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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第八章
233/515

後見人

 まず確認したことは、ロゼの母親について……。

 名はノエミ。獣人の特徴が強く出た女性であるようだ。顔はほぼ獣のそれで、尾も生えているらしい。


「確かに、ロゼの母親は獣人です……。ですが! 彼女はロゼを人だと言いましたよ⁉︎」

「そもそもロゼに獣の特徴なんて一つも無いだろうが」


 オブシズもノエミと面識がある様子だ。ロゼを庇うように言葉を口にするから、必死に擁護しようとする二人を落ち着けと宥めた。


「なにも、特徴が謙虚な者だけが獣人とは限らない。

 見ての通り、ハインは一見獣人だとは分からない……ガウリィも、そこの浅葱もだな。

 だが、彼らは獣人なんだ」

「獣人だらけじゃねぇかよ!

 お前……自分が何してるか分かってるのか⁉︎」

「無論分かっている。だけど今はそのことより、ロゼのことだよ」


 あえて冷静に。言葉を発することを意識した。


「この通り、俺は獣人を多く身近に置いている身だ。獣人をとやかく言う立場にはないんだよ。

 だから、ノエミが獣人であったってなんら支障はないし、ロゼだって本当はそうなんだ。

 つまり、種がなんであるかを問題にしているのではない。

 ロゼに獣人を嗅ぎ分ける能力が備わっているかどうかが、問題なんだ。あの赤縄の中には……今、獣人が数多くいる。

 あの子が、それを嗅ぎ分けて、縄の中に入った可能性が考えられないかと」

「そんな馬鹿な! あの子がカーチャに分類する相手はかなり見境なくて、誰彼構わずといった様子だったんですよ⁉︎」

「……まぁ、幼いですし……獣人だけをきっちり選別していたとは限りませんからねぇ」


 マルの横槍に、エルランドは更なる混乱に突入した様子だ。


 まあ正直、その気持ちは分からなくもない。


「獣人同士は、お互いを匂いで判別できるらしい。だから、ロゼからもその匂いがしていなければおかしいということになるんだが……」

「例外もある」


 俺の認識を覆す言葉を浅葱が重ねたものだから、俺たちは視線を彼に集中させた。

 浅葱はつとめて冷静な表情で「俺はそこのハインの匂いは、かなり気をつけなければ判別できない」と、言った。


 彼らは只人である俺たちよりはるかに鼻が効くのだが、相当慎重に確認しなければ、ハインを嗅ぎ分けられないし、おそらくガウリィもそうだという。


「そいつはかなり薄い。人と獣人の、ギリギリの境界線を半歩だけ跨いでいるといった感じなんだ」


 そんな特徴の薄いハインだが、それでも獣人だと嗅ぎ分けることができる者がいる。

 それができるのが……胡桃さんほどに、血の濃い者であるのだそうだ。


「しかも、移り香からすら判別するというなら、それは下手をしたら胡桃以上だ。

 そして胡桃ぐらい血が濃いと、特徴も強く出ているものだぞ。

 だから、その母親は特徴的にも獣人であるだろうし、その者が子を人だと言ったならば、そうなのだろう。匂いで判別しているはずだ」

「でもそれじゃ……ロゼが獣人を嗅ぎ分けているというのは?」

「結論としては、気のせい。ということになる」


 その言葉に、エルランドは少し落ち着きを取り戻した。

 ロゼはまだ幼い。しかも親に獣人を持つ身だと言うなら、将来の苦難は約束されたようなものだ。その上で更に、本人まで獣人となれば、あの天真爛漫さが失われてしまうかもしれない……。そう思えば、獣人を嗅ぎ分けられるかどうかなんて、気のせいだと考えたくなるのだろう。だけど…………。


「だけど、赤縄を越えたのだとしたら、嗅ぎ分けているとしか思えない……」

「……(あるじ)。笛だ。子は見つかったらしい」


 瞬間で耳を押さえた獣人二人。笛が聞こえたらしい。

 二人の急な反応に、エルランドとオブシズは何が起こっているか分からないと言った様子。

 だから、彼らには我々が聞き取れない音が聞こえるんだよと、説明しておいた。

 ロゼが見つかったと聞いて、ホッとしたものの、更なる問題に頭が痛い…………。

 しかもやはり、赤縄の中に入っていたのか……カーチャの匂いを追って?


「エルランド……申し訳ないが、ロゼはしばらくあの場で隔離だ」


 そう言うと、エルランドは蒼白になってしまった。

 入ってはいけない場所に入ったがために、罰せられるのだと勘違いした様子だから、違うのだと言葉を重ねる。


「あそこには今、荊縛に囚われた者らがいる。だから隔離していたんだ」

「荊縛⁉︎」


 更にもたらされた凶報に、エルランドがぐらりと身体を傾けた。

 それを慌ててオブシズが支える。

 彼もさすがに、赤縄の理由については口外していなかったんだな……。まぁ、言えば混乱は、こんなものじゃ済まなかったろう。


「心配するな、あそこにはサヤもいるし、今しがた医師も向かった。薬師だっているんだよ。

 飛び火していなければ、数日で解放される」


 万全の状態だと伝えると、幾分慰めにはなった様子。けれど、ここに数日も囚われていれば、祝詞日が終わり、新しい年が来てしまう。


「す、数日……ですか……」

「うん。本格的に雪が降り出すよな。

 エルランドはアギーまで戻らなければならないし、そこまで滞在してはいられないだろうから、この冬、ロゼはこちらで預かろうと思う。

 ……大丈夫だよ。越冬のための備蓄は問題無いし、子供一人くらい、なんとでもなるから」


 そう言うと、また困ったように頭を抱えてしまった。

 問題が次から次へと降りかかっているからな。それはもう、頭だって抱えたくなるだろう。

 そんなエルランドに、見兼ねたらしいオブシズが、労わるように、俺がロゼを引き受けると口を開く……。


「俺が預かろう。ホセの一家は俺だって知らない仲じゃないし、お前が気にしてるのは貴族の厄介になるって部分だろう?」

「それはそうだが、それだけじゃない。…………っ、やっぱり駄目だ。

 レイシール様、ロゼを預かったのは私です。冬の間は、私が親で、私に責任がある。

 他の者らは帰還させます。けれど、どうか私とロゼに、この村への滞在をお許しいただけませんか。

 幸い私は独り身ですから、待たせている家族もおりませんので、戻っても、どうせ一人寂しい越冬なんです」


 苦笑して、そう言うエルランド。

 あまりの状況に、少々吹っ切れてきたのかもしれない。腹を括るしかないと開き直った様子だ。


「分かった。滞在を許可しよう。

 だが、滞在理由に獣人が含まれることは、気心知れた仲間であっても、伏せてくれ。

 こちらも今、混乱の渦中でね……情報の整理ができていない。

 とにかく、村の中に病をのさばらせるわけにはいかないから、それを抑え込むことに全力を注ぎたいんだ。

 それ以外のことは、おいおい片付けていこう。

 なに、越冬に入れば、時間は余るほどにあるからね」


 そう言うと、エルランドはこくりと頷いた。



 ◆



 翌日の朝。


 朝食を運んでいくと、第一通目の手紙が、返却荷物と共にあった。

 空の鍋に、ギルの用意した綿紗と裁縫道具。それから酒が戻されており首を傾げたものの、まぁ手紙を見れば分かるだろうと回収。

 一応の関係者……獣人に関わっている者らを集めて、手紙を確認することにして、応接室に集まったのだが。

 まず封を切ろうと封筒をひっくり返すと、蓋の部分に「てあらい、うがい、てのしょうどく!」と、大きく書かれていて、重たい気持ちがいきなり吹き飛んで、つい口元が綻んでしまった。

 サヤのその気遣いと、ちゃんと元気なのだということが分かり、心が少し軽くなる。


「早く、中を見せてくださいな!」


 ルーシーに促され、封筒を手に取った。

 それなりの分厚さだ。まず一枚目は、現在の状況。

 宿舎は三棟あるのだが、病状ごとに患者を分けて隔離したと綴られていた。

 もう既に罹患し、回復した者と、まだ罹患していない者。

 現在かなり熱が上がり、病状が悪い者。

 もう峠は超えて、快方に向かっている者。

 そんな風に分けられたそうだ。


 綴られた字はサヤのものではないから、たぶんユストだろう。

 重篤な状態の者は数名。その中に幼子が二名含まれていることに胸が痛む。とにかく熱が今以上に上がらないよう、身体の節々を冷やす処置を施しているという。

 罹患者は三十名を超えていた……。同じ馬車の中で過ごすしかない旅の中では、どうしようもなかったのだろう。その中に胡桃さんも含まれていた。そこまで状態は悪くないと添えられていて、ホッとする。

 二枚目は、何故か図解だった。これはサヤの手だな。マスクというものの作り方であるようだ。


 マスクを作ると材料をお願いしていたサヤであったけれど、思いの外患者が多く、縫い物をしている余裕が無いという。

 また、罹患者には病人の世話を担っていた女性が多く、縫い物ができる者が極端に少ない。更に、幼子と罹患者の世話があるため、試作品を一つ作るので精一杯であったと綴られていた。

 たった半日程度でそれだけしたのだから充分だと思うがな……。

 まぁ、これはある意味、丁度良かった。


「……ルーシー、これを頼めるかな? 急ぎで欲しくて、手が足りないとある」

「縫い物ですか? なら任せてください!」


 そう言って鼻息を荒くするルーシー。


 ……彼女には…………早々にバレた。やる気に満ちたルーシーの向こうで、ギルが力尽きている。説得に失敗してしまったのだ。


 サヤを緊急事態だと呼び出した後、ルーシーは祝いを堪能したものの、サヤの帰りをずっと待っていたのだという。

 けれど、俺たちは少し顔を出した後、すぐに引っ込んでしまったし、サヤは一向に帰ってこない。ギルまで姿が見えない。これは絶対に大変なことがあったのだと思ったらしい。

 そして本日、帰るぞと言ったギルに「叔父様は一人でお帰りくださいな。私、当面レイ様をお手伝いすることにします」と、何故か宣言。

 散々怒鳴りあった挙句、ルーシーは雪が積もり出すまでの滞在を捥ぎ取ったのだった。

 朝も元気に。


「サヤさんが不在なのでしたら、その間レイ様のお世話は私がお手伝いします!」


 と、押し切られた…………。

 本人に悪気は無いし、とても真剣そうだし……これ以上誰も、彼女の説得に挑戦しようという者が無く、決定した。

 使用人も増えたし、基本俺は、自分のことは自分でできる。別段、手伝いがなくても問題は無いのだが…………うん、まぁ、いいか。

 とりあえず、俺の配下以外に荊縛のことを絶対に言っては駄目だと念を押しておいたけれど、下手に外を彷徨かれるよりは、近くにいてくれる方が安心できる。


「ふんふん……この程度の作りでしたら、昼までにほどほど作れますね。ざっと十五くらいは余裕です」

「それは助かる。 罹患者優先で必要らしいんだ。まず出来た分を、昼には渡したい」

「では今から作りますね!」

「……うん。ありがとう」

「あ、レイ様。私も手紙を書いて良いですか? きっとサヤさんお忙しいでしょうし、大変だとは思うんですけど、少しでも慰めになるかもしれません」

「うん。それは、良い考えだ」


 そうだ。なにも報告だけである必要はないよな。少しでも、サヤと接点が欲しい。

 俺も書こうと内心では思いつつ、では早速作り始めます! と、やる気をみなぎらせているルーシーを部屋から送り出し、ホッと一息ついた。

 彼女がいると、獣人の話ができないのだ……。いや、なんかもう、言っちゃっても良いような気がしてはいるのだけど、彼女の場合、つい口外しそうで怖い……。


 三枚目は、ロゼについてだった。


「エルランド、ロゼについてだ。

 元気そうだよ。罹患していない者ら中心に、彼女の世話を頼んであると書いてある。良い子にしている様子だよ」

「ほ、本当ですか? ご迷惑をお掛けしていなければ、良いのですが……」

「食事の配膳を手伝ってくれたとあるよ。大丈夫」


 問題は、その下の記述だろう……。

 ロゼは、カーチャの匂いがたっくさん! と、大喜びしたと書いてある。更に、やはり彼女がカーチャと呼ぶ者らが獣人である比率が高く感じると書いてあった。

 別れる直前の会話をユストからも聞いたのだろう。サヤの考えとしては、ロゼは匂いをちゃんと嗅ぎ分けているように思うと記してある。


 くるみさんがかいふくされたら、ろぜちゃんのたいしゅうを、かくにんしていただこうかとおもいます。

 また、わたしのかんがえとしては……。


「ロゼは人であるが、嗅覚に関してだけ、強く母親の遺伝子を受け継いだのではないか……か」


 他の獣人らも、ロゼは人だという認識であるらしい。

 ちゃんと獣人を嗅ぎ分けているのかを言葉で確認しようとしたそうなのだが、やはりまだ幼く、いまいち言葉の意味が通じているか分からないとあった。

 ただ、母親の匂いに近い人々に囲まれているため、とても落ち着いていると書かれていたことにホッとする。


 そして四枚目は薬師殿の手であったようだ。

 薬師殿は罹患してはいないものの、しばらくは飛び火していないことを確認するため、隔離となっている。

 到着が遅れてしまっていることを詫び、医師の処方箋があれば、薬を調合して渡すことは可能であると綴られていた。

 また、罹患していないことが分かっても、ウルヴズの病が駆逐されるまでは、ここに留まっておきたいと記してある。


「薬は彼らにも必要でしょうからねぇ」

「病をどうにかできる薬は無いのだろう?」

「病自体は。

 ですが、症状を緩和するためのものは、ある程度使えるんじゃないですかね。

 例えば、熱を下げたり、発汗を促したりみたいな」


 マルの指摘に、ならばと了解を出すことにした。

 父上にはナジェスタ医師の付き添いもあるし、現在の対処としては安定しており、問題無い様子。

 一応、ナジェスタに確認だけは取るようにしよう。


「とりあえずは、大きな問題も無く無事に対処ができているようですね」

「そうだな……。あ、もう一枚あるな。……荷物に入れてあった酒は弱くて使えないらしい。……うん?」


 最後の一枚には不可思議なことが書いてあった。

 酒を弱火で煮沸し、温度を上げすぎずに湯気を集めて冷ませば、蒸留酒ができるとある。これを繰り返せば消毒用の強い酒が手に入るらしい。

 ざっくりとした、簡単な図解もあった……が。


「……蒸留酒って……そのまま蒸留酒か?……これ……秘匿権ものじゃないのかな……」

「規模が全然違いますけど、まぁ確かに近いですねこれ……うわ、でも市販されている酒から作るっていうのは新しい発想ですよ」


 マル……お前やっぱり秘匿権の詳細を把握しているのか……。


 蒸留酒という酒は、高価だ。特殊な製造過程を有するためである。無論、製造方法は秘匿されている。

 酒精が強く、少量でも火がついたように体が火照り熱くなるため、火酒と呼ばれていたりもするのだが……。


「……あ、ユストが持っていた酒精、あれで当面の消毒は可能らしい。

 ただ、分量が多くないので、できるならば、追加が欲しいとあるな……。

 ナジェスタも持っている? 分けてもらえるならば、欲しい……と。

 ……これは少々、問題……だな」

「レイ様お酒は嗜みませんもんねぇ……」


 越冬用の備蓄にはさして強い酒を入れていなかったはずだ。

 とはいえ、この製法を実行してしまうのはやばい気がする……。


「……これもナジェスタに相談してからにしようか……」



 ◆



 幾日かが過ぎた。

 祝詞日もそろそろ終盤……という頃合いになり、雪が二日続いて降った。とうとう、越冬が目前である様子だ。

 宿舎の病はまだ終息してはいないものの、確実に患者の数を減らしている。サヤたちも飛び火することなく、過ごせている様子だ。

 ユストが宿舎に向かったことはジークらにも知らせ、彼の熱意に俺が折れたことになっている。

 そして父上に、荊縛に囚われた行商団の受け入れを行なったことも、現在報告している最中だった。

 蒼白になってなんてことをしたのだと発狂寸前だったガイウスに反し、父上は落ち着いたもので……。


「お前が決めたのならば、責任を全うすれば良い。

 安易に考え、行動したわけではないのだろう?

 確かに、いくら流民とはいえ、受け入れないというのは人道に反するし、この村の現状であるなら隔離は可能だろう。

 隔離が飛び火を防ぐという説も、立証されれば今後、かなりの民を救うことになる。領民のためにもなろう。

 とはいえ、楽観はするな。常に連絡、報告は徹底し、些細なことでも変化があれば、見落とさないように」


 幾分か、顔色が良くなっているように思う父上が、穏やかにそう言ったものだから、ガイウスは口を閉ざさざるをえなかった。

 マルが纏めてくれた、罹患者の推移を記した表や報告書も、効果を上げていたのだと思う。


「ふむ……これは面白いな。このような図は見たことが無かったが、結果が確かに、一目瞭然だ。

 数字で見るよりも分かりやすい。今の学舎は、このようなことを教わるのか」

「いえ……それは、異国の手法です。

 ですがとても有用なので、取り入れているのです」

「そうか……。異国の者を雇い入れるというのはこの国では近年好まれていないが、こういったことを考えると、あまり異国の民を退けるのも宜しくないのかもしれないな。

 レイシールが異国の者を重用している意味が、一つ理解できた」


「異国の手法」という言葉が「サヤの知識」を指しているということを、父上は薄々察している様子だ。

 彼女が決して、文明水準の低い国出身ではないということは、日々感じていることだろう。

 とはいえ、下手なことを言って彼女への敵視が強まるのも避けたいので、少し話の矛先を逸らしておくことにした。


「……そういえば父上の顔色が、心持ち良いように思います。体調は、如何ですか」


 まだまだ予断を許さない状況ではあるだろうが、幾分か血色が良いように思い、そう聞いてみたら。


「うむ。薬の量を分割した折は倦怠感が強かったが、慣れてきたのか、このところは良い具合だ。

 ナジェスタ医師も、この調子ならば近日中に量を修正できると言っていた。

 減らせばまた倦怠感が一時的に強まるという話だが、こうして起こることを前もって伝えてもらえるからさして苦痛は感じない。

 それに反したことが起これば、異常が出ていると直ぐに分かるし、報告すれば対処してもらえるしな。快方に向かっていることが実感できるから、気分的にも救われているよ」


 そんな返事が返り、俺もほっと胸を撫で下ろした。

 穏やかな表情の父上が、記憶の奥底にある、幼かった時……まだ貴族ですらなかったあの頃と、重なる。

 これは多分、本当に気負いなく、素を出せている時の、父上だ。

 それだけ体調が良好なのだと思うと、俺も嬉しくなり、安堵に表情が緩んだのだが。

 そんな父上が、ふいに「しばらくさがれ」と、ガイウスに指示した。

 そうしてから、「レイシール」と、俺の名を呼ぶ。


「お前はこのところ、少し顔色が冴えない。体調の方が、思わしくないのか?

 それとも……サヤを見かけないことに、原因があるのかな?」


 その言葉が、ぐさりと胸に刺さった。


 ガイウスを下がらせたのは、彼の前ではサヤの話題を選ばないだろうと、察したからだろう。

 後が少々怖い気もしたが、今は精神的な余裕もなくて、つい、父上の言葉に縋り付きたい衝動にかられた。


 手紙では、毎日やり取りをしている。

 同じ村の中で、ほんの数分しか離れていない場所に、彼女はちゃんといるのだ。

 だけど……一日過ぎるごとに、今日は無事か、明日は大丈夫かと、心配ばかりが募っていく……。


「彼女の母親は、医療従事者でしたから……。

 何も知らない素人よりは、医師の手助けができる身です……」

「……荊縛の看病に、赴いていると?」

「彼女は……責任感の、強い娘ですから……。

 自分がこうすべきと決めたなら、俺の意見など無いも同然なのです」


 つい愚痴みたいになってしまった……。


 俺だって最後は承知した。

 彼女が行ってくれたからこそ、この結果を得ているのだと、分かっている。

 けれど、危険な場所に彼女が身を置いていると思うと、やはりどうしても、苦しい。

 自分がこうして、安全な場所にいるから余計に。

 彼女と共にあれないことが、余計に……。


「……報告を見る限り、飛び火の比率は、確実に落ちているように思うが……」

「はい。それまでの患者数や、五人に一人という死亡率を考えれば、相当な成果を上げています。

 けれど……それが、彼女の無事とどう関係があると言うんです?

 病の中に身を置いているんです……彼女の安全なんて、誰も保証してくれない。

 あの場にいる誰もが同じ条件だと分かっています。彼女だけを、特別にしてはいけない……俺は領主になる身で、その配下としての彼女は正しきことをしている。

 だけど彼女は、俺の唯一なんです……こんな風に、危険の中に身を置いてほしくない!」


 つい語調を荒げ、まるでサヤを責めるみたいに言ってしまった。

 俺たちのためにそうしてくれている彼女に対し、なんてことを言ってるんだと、罪悪感に今度は胸が詰まる。


「……それくらい、あの娘にとってのお前も、大切なのだろうな……」


 手で顔を覆って羞恥と苦悩を押し殺していた俺の耳に、父上のそんな言葉が届き、頬にやせ細った指が触れて、驚いて顔を上げた。


「女性は……いざという時に一体どうやって、あの覚悟を固めているのだろうな……。

 お前の苦悩は、よく分かる。

 だが、今のその言葉を、本人に言うべきではないということは、分かっているな?」


 どこか寂しげに、俺の頬を撫でた父上のその手が、母の面影を見ているのだということは、なんとなく分かった。

 瞳が俺を通し、過去を見ていると分かる……。いざという時の、覚悟……その言葉が、酷く重かった。

 けれど父上は、記憶を断ち切るように、俺の頬から手を離す。そして、ポンと頭をひと撫でして、俺から離れた。


「彼女が無事に戻ったら、これ以上ないほどに、愛情を注いで、よくやってくれたと労ってやることだ。

 あの娘が一番に望んでいるのはその言葉と、お前の喜ぶ顔だろうから。

 お前のその気持ちは、言わなくても充分伝わっている。

 ……あとは頑張って口説きなさい。領主の妻であれば、お前同様、守られるべき立場だ。今よりは、束縛ができるのではないかな?」


 どこか茶目っ気を滲ませて、不意にそんなことを言われたものだから、一瞬頭がついていかず、理解と同時に顔が火を噴いた。

 そ、束縛……?

 俺ってそんなに、重たい感じなのか⁉︎

 いや、それは勿論、危険なことはしてほしくないと思っているけども!

 …………そりゃ、片時も離れたくないとは、思っているけども……。


「……レイシール……前から確認しようと思ってはいたのだが……サヤとは契りを交わしてはいないのか?」


 更に投下された問題発言に、顔が火を噴くでは済まないことになった。


「な、な、何を、言うんですか⁉︎」

「お前はサヤをそうやって大切だと主張するわりに、行動には出さないのでな。

 まぁ……夜会に参加したことはないと言っていたが……その場がどういったところかは、理解しているのだろう?

 ならば、その距離感では、困ったことになるのではないか?」

「…………は? サヤは夜会には伴いませんが……」

「…………何を言っている? 他の令嬢を断るならば、同伴させるのが筋だろう。

 後継となった以上、お前はこれから、夜会への出席が増えるぞ。同伴無しでは通用せぬと、理解しているだろう?

 ちゃんと周知を広げなければ、要らぬ横槍を入れようとする輩が山と湧くし、独り身だと公言していることになってしまうが?」


 そう指摘され…………。

 そういえばギルにも距離感云々で怒られたのを思い出した。


「契りを交わしているならば、アギーの社交界までに耳飾を用意しておくべきだと思ったのだが、その様子だとまだだな……」

「当たり前でしょう! 彼女は、両親の許可が、得られない身の上なんですよ⁉︎」

「それは承知している。

 だが、身の保証が無いというのは、成人しておらぬあの娘にとっても宜しくなかろう。

 今ならば、私が後見人となることもできるし、そうすれば、契りを交わすこともできるだろう?」


 父上の指摘に、後見人のことをすっかり失念していたのを思い出した。

 と、いうか……選択肢に含めていなかったのだ。

 後見人は、その者の才能を認め、支援するとともに、生活と身元の保障をする。それはつまり、庇護をするということと同等なのだ。

 だからそれを……悪く言えば悪用して、女性を囲ったりすることに、利用したりする……。

 女性の後見は、基本的にそちらに使われる。純粋な、才能を認めた上での後見は、皆無と言って良い。


「俺は…………サヤを、そのような目で見られる立場には、したくないのです……」


 女性とみられることに恐怖を感じる彼女であるから余計、望みもしていないのに、セイバーンの血に繋がれたかのように見られる立ち位置にはしくない。

 彼女の事情を知らなかった時はともかく、今は絶対に、それはしてはいけないと思う。


「彼女は、色々複雑な経験を強いられてきた身です。

 たとえ守るためでも、針の一つ程度の傷だって、俺からは与えたくありません。

 彼女が望まない限りは……」


 特に今サヤは、俺との婚姻を拒んでいる……。

 父上が後見人になれば、彼女に婚姻を強要することだって可能なのだ。

 そんなことは絶対に許すつもりはないけれど、彼女が俺を拒む理由が分からない以上、それはできない。


「…………綿で包むような愛なのだな……」

「俺もまだ、成人前ですし……」

「今時それを実践する者も珍しいと思うが……それは耐えられるものなのか?」

「た、耐えますよ! 当たり前でしょう⁉︎」

「ふむ。お前がそれで良いならば、これ以上とやかくは言うまい……。

 だが、夜会にサヤを伴うことだけは、しておきなさい。

 他領との交流にも関わることであるからな」

「…………はい……」


 と、いうことはだ……。

 サヤの夜会用の衣装も用意しなければならない……。

 従者として伴うことは考えていたけれど、女性としてとは想定していなかっただけに、どうしたものかと内心思いつつ。

 とりあえずギルに相談するしかないかと、父上の部屋を後にした。

すまぬ……ぎりっぎりになった……。

明日の分は全く書けておらんですよ! とりあえず今から頑張ります。が、無理だったらごめんね。

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