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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十三章
369/515

雨季の準備

 サヤがこの世界に来て、二度目となる雨季が近付いてきた。


 河川敷の方は、重要な部分は既に作り終えており、水位としても、まだ問題が無い日々が続いている。

 そろそろ訓練は一旦中止となるのだが、他領からの視察はそれまでに切り上げとなり、帰還。

 そして、セイバーンの騎士の方は残り、川の経過観察を担うことになる予定だ。

 現在メバックは、宿を取り職を得て、雨季の間に小銭を稼ごうと考えている旅人でごった返しており、商業会館も忙しい様子。

 職人らも、雨季は家に篭って商品の作りだめをする時期となるため、材料の買いつけで金が動く。

 何より拠点村は、無償開示品の指導という大きな役割を担っているため、その分量は例年にない規模となった。


「で、肝心の木炭が不足してると……」

「ええ。一応最低限は確保してますけど、ほんと最低限ですね。

 この雨季の、手押し式汲み上げ機の製造率を上げるのは難しいです。

 勿論、鋳造試験も見送り……。長雨の湿気で、燃料の減りも増えますし……」

「……オゼロはなんと言ってるんだ?」

「この時期の燃料不足はいつものこと……だそうです。何処もかしこも買いだめをするのですから、不足するのは当然でしょうと。

 急に要りようになったからって、大きく融通できるわけないでしょう。とも、おっしゃってましたねぇ。

 初春からずううぅぅっと、言っていたにも関わらず」

「…………まぁ、分かってたことだけどなぁ……」


 こうしてくるだろうことは、分かっていた。

 秘匿権の無償開示に猛反対していたオゼロ公爵、エルピディオ様が、簡単に状況を受け入れやしないことは。

 木炭の製造を握っているオゼロは、今までもことあるごとに、利権を守るため、水面下で木炭の販売制限を利用してきている。

 あからさまな分量ではなく、そんなことはしていないと言い張れる、ギリギリの分量を見極めて。

 それは公爵家だからこそと言える手法。権力を振りかざしているとも思えるが、そうやって権利の確実性を守ってきたとも言える。木炭や石鹸が価格の下降なしに今までやってこれていることが、その成果を表していた。

 公爵家の威信を維持することがそのまま、職人や技術をを守るためでもあるのだ。


「木炭や石鹸を製造し続ける職人は、視力を悪くする者や、病を患う者、怪我を負って職を離れざるを得ない者も多いとされていますからねぇ。

 その分の保障を厚くし、身を犠牲にする職人やなり手を守っているわけです」

「だから、製造量を増やさねばならないなら、職人に犠牲を強いるに値する代価をもらう……と、言ってきてるんだな」

「それと運搬費用ですね」


 今年から、毎年同量程度だったセイバーンの木炭取引量が大幅に増える予定だ。

 そのため、オゼロに木炭の買い付け増量を希望していたのだが、これに対して一定量を超えるならば価格の値上げがあると言われた。

 木炭というのは、領地と領地の取引で買い付けられている。毎年これだけの分量を……と、注文し、それを製造してもらうのだ。

 無論それ以上に必要である場合の追加注文も可能なのだが、その分量が想定外の量であったため、追加料金がかかると言われた形だ。


「使用量を増やすならば、価格も上げる……か。物理的に量を制限してきたな」

「製造回数を上げねばならぬ人件費と、樹海持ちの領地より木材を追加で購入しなければならない分の運搬費……その辺りがこちら持ちになるそうで、跳ね上がります。

 我々の都合によって増量になるのだから、特別価格は当然でしょう? っていうのが、あちらの言い分です」


 樹海というのは、国に点在している、ある特殊な森のこと。

 この森、通常ではあり得ない速度で成長していく恐ろしい森で、悪魔に呪われた森だとまことしやかに囁かれている。

 放っておくと、森は膨張し続け、人の生活圏をも浸食していくと言われていて、実際、毎年結構な木々が伐採されているにもかかわらず、森は一向に縮小しない。

 特に南の樹海の成長速度は異様で、この樹海に接する領地では、毎年伐採量の割り当てが指定されてすらいる。それを各業者に委託して伐採するのだが、指定量を達成できないと、賠償金すら支払わねばならないらしい。

 オゼロはこの材木を仕入れ、木炭に加工。それを国内全体に流通させている。


「製造回数を上げるったって、無償開示の品を作る職人が増えれば、自ずと木炭の消費量も増える。

 この先は当然木炭生産量の増加が待っている。我々の要望だけには止まらない……その程度のこと、見越してるだろうに……」

「だから予定になかった分の運搬費用を持て。みたいないちゃもんをぶち込んできてるんじゃないですか?

 今年はそれでしのいで、来年からも何なりと理由をつけて単価を上げてくると思いますよ。

 まぁでも……予想していた結果は出てるってことですね」


 燃料費が跳ね上がれば当然、品の値も上がる。製品をもっと低価格で提供したい我々にとって、燃料費の増額は相当痛い。

 値下げどころか、今の値段を維持することすら難しくなってしまう。

 しかし……マルは慌てる様子もなく、口を動かしつつも、手は別の作業を続けていた。そうして……。


「予定通りってことで、もう少し粘りますか」

「うん、このまま行こう」


 本当ならもっと沢山商品を生産したいだろうが、作りだめも分量を少し抑えてもらわねばならないだろう。

 まあその分、練度を上げることに力を注いでもらう。きっちり確実に、技術を身につける方向で。

 ブンカケン所属の職人には指導料も入るので、収入としては問題無いくらいになると思う。


「とりあえず手押し式汲み上げ機は後回し。今まで通りの製造速度維持か、改良の方に重点を置いてもらおう。

 今は硝子筆の製造に木炭を融通する方向で。職人を回さないと、どんどん来てるしな」


 実を言うと、この展開は当然予測していた。

 なので、元々注文している分の製造を前倒ししてもらって、現在の必要最低限の量は確保している。オゼロはその要請にも必要最低限しか従ってくれてないということなのだけど、まぁそこも織り込み済みの内容で要請しているので想定内。

 とはいえ、このままいくと越冬中の燃料がなくなってしまうので、早く次の手を打たねばならないのだけど……ここは堪え時。

 オゼロに価格の値上げなく、製造量を増やしてもらうための駆け引きとなる。


「あちらさん、いつ頃まで引っ張りますかねぇ……」

「雨季は明けるだろうな……。だけど、あちらに出向いてもらわないと」

「ですね。じゃ、極力早く動いてもらえるよう、製造速度、もう少し上げてもらいましょうか」

「……あまりはしゃぐと、越冬中の燃料どころか……十の月まで保たないなんてことになるぞ?」

「ははは、その辺りは調整しますしご安心くださいな」


 まぁ、そういう駆け引きは全部マルの采配に委ねているので、彼がそれで良いなら、良いんだろうとは思うけども……。

 そうやって細々調節を入れていると、当然マルの仕事が増える。それも心配なんだよなぁ……。


 ちらりと視線をやってみたけれど、マルはそんなことお構い無し。新たな紙を取って、書類作成に入ってしまった。


「あとですねぇ、所属したいって言って来る職人も増えてるんで、メバックの受付を終了にして、拠点村一本に絞りますね。

 もうほっといても勝手に来るし、増えると思うので」

「そうだな、リタにもこちらに来てもらおう。あ、住む場所……」

「ウーヴェのところで良いでしょ。どうせメバックでは、ウーヴェもリタの家でお世話になってるんですし」


 え、良いのか……?

 さらっと流されてしまったが、あの二人はまだ婚姻前だろう? しかもリタは十八って言ってた……。


「貴族じゃないんですから。十八ならもう子供がいたっておかしくない年齢ですよ。そもそもカーリンだって変わらないでしょうに。

 それに、ウーヴェなら問題無いでしょ。そういうの勝手に気にしそうな性格じゃないですか」


 いや、そういうの気にする性格だからこそ、同じ屋根の下に未婚状態の恋人と二人きりでいるっていうのはこう……精神的にも肉体的にも辛いんじゃないかなって思ったんだが……。


 だけどマルにそういうこと配慮しろって言うのもなんか違う気がする……俺より十も年上なんだし……。

 うーん……でも治安とかを考えると、女性に一人暮らしをさせるよりは男性と同居していた方が安心なのか……。


「これから女性の働き手も増やしていきたいって思ってる以上、そこも考えるべきだな……」


 女長屋はあるものの、あそこは流民の親子が主だし、子のいない家庭を入れるのは環境的に厳しいだろう。

 なにより、あそこは俺たちが運営しているからこそ、警備まで置いてられるのだ。一般の借家まで警備の手は回してられない。

 何か良い方法はないかなぁ……と、考えていたら。

 机の上にコトンと湯飲みが置かれた。

 所用で出かけていたサヤだ。

 いつの間にやら戻り、お茶の準備をしてくれていたらしい。

 もう良いのと聞くと、火の番は女中に任せたらしい。見張っておき、薪を足していくだけだから、サヤでなくてもこなせるだろうし、こちらの雑務を手伝うために、戻ってきてくれたよう。

 そうして、俺の呟きはしっかり聞いていたらしく……。


「シェアハウスとか、作ったらどうでしょう?」

「しぇあはうす?」


 鸚鵡返しにそう問うと、いつもの説明を挟んでくれた。


「セイバーン村にいた時の、私たちみたいな感じです。大きなお家を、似た生活環境の人たちが共同で使うんですよ。

 ……そういうの、こちらにも普通にあるのだと思ってたのですけど……」

「いや……貴族なんかは使用人を囲うために作るけど、一般的ではないな。だけど……そうか……そういう手もあるか」

「はい。色々共有すると防犯面も安心できます。部屋は各自持つけれど、調理場やお風呂は共同で利用する……みたいに。

 家賃も皆で折半できるから、家を個人で借りるよりはずっと手頃で、環境も整うんですよね」

「成る程。店舗長屋の店舗が付かない感じだな」

「あぁ、それは良いですねぇ。あの形態、思っていた以上に受け入れられてますし。

 それこそ、クロード様が家移りされた後の借家とかを、女性専用の共同利用とかにすれば良いんですね。

 あの規模だとなかなか借り手が付きませんが、無ければ無いで困るし……とはいえ当面、借り手がつく予定もありません。

 皆で折半して利用するなら、料金も通常の借家に少し足される程度ですし、何より風呂付き一軒家ですからねぇ。湯屋を利用せずとも良いのは利点ですよねぇ。護衛とか警備とかの心配もしないで済みますし」

「食事も当番制で作るとか、洗濯や掃除もみんなでやれば早いです。

 あと、休みの日には庭で親睦会を兼ねたバーベキューとか、憧れますよねぇ」

「ばーべきゅーってなんです?」

「お庭で焼肉の食事会をする感じです」


 マルとサヤが盛り上がっている。

 しぇあはうす……ねぇ。……うん、確かに良い気がする……。


「それ、女性に限定しなくても良いんだよな?

 例えば……職に就いたばかりの新人職人らを集めて共同で住まわすとかでもさ。

 親元を離れたばかりの職人って、寝る間も惜しんで働いて、家賃と食費でカツカツみたいな生活になるだろ? 共同利用できれば……」

「あぁ! 部屋をゴミだめみたいにする若手抑制になるかもですねぇ!」

「…………どこも似たようなものなんですねぇ……」


 他領からの職人の受け入れも進んでいるし、彼らも長屋で一人暮らしよりは生活費が浮くだろう。

 なにより、一時期の滞在と分かっているのだから、人の入れ替わりが早いのを前提にした借家があっても良い。

 とりあえず、目ぼしい屋敷を見繕って、その方向でいくつか運用してみることにする。


「マンスリーマンションみたいですね。

 あ、貴重品管理に問題が起こることが良くあります。なので、各部屋に鍵があるのは当然として、個室の中にも鍵を掛けれる場所があると良いですよ。

 小型の金庫とか」

「金庫は無理ですよ……。二階だと床が抜けますし、部屋の面積圧迫しすぎますよ。

 うーん……作り付けの家具に鍵がつけられる箇所を設けますか……。なら建設途中のあそこ辺りがまだ融通ききますかねぇ……」


 バリバリと頭を掻いてマルが机の書類をひっくり返し、目当ての図面を引っ張り出す。

 その机の上でよくどこに何があるか把握しているよな……。


 だけどそれよりも……。

 しまった……。今の話で、またマルの仕事を増やしてしまった……。


「マル……お前休めてる?」

「休息の必要量は確保してますよぅ。ご安心くださいな。優先順位低いものは犠牲になってますけど」

「……身繕いとか?」

「それは枠外ですし、真っ先に捨てました」


 ……それ、明らかに時間が足りてないってことだよな?


 サヤと顔を見合わせると、サヤも少々物言いたげ。

 まあ、少しくらいくたびれて見えるマルなど、俺たちには見慣れたものだけど、サヤは綺麗好きだし、やっぱり気になるよな……。

 見た目のボロさ加減より、体調の方を心配してると思うのだけど。


「文官……必要だよなぁ……」


 圧倒的に文官不足だ。なにせ俺は役職として二つも大仕事を抱えている。なのに、文官が四人しかいない……。

 というか、仕事に追われて文官を探している余裕も無い。


「マルさんとウーヴェさん……あとリタさん……だけで回せる感じではないですよね……回ってますけど……」


 それは回してるんだよ。マルが。色々犠牲を強いて。


「……アーシュさんとクロードさんは……交易路の現場の方をお任せしないとですよね……」

「あちらは外せない。でないと職人たちの安全やらも犠牲になるしな」


 現在武官の二人にすら雑務が回っている状態だ。武官とはいえ学舎に在学歴のある二人だから、読み書き計算に問題は無い。

 俺やサヤも手伝ってはいるし、他にも使用人を幾人か使ってはいるものの、やはりそれらは雑務。マルの仕事量を減らすには至っていない。

 マルの補佐となれる人物が欲しかった。

 だけどマルがそもそも特殊だし……彼に付き合っていける人物を探すのがまず難題……。


「読み書き必須で計算に強い人物、更にマルと意思疎通ってなるとなぁ……領内の他の地区から、新人で良いから希望者いないかって集ってはいるんだけど……」


 つまりそれなりの教養……最低学舎に所属していた時期くらいないと、マルの言ってることの意味がさっぱり分からなかったりする可能性もある。

 本当は商業会館の仕事を辞めさせるべきなのかもしれないのだけど、あの仕事はマルの趣味みたいなものなので、取り上げるのもなぁ……ってなると、ほんと仕事量が減らないのだよな。


「そろそろ孤児院も、幼年院も完成しますし……。先生役も探さないとなんですよね……」

「その先生探しにも人手が欲しいよな……とりあえず今はウーヴェに丸投げされてるけど……」


 色々が、人手不足だ……。


「まぁ、とにかく今は、目の前の仕事をやろう」

「はい」


 俺たちも、二時間ほどの余裕を作るために、仕事を詰め込んでいるのだ。

 今日頑張れば、明日には目処がつくはず……。と、そんな風に考えつつ、取り敢えず、まずはやるべきことをやることにした……。



 ◆



 で、翌日。

 ここのところ体調不良が続いていた父上が持ち直し、セイバーンの業務に復帰できると言い出したので、お願いだからもう少し休んでいてくださいよと拝み倒すことから一日が始まったのだけど。


 人材は、思わぬことに、向こうからやって来た。


「は? 仕官?」

「ええ、そうなんです。でもハマーフェルド男爵家と縁なんてありましたっけ?」

「マルが記憶してない俺の人間関係なんて、あるわけないだろ……」

「それもそうですね。じゃぁなんでこの人、セイバーン男爵家に仕官なんてしようと思ったんでしょうねぇ」


 本当にな……。


 豊かではあるものの、麦の生産くらいしか誇るものの無いセイバーンに、わざわざ他の男爵家から仕官なんて……意図が分からない。

 普通は上位にあたる、縁のある子爵家や、伯爵家へと行くもので、わざわざ同列を選ぶならば自領で勤める方を選ぶだろう。

 だって、出世など望めないと言っているようなものなのだ。男爵家は貴族の最下位。出世したところで、出自以上の地位にはなりようがない。

 何もわざわざ同列の他家に仕官し、傅くなど……馬鹿らしいと考えるのが普通だと思う。

 ……まぁ、うちはその例外が、何故か二人もいるわけなんだけど……。

 うちが何もない片田舎であるということを、知らない……わけはないよな。仕官してくるくらいだし……。


「まぁとりあえず会ってみるか。武官、文官どっちの仕官希望?」

「文官だそうですよ。学舎の在学歴は無いですけど」

「……そんなことまでもう調べたの?」

「まさか。年齢的に考えれば、僕らの在学中にもいらっしゃったはずですからね。それなら記憶してるはずです。

 僕、自分の在学中の生徒は全員名前覚えてますし」


 在学中……って、十八年間全部ってこと?

 …………ばけものだな……。


 まぁ、マルが規格外なのは今に始まったことじゃない。学舎に在学歴がないってことは、家庭教師がいた可能性も高いし。文官希望と言うからには、それなりの自信もあるのだろう。

 ハマーフェルド男爵家って、どんな領地だったかな? と、頭の中にある知識を紐解いてみたけれど、思いあたる記憶も無い……と、思っていたら……。


 面会に来てみると、俺の予想は大きく外れていたことを知った。

 平民と変わらぬ、若干薄汚れ、くたびれた衣服に身を包んだ、二十代前半といった感じの人物……。

 貴族だと名乗らなければ、誰もそうとは思わなかったろう方が、座していたから。


「お初にお目にかかります。ハマーフェルド男爵家が三子、ヘイスベルト・ロウス・ハマーフェルドと申します」


 ロウスという家名に心当たりは無い。と、いうことは……。


「ハマーフェルドの名をいただいてはおりますが、庶子でして、見ての通りでございます」


 ヘイスベルトと名乗った人物は、これといって特徴を持たない……という表現がとてもしっくりくる人物だった。

 容貌も、体格も、探せばどこにでも一人くらい紛れていそうな感じというか……。視線を離した次の瞬間には記憶から薄れていきそうな人だ。

 特徴を強いて上げるなら、くるくるした髪だろうか? マルみたいな寝癖ではなさそう。地毛のくせかな。

 文官希望であるというのは、どちらかというと文官の方が……というのではなく、武術には縁が無い育ち方をしてきているのだろう。

 肉体……筋肉の付き方が、全く武術を行う人のそれではなかった。

 細い手首や首筋……特に腰から下が細い……。

 すると、俺がじっと見ていたからか、何か誤解をさせてしまったようで、急にあたふたと懐をさぐり……。


「も、申し訳ありません。こちらが証拠の品。家紋の指輪になります。

 見てくれがこれなので、信用ならないと思われましたかっ⁉︎ 頭から配慮が足りずっ誠に失礼いたしました! ただ、こうして機会をいただけたので……」

「あっ、いや、そうではないです! 別に、貴方の出自を疑ったわけではない。

 これは、私の癖のようなものです。初対面の人は特に、見入ってしまうのです。つい……その、すいません」


 普段ならこんな風に切り返されることは少ないが、多分……この人も相手を観察していまうたちの人なのだろう。

 俺の視線と今までの経験から、俺が考えてそうなことを邪推してしまったのだ。

 特に己の服装……。まぁなぁ……俺は常にバート商会の衣装を着ているし、バート商会の衣装は無駄に流行最先端……着てるものだけ見ると片田舎を忘れそうだもんな。


「大変失礼しました。

 私はセイバーン後継であります、レイシール・ハツェン・セイバーンと申します。

 ただ今父は療養中のため、私が領主代行を務めております。成人前の身で、不躾に見入るなど、大変失礼を致しました」

「へっ、あっいや……っ」


 敏感な人なのだろう。

 普段ならば誰も気には止めない俺の視線……それに気付いたのだから。

 ヘイスベルト殿は成人していらっしゃったし、立場としては俺より上。なので丁寧に言葉を返すと、慌てたように手が泳ぐ……。

 ふむ……こういう反応は想定外ということだな。

 もっと居丈高に出られると思っていた……と、顔に書いてある。つまりこの人は、そういう扱われ方をしてきた人であるようだ。


「ご存知かもしれませんが、私も庶子……。後継とは申しましても、成人すらしておらぬ身です。

 私が伺いましたのは、別に貴方を侮ったからではなく、セイバーンに名を連ねた者が、父と私しかおらぬがゆえ。

 決して貴方を侮辱するつもりはないのです。それを、ご承知いただけますか」

「あっはい、存じ上げております!

 ……あ、あの、実は……アギーの社交界、あれには私も出席しておりました。その……使用人の立場でしたが。

 なので私は、貴方を見知っております」


 おや、初対面ではなかったらしい。

 しかし、顔に覚えが無いし、マルも知らない人物であった。と、いうことは、従者や文官ではなく、本当に末端の使用人として、あの場にいたということなのだろう。

 そして、俺が下手に出てみせても、態度が変わらなかった……微塵の変化も無しか。


 ちらりとマルに視線をやると、彼はまだこのヘイスベルト殿を観察している。そしてヘイスベルト殿もそれに気付いているものの、どうして良いかは決めあぐねて放置している感じのよう。マルは見るからに平民。なのに、咎めない……か。

 よし。ならば、彼の希望通り、面接を行うことにしよう。


「ではどうぞお掛けください。お名前と素性は承知致しました。面接に入らせていただきます」

「あ、はい! よろしくお願い致します!」


 結果として、彼は採用となる予定で定まった。

 とはいえ、本日は検討させていただき、明日結果を伝える旨を承知してもらったけれど。



 ◆



「なんか都合が良すぎる人物だったな……。どう思う?」

「何か隠してはいるみたいでしたけどねぇ……。まぁ良いんじゃないです? 実際文官は必要ですし、まず使ってみては。

 読み書き計算の基本的な部分はきちんとできるようでしたし、思いの外、字が綺麗な御仁でしたしねぇ。

 隠してる部分……隠しているのだとしても……」


 どうとでもなりますよ。と、マル。

 あの性格だと、嘘は得意そうじゃない。秘密も得意そうじゃない……。

 なのに、何かを伏せてはいるようで、そこは気になったけれど……。

 マルの言う通り、使えそうな人物であることは確かだった。


「ほんと、回し者みたいに的確に僕らの希望に沿った人でしたよねぇ。

 庶子であり、ほぼ平民として生活してきたゆえに、貴族としての認識が甘い。平民の僕が上司でも文句ない。

 若干鈍臭そうではありましたけど、その分仕事は丁寧そうでしたし」

「サヤのことも知ってたから、アギーの社交界にいたのは確かなようだしな」


 途中でお茶を持ってきたサヤに対し、女従者の装いであったことに驚き、萎縮していたものの、彼女を従者だと紹介しても、それに対する驚きは無かった。

 無論、婚約者であることも後出しで教えたのだけれど、存じ上げておりますといった感じだったし……。


「まあ本日の宿、紹介しておきましたし、一日しっかり情報収集させてもらいますよ」

「……それで、拠点村での一泊を勧めてたんだな……。まだ全然、メバックに戻れるのに……」


 本来ならば一棟貸しをする宿。あそこの一室を、本日の宿にと提供したマル。メバックは今、雨季の準備で部屋を探しにくいですし。とか、それらしい言い訳をしていたけれど、毎年のことなんだから、探せば宿はちゃんとある。

 その上で吠狼の女中をわざわざ呼び止め、ジェイドを呼ばせ、案内させていたから、そんなことだろうとは思っていた。


「ついでに拠点村の中を案内するように言っておきました。

 ここで働くことを希望するなら、この環境を受け入れてもらわないとねぇ」

「それでジェイド、嫌そうな顔してたんだな……」


 表面上はにこやかにしてたけれど、すっごい面倒くさそうな雰囲気漂わせてた……。あれ、ヘイスベルト殿にも伝わるんじゃないかな……。萎縮しなきゃいいけどな……。


「下手に貴族を近付けるなって、もう言わないんだな」

「今更でしょ。どうせもういるのですから、今更増えたって然程変わりませんもん。

 貴族でもなんでも、使えそうなら使うまでですよ」


 と、いうわけで。ヘイスベルト殿の採用は決定した。

今週の更新を開始します。

はい。今日の分しか書けてません! 全然書きだめできてないっ!

だけど書くことはだいぶん定まった気がするので頑張ります。では、今週も三話更新で参ります!

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