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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十一章
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閑話 息子 3

 母のことを、ずっと重い鎖のように感じてきた。

 三歳までを二人で暮らし、あの事件。そこから先を、俺は全て拒んできた。

 そうやって俺は、母を許さなかった。断罪し続けてきた。たった一度の過ちを、ずっと引きずって……。

 俺は心底母を拒んでいたんだ。何一つ受け入れたくなかった。母の全部を振り捨てたいと、本気で思っていた。

 だから夢に出てくる母が、苦痛でたまらなかった。

 俺はもう傷付きたくなくて、自分が傷付かないために、母を傷付けることを選択したんだ……。


 俺に泣く権利なんてない……。

 母をここまで追いやったのは、俺自身だ。

 そう思うのに、涙は勝手に溢れた。

 母が死ぬまで、十三年という長い時間があったのに、その中で一度も機会を与えなかった。

 母が死んでからの三年も、顔を背けて過ごした。

 こんな息子しか持たなかった母は、どれだけ苦しんだことだろう……。


「……貴方は葬儀に、出なかったではないですか」


 アーシュの言葉が重く、胸に突き刺さる。

 学舎にいた俺に母の死の知らせが届き、手続きを済ませて戻った時には、もう葬儀は終わっていた。


「不在だった貴方に、ロレッタ様の墓が、守れるわけがないでしょう」


 現実をただ、突きつけてくる。

 その通りだ。だけど、ここに戻って三年もの間、母の骸が弔われていないことにすら気付かずにいたことは、言い逃れのしようもないことだ。

 戻った直後であれば、まだ手は打てたかもしれない。

 いや、そもそも……母の死も、父上の急病も、俺は何ひとつ、疑わなかった。そのままを、ただ受け入れた。


 疑いを挟む余地ひとつ無いほどに、俺は何も知らなかった。母のことだけじゃなく、父上のことも、ジェスルのことも、セイバーンのこともだ。

 そんな俺では、何ひとつ、守れなくて当然だ。

 俺は声を上げなければならなかった。なのに俺は、ただ逃げるだけ……。知ろうとしなかった。だから何もできなかった。

 境遇と戦うことを、頭から捨てていた俺には、守れなくて当然だった……!


 ただ頭を下げ続け、涙を溢す情けない姿の俺を、アーシュは暫く見ていたけれど、そのうちに足を踏み出した。

 俺の前に立ったアーシュが、腕を突き出し、俺の胸に、花束を持った拳が押し当てられる。

 鬱金香(うこんこう)と、木春菊(もくしゅんぎく)。他にもいくつかの、春の花を束ねた花束。薄い桃色と白の花が、黄色の飾り紐で纏められていた。


「持っていてください」


 胸を押してそう言われ、咄嗟に腕を上げ、それを受け取る。

 アーシュはそのまま俺の横を素通りした。


「こんな目立つところにはありません」


 …………え?


 墓場の端に足を進めるアーシュの背中を呆然と見送り……ハインに名を呼ばれて、慌てて後を追った。


 アーシュは、焼き場と、セイバーン男爵家墓所に続く細道……。そこをただ、黙って進んでいった。

 後に続こうとすると、ジェイドが俺の先に身を割り込ませる。後ろはハイン。そうしてその細道を進んだ。

 程なくして、セイバーン男爵家の墓所に出たのだけど、そちらに足を向けたアーシュは、何故か墓所を迂回し、裏手側、雑草や羊歯など、蔓延る野草を掻き分けだす。

 何かを探すように、衣服を汚すことも厭わず、ただひたすら手探り。腰を曲げて、小枝に頬を引っ掻かれつつ、いくらも進みはしないうちに…………。


「ここにいらっしゃいます」


 やっと見つけたといった風に、雑草をぶちぶちと引き千切り出した。

 豪快にそこらじゅうの草を、ただ無心に引き抜く。

 なんとも言えない状況に唖然としていたのだけど、アーシュが雑草を引き抜く中心には、白くて丸い小さめの岩があった。

 何も刻まれていない、ただの岩。

 白くつるりとしている以外の特徴は無い。

 その岩の周りを、そうやってただ黙々と場を整えていたアーシュだったけれど、そのうち不意に、口を開いた。


「……王都からここまで、何日もかかる……それくらいのこと、私だって存じております。

 ほんの数日後にある卒業も待たず、貴方が本当に急ぎ、帰郷したことだって、もう知っています。

 貴方が、幼き頃に置かれていた境遇も……そこに、単身戻る、覚悟も……。

 十六という歳で、たった一人戻った貴方が、その時、何もできなかったとして…………」


 そこで一度、言葉が止まった。

 だけど、恐怖を振り払うように、少し強めの口調で、アーシュはつっかえた言葉を、無理やり吐き出した。


「それを責める権利が、私にあるはずがない!」


 そうして、掠れて震える、息を吐く。

 暫く、気持ちを落ち着けていた彼であったけれど、また草を引き抜くことが再開され……。


「手紙をロレッタ様に渡したのは、私です」


 唐突にそう告げられたのだけど、なんの手紙の話なのか分からず、一瞬考えた。


「本館にいる時は、お渡ししないと、決めていたのです。どこに、誰の目があるか、分からない……。

 なのにあの日私は、久しぶりの休日を、領主様とお二人で過ごされるロレッタ様に……。

 ………………彼の方を、もう少しだけ、喜ばせたかった……。

 ただそれだけの甘い考えで、私欲に走り……っ。

 貴方からの手紙を、私が、ロレッタ様に、手渡したのです……」


 背を向けたままのアーシュが、白い岩の前に膝をついた。

 そうして、それまで以上に身を縮め、岩に向かって頭を下げる……。


「私が、殺したようなものでしょう…………?」


 ………………………………。


 その手紙が、母を死なせるきっかけになった……。

 兄上の暴走を招き、母を死に追いやった。


 返事ができない俺に背を向けたまま。アーシュの独白めいた懺悔は、淡々と続いた。


「元から私に、貴方を責める資格など、無かった……。

 なのに私は、この事実を貴方に隠しました。あまつさえ、貴方を責めた。

 貴方の事情を知りもせず、境遇を理解もせず、ロレッタ様を厭う姿に腹を立てた。

 だけど本当は……自分の罪悪感を誤魔化すために、貴方を贄に選んだというだけです。

 私が騎士を辞すのは、貴方を嫌うからでも、ロレッタ様がもういらっしゃらないからでもない……。

 罪の呵責に耐えかねてです…………。ここにいることが、ただ辛い……。

 自分の手が彼の方を死に追いやったと分かっていて、忠臣面(ちゅうしんづら)していることに、疲れただけです」


 そう言ってから、立ち上がった。

 場を整え、姿を現した白い岩。その前を離れ、俺の前に。


「息子に接するように……大切にしていただいた恩を、仇で返しました。

 ですから本当は……ここに来る資格が無いのは、私の方。その花束は、貴方の手でお渡しください。その方が、ロレッタ様は喜ばれます」


 そう呟くように言い、俺の横をすり抜けようとしたアーシュだったのだけど…………。


 その腕を、ハインが掴んで止めた。

 剣呑な瞳でアーシュを睨み据えたままのハインに、いつものアーシュなら怒りを露わにしただろう。


「…………恨み言が言いたいなら手短にお願いします」


 けれど今は、ただ受け入れた。


「恨み言で済むと?」

「好きにしてくださって構いませんが、ロレッタ様の墓前を穢したくはありません。なので、拠点村に戻ってから。

 そちらでなら、いかようにしていただいても結構です」


 温度の感じられない、冷めた声音で。

 そのアーシュの腕を、ハインはグイと引いて、俺の方に向き直らせた。


「その覚悟があるならば、ここにいてもらいます。レイシール様が、それをお望みですので」


 何も言わずとも、ハインは俺の心を汲み取ってくれる……。

 だから俺も、ただ泣いていたのでは、駄目だ。気持ちを、ちゃんと、伝えないと……。


「母を弔ってくれたのは、アーシュなんだな」


 顔を伏せたままのアーシュに、俺はなんとかそう、言葉を絞り出した。

 何も刻まれていない、ただの白い岩。これが母の墓前であると分かるのは、それをした本人だけだろう。

 異母様はきっと、母を墓に収めることを、拒んだのだと思う。どこへなりと打ち捨てて来いと、そう命じた。

 そしてそれを言い渡されたのは、きっとアーシュではない……。母の傍にいた者に、異母様がそんなことを命じるはずがないことくらい、俺にだって分かる。


「場所をここにしたのも、アーシュなんだな」


 それをアーシュは、ありとあらゆる手段を講じ、なんとか掴み取ったのだ。そしてここに、葬った。

 見つからないよう、細心の注意を払い、周到に振る舞い、守り抜いた。

 きっとそれは危険な行為だったはずだ。自身の身の安全を考えたならば、するべきではなかった。

 セイバーンの墓所の裏を選んだのも、母を一人きりにしないためなのだと分かる。

 それだって、少なくない危険を伴っただろう。

 その上でアーシュは、母の無念を晴らすため、手を尽くしてきてくれた。


「………………ありがとう」


 その言葉しか、お前に伝えるべき言葉は無い。


「ありがとう。誰がお前を責めるものか。

 母の死は、運が悪かっただけだ。アーシュのせいなんかじゃない。

 父上だって、そう言ったはずだ。

 でも、そんな言葉ではアーシュの心は救われない……そう思ったから……お前の願いを聞き入れることにしたのだと思う。

 父上は俺に、本当はアーシュを手放したくないのだって言ったよ。でもお前の願いだからって……お前がそれでは苦しいならって、承知したんだ」


 アーシュが俺を見て苦しんでいるのは、母の面影を追ってしまうからだと思っていた。

 それならば、アーシュを解放してやるしかないと、俺も思った。

 それしか、アーシュに俺がしてやれることは無いのだと。

 だけど、こんな誤解が理由なら、そんなのは受け入れられない。


 花束を左手に持ち替えて、俺は握力の弱い右手で、アーシュの手を取った。

 ハインが鬱金香臭かったって、言うはずだよ……こんなに大きな花束……、用意していただなんて……。


「アーシュ……俺は母を知らない……。十六年ずっと避けてきた。母を知ることを拒んできた。だから分からない。

 母は、今のアーシュを責めるような人だった?

 あの手紙のせいでと、お前を責めるような、人だったの?」


 そう言うと、アーシュは身を固めた。

 俺は母を知らない。十六年避けてきた人だ。だけど……。

 アーシュや他の皆が、死を悼んでくれた人だ……。ただの庶民であるのに、慕ってくれた。大切にしてくれた。そんな人だ。


「母は、お前が自分を責めることを、喜んだろうか……」

「…………っ!」


 堪らずアーシュは、顔を跳ね上げた。

 だけど言葉が出てこない。違うと言いたいのだということは、苦しそうなその表情で分かる。

 だけど、自分を許せないお前は、それを口にできないのだよな……。

 それが分かったから、それで充分だと思った。


「アーシュ、教えてほしい。

 母は、どんな人だった。何を喜んだ。

 好物は? 苦手なものは? 身長は? 口癖は? 好きな色は? 好んだ場所は? 俺は、何一つ、知らないんだ……」


 俺がずっと許さずに、責め続けてきた人だ。だから俺こそ、許されないんだ、本当は。

 だけど……アーシュがそんな風に大切にしてくれた人なら、ちゃんと勇気を出して、会っていれば、分かり合えたかもしれない……。

 お互いに、許し合えたかもしれない……。


「今まで全て、拒んできたから……本当に、何ひとつ、知らないんだ……。

 だから、俺の知らない記憶を、分けてくれないか。こうしてまたにここで、一緒に母の記憶を、偲んでやってくれないか。

 俺では、母と分かち合える記憶が少なすぎる。だけどお前がここにいてくれたら……母の記憶は、ここにある意味があると思う。

 お前が守ってくれたんだ。俺がこんな風に考えられるようになるまでの時間を、残してくれた。

 だから、お前は、自分を責める必要なんて、ひとつもない」


 お前は母の、もう一人の息子なんだ。

 俺と重ねていたかもしれないけれど、それだけじゃなかったと思う。

 だからどうか、ここにいてほしい。母の骸が、寂しくないように。


「俺たちが揃ってここを訪れる方が、母は……きっと喜ぶ……だろう?」


 そう聞くと、アーシュは歯を食いしばって、顔を伏せた。こらえきれなかった嗚咽が、微かに聞こえた。

 その頭を右肩に抱き寄せて、俺はとりあえず、過ぎる時間を待った。



 ◆



「なんで、撤回を撤回しないんだ⁉︎」

「そんな都合の良いことが通るなどあってはならないからです」


 後日…………。

 結局騎士を辞したままのアーシュを前にしている。

 いつものどこかツンツンとしたアーシュだ。その後方で、ジークが苦笑し、ユストがハラハラと状況を見守っている。


「誰が知っているわけでもないんだから、そんなことに拘る必要が、あるか⁉︎」

「あるに決まっているでしょう。人の目がどうこうなど、関係ありませんが」

「だけどこの前、残ってくれるって言った!」

「言っておりません」

「夏にまた、あそこに一緒に行くって確約取ったぞ俺は⁉︎」


 そう言い机にダンッ! と、拳を振り下ろしたら、ものすごい険悪な顔でチッと舌打ちするアーシュ。

 そうしてしばらくお互い睨み合っていたのだけど……。


「はいはい、じゃあ騎士以外で良いんじゃないですかぁ?

 幸い、レイ様は人材不足ですから、武官でも文官でも従者でも、好きに選んでいただけば良いのでは?

 まぁ、能力があるの前提ですけども」


 机に向かって書類仕事を片付けていたマルが、こちらに視線もやらないでそんな風に投げやりに言う。

 するとすかさずオブシズが挙手。


「賛成。武官候補、まだ見つかっていないのでとても有り難い」

「え、でもさ、アーシュなら文官じゃないか? そもそも偽装傭兵団の時だって頭脳担当だったのに」

「両方できるならもう従者で良いンじゃねぇの?」


 窓辺でつまらなそうに外を見ていたジェイドまで、そんな風に口を挟んできた。

 とりあえずここに残ることが大前提で話を進められてしまったアーシュは、なんとも形容し難い、苦渋に満ちた顔。


「……ひとつ、伝え忘れておりましたが……」


 そんな俺たちにアーシュは、最後の切り札とばかりに今まで伏せていたことを、口にした。


「私は、オゼロ傘下、ダウィア子爵家の者です。私を抱えるということは、身中に虫を飼うも同義。

 戴冠式で、私がセイバーンにいることも知られましたし、彼方から必ず私に手が伸びるでしょうが、宜しいのですか?」

「そんなこと、言われるまでもなく知ってますよ」


 サラッとマルが当然のことであるように口を挟む。

 まぁ、俺が知らなくってもマルは知ってるよね……。絶対に調べてるし。その上でアーシュに害は無いって思うから、好きに使えって口を挟んできたのだろうし。


「それを言っちゃうとバルカルセの名を捨ててるオブシズだって問題ありになっちゃいますしねぇ」


 バルカルセもオゼロ傘下であるそうだ。それにはオブシズも苦笑。


「まぁ、抱える子爵家の多い家ですからね……」

「僕としては、貴方がダウィアに戻ってセイバーンのことをあれこれ口にされるより、ここに残っていただける方が良いんですよ。

 それにねぇ。レイ様、持っても良いとなってから、関わったが最後、全部懐に入れていく人になっちゃったんで、なんかもう、今更?

 どうせ戻っても、あれこれ理由をつけて関わり続けようとするんでしょうし。

 あっちに戻られちゃうと、そこ取り継ぐの僕の仕事になっちゃいそうなんですよねぇ」


 大変面倒くさいです。と、マル。

 そしてアーシュも嫌そうな視線を俺に向けてくる……。


「そんなわけなんで、じゃあもう文官でお願いします。貴族相手の応対できる人材必要なんで丁度良かった。

 クロード様お一人を使い倒すわけにも行きませんしねぇ」

「えっ⁉︎ ズルくないか⁉︎ なんでも良いって言ったのに!」

「最適なのは文官かと。北の出身者は腹の探り合い得意ですから。苦情対応任せられるととても有り難いですねぇ。

 で、早く決めちゃわないと、こっちで勝手に進めますけどどうします?」


 逃がさないよ? と、黒い笑みを浮かべるマル。

 それで結局アーシュはというと、長考に耽った結果、逃れられないという結論に達した様子で、苦渋に満ちた顔から「文官」と、搾り出した。


くそっ、結局遅刻したっっ。

でもなんとか書き上げました。明日も書けそうなら頑張ってみるけど無理かなー……。

とりあえず期待しない程度にお待ちいただければ、幸いです。

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