回想
正直な話、この時の俺はまだ、明確な敵を定めていたわけではなかった。
だからあの時攻撃と表現したのは、守りに入るのではなく、攻めの姿勢に転ずるのだと、自分に明確に意識させるための、いわば独白。
女性の身で、病と闘いながら、更に足場すら捨ててこの地に立とうとする姫様の治世。そこに降り掛かろうとする問題が、言うなれば敵だった。
ただ。
まるで、背筋を冷たい指が、撫でていくような……真綿で首を絞められているような……蜘蛛の糸に、身体を緩く絡め取られているような……ずっと遠くから、刃をこちらに向けた人物が、笑いながら、ゆっくりと近づいてきているような…………。
何か得体の知れないモノの残り香のようなものを、俺は多分、なんとなく感じていたのだと思う……。
「ウーヴェなら心配いらない。
元々吠狼とだって接してきているし、ウーヴェの人となりはちゃんと彼らにも評価されている」
ギルの呟きにそう返事を返し、俺もメバックに想いを馳せた。
ウーヴェとアイル。セイバーンに残した二人。だけど今はもう、セイバーンを離れているかもしれない。
◆
あの日の続き。
「ウーヴェとアイルにはセイバーンに残ってもらって、二手目をお願いしたいんだけど、良いかな。
拠点村も、少し早いけど次の段階に進もう」
そう言うと、二人は表情を引き締め、こくりと頷いた。
「まず、売り上げを大きく伸ばしている業種に関して、今後も需要が見込めるから、職人をメバック以外からも受け入れよう。
セイバーンの中に留まらなくて良い。望むならば、他領からでも受け入れる。
例えば硝子筆なんだけど……もう生産が間に合わないくらいの状況だろう?」
「硝子筆と洗濯板は、もう揺るぎようがないと思われます」
「よし。その二つは最優先。ただし、ブンカケンの規則は念入りに確認してくれ。後で知らなかったと言われても困るから。同意書への署名捺印忘れずにね。
文字の読み書きができない者も多いと思うから、全文をきちんと読んで、理解できるよう伝えてほしい。……まぁ、ウーヴェの仕事いつもは丁寧だから、そこは心配するまでもないと思ってるけどね。
それと、鍛治師をできるだけ確保したい。
手押しポンプ、あれはまず確実に動く。一台目を王都の騎士訓練所に設置する予定だし、そこから他領にも一気に広まると考えてる。だから、今から職人を増やしておこうと思うんだ。
ただ……鍛治師を他領からっていうのは無理だから、こればかりはセイバーンの中だけとなる」
鍛治師は武器の製造ができる職人だ。だから貴族の管理下にある特殊な立場で、家移りひとつとっても領地への申請と承認を必要とする。
今の職人を確保するのにも、それ相応の手続きを踏み、異母様に突かれないよう細心の注意を払ったのだけど……。
後継という立場を得た今なら、鍛冶場を持つ大手の職人から、弟子を研修として募ることも可能だろう。さて、どうするかな……。
そんな風に考えていたら、ではそれは僕が手配しておきますよとマルの声。
「商業会館から、セイバーン内の組合に通達してもらいますよ。
ついでなんで、木工細工と硝子の職人に関しても募集があると伝えておきます。その方が、後々ウーヴェも仕事しやすくなるでしょうし」
それは有難い。
出発まで時間が無いが、大丈夫なのかと確認すると、旅にも吠狼から、数人が隠れて同行するとのこと。書類を書いたら彼らに運んでもらうという。
「ま、この話の分は今書いて用意しちゃいますけどねぇ。あ、執務机借ります。
お話はそのまま進めちゃっててください。聞いてますから」
そう言ったマルは、さっさと衝立で仕切られた執務机に向かった。
とりあえず、書類に関しては彼に任せるとして……。
「アイル。吠狼には、三つ頼みたいことがある。
まずひとつが、ウーヴェへ同行して彼の警護と補佐。移動範囲も広がるし、まだ情報の周知が行き届いていない地域にも行くだろうから、人数は倍に増やしてほしい。
ふたつめ、ウルヴズ行商団を使いたい。拠点村の小物を売り歩いてもらいたいんだよ。宣伝を兼ねてね」
ウルヴズ行商団は吠狼の仮姿だ。
流浪の民である彼らは、元々行商団として地方を巡っていたし、品を仕入れ、他所で売るというのは彼らの基本的な副業でもあった。
「運びやすい小物中心で良い。小さめの商団で構わないから、何組か用意してもらえると助かる。
フェルドナレン地方行政官長の研究施設、ブンカケン開発の生活用品って大々的に言ってしまおう」
旅費や送料を含めると、値段は倍くらいになってしまうと思うが、それでも秘匿権を得ている品としては破格の値段だろう。
頭の中で品の料金を試算していたのだが、衝立の向こうから「正規品取り扱い店舗の認定証でも持たせておけばどうですかぁ」と、マルの声。
「サヤくんの国では、そういうのを持ってると箔がつくらしいですよぅ。実際、貴族絡みだとしておけば、身の安全も確保しやすいでしょうし。
秘匿権習得済みで、生活に根差した良品のみを扱う、正規の委託業者ってことにしましょう。
あ、書類はこっちで書いておくんで、後で紋章印だけ押してくださいねぇ」
書類仕事のついでに認定証も書いてくれるらしい。
「地方行政官長の紋章印を簡略化した意匠を、現在注文してますから、それが完成したら、ブンカケンの商標として標し、品に付ける保証書にも押印、同封します。
まぁ、まだ製作途中なので、今は試験営業ということで。
王都から戻ったら、それを大々的に使いましょう。国の権威を示す良い手段でしょうから」
「じゃぁ、それまで身元の証明ができるものが必要だよな……」
うん……なら、あれを使ってもらうか。
「ハイン、例の小箱持ってきてくれる?」
そうお願いすると、畏まりましたと席を立ったハインが、さっと部屋を出る。程なくすると、少し大きめの箱を持って戻ってきた。
印綬と地方行政官の襟飾が入っていた箱……。印綬はもう俺が身に付けているから、今は襟飾しか入っていないのだけど。
「ウーヴェとアイルに、これを渡しておく」
中から二つ取り出して、二人差し出したのだけど、二人とも手を出さない……。
「あ、あの……私は咎人を身内に……」
「忘れてるのか。俺は獣だ」
「うん。それはもう良いから。はい、受け取って」
ずい。と、更に手を突き出し、二人の手に無理やりそれを押し付けた。
「俺は、二人にそれが必要だと思ったし、持っててほしいんだよ。
いつも身に付けてろなんて言わないから、必要な時には使うように。身の安全確保は最優先にしてほしい」
認定証も渡すけれど、念には念を入れておきたい。二人とも失えない、大切な仲間なのだ。
お互い襟飾を手に、二人は顔を見合わせていたのだけど、最終的には諦めた様子で、それを大切に懐へとしまった。よし。
「アイル、ついでに地方の情報も集めてウーヴェへ報告してくれ」
メバックの職人には伝手や知り合いが多かったウーヴェだけど、流石に他の地方までそうはいくまい。
だから情報を頼りに、勧誘したい職人を吟味してもらう方が良いだろう。
「人選は、ウーヴェの目と感覚に任せる。これはと思う職人、必要だと思う人材には、出費を惜しまなくて良いから。
拠点村の貸店舗や長屋にもまだまだ余裕があるし、建築だって進んでいる。なんなら水路を拡張したって良いんだ。
だから、そこに誰を入れるかは、店主のウーヴェが決めたら良い」
そう言うと、ウーヴェはとても嬉しそうに微笑み、畏まりましたと、深く、丁寧に頭を下げた。
そのやる気に満ちた様子に俺も小さく微笑み返し、今一度アイルに視線を戻す。
さて、三つめ。
「これはちょっと大変かもしれないんだけど……。
アギーの流民。その中で、女性や子供、生活の困窮が著しいと思う者を優先で探し出し、勧誘。拠点村で雇用しようと思っている」
それには皆がぽかんとし、動きを止めた。
「…………は?」
「女子供を、何に使うと?」
「流民対策の一環なんだよ。男手は交易路計画が始まれば雇用も進むけど、女性や子供は基本ああいった場所では雇わないから、仕事があるなんて思ってないと思うんだ。
だけど、小物関係の職人を増やすんだから、当然その周りの備品だって多く必要になるし、探してみたら、他にも女性を雇える仕事が結構あった。
紙の包装品作り、風呂敷作り、掃除婦、洗濯女、針子、賄い作りの補佐……それから、店舗の売り子、新たにできる孤児院や幼年院にも人を雇いたいし、治療院にも人手が必要だと思う。託児所っていうのも作るつもりだし、なんにしてもまずは人手」
指折り数えてそう言うと、ギルが「だけどそれ、人集まんのか?」と、口を挟む。
「女と子供だけ募るって、むちゃくちゃ怪しいぞ……」
「その怪しいのにも縋らなきゃならないくらい困窮している人は、急務だろ。まぁ……こういう言い方は、ちょっとあれなんだけど……。
アイルたちは、そういう、生活に行き詰まっている者らを見つけるの、得意なんじゃないかって、思うんだよ」
流浪の民として彷徨っていた彼らは、元々そういった出身の者が多い。
だから、その境遇ゆえの雰囲気というか、匂い……限界に近い者ら独特の感覚を、理解できるのじゃないかって、思ったのだ。
困惑を隠せない様子のアイルに、その隣で、また変なこと言い出しやがったぞ。って感じのジェイド。うーん……伝わらないかなぁ。
「なんて言えば良いんだろう……過去の君らと同じ者たちを、そのままにしたくない。
吠狼の皆には、そういった困窮者たちの救い手となってほしいんだ」
ただ堕ちるだけの今を、今のままにしてほしくない……。
「その救いの手が、お前たちの来世まで、続いてほしいと思うんだ……。だって、ただ堕ちるだけなんて……。そんなの、おかしいだろ。
それで色々、考えて、検討してみたんだけど……前世の罪を来世で償えと言うなら、徳だって、来世に持ち越せて然るべきだよな。
今世で手掛かりを作っておけば、例え今世で全ては償いきれなくったって、負の連鎖から抜け出す道は、残せると思うんだよ……」
来世なんてあるかどうか分からない。
そもそも獣人が、悪行を重ねた人の成れの果て……という考えは、間違っていると思う。
だって俺たちは、元々別の種として存在していた。それが交わってできた混血種なのだから。
だけどそれを言ったところで、今までの全部を簡単に割り切れやしないって分かっているし、今までそうだと思い込んできたことを、忘れることもできないだろう。
このまま、ただ方便をこねくり回し、否定を重ねたって、今世の彼らは救われない。
だけど俺は、絶望しながら来世になど、旅立ってほしくないのだ。
今世を一生懸命生きて、幸せを噛み締めて旅立つべきなんだよ。来世への旅立ちは、送る方も、旅立つ方も、よく生きたって、笑って迎えなきゃ駄目だ。
ハインにも、ローシェンナにも。生まれ変わりたくないなんて、思ってほしくない。
ダニルや、ガウリィにも。幸せになって良いのだって、言いたい。
「俺は、嬉しかった……。それを、俺も他の誰かに、与えられたらと思えた。
だから、そういう……えっと、なんて言えば伝わるだろうな……。
皆が優しくした人たちが、また誰かに優しさを与えてくれたら、それがずっと続いていく。そして来世に生まれ変わった皆の所にも、巡ってくると思うんだ。
そんな風になれば良いと思って……その……綺麗事だってのは、分かってるんだけど……」
うまい言葉が見つからず、しどろもどろ、ごにょごにょ言ってると、くすりと笑う声。
「あー……らしいつーか……。
貴方みたいな考え方のできる者が増えれば、そりゃ、世界は平和で優しくなるんじゃないですか?」
そう言ったオブシズに、こくこくと頷くシザー。良い考えだと思う! って、ことかな?
ハインはなんともいえない渋面になってしまっていたけれど、ギルはそんなハインの頭を撫で回して殴り返され、サヤはとても優しい笑顔で、俺に頷いてくれた。
「ふむ……そもそも、孤児や不幸に見舞われた人たちが、前世の行いゆえに不幸という試練を与えられる。……っていうくだりだって、別にその者たちの不幸を、周りが一生懸命上塗りしてやるべきだ……なんて風には、書かれていませんもんねぇ。
でも、普段の生活を律し、善行を積むようにとは、記してありますよねぇ。徳を積めば、来世は良い人生を得ることができると……。
確かに、善行を施す相手の指定は特に無いですし、孤児や不幸に見舞われた者らを手助けしてはいけない……なんて文言も、経典には無いです」
衝立の向こうから、マルのそんな言葉が聞こえ、続いてくすくすと笑い声。
「レイ様、孤児院の良い言い訳、できたじゃないですか」
うん、まぁ……それもあって考えてきてたんだけどね。
「そう思う?」
「ええ、一応の言い訳の筋は通ってると思いますよぅ。
後は……カタリーナを納得させられるかどうかって所じゃないですか?
まぁ、そこは僕、レイ様にお任せしてるんで、思うようにやっちゃっていただいたら良いですよぅ。
じゃ、ロジェ村宛の手紙も追加しなきゃですねぇ。流石にここでは書ききれないので、次の村で記して、吠狼に託しますか……」
「適当に箇条書きで良い。俺が直接届けて伝える」
いつもの冷めた、そっけない様子を取り戻したアイル。
そして至極冷静に「その任、受けた」と、返事をくれた。
「うん、宜しく頼む」
獣人は、決して悪事を働いた人の、堕ちたすえの姿ではない。
だって彼らはとても義理堅く、純粋だ。
与えられた役割には、とことん忠実に、全身全霊で挑む。例えそれが、どんな役割であったって。
そんな気質が何者かによって悪用されたから、彼らは今、悪魔の使徒なんて言われている……。ただそれだけだ。
獣人も、人だ。それをいつか絶対に、証明する。
そして、獣人をそんな風に扱う北の地…………。
いつかそれだって、覆してやるのだ。
「では。各自役割を果たしてくれ。
暫しセイバーンを離れるが、宜しく頼む」
◆
あの折は……皆には敢えて、触れる程度の内容に、留めておいたのだけど……。
この時には既に、俺は、ある疑念を抱いていた。
王家の血の濃縮には、何者かの意思が絡み付いていたのじゃないか……と、そういう疑念。
マルは、白く産まれる方が増えることに、偶然気付いた者がいたのでは……と、言っていたけれど。そんな偶然に、たまたま気付いたとか、そういったのじゃなく……もっとはっきり、目的を持って動いた者がいたのではないか……と、そう考えていた。
いつの間にか、当然のことのように刷り込まれ、慣習として続けられてきた、公爵家との婚姻……。
四家から繰り返し続けられてきたという部分に、どろりと濁った、人の意思を感じていた。
白く生まれることを神の祝福とし、声高に叫ぶことで王家を縛り、絶対的な付加価値をつけると共に、肉体は弱らせ、寿命を縮めさせる、絶妙の采配……。
五百年も前のその呪いが、ここまで王家を縛るだなんて、その人物は考えていたろうか。
そうして、王家の滅びまで、招こうとしていることを……。
この仕組みは、他家の血を入れにくいよう、計算されていたと思う。
公爵四家で繰り返されてきた婚姻には、勢力の均衡を保とうとする力が少なからず働いていただろう。
例えば、どの家かが、王家との契りを拒んだ場合、その家は権力的にも、他の四家に大きく遅れをとることになってしまう。
だから、例え多少の疑念を抱いたとしても、他家への牽制や、力の均衡を考え、嫁がざるを得ない……。
他家との力関係は、公爵家の選択肢を、常に狭めていたはずだ。
嫁ぐ方の血筋ひとつ取ってもそう。実際四家は、極力血の地位が高い方……公爵家や、伯爵家の血を優先して、王の妻にしてきているが、これも、ただ王家に見合う血筋の選択をしてるだけでなく、後々の力関係を考えてのことだろう。
五百年前から始まった、その流れ……。
それまでの王家は、後宮もあったし王妃様もお一人ではなかった。
それが、自然災害により作物の不足が続き、財政を立て直すために後宮を廃止したとなっていて、その決断をした当時の国王、ジョスナーレン様は、賢王と讃えられ、歴史にも名を刻んでいる。
この方とその息子である次の王……先代からの財政難を増税無しに立て直したバルトロメウス様とが、お二人とも白い方であったことで、王家の色を尊き白と称えられる現在の形が定着した。
そしてこの辺りから、フェルドナレンの代替わりは加速した……。
五百年前の、誰かの画策は、がっちりと王家に食い込み、息の根を止めるまで、じりじりと牙を進めていた。
だけど、ギリギリ間に合ったはず。
サヤのお陰で、王家の血の呪いは、祝福ではないと明かされるのだ。呪いの顎門は開かれる……。
「何か、ございましたか?」
不意に掛けられた不安そうな声。それで怖い考えを、慌てて頭から追い払った。
夜、休む準備を進めていたのだけど、今頃アイルたちはどうしているだろうかって、そう思った辺りから、つい思考が深い場所に潜り込んでしまっていたのだ。
視線を上げると、俺の髪を梳いていたサヤの手が止まっていた。鏡越しに、視線が合う。
「ごめん。もしかして、怖い顔になってた?」
「少し……」
「いや、たいしたことを考えていたんじゃないんだ。
王家の……病についてだったから、つい、力が入っちゃったかな」
意識して、口元を笑みの形に切り替える。するとサヤも、表情を緩めた。
「もう少しで終わりますから」
敢えてにこりと笑って、サヤはまた、俺の髪を手に取って、櫛をあてがう。
太腿に達しようかという長い髪。それをいちいち丁寧に梳り、そうして全ての髪が滑らかになったところで、櫛を小袋の中にしまった。
「もう、いいですよ」
「ありがとう」
絹糸のように艶やかになった自分の髪を確認して、席を立つ。
そして寝台ではなく、長椅子に足を向け、サヤを手招いた。眠るにはまだ少し早いし、もう少しだけ、一緒にいたかったから。
「明日も女近衛の方の調整作業か」
「そうですね。本日無事到着されていれば良いのですけど」
「問題は、明日到着の方だよなぁ……作ってあるものに、近い大きさがあれば良いけど……」
本日到着の方はともかく、明日到着予定の方は、かなりギリギリで決まった方で、寸法表どころか名前も記されていなかったのだ。
リヴィ様より大きかったり、メリッサ殿より小さかったりしたらどうしよう……。
「それでも、極力合うものを、用意してくださいますよ。ギルさんなら」
そう言ってにこりとサヤは笑った。俺を心配させまいとしているのもあるだろうけれど、それだけギルのことを、信頼しているのだと思う。
それでつい、サヤを抱き寄せてしまうのだから……俺の嫉妬深さもちょっと病的かもしれない……。
「レイ!」
「少しだけ」
赤くなるサヤの頬に唇を寄せると、サッと手がそれを遮ってくるから、そのまま指先に音を立てて口づけした。
すると指先が小さくわななく。引っ込めると唇が頬に触れるだろうし、かといって指先も恥ずかしいし……という葛藤が見て取れて、つい吹き出してしまったら、掌はそのまま握り込まれて拳になった。そしてぽかりと肩を叩く。
「もう!」
真っ赤になって、眉を吊り上げる。そんな他愛ないやり取りが幸せで、嬉しい。
……ダニルにも…………こんな時間が、必要だと、思うんだけどな……。
「なぁサヤ、戴冠式が終わったら、とても忙しくなると思うんだけど……。
その前にもう一回だけ、一緒にセイバーン村に、行かない?」
そう言うと、サヤの怒りが急速にしぼんだ。
そうして鳶色の瞳が俺を見て、こてんと首を傾げる。
「ダニルたちを……あのままにはできないから、もう一回、説得してみようかなって。
ダニルが納得できる形を、見つけられたら良いと思うんだけどね……」
そう言うと、ピンときたのだろう。
「…………徳の繰り越しの話?」
「うん。納得してくれるかどうかは、分からないけど……。
…………まぁ正直、詭弁だとは思うんだよ。思うんだけど……」
吠狼となった彼らに、もう暗殺なんていう仕事はさせない。
だけど、今からは手を汚しません……なんて言ったって、ダニルは納得できないだろう。
今までしてきたことを、忘れやしない。忘れられない……。
それくらい彼は、カーリンとその腹の子供を、大切に思っているのだ。
大切だから……苦しくても、辛くても、離れる選択をした。大切な人の来世まで、犠牲になんて、したくないから……。
「だけどそれは、やっぱり駄目だよ……」
「うん。私も、そう思う」
「……ダニルはさ、ちゃんと、良い父親になれると思うんだ」
「うん。私も、そう思う……」
微笑んだサヤが、肩に身を擦り寄せてきた。
俺の腕の中で丸まって、まるで安心した風に、身体の力を抜いてから「うん、行く」と、返事をくれた。
「こんな風に……二人ができたら、ええなって思う……」
まるで俺の気持ちが伝わったみたいに、さっき俺が思ってたのと、同じことを言うから……サヤの心にも触れられた気がして、愛しさがこみ上げてきた。
「うん……」
こんな風にできたら、どんな苦難だって、たいしたことないって思えるはずだ。
だって俺がそうだから。
そうして気持ちのまま、もう一回額に口づけしたら、またサヤに怒られた。
頭っから遅刻……そして明日からの分書けてない……。
結局こうなったよ!だけど頑張る!
というわけで今週も三話更新目指します!
今週も、楽しんでいただけるよう頑張りますーっ!




