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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十一章
315/515

戴冠式

 一通りの挨拶を終えて、部屋の隅に戻ると、女近衛も挨拶に回っている様子で、サヤの姿はそこに無かった。暫く冷めたお茶を飲みつつ待機していると、リヴィ様方と共にサヤも戻って来て、こちらに走り寄ってくる。


「大丈夫でしたか」

「問題無いよ。サヤもお疲れ様」


 そう言って迎えると、ホッとしたように薄く笑う。

 その肩をポンと叩いて労い、リヴィ様も席に戻った。


「レイ殿は、結構な洗礼を受けていた様子ね」

「そうでもありませんよ。あれぐらいなら微風程度です。

 俺よりも、女性方の方が、風当たりも強かったのでは?」

「父の姿がある場所で、私たちをあしらえる猛者はそうそういらっしゃいませんわ」


 暫く待ってから挨拶へ回る……とおっしゃっていたリヴィ様が、アギー公爵様の到着を待っていたのだと、それで知った。

 アギー公爵様がはしゃいでいる様子だったのは、娘に頼られていると知っていたからだろうか?

 社交界ではリヴィ様、アギー公爵様に結構辛辣な対応をなさっていたものなぁ……。


 そんなことを考えながら、残りの時間を潰していると、準備が整ったことを使用人が知らせてきた。

 ここから国王様、そして姫様との謁見。そうしてから、戴冠式へと向かうことになる。

 護衛任務に移る女近衛はここで一旦お別れ。心配そうにするサヤに、大丈夫だよと伝えた。


「俺の守りはちゃんとここにあるから」


 襟飾を示すと、頬を染めて少し笑う。

 その表情が愛らしくて抱きしめてしまいたい衝動に駆られたけれど、今は我慢と自分に言い聞かせた。


「サヤも、大変な任務だろうけど、頑張っておいで」

「はい。でも約束は、忘れないでくださいね?」


 念を押されたことに苦笑をし、それでも頷くと、満足した様子。先に進んでいた同僚たちを追って、走っていく後ろ姿を見送った。

 そうしてから俺も、謁見の間までの別の道を、集団に紛れて進むため、踵を返す。


 暫く一人で歩いていたのだけど……。


「サヤと婚約したのだと聞いた。おめでとう」


 と、背後から声。振り返るとルオード様だ。一人歩く俺を、気遣ってくれたのかもしれない。

 ルオード様は、護衛任務に就かなくてよいのだろうか?


「ありがとうございます。あの……ルオード様は?」

「総長、副総長は護衛には回らない。式典に参列するのでな。

 レイシールにも、後で総長を紹介しよう。とても良い方だから」


 俺に並び足を進めつつ、そんな風にルオード様。

 総長……先程挨拶だけは済ませた。これといった特徴のない中年男性だったのだけど、ルオード様が人柄を認めているならば、信頼できる方なのだと思う。


「ユーズ様はお元気ですか」

「ユーズは転職だ。あれは近衛を辞し、家令に任じられた。姫様をどやしつけられる数少ない人物だからね」


 ユーズ様も相変わらずである様子……。

 だけど、こうやって極力信の置ける身内を近くに固めようとする状況……やはり姫様も、苦労されているのだろう……。

 公爵四家も姫様の王位継承に賛成したと言うが、それはあくまで王位を継ぐということに関しての賛成であって、政治に介入することまでを認めているとは限らないしな……。

 なにより姫様には病があり、王家唯一の、子を産める女性……。まずはそちらを優先しろと、聞きたくないほどに聞かさせていることだろう……。


 そんな風に話をしながら謁見の間に移動した。

 皆でぞろぞろと中に入ると、現在在任中と思われる役職に就いた方々も中にいらっしゃる。

 この代替わりでも引き続き役職に……という方はあまり多くない様子だ。現国王の治世は比較的長かったし、共に引退……という方も多いのだろう。


 そんなことを考えていたら、スッと前列のアギー公爵様らが頭を下げたので、俺も慌ててそれに倣った。

 すると、扉横に控えていた唄女(うたいめ)たちが経典の一節を旋律にのせて歌いながら、扉に手を掛ける。


 御成りだ。


 鼓動が早まったのが嫌でも分かった。

 あまり意識しないようにしていたつもりだったけれど、既に手が、じっとりと汗ばんでいる……。

 まぁ、そうだよな。意識しないでいられるくらい神経が図太かったら、俺はこんな風ではないか。

 国王様の望みを、俺は絶った。彼の方は、俺のこの所業をどのようにお考えなのだろうか……そんな風に思ってしまう。

 正直、まさか実際お目にかかることは無いと思っていたから……こうして、同じ場所で、時間を共にすることなど、無いと思っていたから……俺は、国王様の望みを切り捨てることを選んだ。知らないどこかの誰かだったから、躊躇無く、姫様を選んだ……。

 姫様の願いであったとはいえ、国王様が、人生を賭けて守ってこられた、唯一残った娘を……彼の方の望まなかった戦場へと立たせる道を、俺は…………。


 カツン……と、硬い音がした。

 暫くすると、また。

 あまり規則正しくない。不意に音が乱れたりもする。杖をつく音だと思うが、最後尾で頭を下げた俺の視界に、杖の主は遠かった。

 そうしてその不規則な音がゆっくりと近付いてきて、衣擦れの音……とさりと、重いものが置かれる音……。


「面を上げよ」


 聞き取りにくい、嗄れ声。音以上に、力が込もっていないことに、正直愕然とした。

 前方から、頭を上げる方々に倣い、俺も視線を前にやると、豪奢な椅子に腰かけた、白く細い人……その右隣には、王妃様と思しき女性、左隣にやはり白い、姫様がいた。

 王妃様はアギー公爵様の妹君であったはず……確かもう、五十を超えていらっしゃったと思うが、そうは思わせない、若々しい方だ。

 それ故に…………。

 まるで……まるで枯れ枝のように細く、やつれた国王様が……王座に崩れるように座る姿が、胸を抉った。

 まだ、父上とさして変わらぬお歳であるはずだ。王妃様の方が、ほんの少しだけ年上で……。なのに、俺の眼に映るのは、まるで朽ちかけた老人のような姿。

 ただそうしていることすら、お辛いのかもしれない……。少し横にかしいで、肘掛けに縋るようにして……。

 姫様は、随分と良くなったと、そうおっしゃっていたはずだ。


 これでか。


 そう思うと、ぶわりと罪悪感が、胸に膨れ上がってきた。

 こんなに消耗された、身を削って今日まで耐えてきた方に、俺は……っ。

 雨季に王宮を離れ、セイバーンまでやって来た姫様が、どれほどの覚悟でそうされていたか、それを追ってきて、怒鳴り付けたリカルド様が、どんなお気持ちでそうされたか、俺はちゃんと分かってなかった。理解していなかった!


 目頭が熱くなり、慌てて俯いた。心を落ち着けようと必死で深呼吸して、拳を握りこむ。

 今更後悔したって、仕方がない……。

 もう歯車は噛み合い、回り出してしまっている。俺はもう、この方から唯一の望みを奪ったのだ。

 罪悪感なんてものは、俺が自分を慰めるために抱いているだけ。

 もう俺がこの方にできることは、姫様を支えること……少しでも明るい未来を思い描けるよう、働くことだけだ。


「皆、大儀である……。

 此度、要請に応え、任を受けてくれたこと、大変嬉しく思う……」


 さして広くない空間で、ようやっと耳に届く、細い声。


「女性の王は、前例が無いわけではないが、実質では初となる。

 何かと苦労をかけると思うが、どうか、よろしく頼む」


 それだけの言葉。

 王妃様が手を挙げると、アギー公爵様ら上役の方々が、また一斉に頭を下げ、瞳を伏せた。

 退席されるのだ。それが分かって、俺もそれに従う。

 戴冠式では、国王様が姫様に冠を載せる儀式が行われるが、これほどまで弱っていらっしゃる場合、それすら厳しいのではないか……。

 この不規則な杖の音も、王妃様と姫様二人に支えられ、ようやっと足を運んでいる、国王様の精一杯なのだ……。


 硬質な音が、ゆっくりと遠去かる。

 俺はその音を、胸に刻み、誓いを立てた。

 俺の罪は、姫様の治世を支えることで償うと。


 だからどうか…………。

 残りの時間はせめて、健やかに…………。



 ◆



 大広間に到着すると、扉はまだ閉ざされていた。

 中から音楽が漏れ聞こえてきており、入場の機会をうかがっているのだと分かる。

 ふぅ……父上は中にいるのだよな……。

 まさか自分が戴冠式に出席しているだなんて……しかもこちら側に立つなんて、一年前には想像も及ばなかったよなと、改めて思う。


 暫く前が動く様子は無く、ただ待った。

 サヤは、入場する俺たちの更に後。この扉ではなく、大広間の正面となる大扉から。姫様の入場と共にとなるはずだ。

 今一度自分の服装を見直して、おかしな所は無いか確認する。

 腰帯に挟んだ印綬の位置を調整していたら、曲に合わせてあるのか、俺としては唐突だと思える時に扉が開きだし、慌てて顔を上げた。

 丁度、曲の途切れた時に開ききったので、成る程、絶妙だな。と、納得。また新たな曲が始まると、それに合わせて先頭が進み出し、気持ちを引き締めた。


 入室した大広間の中心には、赤く、毛足の長い絨毯が敷かれていた。ただし、これは姫様のみが進む道。王に至る道だ。

 我々はその道の両側に、それぞれ別れて進む。最も若い俺は当然最後尾なわけで、一番端、先に参列した方々と近い位置となった。


 そちらもまた、最前列は上位貴族の方となる。

 ただし、領主が役職を賜っている場合、そこは空席。奥方様のみがいらっしゃり、後方に従者や女中が控えるのだが……あの、女性が八人も並んでいるのは、絶対アギーだよな……凄く良く分かる……。

 あ、向かいの若い男性、ヴァーリンの新領主、ハロルド様かもしれない。リカルド様とは似ていらっしゃらないな……苛烈というより清涼。とても落ち着いた、穏やかな雰囲気の方だ。

 ……と、そう思っていたら、視線が合った。ばっちりと噛み合ってしまって狼狽えたら、にこりと微笑まれる。……うん。印象通りのようだぞ。と、俺も小さく会釈を返した。

 俺たちが入場しきった後、またひときわ音楽が華やかになり、国王様の入室となった様子。

 驚かないでくれよ。の、意味は、ここでひとつ判明した。


「っ⁉︎」


 どう見ても父上の車椅子……!

 国王様が、王妃様の押す車椅子で入場され、壇上の手前まで運ばれたのだ。

 えっ、ちょっと待って、じゃあ父上は⁉︎

 視線を巡らすも、男爵家は当然大広間の後方だ。俺の視界には入らない。

 ここで俺が慌てて式をぶち壊すわけにもいかず、気分だけそわそわと落ち着かなかったのだけど、国王様の状態を考えれば、ご自身の足で入場なんて、どだい無理だったろうと思い直す。

 玉座の手前まで進んで来てから、王妃様の手を借り、立ち上がる。杖を手渡され、数段の段差を、ゆっくりと王妃様に支えられ、進む国王様。

 壇上の玉座に座ると、杖を王妃様に託し、背筋を伸ばす。

 すると、それまでの雰囲気が一変、鋭い眼光に驚いた。


 スッと国王様の手が上がると、音楽が途絶える。

 一瞬の静寂の後、低い男性の声。

 重い音に、女性の高く軽い音が重なり、あぁ、声のみで旋律を奏でているのだと理解した。そうして少しずつ声は増え、最後に唄女たちが、経典の旋律……王家を讃える節を、歌い出す。

 それと共に、大扉が開いた。

 但し、全て開ききることはない。人が三人程度並べるほどの隙間になった時、そこに人の姿が現れ、場が緊張で満ちる。

 まずはお二人。右側を、黒い正装に身を包んだ近衛隊の隊長と思しき人物。左側を、紺藍の正装を纏うリヴィ様。

 腰にある剣の鞘を握り、颯爽と足を進めて入室してきたお姿に、会場中から感嘆の吐息。そのお二人に続き、純白のお姿が。

 先程と同じ、全身白い衣装の姫様。そのままゆったりと、赤い道を進んでくる……。


 肩で切りそろえられた白髪から覗く、細い首……。

 全身に纏うもの全てが白に統一され、まるで内に光を宿しているかのように、浮き立って見える。

 女性であるから当然、背もお小さい……。

 俯き、伏せられた瞳は、長い睫毛に遮られていても、その赤さが際立った。唇と、瞳だけが、鮮やかに赤い、まるで天使か、雪の精霊のような、幻想的なお姿だった。

 そうして、入場した姫様の後方から、更に黒と、紺藍の衣装を纏った近衛が続く。

 入場してきた一団は、姫様のみが赤い道を進み、近衛らはそのまま、その道を守護するように、両側に等間隔で並んだ。

 その中に黒髪を見つけて、胸が高鳴る。

 凛々しく、表情を引き締めたサヤは、幻想的な姫様に対比するようでいても、やはり美しかった。

 俺からはだいぶん離れた場所に立ち、他の隊員らと同じく赤い道を守護する。

 そうして一人、王の道を進んだ姫様は、壇上の玉座を前に、足を止め、その場に両膝をついた。


「この国の礎に名を連ねることを誓うか」


 謁見の時より、ハリのある声。姫様の門出を良きものにしようと、国王様は声を張り上げて言う。


「誓います」

「この者の王たる資質を認め、戴冠の儀を以って、我はここに宣言する……フェルドナレン女王、クリスティーナよ、これへ!」


 その言葉で、姫様は立ち上がった。

 ゆっくりと壇上に進み、玉座の手前で足を止める。首部を垂れた姫様に、国王様も立ち上がった。

 そうして、ご自身の纏われていた純白の外衣を外し、王妃様の手を借りつつ、それを姫様の肩に。

 更に、宝冠を外し、姫様の頭上に捧げた。

 拍手が鳴り響く中、姿勢を正した姫様は、王の象徴を身に纏ったまま進み、直前まで父上様の座していた玉座に腰を下ろす。


 これにて、無事に戴冠式を終えたこととなるのだが…………。


 その姿を皆によく見せるため、再度立ち上がった姫様……いや、クリスティーナ陛下の手を、父上様が握りしめた。

 そうしてそっと、抱き寄せる……。


 何かを囁いているのは分かったけれど、言葉は聞こえなかった。

 陛下は、そんな父上様に瞳を向け、少し瞳を潤ませたように見えたけれど、いつもの強気な、力強い表情で、その腕を離れる。

 そうして拍手を送る俺たちに応え、胸を張って、王位を継いだことを宣言した。



 ◆



 戴冠式の後は、王宮を出て神殿へと向かう。

 大臣や近衛総長等の上役はそちらにも同行するが、俺は留守番。姫様の乗る輿を、広場で見送った。

 因みにサヤは護衛のため同行する。馬術を教えておいて良かった……。近衛らは、半数近くが馬だったのだ。


 輿行列が見えなくなるまで見送ると、皆、肩の荷が下りたとばかりに騒めき、各々動き出す。

 とりあえず大広間は今から急いで任命式準備だ。俺たちが残っていては邪魔だから、暫く時間を潰すため、待合室や庭に移動するのだが……。


「レイシール」


 父上を探していると、先に声が掛かった。

 そちらに向かうと、父上とヴァイデンフェラー男爵殿の姿が。

 あぁ、この方が一緒にいてくださったのか……と、安堵の息を吐く。そのまま走り寄るが、次に緊張が走った。

 アーシュだと思っていた人影が、違う……。

 そこにいたのは、公爵家のご子息様。何故か、グラヴィスハイド様が、一緒だった…………え、な、なんで?

 警戒のあまり足が止まってしまった俺を見て、グラヴィスハイド様の瞳が笑い、口角が吊り上がる。俺の気持ちなど、全部筒抜けなのだと言うように。


「そんなに嫌そうにされると、私も傷付くよ?」

「え……いや、そういうわけじゃ……っ」

「ふふ。分かってるよ。困ってるんだろう? 私が何をどこまで知っているか……ね?」


 にこにこと笑って意味深なことを言ううううぅぅ⁉︎


「大丈夫。この椅子を返しに来ただけだから」


 俺の慌てた様子を心底楽しそうに観察し、グラヴィスハイド様は、父上が座る車椅子を指差した。

 それは当然、先程まで国王様が座しておられたもので……正直恐れ多さが加わってしまい、困った。

 こ、これ……ここにあるってことは、国王様はもう、休まれているのかな?


 しかしそこで唐突に、そうそう! と、手を叩いたグラヴィスハイド様に、慌てて視線を戻す。

 戴冠式の時よりも緊張し、ばくばくと跳ねる心臓で、この方が次に口にすること、感情の動きを、読もうと目を凝らすのだけど……。


「父上からの伝言を預かって来たんだ。

 其方は国の救世主だ! と、抱擁して口づけも捧げるように言われたんだけど、いる?」

「いりませんよ⁉︎」

「だよね」


 駄目だ……やっぱり分からない……この人がどうやって俺の中を読んでいるのかが……っ。

 冷や汗をかく俺を楽しそうに眺めている姿からは、そのままの感情しか読み取れなくて……。

 焦っていると、にこにこと笑った顔が、つと、俺に近寄って来て、反射で身を引いた。けれど、更に追い討ちをかけられて、近距離に迫ってきたグラヴィスハイド様に、絶望に似た感情を抱く。このままじゃ、やばい……!


「そんなに焦らなくても大丈夫だよ。

 私には、お前の思考までは見えない。表情と、瞳、感情の色で、おおよそを把握しているだけだから。

 隠し事があること、知られてはいけないことがあることは見えても、その中身までは分からない」


 耳元で囁かれた言葉に、背筋が凍った。


「焦って、瞳に感情が漏れてるよ。

 お前、人を読むことには長けているけど、自分が読まれることには不慣れだから、こうなると慌ててしまって隙ができるんだ。

 ほら、理屈が分かればもう少し、自分を制御できるだろう?」


 もっと感情を制御しろと言われているのだ……。

 表情を作ることは、慣れているはず。だから、それを、しろと……。


「……そう。それで良い。

 そうしていれば、感情の色しか見えないから、私でももう少し、読みにくくなる。

 それから、お前みたいな者はね、知っている風に見せるだけで、随分と狼狽える。だから敢えて、そう見せてるんだよ。覚えておくといい」


 感情の色……と、表現されるものが何かは分からなかった。

 けれど、この人を前にした俺が何を失敗していたかは分かったから、慌てないように意識する。

 そうするとグラヴィスハイド様は、にこりと微笑んで、俺から身を離した。


「先程の伝言の意味はね、あの車椅子っていうやつだよ。

 数日前から、ヴォルデクラウド様の容態が急変してね。本日の戴冠式は、代理を立てるしかないって話になってたんだ。

 そうすると大司教辺りがここに出張ってくることになって、神殿の介入は極力控えたい陛下の出発には、あまり相応しくないだろう?」


 ヴォルデクラウド様……という名が、誰を指すのかが一瞬、分からなかったのだけど、姫様を陛下と呼んだことで察した。

 あぁ、もう国王様ではないのだと、理解した。


「そう、ですね……。陛下はそれを、好まれない……」

「うん。だけど娘としては、無理して欲しくなかったし、父親としては、娘の門出を汚したくない。

 それで間を取って、お前のお父上に相談したんだけど……快く承諾いただけて、本当に助かった。

 だから、父上の伝言も、抱擁して口づけしたかったのも、父上の本心だよ」


 う……それはほんと遠慮します……。


 心の中だけで思ったのに、グラヴィスハイド様は「本当に嫌なんだね」と、笑った。

 心底楽しそうで、やっぱりこの人の考えていることは、よく分からない……と、そう思う。

 暫く笑っていたグラヴィスハイド様だったのだけど、それが落ち着いてきた頃、またちらりと俺を見て……。


「それから、ついでだし誤解を解いておくけど……。

 私は別に、お前を見限ったわけでも、お前に失望したわけでもないよ。だからそんなに、私に申し訳なく思わなくても良い」


 本当に見えてないんですよね⁉︎

 内心の言葉がそのまま届いたかのように、また腹を抱えて笑うものだから、ほとほと困ってしまった。

 この人、もしかして……悪戯好きな笑い上戸ってだけだったりする?


「私がお前から距離を置いたのは、お前と私が違うものだって、分かったからだよ。

 同じなんじゃないかって、思ってたから……幼い頃のお前は本当に純粋すぎて……正直心配だった。

 だから、割り切って考えられるようにって、色々口出ししたんだ」


 何が同じで、何が違うのだろう?


「まぁつまり、同じかもしれないと勘違いしてしまうくらい、お前は相手の感情を読んで、心にそれを写してた。

 このままいったら壊れてしまうんじゃないかって、本当に心配したんだ。

 だけどまぁ、そうはならなそうだって分かったし、お前は別に、見えているわけじゃないのだって理解したから……。

 ……まぁ、多少は失望したんだよ。それが勘違いを招いちゃったよね。

 でも、仲間じゃないかって思えた者に出会ったのは初めてだったから、それは仕方がないことだろう?」


 そう言って、どこか寂しそうに笑う。

 それで、この方は孤独なのだということも、理解した。

 浮世離れして見えるのは、この人の見ている世界と、俺の見ている世界が違うからだ……。


「異国にも行ってみたけど……やっぱり私の同類は、存在しないみたいだ。

 だからもうそこは、諦めたんだけどね。

 って、話が逸れてる。そうじゃなくて、お前、アレクセイ殿とも面識を持ったって父上が言うものだからさ」


 その名前が出てきたことに意表を突かれた。

 あぁ、そういえば、グラヴィスハイド様は彼の方が真っ黒だって、おっしゃってたんだ……。

 それって、誤解を解いてまで俺に話をしなきゃと思うほどのことなのか?


「そうだよ。私は、そう思ってる。

 彼の方の感情は、私にも読めない。……と、いうか……うーん……色じゃ説明できないしな……。

 彼の方が表面に出しているのは、彼の方の感情ではない。それは、お前も分かっているよな?」


 そう言われ、感情が読めていなかったことは確かなので、こくりと頷いた。

 けれど、グラヴィスハイド様のような、得体の知れない感じではなく、感情を完璧に制御し、表層には漏らさない人なのだという解釈だ。

 本当に思い、考えていることは全く違うのだと思う。けれど、それをおくびにも出さず、完璧な仮面を作り、被り続けていける人。


「と、いうより……あの方の根源が、全部の感情を制御させているのだと思う。

 全部計算尽くだよ、彼の方は。だから、お前……焦るな。読まれていると思うな。多分彼の方もお前と似てる。お前よりずっと、狡猾だろうけど」


 それは、警戒しろって意味だろうか……。


「いや、私だって読めないって言ったろう?

 だから正直、本当のところは分からないよ」


 さらりとそう言われ、脱力した。

 でもまぁ、気をつけろとわざわざ言ってくださるくらいなのだから、気をつけよう。

 そう心に決めたら、グラヴィスハイド様はまた、ふわりと笑った。


「じゃ、用件はそれだけだから、これで失礼するよ。

 あぁ、だけどこの際だから、最後にもうひとつ。

 お前……変わらないね。相変わらず優しくて、綺麗で、ホッとしたよ。

 これからもそのままでいてくれたら、私は嬉しい」


 ひらりと手を振って、そのまま立ち去る。

 暫くそれを見送っていたのだけど、キシリと耳慣れた音がして視線をあげたら、車椅子を押したヴァイデンフェラー男爵様だった。


「其方ら、何をしておったのだ?」


 それで気付く。

 あ、結局俺、彼の方と言葉で会話していない…………。

 ………………。

 ……………………っ。

 ほ、本当に、中身まで、見られてないのだろうか…………不安しかない。

ギリで間に合った⁉︎

と、とりあえずあれだ、来週も金曜日八時にお会いしましょう!

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― 新着の感想 ―
[良い点] >>ずっと遠くから、刃をこちらに向けた人物が、笑いながら、ゆっくりと近づいてきているような…………。 この例え、怖すぎません?^^; >>だって彼らはとても義理堅く、純粋だ。 >>与…
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