交渉
自分のことは人任せにしたくないというサヤの意思を尊重することとなり、マルとの交渉はサヤが主体となって行われることとなった。
とはいえ、怪我もある。血を沢山失っている。サヤの体調を優先するために、当初言っていた通り、ギルがマルを確保してくることが決定した。
血で汚し、袖を断ち切ってしまった使用人の服も、着替えることとなり、腕の怪我に障るといけないからと、ルーシーが再度呼ばれ、サヤの着替えを手伝ってくれた。
サヤは自分で出来ると言っていたのだが、傷口がちゃんと癒合するまではと拝み倒して了承してもらった。
腰帯を閉めるときは、どうしても力を入れてしまうような気がしたのだ。
俺が手伝うわけにもいかないし……。ここにいる間に極力無理をしないでおいでもらって、ちゃんと治そうと、サヤに言い含めた。
何度も傷口が開くようなことをすると、傷自体も残りやすくなってしまう。サヤの腕に傷を残したくなかった。
朝と同じ服に着替たサヤだったが、腰帯を縛る位置が背中ではない。正面のやや左側だ。
蝶結びをわざと片側だけ解いたような括り方で、丸く膨らんだ部分が上を向くように調節する。
長く垂れた腰紐が、揺れる感じが可愛い。
こういった括り方をした女性は見たこと無かったが、違和感は無かった。
「サヤさんって、細々した部分に拘りますね。でも可愛い。解けてしまった感じに見えないのが不思議」
「拘ってるわけではないのですけど……背中に手を回しにくかっただけですよ?」
先程の怒れるサヤはもう影を潜めていた。
いつもの優しげな、おっとりしたサヤに戻っている。
さっきのあの姿はなんだったんだと思うほどの落差だ。
女性は怒らすと怖いって、ホントだな……身に染みた。
「明日の大店会議は、袖のある服にしましょっか。
ちょっと暑いけど、時期的にはまだ大丈夫だし。お揃いにしましょうね、サヤさん」
「ルーシーさんにまでお付き合い頂くのは申し訳ないですよ……。
私のことは気になさらないでください。流行の衣装を着て頂きたいです」
「もう! サヤさん堅苦しい! 私がお揃いにしたいの!
ずっと他人行儀に話すし、ちょっと落ち込んじゃう」
ぷうっと頬を膨らまして、ルーシーが言う。
それに対しサヤは少し困った顔で答える。
「この話し方を止めると、訛ってしまいますから……。意味が伝わりにくいのは、困ります」
「ええ〜、私、女学院に行っていたから、大抵の地方の言葉は聞き慣れてますよ? 大丈夫だから、話してみてくださいな!」
なんだかワクワクと待っているルーシーに、サヤは苦笑する。
「ほな、ちょっとだけ。ルーシーさん、さっきはおおきに。それと、かんにんな。ギルさんに怒られへんかった?」
「かっ、可愛い! 意味よくわからないけど、なんだか可愛いサヤさん!」
「……通じひんかったらあかんやん……」
むしろ二人のやりとりが可愛らしい。
俺は二人から視線を外し、長椅子の背もたれに頭を預けた。
俺の横の方で何かやりとりしていたギルとハインが、二人の様子を微笑ましそうに眺めているのが視界に入る。
俺が閉じこもってた半日の間に何かやり取りがあったのか、ギルとサヤが、案外気安く口を利くようになっていた。
それを見て、サヤはここに残っても、上手くやっていけるに違いないと、ふと思う。
頭を埋めていた雑音が消えたとはいえ、問題自体は無くなったりしていない。
むしろより複雑になった気がしなくもない。
サヤを男装させて過ごさせるのは、やはり無理だと思うし、ここにいた方がサヤにとって良いのでは……という考えは変わらない。
ただ……サヤは、自分の責任を自分に置く。
きっとギルに従い大人しく生活するということはしないのだと思う。
そして先程のあの宣戦布告だ。
なんとなく、ここ残ってくれる気がしないんだよなぁ……。
思い出すと、頬が熱くなる……サヤが、俺を大切な思い出の方に分類してくれてると知って、妙に気持ちが、ふわふわしてしまっている。
サヤがいなくなった後のことなんて、考えたくもなかったのに……。
例えばだ。
サヤが教えてくれた料理を、ハインは、サヤがいなくなっても作るだろう。
麦穂の干し方だって、前のようには戻らないだろう。
河川敷が完成したら……俺は毎日のように、その風景を見るだろう。
サヤがいない。それは相変わらず、考えるだけでも、胸が張り裂けそうなほど苦痛だ。けれど……そこにサヤを感じられたら……それは苦しいけれど、幸せなのではと思えてしまった。
辛くても、悲しくても、サヤが俺を憶えていてくれるなら……大切なものの中にしまっていてくれるなら……俺も忘れたくない……。記憶の中でくらい、繋がっていたい……。
共有した時間がもっと積み重なれば、この苦しさは、同じ量の幸せになるのだろうか……。そうすれば、耐えていられるように、なるのだろうか……。
けれど、真夏の暑さの中で男装し続けることはやはり無理だと思うし、異母様や兄上の脅威も取り払われることはない。
そうである以上、サヤを連れ帰るなんてどだい無理な話だ。
そんな風に、思考の中でぐるぐる考えていると、ルーシーとのやりとりを終えたサヤがやって来た。
俺は、長椅子に座るよう勧める。できるだけ休んでいてほしかったのだ。意図は通じたようで、サヤは大人しく、向かいの長椅子に座ってくれた。
ルーシーはいつの間にやら退室していたようだ。見当たらない。
「レイシール様、マルさんのことについてお伺いしておきたいんですけど。
マルさんが、特に好む情報とかってあるのでしょうか?
できるだけ、良好な状態でご協力頂きたいので、好みがあるなら教えてください」
俺の斜め後ろに直立していたハインが、俺の代わりに口を開いてくれる。
「別段、選り好みはしないと思いますよ。
強いて言うなら……貴族間の人間関係に関する情報は、若干興味が薄いですかね」
ドロドロしすぎて食あたりを起こしそうなんだそうですよ。と、ハイン。
そして、食事は燃料くらいの感覚なので、味への興味も薄いと付け足した。
「食事を忘れて情報分析に没頭する人間ですからね。
分析中は水と塩で過ごしたりしてるみたいです。食べる時間も勿体無いそうで。
それで死んだら、その大切な時間が大幅に減るとは、考えないんですかね」
辛辣なハインに苦笑する。
思考に没頭するマルは、鬼気迫る。何日だって集中し続けるのだ。それが途中で邪魔されるのは、本当に嫌なことであるらしい。その邪魔に食事も含まれるのはどうかと思うが。
水と塩を取るだけ相当マシになったと思う。気付いたら動いてない。は、格段に減ってるわけだし。
……まあ、頭が痛くなって考えられなくなるからって言ってたから、なんかいまいち、生きるための摂取になってない気がするが。
「……うん。それ使えそうですね。
食事が面倒なのは、手早く済ませられないからだと思うので、そこから攻めてみましょうか。腸詰めがあることが分かったし。作れますね……」
そんな風に呟いて、懐から紙を取り出す。
腸詰め……という単語が出てきたということは、新しい料理かな。
「あと、これをマルさんに差し上げようと思うんですけど。如何でしょう」
懐から取り出した紙……四つ折りにされたそれを広げると、それは文字の一覧だった。
なんでこれを?と、思ったのだが、その隅に書かれた謎の記号が目につく。
「これは……サヤのために作ったんじゃなかったか?」
ギルが訝しげに問う。それにサヤは首肯した。
「はい。これは私用ですから、このまま差し上げるわけではないです。
でも、害がなくて興味を引くものといったら、文字かなと思ったんですよね。
私が異界の人間だという証拠にもなるでしょう?
私の国の文字は特殊ですから」
そう言ってにこりと笑った。
「簡単に説明しますね。
私の国では、常時三種類の文字を織り交ぜて文章を構成します。場合によってはもう少し増えますけど。
これって、他の国にも類を見ないことみたいなので、とても珍しいと思うんですよ。
こちらの世界ではどうですか?」
サヤの問いに、俺たち三人の眉間にシワが寄る。
意味が全く分からない……。三種類の文字を織り交ぜるということ自体の意味がだ。
異国の言葉を混ぜて使うのか?
で、考えるのを一番はじめに放棄したハインが、サヤに問う。
「サヤ……仰ってることの意味が分かりません……。
三種類の文字を織り交ぜるとは、どういうことですか?」
その返事に、サヤは楽しそうに笑った。
なんだろう……なんか、活き活きしてる……。
紙の端に、赤墨で書かれた小さな文字を指差し、言葉を続ける。
「これは、片仮名と、呼ぶ文字です。
それと、平仮名、漢字と呼ばれる文字があります。
他にもアルファベットという文字を混ぜたりする場合もあるんですけど……これは外国の文字なので、今は割愛しますね。
ちょっと書いてみましょうか」
長椅子を立って、執務机から紙と墨壺、筆を持ってくる。
それに、何かさらさらと書き付けた。
「『私の名前は、鶴来野小夜です。セイバーンで、レイシール様の従者見習いをしています。』って書きました。
この、画数の多い、ごちゃごちゃした文字が漢字です。
セイバーン、レイシール様…このカクカクとした文字が片仮名。
丸みのある、残りの文字が平仮名です。
点や丸が書いてあるのは、文章を区切るための記号ですね。
文字の基本は平仮名です。それを軸に、他の文字を使って単語を表記することで、言葉の区切りをつけます」
スラスラと説明するサヤだが、そのあまりに異質な文章構成に、俺は言葉が無かった。
数種類の文字を織り交ぜて表記するだなんて、聞いたことがない。なのにサヤは、更に呆れたことを言った。
「私の国の文字は、五万文字を超えると言われています。
正直、全部を把握している人がいるとは思えない文字数なんですけどね。
私が知ってるのはせいぜい五千文字程度だと思います。とはいえ、読めても書けない文字が多いですし、使わない漢字はどんどん忘れてしまうので、習ったもの全部を覚えている自信は無いんですけど」
「ご、ごまん……」
「あり得ないよな……五万文字に、三種類。必要か?」
「意味が分かりません……何を表現するために覚えられもしない文字を作ってるんですか……」
「さあ……二千年以上の歴史の中で増えに増えたんでしょうね」
けろっと答えるサヤに、俺は天を仰いだ。規格外だ……規格外すぎる……。
「この平仮名と片仮名は、それだけでも文章を書くことができます。でも、とても長くなるし、区切る部分も分かりにくいんです。他の文字で単語を表記することで、同じ文章に書く文字の量は格段に少なくなりますし、理解しやすくなるんです。
特に特殊なのが漢字ですね。
この文字は、一つで数種類の意味や読み方があるんですよ」
「サヤ、ちょ、ちょっと待って、全然、頭がついてこないんだ……」
とりあえず待ったをかけた。
つまりサヤは常時三種類の文字を使うのが日常だったわけか。たかだか十六年の人生の中で、既に数千の文字を憶えている……と。
そして一文字に意味と読みが一つではない文字が何千文字とあると……。それってどうやって使い分けてるんだ……どんな状態が的確か、どうやって判断してるんだ……。サヤの頭の状態が尋常じゃない……今までも相当なのに、数千の文字まで、体得済みだなんて……。
当たり前のような顔をして、ニコニコと笑うサヤだが、これって本当に、一般の教育を受けている状態なのか? 相当な、英才教育じゃないのか?
「サヤの国の文字ですか……。
確かに、凄いのは分かりましたが、この世界では全く価値が無いですね。使える人がいませんし」
ハインが眉間をもみほぐすようにしつつ呟く。本当にな。だが、その言葉にサヤはまた、嬉しそうに笑うのだ。
「でしょう? でも、マルさんは、情報の選り好みをなさらないんですよね?」
あ…………ああぁ! そうか‼︎
唖然とする俺の横で、ギルがパチンと指を鳴らす。
「平仮名で83文字。
片仮名が84文字。
残りはほぼ漢字です。
文字ですから、細かく分けてお伝えできますし、貨幣の代わりといった使い方に便利かなって思うんです。
どうでしょう?これをマルさんへの報酬としたら、喜んでもらえるでしょうか」
俺は顔を抑えて俯いた。
苦笑するしかないじゃないか…。確かに害は無い。この世界のどこにも無い文字だなんて、誰も必要としないと思う。この文字の価値を知るのは、マルと、サヤだけなのだ。笑えてしまう。
「喜ぶんじゃないか? 飛びついてくるのが目に見える」
「そうですね。異世界の文字など、教えてくれる人間はサヤしかいませんから、充分報酬としての価値があると思います」
これ以上ないほど無価値で、価値のある情報だよ。
俺たちの承認に、サヤは嬉しげに微笑んだ。
◆
マルとの交渉材料がある程度定まってから、サヤはギルに調理場を借りたいと申し出た。
マルへの交渉道具として、調理をしたいと言うのだ。
新しい料理ですかとハインが食い付き、ギルが俺のぶんも作るならな! と、承知する。
とはいえ、昼食はもう準備されていたので、軽食用にと、人数分を作ることとなった。作り方も、簡単ですからと、ギルの所の料理長に伝えたらしい。その代わり、調理に必要な食材もバート商会の食料庫から出すこととなった。昼食を終え、準備万端に整ってから、ギルがマルを捕獲しに行ってくると、馬車で出かけた。
奇跡的なことに、マルは死にかけていなかった。
それどころか、仕事も片付けて、時間を空けて待っていたらしい。
もっと早く来るかと思ってたのにと文句まで添えられたと、ギルが苦々しげな顔で言った。
そんなマルが、応接室で長椅子に座ったサヤを見つめ、まずはじめに言ったのは「サヤくんのお身内の方?」という、質問で、サヤはそれに対し「本人ですよ」と、にこやかに答えた。
「あれぇ? サヤくんが見当たらなかったのは、性別を勘違いしてたからじゃないよね」
「それはそうでしょう。マルさんは、黒髪をキーワードに私を探してたのでしょう?」
「キーワード! それ何? なんて意味なのかな?」
「えっと、目印? 特徴? そんな意味ですね」
「うんうん。それ。あれからね、レイシール様に会う前の君を、僕は結構真剣に探したんだよ? なのに、全然見当たらない。
セイバーンへ繋がる街道、村道、それ以外も見て、メバックに続く道も虱潰しに情報収集したよ。
なのにねぇ、街道のどこにも君がいない。髪を隠してたのかと思って、子供の情報も集めてたんだけどね、一人でフラフラしてる子供も見当たらない。
女性の情報は集めてなかったから、もしかしたら、何か出て来るのかな……でも、ここまで何も無かったのに、今更見つかる気もしないねぇ」
ニコニコと邪気のない笑顔で、マルは躊躇なく「君は、どこのだれなのかな?」と、サヤに問うた。それに背中をひやりと撫でられた心地の俺は、サヤの横に座り、サヤを見守る。
今、この場には俺とハイン。そして、ギル、サヤ、マルだけだ。各々、好きな場所に陣取っているのだが、ハインはいつもの定位置、俺の後ろで直立し、ギルは1人掛けの椅子に胡座をかいている。
ワドとルーシーは、軽食の準備という名目で席を外している。サヤの素性を、ルーシーに教えるわけにはいかないので、そのための処置だ。
サヤは、穏やかな笑顔のまま、こてりと首を傾げてからマルに応える。
「本当に、知りたいですか?
知ってしまうと、知らなかったことにはできないですよ?」
「それは重々承知しているよ。
でも、知らないままは気持ち悪いんだよね。ここまで痕跡が無いと特に。
人一人の痕跡を消すってね、やろうと思ってできることじゃないよ。どれだけ緻密に計算して行動しても、意識の外っていうのは必ず出来てしまうからね。何かを全く消し去るだなんて、それができるのは……神だけだと思うんだ」
本当に分かってるのかと聞きたくなるほど屈託無く応えるマル。
それに対しサヤは、慌てることもなく穏やかに言葉を返す。
「神……。こちらには、本当にいらっしゃるんですかね」
「こちら?」
「教えましょうかマルさん。私がどこの誰か。でも、それには条件があるんです。
私は私を守らなくてはなりません。
私をたすけてくれると約束して下さるなら、マルさんにもそれ相応の報酬をお渡しすると誓います。
まず、条件を提示しますね。
私がマルさんに求めるものは二つです。
ひとつは、土嚢を使った水害対策の総指揮を取って頂くこと。氾濫を見事に防げた場合は、その先の河川敷を作っていく工事に移行しますので、それも含めてです。
そしてもうひとつは、私の情報操作と、管理です」
サヤの出した条件を、ふんふんと頷いて聞いたマルは、報酬は? と、聞き返した。
さやはそれに、笑顔で答える。
「マルさん次第ですけど、まず水害対策の方の報酬は、土嚢と、その先の、河川敷についての情報です。私が答えれるものは全てお答えします。
それと……水と塩より効率の良い、飲み物の作り方、も教えられますよ。
水分を摂取しないと、人は脱水症状になって頭が痛くなるんです。ですが、ただ水を飲むのでは、逆効果になることもあります。
マルさんには、価値のあるものだと思いますけど、どうでしょう?」
それを聞いたマルは、目を大きく見開く。
暫く彫像のように停止した後、サヤの真似をするように、こてんと首を傾げた。
「水分を摂取しないと、脱水症状になって頭が痛くなる……。水が原因?」
「そうですよ。よく似た状態に、熱中症があります。
従者は夏場、よくなるみたいですね。
炎天下で長時間、水分補給をせずに汗をかくので、体の中の水分と、塩分が足りなくなるんですよ。
汗が何から作られているか知ってますか? 血なんです。汗をかいて、乾くとベタベタするでしょう? それが塩分ですね。
汗をかくと、血の中の水と、塩分が失われます。すると血の濃度が上がり、ドロドロになります。そうなってしまうと血が栄養を運びにくくなり、必要な栄養が必要な場所に届きません。それで、体調を崩します。
一番大切なのは、体調を崩す前に、こまめに水分を摂取することです。けれど、体調を崩した場合は、できるだけ吸収しやすい飲み物を飲むのが、体調の回復を早めます。……水だけ取っても塩を取らないと、血が薄まるだけです。血が必要以上に薄まらないよう、排泄が促され、余計脱水が進みます。
水と、塩は、理に適ってるんですけど、もう一つ加えた方が良いとされるものがあるんですよね。それが何か……知りたくないですか?」
「…………サヤくんって、面白いね。すごく、面白い」
マルが、抑揚のない喋り方に変わっていた。
どうやら、サヤの話を聞きながら、頭の中で資料を探していたらしい。
「今の話だけで、僕の知らないことが沢山あった。
根拠を聞きたいところだけど……結構整合性は取れてるよね……。なら、荒唐無稽なでっち上げを適当に喋っているわけじゃなさそうだ。
サヤくんは、そんなことを、どこで知ったの?」
「それを教えるためには、約束をして頂かないといけません。
私の情報操作と管理。水害対策の総指揮。それをして下さるなら、教えます。
私の手助けをして下さいませんか?私には、どうやら膨大な知識があるみたいです。私にとっては、ごく当たり前の知識なのですけど、ここではかなり、異質なものみたいで……。
私は、私の知識が役に立つなら、差し出すつもりでいます。でも……」
「うん。それを狙ったりされるよね。知識を知識と思わない人は多いから」
サヤの言葉に、マルは抑揚のない喋り方のまま、右手を動かす。
顎に手を当てて、傾いた頭を直す。
「危険だと思うよ。特に、神殿かな。
サヤくんの話は、神域を侵す可能性が高い。
人の成り立ち方に理由を見出すのは良くないと思うなぁ。知ってても言うべきじゃない」
「はい。レイシール様にも、そう言われています。なので、今の話は、ここだけの内緒話でお願いしますね。マルさんは、情報の価値と意味を、よく分かってらっしゃる方だって、レイシール様に伺っています。だから、お話ししました。
私が一体どこから来たのか、気になりませんか?マルさんは、どこからだと思います?」
サヤの言葉に、マルは沈黙した。
頭の中を走り回って、サヤがどこのだれかを突き詰めているのかもしれない。でも、たいした時間を使わずに、その作業は終わったようだ。
「分からない……。サヤくんの国も探してみたんだけどね。やっぱり見つからなかったんだよ。
ねぇ、この前、僕に話した話は、全部君の作り話なのかな」
「結構本当ですよ。ただ、一部……私の国の、二百年以上前の話を混ぜました。
私の国は、きっとここの方々にとっては、あり得ない状態です。そのまま話すのは、難しかったので」
「だろうねぇ。つまり君の国より、僕らの国は二百年程度は文明的に遅れてるってことなんだね。
フェルドナレンより二百年進んだ国……。少なくとも、僕の知る限りそんな国は無い。
でもそう結論を出してしまうと、君の存在自体を疑うしかない。君はどこにもいないはずの人間だって結論にしかならない」
だけど、居るんだよね、僕の目の前に。
そう言うマル。
二百年先の文明を持った国から来たサヤ……。異質さが、より際立ったように感じる。
「君は、ここに何しに来たの? なんでセイバーンで、レイ様に近付いたのかな?
その上で、正体を話そうとしているのは何故? 全く意図が読めないよ。君という存在自体が不可解すぎて、危険だ。不確定要素がありすぎる」
マルが感情の乏しい顔でそう言う。
すぐ横に座る俺には、サヤの手がギュッと、握り締められたのが見える。
サヤが何を思っているのか、それは分からない。分からないけれど……。
「マル、サヤを引き寄せたのは俺だし、側に置くと決めたのも俺だ。
サヤは、何か企みがあってここにいるのじゃないし、意図してセイバーンに来たわけじゃない。
だから、サヤを危険だなんて、言うな」
サヤを否定されるのだけは、許せなかった。
マルは事情を知らないのだから仕方がないのだと思う。思うが、サヤをここに引っ張り込んだのは、やっぱり俺だ。あの時手を引かなければ、サヤはここにいなかった。
あの瞬間に責任を持つべきはサヤではなく、やはり俺なのだ。
俺の言葉に、マルの顔がこちらを向いた。一瞬で、マルの表情が戻ってくる。
「引き寄せた……?
サヤくんは自分でここに来たわけじゃないってことですか? もっと意味が分からなくなったなぁ。なんかもう、ただの偶然って以外の結論が見えて来そうにないんだけど……。
うーん……分かった。
降参します。
サヤくんの情報操作と管理、あと水害対策の総指揮、引き受けるんで、答えを教えてもらえるかな?」
なんか話の流れのついでみたいに結論を出されて、俺はなんとなく、ぐったりと疲れた気分になってしまった。
あの無表情の時のマルって感情が読みにくいから、つい過剰反応してしまってる気がする。
サヤは微笑んで「ありがとうございます」と答えている。
それにしても……あれやこれや用意する必要もなかったな……マルにとってサヤの素性というのが一番価値のある情報だった様子だ。
「守るって、要するにサヤくんの国の情報をこちらで利用する際に、情報元を特定できないようにすればいいんでしょう? まさか僕を、実戦の戦力として加えたいわけじゃないだろうし。
水害対策の総指揮っていうのも、サヤくんが発案者だってことを伏せる為ってことだよね?
当然、サヤくんなんでしょ? あれを言い出したのって」
マルの問いに、サヤはこくりと頷く。
「私の国では昔から行われていたことなんです。
私の国の首都はかつて湿地で、人の住める状態じゃなかったのを、永い年月をかけて埋め立て、川の位置を修正して整えてきた経緯があります。なので、圧倒的に経験を積んでたってことなんでしょうね。
数百年以上が経った今でも、その方法が有効とされ、利用され続けてます。
ですから、ここでも使えるのではと、考えました」
湿地を埋め立て、川の位置を修正?
なんだかとんでもない事を言ってやしないか……。
しかも、それが数百年も前に行われていたというのだ。話が大きすぎて、もう何に驚けばいいのかも分からない…。
「ふーん…。それで、サヤくんの国は、何処にあるの? それも教えてくれる約束だよね」
「ええ、教えますよ。
私の国は日本と言います。それは前回お話した通りです。
どういう訳か……泉の中からここにやって来ました。
私は多分、異世界の人間です。
私の世界では、黒髪は溢れるほどにいます。青や緑や紫みたいな、髪の人は存在しません。
帰り方が分からないのも本当です。泉の中には、戻れませんでしたから」
淡々と、サヤは穏やかに話す。
膝の上の拳は握られたまま。その肩に、少し力が入っているように見える。
サヤの言葉に、マルはええぇ⁉︎ と、素っ頓狂な声をあげた。
「それはちょっと、意表をつく話すぎるよ。信じれると思う?
確かにサヤくんは特殊な知識を持っていて、特殊な黒髪をしてるけど、前回の海の向こうの島国の方が、話としてはまともだったよ?」
「ですよね。私もそう思います。
ですが、本当ですよ。レイシール様は、私が泉から出てくる瞬間を知ってらっしゃいます」
「ああ……サヤは確かに、あそこから出て来た。寝転がったって、全身が浸かるのは無理なくらいの、浅い小さな泉なのに……。手首から先だけを出して、手を動かしてたんだよ」
「うわぁ……なんか呪いの泉って感じですねぇそれ! 僕なら気絶してる。さすがレイ様、胆力が半端ないといつも感心するんですよねぇ」
マルが頭を抱えて震え上がる。
言うほど禍々しい光景でもなかったんだけどな……。サヤの手首は、細くて、しなやかで、とても綺麗だったし。
俺はそんな風に思ったのだけれど、口にはしなかった。
そんなことを考えている俺の横で、サヤが伏せてあった紙を表にひっくり返す。
マルへの餌。もとい、報酬にする予定だった文字の一覧だ。
「正直、言葉で説明しても疑わしいだけでしょうから、これを、マルさんに差し上げます。
私の国の文字を、この国の文字に当てはめたものです。
一番表現できるのが片仮名だったので、そちらにしましたけど、このほかに平仮名、漢字という文字がありまして…」
先ほど俺たちがサヤから聞いた、文字の話が、マルにも繰り返された。
そしてそれは、思った通りマルの興味を鷲掴みにしたようだ。
「素晴らしい! 素晴らしいよサヤくんは‼︎
三種類の文字を織り交ぜて文章を構成⁉︎ そんな方法があるなんて聞いたことがないよ⁉︎
確かに異質だ! こんな形状に差がある文字を、何千文字も君がでっち上げたとも思えないね! うん、信じる。確かに君は異世界の人間だと思うよ!」
あっさり掌を返してサヤが異界の人間であることを認める。
それを見計らって、俺の後ろに直立していたハインが、はじめて口を開いた。
「サヤが異世界の人間であることを知るのは、ここの面々と、ワドル師だけです。
今の所、それ以外の人間に知らせるつもりはありませんから、そのつもりでおいてください。
更に、サヤは性別も偽っています。セイバーンでは、十四歳の少年となってますので、こちらに何か連絡をする際は、気をつけて下さい」
「ああ、はいはい。それで従者の格好してたんだね。
うん、その方が良いと思うよ。警戒するに越したことないよねぇ。
それに、レイ様の側にいないと、いざという時の対処が遅れるし」
サヤが男装していた理由は察してくれたらしい。
一応メバックにおいては、出来るだけ目立たないようにはするけれど、男装を解除することも説明を付け加えた。マルは、黒髪さえ隠しておけば、大丈夫だと思うよと請け負う。
異母様や兄上はメバックを利用していない。従者や使用人、騎士らはその限りではないが、バート商会は多く従業員を抱えている大店だ。人の出入りも多い。男装の状態で黒髪を晒してしまっているので、女性の服装の時は髪を隠すようにすれば、特別目立ちもしない。大丈夫だろうと言う。
「サヤくんが外出したら、僕には時間もどこに寄ったかも、まる分かりだよ。
それくらい黒髪は目立つ。逆を言えば、黒髪さえ隠してしまえば、目立たないんだよ。レイ様は全然頓着してないみたいだけど、奇異なものは目を引くのが普通だからねぇ。
だから、女性のサヤくんが髪を晒せば、メバックには黒髪が二人いることになる。
それが同一人物だとなるのは時間の問題だよ。
バート商会の従業員は大丈夫なんだろうね? 貴族相手の仕事をしてる人たちが、口が軽かったら務まらないだろうし、大丈夫だと思うけど。
まあ、誤魔化すように努力するけどさ、些末なことに情報操作の時間を割くのは有意義じゃない。だから、極力隠してね」
マルの忠告に、俺もサヤも、神妙に頷いた。
つまり、ここに残った場合も、サヤは男装を続けるしかないってことか……。
俺は気持ちが沈んだ。
サヤを楽にさせてやりたかったのに……それが叶わない。
結局、街に出る時や、店の手伝いをする場合、サヤは自分を偽るしかないのだ……。
隣のサヤに視線をやる。
内心の伺えない、穏やかな表情に変わりはない。膝の上の手を、握りしめたまま座っている。
右隣にいる俺に、サヤの左腕の包帯は見えない。
女性らしい服装で、今のサヤは、間違っても少年には見えない。
ごめん……。
心の中で謝る。
結局、サヤを振り回しただけだ……。
異母様や兄上がいないぶんだけ、ここの方がマシな程度。
サヤは、ここでも、気を張りつめたまま、生活するしかない……。
そう思うと、また腹の奥底で、いつものモヤモヤしたものが首をもたげる。
出てくるな。
苦しいのは俺じゃなくて、サヤなんだから。
俺が自分にそう言い聞かせていると、ギルがパンッと、手を打った。な、なに?
「マルとの話は終わったな。
これでお前は晴れて、俺たちと一蓮托生ってわけだ。
じゃ、それを祝って……サヤの料理を食おう! もういい加減、待ちきれなかったんだ」
「そうですね。私も味が気になります。では、準備をしましょう」
ギルとハインが、終わったとばかりにさっさと席を立ち、お茶の準備を進め出す。
「ま、まだ終わってないよ。土嚢と、河川敷の話が……」
「それは食いながらでも良いだろうが!」
「そうですよ。レイシール様は、朝食もあまり取られなかったのですから、食べて下さい。
頭が働きませんよ」
いや、昼食はほどほど食べたんだけど……。
そう思ったものの、ギルとハインは聞く気が無いようだ。
ギルはさっさと、待機するルーシーたちにお茶の用意をするようにと指示を出しにいき、ハインは机の上を整えていく。
「レイシール様、もうお二人とも、おあずけは無理そうですよ。
お茶をしながら、話をしましょう」
サヤにもそう言われ、渋々と席を立つ。
そんな俺に、サヤはニコリと笑いかけてきた。
「良かったですね。やっと川の話を進められます。
村の皆さんが、安心できるように、私も頑張りますね」
朗らかに、そう言う。
その顔は、もうセイバーンに戻ることしか考えていないように見える。
俺は、サヤはここに残るようにと言いかけて……やめた。
今それを言っても、また喧嘩になるだけな気がする。
サヤの言う通り、水害対策の話を進めてから、改めて話をしよう。
幸い、マルは責任者となることを引き受けてくれたのだ。なら、サヤを連れ帰らずとも、水害対策は行える。
内心でそんなことを思いつつ、口は勝手に「うん、そうだね」と、答えていた。




