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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第二章
33/515

通貨

糎…㎝(センチ)


通貨について

4四半銅貨=1銅貨

2半銅貨=1銅貨

10銅貨=1銀貨

10銀貨=1金貨

「ギル様、少しよろしいでしょうか。

 サヤ様の意匠図なのですが、これはうちで買い取らせていただいては如何でしょう」


 サヤの意匠図を、丹念に見ていたワドが、そんな提案をしてくるのは珍しかった。

 仕事のことにはあまり口を挟んでこないワド。もう一線からは引退した身だし、後進を育てる為にはあまり差出口を挟みたくない。というのが、ワドの考え方なのだ。

 そのワドが、あえて進言してくるのだから、サヤの意匠図は、相当な魅力を感じるものらしい。

 ああ、俺にも分かる。これはサヤのための特注服にするには、あまりに惜しい……。

 例えばこの上着の形状だ。

 今現在の流行は腰までの丈の上着なのだが、人によっては腹回りが目立つという苦情がよくあるのだ。それを上手い具合に隠せそうな気がする。

 ……腹回りが痩せるように、運動すりゃいい話なんだけどな……。


「サヤ、この意匠図、買う。幾らだ」


 それに、サヤだけの服にせず広めた方が、サヤが変に悪目立ちせずに済みそうだしな。

 そう思って聞いたのだが、サヤは首を傾げて言った。


「いえ、差し上げます。というか……作ってもらうのは私なのでは?」

「勿論作るが、この案が欲しいんだ。

 サヤに限らず、従者って職業の人間に売りたい。大抵の従者は、我慢比べに辟易してるだろうからな。

 あとな、こういうのはきっちりしておきたい。揉め事になるのもごめんだし」

「はあ……。でも、差し上げます。ただの走り描きですし、料金を頂くようなものでは……」

「阿呆……。料金を頂くようなものなんだよこれは……。金を出しても欲しいという内容なんだ。お前は自覚が無さすぎる……」


 頭を抑えて溜息をついた。

 一から説明した方がいいな……。この世界の常識というやつの一部であるのだし、ハインやレイに任せておくのはなんか不安だ……。あいつら自身がちゃんと一般常識を理解しているのかという部分から、不安でならない。


「俺たちは貴族相手の商売をしているわけだが、貴族社会というのは、流行にとても左右される。

 とはいえ格式等、ややこしい部分も多々ある社会だ。

 そんな縛りが多い社会で、機能美と優美を兼ね備えた意匠ってのは、凄い価値を持つ可能性があるんだよ。

 こいつには、その両方が備わっているように、俺もワドも、感じてんのな。

 見た目を崩さずに涼しいんだぞ。絶対売れる。

 貴族という貴族の、その従者がこれを買ったら莫大な利益を生む。なのにタダってなんだ」

「だって……売れたらそうでしょうけど、売れるかどうかなんて、分からないのに……」

「いや、売るから。絶対売れる。

 本店にも写しを描いて送りたい。だから買い取らせてくれ。幾らだ」

「え、えっと……」


 サヤは了承をくれない。言い淀んだまま、オロオロしている。

 まさか、俺に売るのは嫌、ほかの店なら良いとかって話じゃないよな?

 そんな風に心配し出した頃、ハインが横から口を挟んできた。


「ギル、言い忘れていましたが、サヤにはこの世界の通貨を、まだ見せてすらいません」


 ハインの言葉に、こくこくと一心に首を縦に振るサヤ。

 通貨を見せてすらいません……その言葉の意味を理解することを、頭が一瞬拒否した。


「お前ら……今日まで一体、何してんたんだ…………」

「農作業です」

「本当に、それしかしませんでしたもんね」


 二人してのほほんと答えるな‼︎

 頭を抱えてうなだれる俺に、サヤは申し訳なさげに身を縮こませる。

 サヤが申し訳がる謂れはない。ていうかハイン、お前はもっとなんかあるだろう⁉︎ 何ひとごとみたいな顔してやがる!


「やべぇ……こいつらほっとくと、いつまで経ってもサヤに一般常識が身につかねぇ……」


 やっぱりこいつら駄目だ……。俺がサヤを引き取るべきだった……いや、そうしたらレイがサヤに執着することもなかったろうからこれは正しい選択だったんだろうが……普通もっとあるだろう、きちんとした手順ってもんが! 農作業だ、土嚢だ河川敷だって言ってる前に、なんで金すら見せてない⁉︎ お前らサヤが心配じゃないのか!


「ワド……サヤの意匠、これ先に、型紙に起こしてくれ。まずは一通り作る。寸法は前に測ったサヤので良い。交渉は後だ」


 ワドに指示を出し、使用人を呼ぶ。

 やってきた者に、サヤ用の荷物から、陽除け外套を持ってくるよう指示した。

 そして、ハインとサヤの方に向き直る。


 ハインは……レイについておくのだろうしな……サヤは俺が引き受けるしかないか。

 ルーシーを呼ぶのはややこしいな……さすがに通貨を知らないってのは、誤魔化しにくい。サヤが異界の人間だということを知る者は増やさない方が良いしな……。

 問題は、サヤが大丈夫かって部分になるわけだが……俺がこうして見ているだけで、サヤはじりじりと後退している……。視線が空中で彷徨い、若干挙動不審気味だ。

 不安だ……。だが他に選択肢もないし、もうこれ以上後回しにすると、いつの間にやら忘れ去られてしまいそうだし、更に宜しくないだろう。仕方ねぇよな……今回は、頑張ってもらうしかない、サヤに。


「サヤ、ちょっと俺と出かける気はあるか?」

「は?……え……ふ、二人で、ですか?」

「そうだな。まあすぐそこだ。商業広場で、実際通貨を見たり、使ったりした方がいい。

 口だけで説明するより理解も早いからな」


 そこまで話したところで、先ほどの使用人が指定していた外套を持って戻ってきた。

 俺はそれを受け取って広げ、確認してからサヤに渡す。


「サヤの髪は目立つからな。それで隠して行こう。

 ……夏場用の、婦人物の陽除け外套だが……見たことないのか?」


 手に取ったまま、光に透かして首を傾げているサヤにそう聞いてみた。

 こくりと頷くサヤ。

 サヤの世界には無いのか……。

 それは、全体が(しゃ)で作られた外套だ。透けているのだが、陽の光を遮りつ、視界は効くし、生地の色が重なるのでサヤの髪色も誤魔化せる。そして通常の外套より薄いので、風を通すという、優れ物だ。

 頭巾の部分も、顔の半分が隠れるほどに深く作ったので、サヤの顔は鼻から下しか出ない。しかし、サヤからはちゃんと見えるのだ。

 こいつを使うのは基本、貴族だけどな……。

 サヤ用に選んだ生地は白藤色。身につけるには飾り紐を括るだけで良い。

 形状はお馴染みのものなので、サヤも着方に困ったりはしなかったようだ。説明しなくとも、きちんと身につけた。よし。じゃあ行くか。


「ハイン、サヤ借りてくぞ。お前は……」

「レイシール様の様子を見ておきますので、任せます。行ってらっしゃいサヤ」

「え? あ……は、はいっ」


 とりあえずさっさと出てしまう。

 考えさせると引くだけな気がしたのだ。

 俺とサヤは、時間にして二日間も一緒に過ごしていない。他の二人と過ごした時間が違うのだから、警戒されても仕方がない。

 そう割り切って歩くが…………遠い。

 俺から三歩程離れて、サヤはついてきている。

 けどこの距離……商業広場に行けば、間に沢山の人間がなだれ込むことになるだろう。

 そうなると、危険度が増すのはサヤばかりだ。女の一人歩きに見えてしまうのは良くない。


「おい、サヤ……そんなに離れて歩くな。なんでそんな、遠巻きなんだ」

「あぅ……も、申し訳ありません……その……」


 俺が足を止めると、サヤもピタリと止まる。

 なんつうか……新鮮な距離感ではあるな……。基本俺は、女には好まれる容姿なので、近づいて来ようとする者は多い。サヤのように、一定の距離より近付かない……というのは、新鮮だ。

 暫くその様子を観察していたのだが、大いに慌てた後、サヤは意を決したように、言葉を口にする。


「す、すいません……。あの、ちゃんと、ギルさんは見えますから、離れてても、大丈夫です」


 何を言うかと思えば……離れていても大丈夫です宣言か。

 俺は悪戯心を刺激されてしまい、顰め面を作ってサヤに言う。


「いや、どっちかっつうとな、俺の傍にいないと、危ないのはお前だ。

 街中は、男がうじゃうじゃいるんだぞ? 女が一人歩きしてると思われると、声かけてくる奴もいると思うしな……」


 そう言うと、サヤの顔が恐怖に引きつった。

 拳を握りしめ、ブツブツと何かを自分に言い含めてから、決死の覚悟という顔で、距離を一歩と半、詰める。

 ちょっと、笑いを堪えるのに苦労した。覚悟を固めて半分しか埋まらないとは。


「悪いな、今ルーシーには補整着を任せてあるから、連れ出せないんだ。今回は我慢してくれ」

「は、はい……、頑張り、ます」


 気合の入った顔で返事をした。

 この辺で手を打とう。歩くのを再開し、俺たちは外に向かった。

 とりあえず、商業広場に向かいながらも、基本的な知識を頭に入れておいてもらうことにする。


「黙って歩いててもつまんねぇな……通貨について、説明しながら歩くか。この国の通貨は、フィルドナレン通貨だ。

 この通貨は金貨、銀貨、銅貨の三種類がある。銅貨十枚が銀貨と同等。銀貨十枚が金貨と同等だ。

 あ、銅貨だけは半銅貨、四半銅貨という割り貨がある。銅貨の半値が半銅貨。半銅貨の半値が四半銅貨だな」


 俺の説明をサヤは黙って聞いていた。

 ちゃんと分かってるか? と、顔を覗き込んでみるが、サヤは簡潔に「はい」とだけ答える。

 ……本当か? 今の説明だけで? そう思ったが、買い物させてみれば分かるか。と、考え直した。


 裏通りから、路地を抜けて表通りに。バート商会の前を素通りして、しばし歩けばすぐに商業広場だ。

 サヤは思いの外、歩幅が広いな。貴婦人方のようにちまちま歩かないから楽だ。

 きっちり一歩半の距離間を保ったサヤは、逸れることなくついてきている。

 さてと。

 俺の視界には、色とりどりの頭髪がひしめいている。

 頭が飛び抜けている俺には、屋台の屋根と、屋台骨に引っかけられた看板がよく見えるので、どこに顔を出すかは迷わない。


「そうだな、まずは……あの店にするか。

 サヤ、右側の屋台列の、三軒先だ。あそこに行こう」


 一歩を踏み出すと、人がすっと、俺で分岐する。

 図体がでかいので人通りを歩く時は楽だ。大抵周りが避けてくれる。

 今日はサヤがいるので、女性方の視線もあえて無視させて頂くことにした。サヤが腕でも組んでくれれば話が早いんだがなぁ……彼女にそれは期待できない。とりあえず、話し掛けてきそうな相手は事前に避ける様にしよう。


 目指した屋台には、すぐに到着できた。

 飾り紐の屋台だが……最悪の展示状況だな相変わらず……。ここの店番は頓着しなさすぎなんだよほんと……。

 飾り紐が、大体の色ごとに分けられ、台の上で団子のように絡まっている。色ごとといっても、赤っぽい。青っぽい。程度の、ざっくりした分けられ方だ。しかも、もつれ合っているのだから、ただの奇怪な塊でしかない。

 うわ、来やがったみたいな顔した店員に、俺は片眉を上げて答える。おお、来たとも。何度も同じこと言われんのが嫌なら、ちょっと手間かけて商品を並べるくらいのこと、いい加減覚えろと思うわけだが、今日はサヤがいるので、控えておく。

 色が分かれる様になっただけマシだしな……。そんな訳で、サヤに声を掛けた。


「サヤ、良いと思うものを、三つ選んでみろ。色も、織りも、好みのものでいい」


 俺の背後に控えていたサヤが、ひょこりと顔を出す。

 俺が一人でないことに、店員がまた女連れかよみたいな表情をする訳だが……今日は小煩いルーシーではないし、交流のあるご婦人方でもない。外套で顔を隠したサヤだったので、身分の良い人のお忍びかと思った様だ。余計な口は挟まないと決めたらしい。ぺこりと頭を下げるだけの挨拶にとどまった。それにサヤも、ぺこりとお辞儀で答える。

 サヤの物色は、まず赤い飾り紐の塊から始まった。暫く眺めた後に、迷いなく一本に手を伸ばす。若干悪戦苦闘しつつ、引き抜いた。

 それは何の変哲も無い様に見える、丸紐だ。両はしは解かれた糸が房状にされて、始末してある。中に一筋だけ白い糸が使われているな…。なかなか良い腕だ。始末の仕方も丁寧な感じだしな……。

 サヤの手元を上から覗き込みつつ、俺はそんなことを考える。

 次にサヤが手にしたのは、白い、編み紐。典型的なやつだな……あまり特徴のない……というか、見栄えのしない……というか……。編み目自体は均等で、綺麗だと思うがな……。

 特徴といえば、等間隔にある細長い穴だろうか……。

 で、最後は更に何の変哲も無い……藤色の、無地の平織り紐だった。

 糸は絹なんだろう。光沢があり美しい。が、細い。先ほど選んだ編み紐の半分ほどの細さだ。感想として述べることができるのはそのくらいだ。


「これで良いですか?」

「おう、じゃあこれな」


 懐から通貨を取り出し、サヤの手の辺りに落とす。

 手渡しすると逃げるかもしれないからな。サヤはちゃんと、落ち切る前に掴んだ。

 それを指で摘んで、まじまじと見つめる。

 銀貨だ。さあ、ちゃんと理解してるかどうか……。


 店番に、飾り紐を差し出すサヤ。手の中のものを広げて見せた感じだ。店番をそれを見て、銅貨七枚半と答えた。


「お釣りは、銅貨二枚と半銅貨一枚ですね」

「……計算は問題無いな」

「このくらいなら、大丈夫です」


 俺の呟きにも律儀に返答して、サヤが銀貨を差し出した。

 店番がホッとした顔で手を差し出すが、俺はそれで済ますつもりは毛頭無い。


「ところで、これに銅貨七枚半は高いだろ、五枚でもぼったくりだ」


 やっぱり来たか! という顔をする店員。おう、覚悟しとけ。

 展示方法が悪い。こんなごちゃ混ぜじゃ、良い物があっても埋もれてしまう。管理方法が悪いから、編み紐に歪みが出てる等、苦言を呈する。店員はげんなりした顔だ。最終的に、銅貨五枚半に落ち着いた。

 原価や手間賃考えれば妥当だな。もっと高く売りたいと思うなら、管理の仕方を考えるべきだ。飾り紐が絡まって塊になっている様では、七枚半の価値は無い。


 選んだ紐を受け取り、サヤがお辞儀をして、屋台を離れる。

 俺はそれを待って、また通りを歩き出したのだが、少し興味があって、サヤに聞いてみた。


「サヤ、因みに、どの紐が一番高いと思った?」


 サヤの紐の選び方は独特だった。

 美しいものはそれなりにあったと思う。平織り紐に、色糸で刺繍してある飾り紐なんて、連れて行く女性が大抵手に取るのだが……サヤはそれに見向きもしなかった。

 一見、服に縫い付けでもするのかというような、細い飾り紐が二本。

 そして、赤い丸紐も、地味といえば地味だしな……。


「え?……丸い、飾り紐かなって……」


 キョトンとした顔のサヤがそう答えてくる。

 ふーん……当たってる。丸紐は織り方が特殊だから尚のことだ。しかも編む途中で歪みやすい。

 同色一本でもそれなりの難易度だ。そこに白い糸が一筋だけ。更に難易度を上げてる感じだ。歪むとすぐ目立つからな。

 なかなか見る目がある感じだ…。


「じゃあ次。

 ………あそこだな。七軒先に、俺の懇意にしている屋台がある」


 また人の波の間を進む。

 歩きながら周りを見渡し、屋台の商品を確認していく。ついでにガラの悪そうな通行人も確認しておき、さりげにサヤの視界から遮断する。

 今日も活気があって良いな。雨季の前は、特に人通りも多く、俺は気持ちが高揚する。

 王都には無い、この雑多とした雰囲気が、俺は結構好きなのだ。

 セイバーンは田舎だからか、人も勤勉で、腕の良い職人が多い。だがやはり、田舎だからか、商売っ気が薄い。

 さっきみたいに、物は良いのに店番の意識が低いってのは典型的だな。街を発展させていこうと思うなら、意識の切り替えが必要だ。

 悪くないと思うんだよな……土地柄も、位置も。なのにセイバーンは、いまいちパッとしない。このメバックはアギー領とも近いのだから、もっと栄えても良いはずなのだ。

 まあそんな訳で、ああやって苦言を呈する、という形で、意識改革中なのである。


「よう、調子はどうだ」


 懇意にしているという店は、装飾品を扱う店だ。

 置いている品数はあまり多くない。猫背の、細い男が一人、木箱に腰を掛け、客寄せするでもなく、ぼーっとしている。俺を見ると、人好きする顔に笑みを浮かべた。


「あ、旦那。毎度どうも。

 調子は良いも悪いもないというか……いつも通りですね」

「客寄せしろよお前……せっかくモノはいいのに売る気ねぇのかって話だろ」

「気になる人だけ見てくれたら充分ですよ。大した量も置いてないし」


 朗らかにそう答えるそいつに、俺は溜息を吐いた。

 性格も良いし、こうして人と喋るのが苦手という訳でもないのに……接客しない。

 品数は確かに少ないが、量があれば良いってもんじゃない。あるものをどう売るかだろうがと、毎回言っているのだが……まあいい、とりあえずサヤだ。

 そいつが言う通り、並べてある品はたったの五つ。

 首飾り一つに、指輪が二つ、髪飾りが二つだ。

 そのうち、今回初めて見るものは二つあった。髪飾りと指輪だ。

 へぇ……今回のも、なかなかのもんだ。

 感心して見ていた俺の横にサヤがやって来て、両手を口元に当てて、驚嘆の声を押し殺す。

 目は隠れて見えないが、その様子はもう丸分かりだった。物凄く、楽しそうだ。

 たった五つでも、見る価値のある装飾品だと、俺も思う。

 サヤもやっぱり女だよな……男装ばかりさせるのは可哀想だ。


「気に入ったのか? どれだ?」


 サヤの視線が一点集中しているように思えたので、そう聞いてみる。

 こっちを向いたサヤの表情は外套の所為で伺えないが、少し逡巡する素振りを見せてから、一つを指差した。

 それは、2(センチ)かそこらの、小さな蝶の連なり。新しく増えた髪飾りだった。

 羽を開いていたり、閉じていたり、そんな蝶が、不規則に繋がっている。金と銀で作られているようで、二色の金属の配置すら絶妙だ。今すぐにでも動き出し、飛び立ってしまいそうなくらいだな。


「すごく、綺麗です……。言葉にできないくらい……渡りをしている蝶ですか?」

「渡り?」

「蝶は、普通単体でしょう?でも集団で鳥のように、海を渡る蝶が、私の国にはいるんです。

 小さな蝶らしいんですけど……そんな蝶を、題材にされているのかなって」


 一つとして、同じ形の蝶がいない。しかも、羽は翅脈が丹念にくり抜いてあり、陽の光の反射を表現しているのか、たまに小さな宝石らしき石が、はめ込まれていたりもする。

 よく見ると、頭の向きは揃っていた。進む方向は一緒……だから、渡りをしていると言ったのだろうか? 結構な観察眼だな。

 美しさを気に入ったのだろうが……渡りをする蝶か……初めて聞いたな。


「へぇ、海渡りの蝶を、知ってるんですかお嬢さん。

 これは、地元のお伽話を題材にしてるんだけど、海を渡る蝶って、本当にいるんだ」


 店番の男が、嬉しそうにそう答える。こいつ自身が手掛けたものだし、題材を言い当てられて嬉しいのだろう。そんな男に、サヤは少し朱のさした頬で、こくりと頷き答えた。


「はい。越冬のために、暖かい地に旅立つんです。

 中には二千キロも飛ぶものがいると言われ……あっ、す、すいませんっ。ごちゃごちゃと喋ってしまって……」


 もしかして、こいつも興奮してたのか?

 態度がおっとりしっぱなしだから気付かなかったが、口数が増えてるし、つい自分の世界のことを口にしてしまっている。それに気付き、縮こまってしまった。

 男はキョトンとした顔だし、なんとも思っていないだろうが、俺は助け舟を出すことにする。これくらい買っても全然釣りがくる。良い具合に消費してくれて嬉しいくらいだ。


「じゃあこれな。幾らだ」

「ぎ、ギルさんっあの……」

「金貨一、銀貨七、銅貨五、半銅貨一、四半銅貨一枚です」

「おお、良い感じだ。相変わらず細かいな。

 サヤ、じゃあこれで、釣りは幾らだ?」


 また通貨を投げて寄越す。今度は金貨二枚だ。

 サヤはまた暫くそれを眺め、逡巡したが、すぐに計算を終えて口を開く。


「銀貨二枚、銅貨四枚、四半銅貨一枚です」

「よし。

 ちなみに、こいつは装飾品の工房の職人なんだ。

 普段は注文のあったものを製作する立場だが、こうやて、趣味と腕を磨く目的で、たまに屋台を出してる。

 なあ、この中で一番高かったのはどれだ?」

「それです。その海渡りの蝶。まいどあり」


 男性は笑って、座っていた木箱を開き、中から小箱を取り出した。

 そして絹布で髪飾りを包み、小箱の中へ丁寧に収めて、俺に差し出した。


「それはサヤのだ」


 横を指差す。

 当然と言うか、サヤは大いに慌てた。


「だ、ダメですっ、そんな高価なもの、私には不要です! も、貰えませんっ」

「まだ足りない。あの意匠を買うっつったろ。お前は金で受け取る気が無さそうだから、物にしてるまでだ。

 サヤの金銭感覚を養いつつ、俺は料金を払える。更に、サヤの審美眼も確認できる。

 こいつも、腕を認めて貰えて収入になる。良い事づくしだろ?」


 そう説明したのだが、サヤはオロオロするばかり。

 俺は溜息を吐きつつ、箱を男から受け取った。正直、まだまだ足りない。あの意匠には金貨で五枚ほどの価格を希望しているのだが、場合によっては更に倍、払っても惜しくない。

 なにせ、上着の意匠だけで、六点、細袴で三点、ホルターなんとかの短衣一点と、盛り沢山だ。懇意にしている意匠師になら、四倍は払う。

 つまりサヤとの取引は初めてであるから、様子見を兼ねて金額も低く設定させてもらっているのだが……それすら受け取ってもらえないと困る。

 そんなわけで、この海渡りの蝶とやらは、サヤに受け取ってもらうしかないのだ。

「これは、俺も良いなと思った。こいつの腕は買ってるんだ。

 もうちょっと力がついたら、暖簾分けできるんじゃないのか?」

「何を言うんだか。俺は接客がからっきしなんで、暖簾分けは無理ですよ」

「だから、接客しろって言ってるだろうが。自分の好きなもん作りたいなら、自立するしかねぇんだぞ?」


 男と雑談をしながら、サヤの手にポンと押し付ける。

 俺が手を離すから、サヤは慌ててそれを受け止めた。受け止めたが困っている……。

 それは分かっていたが、あえて視線をそちらにやらず、男との雑談を続けた。

 因みに、金貨約二枚というこの金額だが、一般の従者の給料とすれば一ヶ月分に相当する。

 サヤの意匠にどれほど価値があるか、察して頂きたいものだ。

 そんな感じで接客方法を伝授することに専念していたのだが、サヤが勇気を振り絞ったのか、俺の袖を引いてきた。

 やっぱり目が遠慮しているので、サヤが口を開く前に、釘を刺しておく。

 何もサヤの為だけにしてるんじゃない。こっちにも利点はあるんだ。


「サヤ、これは、こいつの為でもある。

 いくら精巧で素晴らしい細工でもな、俺が買ったんじゃ意味ねぇんだ。

 使ってくれる奴が持たなきゃ、価値が無い。

 サヤは、これを大切にするよな? 使ってみて、思うことがあったら、またこいつにそれを教えてやってくれ。それが腕を上げる助けになる。

 俺が買って、女に貢いだところで、貰い物貶す女はいないだろ? それで終わりになっちまったんじゃ、こいつの為にならねぇんだよ」


 俺がそう言うと、サヤは口を閉ざした。

 薄い紗の生地越しに、見開かれた目が微かに見える。

 な、なんだよ……? その目がなんか、やたらキラキラとしてみえた。

 サヤは視線を俺から離し、手の中の小箱を見て、何か思案する素振りを見せる。振り返って、自分が歩いてきた方向を見返した。そしてまた俺を見る。

 今までと何か違う、視線だった。なんというかその……面映ゆい感じのやつだ。

 言葉にするなら、感動した! 的な。なんなんだ、その視線は……?


「あの……お名前を、教えて頂けますか」


 そのむず痒くなるような視線を俺から離したサヤが、男にそう声を掛ける。

 おお、サヤが自分から男に話し掛けた……。

 すると「俺のですか?」と、そいつが素っ頓狂な声。

 その後若干狼狽えて俺を見たから、小さく頷いておく。教えてやれば良いだろ。将来の顧客獲得になるかもしれないんだし。


「ロ、ロビンです……」

「ロビンさん……。ありがとうございます。これ、大事にします」

「あ、はい……どうも……」


 受け取ってくれる気になったらしいな。そりゃ、良かった。


「じゃ、次行くぞ」


 挨拶して屋台を離れる。サヤはぺこりとお辞儀をして、後に続いた。

 ん?

 横を見る。サヤが横にいる。距離は一歩ぶん、開いてはいるが……。

 胸の前に両手があり、先ほどの小箱と飾り紐を大事そうに握っている。

 俺の視線に気付いたのか、こちらを見上げてきて、ふんわりと笑った。

 …………。

 うん、まあ、顔の半分が見えなくて何よりだった。

 目が見えてたら、抱きしめたくなるほどに愛くるしかったと思う。

我慢できずあげてしまいました…きりが悪い気がして…ううぅ。

次の書き込みは来週日曜日です。

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