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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十三章
376/515

疑惑

「意図していたわけじゃないですけど、うまく話が逸れて良かったですねぇ」

「良くない……なんで草紙に…………っ、クオンティーヌ様は一体何を考えて…………」

「ネタとしてしかオブシズを見ていなかったということですね」

「そんな注目はしてほしくなかった!」


 深夜。

 俺の部屋に、いつもの会議へと集まった一同だったけれど、オブシズは意気消沈したままだ。まぁ、気持ちは分かる。ごめんな……ネタにされそうだとは思ってたけど、本当にされているとは……。


「なんかとんでもないことがあった感じですね……」

「そうか?」


 昼間は同席していなかったユストとウーヴェ、ジェイドらには分からない話であったから、そこから説明していくことになって。

 同じ内容をもう一度耳に刻みつけることとなってしまったオブシズは、先程から長椅子で屍と化している……。


「ははっ、とンだ災難」

「悪目立ちも甚だしいな」


 容赦ないジェイドとアイルの感想です。

 因みにユストとウーヴェはなんとも不憫でどう声を掛けて良いやらといった感じです。


「まぁ、面白おかしく話すのはその辺までにしましょうか」

「何も面白くないっ!」


 目立たないよう二十年近く隠してきた瞳がこんな形で貴族に広まるなんて、想像の斜め上どころじゃないよな……。

 そんな風に和やかに始まった会議であったけれど、マルの次の発言で、場の空気は一気に凍り付いた。


「その当時のレイモンド、付き合っている人脈に、ジェスル傘下の家系が含まれているんです」


 セーデンはオゼロ傘下の子爵家であったはず。そう指摘したのだけど、当然セーデンはオゼロ傘下です、今もね。と、マル。


「ですけど……オゼロも北方の領地ですし、ジェスルとはご近所さんのようなものじゃないですか、交流があったっておかしくない。

 オゼロはジェスルを傘下に加えていません。ジェスルは元公爵家の威光を未だに引きずってますし、あの気質ですしねぇ。

 でも……それは表面上だけなのかもしれない。まぁ、可能性は色々あるので、現在情報収集を続けてます……あまり期待はできないのですけど」


 ジェスル関係は特に探りにくいんです。と、マル。こちらの手も、あちらに読まれやすいらしい。蛇の道は蛇と言うものな。


「我々が影を持っていることは知られてるでしょうけど、規模は極力あちらに知られたくないんでねぇ。あまり直接には立ち入らないようにしてます。

 なので散らばってる情報の収集と分析から糸口を掴んでいくことになるので、どうしても時間が掛かるんですよねぇ。

 まぁでも安全第一ですし? そんなわけで、過去のことでも分析できるものはさせてもらいますし、そこからだって貴重な情報は得られます。今回は、オブシズに関する曖昧な部分……、ここをスッキリさせるだけでも、僕としては随分助かるんですよ」


 脳の処理的に、とのこと。そうしてオブシズを見て、笑みの形に口元を歪める。


「十二年……もう十三年前ですっけ。レイ様を助ける時、貴方はジェスルの目を気にした。あの出来事から十三年もの間、セイバーンを避けるほどに用心していた。

 そしてセイバーンにジェスルの手が伸びていることも承知していたから、当時のこの人の状況が気になった……」


 マルの言葉に、オブシズは渋面になる。否定しきれない何かが、オブシズの中にあるということなのだろう。


「……セイバーンを通ったのは……たまたまだ」

「ですね。レイ様に遭遇してしまったのも偶然の産物でしょう。

 だから余計、運命を感じます。僕、こういう偶然の重なりって大好きなんですよ。最終的には必然になるのがなんとも楽しいじゃないですか」

「…………」

「服装を見れば分かりましたよねぇ、レイ様が貴族関係者だってことは。

 だから無視すれば良かったのに……貴方、それができなかったんですよねぇ。

 だけど、その当時から、瞳を晒すことにかなり注意を払っていた様子。傭兵の間でジェスルは鬼門と言われています。彼らは傭兵の扱いに容赦がない。本当に食い詰めていなければ、あそこに雇われたいとは思わないのが普通です。

 常日頃からジェスルとの関わりを作りたくなかったのはその通りでしょう。だけど貴方には、もうひとつの懸念があった。

 万が一、レイモンドがジェスルに繋がっていた場合、自分のことが奴に届くかもしれない……そのことを警戒していた……違いますか?」

「……あくまで可能性。今となっては分からないことだ」


 ここでマルは、顔から表情を消した。

 なんだか随分久しぶりな気がする。頭の中の図書館に出向いている顔。


「いいえ。分かりますよ。

 貴方は退学した後でしたけど、レイモンドは僕の入学後も数年学舎にいましたから。

 接触したことはありませんけれど、あの人物の交友関係も、僕は把握してます。

 結論から言いますと、疑惑は憶測ではなく、真実ですよ。学舎在学中のレイモンドは、ジェスルの者との関わりがあった。

 無論、あの当時の貴方の行動も、調べられる範囲では調べました。

 あの時の貴方は、レイモンドがジェスルと繋がっている可能性など、微塵も考えていなかった。そもそも貴族社会にも関心が薄く、仕官するつもりなんてさらさらないって感じの素行でしたねぇ。

 だから彼に、庶民が喧嘩の後始末をつけるみたいに……あんな風な言葉を返したのでしょう?

 ジェスルが絡むと知っていれば、もう少し考えて行動……しませんでしたかねぇ、当時の貴方は。ジェスルがどういった相手かなんて、把握してませんでしたしね」


 そう言われ、むすっと口元を歪めるオブシズ。

 そこはオブシズの性格的にそうかなって気がする。見つけてしまったものを放っておけないんだよな。

 カタリーナの時もそうだった。彼女の何気ない動作から、彼女の異変を察知し、それを捨て置くことができなかった。


「貴方、無自覚でしょうけど……自身の経験から、ジェスルの香りに対して鼻がきくようになっているのでしょうね。

 なんとなく、これに関わりたくない……そんな風に感じることって、あったのじゃないですか?

 傭兵時代は奇跡的なくらいの回避力を見せてますし、だけど視界に気になるものが入ってしまったら……放り出せない。レイ様の時がまさにそうでした。今回の、カタリーナもね。

 ……まぁ、僕も似たようなものですけど。

 僕も入学当初からジェスルを警戒してまして、極力関係を繋げたくなかったもので、その辺りにはかなり神経を使って情報収集していたんですよ。

 ですからレイモンドに、貴方の噂を周りに周知し、信じさせるほどの人脈、人望があったとは思いません。

 情報の拡散具合からいって、あの噂は多発的に発生したはずなんです。

 つまり複数人が、同時にその噂を囁き出した。一度目では信じなかった人も、二度、三度、そして近しい人の口からもその噂を聞くようになり……だんだんと、事実であるように錯覚し始めた……そういうことだと思います。

 この手の情報操作、ジェスルの得意とするところなんですよねぇ……。

 彼らからしたら、呼吸をするのと大差ないことなんですよ、策略を巡らせるなんてことはね」

「なんで学舎でそんなことをする? 成人前の貴族を相手に、意味があるのか?」

「ジェスル内では、布石打ちと呼ばれている手法です。

 表沙汰にはしない人脈を作り、何かの時に動かせる人間を確保しておく……。誰かがその布石打ちを行なっていた可能性があります。

 学舎だけじゃないんですよ。街の酒場や祭りの中……社交界の席、どこでだって行われている可能性があります。

 ジェスルには独自の教育課程があるとされてまして、幼き頃から場の操作というものを学ばされるのですよね。特定の素養があると見なされた人物に限り、ですけど」

「特定の素養……?」

「基準は僕にも分かりかねます。ですが、そうですね……セイバーンにいたあの執事長は、その手口を学んだ人なのだと、僕は考えてます。

 あの人たちは……時間という概念がおかしいんです。なんて言うんでしょう……自分たちを働き蟻だと思っている……と言えば、分かります?」

「全然分からない……」

「ですよねぇ……」


 うーんと唸るマル。顔は固まったままなので、なんとも違和感が凄い……。そのマルの言葉を拾ったのは、やはりサヤだった。


「蟻の社会は確か……女王蟻の意思決定が全てで、そのために働き蟻たちは身の犠牲も厭わないで職務を役割分担し、行動するのですっけ……歳をとった個体ほど、危険な仕事を担うって聞きました。蜂なんかも似ていたと思いますけど」

「ええ。しかもね、あの人たち何十年と掛かるようなことも平気で策略するんですよ。

 自分が計画の最中に寿命を迎えることだってお構いなし。最終的に目的を達するために、布石を打っていく。淡々と、それを繰り返す……ほんと気持ち悪いんですよねぇ」


 ゾワリと、背中に悪寒が走った。

 マルの発言に、身に覚えがありすぎたのだ。


「…………何十年も掛かるような……」


 それは例えば、俺と父上を絡め取っていた、あの策略のように?


「ええ。誰のどんな意思でもってそれがされてるのか、本当、意味が分かりませんけど」

「……北の地の、獣人を犠牲にした循環を作り上げたのも、まさかジェス……っ⁉︎」


 口を滑らせてしまった。ハッとしたけれど遅い……、俺の馬鹿!


「……まぁ、もう頃合いじゃないですか?」


 頭の図書館から戻ったマルに苦笑しつつそう言われ、自分の迂闊さに顔を覆った。


「詳しく聞きたい人は、後でレイ様に確認してくださいな。特に気にならない人。知りたくない人は、別段知らなくっても結構ですよ。知って得することじゃないんで。

 今は話を進めます。

 ジェスルには、時間を気にせず、布石を打っていく習性があるとだけ理解してください。あの頃は学舎で行動すべき理由があったということでしょう。

 ある意味あそこは、彼らにとって良い狩場なのかもしれませんね。迂闊で未熟な貴族成人前が、よりどりみどりなんですから。

 まぁつまりね、レイモンドの件、そしてセイバーンにおける異母様の件を鑑みるに、フェルドナレン各地……あるいは他国にもかもしれませんけど、ジェスルは埋伏の虫をばら撒き、潜り込ませている……と考えられます。

 異母様、レイモンド共に、我が強すぎて策略には向きませんが……寄生するにはもってこいでしょうし」


 異母様の所に、執事長がいたように……?

 なんとも気持ち悪い話だ……。

 一同がどう答えて良いやらといった面持ちで、お互い顔を見合わせていると。


「ここにだって、いないとも限らないんですが……」


 と、マルが続けた言葉にギョッとする。


「僕、レイ様の目は信用しているんです。レイ様が許して、僕に感知できず、鼻のきくオブシズが察知してないならば、いないってことでしょう」


 にっこり笑ってそう言われ、ホッと胸を撫で下ろした……。


「まぁつまりね。拾ってしまったカタリーナもジェスル絡みである可能性が濃厚。レイモンドが組織中枢の人間とは到底思えませんが、こちらからあちらの餌に食いついたも同然なんですよね。

 僕的には、あのアレクセイという司教も怪しいと睨んでるんですけど、先程の三名のうち二名が懐疑的なんで、保留します。

 でまぁ、あまり脱線してもアレなんで本題に入りますけど、レイモンドがこちらに出向いているであろう理由。多分、オゼロの使者の一人として、紛れているんじゃないですかね。ほら、木炭の値段交渉の件で」


 それなら合点がいく。

 オゼロ領からここまでは結構な距離がある。だから、雨季明け辺りに到着しようと思えば、もう出発していることになるものな。

 そして、そうであるならば、ある作戦を遂行しようと思います。と、マル。


「ここで大切なことはですね、あくまで髪留めの件はブリッジスとの確執。

 その裏がレイモンドに繋がっていることに、僕らはまだ気付いていない……と、することです。

 レイモンドはあくまで僕らの要請に応え、木炭の価格交渉に来ているオゼロからの使者。別件です。

 そうしておけば、彼は自由に動ける」

「自由に動かしてどうするんだ?」

「彼は案配の良い寄生主ではないでしょう。なにせ個人の都合をここに持ち込んでいますから。

 カタリーナを探すなり、立ち入り禁止箇所に潜入するなりしてくれれば、それがあちらの落ち度となり、値段交渉にも役立ちます。

 それと髪留めの爆買いですけど、あれは彼らが資金調達するための手段として確保したいんでしょうね。

 セーデン子爵家、金に困ってるって話だったでしょう?

 つまりヤロヴィとセーデンの癒着も相当進んでます。

 そうなると……髪留めの爆買い程度で満足なんてしませんよね。もっとこちらの懐に、手を突っ込んでくると思いますよ」


 なにせ僕ら、妙々たる金の卵に成長しましたし。と、マル。


「それも……ジェスルの手なのか?」

「そこまで分かるわけないじゃないですか」


 分からないのかよ⁉︎ と、頭を抱える一同。

 マルはヒラヒラと手を振って「対処はどっちだって同じですよ」と、言葉を続けた。


「ジェスルの手ではない……とも言い切れません。別口で、またセイバーンに寄生する手段を模索している可能性は大いにあります。

 だけど彼ら、先程言った通り、布石打ちに時間経過を考えない傾向がありますから、不確かで曖昧な手段でもって手数を打ってくる可能性は低いです。

 気付かれないよう、長い期間を空けて、確実に一歩ずつ、にじり寄ってくる。

 だから性質的に、ジェスルの関わりは薄いか、低いと考えてます。

 …………まぁ、直ぐ確実にこちらを落とせる手段があるなら、即座に首を落としにくると思いますけど、オゼロの下でそれをする可能性は低いかと」


 とのこと。

 可能性は低くても捨てきれないっていうのが気持ち悪いというか、ややこしくてあああぁぁぁっと、叫んでしまいたくなる。


「それに、レイモンドがオゼロからの使者だからって、主格とは限りませんしね。

 人格と能力から考えると荷が重すぎますし、付き人の一人なんじゃないかと僕は考えてます。

 まぁ、どの立ち位置かによって扱いも変わってきますから、どちらにしても僕とレイ様で対処することになるでしょう。

 その辺は、後でもう少し話を詰めましょうか。

 ですから皆さんは、とにかくカタリーナのことに触れない。話題を振られても誤魔化す。隙を見せない。

 それから、レイモンドの到着に合わせてブリッジスが再来する可能性が高いです。僕らがレイモンドと応対している間に村の中を好き勝手歩かせない。

 注意すべきこと、やるべきことはそんなところですかね」

「ならば、私がブンカケンの店主として、商業広場での買い占めに抗議するというのは如何でしょう。

 ただ買っているだけ……とはいえ、他のお客様を顧みない横暴を働いていることは確か。

 我々は、どういった趣旨でもってあそこで品を販売しているか、それも含め、伝える価値は、あるのではないですか?

 それに対し改善が無いならば、悪意があると明確に言えますし」

「そうしてください。それに本来、商用の販売は屋台ではなく、ブンカケンとの契約を通すべき。

 そんなに数が必要なら、正規取引契約を結んでくださいと言っておきましょうか。

 これも転売が始まれば、武器となります」

「畏まりました」


 ウーヴェとマルでヤロヴィに対する対応も決まった。

 その結果を見て、ヤロヴィ本店に抗議文を送ることまでが決定。


「髪留めは、来年には無償開示。そうすればどうせ転売はできなくなるでしょうが、それまで待つ気はありません。

 ヤロヴィの客層的に、あれを貴族に高値で売るつもりでいるんでしょうが……そこを阻止する手段も模索します」

「バート商会を通して正規の金額で販売するっていうのは?」

「バート商会も運営方針を切り替えたばかりだ。負担になるような、専門外のことはもう、極力押し付けたくない……」

「こうなると、メバックに貴族との取引をしている大店が少ないのが痛いですよねぇ」


 そうは言っても、なんとかしていくしかない。


「では、その辺は次までの課題として考えておきます。

 そろそろ時間も時間なので、今日はここまでとしましょうか。

 とにかく先ほど述べた通り、レイモンドを泳がせるために、ブリッジスのことは別口として振る舞うこと。良いですね?

 ボロだけ出さないでください。

 じゃあ僕とレイ様はもう少し、レイモンドの対処法を詰めましょう」


 それで本日は解散。マル以外、皆が部屋を後にした。

 なにせ夜半の会合なので、あまり長引かせると明日に差し支えるのだ。


 けれど、ここからは俺とマルの時間……。


「…………で、本音の所ではどう思ってるの?」

「察しの良い主人でほんと助かります」


 皆に言えない部分の擦り合わせとなる……。



 ◆



「オブシズは割り切っている風にしてますけど、全然そんなことはないんでしょうね。

 レイモンドに、オブシズがヴィルジールであることは悟られぬ方が良いでしょう。

 なにせ目立つ瞳です。レイモンドだって、ヴィルジールを忘れてやしないでしょうし」

「……彼の瞳から、獣人関連の話を引っ張り出されても困る……が本音?」

「それも大いにあります。なにせ探られると困りますもんね、僕らの腹の中」


 オブシズは獣人ではないけれど、ここには獣人が多く潜んでいる。

 例えばレイモンドがオブシズを獣人だと罵ったとしたら、それを耳にしてしまった獣人らも精神を揺さぶられることになるだろう……。


「獣人は、精神面の制御に難があります」


 感情制御が人よりも難しいとマルは言う。

 まぁ確かに、激高しやすいよな。


「なので当日、オブシズはレイ様護衛の任を外れてもらいます。念のため、瞳も隠しておいてもらうべきでしょうね……」

「…………レイモンドは……カタリーナのことは、知っていると思う?」

「ブリッジスの知っていたことは当然あちらにも届いていると考えられます。

 というか、逆かもしれません。レイモンドから、ブリッジスに連絡が入ったのかも……。それなら僕が察知できなくても頷けるんです。

 どちらにしても、カタリーナを見つけ出すため、拠点村の中を散策したがることでしょう」

「…………カタリーナは避難させておく方が良いな。ジーナ共々」

「それなんですけどね……。

 時間稼ぎにしかならないと思いますよ?

 メバックでも、もう人探しは行われていません。つまりあちらは、カタリーナがここにいることを確定してきています。

 隠したところで探しますし、諦めませんよ」

「…………時間稼ぎでも良い。

 あちらは職務でこの地に来ているのだし、職務から外れて行動できない以上、時間制限を持っている。

 その時間をやり過ごせば、また別口でここに来るしかなくなる……」

「何日滞在するか、分かりません。交渉の進み具合次第ですよそこは。あちらが難癖つけて引き延ばしにかかる可能性だってあるんです。

 その間、なんと言ってカタリーナを納得させるんです?

 だいたい…………なんでカタリーナに、レイモンドのことを掴んでいること、言わないんですか」


 そう言われてしまった……。

 なんでって……理由なんてひとつしかない。


「苦しませてしまうからに、決まってるだろ……。

 カタリーナが俺への警戒を解かないのは、貴族が心底信用ならないからだよ。それだけ辛い経験をしてるってことだ。

 そんな俺に何を言われたって、不安の種にしかならない。追い詰めてしまうだけになる」


 今までの反応からして、俺がどんな関わり方をしようとも、カタリーナにとっては負担にしかならないだろう。

 それでもまだ、かろうじてここにいるのは。身を潜めていられる場所がここしかないことと、俺がレイモンドのことを知らないと思っているからだ。

 貴族の元であれば、貴族以外からは、守ってもらえる。ブリッジスの手からは、逃れられると……そう考えていると思う。


 けどカタリーナは、俺が男爵家の成人前で、レイモンドが子爵家当主であるということを、きちんと理解している。

 俺が立場的に、レイモンドに逆らえないということをだ。


「もし俺がレイモンドのことを知っていると分かれば、俺が二人をレイモンドに引き渡すと考えるよ……。

 そうなれば、下手をしたら、ジーナと心中だって起こしかねない……。

 いくら俺が、そんなことはしないと言ったって、信じれるものじゃないだろう……」

「貴方は過去に囚われすぎですよ……。

 これだけ人目があるんですから、何かあっても直ぐ対処できます」

「何かあっては駄目なんだよ! 些細なことも、あっちゃ駄目なんだ!

 下手をしたら、ジーナの一生を、ずっと苛むことになる……そんな事件(こと)には、したくないんだ!」


 親に殺されかけるなんて記憶、ジーナに刻みつけたくない。杞憂かもしれない、滅多にあることじゃない、そんなことは、分かってるんだ!

 だけど、レイモンドがジェスルに繋がっているのだとしたら、カタリーナにも、母に刻み込まれていたと同じような暗示が掛けられている可能性だって、あり得るだろう⁉︎


「もうあんな思いは沢山だ……。誰にだって、してほしくないんだよ……」


 ジーナだけじゃない。カタリーナだって同じだ。子を抱きしめられなくなるような後悔を、刻みつけたくない。

 だからそうなる前に、絶対に阻止したい…………。


「あぁもう……ほんと貴方って人はややこしいですねぇ」

「ごめん……」

「良いですよもぅ……そういった習性なんですから仕方ないです。

 カタリーナを確実に守れる手段を確保できない以上、時間稼ぎするしかないですもん。

 あー……本当ややこしいです。なんとか離縁させられないものか……」


 離縁は基本的に、地位の高い方からしか行えない。同列であっても、通常は男性優位となっている。

 相当強気な女性なら、男性側を脅して無理やりにでも離縁状を書かせることができるかもしれないが、ブリッジスはあくまで取引としての婚姻を結んでいる。

 レイモンドが承知しなければ、離縁を承諾させることも難しいだろう……。


「レイモンドに、カタリーナとブリッジスの離縁を認めさせ、今後一切関わらせない方法……か」

「牢獄にでも繋がれてくれれば話が早いんですけどねぇ……」


 あぁ、この例外があるな。

 夫が罪を犯した場合、妻は自ら離縁が可能だ。子がいるならば尚更、その傾向は強い。


「まぁ、そっちを考えるより先に、転売をどうにかすることを考えましょう。

 一番手っ取り早いのは、どこかの老舗宝石商が、僕らとの取引を承諾してくれることなんですけどね。

 僕らの考えに賛同してくれて、安価な商品の流通を担ってくれるような…………」


 そう口にして行く間に、マルの瞳はだんだんと力を無くし、最後には視線を机に落とした……。


「でも老舗ってことは王都の大店。王都の大店ってことは貴族相手の商売。そうすると当然あの髪留めを扱うなんてことはないんですよねええぇぇ」


 王都の貴族は大粒で見栄えのする宝石を好むのだ。宝石どころか、硝子玉や地金のみの質素な飾りの装飾品など、求めてないし、買い手だってつかない。

 だから大店との取引など、頭から無理と言っているようなもので……。


「あー……」


 でも、その条件に当てはまる店なら、ひとつ知ってる。


「イェルクとヨルグの宝石店、王都の一等地にできてるんだよね……」

「…………え?

 イェルク……ヨルグ……って、ジョルダーナ宝石商の?」

「うん。王都で支店を出してた。店名は違ってたから、ほぼ独立?……ほら、サヤとの逢瀬で、首飾りを購入したんだ。

 本店で本来は屑となる宝石を加工して、結構なものを作ってはいたんだけど…………やはり小粒だとほら……」

「あー……、王都の貴族はその傾向特に強いですしねぇ……」


 店舗の家賃を工面するのも大変と言っていた。

 だから、商談であれば話くらいは聞いてもらえるかもしれない。でも……。


「貴族相手の商売がうまくいっていない以上、あまり意味は無い……よな。

 ヤロヴィの考えている転売先も、貴族なのだろうし……」

「ですねぇ……」


 でも……何もやらないよりは、少しでも手を打ちたいところだ。

 雨季明けには丁度王都へと出向く用もある。

 長と大臣の集う、定期的な会議が催される予定なのだ。

 その時に少し時間を作って、商談を持ちかけてみるのも良いかもしれない……。

 そんな風に、考えていた時だ。


 コンコンと、扉が叩かれた。


「……誰?」

「あの、私です」


 え……。


「…………レイ様言ってくださいよ。

 閨事の予定があったんなら、僕だってこんな時間までここに陣取ったりしませんって」

「い、いやっ無い! 違う!」

「違います!」


 慌てて否定し、扉の外からも悲鳴に近い否定。

 けれど、マルが巫山戯てわざとそう口にしたのだと、顔を見て察した。お、お前えええぇぇぇぇ⁉︎


「言って良い冗談と悪い冗談があるだろ⁉︎」

「それまだやってるんです? お互いもう納得したんなら良いじゃないですか」

「良くないっ!」


 マルの襟元を締め上げていたら、扉の外から「あの……」と、またサヤの声。


「あ、ごめん、入っておいで」


 改めて声を掛けると、扉が開き、サヤがとてもいたたまれないといった表情ながら、入室してきた。

 髪は解いていたものの、サヤがちゃんと従者服であったことにホッと息を吐いてしまった俺に、マルがニヤニヤするからもうひと睨みしておく。


「どうしたの? 何か心配事があった?」

「…………お二人だけに、お話ししたいことがあって、来たんです」


 …………俺とマルに?


 俺だけではなく、マルにもと言ったことで、サヤの話したいことというのが、サヤの国の知識に関連するものだということを察した。

 それだけでなく、それは口にすることも憚られるような……皆には知られたくないことなのだ……。


「巫山戯ている場合じゃなかったですね」

「巫山戯てたのはお前だけだからな」


 もう余計な口をきくなよと念を押して、サヤを長椅子に促した。

 神妙な表情でやってきたサヤは、少しの間、決意を固めるように深呼吸。


「……お話ししたいことというのは……オゼロのことです。

 その……オゼロの特殊な秘匿権、石鹸についてなんですけど……。

 きちんとした石鹸を作るには、苛性ソーダが必要で、それが劇薬だって、この前伝えたと思うんですが……」


 そこでまた、サヤは言い淀んだ。

 しばらく押し黙って、葛藤するように……。

 その様子がとても不安そうに見えたから……席を立って、サヤの隣に座り直した。

 そうして、膝の上で握られていた手を、俺の手で包み込む。

 案の定冷え切っていて、サヤがどれほど緊張しているのかが伝わってきて……。

 マルがニヤつくから睨んで黙らせた。笑い事じゃ無いんだよ、これは。


「おおきに。

 えっと……その、苛性ソーダという劇薬について、お話ししたくて……。

 私の記憶違いでなければ……苛性ソーダって、簡単に作れるものじゃないんです……。あれを作るには、電気分解が必要で……」

「デンキブンカイ?」


 そこでサヤはまた、口を閉ざした。

 そして、少し震える唇で、深く息を吸い込んで……。


「前にレイ、私が言えることと言えへんこと、選んでるって、言うてたやろ?

 その通り、私は選んでた……。私の世界は機械いうもんがぎょうさんあって、それはだいたい、電気で動いとる。

 私、この世界には電気を利用した道具は無いと思うてた。そして……それはまだ早いんやて、考えてた……。

 実際私の世界でも、電気が使われだしたんは然程前やない……二百年程度の歴史しかのうて……。

 でもその電気が、動力として利用され始めたら…………文明の発展は、異常なくらいに、速度を上げた」


 ブルリと身を震わせたサヤを、慌てて抱き締めた。

 サヤが……カーリンの子をとりあげた時と同じくらいに震え、怯えている。それが腕に、身体に、伝わってくる。


「オゼロは、石鹸を、量産に持ち込むことは、できひんかったって……。

 それはつまり、電気の製造方法には、まだ行き着いてない……いうことや。

 けど、大災厄前の文明には、電気があった。

 なぁ……オゼロは、木炭と、電気……動力を手中に抑えとる。

 もし電気の製造方法に気付いたら……それを研究しとったら…………っ。

 私の腕時計、あれを動かしてるんも、電気や……腕時計の中の電池、それが作り出してる電気。

 …………私の腕時計………………もしかして、オゼロが……?」

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