閑話 ルーシー
翌日朝。ロゼと行商団の代表者を名乗る者が、赤縄から出る許可を求めると、手紙に書かれていた。
ユストの経験則とサヤの知識により、荊縛の潜伏期間はだいたい五日以内だろうとされ、ロゼはこの期間を無事過ごしたのだ。
行商団の代表者はスヴェンと名乗っており、彼は初期の段階で罹患し、無事快復していた。こちらも熱が引き、十日以上が経過したため、もう病は完全に身体から抜けた様子であるという。
「まずはその初期段階に罹患した者たちと、確実に飛び火は免れている者たちを赤縄から出す。
とはいえ、一応万全の注意は払いたい。万が一が無いように。
よって村の北東……職人らとは離したこちらの民家を数棟解放しようと思う。
どちらにしろ、越冬はこの村でとなるだろうし、幼年院の敷地を挟むから、それなりに距離は離れている。
もうしばらくは、越冬の準備を整えてもらいつつ、他の村民との接触は控えてもらおう」
「では、馬車の荷物をそちらに移動してもらいますね。代表者の面会希望はどうされます?」
「どうせロゼを回収するんだから危険性は一緒だ。会おう。念のため、お互いにマスク着用で」
「畏まりました」
昼食に返信を添えるため、明日朝からの移動許可を記した。
その明日が、祝詞日の最終日だ。
「今日も降ったか……。
もう、積もり出すのだろうな、これは……」
三日連続の雪。
この様子だと、明日朝は少々積もっているだろう。
ギルたちの滞在も、今日が限界だなと思いつつ、昼食を終え、執務室に向かったのだけど……。
「帰るっつってんだろうが! 王都の越冬とここじゃ、全く違うんだってさっきから散々言ってる。そもそも雪が降るまでって約束しただろうが! しかもお前は一人で越冬なんざしたことないんだぞ⁉︎」
「したことないからしてみるって言ってるんでしょ! 叔父様しつこい、煩い、私だってもう十七なんだから、自立すべきだわ! それにまだ全然サヤさん戻ってこないじゃない! お手伝いだって必要でしょっ⁉︎」
「叔父って言うな! 何が自立だ、凍死する気か⁉︎ そもそも越冬は一人じゃままならんもんなんだってことすら知らん奴が、そんなことしたら死ぬんだよ!
しかもお前にサヤの代わりとか、無理にもほどがあるわ!」
「酷い! 絶対帰らない、サヤさんが無事に戻るまでかえらないんだからーっ!」
「出たな本音! 越冬をサヤと過ごしたいだけだろ⁉︎
お前は自分が結婚適齢期の未婚者だって自覚しろ! お前みたいな性格でもなぁ、夜這いするやつにゃ関係ないんだよ!」
「……馬鹿ねぇ……鍵くらい掛けるじゃない」
「越冬時期ってのはな、自由がきかないぶん、いろいろ鬱憤が溜まった阿呆な奴が出てきやすい時期なんだ。
鍵ぐらいなんだ! そんなもんこじ開けられたら終わりだっつってんだ!」
「その不埒な発想がおかしいって気付きなさいよ⁉︎」
「男の正常思考だ馬鹿野郎!」
俺の机の向かいで、ギルとルーシーがずっとこんな感じで、言い合いを続けていた。
越冬を拠点村で過ごすというルーシーに、絶対駄目だというギル。その言葉の応酬なのだ。
とにかくギルは反対で、兄上の愛娘を預かっている身としては、ルーシーを一人になんて絶対にさせられない。なにより彼女はバート商会の後継であるし、女性の身だ。
人に世話されるのが当たり前の環境で育ってきている……いわゆるお嬢様なルーシーであるし、それを村に一人放り出せるかという親心は、俺も充分理解できるのだけど……。
男は狼だということを、ルーシーに懇々と説明するも、全く意味が届いている様子がない……。
ルーシー……ここ、未婚男性いっぱいいるんだよ……騎士とか、吠狼とか。
彼らがハメを外すとかとち狂うとかは考えたくないが、ハメを外したわけでもとち狂ったわけでもなく、そういったことにならないとも限らないわけで……。
「サヤさんいるんだから私がいたっていいじゃない⁉︎」
けどこう言われてしまうと……俺は何を言う権利も無いことになってしまうのだ……ギルの擁護ができない……。
「サヤはレイの華だって周知されてんだろうが⁉︎」
「周知されたら危険じゃないって言うんなら私も周知してもらうわよ!」
「ちょっ、それ問題発言だからね⁉︎」
このままでは意固地になったルーシーが何を言いだすか分かったもんじゃないっ。
というわけで、妥協点を探った結果、館で二度目の女中体験をしつつ越冬してもらうのでどうかという話に纏まった。
「父上に確認してからだよ⁉︎
もう俺の好き勝手にはできないんだからね⁉︎」
怒るギルに、多分ガイウスが反対して頓挫するだろうから、そうしたらルーシーも諦めるんじゃないかな? と、裏で宥めつつ、父上に相談……というていを取ったのだけど……。
「構わぬ」
あっさりと認められてしまって、ガイウスと共に唖然とすることになった……。
「アルドナン様⁉︎ 一般の者をそうやすやすと……!」
「良い」
ついでに今一度紹介してくれという父上の意向で、ギルとルーシーとの面談が急遽設定された。
父上を迎えた際、名を伝える程度の紹介はしたのだけど、それだけになっていたし、学舎からの縁でメバックに支店を出した友人であるということに、興味を持っていた様子。
想定していないこと続きで、唖然とするしかない……。
とりあえず、父上が呼んでるからと言うと、二人は慌てて着替え、身嗜みを整えにかかった。
こんな時でもちゃんとそれなりの礼装を持参しているのが凄いよな……想定外だろうに……。
そんなわけで、二人を伴って、父上の部屋を訪れたのだが……。
「学友のギルバートと、身内のルーシーです」
胸に手を当ててお辞儀をする二人。慣れているし見目麗しいしで、下手な貴族より立派だ。すると父上は。
「ルーシーというのは、店主の娘であったな」
と、与えた覚えのない情報を出してきて、俺たちの動揺は更に拍車がかかった。
ギルとルーシーは年が近い。大抵兄妹と勘違いされる。色彩も似ているし、二人揃って見目が良いのだから、叔父と姪の関係だとは思われない。
だから、なんとなく察した……などということは、絶対に無いのだ。
つい先日まで監禁され、救出されたばかりの父上だ。ほぼ寝たきりといっても過言ではない。なのに、いったいどこからそんな情報を……⁉︎
混乱の極みにあった俺たちに、父はフッと笑って、答えをくれた。
「其方の父に、大変世話になった。
レイシールの学舎でのことを、細やかに知らせてくれていたのだよ」
驚いてギルを見ると、ギルも知らなかった様子……俺同様、目を見開いていた。
ついでに、ガイウスもだ。
「公の交流ではなかったのでな、伏せていた。表向き、我々はお互いを知りもしないことになっている。
まあ、実際面識は無いのだから、間違いというわけでもないのだがな。
レイシール、お前が学舎二年目の、夏辺りからだよ」
二年目の夏……。それは、はじめてバート商会に招かれた年だ。
確かに、夏の長期休暇をバート商会で世話になる旨を手紙で伝えたし、許可の返事があった。けれど……。
驚きを隠せないでいたのだけど、ギルは得心がいった様子。
「……あぁ、合点がいきました。
兄は確かに……休暇の終わりに、全ての長期休暇、レイシール様をお招きするようにと、私に言いましたから。
…………兄と、縁を繋いで頂いたのですね」
「はじめは、その年だけの予定であったのだよ。
けれど、また連絡をくれてね。レイシールの様子を、事細かに教えてくれた。
これが君によく懐いていることや、君の献身により、感情を取り戻しつつあることも。
二人でいさせることが、お互い良い方向に影響し合っている様子であるから、長期休暇をうちに任せてもらえないかと。
……そういう書き方をされていたが……レイシールのためにそう言ってくれているのは、当然承知していた。
不甲斐ない我らの代わりに、君が兄であり、友でいてくれたのだな……礼を言う」
息子をたった一人で学舎へと追いやった。
どんな理由があるにせよ、それが事実だ。
今になれば、下手な人物を俺につけるわけにもいかなかったのだと分かるけれど、あの当時にはそんな判断もできなかった。
実の息子に対する仕打ちじゃないと、ギルは怒って、その分俺に手を掛けてくれた。
まるで本当の弟みたいに、愛情を注いでくれたのだ。
その正義感と優しさがなかったら、俺はどうなっていたか、分からない。
本当は、一度断りも入れたのだよ……と、父上は続けた。
「ジェスルのことがあったからな……。あまり、深く関わると、飛び火するかもしれぬと、伝えた。
だが、それも承知の上であると、返事があった。連絡はバート商会から一方的に届くのみ。こちらからは送らないで良いと言われた。
セイバーンに直接届くのではなく、別を介して、届けられていたしな……。
少し調べさせてもらったが、バート商会は王都の老舗。貴族との縁も多いようだったし、その言葉は信頼できそうだと思えたから、好意に甘えさせてもらった。
其方らには、帰しきれぬ恩がある……こんな田舎の小貴族に、返せるものがあれば良いのだが……なかなか機会も少なかろう。
なので、越冬の間、彼女は私が責任を持って預かると約束する。アルバート殿にもそのように伝えてくれ」
そういうことか……。
俺が長年世話になったお返し。そんなつもりで、父はルーシーを預かると言ったのだ。
父上が俺の交友関係を知っていたのも、アルバートさんの計らいだったのだなと、得心がいった。
考えてみれば、それもそうかと納得できる。男爵家とはいえ、それでも貴族。その子息を預かるのだから、並大抵の覚悟ではなかったはずだ。
アルバートさんは、俺の家の事情も調べ、その上で手段を確保し、父上にのみ、連絡をしたのだろう。
俺のために、そこまでをしてくれていたのだ……。もう頭が上がらないどころの話じゃない。
この一家に、俺は一体何を返すことができるだろうかと、改めて思った。なのに……。
「勿体無いお言葉。
ですが、お気遣いは無用でございます。
我々も、レイシール様には大変お世話になりました。救って頂いたと言っても、過言ではないくらいで……」
ギルがそんなことを言いだすものだから、慌ててそれを遮った。
「過言だよ⁉︎ 身に覚えがない!」
「まぁ、レイシール様は自覚していらっしゃいません」
なのにギルときたら、肩をすくめてそんな風に言う。
いや、ちょっと。本気で身に覚え無いから。
変なこと言うなよと脇を突くが、撤回する気は無いとばかりにツンと顔を逸らされた。あのなぁ!
「レイシール様は大変奥ゆかしい方ですから、こうして否定されますけど、叔父の言っていることの方が正しいですわ。
私も父から、今日のバート商会があるのは、レイシール様のおかげだと伺っておりますもの。
父は堅物ですから、娘の私にまで世辞なんて言いやしないって、レイシール様はご存知でしょう?」
すましたルーシーにまでそんな風に言われ、二人して何言ってるんだと慌てるしかない。
いくら父上の前だからって、そんな風に持ち上げてもらわなくても良い。そんな鍍金はどうせすぐ剥がれるのだから。
だいたい、幼かった俺が、いったいなんの役に立ったと言うのか。ほんと勘弁してほしい。
「ギルバート。レイシールの友であり、アルバート殿の弟君である君は、私の身内も同然だ。
レイシールにもそのようにしてくれたのだから、おあいこだと思って欲しい。
なので、そう堅苦しいことを言わないでくれ。貴族相手だからと、遠慮せずとも良いのだ。
レイシールは、君たち一家に育まれ、与えられてきた。それは私も認めるところ。なのに、違うと言うのか?」
そう指摘した父上に、ほらなと俺は、ギルに非難の視線を向けた。
けれど、思いの外真剣な表情で、ほらなじゃねぇよと、突っぱねられてしまう。
そして、父上に向き直ったギルは、改めて口を開いた。
「ええ。違います。
身内のよしみ。その言葉に甘えさせていただき、今だけ、身内として発言することを、お許しください。
レイは……ただ与えられてきたわけじゃ、ないですよ。
こいつは、ちゃんと自分が身一つであることを、幼い時から自覚して、努力してた。
ただ俺たちに縋ってたんじゃ、ないんです。
俺たちのために、できることを同じように、してきてくれているんです。
俺たちがレイに与えた分は、もうレイが充分、返してくれています。ですから、恩なんてものはありません。
だいたい、そんなもので俺は、ここに支店を出そうと思ったんじゃない。
十年やそこらで、縁を切りたくなんてないくらい、大切だと思ったからです。
だから、一つ望んで良いと言うなら……これからもレイを、友とすることを、許していただきたく思います。
身分違いと仰りたいでしょうが……学舎は、そういった場なのです。それを、ご理解ください」
最後の一言は、ガイウスに向けての言葉なのだと、察することができた。
平民だろうが、上位貴族だろうが、友となれる場だと。
身分差などというもので、この関係を断つ気は無いと。そういう宣言。
そしてその発言は多分……サヤのために、してくれたものでもあるのだろう……。
俺たちの価値観は、学舎で培われた。学舎は、国の機関だ。これは国の意向でもあるのだと、そう言外に、含ませた。
その意図を、父上は正しく理解したのだろう。
「心得た。其方らの十二年間を、奪うことはせぬ。
レイシールとの縁を、それだけ大切なものだと言ってくれたことを、嬉しく思いこそすれ、疎うわけがない。
これからもどうか、縁を繋いでもらいたい。宜しく頼む」
父上が認めたことで、ガイウスも口を挟む余地が無くなった。
あまり良い気分ではないだろうけれど、父上の決定を覆す気はない様子。
少々渋い顔をしつつ、それでも異論は挟まなかった。
そんな雰囲気を察したのか、ルーシーが不意に、明るい声音で俺に向かい。
「ではレイシール様。越冬の間の女中体験、宜しくお願いしますね?
私、ちゃんとお仕事いたしますから、手加減抜きですわよ?」
可愛らしくそんな風に言う。
「分かった……。
でもルーシー。部屋もこの館に用意するから。
悪いけど、俺もルーシーを預かる以上、責任があるからね? ここは譲らないよ」
「畏まりました。お言葉に従いますわ」
淑女らしくきっちり美しい礼を取るルーシーに苦笑する。
大貴族だって相手にするバート商会だ。そこら辺の田舎貴族よりよっぽど貴族らしい教養を身につけている。
特にルーシーは、後継なのだものな。こういったところは、見習わなければと思う。
退室を許されたので、揃って部屋を出た。
扉が閉まった途端、急にギルが、よろりとふらついて壁にもたれかかる。
「領主様に是って言われたら、断りようがない…………」
「ごめん、ギル……。思ってた展開にならなかった…………」
ルンルンと軽い足取りで先を行くルーシーに、俺たちは溜息をこぼし、お互いを慰め合って、とぼとぼと後に続いた。
◆
「レイ、戻る前にアギーの社交界の算段を済ませておくぞ」
本日中に一人で帰還すると決めたギルが、執務室にやって来てそう言った。
その言葉に、俺の直属の配下となる一同が執務室に揃う。
マル、ハイン、シザー、オブシズと、現在ジェイドの代わりとなる浅葱。ウーヴェはメバックにいるため不在だ。
そしてちゃっかりとルーシー。
社交界に絡むなら女性目線も必要だろうと押し切られた……。
「夜会にサヤを伴えってのは、そりゃ当然だろ。
サヤ以外娶らない宣言したならそうなる」
「だいたい夜会って、そのためのものじゃないですか。レイ様だって習ったでしょうに」
「そりゃ習ったけど……俺とは一生縁のないものだと思ってたし、全然実感が伴わないっていうか……」
「他人事だと思って丸暗記しただけだったということですね」
辛口の一同にグサグサと言葉で刺され、オブシズは苦笑、シザーはオロオロと手を空中に泳がせる。
ハインの言う通りだったのでぐうの音も出ない……。
だが確認しなければならない懸念事項があり、俺は痛む心臓に鞭打って顔を上げた。
「……あの……念のため確認するけど……」
「するに決まってんだろ」
「だからそのための場ですって」
「サヤには試練ですが、受け入れてもらえなければ縁談の嵐です。頑張って説得するしかないですよ」
言うまでもなく肯定されて力尽きた。
「まあその前に、夜会へ同伴してくれるかどうかです」
「妻にはならない宣言されてるもんなぁ……」
「将来の妻ですと紹介する場ですからねぇ」
もうこれ以上立ち直れなくなるようなことを言わないでくれ……。
「あの、レイ様は一体何に悶えていらっしゃるのです?」
俺たちのやりとりを、一人ニコニコと見守っていたルーシーが、顎に指を添えてこてんと首を傾げる。
これ以上掘り返さないでくれ!と、皆に懇願の視線を送るも……。
「夜会でサヤといちゃつかなきゃならんことだな……」
「大変なんですよ……耳飾があれば、まだ手を抜いてられるでしょうけど、サヤくんそれも無いですし……」
「態度で示す以外、周知が広がりませんからね。へたに距離を置いていたら、他の者が口説きに来かねませんし」
「うわあああぁぁぁ、言うなって! 分かってるから!」
承知してもらえる気がしない……!
サヤは人前で触れ合うことを極端に嫌がるのだ。
そもそも俺だって、別段それが得意ってわけじゃなく、つい衝動でそうしてしまうことはあるものの、率先してそれをしようとは思わない。
この前の祝賀会だって演技だからああできたわけで……。
「手段選んでられないんだろう?」
「公然といちゃつける理由ができるのですから、やれば良いではないですか」
「ですよねぇ。言葉で説得だけが口説く手段じゃないですよ」
「……楽しんでるよな? お前たち……」
ここぞとばかりに攻めてくる一同を半泣きで睨み付けると、すっと視線を逸らされた。やっぱりか! 遊ぶなよ俺で!
「けどな、アギーの社交界なら配慮してもらえる……なんて甘い考えは持つべきじゃない。
事情を知っている者たちばかりじゃないんだ。
むしろお前、戴冠式出席したら国の夜会への出席は決定事項だろ?
少しでも周知を広げて、そっちの負担を減らす算段をしておく方が良いと思うぞ。
相手しなきゃならん貴族の数が跳ね上がるんだからな」
ギルにそう釘を刺されてしまった。
そして、その指摘された内容に後ろめたい気持ちになる……。
「あー……、その……な、もうそれは、無いんじゃないかな……」
「…………は? 何言ってんだ?」
「いやその……戴冠式とか……父上救出の時に、その……な」
「戴冠式と役職を賜ることへの断りの手紙を送ったのでしょう? 知ってます。こじらせた末の奇行……当然承知しておりますが」
ハインにそう言われ、ギロリと睨まれ……。
「お前、浅はかにも程があるぞ⁉︎」
ギルにも久方ぶりにガーッと怒られた。
「いやだって……もう、セイバーンを返上するしかないと思ってたからな⁉︎」
「お前のその後ろ向き思考にはほとほと呆れるわ! けどまぁ……無いな。予定通りだぞ、たぶん」
「ええ。姫様があの程度で諦めるとは、到底思えませんので」
しらっと言われてしまった。
「レイシール……姫様……戴冠式って……? お前…………王家と、面識が?」
成人前の俺相手に当たり前のように戴冠式とか姫様とかとんでもない単語が飛び交っているものだから、事情を知らないオブシズが呆然と、そんな風に問うてきて、視線を泳がせる羽目になる……。
「う……いやその……面識というか……」
学舎でお世話になったアギー家のご子息様だと思っていた人が、男装して潜り込んでいた姫様でしたよ……。なんて、口にできない……。
なんと言って説明したら良いだろうか……土嚢壁による氾濫対策の資金集めが、王家にまで及んだ……とか?
いやでもそれだと、面識あるのがおかしいことになる…………。俺はセイバーンを離れてないし、姫様も王都を離れていないことになっているわけで……。
というか、交易路計画もだよ……あれも実は、アギーだけじゃなく、戴冠式後は王家の事業だってことも公表されるし……。
「あ、オブシズさんには細かいことまだ伝えてませんでしたねぇ。
レイ様、卒業間近でセイバーンに引き戻されましたけど、王家からお声が掛かってたんですよ。
一度は中座した形になってたのですが、この度功績が認められまして、来年から復職というか、役職を賜る予定なんです。
この拠点村も、交易路計画も、一応アギーとの共同事業となってますけど、来年には国の事業だと発表される予定ですよ。
とはいえ、戴冠式と任命式を済ませるまでは口外できないので、秘密でお願いしますねぇ」
細かい説明一切無しに、さらっと事実無根なことをマルが口にしてしまう。
「いやでも!」
「あ、先日確認の返書が届いてますよぅ。予定変更無しですって。というか、レイ様に渡すようにって直筆の書簡も同封されてましたから、今お渡ししますねぇ」
なんで今⁉︎
狙い定めたかのようにそう言われ、高価そうな光沢ある紙で作られた封筒が手渡される。
きっちり封蝋が王家の紋章になっていて慄いた。
そんな荷物があった覚えがない……。
恐る恐る封を切り、中身を取り出すと、そこに入っていた紙は一枚のみ。二つ折りにされていたそれを、勇気を奮い立たせて開くと……。
きゃっか!
ふざけるな、しんでもゆるさん!
という文字が、紙全体を使ってでかでかと書かれていた……。
「…………豪快な文字だな……」
「姫様の手ですね。まぁ、分かってたことです」
「だよなぁ」
「口外できないのは今まで通りですし、特に意味は無いんですけどねぇ。言えるならガイウスさんも黙らせるんですけど。
っていうか、事実を知った時にとてつもなく衝撃を受けてくれることを期待して、今はちょっと楽しみにしてるんですけどねぇ」
腹黒いことを吐くマルに頭を抱える。
この書簡……まさかずっと前に届いたりしてないだろうな……。
父上にも伏せているのは、結果が分からなかったから致し方なくだったのだ。アギーの社交界で確認しようと思ってたのに……。
「まぁ、まだだいぶん先の戴冠式は置いといて、アギーの夜会の話ですよ、今は」
「だな。重要事項だ」
「奥手過ぎる二人ですからね……人前でいちゃつけと言われたら余計に距離が開きかねません……」
凄く深刻そうに頭をつき合わせて唸る三人に、浅葱がずっと冷めた視線を送っている……。
なんかその視線もいたたまれなさを増長させるんですが……。
そんな場の重圧に耐えていると……。
「あの……新しい耳飾を作るって如何ですか?」
サヤの真似なのか、手を挙げてそう言ったルーシーに、ギルがはぁ? と、剣呑な声を返した。
「何言ってんだよ……だからこいつはまだサヤと交わっ……」
「そういうこと口にするなよ⁉︎」
「承知してますわ。サヤさんったら、額への口づけすら真っ赤になってらっしゃって本当に初々しくて……。
そんなサヤさんに無体を強いるようなことはできませんものね。レイ様の優しさは、ちゃんと私、理解してますから!」
「い、いや……お願いだからその手の話はもうやめてくれ…………」
頬に手を添えて、恥じらいながら言われると余計に苦痛だ。
だがルーシーは、俺の苦悩など気にもならない様子で、言葉を続ける。
「ですから、耳に穴を開けない耳飾を作れば如何でしょう。耳を飾る時点で、意味は通じますでしょう?
前に、サヤさんと装飾品のお買い物を堪能した時、サヤさんの国には耳に付ける飾りだけで数種類があるって伺ったんです。
その中から、そういったものを再現してみるのは如何でしょう?
新しい装飾品なら、当然注目を集めます。サヤさんのために、レイシール様がお国のものを再現して送ったのだと言えば、お二人の名前は揃って広まりますわ。
ですから、新しい流行を、この拠点村の宣伝を兼ねて、社交界でお披露目しましょう! そして私も欲しいです!」
「良いですねそれ! まだ幼い蕾を手折るのは忍びないとでも言えばなんかそれっぽいですよ⁉︎」
「言い方次第ですしね……ふむ。
お優しいレイシール様は、未だ蕾のサヤ様を本当に大切に思ってらっしゃいますので、蕾のまま手折るなどとんでもない、傷の一つもつけたくないのです。
ですが、それでは不埒な者が現れるやもしれず、サヤ様が露に濡れるなどあってはなりませんから……」
「説明まで考えなくて良いから!」
「いや……レイ、これは良い案だぞ……。
アギーの社交界でお披露目しとけば戴冠式後の夜会でも使える! ルーシー、お前たまには役に立つな!」
「たまには余計です!」
俺のことなんかそっちのけだった……。
呆然とする中、三人とルーシーがひたすら盛り上がり、作戦を練り出してしまう。
そんな俺を気遣ったシザーが、そっとお茶を差し出してくれ、冷静な浅葱が一言。
「主、なにやらよく分からないが、もう決定事項のようだぞ」
「いや、そもそもお前……王家と関わりがあるって…………相当優秀じゃねぇか……」
オブシズはそれ以前に、話についていけてなかった…………。
なんだかもう、どうでもいいかという気分になったのは、致し方ないことだと思っていただきたい……。
これにて今週の最後の更新となります。
間に合った……。なんだかんだ言って間に合うんだよな……。
来週で荊縛問題を終了させたい……そして次の問題の序章がすでに挿入されている現実……うふ。詰め込みすぎか。
来週も金曜日の八時からの更新を予定しております。
また来週もお会いできれば幸いです。




