特別
それからは、色々な準備に皆が奔走する忙しい日々が、暫く続いた。
サヤは外出が増えたため、ルーシーに必ず同伴するようお願いし、少しでも疲れてそうだったら強制休憩を差し込むように指示しておいた。
サヤもルーシーには押し切られがちだからな……。
ルーシーも耳飾の製作に足繁く長屋に通っているから、丁度良かったし。
そうこうしていたら、ある日エルランドの話を聞く時間を取ってやってほしいと、マルに言われた。
いよいよ……ロゼの鼻の効きが尋常ではない気がする……と、神妙な顔で報告に来たのだという。
「どうしたんだ?」
「お忙しい時に申し訳ございません……。
……いや……思い過ごしの可能性も充分あるのですが……」
「それでも良いから。まずは話してくれ。聞いてみないとなんとも言えないしね」
笑ってそう促すと、少し肩の力を抜いたエルランドが、実は……と、始めたのは、食事時の長屋でのやり取り。
「ロゼが……これを先に食べろとか、あれがもうやばいとか、そういう趣旨のことを言ってくることが、ここ最近多くて……。
聞くと、うえぇとなる匂いがしてるとか、そういった類のことを言うんですよね……。
で、とりあえず聞き流した食品は確かに、数日のうちに痛みが発覚していて……それが今朝、いただいている干し野菜にまで及びまして……」
成る程。
俺たちの方にも影響がある可能性が捨てきれず、こうして報告して来てくれたということか。
「けれど、あれはレイシール様方が作られたものです。いままでだって、問題無く使えてきたんです。
なのに今更……そんなことってあるものでしょうか⁉︎」
「落ち着け。
あれは試験的に作ったと言ったろう? 確かに従来の野菜よりは格段に日持ちしているけれど、それは別に、永続的にということではないんだ。
確かに、年単位で保つとは聞いているが、その地域の気候にもよるだろうし、保存環境次第の部分もあるだろう。
だから、もしかしたらその限界がきているのかもしれない」
越冬の折り返し地点だ。ここまで保っただけでも素晴らしい。
けれど、まだ折り返し地点である……とも言える……。
アギーに行く際、持参しようと思っていただけに、これはかなり、問題だ……。
「ハイン、サヤを呼んできてくれるか。
それからエルランド、ロゼをここに連れてきてほしい。あとくだんの干し野菜も持参してくれ。瓶のまま、丸ごとでね」
エルランドを送り出してから、俺は犬笛で咥えて吹く。
程なくして、アイルがコンコンと扉を叩いた。
「主、どうした」
「ちょっとこれから、そちらの頭目にお会いしたい。
複数人連れて行く。時間を作れるか、聞いてもらえるか?」
「心得た」
◆
「ローシェンナ、急に申し訳ない」
村の北西にあたる集合住宅地。ここの一つにマル、ハイン、サヤ、アイル、エルランド、そしてロゼを伴って訪れると、二階の奥まった一室に通された。
そこで待っていたのはローシェンナ……元、胡桃さんだ。病により肉体的にも衰えてしまっていたが、今はだいぶん、快復している様子。
「いいわよぅ。他ならぬ貴方のお願いだものねぇ。
それに獣人絡みのことで、ちょっとこちらからも話がしたいと思ってたところだしぃ」
そう言ったローシェンナは、義足を器用に操って俺の前に来ると、額に巻かれた包帯に触れる。
いつもはピンと立っている耳が若干下がっているのは、俺を心配してくれているのかな……?
「イェーナから聞いてるけどぉ、大丈夫なのぅ? 結構な所から落ちたそうじゃない?」
「はは。見ての通り、全然大丈夫。それより……カルラの葬儀、ありがとう。花を手向けさせてくれたこと、感謝する」
「相変わらず変な人ねぇ。カルラはこちらからお願いしたことでしょう?
まぁ、あの子はとても、幸せだったと思うわぁ。名も、来世の約束ももらえたのだもの。だから、貴女もそんな顔しなくていいのよぅ?」
顔を伏せたサヤの頬も撫でてから、ローシェンナはエルランドに抱かれたロゼの方に向き直る。
ロゼはずっとエルランドの腕の中でウズウズしていた様子で、ローシェンナに呼ばれると喜んで飛びついていった。
「カーチャ!」
やっぱりローシェンナも、カーチャ分類が……。
「ローシェンナって呼んでちょうだいな。元気そうで良かったわぁ」
「あの……先日はロゼがとんでもない時に……ご迷惑をおかけしました」
「良いのよぅ。子供なんてそんなものでしょぉ? まぁ、飛び火しなくて本当に良かったわぁ。こんなに幼く、子供を来世に見送るなんて、したくないもの……」
首元にグリグリするロゼを優しく抱きしめながら、ローシェンナがそう言う。
その言葉に、カルラに対する気持ちが伺えて、胸がギュッとなった。
カルラは、母親を亡くし、父親に捨てられ、ローシェンナらに拾われたという。共に過ごした時間は短かったけれど、あの子は決して不幸ではなかったと、俺は思うのだ。
こんな風に、愛情を注いでもらっていただろう。そして、たくさんの人に看取られて、来世へと旅立った。
「まぁ、席につきなさいなぁ。要件を聞くわぁ」
ローシェンナに促されて、俺たちは長椅子に座った。
ハインは後方に立ったが、サヤは本日は、一緒に座らせる。
「今日伺ったのはさ、これに関してなんだ。
ロゼが、この干物野菜からよくない匂いを嗅ぎ取ったらしくてね。ローシェンナにも確認してほしくて持ってきた」
「まぁ、一番鼻がきくの、私だものねぇ。
良いわよぅ。ちょっとそれ、貸してくれる?」
瓶を丸ごと渡すと、ローシェンナは蓋を開けて中を確認。すぐに顔を顰めてみせ……。
「当たりだと思うわよぅ。
確かに黴の匂い、本当にちょっとだけど、するわねぇ……」
「まだたべてもへいきだよ!」
「……そうねぇ……これくらいなら、汁物等で煮沸してしまえば食べられるわぁ。
……その子……どう嗅いでも人の匂いなんだけどねぇ……」
「……当たりなんだね」
「ええ。当たり」
俺たちの会話を、固唾を飲んで見守っていたエルランドが、肩を落として大きく息を吐く。
やっぱりロゼの鼻は、ローシェンナばりに高性能であるようだ。
つまり、獣人を嗅ぎ分けている可能性もより濃厚になった……というか、もう確定といったところか。……ロゼ本人は、人であるにもかかわらず……。
「と、なると……保存してある干し野菜は一通り全部確認してみる必要があるな……。
困ったな……とりあえず瓶ごとに確認して、まだ食べられるものは先に片付けてしまうしかないか。
本来なら春まで保つはずだったんだけど……やっぱり、保存容器の質や、保存方法に問題があるのかな……」
「これだけ保つ時点で相当凄いと思うけどねぇ……」
「まぁそうだけどね。……だけど……やっぱり春までいけると思っていたから、ちょっと悔しい……。
そっちの瓶詰めも全部確認してみてくれ。もし保存食が足りなくなるようなら、家畜を多少は融通できると思う」
「分かったわぁ」
「やっぱりパッキンが無いのが痛いですよね……。ゴムの加工方法、私が知ってれば良かったんですけど……」
「パッキン? ゴム……って、護謨のことだよな? あれが何かできるのか?」
「あるものを混ぜ込むと、すごく弾力のある状態に変化するんです。私の国では、それを瓶の口等に挟む形で使って、密閉性を上げてたんですよね。
だけど、何を混ぜ込むのか覚えてなくて……。私のところでも、偶然発見された手法で、確か暖炉の側で溶けてしまったゴムに、たまたま混ざってしまったのがきっかけだったと思うんですけど……」
俺たちがそんな会話をしている間に、ロゼは瓶詰めの中をガサガサと漁っている。
とりあえず子供のやることだからと適当に流していたのだが……。
「ねぇ、これだよ!」
ずいっと、会話をしていた俺の顔の前に、人参が突き出された。
「ん?」
「これたべたら、あとはへいき!」
「……んん?」
「これからうえぇなにおいしてる!」
…………これ、だけ?
「ロゼ……この人参一つだけ?」
「うん。これだけ!」
「…………ローシェンナ」
「ええ。…………ちょっと待ってぇ……」
「…………消えたの?」
「消えてる。本当にその人参一つだけみたい……この短時間で? 嗅ぎ分けたわけ⁉︎」
「それって凄いことなの?」
「…………かなり凄いと思うわぁ。だって臭いの元を正確に辿ったってことでしょう?
私もそりゃ、やろうと思えばできるでしょうけど……もうちょっと吟味しなきゃ無理」
額を抑え、溜息を吐きながら言うローシェンナ。
それはつまり……ローシェンナより鼻がきく人間がいるということに、なってしまうわけで……。
「……やっぱり、会ってみるべきかもしれないわぁ。
私が貴方に相談しようと思ってたのも、そのこと。
その子の母親、身重で状態も良くないみたいなこと、言ってたでしょぉ?
獣人の出産って、ちょっと人と違う部分があるのだけど……その子の母親の村、元々捨場の、隠れ里って言ってたしぃ、獣人本人でも、獣人のこと、あまり知らないのかもしれないって、思ったのよねぇ」
ローシェンナはそう言うと、ちらりとマルを見た。
珍しく黙ったまま、静かにしていたマル……。彼も、ローシェンナと視線を合わせると、ふぅ……と、一つ息を吐く。
「そうですねぇ……北の事情を、レイ様に話す良い機会かもしれませんね」
「まぁ、その話はまた後で良いわぁ。
それよりも、とりあえず急がなきゃいけないと思うから、この前の犬橇、あれをまた貸してもらうわよぅ。
あと、貴方の使者だって分かる証明書か何かを書いてほしいわぁ」
「え? 犬橇は別に、良いんだけど……証明書って? なんの話をしているんだ?」
話の前後が見えてこない……。
「だからぁ、その子の母親。その出産の手伝いに人をやるって言ってるのよぅ。
多分だけど、複産なんじゃなぁい? 悪阻が酷くて食べられなかったんでしょう? 獣人はねぇ、複数人身篭った時は、あまり育てすぎないように、本能的に身体が食べ物を受け付けなかったりするのよねぇ。
腹で育てすぎると産みにくいしぃ、お腹の中の子供もお互い窮屈になっちゃうから」
ローシェンナの言葉に、半ば呆然となる。
…………え? 複数?
「心配しなくてもぉ、獣人は結構頑丈よぉ。出産が命に関わることって、まず無いくらいだから、出産の安全を祈るよりは、双子の心配が先よぉ。
産めば食欲も出てくるの。母乳を出さなきゃいけないから、むしろ物凄い食べるわよぅ。
春になったら、その村に私たちも世話になるのでしょう?
ならぁ、仲良くできるように、恩は先に売っておくべきよねぇ」
ローシェンナに急かされて、俺はその場で書状を認めた。
興味津々に覗き込んでくるロゼにも書くかと聞くと、かく! と、良い返事が返る。
「なにかくの?」
「ロゼのトーチャとカーチャにね、お伝えしたいことだよ。
ロゼがお姉ちゃんになれるように、今二人は頑張ってるんだ」
「……ロジェ、ネーチャになる?」
「うん。弟が、妹……どっちだろうな。頑張ってって、応援しようか」
「うん!」
ロゼにも好きに書かせ、書状と同封することにした。
「エルランドも書くか?」
「そうですね……ここでお世話になっていることや、レイシール様が獣人と懇意の方であったことも記しておかなければ、驚いてしまうでしょうしね」
「あの、複産かもしれない……ということは、母乳もたくさん必要ってことですよね?
でしたら、毎日足湯をすると良いです。
母乳は血から作られるので、冬場は冷えやすくて、母乳が出にくいのだって、母に聞いたことがあります。
それで、足を温めると血流が良くなり体温も上がりますから、母乳の出も良くなるそうなんです。
ふくらはぎくらいまでを、湯に十分程度浸けるだけなので、桶一杯程度のお湯で済みますから」
結局身分証明用の書状と、二人からの手紙が用意された。
サヤの助言と、干し野菜の保存状況も確認してほしいと書き添えて、ローシェンナに託す。
「ノエミのこと、気にかけてくれてありがとう」
「同じ獣人ですもの。当然のことよぉ」
そう言ってから、村に向かわせる人員を名指しし、すぐに準備を始めるよう指示した。
「とりあえず、今日中に出発させるし、明日の夕刻には着くんじゃなぁい?
出産を無事乗り切れたら、報告に帰らせるわぁ。
干し野菜の方も、鼻のきく者に一通り当たらせるわねぇ。
私ほどじゃないにしても、食べられなくなる前に、カビの匂いを嗅ぎとる程度なら、問題無く出来るでしょうしぃ」
「助かるよ。干し野菜は三の月の半ばくらいにどうしても必要で……まだ保ってくれるなら、心底助かる」
「この保存方法は、私の国でもずっと昔から……それこそ、環境がこちらと変わらないくらい昔から、取り入れられていた手法です。
本来はちゃんと保つはずで……もしかしたら、作り方の段階で何か、良くなかったのかもしれませんね……」
そんな風に呟き、何がいけなかったかと思考を潜らせる様子のサヤ。
祖母と二人だけの分量を作っていた時とは勝手も違うだろうしな……。多少の誤差は仕方がないのではと思う……。
なんにしても、人参一つで済んだことは僥倖だ。……まぁ、他も確認してみないと分からないが……。
とりあえず手分けして……なんて話をしていたら、くいくいと上着が引かれた。
手紙を書き終えたらしいロゼが、黒く汚した指で俺の上着を掴んでおり、ハインが剣呑な顔で汚れた箇所を見下ろしている……。
お、怒るなよ……子供のすることだろう?
「ねぇ、うえぇになるの、ロジェがさがすよ!」
そしてまた、とんでもないことを言うぅぅ……。
「え……っと……うーん……どうしようか、なぁ……」
「ロジェ、ネーチャになるんだよね? ネーチャはおてつだいできなきゃダメって、リリがいってた!」
リリ……どこの子だ……。
そしてものすごい期待した良い顔で見上げてくるロゼに、正直どうしたもんかと困ってしまった……。
いや、手伝ってくれるというその気持ちは嬉しいんだけどね……嬉しいんだけども……。
「良いんじゃなぁい?
ならこうしましょうか。
まずは黴の匂いがする瓶を集めるからぁ、ロゼにはそこから元を探してもらいましょう。
今回みたいに取り出せば済む状態なら、助かるわけだしねぇ」
今日中に確認を済ますから、一日その子を預かるわぁとローシェンナ。
夕刻には館に送り届けると言ってくれて、獣人と関わればロゼもご機嫌だろうということで、お願いすることにした。
「では、私もお手伝いします……」
ロゼの暴走を食い止めようと、エルランドが名乗り出る。
なんとも悲愴的な表情であったのは、多分御せないって、分かってるからだろうな……。
◆
ローシェンナとの面会を終え、いったん館に戻ることにした。
「干し野菜、全部が駄目になってきているってわけじゃないと良いんだけどな……」
「ノエミさんのところに届けた野菜の方も、状態が気になりますね……」
しかし、ノエミの出産が難産なのではなく、複産の可能性が高いだなんて、考えてもみなかった。
どちらにしても、無事に健康な赤子を産んでくれれば良いと思う。
たくさん命を失ったこの冬だから特に……強く、そう願わずにはいられない。
「さて、じゃあいったん戻るとして……サヤはこれからどうする?」
「ルーシーさんと長屋に行く予定です。
今ちょっと、色々と試作品を進めてまして、その確認もありますし……」
「……え? 車椅子だけじゃなくて?」
「みなさん本当に意欲的なんですよ。
誰かが何か新しいことをしていると、自分も新しいのに挑戦したいって思うみたいで。
それで、図案を見ていただいて、それぞれ手が出せそうだと思うものに挑戦してもらっているんです」
へぇ……知らなかった。
長屋の皆は越冬当初から春に向けて、色々な道具の作り溜めをしていたのだが……そうだな……同じものばかり延々と作るのではつまらない。
意欲的に、たくさんのものに挑戦しようと思うのは、とても良いことのように感じた。
「実は、久しぶりに姫様にお会いできるかもしれませんし……ちょっとお土産をと思って、それもお願いしてあるんです」
「へぇ……何?」
「まだ内緒です。お仕事の役に立つものを贈りたいなと思ってるんですけどね」
そんな会話をしながら廊下を進んでいたのだが、横合いから飛び出してきた影を、咄嗟に割り込んだサヤが受けた。
びっくりして足を止めたのだが……。
「サヤ!」
「藍白……じゃ、なかったですね。ウォルテールさん」
足音がしなかった……だけどサヤは気付いていた様子。
受け止めた影は、そのままサヤの腰に腕を回した。
「ウォルでいいよ、サヤ。どうしたの? 来てるって聞いて、飛んで来た!」
「お仕事です」
サヤと、ほぼ変わらない背丈。
年齢にしては少し大柄な気がするが……。
ウォルテール……人型の彼を見たのは、初めてだった。
やはり獣人と言うべきか、骨格のがっしりした、筋肉質な体躯。白っぽい髪は短く刈ってあり、顔は幼いものの、しっかりと男の肉体……。
澄んだ紺碧色の瞳をキラキラと輝かせて、全身で喜びを表すように、尾が揺れていた。
耳と尾……。毛皮の長靴を履いていると思っていた足は、髪と同じ体毛に覆われている素足……。
俺と視線が合うと、鋭く睨まれ……たと認識すると同時に、アイルがウォルテールの襟首を掴み、サヤから乱暴に引き剥がす。
「ウォルテール……」
身長はさして変わらないアイルだが、威圧感は段違いだった……。
咄嗟に耳を伏せたウォルテールが、渋々距離を開ける……。
何か言う前にサヤから剥がされたので、俺も感情のやり場に困り……だけど、モヤモヤとしたイラつきのようなものを無視もできず……サヤの腰を引き寄せた。
「っ、レイ⁉︎」
余裕のない自分に嫌気がさす……。
「すまない、もう戻る……」
「あっ……それじゃ、またね……」
「サヤっ」
「ウォルテール!」
サヤを呼び止めようとしたウォルテールに、一瞬怒りすら、爆発しそうだった。
アイルの鋭い声を背に、そのまま逃げるように、サヤの手を引いて外に出る。
「いやぁ、サヤくんなんだかモテモテですねぇ」
「そ、そういうんじゃないですよ」
「いらないことを言ってないで、さっさと歩きなさい」
茶化すマルを苦笑しつつあしらうサヤ。諌めるハイン……。
そんな声を背に聞きながらも、俺は口を開けない。
やっぱりだ……勘違いじゃなかった……。
その光景が、胸に刺さって苦しい……。
サヤが、ウォルテールを、警戒していないのだ。
明らかに好意を向けられているのに、触れさせた……。
抱きつくウォルテールを、普通に受け入れた……。
その衝撃が、思った以上に、ズシンとのしかかってくる。
いつかは……そんな日が来る気がしてた……。
俺だけが特別だなんて、そんなことがあるわけないと……。
だって俺は、なんの取り柄もない人間だ。ただ少し人より恵まれた場所に生を受けた。だけどそれだけだ。
何ができるわけでもない……武術だって、学問だって、人並みかそれ以下。
ちょっとのことでこんな風に取り乱す。
たった十三歳の子供にまで、嫉妬する。
サヤを繋ぎ止めるものが、俺にあるとは、思えないから……!
「あっ、おかえりなさーい!」
館に帰り着くと、玄関先で外套を纏ったルーシーに出くわした。
サヤと出かけるのを待ちきれず、支度を済ませてしまったといった様子だ。
「サヤさん、さっき長屋から使いの人が来て、わからない箇所があるから、どうなっているのか教えて欲しいっておっしゃってましたよっ」
「あっ、そうなんですね……分かりました。今支度をして来ますから……」
「焦らなくて大丈夫です。予定の時間、まだだいぶん早いですから」
そう言いながら、ルーシーの視線が、俺とサヤの繋がれた手に移動した。そして、そのままによりと笑う。
「まぁ! 仲良しですねっ」
「あっ、ちがっ……い、急いでたので……っ」
言い訳にすらなっていない、言い訳。
わたわたと慌てた様子で、サヤが手を離してほしそうに、少し引っ張る。
その様子がまた妙に胸に刺さった。
俺との仲は皆が知っているのに……今更、隠す必要なんて、ないはずなのに……。
駄目だ、なんかすごい、被害妄想まで始まってる……っ。
「……気を付けて、行っておいで……」
必死で顔を笑顔にして、強張る手を強引に開いた。
するりと離れるサヤの手が、ものすごく辛くて……だけどそんな馬鹿みたいなこと、口にもできなくて……。
支度をしてきますと、館の中に駆け込むサヤを見送ってから、拳を握る。
手の中にあるサヤの感触が、温もりが、薄まっていく……。
「……ちょっと部屋に戻る」
その場でそう言い捨てて、返事も待たずに足を進めた。
部屋に逃げ込んで、苦しい胸を、鷲掴みにした。
「…………っ」
サヤは、俺の恋人だ。
俺の妻になってくれると、それを承知してくれたんだ……。
だから、あんな子供、気にしなくて良い。
些細なことに、心を乱すな……。
必死で言い聞かすのだけど、痛みが治まらない……。
なんで、ウォルテールを、受け入れるんだ?
頭から追い出そうとしているのに、その疑問は焼き付いたように、離れかなった。
今週最後の更新です。
間に合った……今週も乗り切った!
休日よありがとう。できれば土曜日もそうであってほしいが来週も仕事だ!
というわけで、来週も金曜日、八時からの更新を目指して頑張ります。
また来週もお会いできれば嬉しいです。




