閑話 授業
まぁ、翌日からも色々あった。
結局治療院に入院するという形になったこと。赤子らに会えぬまま、それが強行されたこともあり、カーリンの家族はかなりの不安と混乱の渦中に叩き落とされた。
結果、翌日には拠点村に駆けつけるという事態になったわけだ。
そして、ナジェスタから子が未熟な大きさで生まれてきていることから、子の安全を第一に考え、もう大丈夫だと保証できるまでは医師の管理下にいてもらうこと。極力安全性を高めるための処置で、母子ともに無事であり、健康であることを説明され、やっと一息入れることができたそう。
子供を産んだ女性の身体は見た目以上に消耗が激しい。
どうも楽観しすぎるきらいがあるカーリンだから、入院して療養……とする方が、ゆっくりできると思うよと説明がされ、実家に戻っても、三日と寝ておれず、動きだすに違いないと判断した母親は、渋る父親を説得し、娘の入院を半ば強引に継続することを選んだ。
唯一、費用だけは心配であったのだけど……それに関しては全額ダニルが負担するということを伝えた。
それにより、カーリンの腹の子……その相手が誰であるかが、確定される事態となった。
医師は高額だ。まして、入院など……。簡単に支払いますと言えるような金額にはならない。
まぁナジェスタらはそこまで法外な金額ではなかったのだけど、それでも安いわけがなく……そうまでするのは、その理由がある証拠。と、いうことになる。
家族は当然、察してはいたのだ。誰が腹の子の父親であるのか……ということは。
けれど、カーリンの強い要望により、口を挟まないよう、気合いと根性で気持ちを抑え込んでいたそうなのだけど、ここに来てその我慢が限界を迎えた。
なにせ娘は、父無し子を既に産み落としたのだ。この後に及んでまだしらを切るのかと、怒り心頭であった男性陣は、実力行使に出た。
カーリンの父親ホラントは、厳つい外見に反して気の小さい、穏やかな男なのだけど、その彼が面会に来たダニルを部屋から引きずり出し、殴りつけ、カーリンの兄らも同様に、ダニルに怒りをぶつけたのだそう。
ダニルは一切抵抗しなかった。
されるがまま、殴ろうが蹴ろうが、呻き声一つこぼさなかった。
そんなダニルの手に、カーリンの手形が痣となって残っていたことを目敏く見つけたカーリンの母親……オルガが、怒れる男性陣を近所迷惑だと治療院から叩き出し、ダニルとサシで話しをつけたそうだ。
カーリンを拒む理由を述べよと言われたダニルは……もう、逃げないことを伝え、カーリンと夫婦になりたいと告げたそう。
そうして、自分が元々孤児であり、幼い頃からそれなりに手も穢してきており、カーリンに子ができたと知った時、その穢れに彼女らを巻き込むかもしれないと考えたこと、夫や父親、家族というものが自分には分からず、きちんとした、そういったものになれる自信が持てなかったこと。
今までの自分の所業が、彼女や生まれる子の来世を堕としてしまうのじゃないか……その不安が拭えず、臆してしまったことを、正直に話したそう。
ならば何故、今になって夫婦になりたいなどと望むのか……と、オルガは問うた。
そうしたら、ダニルは泣き笑いのような、なんともいえない表情をしたという。
「やっぱりかって、思ったんだ……」
こんなにも早く破水してしまった。その時、やはりかと、思ったらしい。
自分に得られるはずのものではなかったのだと。
自分の今までの行いが、こうやって不幸を呼んだのだと。
結局カーリンを、子を、巻き込んでしまっていた。そのことに絶望して泣いたのに、まだだと、頬を叩かれた。
まだ失っていない。カーリンは、ここにいる。子を産み落とすために、今を戦っている。
それを支えてやらなくてどうすると、言われた。
来世ではなく、今なのだと。
そうして周りが、カーリンと自分の子を残そう、繋ごうと、必死になってくれた。
手を差し伸べ、励まし、支えてくれたと……。
「あの子こそが、神の祝福なのだと、言ってくれたんです……。
幸せになれと望んでくれた。なっていいのだと、カーリンをそうできるのは、今の俺だと……。
だから……カーリンたちの来世を穢さないよう、贖罪を重ねます。絶対にこの先を、繋いでみせる。
あの子は、俺の子なんだ……。生まれてきてくれた……。カーリンが、俺の子を、ああまでして無事に産んでくれた……。
絶対に俺には無いと思ってたものを、与えてくれた……。俺は逃げたのに、家族を得る機会を、皆が繋いで、残してくれた。
愛しいんです。失いたくないんです。だからどうか、お願いします」
現在ダニルは、拠点村の食事処で働きつつ、毎日昼と夜、治療院に足繁く通う日々を始めている。
カーリンの食事を毎食作り、届けているのだけど、カーリンの食事中は赤子の世話もこなしているそう。
ダニルは日々、父親になるための努力に全力を注いでおり、その決意は固い様子。
そんなわけで、ダニルとカーリンは退院後、一応夫婦となることが決まったのだけど……。
無事退院したら、カーリンの実家で三年間の同居を受け入れること。
それが条件だと、言われたそう。それが飲めないならば認めない。
当然、その三年で信用に値しないとなれば、村からも叩き出すし、カーリンが何を言おうと離婚させると。
無論、ダニルはそれを了承した。
それがこの話の現在。
結果は三年後。とりあえず今は、今も、現在進行形で続いている。
◆
「サヤの教師が……決まった?」
「ええ。快く承諾していただけました」
朝食の席でマルがそう言った。
少々髪がボサボサで、目の下のくまが酷くなってきているが……一応頭は万全の様子。平常通りのマルである。
カタリーナの件で、情報操作に気を抜けず、そちらと並行しての日常業務に、メバック商業会館での仕事……と、目の回る忙しさだからな。
そんな中で、サヤが希望していた貴族としての一般教養や礼儀作法を指導してくれる師が、見つかったという。
いつものことながら……どうして腕二本と頭一つでそれだけのことをいっぺんにやってしまえるのか……有難いやら申し訳ないやら……。
「ただ、あちらはあまり家を空けることのできない方です。なので、サヤくんに通っていただく形になるんですよね」
「え……サヤの通える範囲の方なの?」
サヤは俺の婚約者であると共に従者でもある。当然日常業務は、サヤも抱えているのだ。
通うって……そんな時間の余裕が彼女にあるのか……? 月に何度くらい通うんだ? メバックに心当たりはないし……となるとバンス……だけどそれでは、馬で走ったって泊まりがけになるぞ⁉︎
それに、それ以前の問題として、あの街には異母様が幽閉された別邸があるのだ。サヤを一人であの街に通わせるなんて、危険すぎる!
「行きませんよ、バンスになんて。
大丈夫ですって、徒歩圏内ですから」
…………待って。
意味が分からない。徒歩圏内って……拠点村の中に教師がいるってこと? もう呼び寄せたってことなの? 家を空けられない方って言ったよな?
「一応一番の適任者だとも思いますよぅ。
公爵家に嫁ぐことを前提として教育を施された方ですし、教養や礼儀作法に関しては特に厳しく叩き込まれているでしょうから」
そう言われ…………徒歩圏内にいる該当者が一人しかいないことに気付いた。
「……まさか、セレイナ?」
「ご名答です。あちらも早くここに馴染みたいからと意欲的でねぇ。
サヤくんはバート商会で意匠師もしていますし、そういった面でも興味があったようですよぅ。
何より夫の上司。その奥方となる予定のサヤくんですし、公爵家の夫人としては、何かしらの形で交流を持とうと考えるのは至極妥当。
僕としましても……目の届く範囲にいて、情報提供してくれている方が安心できますし……。サヤくんには護衛も付けますから、許可をいただけませんか?」
最後の一言に、何やら黒い、不穏なものを感じてしまった……。
マル……クロードをまだ全面的には信用していないってことなんだろう……。いや、クロードというよりも、ヴァーリンという血筋を……ということなのかもしれないけれど。
本来なら最上位となる公爵二家の血を引く方であるクロードだ。俺なんか指先であしらってしまえる血筋。当然、血の柵も多く抱えているであろうし、もう故人となってしまったが、長老という例もある……。
だから、とりあえずこのことに関しては、マルが納得するまで好きにさせるしかないと思った。
まぁ、警戒はあっても、それを本人らに悟らせるようなことは、しないだろうしな……。
「分かった。セレイナにお願いするよ。
……あ、でも初日くらいは、俺も挨拶がてら同行したいんだけど……いやほら、色々こう……サヤを一人で行かせるって、俺の心の準備的な部分がさ……」
拠点村の中は安全だと思うのだけど……流石に公爵家の方の家庭にまで吠狼の目は無いと思うし、心配なのだ。
サヤの安全がちゃんと確保できるかどうか、自分の目で確かめておきたい。
「そう言うと思ってましたけどね……。
ちょっと過保護が病的じゃないですか?」
「……お前に言われたくない……」
どこにだって目や耳を潜ませて何でもかんでも拾ってるお前にだけは、言われたくないぞ……。
◆
そんなわけで、政務を調節して、二時間ほどの余裕を捻出するのに三日を要した。
丁度、オゼロ絡みの問題やら仕官やらでバタバタしはじめてしまい、時間を食ってしまったのだけど……それをここで語り出すと終わらないので保留。また後日、纏めて話すことにし、授業初日、その当日へと話を進めよう。
サヤはウキウキと支度をし、お土産まで万全だと荷物を叩いた。
学ぶことが日常だったと言うだけあって、不安より期待が勝る様子。学舎の生徒らに見せたいほどの模範的な姿勢だな……。
「よくお越しくださいました」
まだ邸宅が完成していないため、借家に赴いたのだけど、使用人ではなく、セレイナ殿本人に迎えられた。
訪問時間を告げていたとはいえ、本来ならばそれは使用人の仕事。公爵家夫人としては些か身軽すぎる行動だが、上司の妻となる予定のサヤを、立ててくれたのだろう。
本日、お邪魔させて頂くのは俺とサヤに加え、護衛のオブシズと、女従者見習いである少女がひとり……。名をメイフェイアというらしい。
吠狼から、特に優れた女性狩人であるという理由で選出されたのだけど、見た目は少女にしかみえない……。ジェイドといい、年齢不詳多いな……と、思ったのだけど、騎狼するためには小柄な者である方が適しているし、彼らの幼き頃の栄養状態的に、小柄な者がどうしても多くなるらしい。
逆に、獣化できる者は大柄な方が重宝されるそうだ。
メイフェイアは、獣化はできないけれどそこそこ血は濃いらしい。とはいえ、外見にそれらしき特徴は有していない。
彼女が選ばれたのは、主の指示に従順であるということも、理由であるそう。口数は少ないが、任務に対しての責任感は人一倍強いらしい。
初めての……しかも公爵家の血に連なる方のところへの訪問だから、大丈夫だろうかと心配していたのだけど、特に気負いはない様子だった。心が強いな……。ハインみたいに、無頓着なだけかもしれないけど。
そうして、セレイナ殿に案内された応接室で、本日の授業が始まった。
とはいえ、初日であるためほぼ聞き取りのような内容だ。親睦会に近いかもしれない……。
けれどそれにより、セレイナはサヤに如何程の教養が備わっているかをさりげなく確認している様子。
そうして、一通りサヤの知識や所作を確認し終えたのだろう。
手に持っていた湯飲みを小机に戻し、それまでの、日常会話の延長といった話を切り替えてきた。
「……サヤ様は……この国の常識に疎いと言うよりは、そもそも身分差というものの認識が甘いように感じます。
例えば、私が貴女をサヤ様とお呼びすることに、とても違和感を感じてらっしゃいますね。そうお呼びする度に、困った顔をされます。
あとそれは……サヤ様だけに留まらず、レイシール様も同じように……。こちらの土地柄もあるのでしょうか?」
いや、だって爵位がさ……。しかも俺たちまだ成人してないんだし……。
その考えが、二人の顔に出ていたのだろう。セレイナはコロコロと上品に笑った。リヴィ様も所作の美しい方だったけれど、セレイナもかなり洗練されていると思う。
茶器に手を伸ばす動きひとつすら、どこか優美だ。
「でもお気持ちは分かります。ややこしいですわね。通常なら起こりえないようなややこしさですわ。
まずレイシール様が、成人前でありながら長を賜っていらっしゃること。職務が陛下の直属とされていること。
出自が男爵家であられること。
私の夫が、公爵家の者であるにも関わらず、男爵家のレイシール様にお仕えすることを選んだこと……。
私も一応、子爵家の出であり、現在は公爵家に嫁いだ身ですし、何を最優先にすべきか、悩まれて当然ですわね。
なので、結論から申し上げますと、その時それぞれで判断は異なりますわ。正解は無いとお考えくださいませ」
にっこり笑って放り込まれた問題発言。
「先ほど述べた中にも同列とみなされる事柄、下位とみなされる事柄、上位とみなされる事柄全て含まれますし、どれを優先して考えるかで結果が異なります。
また、場所によってその優先度が左右されることもございます。
例えば、王都の式典等に参加されている場合は役職が最重要とみなされますから、そちらを基準に考えますけれど、他領に賓客として招かれた場合は出自が優先されます。けれど、主催者の方の地位にもよりますし、職務として招かれ、賓客として扱われた場合や、こちらは職務のつもりであっても、あちらは職務外のつもりであったりなど、状況は様々です。
その時何に重きが置かれているかは、その場によって異なります。
なので、その状況の見極めを身につけなければ、立場を読むことは難しいかと。
けれどサヤ様は……今の説明でも色々と、理解してくださったようですわね」
なんてややこしさだと頭を抱えたくなっていた俺だけど……。
サヤは、その説明の中でも色々と理解を深めていた。少し考えるように、視線を彷徨わせて……。
「……あの、貴族は成人していることが全ての前提にあると、お聞きしたことがあるのですが……。
でもクロード様は、レイシール様をいつも立ててくださいます。
また、職務の中でも、レイシール様を侮った対応をしてくる方も、いらっしゃいました」
サヤの質問に、セレイナは困ったように眉を寄せる。
「嘆かわしいことですけれど……そこが、その時それぞれで判断が異なるとお伝えした理由です。
たとえ職務中であったとしても、敢えてそうでない対応をしてくる者も、少なからずおりますわ。
其の者は、自分の立場が上となる場が欲しいがために、状況を指定してきているのです。
それを立てて差し上げる必要のある場なら、それに従って振る舞えば良いのですが……それも、相手の方の立場や、その場の自らの立場との兼ね合いで判断せねばまりません」
お茶の延長線上のように始まった講義であったけれど……。
セレイナは、とても丁寧に、サヤに分かりやすく話をしてくれているのが、見ていても理解できた。
立場を読むのは、本当に難しいのだけど……俺が聞いていても勉強になると思える内容。
長く貴族社会を離れていた俺も、忘れていた部分が多々あり、ちょっと俺もセレイナの講義を受けようかなという気分になってしまった……。
「つまり、クロード様が常にレイシール様を立ててくださっているのは、レイシール様の立場を作り上げるための一助としてなのですね」
「左様ですわ。貴族社会は周知によっても力関係が左右されます。幸いにも、夫は申し分ない出自ですから、それを利用した立場作り、掌握術というのを日々意識しております。
でも……それは、レイシール様が、夫がそうしたいと思える方であればこそ。
ですから、苦労をかけて申し訳ない……などと考える必要は、ございませんわ。夫は、あれでとても、楽しんでおりますから」
俺の考えていたことまで読まれていた。
男爵家成人前というのは、理由などいくらでも掘り出せるほど侮りやすい立場。交易路の現場でも、クロードが常に俺を立て、周りを牽制してくれているのは分かっていたから、いらぬ手間をかけてしまっているなと、考えていたのだ。
けれどセレイナは、それは違うと首を振る。
「あれでいて、夫は頑固なのです。嫌だと思えば絶対に譲りませんし、例え上位の方のご命令であったとしても、受け入れません。
ですから、レイシール様は夫に申し訳ないなどと思う必要は、いっさいございませんの。
夫がとても自慢げにしているのを、私、日々見ておりますのよ? あの人は今がとても充実していると感じているようですから、ご安心くださいませ」
そう言いにっこりと微笑むセレイナ。
「つまり、私がサヤ様をサヤ様とお呼びしたいのも、私がそうしたいからでございます。
相手方が貴女より上位のものであったとしても、敬いたいという気持ちの表れでそうしているのですから、申し訳なく思う必要も、ございませんわ。
まぁ、私がそうしていることに、もう一つ理由をつけるとしたら……サヤ様が、この呼ばれ方に慣れるため……その一助になればと思ってですわね」
そんな風に言われ、サヤはやはり、困ったように眉を寄せたのだけど……。
「有難うございます。
頑張りますので、これからどうかよろしくお願いいたします」
そう言い、頭を下げた。
◆
本日の授業もほぼ終盤となった頃のこと……。
お茶を楽しみつつ、話に花を咲かせていたのだけど……そのうちふと、サヤは動きを止めた。
「……あの、シルビア様が、いらっしゃっているようです」
「まぁ! 申し訳ございませんわ。
授業の間は、妨げてはならないと言い含めておいたのですが……」
「あ、いえ! そういう意味で気になってはいないのです。
その……お会いできたらなと思っていまして、今日はお土産を持ってきていたので……」
結局、応接室にシルビアも招かれることとなった。
護衛のオブシズよりも先にサヤが気配を察知したことに、メイフェイアは驚いたのか、少し表情を動かしたものの、それだけ……。
主人と定めたサヤの行動を妨げる気は無い様子。けれど、警戒を強めたことは感じた。
「ご、ごめんなさい……」
こっそりと部屋を伺いに来ていたシルビアは、怒られると思ったのだろう。
袴を強く握り、部屋に招かれた途端、謝罪から入ったのだけど……。
「いえ、私がお会いしたかったんです。
シルビア様は、あまり外へ遊びに出たりはできませんから、お家の中で遊べるお友達を持って来ました。
良かったら、貰っていただけますか?」
そう言いサヤが鞄から取り出したのは、あの縫いぐるみ。
本日は、猫と……熊? で、あるらしい。
なんか……不思議な色合いだな……。これはあえて意図して布色が選ばれているように見えるが…………。
「これは猫と、パンダです」
「ぱんだ? 熊ではないのですか?」
「熊の親戚です。熊は雑食ですが、パンダは笹の葉を食べる草食なんです」
ぱんだと言う名の熊の親戚は、白と黒い布が使われており、手足は黒く、胴体は白い。顔も目の周りと耳だけ黒かったりと、なんだかちぐはぐしている。
猫は全身が灰色がかった布で統一されており、ろしあんぶるーという種類だと言われた。
細身の猫に対し、パンダはどこかぽってりと丸い、愛嬌のある形だ。……色んなものを作ってるな……。
そして肝心のシルビアの感想はというと……。
「変な熊」
反応が鈍いシルビアに、サヤは少々居心地悪そう、選ぶものを間違えてしまったと感じたのだろう。
このパンダという熊は、サヤの国では大変有名なものであるみたいだな。絶対に知ってると思っていたようだ。
「こちらにはいない種類なんですね。失礼致しました。
私の国では、可愛いってとても人気だったので、こちらにいないことは考えていませんでした……。
白と黒が仲良しみたいで、良いかなと思ったんですけど……」
「…………」
その言葉にピクリと反応したシルビア。
白と黒……というのが、何を指している言葉かを、考えた様子。
「…………私、サヤ様のお髪の色、とても好き」
「私も、シルビア様のふわふわしたミルク色の髪、とても好きです」
「みるく色?」
「はい。私の国では、白にも色々な呼び名があります。
陛下の白髪はスノウ・ホワイト。雪のような白という意味です。シルビア様の白髪は、ミルキー・ホワイト。乳のような、柔らかい白です」
「……素敵。ただ白髪と言われるより、ずっと豊かな気がするわ……」
少し頬を染めて、うっとりとそう答えたシルビアは、何とも可愛らしくて、頬が緩む。
陛下の鋭い力強さとは、全く違う。本当に、同じ白にも色々あるな。
「サヤ様のお髪は、何と言うの?」
「私ですか? うーん……レイヴン……鴉……でしょうか。鴉の濡羽色と表現されたりもしますし……」
「鴉……素敵。幸運を呼ぶ鳥ですものね。サヤ様にぴったりだと思うわ」
その言葉に、面食らったように瞬きを繰り返したサヤ。
けれど次に「ありがとうございます」と、はにかむように笑った。
「鴉は、幸運を呼ぶ鳥なのですか?」
「そう。サヤ様は、神話にはあまり、お詳しくないの? 鴉は神様がひと柱であった頃からお仕えしている聖鳥なの」
「そうなのですね。良いことを教えていただきました。有難うございます」
「いえ……差し出口でしたのに……。
あの……サヤ様。私、ぱんだ、とても気に入りました。有難う存じます」
「気に入っていただけて、良かったです」
「……あの……良かったら、シルヴィと、呼んでいただけますか?
まだ七つの幼子に、敬称など……何だか恥ずかしいのです。
それにあの……サヤ様のことも、できたらその……姉様とお呼びしたいです」
腕に抱いた縫いぐるみに顔を埋めるようにして、そう言ったシルビア。
まだこちらで友人を作る機会にも恵まれていない……。今まで、幽閉同然であったこともあり、勇気を振り絞った言葉であることは、容易く想像できた。
そんな彼女の頑張りが、サヤに分からないはずはなく……。
「……私で良ければ……」
その返事に、パッと顔を上げたシルビアは、瞳を輝かせた。白い肌ゆえに、頬の紅潮がとても顕著で、なんとも愛らしい。
「シルヴィさん……」
「シルヴィで良いです、サヤ姉様」
「……さんだけお願いします……呼び捨て苦手なんです……」
なんとかお願いして、そこだけは受け入れてもらった。
◆
「どうだった? 今日の授業」
帰り道、サヤにそう問うと。
「疑問が氷解しました。まだ判断は難しいと思いますけど、その仕組みは理解できたので、あとは経験かなって。
貴族社会って、シーン設定により前提条件を入れ替えつつ、マウントの取り合いをしていたんですね。道理で基準が掴めなかったはずです」
結局、やっぱりサヤは凄いのだと思う……。
いや、セレイナの説明も上手かったと思うけれど、それでもこのたった一度の授業で、全貌は把握したとサヤは言っているわけで……。
確かに経験の積み重ねなのだけれど、それを理解しているといないとでは、全く違う。
大抵は、その経験を重ねていく上で、仕組みに気付いていくのだ。
「とはいえ、私はまだ平民ですから、とりあえず皆さんを立てておくのが正解ということですよね」
「うん、そう」
「婚約者として振る舞う場合はどうなるのでしょう……」
「うーん……俺が今ここで教えても良いけれど……次の時、セレイナに質問してみたら?」
「そうですね。それが良い気がします」
「次は五日後か。今度は一人だけど……」
「シルヴィさんが一緒に授業を受けてくださいますから、寂しくないですよ?」
笑ってサヤ。
その経験を積むために、シルヴィが相手役として一緒に授業を受けてくれることになったのだ。
どうせ彼女にも必要なことだし、丁度良いということで。
俺としては少し寂しい気もするが……。まぁ、サヤの世界が広がるのは、良いことだ。
「俺も復習したいから、教えてもらったことはまた、俺に話してくれる?」
「はいっ、畏まりました」
「……じゃぁ、すり合わせの時間、復活させようかなぁ……」
もう、婚約者なのだし……多少は触れても良いわけだし……、二人きりの時間も、欲しいし…………。
そんなことを思いつつちらりとサヤに視線をやると、頬を染めたサヤが、さっと俺から視線を逸らし……でも、こくんと頷いてくれた。
……くっ、可愛い……。
昨日は申し訳なかった!
本日も若干遅刻しましたが、なんとか書き上げました……。
来週からはまた新章となりそうです。来週はもう少し、書けているよう、頑張ります……。
あ、歯切れが悪い感じになってしまってますので、もしかしたら前半のダニルたちの後日談を、後日前話に組み込むかたちにするかもしれませんが、ご了承ください。
ではまた来週、金曜日の八時から。次は……そろそろオゼロ問題……ですかねぇ。




