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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十一章
325/515

逢瀬 2

 俺の言葉に、身を固めたサヤ。

 俺は緊張をほぐすように、その固まってしまったサヤの背を、ポンポンと叩いてあやす。


「今すぐってことじゃないよ。

 話せる時が来たら……話してくれたら、嬉しい。

 辛い経験が、簡単に口にできることじゃないってことは、俺自身が身を以て知ってるから、いつになっても良いんだ。

 ただ…………。事件のことは、ともかく。

 サヤは他にも沢山遠慮してるだろう? それはもう、気にしなくて良いんだって、先に伝えたかった」


 腕の中の愛しい人を抱きしめて、俺はもう一度、同じ言葉を口にした。


「もう、俺に遠慮しなくて良い。話したい時に、話したいことを言葉にすれば良い。

 思い出して良い。寂しい、会いたいって、言ったら良い。帰りたいって、言ったら良い。それが俺を責めることになるなんて、考えなくて良い。

 我慢しなくて良い。笑って誤魔化さなくて良い。カナくんのことも、飲み込まなくて良い。言葉にしたら良いんだ。

 思うままを、思うままに口にして良いんだ……。何一つ、取り戻してやれないけど……故郷に帰してやることも、できないけど……俺は全部を受け止めるし、その寂しさを埋められるように、努力する。大切にするから」


 苦しかったろう。

 思い出していたに違いない。

 比べなかったはずがないのだ。

 お互い好き合って、恋人同士になったはずの二人なのだから。

 俺と並んだ時、手を繋いだ時、唇を重ねた時……。

 カナくんとしたかったこと、できなかったことを、その都度思い出していたはずだ。

 そうして、俺に何かひとつを与える度に、与えられなかったことを、カナくんに申し訳なく感じていたのだと思う……。


「サヤの大切な人だって分かってたのに……サヤが俺を気にして口にしないようにしてるの、分かってて触れなかった。

 嫉妬して、そう仕向けてた。

 ごめん、本当に……今日までずっと、苦しめてたと思う」


 大切に決まってる。

 忘れられないに決まってる。

 捨てられなくて当然なんだ。

 だって、辛い記憶だって思い起こすに違いないのに、それでも手放さずにいた気持ちなんだから。

 これからだって、ずっと大切にしなきゃいけないものだ。

 サヤをサヤたらしめたもの。

 サヤが、サヤの世界から持ち込めた、数少ないもの。

 彼女がずっと忘れない、覚えておくのだと言っていたもの。

 共に歩むと決めたのだから、俺だってそれを、大切にしなきゃいけなかった。


「サヤの全部を大切にする。

 それは、サヤが今まで過ごしてきた時間も含めて、全部だから。

 サヤの辛い経験も。カナくんと過ごした時間も含めて、全部だから。

 だから、知りたい。

 サヤが言葉にできると思った時で良い。

 サヤの世界にいた時のサヤを、俺にもくれたら嬉しい」


 腕の中で、動きを止めたままのサヤ。

 今更何を言うのだろうって、思ってる?

 うん……本当、今更だと思う。

 ずっと勇気を持てなくて、自信を持てなくて、今だってそんなもの、無いに等しいのだけど……。

 今からだって、きっとカナくんへの嫉妬心は捨てられない。聞く度に、歯痒く思うのだろうけど……。


 サヤを大切にしたい気持ちだけは、誰にも負ける気は無いから。


「好きだよ」


 どんなサヤでも全部好きだ。

 サヤは頑張り屋で、いつも前に向かっていて、まるで太陽を追いかける向日葵のようだと思う。

 だけど、ずっとそうして、頑張ってなくても良いんだよ。

 俺の前でくらい、弱音を吐いたらいい。

 俺の前でくらい……弱くなって良い……。脆くなって良いんだよ……。


 腕の中のサヤが、身じろぎしたので腕を緩めた。

 すると、頭巾を目深に下ろしたままのサヤが、身を起こす。

 何も言わなかったけれど、頬を伝う雫に、彼女の今までの苦しみが見えた気がして、唇を寄せてそれを吸い取った。

 こんなに人のいる往来で、こんなことしたら怒られるかなと、やってしまった後で気付く。

 しまった。この衝動で動く癖もどうにかしたほうが良いかもしれない。

 そんな風に思っていたら、頬に触れる指の感触。

 サヤの手なのは、感覚で分かり、そのまま近付いてきた影に、視線を上げると、眼前に…………。


「さ…………」


 名を呼ぶ前に、唇が塞がれた。

 いつもの啄む口づけではない、もっと、熱くて、深いもの。

 目深に被った頭巾で顔は見えなかったけれど、そんなことは瑣末ごとだった。

 未熟な俺は、すぐに頭に血が上ってしまう。サヤが自らが俺にそうしてくれたのだと……そう思っただけで、もう気持ちが振り切れてしまったから。


 力加減も忘れ、頭巾ごと頭を抱えて、腰を抱き寄せた。

 絡め取ったサヤの舌に、自分のものを擦り付けて、サヤの口内に潜り込む。

 彼女の気持ちいい場所はもう知り尽くしてる。

 そこをひとつずつ丹念に愛でて、愛しいのだと刻み込んだ。

 熱い吐息。震える指先。嫌悪感からではなく、愛撫に翻弄されているのだって、知ってる。

 サヤは初心で、何度こうしても慣れない。

 そのうち手が拳になって、力無く俺の肩を叩いたから、名残惜しいと思いつつも唇を解放した。

 すると、紅が掠れ、唾液で濡れてしまった艶やかな唇から、必死の抗議の声。


「……っ、やりすぎ……っ」

「ごめん……つい……」


 どこか呂律まで怪しくなってるサヤの声が、揺れている。

 そのまま気力の限界であるみたいに、俺の肩に頭を預けてしまった。


「あほうっ、おうらいやのに、はずかしぃのにっ」


 場所、覚えていたのか。

 でも自分から促したのだと自覚しているのか、言葉に勢いが無い。

 分かってるのに、俺にこうしてくれたのか……。

 そう思うと、もう堪らなかった。

 言葉で何を言うよりも、普段なら絶対にしないに違いないのに、人の目のある場所だと分かってて、気持ちを行動で示してくれたことが、嬉しかった。


 そのまま抱きしめて、なんて愛しいのだろうかと、その存在を噛みしめる。

 サヤは恥ずかしいと言いつつも顔を上げず、そのまま俺にしがみついて、動かない。

 頭巾で隠れているけれど、きっと、耳も、首も赤く染まっていると思う。

 知ってる。何度も見たから。瞳を潤ませて、どこか悔しそうに、恥ずかしそうに、唇を戦慄かせているのだと思う。

 その表情を隠すために、俺にしがみついているのかな。


 …………。

 ……………………。

 あっ、察した。


 これ、恥ずかしくて顔を上げられないやつか。


 周りを見渡してみるけれど、別段誰かに注目されているということもない。

 だって、すぐ近くには踊りの輪があり、恋人同士となった者たちだってそこら中にいるわけで。

 正直口づけなんて、挨拶程度の扱いだ。


「……大丈夫、全然目立ってないよ」


 そう言ったのだけど、何故かサヤには拳で胸を叩いて抗議された。いや、ホントだって。


「わっ、私の国では、こういうのんは、人前でしいひんの!」

「うん。分かってるよ」

「…………ちがう、キスだって、しいひんのに、こっちはもっと、しいひんの!」

「キス?」


 問い返したけれど、返事は無い。

 何故か俺にしがみつく手にグッと力がこもり、限界値を超えてしまった恥ずかしさに苦悩するみたいに、サヤは押し黙ってしまった。

 そうして、暫く待っていたのだけど……。


「教えへん!」


 最後にそう、力強く宣言。

 …………。


 モヤっとした。


「…………最近サヤ、教えてくれないことが増えた……」


 イケズも、イロカも、キスも駄目って言うの?


「前は直ぐに教えてくれたのに……秘密が増えた」


 ついそう愚痴ってしまったら、ガバッと身を起こしたサヤが、抗議の声を上げる。


「レイ、さっき、言いたくないことは言わんでええって、言うた!」

「そ、そんなこと言ってない! 今じゃなくて良いって言っただけだ!」

「せやから今は教えへんって言うてる!」

「狡い! サヤの言い方なんか狡いと思う!」

「狡くないもん!」


 ついそんな感じで言い合いになってしまった。

 暫く押し問答をしていたのだけど、視線を感じて顔を上げたら、周りの恋人たちがこちらを注視していることに気付いてしまった。

 視線を向けていない人たちも、何故か黙って動きを止めていて、耳に意識を集中しているのだと気付く。


「………………場所を変えよう」

「う、うん」


 慌てて立ち上がって、手拭いを回収するサヤの袴を手で払い、付いていた砂を落とした。

 極力周りを見ないようにして、急いでその場を離れる。

 顔が熱い。今日はなんだってこう……なんか逃げてばっかりだ。

 慌てすぎたのか、石畳に躓いて、少しよろけたサヤの腰を反射で抱き寄せたら、ひぁっ⁉︎ と、小さな悲鳴。

 勢いのまま俺に縋り付いてしまったサヤが、はっと顔を上げる。

 色付いた頬が、頭巾から垣間見えていた。

 熱にのぼせ、潤んだ瞳が、唾液で濡れた唇が、俺の眼前に迫っていて、視線が絡んで息を飲む。

 ぐらりと気持ちが煮立つのを感じ……咄嗟に、ずれ落ちかけていた頭巾を掴んで、サヤの顔の前に引き下ろした。


「お、おおきに……」

「う、うん」


 やばい。衝動が……っ。

 だってサヤが、なんかいつも以上に、い、いろ…………っ考えるな!


「レイ?」

「なんでもないっ!」


 サヤの身体を俺自身から引き剥がして、衝動を抑え込んだ。

 俺が危険だ。

 だけど、手を離してしまうのは……サヤをひとりにしてしまうのは、もっと危険だ。


 手を、指を絡めるようにして、握った。

 そして視線を逸らしたまま、とりあえずまだ通ってない場所を目指して足を進める。

 進めてみたものの…………どうせサヤには伝わってるよなと、思い直す。

 俺がサヤに良からぬことを考えたの、きっと全部、伝わってる……。


「…………ごめん、今ちょっと…………っ、怖かったら、ホントごめん……」


 だけど、手を離してしまうのは、もっと危険だから。


「絶対、何もしないから、ごめん、手だけ離さないで……。

 暫くすれば、落ち着く。落ち着かせる。ホントごめん!」


 まだグラグラ煮立っている衝動を、気合いで捩じ伏せにかかる。

 あれ以上に何を求める必要がある?

 サヤは、この上ないくらい、俺に与えてくれてる。

 不誠実なのは良くない。俺はまだ成人前!


 いつもの心よ凪げを全力で唱えながら、必死で前を見続けた。

 そんな俺に引っ張られながらサヤは……。


「……大丈夫。レイは、怖ぁないから」


 気を使ってくれたのかもしれない。か細い声で、そう言った。

 振り返れなかったから、サヤの顔は見ていない。

 だけど、俺が無理やり握った手に、キュッと力がこもり、離さないと、行動で示してくれたから……。

 俺はホッと安堵しつつ、とりあえず平常心を取り戻すことに専念した。



 ◆



 あまり遅くなるのは良くない。

 昼間から酔っ払いは多かったけれど、夜ともなると、箍の外れた連中が増えるだろう。

 少しサヤが疲れた様子を見せたこともあり、俺たちは日が暮れる前にバート商会に戻った。

 夜市の時を思えば、随分と長い時間を共に過ごしたと思っていたのだけど、迎えてくれたギル的には、少々ご不満な帰還であるらしい。


「もっとゆっくりしてくりゃ良かったのに……まだだいぶん時間、残ってるぞ?」


 祭りはこれからだろ。といった顔。


「後はここでゆっくりするよ」


 文句を言うギルにそう言い、着替えるために一旦部屋に戻る。

 サヤにも身繕いがあるだろうから、後でまた部屋においでと伝えた。

 もうここが限界だって。昼間はまだあれだけど、夜間ともなれば目のやり場に困る連中だって増えるんだから……サヤの目と耳には毒でしかない。

 それにその……俺だって色々、忍耐を問われかねないではないか。


「どうだった?」


 部屋に戻る俺に付いてきたギルは、そんな俺の心情など知るよしもない。

 だから軽い感じに、俺にそんなことを問うてきて、どう答えたものやらと少し言い澱んだのだけど……。


「あっ、西の通りの精肉店! あそこ、今はイェルクが兄弟で装飾品店やってた!」

「イェルク……って、ヨルグの弟のか?」

「そう! ヨルグと兄弟で暖簾分けしたって! 今日はヨルグはお休みで、イェルクだけだったんだけど」

「マジか⁉︎」


 ヨルグ兄弟は、学舎で一緒だったのだ。イェルクの方は途中で退学してしまったのだけど、ヨルグはギルと同学年で、ギルが卒業した年に、同じく卒業だった。

 学舎は留年せずに卒業するだけで結構凄い。上の学年に行くほど進学が難しくなるため、途中でひっかかる者がとても多いのだ。

 そんな中で、留年せずに最後まで進学できた、数少ない人物だったし、ギルとつるんでいた俺は、必然的に関わることも多く、よく話もしたし、王都出身者だったから、長期休みなどは共に遊ぶことも多かった。

 イェルクの方も、途中までシザーと同学年だったから、俺もよく知っていたのだ。


「本店は一番上の兄が継いだって。それで二人で資金を貯めて、暖簾分けしたんだって。ただまぁ、立地が良い分、家賃が大変みたいだな」

「まぁなぁ……二人で共同経営するにしても……。

 ……あぁ、それでサヤが見慣れない首飾りを身に付けていたと……」


 うっ…………。


「お前にしちゃ気が利いてると思ったんだが……。

 ははぁん、イェルクの入れ知恵ってわけか」


 ニヤニヤと笑うギルから視線を逸らす。

 図星すぎて言葉が返せない……。


 帰り道にたまたま覗いてみたら、なんだか見知った顔が店番しており、つい記憶の名前を呼んでみたら「……誰?」と、訝しげに首を傾げられてしまった。

 しかしサヤが「学舎のご友人ですか?」と、俺に聞いたことで、あちらも記憶が刺激された様子。


「えっ、嘘っ⁉︎ まさかレイ様⁉︎ あれっ、灰髪じゃなかった? って、何その身長、伸びすぎ⁉︎」


 と、なったのだ。


 それで、婚約者との逢瀬の帰りであることがバレてしまい、道中で贈り物の一つもしてないってどういうことだと言われ、ついでに見ていって、お願いします! と、懇願された結果……そういうことになった……。


「お前が選んだにしちゃ洒落てたな」

「うん、まぁ……あそこに落ち着くまでにひと騒動あったけど……」


 祭りの最中であるし、店内に客は無く、俺たちだけだったため、サヤが陽除け外套を外したのがまずかった……。

 黒髪に驚かれ、耳飾に驚かれ、物凄い勢いで食いつかれた。

 異国の者で、耳飾もそちらの装飾品なのだと教え、もしどうしても気になるなら、セイバーンの拠点村で仕入れられると伝え、とりあえず納得してもらった。

 その折に、艶やかな黒髪には絶対にこれ! 間違いなく似合うから! と、勧められた首飾りをそのまま購入。

 小粒の黒い宝石や硝子珠を、刺繍の飾り紐のように連ねた逸品で、確かに美しかったのだ。


「小粒でもあれだけ集めりゃ手間だったろうし、結構したんじゃないか?」

「金額より……確かに良く似合ってたから……。

 それに小粒、あまり人気が無いそうだよ。上位貴族相手だとどうしても見栄えが劣るしな」

「はん。んなのは見せ方次第だと思うがなぁ」

「王都の貴族はどうしても上流意識強いしなぁ。仕方ない部分もあると思うんだけど」


 ヨルグの実家は装飾品店なのだが、実家であまり使い道のない、研磨後の欠片を利用した小粒の宝石を安く譲ってもらい、それを加工していると言っていた。

 元々使い道が少なく、最終的には捨て値同然で売るか、破棄するしかないその小粒の宝石を上手く利用できないものかと模索し、あの店を立ち上げたらしい。

 とはいえ、商人や富裕層の客はそれなりに掴めたものの、あてにしていた貴族との縁が思いの外育たない。

 そのため目標の売り上げを得るに至らず、苦戦しているという感じだと思う。


「まあ元気そうで良かったよ」

「そりゃ、あっちがお前に思ってることだと思うぞ」


 そう言われ、苦笑する。

 それは帰りがけに、イェルク本人に言われたことだったから。


「明日は兄貴と交代してるから、良かったらまた覗いてよ!」


 と、笑顔で見送ってくれたのが、嬉しかった。


 そんな風に話をしている間に、俺の身支度はハインにより着々と進められた。

 ハインもヨルグたちのことは覚えていると思うのだけど、頓着しない様子で特に何も言わない。

 後でシザーにも教えてやろう。


「ところで他の皆は?」

「交代で休憩」

「そうか、良かった」


 俺たちだけ祭りを堪能してくるっていうのも気がひける。放り出されたから伝えてなかったけれど、皆も楽しんでくれていたなら良かった。


「ハインとギルは?」

「興味がありません」

「俺はどうせどこかでルーシーに付き合わされる……」


 ハインはそうだろうなと思っていたのだけど、ギルはギルで大変だな……。

 この一家は見栄えが良すぎて、一人歩きは害がありすぎる。メバックみたいな田舎ならともかく、王都では二人とも異性に集られるから、一緒にいる方が安心、安全なのだろう。


 それから暫くは部屋で寛いだ。

 髪を三つ編みにしたかったのだけど、サヤがなかなか来ない。ハインでも三つ編程度ならできるのだけど、サヤにしてもらってください。と、素気無くあしらわれてしまったため、下ろしたままの状態だ。

 サヤ遅いな……と、思っていたら、どうやらルーシーに遊ばれていたらしい。


「レイ様! 見てくださいなっ!」


 満面の笑顔のルーシーに引っ張って来られたサヤは、それはそれは美しく飾られていた。もう、目一杯。


「恥ずかしいって、言ったのに……!」

「えええぇぇ、だって今日は特別ですよ? レイ様のお誕生日ですし、贈り物はサヤさんなんですし?」


 贈り物はサヤ。

 という、問題発言。


「ルーシー言い方!」


 言葉の選び方が、間違ってる!

 それじゃあ良からぬ連想しかねないだろう⁉︎

 ていうか、そう思ってしまってる時点で俺がもう良からぬ連想してるってことなんだけど!


 見てられなくて両手で顔を覆った。

 だ、だって、その服装にその言葉は、駄目だろう⁉︎

 だってそれは……!


「凄く綺麗な首飾りだったので、いっそのこと白と黒で纏めようと思って!」


 えへんと胸を張るルーシー。

 悪気が無いのは分かっていた。だってルーシーは、サヤの世界の婚姻を知らない……。

 だから、サヤをそんな風に着飾らせたのは、ルーシーの思い付きなのだろう。

 でも俺は、前にサヤの国の婚姻について聞いていた。全身を白で統一して装飾するのだと、憧れに頬を染めて語るサヤを見ていたから……その姿が花嫁姿に見えて仕方がないというだけの話で……。


「あれ、レイ様どうされました?」


 ……今更⁉︎


 顔を手で覆い、俯いている俺にやっと気付いた様子のルーシー。

 俺は大きく溜息を吐いた。


 見ての通り困ってる。

 全身を白と黒で統一されたサヤに、困っている……。察して、お願い……。

 ルーシーには言うだけ無駄かもしれないけど……。


 首飾りは黒いし、腰帯も濃い灰色であったけれど、他は純白のサヤ。

 黒髪は側面の一部のみが下ろされており、後頭部は編み込まれ、高く結わえて纏められていた。

 黒の首飾りが目立つようにと選ばれたのだろう短衣は、飾りの無い簡素なもの。

 上着は綴れ織りで、簡略化された花模様が浮き上がって見える。この布地、手間が掛かるので結構な高級品だ。

 袴も簡素ではあったけれど、部分的に刺繍が施されていて、それが動きに合わせ、光の加減で浮かび上がる。

 化粧も直され、目元と唇が赤く強調されていて、蜜でも塗ってあるのかというほどに潤んだ唇が、なんというかこう……い……っ、大人びて見えるというか…………!

 って、あああぁぁ、結局俺、サヤの姿を目に焼き付けてる…………っ。


「目の毒だったみたいだな……」


 呆れた声音でギルが言う。


「ええっ、お祖母様は大絶賛だったのに!」

「いや、そりゃよく似合ってるけど……こいつのこの反応を見ろ」


 どうせ俺のことあげつらうのだって分かってたけど!


「き、着替えて来ます!」


 咄嗟にそう叫び、踵を返したサヤだったのだけど、その腕はギルに掴まれ、阻まれてしまった。


「まぁ待てサヤ。ルーシーの言う通り、今日は特別なんだし。別にこいつも嫌がってるわけじゃない。

 もちろん綺麗だって思ってんだろうけど、他の目がある場所で、お前を褒めるのが恥ずかしいってだけだ。

 ……酒が入ればその辺どうでも良くなるんだろうけど」

「悪かったよ昨日は!」

「そういうわけだからルーシー、俺たちが野暮。出るぞ」

「はーい!」

「では私も失礼します」

「ハイン⁉︎」

「サヤ、レイシール様の御髪をお願いします」

「ハイン、お前俺の声は完全無視か⁉︎」


 無視された。


 結局部屋に二人きりにされる羽目になり、皆は俺が過ちを犯せば良いと、本気で思っているのではないか……と疑った。

 …………いや、どうせ俺にそこまでの度胸があるなんて、誰も思ってないよな……。

 だけど俺はさっき、サヤに対して邪な衝動を抱いてしまった後だし、だから余計、下手なことはできないというか……ううううぅぅ。


 でもこうして、顔を伏せていたって何も始まらない……。

 指の間からチラリと見ると、まるで大いに場違いだと思っているような困りきった顔で俯いているサヤがいた。

 せっかく綺麗なのに、縮こまって所在無げに。

 居た堪れないのか、手は袴を掴み、そこにしわを寄せてしまっている。

 これは、似合わないのにって、思ってる顔だ……。


「……似合わないなんて、思ってない。

 本当に、似合ってるし綺麗だよ……ただ…………サヤのそれは、俺には花嫁姿かと思えてしまって……その……ごめん…………」


 黙っていたら、誤解を招きそうで、それも怖くて……。

 直視できないのは、そういう理由で、サヤが悪いんじゃないと、正直に伝えた。

 三年先だと決めているのに、気持ちが揺さぶられて、決心が鈍ってしまいそうで、怖いのだ。

 だのにサヤは、別のことに驚いた様子。


「お、覚えてたんですか⁉︎」


 半年以上前に、チラリと話しただけのことを、覚えていたのかと……。


「そりゃ覚えてるよ。

 サヤと話したことは、だいたいなんだって全部、覚えてるよ……」


 忘れるわけがないではないか……。

 うっとりと、記憶の中の花嫁姿に頬を紅潮させていたサヤは、とても麗しかったのだ。

 だから今の姿が俺にとっては……。サヤの憧れる花嫁姿を、正しく知らない俺にとっては……、本当の花嫁に、見えてしまう……。


「ち、違うんですよ⁉︎ 花嫁は全身白なので、こういうのじゃなく……!」

「分かってる。白いドレスに白いブーケ。装飾品も白で、頭にはヴェール……って言ってたろ?」


 ドレスが礼装であることは分かってる。ブーケは花束だって言ってた、ヴェールが薄絹のことだよな。

 なら、今のこの姿で、首飾りを真珠に変えて、花束を握らせ、陽除け外套を纏ったサヤは…………。

 そう考えると、胸が高鳴った。考えまいとしているのに、思考が切り離せない……。

 いつしかサヤに魅入っている……。駄目だと分かっていて、三年後だと何度も自分に言い含めているのに、熱が、頭を上気(のぼ)せさせる。

 あんな装いのサヤと、三年後俺は、婚姻を結ぶ……。


「お酒を酌み交わしたり、揃いの指輪をつけたり、誓いのキスを……する……んだよな?」


 ふわふわとした思考で、諳んじていたサヤの言葉を反芻していたら、今日も聞いた言葉が出てきた。


 キス……。

 そういえば、キスという言葉は、ここでも耳にしたのだった。

 なら……、キスというのは……きっとこれだ。

 サヤの、赤く艶やかな、(なまめ)かしいほどに潤んだ唇に、視線が吸い寄せられる。


「……サヤ、キスって……口づけのこと?」


 十中八九、当たりだろう。

 そんな風に思いながら、そう聞いたのは、ちょっとした悪戯心…………。

 最近秘密を増やすサヤへの、牽制程度のつもりだった。

 サヤが悪意をもって意味を隠しているだなんて風には思っていない。

 恥ずかしいとか、言いにくいとか……さしたる理由ではないことを、伏せているのだろうと、そんな風に考えていたから。気軽に、聞いてしまった。

 けれどそう問われたサヤは……。

 サヤは耳まで真っ赤になり…………次の瞬間、限界を超えてしまったとでもいうように、ほろりと涙を零す。


 …………えっ⁉︎ な、なんで⁉︎


 唖然とする中、唇を戦慄かせ、羞恥に耐えかねたとでもいうように、その場にぺたんと蹲ってしまった。


「これ聞くのってそんなに駄目なことだった⁉︎」


 全力で拒否してたのって、そんな、泣いてしまうほどのことだったの⁉︎


 浮かれた気分は吹き飛んだ!


 俺の叫びにもサヤは無言で、両膝に頭を伏せたまま。

 更に両手で顔を覆い、グスッと、鼻を鳴らしだして、彼女の涙がフリでもなんでもないことを、嫌でも理解した。

 ほ、本気泣きだ……これは、聞いたら駄目なやつだ!


「ご、ごめんっ、もう言わない、聞かない! サヤが意味を言っていいって思う時まで、言わなくていいから……ごめん、ホントごめん! サヤ、泣かないで⁉︎」


 必死で謝り倒す。全力で。

 儀式の一環だし、言っちゃいけないってそういう……儀式の重要なことだったのかもしれない!

 だからモヤっとする、この違和感からは目を逸らせと自分に言い聞かせた。


 キスだって、しいひんのに、こっちはもっと、しいひんの


 ()()()。って……?

 キスが口づけなら、こっちは、何を指してる? って…………。


 ……………………………………。


 あの状況に答えはあるはずなのに、分からない。

 サヤを泣かせてしまうほどのことが、全然、想像できない…………っ。

 と……っ、駄目だ。とにかくこの思考ごと捨てろ。考えない!

 サヤを泣かせてまで知らなきゃいけないことじゃなかったんだ。ほんの、ちょっとした出来心……。


「サヤ、本当にごめん。

 ふ、触れても……大丈夫?」


 何も言わないサヤの背中にそっと触れ、拒否されていないことを確認した。

 そして抱き寄せる。

 本当、今日はとんでもない誕生日だ……。初めから、終わりまで、サヤを困らせてる。とんでもない、十九歳の始まりだ……。


「…………ごめんサヤ、待つって、大切にするって言ったのに……」


 気持ちは空回って、大切にするどころか、さして拘ってもいないことでサヤを追い詰め、泣かせてしまうとは……。


「べつに、絶対今知らなきゃいけないとか、思ってるわけじゃなかったんだ。

 ただその……ひ、秘密にされると余計、気になっちゃうっていう……その……子供っぽい理由だった、ごめん。

 サヤが言える時で良い……もう、急かしたりしない……ごめん、本当に。な、泣き止んで、お願い…………」


 花嫁みたいなサヤを罪悪感いっぱいで抱きしめている自分が不甲斐なくて、申し訳なかった。

 こんな状況なのに、腕の中のサヤの姿に胸を高鳴らせている自分にも、幻滅した。

 俺ってどうしてこう…………なんかもう、ほんと、ごめん……。

いつもご覧いただきありがとうございます。今週の更新、開始でございます!

今回は二話分ほど書けているので明日が出勤でも気持ちが楽!

というわけで、今週も三話目標に頑張っていこうと思います。

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