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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第一章
24/515

異母様

 サヤが夢の番人になって三日。とうとうこの日がやって来た。

 夜の帳が下りようとしている時刻。片付けの指示を飛ばしていた俺のもとに、一人の村人が駆けてきて、馬車が来たと告げたのだ。

 それは、異母様たちの帰還を意味する。

 俺は馬車を迎える為、館に戻ることとなった。


 身綺麗にしている暇はない。だがサヤは、このままではマズイだろう……。サヤだけ身を清めるように指示しようか……しかし、それだと間に合わないよな……そんな風に考え焦っていると、ハインが顔を泥で汚すようにとサヤに指示した。


「異母様たちに顔を晒すのは良くないでしょう。かといって、皆汚れている中一人身綺麗なのも違和感があります。

 それなら、いつも通りで良いのです」


 サヤは連日、泥で汚れて作業している。農民たちと一緒に汗を流しているのだ。

 その指示に、サヤは頷いて、近場の泥濘に手を突っ込む。それを顔や服に擦りつけた。


 荷物だけを別館に置き、馬車用の出入り口で、使用人と共に馬車を迎えた。

 俺たちが使用している二人乗りの馬車よりふた回り大きい馬車。馬は三頭。

 ゆっくりと進む馬車の中に、異母様が見えた。


「お帰りなさいませ」


 そう告げる。

 いつもなら視線も送られず、そのまま通過する。

 しかし、この日はやはり違った。サヤを見ている……。俺の背中に緊張が走る。

 異母様が手を挙げて馬車に停まるよう指示を飛ばした。


「その子供は」


 おっとりと優しい声。だけど俺は、その声に身が竦む。

 その異母様の奥の座席に、兄上が気怠げに座るのが見えた。こちらに興味は無いようだ……。

 大丈夫だと自分に言い聞かせ、異母様の質問に答える。


「雨季の間、雇うことにした者です。

 先日メバックで、職探しをしていたのを、見掛けたので」

「ほぅ……領民なのですか」

「異国の者です。言葉はよく理解しておりますので、問題ありませ……」

「その方、名は」


 俺の言葉が終わるのを待たず、異母様がサヤに声を掛けた。

 サヤが、身を硬くしたのが分かる。「名乗っていい」と、サヤにしか聞こえない小声で俺が言うと、サヤはゆっくりと身を起こした。


「鶴来野小夜と、申します」


 緊張し、少し震える声で、そう答える。

 異母様は暫くサヤを見据えていたが、興味が失せたように視線を逸らした。そして合図を送り、また馬車が進み出す。その間、兄上はずっと、こちらを見る事もなかった。


 馬車が通過し、俺たちは身を起こす。

 出迎えに出ていた使用人たちと共に解散し、別館に戻ってからすぐ、執務室に向かった。


「どうだったかな……。兄上は大丈夫だったと思うけど」


 俺がそう言うと、ハインが頷く。

 お茶の準備を始めると共に、サヤに濡れた手拭いを差し出す。サヤはお礼を言ってそれを受け取り、顔の泥を拭った。


「そうですね。兄上様は全くサヤを見ませんでしたから、問題無いかと。

 異母様は、やはり興味を示しましたね……。ただ、サヤを女性だとは気付いていないと思いますよ。もしそうであるなら「子供」ではなく「娘」と表現したでしょうから」

「そうか……。なんにしても、今日からは畑の手伝いをする場合も、注意しないといけないな」


 今までのように、手伝いをして汗をを流していては、化粧なんてすぐ落ちてしまうし……。

 とはいえ、サヤは結構な戦力だったのだ。重いものをひょいひょい運ぶのだから。


「収穫はほぼ終わりに近づいてますし、 力仕事の手伝いは終了しましょう。

 脱穀が始まれば、作業場は貯蔵庫の前のみです。異母様たちの目に止まることも無いでしょう。それに、そろそろ仮住居と川辺の補強を始めなければなりません」


 ハインの言葉に、自分のやらねばならないことを今一度考え直す。

 異母様に別館の使用許可をお願いするのは明日以降だな……。今日言っても取り合ってもらえそうにない。帰ったばかりだからと突っぱねられるのがオチだ。


「じゃあまず明日……異母様に別館の使用をお願いしに行こう。ハインは一緒に来てくれ。

 サヤは、身支度を念入りに。明日からはどこに異母様たちの目があるか分からない。使用人の出入りも増えるから、きちんと男装しておかないとね」

「畏まりました」

「別館の使用許可……無駄だと思いますけどね……」

「分かってるけど、万が一って事もあるだろう?」


 やるだけやっておく。それだけだ。

 俺が撤回する気がないと分かっているハインは、もう一度溜息を吐いてから、夕食の準備を始めますと退室し、サヤは風呂の準備の為水汲みに行った。

 俺はそのまま執務室に残り、ギルに近況報告の手紙を書く。

 収穫はほぼ終わり、農民たちの収入は確保できそうだ。最低最悪の事態は避けられたと思う。

 次は川の対処。そして仮住居だ。

 それはそうと……。


 サヤが、何か悩んでる風なんだよな……。


 作業の合間、川辺を通る時など、たまに川を見て、立ち止まっている姿を見かけるのだ。

 はじめは川の様子が心配なのかと思ったのだが、そうであるならば、何か言ってこないのも変な気がする……。

 こちらから声を掛けた方がいいのか……悩みどころだ。あえて言ってこないことをつついていいものか……。


「これも……明日以降だな……」


 そう結論を出して、手紙の最後を締めくくることにする。

 収穫が終わったら、大店会議を行う。

 川の補強や農家たちの仮住居の建設には、当然莫大な費用が必要となってくる。更に、氾濫の後には、家屋の再建も必要なのだ。

 それは農家の者たちだけに捻り出せるような金額ではなく、俺たちが氾濫が起こる時の為にと準備して来た予算にも収まらない。

 領内全体から、一律に税金を上げると言う方法で対処するのだが、今すぐに必要な現金を確保できる方法ではない。よって、メバックの商人たちに寄付を募ったり、まとまった金を借りることになるのだ。

 その為の根回しはギルたちにお願いしたから、ある程度の話は通ってると思うが……借りるにしろ、寄付してもらうにしろ、きちんと顔を出して直接お願いするのが筋だと思っている。

 その為、俺が領主代行となった年から、こういった会議をちょくちょく開いているのだ。


 それまでどうしてたんだという話だが……一方的に通達してたらしい……。それを知った時俺は血の気が引く思いだったのだが、貴族というのは案外そんな風らしい。顔も合わさず、一方的にお金を借りていく貴族……。社会の不条理を垣間見た瞬間だった。


 一通りの仕事を終える頃、サヤが食事の支度が整ったと報告に来たので、封をした手紙を持って執務室を出る。

 配膳を済ませたハインに手紙を渡し、送っておくように伝えて夕食だ。


「そういえば……村の人たちに、サンドイッチの作り方を聞かれたのですが……教えて良いのでしょうか」


 食事の最中、急にサヤがそんなことを言い出した。

 ハインの目がキラリと光る。


「まあ、聞かれるでしょうね。目立ってたでしょうし」


 そうですね……。目立ってたでしょうとも。

 農作業の合間、俺たちは毎日ベントウというものを持参してたのだ。

 はじめのうちは、昼が近づくと、作業を中断して別館に戻り、簡単な昼食を済ませていた。

 しかし今年はサンドイッチがある。サヤの国では、これをかごなどに詰めて持ち出して、外で食べたりするのだと、教えられたのが切っ掛けだった。

 朝食準備の時一緒に作ってしまえば、いちいち帰って料理しなくて良いし、手に持って食べれるから食器も最低限で済む。

 サンドイッチの入った篭を持ち、敷物とお茶を持参しておいて、昼には木陰で食事する。食事が済めば、サンドイッチの無くなった篭に敷物等を突っ込んで持ち帰る。移動と調理時間の短縮ができるわけだ。

 またサヤの民族お得意の効率化だ。時間が惜しい俺たちは当然採用した。

 サヤはサンドイッチ以外にも持ち出しやすい料理をいくつか教えてくれたので、種類も豊富で毎日飽きない。

 ハインはハインで思惑があったようだ。

 特殊な料理を沢山秘匿する必要は無い。ハインは料理人ではないのだから。

 少しずつ村人に情報提供し、農作業の効率化を図り、生産性や、農民の生活にゆとりを持たせるという計画を立てたのだ。

 生活に風呂を取り入れるための下準備だと言った。ちょっと意味がわからないが……ハインが言うのだから、そうなんだろうと自分を納得させる。


「教えても良いですが、マヨネーズはまだ教えないで下さい。あれはちょっと特殊すぎますからね。秘伝なのでと言っておけば突っ込んでは来ませんよ」

「そうですか?じゃあ……特殊な調味料を使わないもの……バーガーとか、パニーニとかなら、大丈夫でしょうか」


 日々サヤから新しいメニューを教えてもらってるハインが「それなら良いと思います」と承諾する。

 パニーニやらバーガーというのは、サンドイッチの親戚みたいなものらしい。

 挟んであれば全部サンドイッチでいいと思うのだが……サヤの国はいちいち区別するのだ。


「なんだか、楽しみですよね。

 はじめは教えた通りの料理を作るのだと思いますけど…そのうち、各家庭の特色が出て来ますよ。そうしたら、新しいメニューが増えますね」

「ほぅ……それはより楽しみが増えました」


 新しい料理という、ハインへの餌が投下された……。



 ◆


 翌日は朝から快晴。収穫はほぼ終わり、脱穀も始まっており順調だ。

 脱穀作業は農民たちに任せて、俺たちは川の様子を見に来ていた。

 今日で六の月三日……雨季は間近となってきた。


「やっぱり無理だった……別館使用……」


 村人から離れた場所で、俺はしょぼんとそう呟く。

 ハインはまあそうでしょうともといった反応で、サヤは溜息をついた。

 やはり期待していたのだと思う。


「理由は……なんと仰ったんですか?」

「前例が無い。下賤の者が近くにいるのは身の危険を感じる。

 一日二日ならともかく、何ヶ月も住まわせたのでは体裁が悪い。そのまま住み着かれそう……みたいな感じのことを、遠回しにね」


 一度氾濫が起きれば、畑も家も流されたり、壊れたりする。


 当然、そのまますぐに戻って住むなんてことはできないので、しばらく仮住居での生活を余儀なくされるのだ。

 それならいっそ、畑のそばに住まなきゃ良いという話になりそうなものだが、やはり畑の管理というのは休みが無い。近くに住み、連日面倒を見るのが、今のところ一番効率が良い。雨季以外の期間を考えると、離れた場所に住むというのはあまり現実的ではないのだ。


「そもそも、裏山前の広場も別館も、領主の館からの距離はほぼ一緒ですよ。

 単に嫌ってことのこじ付けをされているだけです」


 まあ概ねそうなんだろうね……。


「まあ、好ましくない結果だとしても、結果は出ました。

 これで、川の補強と仮住居の建設をしなければならないとはっきりしたわけです。

 それなら、その様に動くだけですよ」


 そう言って、ハインは川の様子を見に行く。俺もそれに続こうとして、サヤがついてこないことに気付いて足を止めた。

 振り返ると、思案顔のサヤ。

 まただ。何か考えてる……。なんでそんな、不安そうな表情をしてるんだろう?


「サヤ?」


 名前を呼ぶと、ハッとしたように、考えるのを止める。

 そして、小走りに俺の側にやってきた。


「川の補強、この前言ってらっしゃったことを、するんですか?」

「そうだね。毎年やっているのは……板で壁を作り、土を盛って、叩いて固めていくことと、川の蛇行部分に岩などを積んで、簡単に削れないようにする作業だね」

「……それは……この川べりをそのまま、補強していくんですよね……」

「うん? そうだよ」

「水路は、どうされてるんですか?」

「岩なんかを置いて、流れ込む水の量を調節したりする。

 とはいえ……溢れてしまえば一緒なんだけどね」


 サヤの質問に答えつつ、横目で様子を伺う。

 やはり何か、考えている風なのだが、それを口にしようとはしなかった。

 ハインに追いつき、どこから補強していくかを相談する横で、やはりずっと考えていて……。


「一日二日なら、ともかくって……仰ったんですっけ……」


 という呟きがこぼれたのを、ずっとサヤを意識していた俺は拾うことができた。


「うん。仰ったね」

「あの……雨季の間、本当に避難しなきゃってなることは、どれくらいあるんですか?」

「うーん……?状況にもよるけど……一ヶ月ずっとってわけじゃない。一度か、二度……多くても五本の指で数えられるほどだ」


 去年は二度ほどだったかなと、ハインに確認すると、首肯する。

 去年は川の水量もあまり増えている風ではなかったし、仮住居も作らなかった。

 一応、村の外れには丘があり、集会場があるので、普段はそちらが避難場所だ。

 ただ、一時的な避難なら良いが、住むには狭すぎる。空振りすることもあるが、危険だと思うときは、仮住居を作るというのが今までのやり方なのだ。


「避難場所……ああ、あの外れにある、大きなの小屋ですね」

「丘に農民全員が避難することはできる。ただまぁ、連日寝泊まりできる広さは無いね」

「そうですね」


 村の方を見て、川を見て、そしてまた考え出すサヤ。

 まだ話す気は無いのだなと思ったので、とりあえずサヤのことは保留にする。


「ギルには連絡を送った。また近いうちに、メバックに行くよ。

 今度は大店会議といって、メバックの商人たちに資金援助や物資のお願いに行くんだ。

 もし氾濫が起こった場合は……税金を上げて、復旧のためのお金を工面するんだけど、それだと資金が調達できるのが来年以降になる。

 だから、メバックの商人たちに寄付をお願いしたり、まとまったお金を借りたりする」

「それで、迷惑をかけるって、仰ってたんですね……」


 氾濫を未然に防げるのが、一番良い。

 そうすれば、農民たちは畑も家も失くさずにすむし、商人たちも資金繰りに苦慮しなくてすむし、セイバーンの領民は余分な税金を払わずに済む。

 だから、川の補強に全精力を注ぎ込みたいのが本音だ。

 しかし、雨季の土は緩みやすい。農作業の合間に川の補強も行なっているが、それでも蛇行部分は削れ、氾濫は起きる。

 かといって、毎年氾濫が起こるわけでもないから、仮住居を建てておいても劣化するし、なんかもういちいちが中途半端なのだ。


「もう、何十年も、そんな感じでやってきてるんだ。

 いい加減、何か良い方策を、見つけなきゃね……」


 この氾濫に、何十年もかけて膨大な資金を投入している。

 メバックは、アギーの恩恵で比較的高収入が続いてるからまだ良い。

 他の地域は、自分たちに関係ない場所で、氾濫の度にかかってくる追加の税金に辟易していることだろう。


「あの……ご相談が、あるのですが……」


 暗い気持ちで川を見ていた俺に、サヤがそう言った。

 ああ、言う気になったんだな。そう思い視線を戻すと、何か……苦しそうな顔をしたサヤが、俺を見ていた。


「ここでいい?

 それとも、戻ってから、執務室で聞こうか?」


 なんでそんな顔をしているのか、それが気になったので、サヤにそう聞いてみたら、暫く考えた後、執務室でと応えが返る。

 ハインを見ると、書き出していた覚え書きをざっと確認し「では、戻りましょうか」と促された。

 帰る途中、見かけた農民に、氾濫対策の話し合いをしているから、何かあったら別館に知らせて欲しいとお願いしておく。


「川縁の……結構ぎりぎりまで、畑なんですよね……」


 何故か重い声でサヤが呟く。

 答えを求めている風ではなく、ただ確認している感じだったので、そうだね。とだけ答えておいた。

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