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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十二章
360/515

たらしめたもの 2

 言葉をそのまま鵜呑みにした。

 急いでいるんだ。……と。そう言う男を駅に案内するため、慌てて学校を出た。

 場所は知っていたから、教えてあげられると、何の疑問も抱かずに。

 行事ごとの最中だから、子供と歩く男性を訝しむも者もなく……あっさりと校門を抜けてしまえた。


「学校を出たら、手を掴まれて、進もうとしたんと違う方向に引っ張られて……一番近くの路面電車やのうて、JRの……もう少し大きな駅やって、言われた」


 地理に疎いはずの男が?

 だけどそこでも、急ぐと言う男に急かされて、疑問に思うことができなかったと、サヤは呟いた。


「それよりも、知らへん大人の男の人と、手を繋ぐことになってしもうたから……その違和感というかな……そっちの方が、気になって、なんとのぅ……気持ち悪いなって、その時初めて感じた」


 ぞわりと背筋が泡立つ。

 サヤが今話そうとしていることが何か分かって、その内容の危うさにだ。

 拐かされかけたのは、十歳の頃と、サヤは言っていた。ならばカミル程の年齢……。孤児らにも、その年齢の女児は多数いた。

 まだ子供だけれど、幼子といわれる域は脱し始めた頃合い。少しずつ、女性らしさが見え始める年齢だ……。

 まだ全然、大人の力になど、抗えるはずもない…………。


「さっと行って、すぐに戻るつもりやった……。おばあちゃんと、お弁当を食べる予定してたから……。

 うちの両親は、この時も仕事やってな……日本におらへんかったし、運動会にはおばあちゃんしか、来てへんかった……」

「サヤ……っ」

「大丈夫。まだ、平気」


 俺の手の甲に触れるサヤの手が、いつしか氷のように冷たくなっていた。

 冷え切ったそれを、少し躊躇ってから……俺の手で包み込み、握り締めた。


「そっちやあらへんのにって、思うたんや。でもそれを口にする勇気は、その人を見上げたとたん、失くなっとった……。

 路地に入ったら、手ぇを、余計にきつう握られて、道が分からへんはずやのに、こっちの方がええんやって、笑って言われて……怖くて返事ができひんかったん。

 その笑った顔が、ものすごぅ、怖ぁて……目が、なんや、全然、笑ってへんかって…………」


 そこで言葉を飲み込んだサヤに、もう良いと、言おうか迷った。

 無理に話さなくて良いと、なんなら一生話さなくても良いのだと。

 教えてほしいと言ったけれど、それは別に、サヤの過去を暴きたかったのではない。ただ、泣き言を封じてしまい、不安も寂しさも口にしないサヤを、その苦しみから解放したくて……っ。

 だけど、それでも話そうとしているサヤを、受け止めるべきだと思い直した。

 腹の底に溜め込んだ重い毒。

 それを今サヤは、初めて吐き出そうとしているのだから。


「怖かった。なんも言えへんままに、引っ張っられるままに進むしかのうて。

 叫べば良かった。嫌やって言えば良かったのに、頭ん中はどないしようばっかりで……。どないしよう、どないしようって、それだけ繰り返してた。

 いつの間にか、周りが木ばっかりになってて……そ、その人がな、もう少しやからって、手を離して……ホッとした隙に、今度は、肩を掴まれて……。

 手が、首や、肩や、背中を、撫でるみたいに……っ、私はっ、怖ぁて、何されてるんか、理解できへんで、ただ、言われるままに、歩いて」


 震えるサヤに、触れて良かったのか……。

 だけど、恐怖を吐き出すサヤを、ただ一人戦わせておくのが苦しくて、助けを求められている気がして、サヤの手を握るのとは逆の手を、身体に回し、抱きしめた。


「撫でられてる、うちに……急に、私の腕を、引っ張って、私に、抱きついてきて、首、首に……ヌルって変な、感触……って、頭が、真っ白になって、ガサガサしたものが、足や、あ、足の間……にっ」


 喉を詰まらせたサヤを、歯を食いしばって、必死で抱きしめた。

 心の中では、その男に剣を突き立ててしまいたいと、本気で考えていた。

 もう、もうそれ以上はやめてくれ。お願いだからと、必死で懇願した。


 早く、早く来てくれ、カナくん……カナくん、お願いだから!


「その辺りの、記憶は……なんや、ちょっと飛んでて……けど、一瞬だけ。そない、たいした時間やなかったと、思う……。

 急に、手が後ろに力いっぱい、引っ張られて……あまりに急で、地面、滑って……、体操服……足、出てたし、肘も、頬も……凄い、擦りむいて……」


 けれど、その痛みで頭が一瞬冴えた。はっきりと情景を記憶したのだと、呟くように、言った。


 お前っ、こいつになにしてんねんっ‼︎


「男の人は、びっくりした顔、しとって、私の、半歩前には、男の子の、後ろ姿。私を庇うみたいに、立ちはだかっとった……」


 その後はやはり、記憶が曖昧になるのだそうだ。

 絵を繰るように、記憶の場面が移り変わると言った。その男が慌てて逃げようとすることや、急に大人の怒声が響いたことや、何故か視界にお巡りさんがいたり、担任がいたり、保健室であったり、車の後部座席であったり、祖母に抱きしめられていたり……何かの建物の前に、立っていたり……。

 ぼやけた頭のまま、どこかの椅子に座っていたら、スーツ姿の怖いおじさんに呼ばれ、祖母と共に、小さな部屋に入れられたという。


「そこが、また、怖かった……。多分、警察署……。部屋の窓に、鉄格子がはまってたから、事情聴取するための、部屋やったんや思う。

 おじさんは、刑事さん……衛兵、みたいな役割の、人やったし、本当は、怖がらんで、ええ相手やった、はずなん……。

 でも、その人、が、怖い顔で、言いたくないことばかり、聞いてきた……お、おばあちゃんの、前で……っ。どこを、どんな風に、何回っ触られたか、何を、言われたか、あ、相手は、こう、言うてるけど、本当か…………っ、こ、こんなものを、持ってたけど、見たか、つ、使われたか……って……。

 普通は、女性の刑事さんが……でも、なんでか……人が、いいひんかったんか……子供やったから、か……。

 言われへん……おばあちゃんの前で、そんなん……せやから、必死で首を横に、振って、全部の質問、やり過ごして……嘘でも、全部、認めたら、あかんって……知られたくないっ、おばあちゃんが、もっと、苦しい顔になる、びっくりした顔になる……!」


 あぁ、分かった……。嘘をついたから……本当のことを認められなかったから……サヤは余計に苦しくなったのだ……。

 辛い経験を、更に嘘を重ねた罪悪感で押し固めてしまったのだ。

 両親から娘を預かっている祖母が、唯一身近な身内だったのに、その人を悲しませること、苦しませること、責任を感じさせてしまうことは、できなかった。

 傷付けられたことを、知られてはいけないと、思ってしまったんだ……。


「その時の擦り傷が、結構酷くて……何日も学校、休んでるうちに、行けへんくなってしもうた。

 更に後んなって……その時助けてくれたんが、カナくんやったって、知った……。

 保育園では虐められてて……小学校に上がってからは、疎遠になってた。クラスも違うたのに……私の両親が、日本にいいひんことは、覚えてて……大人の男の人と、手を繋いでた私を、変やって、気付いてくれて……別の子に、先生を呼ぶように言うてから、追いかけてくれてたって……。

 途中で見失って……でも、諦めへんと、探してくれて……大人がまだ、駆けつけてへんかったのに、子供やったのに……私を、助けてくれた……」


 カナくんに、嫉妬以外の感情しかないなんて初めてだった。

 あぁ、確かにカナくんは、サヤの騎士だったのだと、それが本当に、有り難く、申し訳なくて……。

 今までずっとカナくんを、悪者にしていたことを、サヤに本当のことを伝えなきゃならなかったのに、伏せていたことを、心の中で謝罪した。


「サヤ、カナくんの、名前を教えて」


 サヤの言葉を遮った。これ以上はもう良いと思った。

 サヤが穢されていたとしても、俺は彼女を娶ったし、それがサヤの価値を損なうだなんて風には、思っていない。

 まだ震えている彼女に、これ以上無理をさせたくなかったし……それに……今伝えなければと、心に決めたから。


「カナくんの……?」

「名前の全部が、知りたい。サヤの恩人だ……教えてほしい」

「…………都築……要」

「ツヅキカナメ……そうか。だから、カナくん……。良い名だね。……格好良かったの?」

「…………べ、別に……普通……。ちょっとチャラい感じ」

「チャラい?」

「カッコつけてるって意味! 髪、茶色っぽく染めてたくせに、地毛って言うてたし!……意地悪いのに、クールって、女子には結構……ゴツゴツしてるだけやのにっ、体鍛えてるの、ストイックって……」


 モテてたんだ。

 悪く言っているつもりで、カナくんを褒めてるだけになってるサヤ。

 一番嫌な記憶から視線を逸らしたお陰か、少し震えも治った。そのことにホッとする。

 だけど、サヤの、貶してるのか褒めてるのか分からないカナくんの話を聞いているうちに、サヤの表情はまた翳り、言葉は萎んでいった……。


「も、もう、カナくんのことは、良い……?」


 俺に説明するために、辛い記憶を、また引いてしまったんだね……。

 カナくんに、嫌われていると誤解しているサヤは、大切なカナくんの記憶を罪悪感と苦しみで、歪めてしまっているから……。

 もう一度、しっかりと抱きしめ直したら、サヤはされるがまま、俺に寄りかかって、窓の外の夜空を見た。


「…………話が、飛んでしもうてた……。

 せやしな、レイが、そういう触り方してへんのは、分かってたし……きっとそれで、我慢できた……。

 私も……言い方が、悪かった……って、思うし……ちゃんと、思うことを言葉にせな、あかんかったなって、思うしな……。

 ……婚約の破棄は、お父様に報告してからにする……」


 ズキンと、心臓に痛み。


「あっ、違う!

 ……解消、しようとしてるんや、のうてな……その……あかんって、言わはるかも、しれへんやろ?

 その時はちゃんと一回……解消せなあかんって、思う……嘘ついてたんやし、それは、仕方ないやろ?

 …………もし、そうなったとしても……耳飾は、外さへんから……それで当面、我慢……かなって」


 安堵のあまり、もう一度サヤに口づけしたくなったけれど、それは我慢。


「分かった……」

「それから……子ができるかどうか……も、お父様に伺ってからの、結果次第……。

 養子でも、ええって言わはるとは、限らへん。そこは、お互い覚悟、しとかなあかん……。

 …………私は……レイが他にも奥さん、貰うようになっても……ちゃんと、おるから……」


 そう言われ、胸の痛みはより強くなった。

 サヤの決意と、その苦しそうな表情で、それが本当に、本心からの言葉ではないのは、分かっていたし……。

 だけど、俺も頷く。

 でも、そうならないよう、全力で父上を説得すると、強く心に誓った。

 辛いし苦しい……。

 だけど、嘘をついていたのは俺だから……。今はその責任を、受け止めなければいけないと思う。

 この問題は、ここではこれ以上、対処できないことだから……。


 それよりも、今はサヤの心の痛みを取り除くことが先だと、思い直した。

 これが、サヤに酷い仕打ちをしてしまった俺にできる、精一杯の償いだと思うし……カナくんに対する、感謝でもあった。


「サヤ……初めてこの世界に来た日のこと、覚えてる?」


 一年前だよね……。もう、一年経ってしまった……。

 俺の問いに、サヤはふた呼吸だけ間を取って……。


「忘れるわけあらへん……」


 そうだよな。運命が変わってしまった瞬間だ。忘れられるわけがない。だから俺も、覚えていた……。


「あの時サヤ……どうして泣いていたの?」


 泉からサヤをこの世界に引き込んでしまった瞬間、あまりのことにびっくりして、呆然としてる間に腹でサヤを受け止めることになって、俺は一瞬気絶してしまったのだよな。

 今思い出しても恥ずかしい……いくらなんでもな出会い方だったけれど……でも、俺には運命の出会いだった。


 揺さぶられ、頬を叩かれて目を覚ましたら、ぐしょ濡れのサヤが俺を覗き込んでいて、服が透けていて……慌てて上着を脱いで渡した。

 その時だ。

 俺が見ないようにしている間に、上着を着込んだサヤは、振り返った俺の前で、何故か目元をゴシゴシと擦った。

 全身濡れているのに、目元だけを…………。


「泣いていたろう?」


 できるだけ優しく、そう聞いた。あれがきっと、要の記憶だと思ったから。

 あの時はまだ、異界に迷い込んでしまったなんて、気付いてすらいなかったのだから、こちらに来てしまったことに動揺して泣いてたわけじゃないのは、明白。

 途端に押し黙ってしまったサヤを抱きしめて、心が落ち着くのを待ちながら、耳飾の揺れ動くさまを見ていた……。


「あの、時は…………」


 キュッと、肩に力が入る。

 後ろから見ていても、歯を食いしばっている顎の動きが見て取れた。

 言葉にすると、別のものまで溢れてしまいそうで、耐えている……。

 そう思ったから、頬をそっと撫でて、そこに口づけをした。

 独りじゃないよって、伝わるように……。


「…………忘れ物、取りに……部活の後、教室に、戻ったら……。

 カナくんと、別の男子が、話してはってな……」


 サヤとカナくんが、付き合っているのかという質問を、別の女子に聞いて来いと言われた……と、そんな風に言っていたと、語った。

 するとカナくんは、チッと舌打ちして、そんなわけないだろうと、否定したそうだ。


「…………付き合うてる、はずやったん…………。同じ高校に、合格した、時に……。

 でも、ずっとうまく、いって、なくて…………手も繋げへんのに、恋人やって……言うたって、信じられへんやろ?

 やっとできるんが、道場での乱取り……殴り合いやもん……。恋人らしいこと、何一つできてへんのに、そら、恋人やって、言えへんわ……。

 せやから、私が、そう、お願いして……内緒にしてた。

 けどその言い方が……。

 カラスと付き合うとか、まじであらへんわ……って……。

 カラスいうんは……私の保育園の時の、悪口……。あの当時はいっつもそれでカナくんに揶揄われて、泣かされとってんけどな」


 カラスぅ?

 あんのアマゾネスと付き合うとか、あらへんあらへん。マジでないわ。

 あいつ俺より屈強なの知らねぇの?

 マジか? えぇ〜俺、顔と身体は、あいつええなって思うとったのに。

 故障する前でもよ、乱取りすると七割あいつが勝つんやぞ。しかも無表情で淡々と攻撃してくんの。

 どっから来るとか表情読めねぇし、動きは速いし蹴りは重いし、どえらい狂戦士。

 今ならもっとヤバい思うで。師範に三段の試験受けろって言われとったし。

 うわー、殺されそう……せやけど勿体なぁ、ええ乳しとるのに……。

 殺されとけアホ。……とにかく、カラスはやばい。自分が可愛いなら手ぇ出しなや。


 おふざけ半分の、そんな話で……、サヤは教室に入るのを、止めたのだと、言った。


「ケタケタ笑うとったし……なんや、私もそれ以上聞くんは、無理で……。

 普通に帰って、また道場で顔を合わせるんが、苦痛で……寄り道、して……」


 泣きながら、一人で歩いて、通り過ぎる人が、不思議そうに見てくるのに耐えかねて、普段通らない場所に踏み入って……。

 そのまま、こちらの世界に迷い込んでしまった……。


「…………私、まだカナくんの中では、カラスやったんやなって……。

 付き合うても、なにひとつできひん彼女……そら、嫌になるなって……。

 前に…………その…………あ、あかんかって……突き飛ばして、しもて……。

 なんでやって……何が駄目なんやって……俺がなんかしたか⁉︎ って……っ。

 そのまま喧嘩別れやったし……それからは家の行き来もなくて、稽古の時と学校でしか、会わんくて……。

 もう、カナくんの中では、私は恋人やのうなってて、別れてるんやなって…………」

「………………カナくん、怪我をしてたの?」


 俺の急な質問に、サヤは暫く逡巡した。

 何故それを聞かれるのか、分からなかったのだと思う。


「…………うん。靭帯伸ばして……生活には、支障無いけど、もうあんま……無茶はあかんって……」


 だからか。

 それで、確信が持てた。やっぱりかと。そして、馬鹿だな、と……そう思った。

 馬鹿だな……男はホントに……肝心なところで、馬鹿なんだ。


「カナくんは、サヤのことを、守りたかったんだよ」


 俺の腕の中の優しい娘は、カナくんにとっても、運命の人だったのだと思う……。

 だから、なんとしてでも、守りたかったのだ……。


「カナくんは、サヤより強くありたかったんだと思う。

 だけど怪我をして、焦ってたんじゃないかな……。

 サヤより強くないと、サヤを守れない……そう思って、焦ってたんだと、思うよ」


 チリチリと胸が痛む。

 分かってても、やっぱり嫉妬してしまう。

 サヤの気持ちが、カナくんに戻ってしまうのじゃないかと……その不安に掻き乱される。

 お願いだから、どうか、故郷に帰りたいなんて、言わないで…………。


「その悪口も、悪口じゃないよ。多分、照れ隠しや牽制……。

 サヤを女性として見る男が増えないように、牽制してたんだ。

 だってカナくんは、サヤの事情も知ってて、ちゃんと強かったんだろう? それよりも更にサヤは強いのだって、言ってたんだろう?」


 カナくんは、誇り高い男なのだと思う。

 サヤがどれほど己を鍛えようと、それよりも強くあろうとしたのだろう。

 それが、サヤの才能とたゆまぬ努力……そして自身の怪我により、覚束なくなってしまった……。不安と焦り……それでサヤに、無意識で縋ろうとしたのじゃないか。

 だけど、不安の穴埋めをサヤの身体に求めたせいで、サヤはカナくんを恐れてしまった……。元から、何もできなかったと言っていたのに、そんなことをすれば、結果は分かっていたろうに……。


 ……でも、そうなってしまうのも、分かるのだ……。

 男は、たまにどうしようもなく、間違った選択をしてしまう……。

 今の俺が、正にカナくんの心境なのだろう。


「強くて、誇り高いカナくんが、サヤの方が強いだなんて……。普通は認めたくないよ……。

 だけど、今の自分では盾になれないって、思ったのかな……。だから、矜持を捨てて、サヤを取ったんだ。

 付き合っていないって言ったのは、単にサヤとの約束だったから。カラスって揶揄したのは…………悔しかったからだよ」


 強くなっていくサヤに、嫉妬もしたんだと思う。


「己の不甲斐なさが、悔しかったんだよ……」


 俺も手がこうじゃなく、剣の腕があれば、サヤに劣ることを受け入れられなかったかもしれない……。

 そんな風に考えていたら、サヤを抱いていた手の上に、何かが落ちた。

 伝い流れていくそれが涙であることは、当然承知していて、胸が、苦しくなる……。


 お願いだから、今は、帰りたいって、言わないで……。


 グッと腕に力が篭ってしまったのは、サヤにも伝わったろう……。

 俺にも矜持はあるから……ここで男らしくないことは、したくなかった……。自分から言い出しておいて、カナくんに嫉妬なんて、馬鹿にも程がある……。

 きっとカナくんも、こんな気持ちだったのだ……。サヤを、手に入れたのだという、確信が欲しかった…………。

 だけどこれは、心を繋げるためじゃなく、独占欲を満たす欲求……。俺の、本当に望むものじゃないから、我慢しなきゃならない。流されれば、カナくんの二の舞だ。

 だけど、もしサヤが、帰りたいと……カナくんに会いたいと、口にしたら……それを抑え込めるか……正直言って、自信が無かった。


「……大丈夫。

 サヤはちゃんと、愛されていたよ。カナくんに、大切にされていたんだ……。嫌われてなんか、いなかったよ……」


 それでもこれは、完遂しなければ……。

 サヤを苦しいままにさせちゃ、いけない。カナくんの思い出は、サヤがこの世界に持ち込めた、数少ないものだから。


「………………ほ、ほんと?」


 しばらく黙って泣いていたサヤが、絞り出すように、俺にそう問うから……。


「うん。同じ男だからね、分かるよ……」


 もう何かの我慢大会みたいな気持ちで、そう俺も、答えた。

 カナくんと、根競べをしているのだと、そう思おう。


「…………嫌われてへんかったん? 私……」

「うん。ちゃんと、カナくんは、サヤを愛してたよ」


 そこでサヤの堪えていた声も、涙も、爆発した。


「本当に? 本当にそう思う⁉︎」

「うん。本当。絶対に当たってるから……」

「……うぅ…………良かっ…………私…………っ!」

「…………………………」


 必死で俺に縋って泣くサヤを、胸の痛みと一緒に抱きしめた。

 どれだけ苦しかったか……その痛みは、俺の比じゃなかったろうから……。

 ただ、声を上げて泣くサヤが、帰りたいと言わないことにも安堵していて……気を使う彼女が、傷付き、異界に迷い込んでしまった絶望の中ですら、人を気遣うことのできた彼女が、俺への配慮を忘れるわけがないのかなって、思いながら……ホッとしていた。

 ……本音を受け止められない自分の狭量さに落ち込みつつ、カナくんの分も俺は、サヤを大切にしなければいけないのだと、心に刻んだ。

 サヤが、泣いて、泣いて、泣き疲れ、うつらうつらし始めるまでずっと、俺はサヤを抱きしめて、サヤを寝かしつけてから、そっと部屋を後にした。


「また盛大だったわねぇ」


 帰り際ローシェンナにそう言われ、結局聞かれてたのかと、渋面になったけど…………。


「良いんだよ。嬉し涙だから……しっかり流せば良いんだ」


 そう返して、外に出た。

 玄関にはジェイドがいて、そのまま無言で、俺を集会所まで送ってくれた。


 そうやって、ロジェ村の夜は、涙で洗い流されて、清々しい翌朝を迎えたのだ。


時間が経つと全部直したくなるのは何故だろう……。

と、思いつつ、今更描き直す時間はないので更新します!

今週も三話更新ですが、もしかければ四話いきたいなと思います!

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