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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第二章
36/515

暗中

 翌日。

 レイは、こちらの想定通り、必要最低限を取り繕っただけの状態で、部屋を出てきた。


 身支度を整え、髪も自分で一括りにしていたが、ハインが「邪魔なんですから、サヤに結っててもらってください」と口出しして、仕方なしに、いつも通り編み込まれた。

 サヤの前では多少、顔を強張らせていたが、それでも、態度は温和なものだ。

「ごめんね」と、配慮の言葉も忘れない。サヤの方こそ「いえ……」と、少し気後れした様子だった。

 なんだろうな……。昨日よりサヤは、弱く見える。


 今日のサヤは、俺の指示通り女性らしい装いだ。昨日同様の袖の無い短衣は生成り色。袴の中に裾を仕舞い込むのではなく、外に出したままだ。袴は昨日よりふんわりと広がりのあるもので鮮やかな紅色。それを短衣ごと、淡い若草色の腰帯でしばってある。背中の方で蝶々結びをしてあるのが愛らしい。しかもひだが二重になっているのだが、サヤの国でユカタというものを着る時に、この様な結び方をするのだそうだ。蝶と言うより、花の様になっていて、愛らしさも倍増だ。

 髪はレイと同じく編み込まれ、昨日広場で購入した丸紐で括られている。

 清楚と言うよりは、可憐な感じだな。よく似合ってるのだが、表情の曇り具合で可愛さが台無しだ。

 はっきりと自分の意思を口にして、レイを守る為に刃物相手でも戦えるよう、修練したいと言っていた女が、なんだかレイの挙動に不安そうにしているのは、変な感じだった。


 いつもの応接室で、いつもより静かな朝食を取るが、レイは殆ど、口にしなかった。

 まるで砂を噛んでいるかのように、少量だけを、無理やり嚥下する。そしてすぐ、匙を置いてしまった。

 それでもハインは、何も言わない。今はただ、レイに負担を掛けないよう、余計なことは口にしない。

 そして、何も起こっていないふりをしている中、レイが、俺の方に向き直った。


「昨日はごめん。ちょっと色々……考えることがあって」


 こちらが察していないとは、思ってないだろう。だが、敢えて言葉にはしない。

 何事も無かった様に振る舞う。そして、何事も無かった様に口をきく。


「今日はもう、大丈夫だから。

 会議の予定を進めたいと思うんだけど、いつなら大丈夫かな」

「朝のうちに知らせを出せば、明日には揃うんじゃねぇか? いつも通り、店主以外でも、責任者で良いんだろう? どちらかは空けておいてくれってお願いしてあるし」

「そう。無理言って申し訳ないね。

 じゃあ、それでお願いするよ。明日の昼以降かな? 今日中に、マルの方と話をつけるつもりだし。

 ああ、それと、サヤのことなんだけど……」


 ピクリと、サヤが反応した。


「サヤから聞いた。ここに置いてくれって?」

「うん、そうなんだ。ギルの言う通り、夏場の男装はそれ自体が酷だよ。

 今はサヤをサヤの世界に帰すための方法を、探す時間も取れない状態だし……セイバーンに居る意味は無いだろう?

 ここの方が安心だし……」


 サヤの方を見ない。

 しかしレイは、表面上はとても穏やかな表情をしていた。

 反対にサヤは、不安そうな表情を通り越し、むしろ泣きそうですらある。

 俺は敢えて、サヤの方に足を向けた。レイの視界にサヤを入れる為に。

 サヤは俺が、サヤから一歩の距離になると、びくりと身を引いた。

 昨日に比べれば格段に近くなれた。

 とはいえ、レイは気付いているのだろうか? サヤが……。


「うーん……そりゃ、俺としてはいいけどな。

 会議やマルとの交渉にはサヤが必要だよな?

 いつからサヤを預かればいい?」


 サヤの前に立ち、レイの方に視線をやると、レイはやはり、こちらを見ていなかった。

 足元に視線を落としたままだ。口元だけ笑みの形をしていて、瞳は、ただ床を見ていた。


「うん……そういえば、そこはサヤ無しには、いかないか……。

 じゃあ、会議が終わって、俺がセイバーンに戻る時からかな。

 サヤもここのことに、慣れる期間が必要だろうし。

 あ、でも……会議ではサヤを矢面に出す気は無いから……」

「マルの発案として提案するんだよな。けど、近くに控えておく方が良いだろ? サヤにしか答えられないことだって、あるかもしれない」

「それは、そうだけど……」


 そこでようやっと、レイの視線が床から剥がれた。

 きっと無意識だったのだと思う。サヤの方を見て、すぐに視線を逸らす。

 レイの貼り付け慣れた笑顔が、あっという間に剥がれ落ちてしまった。

 妙に苦しげで、辛そうな顔が一瞬だけ掠め、そのあと昔を彷彿とさせるような無表情になり、口が笑みの形を作る。また床の方に視線が戻ってしまった……。


「そ、それはそうだけど……サヤは…………隣室で控えておくとか、そんなので良いんじゃないかな。

 それまでに、マルとしっかり、話を詰めておけば問題ない。うん。問題無いはずだ。

 あ……場所は、どこにする予定? それによっては……」

「……ここ。商談用の会議室。

場所の確保が楽だったから、初めからその予定だった。

 俺は、サヤはいつもの男装で、レイの後ろに控えているのが一番良いと思うが?

 どうせハインが進行役だろう? なら、従者としてサヤを置く方が、自然だぞ」


 俺の提案にレイが口を噤む。


「さ、サヤは……ここでは男装させないって……」


 なんとか捻り出されたのがそれだった。

 頑なだな……。どうあってもサヤの同席は嫌か。


「じゃあ、給仕をしてもらうことにするぞ。ワドとルーシーだけでと思ってたんだが、人数的にはもう一人欲しかったんだ。サヤも女中の格好をしてもらう」


 俺がそう言うと、レイがそれは嫌だと言うように顔を上げる。が、やはり視線のやり場に困り、また下を向いた。

 重症だな……。サヤを見るのすら辛いなら、なんで手放そうとなんて、するんだ……。

 取り繕えたのは本当に、顔の表面だけみたいだ。それすら、脆いみたいだが……。


「……では、それで良いですね。

 サヤは女中に扮してもらい給仕役。私は会議の進行を担当します。

 大店会議に参加する店主……もしくは責任者ですが、前回同様、十一人で変わりありませんか」


 ハインが、レイの反論を遮るように、話を先に進めてしまう。

 それでもう、サヤが給仕役となることは決定事項となった。俺も、それに乗る形で話を先に進め、もう覆せないようにしてしまう。


「ああ。あ、一人追加というか、後継を同行させたいって所がある。会議には二人で参加するってことだ。

 それ以外はいつも通りだが……やっぱまた、金貸し野郎は非協力的だろうな……」


 それを考えると、億劫な気分になってくるな……。

 二年前までは、領主からの指示のもと、金を工面していたのはそいつだった。

 そいつが中間に立ち、支持された金額をメバックの商人たちから寄付や貸付として集める。翌年、税金からの回収分を、貸し付けた相手に記録通りに戻していく。

 レイが代行するようになってからは、必要な金額が大店会議で直接告げられるようになったのだが、その金貸し野郎はそれがお気に召さないらしい。何かと文句を言い、貸し付けを渋るのだ。とはいえ、レイの要求する金額は今までに比べると少ないようで、他の商人たちの組合ごとの協力で問題なく集めることができている。返す金額も、その組合ごとの管理になった。

 しかし……今回はどうか……。規模を考えると、今までよりは随分と大きな金額になる。あの野郎が結局、一番金を融通できる立場だからな……。


「そこは仕方ないよ。資金の管理をしてもらってたのが、それを省いたんだ。手間賃程度とはいえ……収入が減ったのは、良い気分じゃないだろう。

 収入もだし……街の発言力と言う意味でも、俺は彼を蔑ろにしてるわけだし……」

「はん、金貸しの発言力なんてのは、この街には不要だろ。

 各々がもっと商品の価値を理解すれば、実入りが増える。アギーにも旅人にも高く売れる。

 そうすりゃ、金を借りる必要なんて半分以下だ」

「レイシール様は、あの様な者を気に掛ける必要はございません。そもそも、人望があれば発言力など、店の規模に左右されません」


 バッサリと斬って捨てるハイン。

 正直俺も、あいつは好きな人種ではないので反論も無い。

 それよりも俺は、サヤのことが気になっていた。

 俺たちの会話を聞いているのだが、口を挟もうとはしない……。ハインとの約束を守る為なのだろうが、それが何か、痛々しかった。レイも、そんなサヤを見ようとしない……。会議のことに、頭を切り替えるのに必死の様に思える。

 俺はレイに気をやりつつ、サヤに話し掛ける。


「じゃあサヤ、給仕用に衣装を貸すから、後でちょっと寸法を確認しておけ。

 午前中は、ルーシーも大店や組合への使いに出すし、お前はマルとの交渉に付き合わなきゃだろうし、夜になると思うが……良いか?」


 サヤの慣れた相手にしておく方が良いだろう。

 それにルーシーは、昨日サヤと商業広場を巡ったことにご立腹だったのだ。なんで呼んでくれなかったのかと、朝に散々怒鳴られた。仕事だ、支払い目的だと言い、納得させるのに難儀したのだ。明日のこともあるし、機嫌をとっておくにかぎる。


「はい、畏まりました。

 あの……マルさんとの交渉とは……? 私は、何も伺ってないのですが……」


 不安そうなサヤが、俺の言葉にすがりつく様にして聞いてきた。

 本当はレイに聞きたいんだろうにな……。俺はちらりとレイを伺い、ハインに視線をやる。

 ハインは、コクリと頷き、サヤを呼んだ。


「昨日、サヤが衣装替えをしている際に話していたのですよ。

 土嚢(どのう)はともかく、河川敷というのかなり特殊です。今回は、土嚢の有効性を周知し、河川敷を作るための下準備とする予定なのですが、サヤの案だと言うより、マルの案だとする方が、信頼度が格段に高いのです。

 あれは変人ですが、学舎での成績自体は、武術以外、相当優秀でしたので」

「学舎を出てるってのは、結構箔がつくんだよ。

 マルはもう二年、商業会館での実績を積んでる。変人ぶりも知られてるが、優秀なのもまあ、知られてるんだ。

 それに、一を聞いて十五くらいを知ることが出来る奴だしな。

 サヤの話を、俺たちよりも深く理解できるだろうし、必要なもの、必要なことを思いつけるだろうってなったんだよ。

 まあ……知識にしか興味が無い奴だから、土嚢と河川敷の情報で釣れると良いんだけどな……」

「そうですね……。ああ、サヤが異界の人間だということも、告げるつもりでいます。多分、マルは違和感に気付いてしまうでしょ……」

「それは!……やっぱり、伏せないか……」


 急に、レイが話に割って入った。

 椅子から立ち上がり、揺れる瞳でハインを見ている……。

 それ……というのは、やはり、サヤが異界の人間である。という部分だろう。

 話を遮られたハインが、サヤに向けていた視線をレイの方に移す。


「伏せれるのなら、それで良いと思いますよ。……伏せれるのなら。

 ですが、どう足掻こうと、マルの興味はサヤに向きます。私やギル、レイシール様の案だとは、思わないでしょうしね。

 追求されれば、言わざるを得なくなるでしょう。

 マルに先手を取られて、交渉を不利に進めることになりますよ。

 そうなれば、サヤを隠すということへの協力も、願いにくくなります」


 最終的に、サヤの首を締めることになりますよ。と、ハインは言った。

 それを言われたレイは、歯をくいしばる様にして俯く。

 気持ちが乱れきってるな……。

 俺は溜息を吐いた。

 それでは何一つ、守れたもんじゃねぇだろ……。

 だから俺は、サヤに話を振る。お前が選べよ。自分の道だからな。レイが決めることじゃない。


「どう思う、サヤ。

 マルに、お前が異界の人間だということを、言うつもりだったんだ。

 その代わりに、お前の情報を伏せる協力を願うつもりだった。

 あいつは変人だし、情報をしゃぶり尽くしてくるが、悪人じゃない。

 お前の知識を悪用しようとする人間や、お前の意志を配慮しない相手を、極力遠去けるために必要だと、昨日のレイは思ってたんだけどな」

「……私は、レイシール様が信頼される方なら、知られても全然、構いませんよ。

 知識の危険性についても、レイシール様が仰ってた通りだと思いますし。

 この前お話ししたマルさんの印象も、知識欲の塊って感じで、悪い方だとは思いませんでしたから」


 サヤは落ち着いた態度でそう答えた。

 心情としては不安でいっぱいだろうが、それをレイに見せるつもりはない様子だ。

 サヤの返事を聞いたハインが、また視線をレイに戻す。

 しかしレイは、項垂れたままだ。

 昨日より、あきらかに頭が働いていない自分に、苛立っているに違いない。

 右手が、胸の辺りを掴み、小さく震えている。

 そして、俺たち全員が、自分の反応を待っているのだと気付き、一度唇をかみしめてから、嫌々「じゃあ、話すしかないね」と、返した。


「マルのところには、何時頃向かいますか。

 どうせどの時間に向かったところで、同じでしょうが」

「……そうだな、どうしようか……」


 と、その時、応接室の扉が叩かれ、ルーシーの声が俺を呼んだ。

 なんだ? 返事を返すと、扉が開き、ルーシーが早足でこちらにやって来る。


「叔父様! ガマさんの所、私が行くことになったから」

「叔父じゃねぇ!……って、なんでお前が行くんだよ⁉︎」

「仕方ないじゃない。行きたがる人が居ないんだもの。

 大丈夫よ。男の人と一緒に行く様にするから。じゃあ、それだけ報告」

「待てコラ! やめろ、じゃあワド……」

「ワドは明日の準備があるじゃない。良いわよ、私で大丈夫だから」

「大丈夫じゃねぇと思うからやめろっつってんだろ⁉︎」


 急に早口で始まった応酬に、サヤがキョトンとしている。「あの?」と、口を開いたのもサヤだった。


「どこか、行かれるんですか?」

「そう、会議の日時を知らせに行くの。ガマさん……じゃなくて、バルチェ商会っていう、両替商の叔父さんの所」

「両替商……先程、非協力的な金貸し……って仰ってらした方ですか?」


 そうそう、蝦蟇(がまがえる)みたいな叔父さんなのと、ルーシーが続ける。

 ぜんっぜん緊張感の無い返事に、俺はやっぱりこいつはダメだと思った。絶対分かってない。


「あのな……金貸しってのは、嫌われる職業だ。

 しかもバルチェ商会のエゴンってのは、あまり人好きする様な人間じゃない。

 店を構えてる場所も、人相の悪い人間が多いし、店に怒鳴り込んで来る客も多いって聞く。

 女が顔を出す様な店じゃねぇんだよ……って、聞いてるか⁉︎」


 俺が真剣に説明してんのにサヤとお茶しに行く話をしてんじゃねぇよ⁉︎

 ルーシーの襟首を掴んで引き寄せると、煩そうな顔をされた。この野郎……。


「でも、行きたがらないのだもの。

 あのガマさんと率先して口を聞きたい使用人はいないんじゃない?

 それなら、叔父様が行くか、私が行くのが良いわよ。相手だって、使用人に向ける態度は取れないでしょ」


 ルーシーの言い分は最もだった。

 実際、会議延長の連絡で走らせた使用人は怖い思いをしたらしい。それで余計行きたがらないのだろう……。

 たかだか報せ一つ届けるために出向くのは時間が惜しいが、変なイチャモンつけられないためにはその方が良い。ああもう、じゃあ俺が……。


「あの、私が同行しましょうか?

 今すぐなら、マルさんの所に行く時間にも、あまり響きませんよね?

 治安の良くない地域なら、護衛できる人間が同行する方が良いでしょう?」

「えっ、サヤさんが来てくれるの⁉︎ じゃあ私、すぐ着替えて……」

「止まれバカ! 聞いてなかったのか‼︎

 サヤ、さっきも言ったろ? 女の出向く場所じゃねぇんだよ」

「男装します」

「いや、だからな?」


 俺が言葉を続けようとするのを、サヤの強い視線が遮った。

 俺が口を噤むと、静かに言葉を続ける。


「ギルさんは、お忙しいです。

 明日の準備って、ここで色々、采配を振るう必要があるのでしょう?

 私……ここで、生活していくことに、なるなら……お店のお仕事を、見ておきたいと思います。

 大店会議に呼ばれる店主ということなら、これからも、お会いする機会はあるのでしょうし。

 それに……私が一番、暇を持て余しそうですから」


 この場に留まっていたくない。

 サヤがそう言っている様に感じた。

 よくよく考えれば、レイの態度に、傷付かないはずはないのだ……。視線を合わせてくれないレイ。更に、自分のことであるはずなのに、まるで蚊帳の外に置かれているような状況だ。サヤはきっと、傷付いてた。

 けど……ゴロツキまがいの連中が跋扈する界隈に、行かせるのはどうかと思う。そりゃあ、日中に何かあるとも思えないが……。

 サヤが男装した所で、子供にしか見えないのだから、あの金貸し野郎にとってはなんの抑止力にもならないだろうし。


「今なら、良いですよ。マルの所に行くのは、さほど急ぎません。

 サヤが帰るまでに、レイシール様と交渉について話を詰めておきます。

 どうやら、まだ頭が寝ぼけてらっしゃるようなので」


 ハインが横から口を挟む。おい! と、言おうとしたが、こちらも凄い眼力で攻撃してきた。

 いや、そりゃあな、サヤは強いけどな? けど女は女だって分かってるか⁉︎

 レイも、さすがに顔を上げて、ハインに責めるような視線を向けている。しかし……ハインは、瞳の奥に怒りの炎すら揺らめかせ、レイを見返した。

 身を強張らせるレイに、言い含めるように、話を続ける。


「この街が安全かどうか、レイシール様は分かってらっしゃいますよね。

 ここで生活して行くなら、街のことを知る良い機会じゃありませんか。

 今回は男装を解禁して頂いて、行ってらっしゃい、サヤ」

「はい、では行って参ります。

 ルーシーさん、支度に行きましょう」

「はいっ」


 サヤはそそくさと、ルーシーは跳ねる様な軽快な足取りで部屋を出て行く。

 俺は「男一人は絶対につれていけよ‼︎」と付け足すのがやっとだった。

 扉が閉まってから天を仰ぐ。いいのかよ………。

 レイを見る。

 握りしめた拳を震わせている。

 ハインを見る。

 今見せた表情など嘘のように、手元の資料に視線を移していた。

 溜息を吐く。


「レイ……俺は正直、今のお前をちょっと、殴りたい気分だ……」


 俺の言葉に、レイの肩が震える。

 サヤが居なくなったからか、レイの顔に貼り付けてあった笑顔は鳴りを潜めていた。

 代わりに、不安で仕方がないという様な、恐怖に怯える子供の様な顔があった。

 俺は、レイの前に立ち、その肩に腕を回し、思い切り抱きしめる。

 身を竦ませるが、構わず力を入れた。


「お前さ、いい加減、それやめろよ。

 そんなに苦しいなら、捨てるより、掴んでおく方に、苦しむべきじゃないのか」


 腕の中のレイは動かない。

 それでも俺は、いつかレイに届けばと、言葉を重ねてやることしかできない。


「気付いてるか。

 サヤが平気で触れるのは、お前だけだってことに。

 あの娘は、どこに居たって不安なはずなんだぞ。

 この世界でたった一人、異界の人間だ。

 お前が思ってる以上にあの娘は、お前を、必要としてんだ。気付いてやれよ」


 俺が近寄ると、サヤは緊張してる。

 俺が許容範囲を超えて踏み込むと、身を竦ませる。

 修練の時だってな、本音の全てを、俺に言っちゃいない。あれは気を張って、自分を必死で支え、立とうと足掻いてるだけなんだよ。

 お前の役に立てなければ、お前の傍にいられないって、必死なんだぞ?

 命を賭けようとするほどに、必死なんだ。


「お前が思うほど、サヤは脆くない。

 けどな、あいつは女で、お前は男だろ。あいつの心くらいは、お前が守ってやれよ」


 俺もハインも、お前の代わりにはなれない。

 だから、逃げるな。

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