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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第一章
25/515

土嚢

「木の壁を作って、その後ろに土を盛って固める。それは、こんな感じですよね」


 執務室に帰るとサヤが失敗書類の裏側に、何かを描き始めた。

 始めは何を描いているのか分からなかったのだが、ハインが「川の断面?」と、呟いたのを聞き、それを意識して見ると……おお、成る程。確かに、川の断面だった。器用だな……見たこともないものを描くなんて。


「川沿いの道の手前までに、土を盛る感じですよね? でないと、道が塞がってしまうし…」

「うん。そうだね。

 道を埋めてしまうわけにもいかないから、高さを稼ごうと思うと、壁を二枚作って、その間に土を入れて、固める感じになる」

「それだと……あまり補強の意味が無いです」

「意味が無い?」

「結局、水嵩が増すと、後ろ側の木の壁に、川の水と、土の重みが全部かかることになるんです。それに……土が隙間から、流れてしまいませんか?」

「そうなんだよね……とはいえ、固めても固めても……結局削れる。木の板で防いでいるんだけど、隙間無くとはいかないし……」


 それを聞き、サヤはやはりな。と言う顔をした。そして、悲壮感を漂わせたような、暗い顔で「土は、袋に入れるべきだと思います」と、言った。


「私の国では土嚢どのうというものを作ります。麻袋などに、土を入れて口を縛ってそれを積み重ねるんです。土のみを積み重ねるより流れにくいはずで、岩より隙間ができにくい……はずです」

「成る程。袋で纏めてしまえば、削られ難いですね……しかも岩と違って、形が変わる」

「はい。ただ、やはり、それをただ積み重ねるのでは強度が足りないと思います。

 それで……土留めというものを作ります。地面深くに杭を打ち込んで、板を挟み、そこに土嚢を積みあげる……はずなんです。名前の通りに。

 つまり、レイシール様たちが、今までしていた作業とほぼ変わりません。板壁は一枚だけ。その後ろに積み上げるのは、土ではなく、土入りの袋です」


 サヤの言葉が終わると、ハインがなぜか執務室を出た。

 そして、茶葉を入れる綿の袋いくつかと、土を盆に乗せて持ってくる。

 袋に土を入れ、積み上げ、次に土だけで山を作り、手でぎゅっと押し固める。

 そこに、あろうことか水差しの水を掛けたのだ。


「成る程……流れ難い」


 袋詰めの土は、全部流れてしまたりはしなかった。水は濁ったが、そのまま袋に留まって、積み上がっている。手で固めた方は、部分的に崩れてしまった。一目瞭然だ。


「凄いな! それだけで結構違う! じゃあそれを……」

「待ってください! それだけじゃあ、きっと足りないんです‼︎」


 画期的な方法に飛びつこうとした俺を、サヤが声を張り上げて止める。

 そして、泣きそうな顔をするのだ。

 なんで? どうしたんだ⁈

 さっきからずっと変だ。素晴らしいことを提案している筈なのに、ずっと……なんでそんな、辛そうな顔をするんだ?


「私の国には……河川敷というものがあります。

 川幅の大きな川によく見られるんですけど……こんな感じです」


 新しい紙に、また何かを描き出すサヤ。それは、さっきと同じ川の断面のようだったが、形が一部違っていた。川の隣、道の部分を通り越して、その後ろに土が盛ってある。

 つまり、畑の真ん中に、盛り土がしてある図なのだ。


「なんでこの形をしているのか……今まで考えたことはありませんでした。

 でもきっと、そうなんだなって……。

 川が増水すると、勢いが増します。すると、どれだけ補強された場所でも、必ず削れます。

 この河川敷は……たぶん、川幅を広くすることで、水圧を抑えるんだと思います。逃げ場があれば、力は分散しますよね。

 ずっと、ずっと、川の対策をしてきたっておっしゃってました……。そして、どうにかしないといけない問題なんですよね……。なら、川と、道の間に土嚢を積むのでは駄目だと思います」


 サヤの悩んでいた部分が、やっと明確になった。

 そうか……畑を犠牲にしてしまう案だから、あんなにも長い間悩んでたのか。

 それでも、ずっと考えて、今後や、領民にかかる税金のことも考えて、サヤはこれを口にしたのだ。


「それに、この規模だと……相当な出費になりますね。

 まず、道と畑を潰すことになる……。橋も掛け直さなければなりません。この夏だけで終わる工事では無さそうですよ」


 そうなのだ。これだと蛇行部分だけではなく、結構広範囲に工事が必要になってしまう。

 この夏の対策としては難しい……年単位で掛かるんじゃないだろうか……。


「全部をいっぺんにしようと思うと、無理だと思います。

 ですけれど……たぶん、土留めを作った上から、補強をする形で作れると思うんです」

「どういう意味だ?」

「雨季の氾濫対策として、畑と道は一部犠牲になりますが、土留めを外側に作ります。

 そして、雨季が終わったら、その土留めをさらに補強し、河川敷にします。そして、河川敷のこの、盛り土の上に、道を作るんです。

 そうすれば、上を人や荷物が通るので、常に踏み固められていく状態になるんじゃなかったかなって……うろ覚えなんですけれど……。私の国では、そんな形になってるんです」


 図がなかったら想像できなかった。

 サヤは、土留めの上から更に土や岩で補強し、上部を道にした図を描き上げた。

 それは、風景を変えてしまう壮大な計画だ。なんて凄い……たかだか十六歳の娘の口から出てくるような内容ではなかった。


「申し訳ありません……私が言ったのは、結果から見た内容……空想です。

 だから、本当は違うかもしれない……でも……」

「でも、このままでは駄目だと、思ったんだね?」


 俺がサヤの言葉を補うと、泣きそうな顔でこくりと頷く。

 俺は腕を組んで考えてから、分かったと、サヤに告げた。


「ありがとう。検討する」


 今はそれしか言えない。

 けれど、サヤのいう土嚢というのは、確かに意味があった。土は流れず、留まっていたのだ。

 そして、画期的な対策が必要なのも確かなのだ。


「サヤ、この図を、新しい紙を使って良いから、描き直してくれる?」

「は、はい」

「ハイン、手紙を出したばかりで申し訳ないんだけどさ、もう二通送りたいんだよ。ギルと、商業会館のマル宛」

「マルに……ですか?」


「うん」と返事をしつつ、文面を考える。

 サヤを隠すつもりでいたけれど……これは無理だ。

 マルの協力を得なければ、これは実行できないと思う。

 サヤは壁の内側に土を盛って固めるのでは、外側にだけ重みが掛かると言った。

 言われてみれば、確かにそうだと思うが、そこらのちょっと学がある程度の人間には、パッと思いつけることではないと思う……。

 普通に考えたら、木の壁二枚に土を盛る方が、強固な壁であるとすら感じるのだ。

 けれど、サヤは、壁一枚で土嚢を背後に積み上げる方が強度が上がると言った。

 それは、きっとこの形に意味があるのだ。マルに見てもらい、土を盛るのと袋に入れるのではどう違うのか、今までの対策と、サヤの提案が、どれほどの差があり、どれほど費用が掛かるのか、計算してもらう必要がある。

 サヤのこと……マルに伝えても、良いのだろうか……。

 サヤが異界の人間であることを、マルが悪用するとは思わない。だが、情報に最も価値を置くマルは、それ故に、情報を得ることを優先するかもしれない……。サヤの情報を渡してでも得ようとする情報があるならば……。


 そこまで考えて、やはりマルに言うべきではないような気がした。

 けれど……サヤの言ったものを、サヤの言う通り作るのではなく、誰かが意味を理解できなければいけない気がしたのだ。

 サヤは十六歳の少女だ。彼女は自分の知るものを自分なりに考えて教えてくれたに過ぎない。それをただ鵜呑みにして実行するのは違う気がする。


 そういえば、サヤはずっと何か苦しそうにしていた……。畑を潰す提案をする所為だと思っていたけれど……なんかそれもしっくりこないな……。

 はずです……はずです……思うんです……サヤの節々が引っかかる……。

 風呂を提案してる時と全然様子が違った……その差はなんだ?

 泣きそうな顔のサヤの瞳の奥に、何がちらついていたかをもっと考えなければ……今、彼女のありのまま、全てを知っているのは俺たちだけなんだから。


 しまった、ちょっと脱線したか。

 マルだ。マルはきっと、この計画を楽しむ筈だ。

 この計画の中枢に立つことを、マルの報酬にできないだろうか……。たくさんのことを知りたい彼には、きっととても楽しいことだと思う。むしろ除け者にした方が後が怖い気がする……。そうだな……隠しておくより、取り込む方が有益だ。


 マル宛の手紙を、書くことにした。

 マルの助言を受け、氾濫対策を行なっていること。

 その段階で、土嚢というものを提案されたこと。土を盛るのと、土嚢を積むのとでの、強度の違いが知りたいこと。

 その上で……マルを信頼していること。だから、協力を請いたいのだと。

 壮大な計画なので、会った時に話すからと。


 ふと気がつくと、いつの間にか執務室には俺しか居なかった。机の端の方に、サヤの描き直した川の断面図が数枚重ねて置いてある。

 あ、しまった。

 久しぶりだな。自分ではたいした時間考えていたつもりはないのだけれど、偶にやってしまう。思考にどっぷり浸かってしまって、周りが全く見えなくなるのだ。

 何を話し掛けられたかも全く思い出せない。ハインのマルにですか? を最後にさっぱりだ。

 失敗したことに気付いて頭を掻きむしった。

 あああぁぁ、サヤにも見られた……俺が間抜けな顔でぼーっとしてるのをきっと見られた……最悪だ。前これでギルに揶揄われたのだ。顔に落書きまでされた。

 流石にサヤは落書きしてないと思うけど……と、窓に映る自分を確認する。

 わ。落書きは無いけど、日中回ってないか? もう昼なんじゃあ? 俺はいったい何時間ぼーっとしてたんだ⁉︎

 俺が風のように去った数時間を後悔していると、執務室の扉がコンコンと叩かれ、そっと開いた。


「レイシール様、気が付かれました?」


 サヤだった。俺の間抜け顔を見られたと思うと一気に顔が熱くなる。

 落ち着け俺、今更だ。もう散々間抜けなところは見せたろ……。そもそも怖い夢に魘されてるなんてことを知られてる時点で、最悪は経験済みだ。そう、もう俺の評価は落ちきってるから、今更だ。……なんか余計落ち込む……。


「ご、ごめん……。たまに……心ここに在らずになるというか……」


 しどろもどろ謝罪すると、サヤはふんわりと微笑んだ。


「はい。ハインさんから伺いました。

 すごく考えてらっしゃる時はそっとしておくようにって。

 申し訳ありません、いつ考えから抜け出されるか、分からなかったので、私たち昼食を済ませてしまったんです。

 レイシール様のぶんを、温め直しますから、どちらで取られますか?」


 あれ? あまり気にしてない……。


「……俺の部屋でいい?」

「畏まりました。では、お持ちしますね」


 パタンと扉が閉まり、俺はしばらく呆然とする。

 なんか普通だった……。全然馬鹿にする風もなかったし、笑うでもなかった……なんでだ?


「はっ、違う。もう昼なら、手紙を出さなきゃ……早馬が出せなくなるっ」


 大慌てでギルへの手紙を書く。

 えっと、文章考える時間が無い……まあいいか、マルはともかくギルにだし。

 水に強い繊維って何がある?土を入れたいんだけど。

 この前送った大店会議ちょっと待って、内容変わりそう。

 近いうち行くのは一緒。もしかしたら明日かも。


 思うままを箇条書きにして封筒に突っ込んで、蝋で蓋をした。

 マル宛と、ギル宛。確認してから執務室を出て、ハインを探すが居ない。仕方がないので、調理場に顔を出してサヤに聞いた。


「サヤ、ハイン知らない?」

「先ほど、村人さんがいらっしゃって、出ていかれました。

 収穫が終わったみたいです。すぐ戻るって、仰ってました」

「分かった、ありがとう」


 すぐ戻るったってな……もう時間ギリギリだろうし……いいや、俺が持って行こう。


 別館を出て、厩に向かう。

 手紙の配達は厩番の臨時収入なのだ。

 馬で移動すれば、馬車より早い。今日中の配達はまだ可能の筈だが……。

 厩番は居た。丁度良いことに、彼の息子も一緒だ。いつもこの息子が、馬に乗って手紙を届けてくれるのだ。


「すまない。昨日の今日で悪いのだけれど、これをメバックに届けて欲しい。

 バート商会と、商業会館。

 二件だし、ちょっと時間が厳しくて申し訳ないけれど……良いかな」


 俺が来ると思ってなかった様子の厩番が、慌てて周りを見渡す。

 あ、異母様たちの目につかないか、気にしてるんだな。

 俺も慌てて厩の影になる部分に入り、本館から見えない位置に立った。それでようやく、話ができる状態になる。


「今日も……ですか? しかも今日中?」

「昨日、会議の日程を決める手紙を出したんだ。けど、予定が合わなくなってね。

 だから急いでる。頼まれてくれるか?」

「はあ、承りました」


 ありがとうとお礼を言って、懐から謝礼を出す。

 渡した金貨に慌て、厩番の息子はそれを取り落としそうになる。


「ちょっ、これ……⁉︎」

「ごめん、二件分と、出産祝いだよ。息子が生まれたと聞いたから。

 早く帰って会いたいだろ?その時間を減らしてしまうお詫びも含めて。頼んだよ」


 本館から見えないよう気をつけながら、別館に戻る。

 彼は憶えていないだろう……。昔、俺と遊んだことがあることを。

 ここに来たばかりの頃、畑の中で、隠れんぼをしたのを。

 お互いまだ幼くて、分別もつかなかったから仕方がない。けれど、彼はきっと、酷く怒られたのだ。それ以後、会わなくなった。

 ここに帰って、しばらくは気付かなかったのだが、何度か顔を合わすうちに思い出した。

 だから、少し気にかけていた。幼い子供が一人でいるのを見て、きっと気に掛けてくれたのだ。なのに、ひどい目に合わせてしまった。だから、出産祝いも、渡せずにいたのだが……この際だから丁度良い。


 別館に帰って来ると、サヤがお盆を持って立っていた。

 え? なんで外に?


「大丈夫です。本館の人は、気付いてないと思います」

「……付いて来てたの?」

「レイシール様を見ておくようにと、ハインさんに言われてました。

 たまに突然、行動するからって。

 厩番の方、本館を気にしてらっしゃるようだったので、音を聞いておいたんです。

 特別不審な音はしませんでした」


 その言葉にホッとし、更に、気を使ってくれたサヤに嬉しくなった。

 俺を制止するんじゃなくて、補ってくれたことが。


「ありがとう……急に出て、悪かった。

 早馬を出せるギリギリの時間だったから、ハインを待ってられなくて」

「後でハインさんに怒られちゃいますよ?」

「まあいいよ。今日中に出さなきゃいけなかったし。ついでの用事も済ませれたし」

「ついで?」

「ん? いや……中で話すよ」


 中に入り、俺の部屋に向かう。サヤはお盆を持って、後をついて来た。

 行儀は悪いけど、執務机で食事をしてしまう。

 その間に、退室していたサヤが、お茶を用意して、持って来てくれた。

 サヤの様子をちらりと見るが、先程の、なんだか思いつめたような顔はしていない……。

 また突いて悲しい顔をさせるのも嫌だったので、追求はせず、お茶を受け取った。


「さっきの厩番……あ、息子の方なんだけどね。

 幼い頃、一度遊んでくれたことがあるんだよ。

 きっと後で怒られたんだろうな……それきりだったんだけど、最近、子供が生まれたって。

 手紙を届けてもらうついでに、祝い金を渡したかったんだ。祝い金って言うと、きっと受け取ってくれないからね」

「異母様の目が、あるからですか?」

「俺と繋がりがあると思われるのは得策じゃないんだよ。

 手紙の内容も、ざっくりとだけど伝えてある。それを異母様に伝えられても、俺としては困らない。で、厩番も叱責を受けない。ややこしいやり取りだけど、ここでは必要なんだ」


 俺の説明に、初めは微笑ましく微笑を浮かべて聞いていたサヤだったが、次第に顔が曇った。世話話にしては、ちょっと重い内容だもんな……。

 とはいえ、貴族ではそう珍しくもないことだ。案外普通なんだよと補足を入れようとしたのだが……。


「ずっと……気になってたんですけど……お父様は、何も仰らないんですか……」


 そんな風に返されて、逆にびっくりしてしまった。

 父上……?


「異母様や、兄上様が、レイシール様を快く思われていないのは……立場を考えると、仕方ないのかもしれません……納得は、出来ないですけど……。

 けれど、お父様は……それを叱責されたりしないのですか? レイシール様の味方には、なって下さらないのですか? だって……愛した女性の……ご自身の子でしょう?」


 あー……。

 どうなんだろう?

 その質問に返せるものがなくて、俺は沈黙してしまった。記憶の奥底にある父上は、優しくて、大らかな方だったと思う。会うときはいつも微笑んでいて、俺を膝に座らせてくれたりもした。頭を撫でてもくれた。手を繋いでくれたこともあるな……。でも……。


「……ごめん、よく、分からないんだ。十二年ほど、会ってないから」


 頭を掻きながらそう返すと、サヤは目を見開いて、唖然とした顔になった。

 まあ、うん……まさかだよね……。


「まず、三歳までは、母と暮していて、父上がたまに訪ねてくる感じだったみたいだ。

 さすがにその頃の記憶は殆ど無い。

 あれの後は……ここに呼び戻されたけど……。父上も、母も、領地管理の仕事で忙しくしておられたから……あまりお会いする機会も無くてね。

 で、六歳で学舎に行ってからは、ずっとここに戻らなかったし。母とは手紙でやりとりしてたけど、父上には書かなかったからなぁ……。

 ここに戻った時には、もう患っておられて、別邸で療養に入られてたし……」

「一度も? 十二年間、一度もなんですか?」

「うん。……ああ、仕方ないんだよ。俺は妾の子だし。数のうちには入ったけれど、それはあれのせいでだし。

 それに、そもそも滅多にお会いすることがなかったから、その生活が当たり前だったし」


 手紙は、あえて書かなかったのだが……それをサヤに言うのは憚られた。だってきっと、びっくりさせてしまうのだ。俺は自分から父上と接触することを許可されていない。

 ここに入る時にした、誓約なのだ。

 父上が、来るのは仕方がない。だが、俺から話しかけたり、近付いたりするのは許さないと。


「そんな! でも……」

「ずっと、伏せってらっしゃると伺っている。

 自分で動ける状態ではないのだから、仕方ないんだ。

 俺は、別邸に入ることも許可されてないから……仕事もあるしね」


 言い訳みたいになってしまった。

 俺としてはそれが当たり前の生活だったのだが、サヤにとってはやはり衝撃だったのだろう。暫く俺を見つめていたけれど、みるみる瞳に涙が溢れてきて、ついには零れ出してしまった。


「あの……ごめん……嫌な話を聞かせてしまった……。その、びっくりしないでくれ、これが普通なんだよ。ここでは、そう珍しいことでもないし……あああ、泣かないでくれ、悪かった」

「も、申し訳ありません……」

「違う、責めてるんじゃないんだ!

 サヤが思うほど、俺はなんとも思ってないしね?……〜〜っ、サヤ、座ろう。ほらこっち」


 泣き止まないサヤの肩を抱いて、長椅子に座らせる。

 サヤは両手で顔を覆っていて、でも指の間からは涙が零れ続けていて、腕をつたっていく雫が絶えることは無い。何がそんなに衝撃だったのか……俺のことでこんなに悲しませてしまったのかと思うと、申し訳なさでいっぱいだった。

 暫く隣に座っていたのだけれど、泣き止まない……。俺が泣いていた時に、サヤがしてくれたように、背中をさすってみる。

 触れてしまうと駄目かな……と、緊張したのだが、サヤはびっくりした風でもなく、抵抗もしなかったので、そのまま続けた。……そもそもさっき肩を触って長椅子まで誘導したんだった。あれも抵抗しなかったな……随分慣れたもんだ。


「サヤは、優しいな。俺のことなんかで泣くことないのに……」

「その言い方、嫌や。俺のことなんかって……なんかって、言わんといて」


 あ、いけないことを言ったらしい。

 サヤの怒る部分は細かい……。


「レイシールさんは、自己評価が低すぎる……。私も結構言われとったけど、私より酷いんと違うやろか……。そこがなんか、いややっ」


 仕事の時間を休憩にするようだ。

 サヤが訛り言葉にもどっていて、俺は少し笑ってしまった。

 こう言ってはなんだが、訛り言葉のサヤはなんだか幼く感じて好きだ。年相応な感じがするのだ。そして、若干理不尽なことを言う。これも、なんだか気を許してくれているようで、嬉しい。


「私も、両親と一緒におれた時間は少ない……。仕事やから、仕方ないと思って……。でも、電話が通じるところやったら、話もできた……。手紙も出せる国には出したし、届いたから……まだきっと、繋がりがあった。

 なのに、なんで? なんでなん? 側におるのに……っ」

「んー……、貴族社会っていうのは、ややこしいんだよ。

 父上と触れ合う時間は少なかったけど、記憶の父上は優しい方だったよ。

 だから、俺はそれで充分だから、サヤはそんな風に泣かなくていい」

「充分やあらへん!」

「怒らないでよ。泣くと化粧がボロボロだよ。ハインが帰ったら怒られてしまう」

「化粧なんか今はどうでもええねん!」

「ふっ、ええねんって、それ面白い」

「オモロないしっ普通やから!」


 なんかだんだん可笑しくなってきた。泣いてるサヤを可愛いと思ってしまう。背中を撫でてるだけじゃなんか、物足りない。慰めるにはどうすればいいんだ?

 少し考えてから、引き寄せた。サヤの頭が肩に当たる。


「充分なんだよ……。サヤがそうやって、怒ったり泣いたりしてくれるのを見てると、俺は充分幸せなんだと実感できるよ。

 俺のためにそうしてくれる人がいるって、とても有難いことだ。ワドの言葉じゃないけど……恵まれてるなと思う。ありがとうサヤ」


 背中をポンポンと叩いて感謝の気持ちを伝えた。

 すると何故だ……サヤの涙が倍増した。

 嗚咽すら零すようになって、何を間違ってしまったんだと慌ててしまう。

 そのまま抱きしめるようにして背中をあやすが泣き止まない。えええぇ⁈ これどうすればいいんだ⁇

 そうこうしてると、部屋の扉が急に開いた。


「あ、おかえり、はい……ン?」


 なに……なんか凄く、怖い顔……ですよ?

 今にも抜刀しそうな殺気を感じるのは気の所為では無いはず……。


「レイシール様……っ、サヤに何したんですか‼︎」


 ハインの怒りの矛先が分かった。気の所為じゃなく俺だ。サヤを泣かしたのを怒ってるんだ!


「いや、誤解だよ⁉︎ 別にサヤが嫌がることしたとかじゃなく……」

「じゃあその手は! 体勢は⁉︎

 サヤが男性に触れられたくないのを忘れたとでも仰るのですか⁈」

「えええぇとぉ〜、成り行きというか、なんというか……な、泣いちゃったから……」

「だから何して泣かせたんですか‼︎」


 泣くサヤを離して逃げるわけにもいかず、かと言ってこのままだとハインへの言い訳も難しく、しばらく地獄絵図だった。

 やっとサヤが泣き止み、誤解が解ける頃には俺もハインも相当消耗していた。

 む、難しいな……女の子は。どこで涙腺が緩むか想像できない。

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