対の飾り 2
「オリヴィエラ様が向かわれる王都は、貴女様にとって魔窟……。女性の参入を、二千年に渡り許してこなかった貴族社会。
そこに、楔を打ち込むことが、貴女様の役割……。
姫様の意志であるとしても、これに対する反発は、想像を絶するものになりましょう。
しかし、どれだけ不満があろうと、王となった姫様に、それを向けるわけには参りません……。
そうであれば当然、その矛先は、他の女性に向きます。中でも、女だてらに高位の役職を賜る……貴女様に」
返事は無かった。
けれど、膝の上の手が、キュッと握り込まれ、彼女もそれを理解していると知る。
貴族の頂点と言われるアギーの方だ……。特に姫様が望むくらいだから、お飾りであるわけがない。リヴィ様は当然、政治的な教育も受けてらっしゃるのだろうと、思っていた。
そうであるからこそ分かる……分かってしまう……。ギルの言っていることが。
アギーの方は変わっている……。
それは元々よく知られていることだ。
まず、アギー公爵様からしてお分かりだろう。貴族の頂点と言われ、とてつもない重責を担っているにも関わらず、どこか道化めいて見える方。
品の良い口髭に、流行の小洒落た衣装を着こなし、威厳のある立ち姿……に、似つかわしくない、軽い言動……。
やることも、かなり型破りだ。まず八人の妻と三十人以上の子を持つというのも相当変だ。
その妻の血筋だって、公爵家の御息女だけのはずがない。使用人からのお手つき……という方まで、妾ではなく、妻にされている。
王家唯一の姫君を、数多くいるとはいえ、我が子の中に紛れ込ませ、仮姿まで作ってしまっているし……。
最近知ったことだけど、そのお子らから、もう何人も貴族を辞してしまっていたり、それを全く頓着していなかったり、そもそもアギー公爵様が公爵になられたことすら、籤引きやらで決まっていたりする。
……そういったとんでも話に埋もれてしまっているが、それだけの行動力が備わるよう教育し、例えその子が貴族を辞そうとも、代わりに事欠かない……。アギーには、それだけの地盤が出来上がっているということだ。
そしてそれは、息子方だけに留まっていない様子。これも、十五歳という若さで、襟飾や、草紙を作り上げてしまっているクオン様を見ていれば、分かるだろう。
姫様がリヴィ様を選んだのは、ただ武を嗜む数少ない女性であるから……なんて単純な理由ではない。
アギーの血にあり、婚姻という他家との血の繋がりを有しておらず、政治的な柵が、最も少ない方として、リヴィ様は選ばれていると思う。
女近衛に任じられれば、当然婚姻など結んでいる場合ではないし、ましてや子を望むなど論外。それ以前に、男社会へと身を投じる危険を冒す人を、妻にと望む家も、まず現れない……。
政治的にも先が読めない事態だから、リヴィ様との縁が有利に進むとは限らない……。通常は、そう考える。
だからこそ、公爵家との縁を得たいと願っていたライアルドも、縁を切ることを承諾したのだ。
そう。
イングクス伯爵家の意思としてかは分からないが、ライアルドは公爵家との縁を望んでいたのだろう。
あんな風に、リヴィ様をこき下ろしながらも縁を繋いでいたのは、身分への執着ゆえだ。
それがリヴィ様も分かっていたから、彼に餌を与える形で縁を切った。
政治的な影響を極力減らし、自分の身で解決できる範囲に、被害を抑え込むために。
後々の危険も問題も、全て含み飲み込んで、もはや自分が婚姻を結ぶことはなかろうと、ひとり泥を被るつもりで、そうされたのだと思う。
つまりリヴィ様は、そういった絶妙な匙加減での駆け引き、判断ができるだけの教養が備わっている、稀有な女性なのだ。
だけどギルは、それが我慢ならなかった。
「貴女様には盾が必要だ。……違いますか?」
俺の時だってそうだったものな……。
何も言わず縁を切ったのに、強引に結び直してしまった。俺が逃げられないよう、伝手を駆使し、支店をメバックに作る算段までして。
お前は、そういう奴だ。だから、リヴィ様のためにだって、きっと本気で動く。
ライアルドの問題だけではない。この婚姻という札が、今後もリヴィ様を苛むことになるのは間違いない。
彼女を侮る者は、物理的にすら、彼女を組み敷こうとしてくるだろう。
無論、そうされにくいよう、アギーという血が選ばれた。けれど、それは危険が無くなったという意味ではない。ライアルドのような者は、きっと沢山いる。
彼女が、身ひとつであれば、彼女のみを押さえ込めば良いと、考えるだろう。
女性であるというだけで、見下しにかかってくる輩は、そんな風に短絡的に考えるものだ。
けれど。
もし、彼女に盾があれば。
事態はまた、大きく違ってくる……。
「貴族でもない其方に如何程の価値がある。
それとも……そこな男爵家の後継が、オリヴィエラ様を第二の妻とでもするつもりか」
それまで成り行きを見守っていた従者の方が、不意に口を開いた。
まぁ、そう言ってくるかなと思っていたので、俺はそれを即座に否定した。
「ご冗談を。男爵家如きにそのような力がないことなど、百も承知しております。
それに私は、身も心も、魂も生涯も全て、サヤに捧げておりますから」
例え公爵家のご令嬢との血縁だって、俺には必要無い。
「……レイ殿には夜会で既に、断られておりますものね」
即座に切って捨ててきた俺に、従者の方は少々面食らった様子。そこにリヴィ様が、そう言葉を添えた。
その話はこの方には伝えられていなかったのだろう。更に驚く従者の方。まぁ……話の流れでそんな話題があったね。程度のことだからな。
リヴィ様は、しばし逡巡するように瞳を伏せ……。
「……店主殿が私に用意しようとなさっていた耳飾……それは、あの新たな耳飾ですのね」
「左様でございます」
姪のルーシーが絡んでいる時点で、それは推測できたろう。
そして従来の耳飾ではないということが、こちら側に、身体を繋げる行為を求める意思は無いと示している。
「姪御と、サヤを下がらせたのは……あの二人には聞かせたくないお話ですのね」
「そうですね……。あの二人は耳飾を政治的に利用するということを、好ましくは思わぬでしょうし……。
そもそも耳飾を、そのように使用する発想は無いでしょう……。
あの娘らはまだ色々と未熟ですし、このような使い方は知らぬ方が良いと判断致しました」
リヴィ様はもう成人されているから、契ること事態は、自らの意思で行える。
けれどあの耳飾を選ぶということは、これがあくまでも『取引』である。ということ。
ギルには…………その気は無いということ。
「……レイ殿ではないなら、いったいどなた?」
「どなたでもありません」
ギルの発言に、リヴィ様が困惑したように、眉を寄せた。
逆に従者の方は、眦を吊り上げ、武官の方は剣の柄をカチリと鳴らした。
「貴様、アギーを愚弄しておるのか!」
しかしその怒声は流し、ギルは言葉を続けた。
「架空の方です。それを作り上げる。
オリヴィエラ様と長年交流のある方。
その方は此度、貴女様が女近衛の役職を賜ると知ったことで、決意を固められた。
貴女様が、国に賜った役職を完遂し、任を解かれる日を待つと。
貴女様の枷とならぬよう、契りは交わさないと決意された。それをしてしまえば、家の意向を反映しなければなりませんからね」
ギルの語る設定を、混乱した様子で、とりあえず耳に入れるリヴィ様。
配下の方々も、一応は怒りを納めて、まずはギルの提案を聞くことにした様子。
「この新たな耳飾をご存知であるということは、この冬、アギーの社交界に招かれた方だとなります。
更に、オリヴィエラ様が王家より役職を賜ることを、知ることができる立場の方。
縁を繋いでいらっしゃった、イングクス伯爵家、ライアルド様に、間柄を悟らせぬだけの技量ないし手段、もしくは地位を持つ方……。
この方も、ライアルド様と同じく、縁を切ることをオリヴィエラ様に望まれた。しかし拒み、貴女様との先を決意され、貴女様もそれを受け入れた。そういう筋書きです。
きっと邪推は、かなりの広範囲に及ぶでしょうね。
今年からの婚姻は荒れるでしょう……。姫様が、公爵家以外から夫を選ぶ、その理由が明るみになれば、尚のこと」
ギルの言葉にピクリと反応したのはリヴィ様と従者の方のみ。どうやら従者の方は、一つ深い情報を得ることのできる立場であるようだ。
ということは、この従者の方はアギーの中でそれなりの信頼を得ている方……もしかしたら、本来はアギー公爵様の従者であるのかもしれない。
そうして、リヴィ様も王家の呪いを耳にしている……。
「男爵家から、下手をすれば公爵家まで、推測は広がりましょう。一人を特定するのはとても困難であるはず。
地位も名も定かではありませんから、下手な手出しはできかねる……そう判断する家が多いと思います。
その形を作り上げることが、我々の提供する盾。
オリヴィエラ様は、ただ耳飾を身につけ日々を過ごし、そのお相手に関しては極力秘しておけば良い」
「極力……ですの?」
「そう、極力です。全ての情報を閉ざしたのでは、逆に信憑性が薄れますから」
なんとなく、概要が分かってきたのだろう。従者の方が、また口を開いた。
「そんな稚拙な手段で騙し通せるとは思えぬ……」
「騙せるよう、手段は講じます。
まず、情報の操作、撹乱はこちらにお任せいただければ問題ございません。
次に、その架空の人物を作り上げます。
貴女様との縁を持つ者から、ある人物を、この方の記憶として利用していただく。そうすることで信憑性も増します。
貴女様と七年以上の交流があり、貴方様とお会いする際は、他家の方との接点を持っていない人物。
特定されにくいであろう、貴族外の者が、その仮姿となります」
その言葉に、リヴィ様は瞳を見開いた。
そうしてギルを、ただ黙って凝視する。
ギルもその視線を正面から受け止めた。
俺は表情に出さぬよう、心の中だけで深く息を吐く。
良かった……。ひやひやしたけれど、なんとか俺の策は成った。
「……その方は、毎月貴女様に、バート商会を通して贈り物をする……。たまに手紙も添えられます。
貴女様はそれを受け取り、使用し、たまに返事を認めてください。
それはバート商会から、その方へと渡されます。
バート商会は、本店と支店を持ち、そのどちらも、多くの貴族の方と縁を持ちますから、店の利用者から相手を絞り込むのは、些か骨が折れることでしょう」
ギルの引き上げられた口角が、その作戦への自信を覗かせていた。
相手の特定など、実質、無理だろう。
老舗のバート商会は長く貴族との取引を続けてきている。それは、そうやすやすと情報を漏らしはしないという、実績でもあるのだ。
現に、父上へと俺の情報を伝えていたアルバートさんも、それをジェスルに悟らせてはいない。
更に、マルを使って情報操作を行い、その上でお相手は架空の人物……。
手紙はバート商会より外には流出しないとなれば、知られてしまう要素は無きに等しい。
そしてこの策には、ライアルドのみに絶大な効果を発揮するであろう、もう一つの罠が潜ませてある。
耳飾から連想していけば、俺の存在はすぐに引っ張り出されるだろう。
調べていけば、バート商会との縁が、俺に繋がることもすぐに出てくる。
けれど……。
ライアルドは、きっと邪推することになるはずだ……。
俺から絡まる、ある方との縁を……。
あの夜会には、特別な方がいらっしゃっていたというのは、皆の記憶にも新しいだろう。
そう、リカルド様だ。
今年の社交界には、リカルド様がアギーまで出向いてこられていた。これは正直、異例なことだ。
家督を継がぬとはいえ、嫡子を寄越すなど、普通はしない。まさかリカルド様が、俺に会うために来ていたなどとは、誰も考えまいし、知られたところで信じはしないだろう。
そんな巫山戯た理由より、縁を繋ぐ女性に会うためだった……と考えた方が、余程しっくりくる。
更に、リヴィ様とのいざこざに、彼の方は介入したのだ。
ライアルドにしたら、それが充分な根拠となる。
「…………何故そこまでなさるの?
店主殿の利点が見えてきません。
そのようなお話、やすやすと信じることなどできかねますわ」
冷静を装い、リヴィ様はゆっくりと落ち着いた口調で、そうおっしゃった。
確かにそうだろう。
ただ貴女のためにだなんて、そんな馬鹿みたいな話、信じることなどできはしない。
だけどギルは、その馬鹿をやるのだ。
リヴィ様の負担にならぬよう、ちゃんと理由まで用意して。
「実は……本店の兄から、いい加減所帯を持てと、せっつかれておりまして……」
綺麗な顔を、計算尽くの麗しい苦笑で飾って、ギルはその言葉を口にした。
途端、リヴィ様の表情が凍りつく。
「………………そう、なのです、か……」
そうして、かろうじて言葉を吐き出した。
ギルは、それをあえて気付かぬふりで、言葉を続ける。
「はい……。とはいえ、私にはその気が無い。
店主としての体面などもありまして、ただ望まぬでは通らないくらいには切迫しているのですが……まぁ、兄は私の『遊び』を、元から快く思っておりませんからね。
いい加減に落ち着け……と、言いたいのでしょう」
ギルが、多くの女性との縁を持つことを、リヴィ様はご存知だ……。
だからこう言えば、彼女は納得するだろうと、ギルは考えたに違いない……。
リヴィ様は、瞳を伏せた。
何かを押し殺すような表情を、隠すために。
「私は幼き頃の記憶を、貴女の愛しい方の仮姿として提供する。
私は兄に、貴族の方との縁があると伝える。
私は王都で、貴女様を煩わせる瑣末ごとから、貴女様を守る盾になる。
その代わり貴女様は、私の秘密の恋人役を担う……。
貴族の方の都合にこちらが合わせるのは当たり前ですから、兄も私の婚姻をとやかく言えなくなりますし、公爵家のご令嬢が耳飾を利用すれば、その価値も高まることでしょう」
お互い、益のある話ですよと、笑顔でギル。
従者の方はまだ懐疑的な表情であったけれど、顔を上げたリヴィ様はもう、作られた貴族のお顔だった。
個人の感情は捨て、政治の世界に身を投じる方の顔……。
「毎月の贈り物とはなんですの?」
「文字通り贈り物の場合もあれば、お互いの情報交換であったり、女性職務者用、新作衣装の試作であったりします。
定期的に連絡を送ることが不審とならない手段が必要かと。
当たり障りない手紙でしたら、他に見られても問題ございませんよ。そういったものも混ぜるつもりです」
「……手慣れてらっしゃるのね……」
「……まぁ、色々と考えて行動することを余儀なくされていましたからね。それがこのような形で役に立つとは、世の中何が功を奏するか分かりませんね」
そんな風に言い、ギルは肩を竦めてみせた。
それでもなお逡巡する様子のリヴィ様に、ギルは最高の笑顔で、最後の一言を付け足す。
「もし……王都での生活で、将来を誓い合える方と巡り会えたならば、盾の役割はその方にお譲りしますよ」
「…………分かりました。取引致しましょう」
リヴィ様の言葉に、従者の方が、もの言いたげにするが、それをリヴィ様は、さっと手を挙げて制した。
彼女がこの場において、己のみで判断を下したことに困惑しているのだろう……。きっと普段のリヴィ様なら、そのような軽率な行動は取らない。
「書面には残しません。これはバート商会支店店主、ギルバート殿と、アギー家の私の、個人的な取引。それでよろしいのね?」
「はい。ありがとうございます」
そう言いギルは、深く頭を下げた。
その姿を、リヴィ様は黙って見つめる……。そうしてから、つと、俺に視線を寄越した。
これで、よろしかったの?
そう聞く瞳に、俺も一応笑顔を返す。
今は。
少なくとも二人の縁は、これで確実に繋がった。
女近衛の正装から、働く女性の衣装に大きく手を広げていこうとしているバート商会は、必ず王宮内に必要とされるようになる。
だから、この先をどう育てるかは、二人次第となるだろう…………。
◆
その後は、例の書面を埋めることに時間を費やした。
二人で話し合うことができれば、それはあっという間に埋まっていく……。
耳飾の題材も、二人の共通点として、剣術に因んだものとするよう決められた。
けれど、大まかな図案を決めたにも関わらず、リヴィ様は耳飾の題材確定を、明日の朝まで待って欲しいと俺たちに伝えた。
「ルーシー殿にお伝えするまでなら、時間の猶予があるのでしょう?」
「…………オリヴィエラ様、ルーシーに敬称は……」
「店主殿のことも、ギル殿とお呼びしますもの。……それに、姪殿に本来の理由を伏せるならば、必要なことでしょう。
ギル殿も、私のことはリヴィと、そうお呼びくださいませ」
「…………畏まりました。ですが、サヤ同様、姪のことはルーシーとお呼びください。その方が、あれも緊張せずに済むでしょうし」
そう言うと、リヴィ様はにこりと笑った。
そうして、何故か黙ってギルを見つめる……。
「……あの?」
「どうぞ、リヴィとお呼びになってくださいまし。
ここで確約を取っておかなければ、ずっと回避し続けられる気がしますの」
「…………」
サヤでも言えることだけど……肝の座った女性って、なんかとても圧が強い……。
ギルは、少しの間抵抗し、押し黙っていたけれど、リヴィ様に引く気がないのを早々に悟った様子。
「…………畏まりました……。リヴィ様」
負けじと全力の笑顔でもってそう応えたのだが、それにはリヴィ様が面食らったように頬を染めた。
するとギルはふふんと笑い……。
「俺の顔にも慣れていただかなければ困りますね」
「……善処致しますわ」
そう言い咳払いをすれば、もう普段のリヴィ様だ。
「取り繕うのは慣れておりますの」
つんとすましてそう言うリヴィ様。
牽制し合うそのやりとりがなんだかおかしくて、俺は少し笑ってしまったのだけど、その途端従者の方にギロリと睨まれ、慌てて顔を引き締めた。
そんな和やかにしている場合じゃないと言いたいのだよね? うん、それは分かってる。でも……まぁ、少しくらいは、ね?
「……書面も埋まりましたわね。では図案に関しては、明日の朝、お伝えしますわ。
本日はそろそろ……」
「そうですね。遅くまで申し訳ございませんでした。おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
リヴィ様が応接室を退室するのを、ギルと二人で扉の外まで見送ってから、俺たちは無言で長椅子まで引き返した。
そうして座席の上にだらしなく身を投げ出す。
「ぅあああああぁぁぁ、生きた心地がしなかった……」
「お前が言うな。
そう言うなら、あんな提案してくんな馬鹿野郎……」
さっきまでの余裕ある素振りは影を潜め、真っ青になっているギル。まぁ……公爵家にあの提案は、無いよな……無い無い。でも、アギー公爵様は面白がって了承すると俺は踏んでいる。
多分、この件は従者の方からアギー公爵様に伝わるのだろうけれど、十中八九、そのまま放置されるだろう。
もしかしたらこれを利用して、何か別に画策されるかもしれないけれど、そこはまぁ……好きにしていただいたら良いし。利益となるなら尚のこと、喜んで利用してくださるだろうし。
そんな風に思考を巡らせていたら、窓辺で始終死にそうな顔をして、状況を見守っていたオブシズがよろよろと足元がおぼつかない感じでやって来た。
因みにシザーはもう腰が抜けてしまっているのか、先程から床に蹲ってしまっている。ごめんなシザー……。すっごい怖かったんだな、お前も。
「な、なんだったんだあれは⁉︎ 公爵家のご令嬢相手にお前らよくも……!」
胃の辺りを押さえているし、オブシズにはちょっと堪える内容であった様子だ。
良かったなギル、同じ心境を共有してくれる人がいたよ。
「……なんだったんだって……まぁ、リヴィ様の身の安全を確保するためにね、ちょっと保険をかけておこうかと……」
「ちょっとなのか⁉︎ ちょっとの内容か⁉︎」
「……今後に起こりうることを考えれば、俺たちが胃をキリキリさせるくらいの被害なら、安いもんだよ」
「……………………お前ほんと、胆力お化けだよな……」
そんな風にしていたら、俺たちの前に温かいお茶が置かれた。ハインだ。
どうせ話の大半は聞き流しているのだろう。こいつはいっさい動じていない。
湯飲みを手に取ると、温かさが身に染みる。指先からじんわりと温まって、気持ちが解れていく心地だ……。
お茶を一口啜って、俺は深く息を吐いた。
「簡単に説明するとね、リヴィ様に架空の恋人を用意したんだ。それをライアルドが、リカルド様じゃないかと邪推する形で設定する算段をした。
ライアルドの性格からして、彼はその推測を黙っておけるほど肝が太くないよ。だから、まことしやかに広まるだろうな」
「アギーだけでも大概なのに、ヴァーリンまで巻き込んでるのか⁉︎」
「大丈夫だって。イングクス家は生きた心地がしないだろうけれど、あくまで噂。しかも俺たちじゃなく、ライアルドの勝手な推測でしかないから」
「どうしてそんな風に平気な顔してられるんだあああぁぁぁ⁉︎」
どうしてって……開き直るしかないじゃないか。もうことを進めてしまったんだし。
噂の波及が弱いようなら、マルにちょっと補強してもらうかもしれないけれど、まぁ、そんなことにはならないかな。従者の質を考えても、秘匿には向いていなさそうだ。
ライアルドはこの件により、リヴィ様から一切の手を引くことになると思う。今後は今までを無かったことにするが如く、徹底的に接触を拒んでくるだろう。
縁を繋いでいたことも、公にできないだろうな。なにせ、怖すぎて。
まさかヴァーリン公爵家の嫡子であるリカルド様と、懇意であった女性を罵倒していただなんて……考えるだに恐ろしい……。しかもそれが同じ職場の将なのだから堪らない。
だからあの時、あの男爵家の小倅を口実に絡んできたのか! と、見当違いの推測に慄いている様子が想像できて、俺はちょっと笑ってしまった。
それを見咎めた一同が信じられないものを見る目でこちらを見る。
「とはいえ、明日だよ。耳飾の意匠が決まり、それを四日以内に作り上げてもらわないといけない。
四日が限界なんだ。完成したら吠狼に、王都に到着する前に届けてもらう」
「…………お前……なんかどんどんやばい奴になってないか……」
「そう?」
使える手は使わなければ価値が無い。
それに、吠狼の機能性を活かせるって、とても良いことだと思うんたけど。
彼らは人殺しなんかを生業にせずとも、充分やっていけるのだっていう、証明にもなるのだし。
「さて、俺たちもそろそろ休もうか。シザーとオブシズも、大丈夫だから、ゆっくり休んで」
「うううぅぅ、寝られる気がしない……」
「…………」
武官二人がフラフラと部屋を辞し、俺たちも部屋へ向かうかと席を立つ。
階段を上がり、ギルにおやすみと伝え、お互いの部屋に足を向けたのだけど……。
「……ギル。あれで、良かったの?」
ギルの背に、俺はそう、聞かずにはおれなかった。
俺は最後の一言で、ひやりとしたよ。
リヴィ様も、冷水を浴びたような表情をなさっていた。
あくまでも取引なのだって……念を押すために、ああ言ったんだよな。そんな必要、なかったんじゃないか?
俺の疑問は顔に出ていたのだと思う。振り返ったギルは少しの間俺を見て、ふいと、視線を逸らした。
「あれ以上があるか。そもそも、何年王都にいることになるか、分からん人だ。それを待っとくとか……そんな現実味のねぇ話にかかずらってられるかよ。
それに、リヴィ様が王都で、想い合える方と巡り会えりゃ、それに越したことはねぇんだから」
「でもさ……」
「俺は俺の天職であり、使命に魂を燃やしたい。その邪魔になりそうなものは持たない。
結婚なんざ、生涯通してする気はないし、必要を感じない。その方が俺としても楽しめる。
俺の店は支店だから、後継だって必要無い。いざとなりゃ、畳んで本店に戻れば良いんだし……」
これはあくまで取引。それ以上など、ありはしない。
そんな風に言うのだ……。
「だけどギル……!」
俺たちのことを気にしてるならさ、万が一の時は知らなかったって言えばいい。
お前の店には使用人が大勢いる。守るべきものが沢山あるんだから。
俺たちの縁は、そんなことでどうこうなりはしない……離れても、離れないよ。
そう口にしようとしたら、襟首を掴まれた。そして、鋭い視線で睨め付けられる。
「……お前らはもう、俺の血肉だって、前にも言ったろ。
それを削ぎ落とすなんて選択肢は、俺の中には無い。そこは大前提だろ。
これ以上言いやがったら殴るじゃ済まさん」
そうして突き飛ばすように手を離して、さっさと部屋に向かってしまった。
「…………」
だけどギル……お前はもう彼の方を、リヴィ様って呼んでる……。
それに、今俺に話したことだって、言い訳だよな?
リヴィ様の負担になることを、一つだって減らすために、そんな気なんて無い。待ってなどいないって、そう含めたんだろう?
だから今お前は……生涯通して結婚する気は無いって……そう、言ったんだよな。
それがお前の優しさだって分かってるけど…………。
…………そんなのは、嬉しくない……。




