開かれ、つい腰を浮かせる。

 あぁ、そうか。そうだな……セイバーンは、ジェスルが巣食っていた地なのだ。

 外から見れば、俺もその中に浸っていた身だと見える。

 俺が多くの秘匿権を有していることを知っていたエルピディオ様は、俺のことを当然、調べていた。

 影を使って。

 なのに、俺が探れない。情報が制限されていることは、きっと肌で感じ、分かっていたのだろう。

 だから、ジェスルが動いていると、思ったのだ。


 ジェスルは埋伏の虫を潜ませる。

 ジェスルとの縁を切ったとみせたセイバーンも、ジェスルの血が潜っただけに見えたのだ。


「俺の影は、ジェスルではない。

 彼らには、父上をジェスルから取り戻すため、力を借りました。

 セイバーンは、セイバーンの意思を、取り戻しています」

むっちゃ遅刻……ごめんなさい。

一応書いたけど、直すかも。まが分かりませんが、このまま進めれたら良いのだけどな……。

今のベストの形だとおもっています。

来週は、このまま続きを繋げられますように。

また金曜日、八時からでお会いできますように。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >>焦らないでと口にするのだけど、サヤはそれを言うと、微妙な顔をする。(中略)サヤが無理して急いでいる気がして、つい諫めてしまうのだけど……彼女はそれがなんだか、嫌であるよう。 好きな人(…
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