表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第十章
287/515

種の枷

 食事を与え、腹を膨らませたウォルテールは眠ってしまった。

 数日間まともな食事にはありついていなかったのかもしれない……。と、いうか。この季節には自然の実りだって期待できないだろうに、よくまあ着の身着のままで逃走し、ちゃんと生きていられたと感心する。

 俺の部屋の隅で丸くなってしまったウォルテールに毛布を掛けて、見張りにシザーを残し、俺たちは応接室に移動することにした。父上と合流して、遅い夕食が振舞われ、あまりのドタバタに気疲れしていた俺たちは、そこでやっとひと心地つけた。


「もう大丈夫なのか?」

「はぁ、なんとか落ち着きました。お騒がせして申し訳ありませんでした……。サヤを探して逃亡してたみたいなんですよね、あれ」

「狼まで手懐けるか。流石勇者よな。……だがだいぶん、疲れている様子だ。今日は早く休みなさい」


 狼と格闘し、怒って泣いて、身体も感情も忙しかったサヤはかなり疲れているのか、先程から食事の手も止まりがちだ。

 けれど、先に戻って休むかと聞くと、首を横に降る。


「……シザーにご飯を持って行って、そのまま部屋で休憩したら? 疲れているのに頭は働かないよ」


 もう強引に休ませようとそう口にしたのだけど、サヤは俯いてしまう。……仕方がないな……。


「父上、明日は夕刻に、拠点村へ戻ります。

 多分午前中のうちに、ウーヴェやロビンがこちらに来ると思うんですよ。

 近日中にクオンティーヌ様が耳飾の件で人を寄越すとおっしゃってましたし、ご本人も来られるでしょう。女近衛の正装の件もありますし」


 クオンティーヌ様の取材準備や、新たに雇う女中や衛兵の募集も手配しなければいけないし、やることが多すぎて頭が痛くなりそうだ。

 そう考えていたら、父上が「では我らのみ、先に戻ろう」と、おっしゃった。


「メバックでせねばならぬことが多いのだろう? いちいち戻って半日使うなら、ここでやるべきことをある程度進めた方が良かろう。

 拠点村のことは暫くこちらが預かる。

 私も新たな騎士らの配属手続きをせねばならぬし、交易路計画の方にも書簡等届いていよう。それに、一度セイバーン村にも立ち寄りたい。土嚢壁とやらをいい加減見ておかぬとな」


 その申し出を有り難く受けることにした。

 ついでに任せてしまえるようなことは請け負うとのことなので、そこはマルと打ち合わせしてもらうとして、俺はハインを伴い早々に退散することにする。無論、サヤも一緒だ。


「シザーごめん、ここはもう大丈夫だから、夕食食べておいでよ」


 シザーを送り出し、お茶をお願いしてきますとハインが退室したので、そのまま落ち込んでいるサヤを腕に抱き込んで長椅子に座る。

 サヤは抵抗もなくストンと膝の間に収まって、だけど視線を合わせてはくれなかった。

 ずっと、ジェイドやアイルは、ウォルテールに手厳しくて……サヤがそれを少し、気にしていたのを、俺は知ってる。

 サヤの世界では、二十歳を過ぎても親の庇護下にいることも普通で、ましてや十三やそこらで自立なんて考えられず、たとえ親を失っていようとも、国が保護し、育てる機能があるそうで、その環境が万全であるかどうかはさておき、子供は命を賭けるまでして生きていく必要が無いという話だ。


 何かにつけて平穏なサヤの世界。そんな場所にいた彼女には、ウォルテールの置かれた境遇は、やはり気になるものだったのだろう。

 ジェイドやアイルは、決して、ただ厳しいわけではない。その必要があってそうしている。それは分かっていたけれど、それでもつい、ウォルテールに接する時に、彼を甘やかす方向に動いてしまう。その結果が、今回のことに繋がった……。彼女は、そう考えているのだと思う。


「……マルから教わったのだけどね、獣人はもともと北の地に多く生息していた、狩猟民族なのだそうだよ。

 それに対し、人は農耕を主にしていて、南の方から、少しずつ住む範囲を広げていってた。その結果、民族同士の衝突が増えていったのだろうって」


 獣人は獣化という特殊な能力を持っており、野も山も関係無く、縦横無尽に駆けていたのだという。狼の姿で獲物を追い込み、人の姿で煮炊きをして、革を加工する。

 獲物を追って人の住む地に乱入することもあり、他種族との縄張り意識の薄さが度々の衝突を招いた。

 が、獣人は基本的にあまり物事を深く追求しない。狩猟民族であることも影響するのか、生き方自体が楽観的で、刹那的だったそうで、人との小競り合いなど、その場が終わってしまえばケロリと忘れる。

 ゆえに、また同じことが繰り返され……という形で、人が一方的に目くじらを立てていたのだと思われるそうだ。


「そんな彼らだけど、仲間意識はとても強かったのだって。

 群れで狩りをするからね……。それぞれの役割にはとても重要な意味があり、それを果たせないと生きていけない。

 だから、幼き頃から順繰りに、その役割をこなして、大きくなるごとに重要な役を請け負っていき、成長していくのだって。

 ローシェンナの所は、彼女自身が北の狩猟民だしな……。その昔ながらの傾向が強いんだ。

 それで……ウォルテールは……元々群れにいたわけじゃなさそうだって、マルが言っててね、その幼き頃から身につけるべきことが、備わっていない。

 だからどうしても、厳しくしなきゃならない部分が多かった。

 能力的には大人顔負けだし、獣化だって誰よりも上手い。だから余計、幼き頃に身に付けるべきであった役割の理解という部分が、飲み込み難かったのだと思う。

 難しいよな、こういう問題は……。言葉で説明できることじゃないことが、多いしな……」


 身に染み込ませるしかないことなのだよな。

 だけどそんな事情、知ったのは俺だって最近で、そもそも獣化できることを隠している獣人らは、習慣どころか存在すら明かさない。わざわざ説明する気も無かったろう。

 サヤがその辺りを理解できなかったのも致し方ないことだったわけで……。


「……ジェイドさん、大丈夫でしょうか……。

 あんなに酷い怪我をさせてしまいました。なのに私……やっぱりどうしても嫌で……ジーナちゃんを理由にして、掟を蔑ろにしました……」

「うん。でもそれは俺も一緒。俺だって嫌だったよ。あそこであんな風に、ウォルテールを死なせたくなかった。

 だから、そこは一緒に謝ろう。許してくれるまで……。怪我は……心配だから出てきてくれれば良いんだけど……怒ってたしなぁ……」


 怒ってた……けど、ジェイドは譲った。

 だから本当は、ジェイドだって嫌だったのではないかと、俺は考えている。

 問答無用でことを進めてしまうこともできたろう。だけどそうしなかった。ジェイドはウォルテールに分からせるため、あえて厳しく接してみせたのかもしれない。

 多分サヤが止めに入るだろうことも、俺が拒むだろうことも予想して……。

 冷静になってみればそう思えたのだけど、サヤはそんな風に考える余裕もないのだと思う。


「私……私がいけなかったんです。私がウォルテールさんを変に甘やかしてしまったから……。

 中途半端に関わって、こんな風に……ジェイドさんの腕が大変なことになっていたら、私、どうしよう……」


 小さくなって、声を震わせるサヤを、ただ後ろから抱きしめた。

 実際のところは分からないから、簡単に大丈夫だなんて口にできない。

 部屋の隅に丸くなっている毛布。規則正しく繰り返される呼吸。

 俺はそれを暫く見つめてから……。


「ジェイドは、短剣を鞘に収めていたろう?

 腕を噛まれて、あの巨体に伸し掛かられても、抜いていなかった。ウォルテールには切り傷があったから、初めは抜いていたのだと思う。

 だけど、敢えて無手を選んだんだ。彼をあれ以上傷付けないために……。

 それはジェイドがさ、腕くらいの犠牲覚悟でそうしたんだと思うよ。

 サヤのウォルテールとの関わりを、本当に不要なものだと考えていたら、彼らはサヤをこれ以上、ウォルテールに近付けやしなかったと思うし、ウォルテールにだって、サヤの元に行けるとは言わなかったと思う。だから……」


 泣かないで。

 サヤを抱きしめた腕に落ちる水滴が、腕を伝ってサヤの膝に落ちる。

 ウォルテールには殺気があった。だけどジェイドは、それでも武器を手にしなかった。

 ただ彼は我を忘れて、その殺気をサヤにすら向けたから、あんな風に怒ったのだ。


 今の獣人は、己の闘争本能……生きるために必要だったその衝動を、抑え込むことを、覚えなければならない。

 ハインは後悔で己を縛り、獣人特有のその衝動に耐えている。

 ローシェンナもきっと、過去を糧に戦っているのだと思う。

 アイルは獣人にしては冷めているけれど、あれも彼なりの感情の殺し方なのだろう。

 元々が狩猟民族であり、獣の要素を強く持つ彼らは、人の世と交わって複雑になった。

 更に今は境遇という枷がある。感情の制御は、彼らにとって必須であり、かなりの試練なのだろう。


 ……そしてその状況を作り上げている今の社会の仕組みに…………酷く陰湿な作為を感じる……。

 獣人を知れば知るほど、それが強くなる日々だ。


「サヤくんが、劣勢遺伝子を教えてくれたでしょう? それで色々合点がいったって、前話したと思うんですけどね」


 執務の合間、サヤとハインが場を離れているときを狙って、マルはちょくちょくと獣人の情報を俺に伝えてくれていた。

 二人とも従者なので、どちらもいない時というのは案外貴重で、あまり多くは聞けていないのだけど……マルからは、二人の様子を見て、伝えるかどうかの判断は俺に委ねると言われていた。


「獣人は元来、短絡で楽観的なんです。狩猟民族ですからね、とにかく今を元気に明るく精一杯! みたいな感じというか。

 だから、結構な苦境に置かれても耐えてしまえる……。それが本当に、耐え難い苦境であったとしても……ね。

 獣人を、悪魔に使役される存在とした当時の神殿、彼らのその習性をよく理解していたのでしょうね……。

 あの頃まだ、たいした勢力でもなかった神殿は、これを教典に記した。

 貴族に取り入るためだったと思うんですよ。その頃の貴族は、自然災害や覇権争いに疲弊していて、民の鬱憤のはけ口が欲しかった。

 あの当時、血の交わりが頻繁であったろうに、どうして受け入れられたのかと不思議でしょうがなかったんですけどね……。獣人が血に潜り、数を極端に減らしていたのだと考えれば、可能性が見えました」


 書類仕事に手を動かしながら語られること。「あまり当時の資料が残っていませんから、憶測ですけどね」と、マルは言ったけれど、根拠が無いことを口にしやしないことも、俺は理解していた。


「劣勢遺伝子であったために極端な程に数を減らした獣人を、不満のはけ口にする口実を神殿から得る。

 そこには神殿と貴族の癒着、お互いの権力を目的とした取引があったのじゃないかと考えています。

 この仕組みの妙技と言える部分はね、北の地が舞台に選ばれていたということですよ」


 淡々と語っていたけれど、それはマルが人生の大半を捧げて調べ上げて来たことだ。獣人と人の関わりを紐解き、獣人を獣ではないと証明するために。


「獣人は北に生息する種族でした。獣化でき肉体的にも強靭でしたから、生存に場所を選ばなかった。

 だから年々南に広がっていく人の生活区域からどんどん追いやられていっても、それを問題としなかった。

 しかし南から来た人には過酷な地でした。農耕民族の彼らが生きていくための糧を得られない土地。

 けれど南にもう住む地は無かった。大災厄が、訪れるまではね。

 大災厄で極端に数を減らした農耕民族に、狩猟民族は寛大だったはずです。

 自然災害の脅威に翻弄されて食べるものを手に入れることができない農耕民族は、狩猟民族の彼らに縋り、彼らはそれを受け入れた。

 なにせ短絡で楽観的ですから。血の交わりだって別に気にしなかったのだと思います。

 南に戻る者たちにも自然についていった。

 あともう一つ、この二つの種が交わったことには意味がありました。

 出産です。

 獣人は狼の生態系に酷似しています。姿も近いですしね。

 狼は、群れにどれくらいの子を成すかは、群れの長が決めるんです。基本的には、一夫多妻で、長が複数の妻を持ち、子を成す。

 食料が豊富であれば、二番手や三番手もおこぼれに預かれることがありましたが、まぁ基本的に、強い血が子を残すんです。だから繁殖時期が近付くと、序列争いが大変だったんじゃないですかね。

 生まれた子はある程度育つまで皆の子として育てられ、狩猟に耐えられる年となれば序列最下位に組み込まれます。

 え、話が逸れてしまってる? 逸れてないです。ここが肝心なのに、もぅ……。

 えっとね、掻い摘んでお伝えしますと、獣人は複産だったって部分なんですよ。

 極端に数を減らした人を回復させたのは、彼らの繁殖力でした。

 農耕民族は群れの単位が小さい。ようは家族が一括りですからね。

 繁殖だって、人数を気にせず続けます。農耕には、人手が必要でしたから。

 獲物の数に影響され、繁殖時期くらいしか繁殖しなくて、ごくごく少数だった獣人も、これで爆発的に血族を増やした。

 ま、今はもう血も薄まってしまいましたし、双子もそうそう生まれませんけどね。

 南の地はそうやって急激に人口を増やして回復していき、北の地に残った者らは……少ない糧を得るために、獣人を利用する手法に辿り着いた。

 なんで北の地に残ったかって? そんなの、権力争いで負けたからでしょ、当然。

 人の世はややこしいですからね」


 憶測ですよ、憶測。

 マルはそう言って肩を竦めた。

 人の世の権力争いと自然災害が結びつけられ、神と悪魔の争いとして教典に記され、大災厄は作り上げられた。

 人と獣人が交わり、権力が交わり、人の世の汚濁が混ざって今の世が成り立っている。

 正直……当たらずといえども遠からず……そう考えているのだろう。


 権力……北の地の貴族がそれを欲したがために、獣人は堕とされたのかもしれない……。


「レイ?」

「あっ、ごめん……苦しかった?」


 思考に没頭していたせいで、サヤをきつく抱きしめ過ぎていたかもしれない。

 慌てて腕を解くと、サヤは濡らした瞳で俺を振り返った。

 やっとこっちを向いてくれる気になったらしい。

 俺は意識して表情を和らげて、サヤの頬に啄む口づけを贈る。


「ウォルテールはこのまま俺の部屋で寝させるよ。サヤは、ギルがルーシーの部屋を貸すって言ってたから、行っておいで」


 サヤが無事俺の婚約者となったので、流石に続き部屋はやばかろうとなった。まぁその……俺の欲求の部分を、自戒しなければならないといった意味で。

 それで、近日中にサヤの部屋を別途用意してくれるそうだ。

 今はルーシーが拠点村だから、彼女の寝台を利用してくれとのこと。

 ただ、職務上隣の部屋は残すと言っていた。サヤは俺の従者を続けると言っていたから。


「……ウォルテールさん……もう、暴れないでしょうか……」

「反省したんじゃない? 最後の方、随分と大人しかったし。

 ……俺は、サヤの優しさだってウォルテールには必要だったと思ってるよ。

 彼にもきっと色々あって、ローシェンナらに拾われたのだろうしね」


 サヤに拘ったのは、サヤが必要だったからだ。サヤの優しさを、欲したから……。

 命に関わる状況で、獣人の彼らに、それでも優しさを示したサヤに惹かれたから。

 俺としては……少々気を揉んでしまうけれど、サヤがサヤらしくあることを失わせたくはない。

 だから、極力我慢しようと思っていた。サヤは……俺を選んでくれたから。もうそのことで、やきもきする必要も無いだろうし。


「これからも時間はある。生きているんだから。

 失敗もするだろうけど、学んでいけば良いんだよ。

 だからサヤ、あまり気に病まないで。明日には、ウォルテールを許してやってくれ」


 そう伝えると、サヤは俺の首に両腕をまわしてきた。

 サヤから身を任せてくれたことに驚きつつ、俺もサヤの腰を抱き寄せる。


「…………おおきに、レイ」

「ふふ。改まって言われるほどのこと、してないけど」


 そう言ったのだけど、サヤは少しだけ俺を睨み、ウォルテールを気にするように視線をやって、それから瞳を閉じた。

 何を許されたかが分かって、嬉しくなる。そっと唇に触れて、しばらく啄んでから深く身を重ねた。

 満たされていることを、実感する。

 しばらくそうして愛を確かめ合って、最後にもう一度抱きしめた。


「明日、ジェイドが姿を現してくれたら、一緒に謝ろう」

「ん……」


 やっと表情を和らげたサヤを愛おしく思いつつ、頭の半分は、また別のことを考えていた。


 獣人を、悪魔の使徒へと仕立て上げた存在。

 その人物は、獣人自らがそこを抜け出せないよう、周到に仕組みを作り上げていた。

 本能が、彼らを縛るように。

 種としての形が、食らいついた牙を、より深く食い込ませるように。

 それを獣人らが自ら外す道のりは、まだまだ遠い……。

あとがき書いてる間に遅刻になる予感。

ギリ投稿できるか⁉︎


修正ついでに忘れてたいつもの一言入れよう。

来週も金曜日八時以降の更新を目指します。

いつも見てくださる皆様、ありがとう。また来週も頑張れるわ〜。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ