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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第九章
279/515

 セイバーンには神殿が少ない。

 と、いうか……元領主の館が置かれていた街バンスと、他はもうひとつきりだ。あとは社等、小さなものしかない。

 面積比で考えるとかなり少ないのだけど、そうである理由は三つほど思い浮かぶ。

 まず、土地の広さに対して人が少ない……というか、畑が多いこと。

 次に、田舎で、大きな都市が無いこと。

 最後に、他領に比べて比較的豊かであること。

 厳しいながらも、なんとか生きていける。それが大きいとのだと思う。


 フェルドナレンの内側に位置するセイバーン領には他国からの脅威は無いし、実りは豊かだ。

 代々の領主が農地の整備には並々ならぬ力を注いできていたし、収穫量も緩やかにだが概ね上昇している。

 川の氾濫が頻発していたセイバーン村の周辺はともかく、他の地域はそこまで生活が切迫したりはしていない。

 では、流民の流れてくる北の地はどうか。


 マルの話にもあったように、農地には適さない広大な大地を持て余している領地が多く、家畜を育てることを主な生業としているが、牧草地だって限りがある。

 スヴェトランの脅威があり、更にスヴェトランとフェルドナレンを分断するように連なる山脈は険しく、狩猟が行える範囲も限られる。

 そして、冬は寒さが厳しく、夏も短い……。雪に閉ざされる期間も長く、冬の過酷さは想像を絶する。


 そんなだから、神に……来世に縋る。次の世はもっと豊かに暮らしたいと願う。そんな風に、神に縋って生活をしている地なので、祠ならばどの村にもあり、領民は信心深く、神殿も多いそうだ。

 ただ……それは表向きの理由ではないかと、最近の俺は考えている。

 北は、人々の生活に、罪悪感や猜疑心を上手く利用した連鎖が組み込まれている……。獣人を利用し、貶めることで成り立つ形だ。

 逆を言えば、そこまでしてすらそれだけ厳しい土地柄だということでもある。


 その過酷さゆえに、土地を捨てて流浪の民となる者も多く、豊かな土地で少しでも恩恵にあやかりたいと、南や内陸を目指す。

 中でもアギーの豊かさは知られているため、特に流民がここに集まることとなる。

 その結果が、プローホルの外壁の外に広がった荒屋群だった。


 また、貴族から聖職者となる者が多いのも、北の地の特徴といえるだろう。

 たとえ貴族であっても継ぐものがなければ生活の糧を得るために働かなければならない。けれど、貴族としての役職に就ける人間は一握り。騎士となれるものばかりでもない。その結果、神に仕える道を選ぶことも、多くなるのだという。

 つまり、神殿というのはいわば、第二の貴族社会なのだ。


「流石アギーの神殿というか……煌びやかなことだ」


 ディート殿の呟きで、逸れてしまっていた思考を現実に引き戻すと、部屋の飾り棚にあった調度品を無造作に持ち上げたディート殿が、それを眺め、適当な感じで棚に戻していた。

 もうちょっと丁寧に扱ってあげた方が良いと思うんだけどなぁ……なんか見たような意匠の調度品だけど……北の工芸品かな。


「貴族対応用の部屋だからじゃないですか?」


 アギーの方もいらっしゃるし、その辺の適当な部屋では危険と判断したのじゃないですかね。

 俺は普通にそう考えたのだけど……。


「いや、実際ここの神殿は他と規模が違うように思います。俺は各地の神殿を目にしてきていますけど……下手をしたら王都近辺の神殿よりも立派じゃないですかね」


 部屋を見渡しつつ、ディート殿に同意らしいオブシズがそんな風に言う。

 彼は傭兵で……しかも貴族対応を主に仕事とする明けの明星という傭兵団に所属していた。争いごとに関わる以上、神殿に出向く機会は多かったろうし、彼が言うならそうなのだろう。


「まぁ、これがアギーの豊かさ……ということなのかな」

「余って美術品に手を出すなら他に回すくらいのことすりゃいいのに……神殿ってそういう所がほんと胡散臭い」

「クオン」


 何か気に障ったのか、急に毒を吐いたクオンティーヌ様を、リヴィ様が窘めた。

 どこに耳があるか分からなくってよと小声で注意するが、聞かれたって困りゃしないわよ! と、クオンティーヌ様は開き直っている。


「私たちは困りませんけれど、レイ殿方は困るかもしれないでしょう。

 無理やりついてきたのなら、それくらいの配慮はなさい。口を慎むことができないなら、先に馬車に帰っておいてもよくってよ?」

「…………分かったわよ」


 不貞腐れた様子でそっぽを向いてしまうクオンティーヌ様。リヴィ様も困ったように眉を寄せた。

 どうやら、クオンティーヌ様は神殿がお好みではない様子だな。ただ若者ゆえの神殿離れ……というわけではないように感じる。


「それにしても、どれほど待たされるのか……一向に誰も来んな。もう少しきつめに威圧しておけば良かったか」


 調度品観察に飽きたらしいディート殿がそう言って席に戻ってきた。

 オブシズとサヤは椅子には座らず、長椅子の背後に直立で待機しているし、立ちっぱなしは疲れるだろうから早く来てほしいのだけど……かれこれ半時間ほど待たされている気がしている。外が薄暗くなってきたな……。


 先程、礼拝を終えた俺たちは、神官を捕まえて上役への取次をお願いした。

 しかし、あいにく本日は多忙とのことで、やんわりと引取りを促されてしまったのだ。

 明日にはセイバーンに戻る予定のため、出直すことは難しい。国の事業に関わる重要事項であるからとお願いしたのだけれど、のらりくらりの逃げられた。

 成人前の俺と、近衛の正装を外套で隠したディート殿。俺の従者と思しきオブシズに、アギーの者とはいえ女性二人。

 大した身分じゃないと思われ、少々侮られてしまった結果の対応だったのだろうけれど、ディート殿が怒ったふりして威圧し、近衛の制服をチラ見せした結果、確認してくるからこの部屋で少し待っておいてほしいと懇願され、今に至る……。


「やっぱり危険人物扱いされたんじゃないですか? 袖の下を渡した方が良かったんじゃ……」

「まあ、それが目的だったのだろうが、それを叶えてやるには些か癪にさわる態度だったのだから仕方があるまい」


 そう。礼拝までは良かったのだけど……たまたま捕まえた神官が悪かったのか、それとも神殿の体制自体が問題なのか、頼みごとをするならそれなりのものを出せと言わんばかりの態度で、正直ちょっとどうかと思った。

 それでディート殿が威圧に出るという事態になったわけだけど……と、そこでサヤより「誰か来ました」という声が上がり、俺たちはそれぞれの役割をこなすため口を閉ざしたのだけど……。


「大変お待たせしました。

 申し訳ございませんが、司祭は現在も来客応対中でして……本日は目処が立たぬとのことです。

 明日の夕刻ならば時間を作れるということなので、日を改めていただけないでしょうか……」


 先ほどの神官ではなく、女性がやって来てそう述べた。

 服装も生成りの簡素なもの……信者……だな。

 年齢はリヴィ様よりもう少し上くらいかな? だけどそんなことよりも、動きのぎこちなさが目についた。

 あの神官、俺たちが怖くてこの女性に対応を押し付けた感じだな……。


「我々は明日には帰還する。今日しか時間が無いのだ。

 それに、本日訪れることは前もって使えを出し、伝えていたはずだが?」


 鬼役に徹すると決めたらしいディート殿が、俺から見ればウキウキと楽しげに役を演じているのだが、そんなことは分からないこの女性からしたら、それは怖いだけだろう。

 ビクリと身を竦ませ、どう答えたものかと悩む様子を見せた。その動きに、何か違和感を感じたのだけど、それは女性の言葉が続いたため保留になる。


「申し訳ございません……。ですが、本日はもう、難しいとのことで……」

「アギーのご息女様方にまでご足労いただいたというのに……か」

「……申し訳ございません……」


 これは、断ること以外を許されていないのだろうな。

 事情にしても、彼女には伝えられていない可能性が高い。

 表情を強張らせ、緊張しているのが伝わる……。そもそも貴族を複数名相手にしているということが既に、彼女にとっては死の宣告に等しいだろう。

 手打ちにされても構わない。それで溜飲が下がるのならば……と、贄に差し出されたといったところか……。

 神官のその対応に正直気分を害したけれど、それをこの女性にあたったところでどうしようもない。

 明日の朝方……出立前に寄るか……それくらいならばなんとか都合がつくだろうか……まあ交渉次第かな。

 そんなことを考えていたら、スッと、俺の背後で人の動く気配。


 オブシズだった。

 一瞬見えた顔は随分と険しく厳しいもので……呆気にとられていたのだけど、オブシズの足が向かう先がその女性だと分かって慌てた。

 いや、そこまで演技する必要ないよ⁉︎ どうせこの人には無理って言うことしか許されていないんだから、責めては可哀想だ!


「オブシズ⁉︎」


 だが、俺が制止の声をかける前に、オブシズの手が女性の腕を掴んだ。

 慌てて席を立ち、そちらに駆け寄ろうとした足が、止まる。

 女性の腕を上に引っ張り上げたオブシズ。その動きで袖がするりと落ちて、斑点がまばらに散った腕が、露わになったから……。


「…………先ほどの神官がやったのか」


 こ、これは…………っ。

 ……これは……日常的に振るわれている暴力の爪痕だ……。

 その中で、オブシズの視線が落ちていた箇所……まだ色付いていない箇所に、うっすらと肌色が歪な部分があった。

 時間を置けば、きっと赤黒く変色してくる……その予兆が見て取れる……。

 過去、俺の上にも降り注いでいた、理不尽な暴力。

 望んではいけない、願ってはいけないと、繰り返し刻み込まれていた日々が、目の前に閃いた気がして、急に胸が苦しくなった。

 あの時日々感じていた焦燥が……絶望が……望んではいけない、得てはいけない俺が、いま沢山のものを手にして、あまつさえ幸せまで感じて、それが一体何を招くのか……今から罰が……沢山のものを奪われた日々が、また巡ってくるのではという、圧倒的な恐怖が、一瞬で俺の頭を支配した。


「……お、お許しください……」


 けれどそれは、震え、掠れた悲鳴のような懇願で、霧散する。

 膝が崩れた女性が床にへたり込むのを、咄嗟にオブシズが支えたのだが、その腕は振り払われ、女性は床に蹲った。


「む、娘がいます。後生ですから、どうか、命だけは……あの子を、残していけない……どうか、どうか!」


 ガクガクと震える身体を小さく丸めるようにして、床に土下座した女性が、頭をオブシズの足につけるようにして懇願する姿に、唖然とするしかない。

 ディート殿やリヴィ様はあまりに急激な状況変化に、頭がついていっていない様子。

 当のオブシズは、こうなることは分かっていたと言いたげな、苦しい表情……。

 サヤが慌てて女性に駆け寄って、大丈夫ですよと声をかけ、抱き起こそうとするが、女性は頑なに態勢を維持し、頭を床に擦りつけた状態から動こうとはしなかった。

 これは…………無体はしないと俺が口にするまで、彼女はきっと、このままだ。


「……大丈夫。貴女は何も失敗していないよ。

 我々は今から帰るし、明日出直すことにする。そう伝えて……」


 なんとかそう口を動かすと、女性は暫しの沈黙の後、恐る恐るといった様子で顔を上げた。

 俺の言葉にクオンティーヌ様が俺を振り返り、ディート殿も渋面になる。


「レイ殿……」

「大丈夫。父上には無理はさせられないから、早くセイバーンに戻っていただく必要があるけど……なんなら俺たちだけで宿を取って、ここに残っても良いんだし」

「だが貴殿とて戴冠式や任命式の準備があろうに……」

「……良いんです。まだ、調整すればなんとかなる範囲ですよ」


 この女性の命と引き換えにするようなことじゃない。

 もしここで少しでも俺たちが注文をつけてしまったら、彼女が責められてしまうだろう。

 ただでさえ……日常的な暴力が振るわれている様子だ。これ以上は……彼女を追い詰めたくなかった。だから、率先して席を立つ。


「明日夕刻、また伺うことにするよ。

 貴女は……痣になる前に、患部を極力、冷やしなさい。……痣が多少は薄くなると思う」


 今、彼女にしてやれることは、他に無い……。

 例えば、彼女に振るわれた暴力に対し、俺たちがあの神官を叱責することは可能だろう。けれど、その後……それは何倍にもなって彼女に返る。

 ここをすぐに去る俺たちには、彼女の今後まで守ってやれない……だから、これが限界だ……。


「申し訳ないのだけど……出口はどこか、案内してもらえるかな」


 そう伝えると、俺たちが本気で帰るつもりなのだと理解していただけた様子だ。

 恐る恐る立ち上がる女性に、サヤが手を貸す。その表情が硬いのは、きっと痣の様子を彼女も心配しているからだと思う。

 腕だけじゃ、ないんだろう……。あんな風にきっと全身に、痣がある。先ほど感じた違和感は、体の動かし方の不自然さだ。

 痛い箇所を庇った動き……知ってる。よく覚えてる。俺もそんな風に、過ごしてたから。


「こちらです……」


 袖を元のように戻した女性の後について、足を進めた。

 やはり、少し右足を庇っているのが、今ならはっきりと分かった。

 それを分かっていて、何も口にできない自分が歯痒くて、つい顔が歪んでしまう……。

 俺たちはただ黙って、黙々と女性に従って先に進んでいたのだけれど、案内されているのは、どうやら来た時とは違う場所である様子だ。神殿の方には戻らない出口であるらしい。

 と……、不意にサヤが顔を上げた。


「あの、どなたかいらっしゃいます」


 その言葉に、女性がビクリと反応する。

 少し先の廊下、そこを曲がってくる一団があるのだろう。狼狽える女性に、ここで待つよと伝えると、ほっと胸をなでおろす。

 すると女性は、慌てて廊下の先に足を進め、そこにうずくまる様に膝をついた。


「……か、考え……たく……我々も精一杯……示しておるのですが……」

「人手も出せぬ、金も出せぬ、では其方らの存在意義はなんだ。其方らが、神へ捧げる奉仕は?」

「無論、日々精一杯の奉仕と祈りを捧げておりますとも。ただ今年の越冬は出費が嵩みまして……大火災があった年はどうしても……」


 次第に聞こえてきだした会話。複数人の足音……。

 角を曲がって現れた人物に、俺は正直言葉を失った。


 なかなか見たことのない、見事な身体……。どれだけ食べればそこまで身につくのかと疑いたくなるような巨体を揺らしながら、壮年の男が現れたのだ。

 背は高い。俺と同等くらい……横幅は二倍ほどはありそうだ。首など肉で埋まってしまい無いに等しい。その男の身を包む純白の法衣は金糸で刺繍が施された豪奢なものだった。

 足元に視線が及ばないのか、女性の手を踏みつけそうな位置をよたよたと歩き、進んでくるものだから、俺はつい咄嗟に「危ない!」と、叫んでしまった。あれだけの体重がかかれば、骨くらい簡単に折れてしまう気がしたのだ。


 その声でびっくりしたのか、巨体の男が足を止める。

 まだ寒い季節にもかかわらず、額には玉の汗が浮かび、息遣いも荒い……さもありなん。それだけの巨体を運ぶのは重労働だろう。


「何奴、ここは関係者以外立ち入り禁止ぞ!」


 こちらの服装を確認してから言ってもらいたいな……。

 と、いうか……俺たちがここにいることを知らなかった風な反応だ……。もしかしてあの神官、俺たちのことを伝えていないのか?

 そう思った矢先、その巨体の男を迂回するように飛び出してきた神官が、ギクリと動きを止めた。先程の奴だ……。


「申し訳ございません。お帰りとのことでしたので、お送りしておりました……」


 蹲ったまま、か細い声でそういう女性。その声に気付いた神官は、焦ったように周りを見渡してから「し、失礼しました!」と誰に向けたかも分からない謝罪をする。

 そして足元に頭を伏せた女性に対し、声を荒げた。


「おい! こっちではない。さっさとご案内しろ!」

「ですが、貴族のお方は……」

「神殿側から来られた方は神殿だ! もたもたするな!」


 そうして女性の腕を荒く掴み、無理やり立たせようとする。

 しかし、足を痛めている女性は踏ん張りがきかずよろけてしまい……。


「サヤ」

「はいっ」


 咄嗟に名を呼んでしまったのは、彼女が一番、場を荒立てないと思ったからだ。

 あの女性は俺たちに怯えていたから。平民で、武器を持たないサヤならばと、思った。


 乱暴に扱われよろけた女性が倒れこむ前に、サヤが体を割り込ませ、女性を支える。

 急に現れた人物に神官はギョッとしたのか、たたらを踏み後方にいた巨体の男にぶつかってしまった。


「貴様……っ」

「も、申し訳ございません!」


 途端に不機嫌な声音になった巨体の男。しかし更に後方からひょこりと顔を出した人物が、驚きに目を見開き……。


「……黒?」


 つい口から溢れたといった様子の呟き……。


 そして俺たちも、その現れた人物に言葉を失っていた……。


「……白…………⁉︎」


 肩で、切りそろえられたその男の髪。


 白……だ。


 何度見直しても色が無い。銀髪でもない。

 白……白髪だ。

遅刻してしまい申し訳ありません!

今週も難産しておりますよ……けれど三話更新目指して頑張ってまいります!


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