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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第二章
31/515

呪縛

 サヤの涙が落ち着くのを、俺たちは辛抱強く待った。

 今は、サヤを長椅子に座らせ、俺たちもサヤから距離を置いて、向かい側の椅子に座っている。

 ハインはただ、何を考えているかも伺わせないような無表情で、サヤを見つめ、見守っているが、俺は落ち着かない。

 女を一人で泣かせておくのは、俺の流儀じゃねぇんだよ……。

 サヤは一人、長椅子で身を縮こませ、静かに泣いている。

 肩を抱いてやることも、胸を貸してやることも出来ないのは、正直居た堪れない……。

 仕方がないので、座褥(クッション)を意味もなく、握り潰したり伸ばしたり、弄んでいた。


「……申し訳ありませんでした……。もう、大丈夫です」


 座褥の形が随分と歪になった頃、サヤが赤くなった目元を拭い、顔を上げた。


「本当に、大丈夫ですか。無理は許しませんよ」


 早速ハインが鋭い口調で詰問する様に問うので、俺は慌てる。

 そんな言い方したらまたサヤが泣き出すんじゃないかと思ったのだ。

 だが、俺の予想に反し、サヤは苦笑し、深呼吸した。そして、うっすらと微笑みさえして、コクリと頷いたのだ。

 ハインの口調に、傷付いた様子はなく……心配故に厳しい口調になっていることを、ちゃんと察している顔だった。

 ハインは誤解されやすい。

 常に藪睨みだし、眉間にシワはよってるし、口調も硬い。怒っているようにしか見えないのだが……それが素なのだ。

 そんな自分の外見を分かっていて、それでも取り繕わないから、その悪印象がそのまま相手の印象になるのだが……サヤは……ハインがそんな、見た目ほど怖い人間ではないと、分かっている風だった。

 ………まあ、十数日とはいえ、一緒に生活してるのだものな。分かる……か?

 いや、そもそもそれだけ一緒に居れたことが奇跡じゃないのか?

 何気に感動していた訳だが、今はそんな話しをしている場合ではない。サヤが、表情を改め、真剣な顔で口を開いた。


「レイシール様を、追いかけた後のことをご説明致します」


 膝の上に両手を置き、ぎゅっと拳を握って、サヤは語り出した。


 レイは、サヤが追いかけていることに、暫く気付かなかったそうだ。

 ついてきていたことに物凄くびっくりし、動揺していたという。

 一悶着あったものの、服を似合うと言って、褒めてくれた。その後、暫く気持ちを落ち着けたいからと、庭で休憩することになったらしい。


 そこまでは、特に違和感もなかったそうだ。

 しかし、次にレイの口から出た言葉は、サヤにとって予想外のものだった。


 ここに、残るようにと、言われたのだ。

 レイは一見、冷静だったという。しかし、サヤには違和感があったらしい。

 レイが、視線を合わせてくれなかったというのだ。

 普段話す時のレイは、そんなことはしない。きちんとこちらを見て、何を言いたいのか、何を考えているのか、見定めようとするかのように、真剣だという。

 なのに、その時のレイは、視線を逸らしたままだった。

 そのうち、何かイライラしたような、怯えたようなそぶりを見せ始め、最後にはサヤを怒鳴りつけたらしい。


「い、居なくなるのに……居ることに慣れては、いけないって……。

 歯車が噛み合ってしまう、捕まってしまうって、怯えたように仰って……。

 その後、私がここで生活できるようにと、配慮したことが間違いだったと言われてしまって、私……つい、言い返してしまったんです。自分で決めたことだから、とやかく言われたくないって。

 それできっと、怒らせてしまったんです……つれて、帰らないって……聞き分けろって……」


 必死で耐え、話していたサヤだったが、辛いのだと思う……途中からまた、ほろり、ほろりと涙をこぼしていた。

 見ていられなくて、ハインの方に視線をやる。

 ハインは、いつもの怒ったような素の顔で、両手を強く握り締めていた。

 手の甲に、爪の跡が刻まれてしまうほど強く……。そして俺の視線に気づいたのか「……ギル……」と、俺を呼んだ。


「ああ、そうだな……」


 これはもう……やっちまった感じだな……。

 なんでだ……今年は、調子良さそうだって、ハインから聞いたばかりだったのに……。

 今現在も、レイはきっと、苦しんでいる……。そう思うと辛かった。

 だが、こうなってしまうと、俺たちには手が出せない……。レイは、惑乱した状態の自分を、人前に晒すことを嫌う。下手に踏み込んでしまうと、余計追い詰めることになってしまうから、レイが気持ちの折り合いをつけるのを、ただ待つしかできない。

 八つ当たりでもなんでも、受けてやるのに……吐き出してしまった方が楽に違いないと思うのに……あいつは一人で、ひたすら苦しむのだ。


 そして、今は、サヤも苦しんでいる……。

 急に置いていくと言われ、さらには怒鳴られ、きっと混乱している……。

 傷付いたことだろう……。普段のレイしか知らないなら尚のこと、衝撃だったはずだ。

 だから俺は、レイの手助けが出来ないぶん、サヤがレイを誤解しないよう、努めようと思った。


「サヤ……びっくりしたよな……。だが、レイは……サヤに怒ったんじゃねぇんだ。

 ちょっと、事情があってな……レイに変わって詫びる。すまない……」


 姿勢を正し、頭を下げる。

 サヤの戸惑ったような仕草が視界の端に映るが、俺は頭を上げなかった。

 俺の謝罪に、ハインも続け、口を開いた。


「ギル、私から話します。

 サヤ。もう少し早く、伝えておくべきでした……私が判断を誤ったばかりに、貴女に辛い思いをさせてしまいました。申し訳ありません」

「あの、良いんです。お二人が謝るようなことでは、ないはずです。

 私は大丈夫ですから、もう、大丈夫ですから。

 でもどうか、事情があるなら、教えて下さい。レイシール様が、心配です……」


 必死で涙を拭ったサヤが、そう言ってハインを見つめる。

 真剣なその様子は、言葉が本心だと語っていた。

 優しい子だな……一方的に怒鳴られたろうに、レイを心配すんのか……。

 レイとサヤは、ちゃんと信頼関係を築けていたようだ。そのことに、少し救われる。

 サヤの様子に、ハインも話す覚悟を決めたらしい。

 目を伏せ、溜息のように、大きく息を吐いてから、話し出した。


「ギルの言うように、レイシール様は、サヤに腹を立てて怒ったのではないのです。

 レイシール様のあれは……発作なのですよ。

 どう、説明すれば、伝わるでしょうね……。

 レイシール様は、妾腹の二子です。はじめは、認知されず、三歳まで庶民の中で生活されていました」


 こくりと、頷くサヤ。

 驚く様子もないし、知っていたようだ。

 サヤの様子を確認し、ハインは言葉を続ける。表情は淡々としているが、内心では怒りが渦巻いているのだと思う……眉間のシワが深い。


「何故三歳まで認知されなかったのかは分かりませんが、そこから貴族となられたわけです。

 セイバーンに来られてから……ご両親は、領地管理で多忙を極め、レイシール様は、異母様の元での生活を、余儀なくされました。

 その折に…………心を病むような、経験をされたのです。

 三年間、その環境の中で蝕まれ、六歳の時大怪我を負い、レイシール様の状況が明るみに出ました。

 その結果、学舎に避難という形で、セイバーンを出されたのです。

 私たちも、詳しいことは知りません。私は九年前から……ギルは、十二年前からレイシール様と関わっていますが、その前のことを、あの方は、まず、口にされませんから。

 ですが、まともな環境ではなかったことは、確かです」


「心を病むような、経験?」と、サヤが小さく呟いた。

 不安そうに、身じろぎし、膝の上にあった手が、胸の前で握り締められる。視線が、空中を彷徨っていた……。

 そのサヤの様子を見つめたまま、ハインの言葉は続く。


「レイシール様は、呪いを刻み込まれたようなものなのですよ……。

 未だにそれが、癒えません。癒えないどころか……日々、傷口を抉られているような状況です。

 その呪いのお陰であの方は、自分自身が信用できない。

 そして度々、精神の拮抗を崩し、不安や恐怖に支配されます。

 レイシール様の発作の原因は異母様。そして兄上様です。

 異母様方の前に立つことが、あの方にとってはかなりの重圧なのですよ。

 しかも、サヤに手を出しましたからね……サヤにもしものことがあったらと考えてしまったら、歯止めが効かなくなったのでしょうね」

「あ、あの……ちょっと、待って下さい。

 よく分かりません……呪い……? って、なんですか?

 刻み込まれたって、どういうことなのですか?」


 サヤの問いに、ハインは口を閉ざす。

 サヤは、そう聞きはしたものの……それが何を指しているのかは、薄々察しているように見えた。胸の前で握られた手が、小さく、震えている……。

 ハインは……一見無表情のままだ。

 だが、奥歯を噛み締めているのが、俺には分かる。怒りを抑え込むのに一苦労か……。これは、俺が変わった方がよさそうだな。

 そう結論を出して、俺は口を開いた。


「文字通り刻まれたんだよ。心と身体に叩き込まれたんだ。

 学舎に来た時、あいつは人形みたいに、顔が動かなかった。

 胸くらいまである髪を下ろしたままにしてて……顔の右半分は目の覚めるような美少女なのに、左側は額から、頬にかけて、酷い色に変色してた。それを髪で隠してたんだ。

 俺が腕を掴んだら、反射的に両腕で頭を庇った。その腕にも痣があった。

 俺がレイを初めて見たのは、入学から二週間も後だ。俺は上級生に暴力を振るわれたのかと思ったから、そう聞いた。けど、あいつはちがうって言った。ここのひとは、なぐらないよ。って」


 サヤが、固まった。

 嫌な予感が的中したってところなのだろう。

 せっかく止まっていた涙が、また溢れそうだ……。だが、ぎゅっと目を瞑って、それに耐えていた。

 可哀想なその姿に、俺の胸も痛むが、サヤにも、何もしてやれない……。

 暫くの間沈黙が続き、やっと気持ちを落ち着けたらしいハインが、重い口を開く。


「今日……ここに来ることを急いだのは……サヤのためというのもひとつでしたが、レイシール様のためでもありました。近々こうなるだろうという、予感はありましたから。

 もう少し大丈夫かと思っていたのですが……見誤っていましたね」


 大きく息を吐いて、苦しそうに顔を歪める。

 ハインは、レイが振り切れてしまう前に、ことを収めようと思っていたのだろう。

 ここにきて、少しでも気持ちを切り替えることができれば、まだ崩れずに済むだろうと……まだ大丈夫だと、考えていたのだと思う。

 だが、思っていたよりずっと、レイは消耗していたようだ。

 見誤った……か。そうやって、自分の全部をレイの為に注ぎ込んで、レイを支えようとするハイン。レイに悟られないように、一挙手一投足に神経を使っている……。

 こいつもいい加減、ぶっ倒れそうなんだけどな……。どうせその辺も、気力と根性でやり繰りしてるんだろう。


「レイシール様は……そんなに怖いのに、私についてきてくれたんですか……」


 サヤの呟きに、首をかしげる。ついてきてくれた?

 そう言えば、魔女がサヤに手を出したって言ってたな……それのことか。

 レイのことだから、自分が矢面に立とうとしたに違いない。

 ハインはサヤの問いに、首肯して答える。


「……そういう方ですから。

 そうやって、自分に鞭打つ方なので、どうしても身を削ります。

 言い出したら引きませんしね……。呼ばれたのがサヤでしたし、ついて行っても無礼にならないのは、レイシール様だけでした。あの時は行かせるしかなかったのですよ。

 そもそもが、怠けるとか、手を抜くとかができない方で、人をさし向けるという思考になりません。

 まあ、こう言ってはなんですが……馬鹿なのですよ」


 言葉は辛辣だが、ハインは力の足りない自分に歯噛みしているのだ。

 レイを守りたいのに、それが出来ない自分に。

 どうせできるならば、自分が変わりたかったとでも思っているのだ。それができる状況なら、そうしてたに違いないが、できなかったから、悔しくて仕方がない。

 こいつもなぁ……腹黒さのわりに、優しすぎる。


「レイは優しすぎるんだよな……。

 自分以外の人間を異母様の前に晒すなんて、絶対しやしないさ。

 とりあえず自分が痛い分には、許容できちまう。自分の罰が、周りに降りかかる方が、あいつにとっては自分が痛いより、よっぽど恐怖なんだ……」


 だから、代われたとしても、レイはきっと、自分で行った。

 背負い込みすぎるな。お前のことだって、レイは大切なんだぞ。

 ハインに聞かせるための、俺の呟きだったのだが、サヤの視線がこちらに向いた。

 ああ……聡い子だな。罰ってのが一体なんなのか、教えとく方が良いか……。


「あいつの口癖、サヤはまだ聞いてないか……?

 俺は持ってはいけない。って言うんだ。

 子供の頃からあいつは、自分で考えることも選ぶことも、してはいけないことだと思い込まされてたんだ。

 何かを欲しいと思ってはいけない。自分の意思を持ってはいけない。異母様にそう躾けられてたんだよ。そして背いたと判断されると、罰を受けてたんだ……」


 いぼさまはただしい、あにうえはただしいの……。

 無表情で、ただそう繰り返すようになるまで、刷り込まれたんだ……。


「随分しつこく刷り込まれたようでな、今の状態でも、随分マシになった方だ。

 まだ自分の意思で動くし、喋るからな……前は、それすらままならなかった。

 けど、根っこの部分が深過ぎて、未だ持ってはいけないんだと、思ってる。

 今でもあいつは、何かを得ることを極端に怖がるよ。

 だから、物にも人にも執着しない……。失くした時辛いから、初めから持たないようにしてるんだ。

 そんな風でも人当たりは良いから、それで問題なくやれてるのが、たち悪いよな。

 運命にも裏切られてきてる……。異母様から離れても、あいつは失くし続けてきたんだ」


 俺の言葉に、ハインが目を伏せる。

 自分も、レイから奪ったものがある……そう思っているのだ。

 だから、鬼になってでも、レイの為に何かを得ようと躍起になる。


「手に入れてしまうと、それを取り上げられる……壊されると思ってる。

 サヤを突き放したのも、サヤが大切だからだ。大切だと意識してしまったから、失くしてしまうと思ったんだ。

 サヤに罰が及ばないように……故郷に帰してやれるように……失くす前に捨てるんだよ」


 捨てるのも、失くすのも、一緒だ。結局、残らないのだから。

 だが、奪われるのは辛いのだ。急に訪れる別離に、心が耐えられない。だからせめて……自分で捨てて、失くすことを選ぶ。自分が選んだのだと、納得し、諦める為に。


「あいつは、俺やハインも、捨てようとしたことがある。捨てられるつもりは毛頭なかったから、押し付けたけどな。

 持たなければ失くさない……どこかで元気でいてくれるなら、それでいいって。

 そうやって自分の気持ちを殺して、孤独になっていくように、造られちまってんだよ、あいつは」

「なんで…………?

 なんでレイは、そんなことされなきゃ、いけなかったの?

 あんな、優しい人なのに……罰を受けなきゃいけない理由が、一体どこに?」


 呆然とし、うわ言のような問いかけをこぼすサヤ。

 サヤの呟きに返せる答えは、ひとつきりだった。

 妾の子だから。

 正妻や、兄からすれば、レイという存在そのものが罪なのだ。

 だから、そこに居るというだけで、罰せられる……。

 その答えに、サヤは両手で顔を覆った。

 理不尽だよな……。レイは選んで生まれてきたわけじゃない。

 涙を流すサヤ。その存在が、ほんの少し、救いだった。レイの為に泣いてくれる存在がある。それだけでも、レイには貴重だ。

 しかし、どうしたものかな……。このままでは、レイはサヤを、手放してしまう……。


「連れて帰らない……か。

 口にしちまった以上、強行しようとするよな……。どうする?」


 捨てる覚悟をしたレイに、それを諦めさせるのは、至難の技だ。

 俺はコネを駆使したし、ハインは命を賭けた。それくらいのことをしなければならない。

 俺の問いに、ハインは分かり切った事を聞くなといった顔をして、答えた。


「どうもこうも、困ります。

 サヤが居なくなってしまったら、レイシール様の睡眠時間が削られます。今以上に消耗してしまう」


 ハインの言葉に、サヤの肩が大きく跳ねた。

 顔から両手を離し、赤くなった目で、ハインを見る。

 その視線を、ハインは静かに受け止めていた。

 見つめ合ううちに、サヤの顔が、どんどん上気していく。


「しっ、知ってらしたんですか⁈」


 顔も真っ赤になって、声も裏返り、何やら挙動不審にしている。

 涙も引っ込んでしまったようだ。


「何を知ってるんだ?」


 俺の質問に、ハインは簡潔に答えた。


「サヤが深夜、レイシール様のお部屋を訪問していることですかね」


 ひいっ⁉︎ と、息を飲むサヤ。

 俺も愕然とした。

 なに……それ……ち、ちょっと待て……⁈ 深夜って、それはその……男女間の云々の話じゃないよな⁉︎

 こっちの狼狽など気にしない風なハインは、真っ赤になったサヤを見つめたまま、きっぱりと言った。言い切った。


「知らないわけがありません」


 いや……カマかけてるだろお前……。その顔はそういう顔だ……。

 お前がやたら自信に満ちてる時は、相手がボロを出すのを狙ってる時だからな……。

 何か裏があるぞと気付いたのは俺だけで、サヤはアワアワしている。そして、ハインの狙い通りにボロを出し始めた。盛大に。


「あのっ、レイは悪くないんです。私が、強引に……無理やりしてることなんです。

 私、レイのうなされる声が聞こえちゃうから……それで、気になってしまって。

 レイは駄目だって、来なくて良いって言ったんです。でも、明らかに無理してるから……私、もう我慢できなくて、勝手に起こすことにしたんです。

 だから、悪いのは私なので、どうかレイは、怒らないでください、内緒にしてて、申し訳ありませんでした!

 でもレイは、ハインさんに心配かけたくなかったんです。

 ただでさえ苦労かけてるのに、これ以上は嫌だって……だから私が起こせば、どっちにとっても良いかなって……っ」


 ああ、無いわ。

 俺の心配は霧のように霧散した。

 なんて初心な反応……。サヤは夜中に男の部屋に出向く本来の意味が分かってない……これで云々してるわけがない……。

 そういえば、そもそもサヤは、男の良からぬ視線すら苦痛なんだよな……。俺が触れるのすらあんな風にビビって飛び退くような女が、何か間違いを犯すわけもなかったんだ。

 しかも相手はレイだしな……。更に無い……あったらむしろ褒めてやる。よくぞ成長したって。


 虚脱感に襲われる俺だが、ハインの反応は違った。

 アワアワ言い訳するサヤをしばらく眺めていたと思ったのだが、口元に手をやり、顔を思い切り背け……吹き出した。

 そのまま声を殺してくつくつと笑い続けるので、俺は血の気が引いた。

 人生初、ハインの笑う瞬間を、目撃してしまった……そして今も笑っている……嘘だろ⁉︎


「いえ、すいません。笑うつもりはなかったのですが……」


 まだ笑いが治らないのか、苦心しながらハインが謝罪する。そして……。


「……レイシール様が、そう呼ぶようにと、おっしゃったんですね?」

「え?…………あっ! も、申し訳ありません!」


 サヤの顔が更に赤くなる。

 俺は、意味が分かっていなかったのだが、サヤの言葉を頭の中で反芻し、やっと気付いた。

 レイシール様……じゃなく、レイと呼んでいる……ということに。


「嬉しく思いますよ、サヤ。レイシール様を、そう呼んでくださる方が、増えたことを。

 どうか、レイシール様の力に、なって差し上げてください。あの方には貴女が必要だ」


 優しい笑顔で、優しい声音で、ハインが言う。

 俺は気絶するかと思った。

 できるんじゃねぇか! なんで普段からその顔しないんだ⁉︎

 俺の心の叫びが聞こえていたのか、ハインの顔が、いつも通りの不機嫌さを取り戻す。

 サヤの眉毛が下がった。

 もうちょっと、見ていたかったのになとでも、言うように。

 それくらい、先程のハインの顔は、まるで天使の微笑みもかくやというほどに、穏やかだったのだ。

不幸まみれや……。

次は来週日曜日を目指します。


学舎時代のギル視線…長々と書いた文章が全部没になりました………いつかどこかにあげれたら良いなと思います。

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