表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第八章
241/515

来世

 本日、天気は快晴。


「遠征日和ですねっ」

「うん。吹雪いてなくて良かった」


 村の者たちに見咎められても困るので、南側の人が居ない区域から、俺たちは出発することとなった。

 荷物は少ない。昼食用の諸々が入った背負い袋が一つと、花を持ち帰るための箱が一つ。

 箱の中には羽毛が詰めてあるのだが、これは緩衝材がわりだ。

 何か不足の事態があってもそのままセイバーン村に逃げ込めるし、これで大丈夫だろう。

 防寒対策万全の服装で、俺たちは橇に綱を装着させる。本日も牽引役はフォギーだった。少しでも橇に慣れた者の方が良いだろうと判断されたためである。


「いってらっしゃいませ」

「うん。昼過ぎには戻れると思うから」


 ハインに危険だから駄目です。なんて言われることもなく……。気持ち悪いくらい素直に送り出してくれたのが若干引っかかる気もしたけれど、そこはまぁ……良しとする。フォギーが一緒であるとはいえ、サヤと二人で出かけられるのだということが、なんだか今更ながらとても嬉しくて。細かいことは気にしないでいられるくらい、気分が高揚していた。


 そして出発してから少し……。


「確かに、眼鏡が必要だったなぁ……これは、眩しい」

「本当に。キラキラですね」


 輝く太陽の光を雪が反射し、更に蒲公英のような色のフォギーだ。色付き硝子をはめ込んだ仮面をしていても、若干眩しい。

 結構な速度だし、馬車みたいに壁もないため寒風が直接顔に当たり、ものすごく冷たいのだが……。


「凄い、綺麗だ……」

「ディズニー映画みたい……」


 周りの風景は、見惚れてしまうくらい、素晴らしかった。

 白と、黒と、青しかない。

 なのに何故こうも、完成されているのだろう……。

 知っているはずの風景なのに、まるで別世界。けれどちゃんと、記憶に面影がある。


「雪の世界って、こんな風なんや……」

「もっと寂しい風景かと思ってたのにな」


 晴れ渡っているからこそなのだろう。吹雪けば一瞬で、死の世界だ。だからこそ、美しいのだろう……。

 そんな風に考えていたら、


「これが……神の御坐す世界なんやね……」


 という、サヤの呟きにどきりとした。


「え? なんて?」

「あの子が……来世に逝く時に、通る場所やって。

 真っ白の空間……そこで、羽化をするのだって。来世までは遠いから、飛んでいくんだよって、教えてくれはった。

 あの子は…………こんな世界を、飛んでいくんやね」


 何か思い詰めたような、押し殺した声音。

 それがその子を亡くした悲しみからのみ、発せられた言葉でないことは、その重い響きで察することができた。


「あの子は、迷い子にならんと、逝けるやろか……」


 不安そうに、揺れる声音で……。


「私も…………そこに逝けるんやろか……」


 掻き消されそうな小さな呟きが耳をかすめ、ゾクリと背筋を冷気が撫でた。

 まるで見てきたみたいに鮮明に、裸身を晒し、背に虹色の羽を広げるサヤが想像できてしまい、その恐怖が衝動的に、俺の手をサヤに向かわせる。


「れっ、レイ! 操縦しとる時に手を離したら……っ!」


 席に座るサヤを背後から抱き竦めて、顎に手を回す。サヤの抗議の声は唇で塞いだ。

 だけどぐらりと橇が不規則な動きをして、慌てて唇を離し、取手に縋り付く。


「っ、……あっぶな……!」

「な、何考えて……っ⁉︎ 阿呆っ!こんな時にスケベ! なんで急にそんな……バカ!」


 必死で立て直す俺を、羞恥を誤魔化すように罵るサヤ。

 ブレた橇の動きにフォギーが気付いた様子で速度を少し落としてくれて、なんとか転がらずに立て直すことができた。


「あのさ、サヤ。考えたんだけどね。

 その子の名前、いくつか候補があるんだけど、どうにも絞り込めなくて」

「誤魔化したって駄目や!」


 急に口付けしたことを誤魔化していると解釈されてしまった……。

 まぁ、俺としては、目的を達成できているのでよしとする。

 この世界で暮らす間や、ちゃんと天寿を全うしてから旅立つ死後の世界を、サヤひとりにする気なんてない。

 なのにそんな苦しそうに、不安そうに、俺のことを忘れたみたいに、考えてほしくなどない。


「イリーナでしょ、ヘルミナ、カルラ、シスル……どれが良いと思う?

 アリーゼ、リュシー……。どんな子だったの。どの名前がしっくりくるかな」


 立て続けに女性名を連ねる俺に呆れたのか、サヤの返事が来ない。

 こちらを振り返ることもしないから、もしかして物凄い怒らせただろうかと、少し不安になる。


「………………カルラ……カルラが良いと、思う……」


 悪かったと謝ろう……そう思い口を開きかけた時に、サヤの返事があった。


「迦楼羅天は、私の国では神様の中のお一人でな、魔を退け病を除くと言われてるお方やし……」

「神様の名前をいただくの?」

「よくあることやで。神様や、英雄の名前を、あやかれるようにって、いただくこと。

 響きだけをいただいて、別の漢字をつけたりもする。

 ……あの子は…………カルラは、飛んでいかなあかんし……迦楼羅天は、鳥の姿をした神様やしな」


 前を向いたまま、そう言うサヤに、じゃあ、カルラにしようなと、告げると、こくりと頷く。


「……もう少ししたら、交代しよ」

「そう? 俺まだ大丈夫だけど」

「私も……操縦したい」

「そうか。じゃあ……フォギー! 一回止まってくれ!」


 声を張り上げて指示を飛ばし、俺も足元の歯止めを踏んで、減速を促す。

 そうしながら、自分を異物だと言うサヤが、ここで独りに慣れなければいけないと言うサヤが、死後にまで不安を抱いているなんて、耐えられないと、思った。


 妻となることを受け入れてくれたけれど、きっと心は、まだ孤独だ……。

 揺れ動いてる……。まだ葛藤してる……。本当に、俺を夫として良いのかどうか……。

 本当に、ここにいて、良いのかどうか……。


 彼女が心から安心していられるようにするには、どうすれば、良いのだろう……。



 ◆



 セイバーン村まで無事到着。

 村に寄ろうか逡巡したけれど、今回はやめておくことにして、そのまま裏山に入った。

 橇は木の根元に、人目につかないよう隠しておいて、二人と一匹になる。

 登るにつれ……雪は次第に少なくなり、泉の周辺はやはり、さした量の雪は無かった。


 夏以来の泉に、サヤはなにやら感慨深げというか……暫く泉を見つめて動きを止めていたものだから、少々不安になってしまう。


 もう一度、この瞬間泉に道が開いたら……サヤは、やはり……戻ることを選ぶのだろうか……。


 一瞬脳裏を過ってしまった考えを振り払うため、俺はことさら声を張り上げ、サヤの意識を泉から離しにかかった。


「水はここのが使えるから。まずお茶を沸かそう。

 フォギー、ずっと狼のままは寒くないか? 一旦人に戻る?」


 そう声を掛けると、静かに木陰へと消えていくフォギー。

 そして戻ってきたのは、蒲公英色をした髪の女性。


「疲れたろう。先に昼食にしような」

「肉と麵麭を、一回火で炙りましょうか」


 サヤも、明るく声を張り上げて、準備に取り掛かった。

 荷物から小ぶりの薬缶と竹炭をいくつか取り出したサヤが、あまり濡れていない地面を探して火を起こす。

 長時間は保たないから、さっさと調理を済ませてしまうため、俺も手伝う。

 この時期は生野菜なんて贅沢なものは無いから、貴重な干し野菜を肉と共に刻んで混ぜ込んで纏めてある。サヤが「つくね」と読んでいる、挽肉を太めの棒状にして焼いたものを持参していた。このままでも食べられるが、やっぱり暖かい方が断然美味しい。


「なんちゃってホットドッグですね」

「俺は腸詰よりもこっちの方が好きだけどな」


 温めて溶かした牛酪を麵麭にたっぷりと塗り込んであるのが、また美味なのだ。

 フォギーもお腹が空いていたみたいで、しっかりと食べる。走り通しだったから、塩分が美味で仕方がないのだろう。


「普段なら太っちゃうからなかなかしない食べ方なんですけどね……」


 今のサヤは早く肉を戻さないといけないからしっかり食べてもらいたい。

 今のサヤに不満があるわけではないけれど、なんかこう……腕の中におさめた時、心地よい弾力がある方が、安心できる……気がする。


「じゃあ、俺たちはもうちょと奥に向かうから、フォギーは帰り用に休憩しておいてくれ。

 なんなら村に行ってても大丈夫。アーロンの所か、ダニルの所ならね。

 帰るときは笛を吹いて知らせるよ」


 食事の後片付けをしてから、俺たちは泉よりさらに奥へ向かうことにした。

 こちらには、まだサヤを連れて行ったことはない。

 溶けた雪で緩い斜面に気をつけながら進むと、なんかだんだん……気候すら変化してくる気がするのだ。


「……なにか……暖かい……ような?」

「うん。……でも夏は涼しく感じるんだ……。

 気候的に合っていないはずの植物すら、見かけるんだよな」


 暑くなってきたので、防寒用の外套を脱いで、木に引っ掛けておく。

 帰りにまたここで身に付ければ良いしな。

 そうして更に進んで……。


「こんな時、ここは本当に異界なんやなって、思う……。

 私の世界ではありえへんことが起こってて……その現象が起こる理由が、私には分からへん……」


 そう呟きサヤが、一瞬身震いした。

 雪がないわけじゃない……なのに、ここには、別の季節が混在している。

 この空間だけ、極彩色のまま、白と、黒と、青の世界からは切り離されている……。


「! これ、テレビで見たことある!」

木通(あけび)? サヤの国では食べないの?」

「実物を見ることなんか、もうほとんど無いと、思う……。少なくとも私は京都では……食べたことあらへん」


 これ、種を食べるんやった? 白い部分やった? と、聞いてくるサヤに……本当に食べたことがないんだなと、驚いてしまう。

 そして、俺も同じことを思った。

 サヤの世界は、異界なんだな……と。

 貴重なはずの食料を、忘れてしまえる世界なんだな……と。


「あとで時間があったら、食べれる木の実を教えてあげるよ。

 だけどまずは、先に花を摘もう。

 ここにも草花はあるけど……もうちょっとちゃんとした花が、色々咲いてるんだ。

 サヤの誕生日に、ジェイドが芍薬の花束をくれたろう? あれも多分、ここで探したんじゃないかな」


 そんな話をしながら、奥に進む。

 小さな草花も美しいと思うけれど……この、白と、黒と、青しかない世界から旅立つカルラには、それ以外の色を手向けてやりたい。


 先に足を進めていたら、不意に上着がツンと引っ張られて、足を止めたのだけど……。

 枝に引っかかったわけではなく、サヤが遠慮がちに、上着を引き、俺を呼び止めたのだと分かって、サヤに向き直る。


「ん? どうした?」

「…………あんな……来世は……来世は、あるんやと、思う?」


 不安を隠しきれないサヤの声音と、表情。

 まるで自分の存在にすら疑いを抱き始めてしまったかのように、彼女は何故か、酷く動揺していた。


「もし、来世があるとして……向かおうと思うていた場所が無い場所だったら……迷うてしまう?」

「……サヤ?」

「私は、来世なんてな、死後の世界なんて想像もできひん。でもきっと、何もないんやと思うてた。

 ただ、何もなくなる……自我もなくなる……闇すら、無い。この意識が消えて、ただそれで終わるんやろうなって……。

 せやけどここは、私の世界やない……。こんな風に、不思議な場所があって、一年の時間がきっちり割り切れて、獣人がおって……ならやっぱり、来世もあるんやろか。

 そうしたらカルラは迷うてしまうかもしれへん……迷うたら、どうなるんやろ……ちゃんと来世まで、行けへんかったら……!」


 涙を溜めて、恐怖に震える。

 そんな風に動揺するサヤに、俺はどう答えて良いか分からない。

 だって俺にも……来世があるかどうかなんて、分かりはしなかった……。

 俺自身が、どうして今の俺であるのか、その理由も分からない……。俺の前世が何であったのか、何一つ、覚えてやしないのだ。


「……サヤ、俺たちは死ぬとね……肉体から、羽化をして、来世に向かって飛び立つと、言われている……。

 その時、骸に記憶も残されるのだって、聞いた……。来世には、必要のないものだからって……」


 どこで聞いたのだろう……書物で読んだのだろうか……?

 いまいち情報の出所が曖昧であったけれど、多分学舎で……本を読み漁っていた時に得た知識なのだろうと思う。その手の神話も、たくさん読んだから。


「だから、本当のことはきっと、誰にも分からない……。

 肉体と記憶を捨てたらもう、次に自分がどこに向かうかなんて、そんなのみんな、覚えてないから。

 ただ、来世の方向はちゃんと、分かるのだそうだよ。

 今年生まれたばかりの渡り鳥が、見たことのない海の彼方を目指して飛ぶみたいに……本能で飛ぶのだと思う」

「本能……?」

「うん。それは、血や肉じゃない、魂に刻まれたものだ。だから大丈夫。魂に刻まれたものを頼りに、皆ちゃんと飛ぶ。来世に辿り着く。

 俺は、渡り鳥の魂に刻まれたものが、何かは分からない……染み付いた匂いや、刻まれた自分じゃない誰かの感覚……そういったものなのかな。

 だけど彼らは、ちゃんと飛ぶよ……自分の進む先を信じて、進む。

 カルラもちゃんと飛べる。分かるよ」

「……っ、けど、カルラの進む先を、私は……私は用意できひん!」

「サヤ?」

「良いよって、言わへん方が、良かったん? せやけど小さいのに、あんなに苦しんで、怖がってた。

 来世が不安やって、泣いてた!

 せやから私、気休めでも……少しでも気持ちが、軽うなるならって……。

 それでカルラは、最後、楽しみにしてるって……そう言うて……もう、意識が戻らへんかった……。そのまま旅立ってしもうたの!」


 震え、懺悔するみたいに言葉を吐くサヤを、腕の中に抱きしめたけれど、彼女の不安はいや増すばかりであるようだった。

 来世に旅立つ幼子に、用意できない来世……。


「……カルラは……サヤの子になりたいって、言ったの?」

「しっ……知らない人は、怖いって……私やったら……良いのになって……そう、言われて……」


 合点がいった。

 きっと俺を拒む理由を、一生口にしないでおこうと思っていたろうサヤが、あの日その答えをくれた理由が……。

 泣いて、取り乱して、あんな風に気持ちを叫んだ理由が。

 カルラと交わした言葉と、俺のサヤを求める気持ちと、立場。

 そして自分が子を成せない現実と……そんな沢山のものに雁字搦めにされて、彼女は…………サヤは、苦しかったのだ……。

 俺に身を委ねながら、それでも拒んだのは、カルラや俺に応えたい気持ちと、自分自身との葛藤ゆえ。

 サヤははじめから、俺の隣を選ぶ気なんて無かった。それは恋人となった瞬間から、サヤが決めていたことだったのに。

 決めたことは、覆さないサヤ。俺が何を言ったって、譲ってくれない頑ななサヤのその背中を、最後に、俺の方に向かって押してくれたのは…………。


「それは…………カルラの父親は、俺が良いって、そういう意味だよな?」


 腕に力を込めて、耳元にそう囁いた。

 律儀だな……口約束だと、割り切ってしまわないサヤ。

 そんなところを大切にしたいと思ったし、俺たちのところに来てくれるという、未来の娘を愛おしく思った。

 来世があるかどうかなんて、分からない……。子だってできないと、サヤ自身が言っている。だけど…………信じるのは勝手だし、それは悪いことじゃないと思うんだ。


「うん。俺も、一緒に背負う。責任の半分を、預かる……。

 カルラが俺たちの子になってくれたら、嬉しいよな……」


 今俺に言えるのはそれだけ……たったそれだけ……。

 だけどこれは、サヤ一人で背負うものじゃないんだよ。半分は、俺の担うものなんだ。


「カルラに手向ける花を、摘みに行こう。

 来世、迷わず来れるように、今してやれることを、してやろう」


 そう言って、髪を梳くと、滑らかな手触りが、少し損なわれていることに気付く。

 …………カルラのために、できることを彼女は、したのだな……。

すんません……来週に引っ張ります……。

来週も金曜日の八時以降、お会いできるように頑張りますので!


それにしても最近、調子良かったり悪かったり……ムラがあってすいません。

来週はもっと堂々と更新します宣言できるように頑張ろう……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ