近衛総長
そのまま暫く意匠についての意見交換が行われた。
ギルとアルバートさんはこのままこれからの経営について話を詰めると応接室に残ることとなり、俺たちは退室。
気付けば昼近くになっていたから、早めに昼食を取り、騎士団の訓練所に向かう準備に入る。
「あ、あの……この従者服で行って本当に大丈夫でしょうか?」
「結局どこかで踏ん切らなきゃならないんだから、ここにしよう。
クロードも合流するって言ってたし、良い機会だと思う」
王宮の中とはいえ、騎士団訓練所は端の外れだ。リカルド様なら、サヤを伴っていてもとやかく言うまいという考えもあり、女従者服のお披露目を兼ねることにした。
サヤはいつもの馬の尻尾みたいな髪型。だけど、右耳に耳飾を付け、化粧も女性風に施しており、凛としていつつも華やか。きっと人目を惹くだろうな。
「気分が悪くなったら、遠慮するな。これから男性職に就く女性が増える。そんな王宮で、女性を軽視、侮蔑することは許されない。
嫌なことは、嫌だと言って良いんだからね」
一応念を押すと、苦笑しつつ、はい。と、返事をくれた。
マルとサヤ、オブシズを伴って騎士団の訓練所に向かう。街中は昨日までの祝祭が嘘であったかのようにシンとしており、道行く人も少なく、表情も暗い……。
王家の病……やはりそれが原因だろう。
まだ祭りの装飾も残っており、片付けられず残された屋台すらあるというのに、まるで死霊の街のように静まっている。
昨日は遅くまで騒がしかったけれど、祭りで盛り上がっているというよりは、混乱して叫び、逃げ惑っているかのような、どこか異様な賑わいだった。
本来ならばもっと明るい雰囲気だったろうにな……。
外門で印綬を示して王宮の中に入り、馬車を預けた。
まずは詰所に行き大工らを入れるための手続きを行う。
俺の紹介状を持った大工が来たら、知らせてほしい。騎士団の訓練所にいるからとお願いしておいた。
本当なら馬車に一人従者が残り、管理をするのだけど、俺は本日従者を一人しか連れていなかったし、サヤを残すわけにはいかない。
まぁ、王宮内に男爵家の馬車をどうこうしようなんて輩はいないだろうし、馬の世話だけ厩番にお願いした。
そうして三度目の、騎士団訓練場へ足を向ける。
暫くはいつも通りだった。こちらに出向く人は少ないのか、あまり人ともすれ違わない。
けれどサヤが「何か騒々しいです」なんて言っており、街の混乱が騎士団を困らせる事態でも引き起こしているのだろうかと考えたのだけど、違った。
俺の進む方向が、酷く騒がしい。そうして……。
訓練所で行なった手押し式汲み上げ機の試運転。成功だったのでそのまま汲み上げ機は設置したままにしてあったのだけど、行ってみたら人集りが凄い……騎士どころか女中まで加わる、長蛇の列が出来上がっていた。皆が手に桶を持っているのは……水汲み?
「いやぁ、壮観な眺めです。この現象は当分続きそうですねぇ」
「……他の井戸に行った方が早いと思うんだけど……」
順番が入れ替わり、手押しポンプを押す度に、キャー! とか、おー! とか、歓声が上がる。
街中の雰囲気とえらい違いだ……。無茶苦茶楽しそう。あれを見てきたから余計にそう思う。
汲み終わった者らも、仕事に戻らずそこで話に花を咲かせているようで、帰ろうとする者がいない……。業務は大丈夫なのか?
そんな風に考えつつ、唖然と見ていたら、たまたま振り返った一人が、あっ! と、口を開け、俺を指差した。
するとその周りの面々が、その声に釣られ……うわ、なんで俺を見て声を上げる? なんの指差し確認だ……なんかこっちに来ようとしてるけど⁉︎
「えっ、何⁉︎」
「こ、これは予想以上かもですね……」
「何が⁉︎」
「逃げろってことですよ! もみくちゃにされちゃいますよ⁉︎」
「っ! でもマル走れないだろ⁉︎」
こいつは数歩走ったら体力が尽きてしまう。
そうしたらあっという間に踏み潰されてしまうじゃないか!
慌てて背に庇ったら「今僕は良いですからさっさと逃げてくださいよ⁉︎」と背をポカポカ殴られた。いやだって、逃げれないからこうしてるんだけど⁉︎
「お前もみくちゃにされたら死んでしまうじゃないか⁉︎」
絶対に死ぬ! 骨なんかすぐに粉々にされてしまう。
今、一番命が危ういのはお前だからな⁉︎
そんな押し問答をしていた俺の前に、オブシズがザッと身を割り込ませた。
腰の剣を握り、晒された不思議な瞳に気迫を漲らせ、「寄らば斬る‼︎」と、大喝!
「我が主人の許可無く近寄るな! 無礼を働くならば、それ相応の覚悟をしてもらう!」
命のやり取りをして来た者の覇気だ。相当鋭い。
それが脅しでもなんでもなく、本気だということは肌に伝わる。
その圧倒的な気迫に、女性はあっという間に圧された。ぺたんと膝をついてしまう方々。中には涙目の者もいる。
男性らも、文官などあまり殺生ごとに関わってない人々は、真っ青になって、足を縫いとめられてしまったように止まった。
だけど中には、身分という鎧に守られている者もいる。
「たかだか男爵家家臣が、何をほざく」
そう言い捨て、さらには俺を睨み据え……。
「貴様、上位の私に、成人すらしておらぬ分際で、無礼だと……!」
無礼でしょうが。
身分年齢関係無しに、いきなり詰め寄るのは誰にだって無礼だと思う。
とりあえず殺到され、もみくちゃにされることは回避できたので、マルを背に庇いつつ、オブシズの横に並んだ。
「失礼いたしました。
ですが、こちらとて身の安全は確保させていただきたく存じます。
それに我が臣は、私の身を守るのが職務。彼は職務に尽くしただけですので、どうかご了承ください」
一応相手を立ててそのように言葉を繋げた。
服装的に、伯爵家の方かな。ここで身分を持ち出すからには、他の方々よりも更に上だと自負しているのだろうし。
いつの間にやら姿を消したサヤ。
俺とマルがごちゃついている間に、オブシズと何言か言葉を交わしていたし、彼女が戻れば場は落ち着くだろうと頭の中で考える。
俺の前の人物は、他の動きを止めた者らを押し退けて、俺の前に進み出て来た。まるでひれ伏せとばかりに、両腕を組み、前に立つ。
その周りには複数の人物。従者か、武官か……まぁ、守られるだけの地位がおありだと主張したいのだな。
視線を少し下ろすと、腰の辺りに印綬がちらついていた。
成る程、長であられましたか。それで俺を見知っており、汲み上げ機を作ったのが俺であることも、理解していると。
俺も多分、任命式で彼を見ているのだと思うけれど、なにぶん人数が多かったし、記憶に無い。だが相手は俺を覚えているだろうな。なにせ成人前は、俺一人だし。
それに……役職上の地位としては同列。お互いそれを賜ったからには、ご承知のことと思いますよ、それ。
だけど敢えて居丈高に出ているのには、理由があるのだろうなぁと、思った。
一つしか思い浮かばない。それを口にするのを、待つ。
「……まあ良いわ。私に対する不敬は、別の形で償ってもらおう」
不敬……。成る程、こちらに非があると、言うのですか。
「其方の詫びは、あれを一機、それで手を打と……」
「お断りします」
まあそれ言うんだろうな。って思ってたので、即断らせていただいた。
ちょっと気持ちが逸って、この方の言葉の最後を打ち消してしまったが、それくらいは許してほしい。
全く悩まず即座に断った俺に、その方は一瞬呆然とした。断られるとは思ってなかった様子。
「…………なっ、なんだと⁉︎」
「まず、詫びねばならぬ理由がありません。
私は身を守っただけのことで、貴方に不敬を働いた記憶も無いので」
「貴様は成人前の男爵家だろう!」
「そうですね。ですが、それが今、何か関係ありますか?
我々は、役職上は同列。
我が父も男爵家領主ごとき身分ですが、公爵家領主様を同列として呼びます。アギー殿、オゼロ殿と。
こちらから敬意を払い、様を付けて呼ぶことはあれど、呼ばぬことを不敬と咎められたことはございません。
ならば当然、貴方と私も同列。不敬は働いておりませんね」
腰の印綬を示し、そう伝える。
無礼を不敬とすり替えたって釣られませんよ。そんな、子供騙しな。
「それに、手押し式汲み上げ機は私の私物ではございません。
秘匿権は得ておりますが、それは役職上、現在の管理者として有しているだけ。
これは全て、国に譲渡される権利。ですから、正式な手続きのないものはお渡しできかねます」
理路整然と言葉を並べた俺に、その方はワナワナと震えた。
居丈高に押せば、俺が怯えて受け入れると思っていたのだろう。
だけど……そんなの、昨日の会議を見て、判断できませんでしたか。
俺はそういうのに、弱く見えましたか。
俺にとって怖いのは、不敬を働いたと罵られることじゃなく、自分の役割を果たせないことなのです。
サヤを、領民を、国民を守れないこと。その方が断然怖い。
皆を守るために賜った職務なのだから、保身より役割が優先されるに決まっています。
それは、昨日の俺の振る舞いを見て、理解してほしかった。貴族社会とは、そういったものでしょう?
「ですのでどうか、お引き取りいただきたい。
汲み上げ機をご所望ならば、どうぞブンカケンにご注文いただければ、先着順となりますが、手配いたしますので」
身分ではなく、手続き順だと、念を押した。
例え公爵家からだろうと、男爵家からだろうと、どこぞの村からであろうと、順番だと。
「き、きさっま……っ!」
当然それが、この方には受け入れられないだろうことも、分かっていたけれど。
だってな……これだけの目に晒されてなお、欲を優先する人物だ。それは、顔色を読まなくても分かる。
だからこそ、ここで譲るのは間違いだ。我が通るなんて、思わせてはならない。力に屈するだなんて、断固示してはならないのだ。
この次に相手がどう出るかも分かっていたけれど、敢えて待った。抜剣沙汰になることも、覚悟して。その前に、サヤが戻ってくれればと、一縷の望みは、残していたけれど……。
………………駄目か。
「オブシズ。許す」
合図のため手を挙げた相手に、俺たちと、我が身を守れと、命じた。多勢に無勢だけど、負けるとは思っていない。オブシズと、相手の武官らの実力差は、俺にも見えていたから。
たった一人でも、うちの武官は百戦錬磨の元傭兵。場数が違う。
だけどどうか、極力、殺生は控え、怪我人は最小限で……。
小声でそう、伝えたのだけど……。
「おー、ここにおったかレイシール殿」
聞き覚えのない声が、ひょろりと入ってきて、緊張の糸をふつりと切った。
「いやすまん。貴殿が来たと知らせを受けたら、飛んで行くようにと仰せつかっていたのだが、たまたま近衛が皆出払っていてな。
我しか空きがなかったゆえ、ちんたら来てしまった。
貴殿は思いの外せっかちだなぁ。ゆっくりしていてくれれば、間に合ったろうに」
自分が悪いと言っているのか、はたまた俺が悪いと言っているのか、どこかのらりくらりとした口調。
だけど、近衛。という言葉は、何故かかずしりと耳に残る。
「陛下が、用が済めば寄るようにと仰っているのだが、ちょいと付き合ってもらえるか?」
そうして唐突に、俺の前に、人が立った。
殺気立っていた伯爵家の方々を完全無視し、背中を晒しているが、そこに隙など皆無。
直前まで存在を感じさせないのは、ディート殿みたいだなと思う。でも……声までしていたのに、近付いて来る気配が無かったって、どういうことだ?
視界にあるのは、近衛の制服。しかしディート殿のものとは、袖口が違った。
視線を上げると、それは……。
「近衛総長様……」
名前は、そう。確か……ボニファーツ・レミオール・アウラー……。伯爵家の方。
「ファーツで良いよ。役職名はまだ慣れん」
いきなり略称を許す。剣に手を掛けるオブシズや、伯爵家の方々など、視界に無いかのように和かに。
思っていたよりも高く、軽やかな声音で、外見にそぐわぬ気がして少々違和感を感じた。
唖然としていると、ん? と、首を傾げられてしまい、慌てて返事を返す。
「も、申し訳ありません。今、来たところで……」
「なんだこれからか。そりゃ呼び止めて悪かった。
とはいえ、まだ王宮内は不慣れよな。よしよし、では途中までご案内いたそうか」
「えっ⁉︎ い、いや、近衛総長様に道案内など、そんな、恐れ多い……!」
「こっちももののついで。遠慮するな」
その流れのまま俺の背に手を回し、誘導するように伯爵家の長殿の横を、すり抜けた。
彼らには未だ、視線ひとつ寄越さない。
その完璧な無視で、促されるままに、俺たちは足を進めることとなった。マルもついてきてる、でもサヤは……?
「この先にいる。
リカルド殿を……とのことだったが、あれでは少々、事が大きくなり過ぎるんでなぁ。それは貴殿も好まんだろう?」
「そ、それは、はい……」
「先程の武官らも、無かったことになってホッとしているさ。本人はともかく、な」
実力差は分かりきっておったろうしなぁと笑う。
確かにリカルド様であれば、無視して無かったことにするなんて手法は取れないよな……。先程のあれができたのは、この方だからこそなのだと思う。
きっとこういった、身分をかさにきたぶつかり合いなどにも慣れているのだろう。
そのまま足を進めると、ファーツ様のおっしゃっていた通り、サヤがいた。
俺の姿を確認した途端、駆け寄ってきて「お怪我は⁉︎」と、腕に縋る。
「大丈夫。まだ何も、始まってなかったから」
「この娘が出れば、余計な争いを招きそうだったんで、悪いが残ってもらったよ。
そこな武官もそれを踏まえて、彼女を走らせたようだったし」
そう言うファーツ様に、オブシズも頭を下げた。
「お心遣い、感謝致します。
彼女の強さに疑いはありませんが、女に負けたとあっては……」
「だなぁ。後々を考えれば尚のこと、あの手の輩には関わらせぬに限る」
女性のサヤに圧されてしまえば、それをずっと逆恨みし、影から何を仕出かすか分からない……。
オブシズはあの場でそれを瞬時に判断し、動いてくれていたのだ。
「ありがとう、オブシズ……」
あんな輩に、サヤを傷付けられたくないし、関わらせたくなかったから、本当に有難い。
その俺の心情を察してくれているのだろうオブシズは「いえ。お怪我が無く、なによりでした」と、にこやかに笑ってそう言ってくれる。
だけど、サヤは悔しそうに、唇を噛んで……。
「私、いつも、お役に立てません……」
いざとなったら危険から遠去けられてしまうことを、自分が不甲斐ないからだと感じているのかもしれない。
「そんなわけないだろう。サヤがファーツ様を呼んで来てくれたから、流血沙汰にならずに済んだんだよ」
「よく動いてくれた。サヤ、本当に助かった」
オブシズとふたりでそう諭すが、納得はいかないといった様子。
だがそんな風にするサヤに、ファーツ様は微笑みを浮かべて言った。
「あの手の輩に、わざわざ真っ向から挑むのはただの阿呆。
お前の中にそうする意味があるなら好きにすりゃ良いが、そうであったかどうか、今一度考えてみな。
あそこでお前が拳を握ることに、何か価値があったとは、我も思わんよ。
折角だし、出し惜しみしとけ。ここぞって時にだけ使う。懐剣ってのは、そういうもんだと思うが」
「懐剣……ですか?」
「そう。お前は懐剣。そこの武官は小剣。
役割が違うんだから、お前はまだ懐に収まってりゃ良い。
それに折角女に生まれてんのに、男とおんなじ風にしたってつまらんよ。持ってるもんは活かしてなんぼだろう?
その辺りの割り切り方は、ユーロディアやメリッサなんか上手いもんだぜ」
何やら身分にそぐわない、妙に俗っぽい口調。
伯爵家の方ですよね? と、首を傾げたくなる。
「まぁ、当面あそこにゃ近付かんことだ。
あそこにいる連中は、大抵似たり寄ったりな目的で、貴殿を待っておるのだろうしな」
恐喝も色仕掛けも好まんだろう? と、ファーツ様。
そうですね……どんなお願いのされ方でもお願いじゃ聞く気無いです……手続きを踏んでいただきたい。
だけどあそこに用があるんだよ……どうしたもんかなぁ……。
「じゃ、我はここらで失礼させてもらおう。
あと、あそこの連中を散らしたいなら、番犬を連れていけば一発だ。吠えてもらえ」
そのままひょこひょこと、軽い足取りで去っていったファーツ様。慌ててありがとうございました! と、叫んだのだが、ひらひらと手だけが振られた。
そしてその場に残された俺たちは、顔を見合わせて唸る。
「番犬……」
番犬……って、飼っていないのだけどなぁ……。




