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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十一章
336/515

憎悪と怨嗟

本日内容が少々ハードです。若干BL要素滲んでおりますので、お気をつけ下さい。


「あれ? 華折って、分からないです?」

「はい……」

「へー、サヤくんの国で、この言葉は使いませんか」


 マルの言葉に、申し訳なさげに眉を下げるサヤ。

 通じる言葉と通じない言葉があるのはなんとも不思議だ。

 婚姻も、結婚も、婚約も通じたのになぁと不思議に思う。

 隠語に関しては、特に通じないみたいだし、この国の隠語は、サヤにとって渡来語みたいなものかなと考えた。


 だけど、通じなかったことにホッとしたのも確か。

 この答えはちょっと、サヤには毒だろう。どう伝えようか。穏便に説明しなくてはと、少し思案を巡らしたことが、後手になってしまった……。


「まぁ隠語なんてものは、その国独自の形態を取りますからねぇ」

「そうなんですか?」

「ええ。フェルドナレンは自然になぞらえた例えが多いでしょう?苑、華、蝶や蜂……。

 隣国のジェンティーローニでは、海になぞらえた隠語が多いです。

 で、華折はですねぇ、儀を付けると成人前の政略的婚姻を指すんですけど、元々をぶっちゃけますととこぃ」


 マルの口を塞いだ。両手で、顔ごと潰す勢いで。

 おまっ、今、床入りって言おうとしたな⁉︎ 言葉選べ! ぶっちゃけるな! そういえば前にもサヤに向かって交配とかとんでもない言葉使ってくれてたよな⁉︎

 マルの危険な発言は、オブシズにも察知できた様子。これ以上余計な言葉を口にする前にと、慌てて続きを引き受けてくれた。


「華折の儀は、家同士の合意の上で行う、成人前の婚姻を指すんだ! ほら、婚約者のことを華に例えるだろう?」

「あ! それで華折……っ。

 そういえば前に、レイシール様も華を手折る。って、おっしゃってました」


 ん゛⁉︎

 

 オブシズの顔が瞬間で引きつる。

 そして「お前、サヤにそんなこと言ったの?」と、俺に怖い視線を向けてくるから、違う! サヤに言ったんじゃないよ⁉︎ と、必死で首を横に振って否定した。


 手折る……。貴族の隠語の中でも、よく使われる言葉。

 これは女性と契ることを表現して使われることが多いのだけど、実は、契ること自体を指す言葉ではない。

 その……通常は…………き……生娘を相手とする場合にのみ、使う、言葉で…………つまり手折ると例えられることそのものは、いわゆる…………は、破瓜のことだ。

 華を手折ると使うなら、恋人と、初めて契りを交わすことを指す。

 だがこの使い方では、家同士の合意のもとの契りであるとは限らず、少々ややこしい。

 そのため、区別をつけるために華折という似て非なる言葉が別にあり、成人前に、家同士の合意のもとで行われる政略的な契りを指し、華折の儀とすれば、婚姻を指すことができた。

 言ってしまえば家同士の血による契約だ。お互いを契りという鎖で繋ぐこと。おおっぴらに口にすることじゃないから、言葉で飾り、見目を整える。それが隠語というもの。


 アレクセイ殿は、成人前である俺が、サヤを近く妻にすると言ったから、この言葉を使ったのだ。


「……サヤ、さんは、この国の隠語を、あまりお知りではない?」

「はい……まだ勉強不足で……」


 違う。

 敢えて教えていないだけだ。

 貴族の隠語は、隠したいことを飾るための言葉。当然、そこに美しい意味など無い。

 女性を表す蝶という言葉だって、未通の女性……というのが本来の意味。

 いちいちがこんな風だから……こういったこと全般が、心の傷に直結しているサヤに教えて良いものかどうか……決めあぐねていた。

 知れば、今まで以上に傷付くことになりかねない……。


「知らぬとは存ぜず、失礼を致しました」

「いえ……」

「サヤさんの国では、こういったことはどう表現されるのですか?」

「え……普通に……。婚約者は、許嫁と言うことも、ありますね……。婚姻は、結婚……嫁入り、輿入れ、縁付けなんて表現もあります」


 ……あまりサヤのことを根掘り葉掘り聞かれても困るから、この話はさっさと切り上げたい。

 正直、彼女との事情を他者に説明したくはなかったのだけれど、誤解を招いたままにしておくわけにもいかない。

 サヤに隠語を教えるかどうかは、ひとまず置いておき、アレクセイ殿に向き直り、華折の儀は行わないことを説明することにした。


「……アレクセイ殿……。私たちは婚約は済ませましたが、婚姻はサヤが成人してからとする予定なのです。

 彼女は両親に婚姻の許可を得ることができぬ身だ。彼女の国は……そう易々と帰れないほどに、遠い地にあるから」

「え? でもそれならば……」

「彼女の意思で先を選べる歳まで……彼女の成人まで、婚姻は待つと決めています。それは、領主である父も了承済み。

 申し訳ない。俺がややこしい言い方をしましたから、誤解させてしまいました」


 さり気なくサヤを後ろに下がらせ、会話を打ち切る。

 俺の言葉に、戸惑いを見せるアレクセイ殿。

 貴族の俺が、平民であるサヤを待つということ。婚約したと言うのに、彼女の耳に穴が無い事実。色々が、ちぐはぐだからだろう。

 けれど、マルたちの反応や、サヤに隠語を伝えていない様子や、耳にある不思議な飾り、俺の表情などを見て、それなりの推測は立てたのだろう。余計な口を開かぬと決めた様子で「左様ですか」とだけ、最後に付け足した。


「待つ……ですか。それはまた……苦難の多き道ですね」

「俺自身としては、然程でもないですよ。まぁ……彼女の身の安全等、結構難しいところはあるので、協力してくれる皆には、本当に感謝しています」


 苦笑しつつも、俺の選択を手助けしてくれる。サヤを大切にしてくれる。

 他の二人に視線を向けると。


「しょうがないじゃないですか。お二人にとっては、それが最良なのですから」

「愛する相手を大切にしたいと思うのは、当然のことですし」


 とのこと。しょうがないと言いつつも、顔は笑っているから、否定する気は無いと分かる……。それが有難いって、言ってるんだけどな。

 俺の視線が逸れた瞬間、アレクセイ殿が少し俯いたのが視界の端に見えていたけれど、彼はすぐに顔を上げた。


「貴方がたの選び歩む道に、加護があらんことを」

「ありがとうございます……。

 でも、我々のことは、ここまでにしておきましょう。

 それよりもアレクセイ殿。お時間を……とのことでしたが、何か問題がございましたか?」


 自ら時間が欲しいとおっしゃったのだし、何かしら用があるのだろう。

 そう思い問うと、彼は少し困ったように眉を下げ、口元を笑みの形にした。

 困惑も、この苦笑顔も……やはり全てが制御されたままで、どうしても違和感が拭えないのだけれど……。


「いえ、実を申しますと、然程の用は無いのです。あれは、ちょっとした言い訳のようなもので……。

 その……カタリーナらは、どう過ごしているかと、それが少し気になったのと……。

 今、神殿内は色々と、混乱しております。

 国の事業に関わるとおっしゃっておられたレイシール様にも、この混乱が飛び火するやもしれぬと思いましたもので、咄嗟に……」


 そう言われ、想定していなかった言葉に、意味の理解が追いつかなかった。

 だって彼は……その身を餌に使った駆け引きを、あの場でしていたのだ。それが、まさか俺に関わることだなんて。


「大司教様の覚えを良くしておけば、こちら側から貴方に手出しをと考える輩は、減りますから」

「……え?……で、でもそれでは、み……っ!」


 身を削る貴方に、いつたい何の得があると言うんです⁉︎


 そう言葉を続けそうになって、咄嗟に自らの口を塞いだ。


「レイシール様?」

「……いや……」


 こんな場で、口にする言葉じゃない……。

 サヤに聞かせる以前の問題で、あんな…………あんなことを、この方がしているだなんて……。

 未だに信じられないというか、信じたくない気持ちが優っていたのだけれど、俺の名が出たことで、余計に胸の奥につっかえていたものが、無視出来なくなる。

 この後、彼があの大司教に何を求められるのか……。それが俺には、分かってしまっているから、余計に……。


「なんでもない……です」


 辛うじてそう口にしたけれど、ブワリと胸に広がったのは、嫌悪感と、罪悪感……。


 知ってて、黙認するのか? しかも俺の関わることだと言われたのに?


「……カタリーナたちは、元気にしていますよ。

 今はまだ、メバックですが、孤児を引き取り次第、仮の運営を借家で始めようと考えています。

 その時に、彼女たちにも拠点村に、来てもらう予定でいます」

「もう、動いてらっしゃるのですね……」

「急がないとなりませんからね。色々が、動き出しましたから。

 あ、ジーナはとても元気になりましたよ。メバックの子供たちとも仲良くなって、よく一緒に遊んでいます」

「そうですか……良かった」


 そう言いアレクセイ殿は、作りものとはいえ、屈託ない笑顔を浮かべた。

 その表情に、また胸を抉られる。

 つい言葉を詰まらせてしまった俺に、その沈黙を配慮したかのように、視線を庭に戻すアレクセイ殿。

 それで俺は呼吸を整え……、結局、黙っていられなくて、自ら話を蒸し返す。


「……やはり、神殿は混乱の渦中ですか」


 あぁ、触れなければ良いのに……。だけど、やっぱり……。


「それはもう。なにせ、我らはずっと白を……この色を、心の拠り所としてきているのですから。

 我らにとって白は、穢れなき色、尊き色……なのにそれが、悪魔に魅入られた色であったと、言うのですから……」


 困った笑み。けれどどこか、自嘲を含んだような……憂いを帯びた、表情。

 感情の制御を完璧にこなすこの方が、本当のところはどう思っているのか……。それが、全く分からない。


「我々は、神の恩恵を……愛をひとつ、失ったのです……」


 生死を彷徨う怪我を負い、生き残ったものの、色彩をひとつ失ってしまったこの方。

 神の色を、授かったと、栄誉あることだと、おっしゃっていたこの方にとって、この白は本当に、特別なことであったのだろう。


「……失ってなど、おりませんよ」


 本当は、悪魔などいやしなくて、ただ病があっただけだ。


「王家の白は病であった。それだけのことでしょう。

 だからって、今まであったものも、今からあるものも、変わりません。

 貴方は自らの試練と戦い、それを乗り越えた。その事実だって、変わりません。

 貴方の髪は、王家の白とは、違うでしょう?」


 そう言うと、どこか虚無を見つめていた彼の瞳が、俺を見た。


「生きるために、戦って、得た。それが今の貴方でしょう?」

「……そうです……。そのために、なんだって、してきたんです……」


 一瞬だけ、その瞳に何かが過ったような気がした。

 だけどそれ以上に、なんだってしてきたという、彼の言葉が胸に刺さっていた。


 なんだって……。

 その中に、あれも含まれている……?

 この方は貴族の出だと思う。そうでなければ、たとえどれだけ優れた方でも、司教に至る道など、無かったはずだ。

 神職者は上位の殆どを、貴族出身者が占めている。そして貴族であったとしても、この若さで司教に上り詰めるなんてことが、並大抵のことであるはずがない。

 きっと、血反吐を吐くような努力を、してこられているのだと思う。思うが…………。


 その中に、あれすら、手段として、含まれていたというのか?


 無言で、陽の沈む庭に視線を向けるアレクセイ殿は、とてもじゃないが、そんな風には、見えなかった。

 演じられているのだと分かっていても、今の彼は、とても清涼に見える……。


 だけど、あの時のあれはどう考えても……。


 俺だって、あんな目で見られれば、気付く。

 ドロリと濁った、まとわりつくような、隠す気の無い獣欲。満たすことに慣れきっている……当然得られると思っている……。そんな視線。

 事実、俺の思い込みや勘違いでない証拠に、サヤが体調を崩した。自らに向いたものではなかったにも関わらずだ。

 それくらいの視線に、この方は躊躇なく身を晒した……。それどころか、それが自らに向かうよう、俺に絡み執着してみせ、嫉妬を煽って……。


「レイシール様……」


 袖を引かれた。

 声の主に視線をやると、サヤが俺を見上げていて……その瞳に滲む恐怖に、俺の思考が彼女にとって苦痛だったのだと悟る。

 慌てて、考えていたことを切り替えようとしたのだけど、彼女の視線は、そのままアレクセイ殿に向かい……。

 心配そうに、見上げるその瞳。

 俺が何を考えていたか、サヤは全て分かっているのだと、理解した。


 そりゃそうだよな……サヤは、あの大司教の視線に、あそこまで当てられたんだ……。

 それが、この人にも向いていたってことも、当然、分かっている……。


「……アレクセイ殿…………あの……」

「はい?」


 俺の声に、にこりと笑って首を傾げる彼に、言葉が詰まった。

 あの時の彼はとてもさらりと、手札を切った。慣れた手段であるとでもいうように……。

 彼がどうやってここまで来たか、俺には分からない……。その道しかなかったのかもしれない。選びたくて選んできたわけでは、ないのかもしれない。

 それでも彼は、その手段を得た。どんな形であったにせよ、それが彼の選んだ生き方で、今もなお、手にする武器……。

 褒められたことじゃない……だからこそ、隠している。

 なのに……。


 気付いているのだと、伝えてしまって、良いのだろうか。

 俺に、口を挟む権利が、あるのだろうか?


 でも、俺を吟味していたあの視線を、この方は敢えて自分に引き戻した。

 嫉妬を煽って、欲望が自分に向くように…………っ。


「………………………………ご自分を、大切になさって、ください……」

「…………?」


 そう、絞り出すと、俺を見上げるアレクセイ殿。


「俺は…………俺だって、貴族の端くれです。責任を担う立場を得た。それは、俺が自ら望んだことなんです」


 違う。

 言うべきことは、そんなことじゃない。

 不思議そうに俺を見上げるアレクセイ殿。

 まるで何も知らないみたいなその表情が、言うべき言葉を飲み込ませる。

 本当は、勘違いなんじゃないかと、思いたくなる……。


 だけど……ならば何故この方は、全ての感情を、作りものにしているのか。


 それを考えると、言わなきゃ駄目なんだと、思った。

 感情を殺し切る理由なんて、ひとつしかないんだ。


「それなりの覚悟は、しています。

 些細な問題を回避するために、誰かに犠牲を強いるようなことは……望んでない……。

 だから………………あ、貴方が……、貴方が、苦しむようなことは…………しないでほしい」


 マルやオブシズには悟られぬよう、言葉を選ぶのに難儀した。

 伝わらないかもしれない。ちょっと抽象的すぎたか……? 一瞬、そんな不安に駆られたのだけど。


 アレクセイ殿には、伝わっていた。


 気付けばそこに、作りものじゃない、表情があった。


 限界まで瞳を見開いた、彼。

 動揺のあまり、瞳が揺れる。全身の筋肉が緊張し、身を竦ませた。

 呼吸すら、忘れた。そして喘ぐように、少しだけ、口が開く。必死で何かを絞り出すように、喉が動き、瞳に…………っ!


「何を、おっしゃっているのでしょう?」


 でも次の瞬間、彼はまた、全てを覆い隠してしまった。

 瞳がそれを滲ませたのは、本当に、刹那のこと。

 とてもにこやかな笑顔。首を傾げる仕草。さらりと揺れた白髪……。

 踏み込んではいけない場所だったのだと、分かった。当然だろう。それは、分かっていた。だけど……っ。


「私には、心当たりが御座いません」


 一分の隙もない、拒絶。


「…………私の、思い違いのよう、です」


 なんとかそう絞り出すと、そうですか。という返事に、それで良いのだとでも言うような、満面の笑顔……。


 美しい見目をしていらっしゃるだけに、蝋人形を前にしたような違和感。一瞬見えてしまった激しく猛っていた感情が、この人の作られた、見せかけの感情を、より一層作り物めいてみせていた。

 白い髪に、白い法衣。陽が沈む間際の、赤い陽光が、横手から俺たちを染めていて……。


 まるで血濡れてしまったように見える、アレクセイ殿。


 何故、あれほどのものを隠していられるのだろう。

 どうすればこんな風に、全部覆い尽くして、しまえるのだろう……。


 真っ黒だと仰っていたグラヴィスハイド様が見たものは、これではないかと思った。

 アレクセイ殿から一瞬だけ溢れた感情。それをこの方は、あっという間に抑えつけ、意志の力で包み、捩伏せ、覆い隠してしまった。

 俺があの瞬間、彼の方の瞳に見たのは………………。


 這い出してきた、押し潰されそうなほどに鴻大な、憎悪と怨嗟。



 ◆



 会議に戻るアレクセイ殿と別れ、俺たちも元の会議室へと向かった。

 お待たせしていたリヴィ様に、陛下からの依頼の話を伺うと、やはり女近衛の制服やその他について。

 それには今、バート商会が独自に進めていた品があり、今日明日にも試作がいくつか完成することを伝えたのだけど……。


「よければ明日、帰郷前にギルを伴い伺いましょうか。

 もしくは、バート商会にお越しいただければと、思うのですが……。そちらであれば、まだ完成前の試作段階のものも、お見せすることが可能です」


 ギルの名前に、そわりと視線を彷徨わせたリヴィ様。


「……まだ、新設して間もない女近衛の職務は、然程の量もございませんの……。

 ですから、午前中のうちならば…………」


 時間の都合がつけられると思う……とのこと。陛下からも、まずは環境を整えることが優先で構わないと言われているそう。

 何もかもが手探りで始まる新しい職務だし、まだ制服とて正装ひとつしか無い状態だものな。


「でしたら、いらっしゃいますか? バート商会本店に」

「えぇ、是非! 一度に全員は無理でしょうけれど、半数ずつ、時間をずらしてお邪魔させていただこうかしら」

「畏まりました。ではギルに伝えておきます。あ、リヴィ様は一番はじめの組でお願い致しますね。書類手続きは、先に終わらせてしまいましょう」


 サクサクと話を纏めて、では明日お待ちしてますねと席を立つ。

 私はじめの組がいい! では某も! と、背後で盛り上がる女近衛の面々のはしゃぐ声を聞きながら扉に向かうと。


「レイ殿」

「はい、なんでしょう?」


 扉に手をかける直前でリヴィ様に呼び止められた。

 だけど振り返った俺に彼女は、少し心配そうな、眉の下がった笑顔。


「……あまり、無茶をならなぬよう……。貴方、見かけによらず案外豪胆で……短気ですもの」


 昼間の洗礼騒ぎが、知られてしまったのだろうか?


「…………そうでしょうか? 一応時と場合は選んでいるつもりなのですが」

「そういうところですわ……」


 苦笑気味に笑って、「お互い、手探り続きなだけでも大変ですのに、苦労するわね」と、労りを込めた笑みを浮かべる。


「俺はもう、ここを離れますから……。残るリヴィ様は、俺以上に、大変でしょう?」

「貴方だって、別にただ田舎に引っ込むのではないでしょう? 交易路計画に、拠点村の運営に、秘匿権の無償開示……やることだらけではないの」

「やることがあるって有難いですよ。とにかくやれば、進むんですから」

「そう……。でも……あまり、根を詰め過ぎて仕事ばかりに追われないように、忠告しておきます。

 職務も大切ですわ。でも……それが誰のためか、何のためかを、忘れぬように。ねぇ、サヤ?」


 お疲れの様子だから、帰ったら労って差し上げてねと、サヤの耳元で囁くリヴィ様に、サヤは頷きつつも頬を染める。

 結局俺は……そんな風にするサヤに、癒される……。彼女がいてくれる幸運を、実感するのだ。


「ではまた明日ね、ごきげんよう」

「はい。また明日……」


 人の少なくなった王宮を足早に進み、念のためにと、厩舎まで送ってくれたクロードと別れた。

 彼も数日中に故郷へと帰り、セイバーンへの移住準備に追われるのだろう。

 預けていた馬と馬車を回収して、来た時同様、御者台にはオブシズが座った。馬車に乗り込んだ残りの三人も、とりあえずは無言。門番に印綬を示し、城下へと馬車を進めた。

 暫くは揺れに身を任せていたのだけど……。


「…………俺、何かおかしかったかな……」


 リヴィ様の、俺を気遣うような視線や、言葉……。俺はいつも通りに、しているつもりだったんだけど……。


「そうですねぇ……。ここ一年くらいでレイ様、だいぶん前の感じが戻ってきてるというか」


 俺の言葉に、ここ一年より前の俺を知っているマルが、口を開く。


「学舎にいた頃に、随分近くなってると思うんですよねぇ。

 ようは、作り物じゃない感情が、節々で表に出てきているといいますか。

 僕としては、心を押さえつけて、一番穏便に、一番当たり障りない表現で……って風に、作り込まれた良い人を演じ、笑っているレイ様より……」


 覗き込むようにして、俺と視線を合わせてきたマルが、珍しく年相応の、大人っぽい笑みを浮かべていた。


「ままならない気持ちに、振り回されている今の方が、断然良いと思いますよぅ」

「……振り回されてるのに?」

「サヤくんが来る前の二年、僕らがどんな気分だったかっていうのを、的確にお伝えする手段が、今日手に入ったんですけど、聞きます?」


 そう言ったマルが、俺の頭を撫でるように触れ「今の貴方とおんなじですよ」と、言った。


「悔しくて、悲しくて、腹立たしくて、どうして良いか、何ができるか分かからなくて、困ってる感じですかねぇ」

「……俺、今そんな風?」

「ええ」


 そうかもしれない……。


 馬車の外に視線をやると、朝同様に、人影の少ない街の様子が見えた。

 もう屋台などは片付けられ、だいぶん普段通り。でも、賑わいだけが欠けている街並み。

 病とともに、陛下のご結婚も発表されたはずなのにな……。皆まるで、葬儀の前であるかのようだ。


 五の月に入ってすぐ。俺がまだ、セイバーンに帰り着く前に、洗濯板と硝子筆の無償開示が発表されるだろう。

 そしてそれを見た職人らが製作方法を得に、拠点村までやって来る。だけどその前に、貴族との繋がりが強い者らが、紹介状付きで到着することになるだろう。

 ま、紹介状持参してようがしてまいが、扱いは同じ。特別優遇もしないのだけど。

 そして五の月のうちに、陛下のご婚礼も、当初の予定通り密やかに行われる……。この状況で大々的にやれば、暴動等が起きかねないだろうから。


「嬉しいです。貴方がまた、そんな顔を、してくれるようになったことが」


 アレクセイ殿のことを一旦忘れよう。思考を逸らそうとしていた俺に耳に、またするりと、マルの言葉が届いた。


「いつも貴方は、良い顔で上手に、笑ってましたよ。本来の貴方を知らない人にとってはね。実際、それで充分だったでしょう?

 だけど、僕らからしたら、付け入る隙のない笑顔って言うんですか? あぁ、何を言っても駄目なんだな。この人には届いてないんだなって気分になる、嫌な笑顔なんです。

 だって僕らは知ってるんですよ。貴方が本当に笑っている時は、こんな無害な笑顔じゃないんだってことを」

「……なんか酷い言われよう……」

「いや本当に。気の迷いが起こる笑顔ですからね」


 どんな笑顔だ。

 少し口元をひんまげると、くすくすと笑い、そしてあやすように、言い聞かせるように、マルは言葉を続けた。


「時間が必要ってことなんだと、思います。

 貴方を困らせ、そんな顔にする原因は、相当な大問題なんでしょうから。

 でも僕ら、それに二年耐えたんですよ。ちょっとは褒めて欲しいですね。ホントあれ、精神削られたんですから。

 ……僕はまだ良いんです。ギルやハインは……貴方の一番近くにいましたからねぇ」


 その言葉に、つい反射で拳に力が入った。

 こんな気持ちで二年。ただ黙って、俺を待っていてくれた……支えていてくれた、あの二人……。


「貴方が何故そんな顔をされているのか、僕らに言えるなら言えば良いし、言えないなら、黙っていたら良いんです。

 ただ……時間は、人を動かしますよ。出会いが、人を変えます。今が答えじゃない。まだ先が、ちゃんとあります。

 だから、焦らず、やれることをやりましょう。そうしたらいつか、機会は巡って来るのじゃないかって……。

 実体験ですからね。自信を持ってそう、お伝えしておきます」


 ニコニコと笑顔で、いつもどこか軽い……マルのその言葉が、有難かった。

 隣に座ってずっと俺を見つめていたサヤが、拳になっていた俺の手を、己の手でそっと包み込む。

 自らの膝の上に置いて、ただ黙って、握りしめてくれる……。

 あぁ、俺は恵まれている。

 こんな風に心配してくれて、だけど踏み込まないでいてくれて、なのに苦しいを、一人で抱えなくて良いのだと、そう示してくれる……。


 俺に表情が戻ったというならば、それをまた与えてくれたのは……こんな、皆の、優しさなのだろう。

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