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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第八章
242/515

 今まで、サヤの髪に触れて指が引っかかったことなど、一度もなかった。


 彼女は何も言わないが、この美しい黒髪にとても気を使い、大事にしていたのだと思う。

 常に艶やかで、絹糸のように滑らかで……癖の一つもない、美しい黒。

 祖母に贈られたという柘植櫛で、きっとこまめに手入れしていたのだろう。そしてその櫛も、大切に、大切に扱っていた。

 それは、こちらの世界に零れ落ちたサヤが、衣服以外で身につけていた唯一のものであることからも、櫛の手入れのための油を、小瓶に入れてまで持ち歩いていたことからも、分かる。


 そしてあの時……。

 あとほんの数滴しか残っていなかった油……。


 もうたった、それだけしか残っていなかった油を、サヤはきっと、カルラのために使ったのだ……。


 あれから、何日経った?

 櫛の手入れは、一体どれほどの間、されていない?

 サヤが唯一、サヤの世界から持ち込めたもの……大切なもの……。

 少しだけ、指に引っかかった髪が、サヤが失おうとしているものを、残酷なほどに表していた……。



 ◆



 旅立つカルラに贈る花を探すため、俺たちは更に足を進めた。

 サヤとは手を繋いだまま、俺が少し先行して前を進む。

 歩いていく最中も、この季節には無いはずの草木があり、当然花も咲いていたのだけれど、足は止めない。

 なんとなく……本当になんとなくだけど、これじゃないという気持ちがあった。

 俺が脳裏に描く木は、もっとずっと、外れの方にある。


「レイ……どこまで行くん?」

「山の裏側を、少し登る。そこにね、ちょっと変わった木があって……あの花が良いと、思うんだ……」


 昔は怖いとすら思ってたんだけど……カルラに手向けるなら、あれが良い気がしていた。


 花は普通、花弁を散らして、茶色く小さくなって、やがて実りを宿す。

 それはとても素晴らしいことで、美しいことだと思うのだけど……。

 そういう、どこか儚さを感じる花は、何か違う。

 散らない花……カルラにはそれが、良い気がした。

 他の花にない強さを備えているように思えたのだ。


「……変わった木って?」

「うん。まず、なんの木かは分からないんだよな。ここ以外では見たことがなくて。

 生えている場所も……この季節が狂った区画のギリギリ外だと思うんだけど……やっぱり狂ってるような時期に花が咲くし……」

「…………?」

「どう説明すれば良いのかな……ここは確かに、雪が降ってても、花が咲いている……。だから、おかしくないといえば、おかしくないんだけど……うーん……」


 狂った季節に惑わされて咲いているのか、その木の特性としてこんな時期に咲いているのか……。その判断ができないからなんともいえないのだ。

 だけど特性としてこの雪の中、あえて咲いているのだとしたら、それはもう、かなり変な話なわけで……。


「この寒い時期に花が咲いて、しかも散らないんだよね……」

「……枯れへん花なん?」

「いや、そういうことじゃなくて。うーん……花のまま落ちるっていうか……」

「……鳥が蜜を吸うてるんやない?

 私のところでは、桜の花を根元から千切って、雀が蜜を吸う習性があるけど」

「いや、雀には無理だよ。花が大きすぎる。その花、サヤの拳ほどもあるんだよ?」


 そう言うと、サヤはこてんと首を傾げた。

 うーん……俺もうまく説明できない……そもそも怖がって避けてたから、あんまり詳しいわけでもないしなぁ……。


「葉は、年中ずっとワサワサ茂ってるし、雪が積もってても花が咲くし……とにかく変わってる木なんだ。

 あ、花は簡素なんだけど、結構可憐だよ。ただ……何故か咲いたまま急にポロリと、落ちてしまうんだよな」


 そう言うと、サヤは驚いたように目を見開いた。

 うん。びっくりするよな。ほんと急にポロリと落ちるんだよ。


「まだ美しく咲き誇っているのに、そのまんま。

 あの花なら、たくさん拾えると思うし……まだ枝に付いているのを摘めば、日持ちもするんじゃないかな」


 落ちた分を拾うのが一番良いとは思うんだけどね。

 いや、枝を折るのはやっぱりなんか……ちょっと怖い気がするし……。


 サヤの返事は無かった。いまいち伝わってないのかな?

 ただ、これ以上を言葉ではどうにも説明しにくく、見た方が早いと足を進める。

 そして、思っていた場所に来たのだけど……。


「……あれ? 記憶違い……か?」


 ここだと思っていた場所にその木は無く……周りを見渡してみても、無い。

 分かるはずだ。だってあの花は、とても目立つ。そう思って注意深く景気を確認するけれど……やっぱり……無い。

 立ち止まって、もう一度周りを丁寧に見渡したけれど、結果は同じだった。

 気候の狂った区画は出てしまっているし、風景はほとんど、白と、黒と、青になっている。だから、絶対目立つはずの、あの赤が無い…….。

 ……と、冷たい強風が急に吹きつけて、俺たちは首を縮めてその風をやり過ごした。顔にピシピシと小粒の氷がぶつかる感覚。

 あまりに風が強く冷たいので、サヤを風下に回して、俺は風上に背を向けた。ただでさえ細い彼女は、きっとあっという間に体温を奪われてしまう。体調を崩してしまいそうな気がしたのだ。


 しばらく抱き合うようにして風をやり過ごした。

 そしてやっと人心地ついて、顔を上げる。


 やっぱり外套は持ってくるべきだったかと一瞬思ったけれど……。

 けど、ここまで来て取りに帰るのも業腹だ。



「うーん……もう少し先だったか?

 すまないサヤ、少し周りを見てくるから、ここで待っておく?…………サヤ?」

「行く……」


 キュッと、握っていた手に力が篭った。見下ろして、少々焦る。何かひどく……不安そうだったからだ。

 ここに置いていかれるのは嫌という明確な意思を感じて、なら……と、一緒に。もう少し先を目指そうと、足を進めることにした。

 けれど……すぐに後悔した。少しずつ深くなっていく雪に、サヤは寒くないだろうかと心配になる。そんなこともあって、少し注意力が落ちていたのだと思う。

 おかしいな……やっぱりここだと思うんだけど……そう考えながら、足を進めていると……。


「きゃっ⁉︎」

「っぅわっ⁉︎」


 くん……と、サヤに引っ張られ、踏み出した先に地面が無かった。いや、正確には……地面が崩れた。

 かなり急な斜面のきわを歩いていたことに気付かず、踏み外したらしい。傾いでしまった体勢を今更どうすることもできず、俺たちは雪ごと、落ちた。


 咄嗟にサヤを胸に抱き込んで、身体を丸める。

 転がり落ちながら、溶け気味とはいえ、雪だ。岩とか木とかにぶち当たらなければ、酷いことにはならない……と。

 そう、考えた矢先に、ガッ! と、こめかみの辺りに何かしらとてつもない衝撃。

 俺の意識は吹き飛んだ。



 ◆



 サヤが斜面と思っていた場所は、雪庇の上だったのだろう。

 体勢を崩したついでに俺が引っ張られて、足をついた場所も、同じく地面ではなかった。

 更に、傾いていた斜面の雪が、弛んでいたのだと思う。狂った気候からの影響と、今日の天気により、きっとかなり、溶けていた。

 それで、小規模な雪崩みたいなものに巻き込まれる形で急な斜面を転げ落ち、更には頭をぶつけて……俺は幾らか意識を飛ばしたままであったらしい。


 サヤが泣いている。


 そう思って気合いで薄目を開けると、裏返った声で名を叫ばれた。


「大丈夫、聞こえてるよ」


 霞む視界に、黒い影。もう一度目を瞑って、開くと、案の定、泣き顔のサヤが、俺を至近距離から覗き込んでいた。

 良かった……頭は正常に働くようだ。

 ちょっとクラクラするけれど、ぶつけたのだし、致し方ないことだろうと考え、身を起こそうとすると……。


「あっ、あかん。血が……」

「ん?……あぁ、切れちゃったか」


 サヤが近かったのは、俺の額にある傷を手拭いで押さえていたからだった。……ん? 怪我⁉︎


「サヤは⁉︎ 怪我は……痛い所は⁉︎」


 もう額の傷どころではない。

 慌ててサヤの身体を確認しようと身を起こしたが、一瞬くらりと頭が揺れる。くそっ、今はそれどころじゃない!

 顔を傷付けたりはしていないようだ……けど、身体は庇いきれなかったと思う。腕や、足を切ったり折ったりしてたらどうしよう⁉︎ そう思ったのだけど……。


「私は大丈夫。レイが庇ってくれたし……。擦り傷が一つ二つある程度やで。

 けど……レイは……きっと色んなとこ、ぶつけとる……」


 そう言われ、あらためて身体を動かそうとすると……うん、確かに節々が痛かった。打ち身はそれなりに作ったらしい。

 けれど、骨を折ってしまった感じはしないし……まぁ崖を落ちてこれで済んだなら僥倖だろう。


「レイ、今はとにかく傷を押さえさせて。まだ血が止まらんの……」

「頭は仕方ないよ。たいした傷じゃなくても血が派手に出る場所なんだ」

「たいした傷や! 見えてへんから分からんかもしれへんけど、結構大きい…………かんにんな……私が、巻き込んでしもた……」

「サヤだけ落ちてたらもっと最悪な気分だったよ、俺的には。一緒で良かった」


 これは本当、本心からそう思う。雪山で離れ離れとか絶対に駄目だ。正直そっちの方が気分的に死ねそうな気がする。

 だけどそんな風に言う俺に、茶化してる場合じゃないと、サヤは真剣な顔で俺の頭を抱き寄せ、傷に手拭いを当てた。


「ほんま、大きな傷なんやから……」

「う……いや、大丈夫だよ? それにその……自分で押さえるから……」


 そういう風にされると胸が……胸がやばい位置に来る……。

 いくら男装しているサヤであるとはいえ、補整着がなければ結構なものがそこにある。

 それを意識してしまうと、余計出血量が増加しそうな気がしたので、慌てて身体を引き剥がした。


「それはそうと……結構落ちたっぽいな……上が遠い」

「うん。ここを登るんは、無理やと思う……」


 見上げてみると、かなり急勾配な坂だった。雪で泥濘んでいることを考えると、ここから戻るのは無理だろう。落ちたであろう場所まで結構遠い。

 雪と一緒に雪崩れてきてなかったら、怪我ももっと酷かったかもしれないな……。けど、そのせいで濡れてもいるから、風邪を引きそうだ。

 それになにより……。


「思ってた地形と違う……。

 しばらく来ない間に、地滑りでもあったのかもしれない。

 ごめん、サヤ。俺がもうちょっと、考えて準備してなきゃいけなかった」

「ううん。そもそも私が……私が言い出した我儘やし……」


 しかも私が、踏み外した……と、気にするサヤの頭をよしよしと撫でる。

 地滑りがあったのだとしたら、俺が目当てにしていたあの木も、もう無いということだろう……。変に拘らないで、普通に花を摘んでいれば、こうはならなかった。


「だから、悪いのは俺。……俺が変に拘ったから……」

「違うやろ? レイは、カルラにその花が良いって選んでくれたんやもん。

 って……ごめん大会しててもしょうがない。気持ち切り替えよう?

 今は、もう花はええ。とにかく、戻ろう。早く、怪我の手当てをせな」

「そうだなぁ。申し訳ないけど、ダニルのところにでも寄らせてもらうか」


 どうやって上まで戻ろうか……もしくはこのまま迂回して、知った場所まで出れるものか……そんなことで頭を悩ませつつ、俺はサヤと一緒に立ち上がる。

 少し貧血気味なのか、くらりとしたけれど、まぁ唐突に動くことをしなければ大丈夫だろう。

 立ち上がってみると、自分が倒れていたであろう場所の雪が、結構血濡れていて、これはサヤも不安になるよなぁと思った。


「レイ、掴まって」

「いや、大丈夫だって。そこまでの怪我じゃないよ」

「あかん。こんなに血が出てる。身体だってあちこち痛いやろ? お願い……」

「雪のせいで広がってるから多く見えるだけで……」

「あかん!」


 涙目でキッと睨まれ、これ以上の言い訳は受け付けてもらえないのだと悟った……。

 結局、サヤの肩を借りて歩くことにする。とりあえず木々の間を、横に移動していってみようとなった。

 が……。

 歩いてみると案外節々痛むことが判明。

 参ったな……これは、ちょっと困ったことになった。


「もっと体重かけても大丈夫」

「いや……」

「私が力持ちなん知ってるやろ? 本当は、レイを負ぶいたいくらいやのに……」

「それは、絶対、いやだ」


 女性に……しかもこんなに細ってしまっているサヤに背負われるなんて、ただの精神的な拷問だ……。

 それだけは断固拒否だと訴えて、サヤの肩にもう少しだけ、縋らせてもらうことでお互いに妥協した。

 そうして、なんとか木々の間を、雪に足を取られながら、進むこととなった。

 足元はサヤに注意して見てもらい、俺は周りの風景を……自分たちの居場所が分かるものがないかと、目を凝らす。

 暫く進んでも、……白と、黒と、青の世界に、変化は無かったのだけど……。


「……レイ、気のせいやないみたい……水の音がする」

「水?」


 音……と、言うからには流れているのだろう。

 そちらに行ってみようかとなって、ここら辺の流れる水なんてあの川くらいしか思い至らないなぁと思う。

 ならば、川に出れば自分たちのいる位置が分かるかもしれない。裏山が川に接している部分なんて、そう多くないのだから。

 そんな風に考えながら、突き出した大きな岩を迂回した時……視界が、一変した。


「…………え?」


 サヤの口から零れ落ちた音。

 二人して呆然と立ち尽くすしかなかったのは、その圧巻の光景にだ。

 まるで、緋地に金粉をまぶしてあるみたいな敷布が、敷かれていた。

 その上に、青々と茂った緑の高木が、緋色の雫を沢山連ね、斜面際から、傾ぐようにして伸びている。

 白と、黒と、青の世界が……緑と、赤と、黄色に染められたのだ。一瞬で。


 …………っ、これ、これだ!


「サヤ、俺が言ってた……」

「椿………………」


 言葉を続ける前に、サヤの呆然とした、呟き。

 ハッとして、もう一度敷布に視線を戻す。

 いつぞやサヤに送った、香水瓶……それに模してあった花……。確かに……あれに、近い気がした。

 もっと、赤いものを想像していた、サヤの言うツバキ。そうか、こんな緋だったのか……こんな…………。


 ゾワリと、鳥肌が立った。

 だって、上をどれだけ探したところで、きっと気付けなかった。

 ここにしか見なかったこの木。いつ起こったのか分からない地滑りで上が崩れた時に巻き込まれたのなら……根が土を離れ、枯れていたっておかしくなかった。

 さっき迂回した岩に、潰されていた可能性だって、決して低くなかったはず……。

 俺たちだってそう……。

 ここに落ちてこなければ、絶対に見つけられなかった……。

 そもそもカルラのことがなければ、この花を思い出しもしなかったろう……。

 まるで……ここに導かれたみたいに、感じた。

 たくさんの手に、背中を押されていたのかもしれない。

 ここにおいでと、呼ばれていたのかもしれない。


「…………花を入れる箱は無事だったっけ?」

「っ⁉︎ 今は花より……!」

「分かってるけど! だけど……ここまで来たら、あれを摘んで帰らないともったいないだろう?

 それに…………実が落ちてないか、探してみないか?」

「…………実?」


 鸚鵡返しに呟くサヤを、そのまま緋色の敷布に導き、進む。

 花をひとつ取って、手に乗せた。

 とても美しい……簡素だけれど、可憐な花。

 もう、怖さなんて微塵もなかった。

 サヤのためにここにあったのだとすら思える……。もしかしたらこの木も、サヤの世界から零れてきたのかもしれない……。

 だから、ここにしか、なかったのかもしれない…………。


「ツバキアブラは実から搾るって、言ってたろう?」


 そう言うと、サヤの瞳が見開かれる。

 サヤの髪に、ツバキを添えてみたら、とても良く映えた。

 うん……やっぱりこの木は、サヤのために、ここにあったんだ…………。


「目印に、丁度良いな。カルラの、来世への道標だ。

 手向けてやろう。白い世界では、きっと目立つよ。迷う心配なんて、必要無いくらいに」


 サヤの瞳から零れ落ちる沢山の雫を啜って、嗚咽も俺が呑み込んだ。

 ありがとう。

 ここに導いてくれた何か。

 サヤを孤独にしないでくれた何か。

 彼女が、彼女の世界とちゃんと繋がっていると、証明してくれた何か。

 この世界は、サヤの世界と繋がっている……。きっと繋がっている……。だから、これはここに、あったんだ。


 そして、細いその手を取って、緋い敷布の上へ、導く。

 帰りの心配はひとまず置いて、俺たちは花と、黒い小石のようなものをできる限り拾った。


 小石は背負い袋の中に。

 花も、箱にしまわれて、背負い袋の中に収めた。


「今はこれだけだけど……また、雪が溶けたら来よう」


 そして、その場を後にした。



 ◆



 帰りは案外呆気なく……。


 フォギーに発見された。

 川に到達した辺りで、犬笛のことを思い出したのだ。

 数(キロ)先まで響くと胡桃さんが言っていたし、とりあえず駄目元で吹いてみるかと、気休め程度のつもりだったのだが……効果は凄かった。

 普通に木々の間からフォギーが姿を現したときは正直、ホッとしたのと、脱力したのとで、意識が飛びかけたほどだ。

 そのままフォギーに先導されて裏山を下り、館跡を突っ切って村に行こうとしたら、たまたま子供と雪遊びをしていた非番の衛兵と鉢合わせし、大騒ぎになってしまったが。

 薄着でドロドロで血濡れていたしな……。

 で、兵士長が呼ばれ、襲撃でもされたのですかと問い詰められたが、裏山で滑落しただけだと必死で宥めた。

 まぁ、当然怒られたけどね……。裏山とはいえ冬の山を侮るとは何事ですかと。そして越冬中に村を出るなど、何を考えておられますかと……。


「い、色々事情が、あってねぇ……」


 瞳を泳がせてそう誤魔化すしかない。獣人絡みだなんて口にできないから。


「軽率な行動が過ぎますぞ⁉︎ もう後継となられたのですよ。そんなにホイホイ出歩いてどうします⁉︎」

「う、うん……ごめん……気を付ける……」

「そもそも……どうやってここまで来たのです……」

「う……そこはその……まぁ……まだ秘密案件かな?」

「…………この傷も……跡が残るやもしれませんよ……」


 サヤの言う通り、傷は結構深く、大きかった様子だ。

 応急処置をされながら、神妙な顔でそんな風に言われてしまった。

 けどまぁ……斬られた時や、刺された時ほどの出血じゃないしな。

 少々頭がぐらついたけれど、あれくらいの量なら命に関わるほどではないと分かっていたし。


「サヤの顔ならともかく、俺なら別に問題無いから」


 笑ってそう言ったのだが、何か凄く不満げな顔をされてしまった……。

 いや、ほんと……俺の顔なら全然平気。そもそも身体は既に傷だらけだし。あと一つ二つ増えたって大したことない。


 傷の手当てが済み、衣服も貸してもらい、裏山に置いてきていた外套も兵が回収してきてくれたので、では帰るとなったのだが……。

 頭の傷を心配した兵士長に、一日休んで帰るようにと再三言われてしまった。


「とにかく、頭を打ったと言うのならば、本日はお泊りください。明日、改めて……」

「大丈夫だ。小一時間ほどで帰れるんだよ。

 あちらには医者もいるし、帰ったら傷の様子はちゃんと診てもらうから」

「ですが……」

「急いで戻らないと駄目なんだよ。

 今日中に帰ると言ってあるしね」


 正確には昼過ぎに……だったのだけど……もうそんな時間はとっくに過ぎた。帰ったらハインにもお小言を食らう覚悟が必要だな……。


 必死で宥めすかして、無理矢理帰りをもぎ取った。

 ご迷惑をおかけしましたと頭を下げるサヤを急かして、フォギーを待たせていた裏山の木陰に急ぐ。

 彼女は狼の姿で待っていて、中衣に綱を付け、橇を繋ぎ、さあ出発というところで……。


「レイ、帰りは絶対に、振り飛ばされたらあかんから、ゆっくり、安全運転で帰ります。

 せやから、私が操縦担当。レイはそこに座っておいて」


 真剣な顔のサヤに、有無を言わさずそんな風に詰め寄られた……。


「サヤまで大げさだってば……」

「大げさやあらへん……これはかなり大変なことなんやで。

 私の国では、激しい球技や……私みたいに格闘技をしとるとな、セカンドインパクトシンドロームっていう、危険な病の注意をよくされる。

 レイは、頭に衝撃を受けて意識が飛んだんやで。しかも目眩がある。それは、頭蓋骨の中の脳が揺すられて、骨にぶつかって、腫れとる可能性があるいうことやの。

 ほんまに頭痛は無い? 吐き気とかは? 受け答えはしっかりしとったけど……私が心配なんは分かるやろう?

 この状態で頭にまた衝撃を受けたら、命に関わる場合もあるの。

 ほんまは休んでおいてほしいけど……ナジェスタさんに診てもらうのが一番確実や思うから、私も受け入れた。

 せやから……私のいうことを聞いてくれな、帰ることは許さへん。お願いやから……心配させんといて」


 俺を逃さないよう、頬を両手で挟んでそんな風に言われ、頷く以外の選択肢は用意されていなかった……。


 了解しましたと受け入れると、ホッとした顔のサヤが、俺を橇の座席に促す。

 座ると丁寧に毛皮をかけられて、まるで子供のように扱われ、溜息を押し殺していたら……髪を掻き分けられて、頬に柔らかい感触。


「良い子にしてなあかんしな」


 自分が何をしでかしたか、分かっているのだろう。頬を染めたサヤが、なんでもない風を装いそう言って、橇の後ろに回り込んだ。

 いや、そんな風にされると、そっちの方がクルんだけど……。


 っていうか、フォギーがいるのに……サヤから⁉︎ 頬にとはいえ、口づけ⁉︎


「フォギーさん、行きます!」


 現実に振り回されているうちに、サヤから出発の声。


 走り出した橇が、やがて風になる。

 火照った頬に当たる冷気が、むしろ心地良かった。

 行きしよりもゆっくりと流れる風景を見渡しながら、俺は空の彼方……神の御坐す世界を、想像する。

 今世を旅立ち、来世に向かうカルラ。この世を離れても、強く美しく飛んでほしい。少し大変かもしれないけれど、どうか、来世を探し出してほしい。


 待ってるから……。


 心の中で、旅立つ娘の来世を、神に祈った。


 まぁ……。

 そうして、拠点村に帰ってからのことだが。


 お小言はお小言で済まず……二時間以上続いたとだけ、添えておく。


今週の更新を開始いたしました!

そして明日も仕事だというのに明日の分すらまだ書き終わってない!

ええ……もう毎週のことですね。

とりあえずギリギリまで頑張りますよ今週もねーっ!←ヤケクソ気味

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