表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第八章
231/515

貴族の矜持

 やはり、荊縛であった。決めていたサヤの合図でそれを理解した俺は、まずジェイドに命を出す。


「まずウルヴズとの接触はサヤのみ。ジェイドは、吠狼に確認を取ってくれ。

 三日以内に馬車に接触した者はいないか。

 いたら宿舎へ直行。どうするかの指示は、サヤに従え。飛び火の可能性が消えるまで、隔離させてもらう。

 嘘も誤魔化しも、一切許さない。正確に、申告するように。

 馬車に接触した者に接触した者も、徹底的に洗い出すこと。

 それと、宿舎に向かう馬車に気付き、近付こうとする村人がいたら、姿を見せても構わないから、上手いこと言って止めてくれ。警護ついでに頼む」


 そうしてから、門番の騎士らを入り口から遠く下がらせた。

 手拭いは巻いたまま。サヤが言うには、くしゃみや咳に乗って飛ぶ病の素は、場合により九(メートル)先にも飛散するらしい。

 だから、念には念を入れた。


「彼らのことは他言無用。下手に不安を掻き立てたくない。

 祝詞の祝いに水を差すこともしたくないしな。

 とにかく今は、いつも通りにしてくれ」


 門番にはそう告げ、通過する馬車を、遠目から見送った。

 通りの向こうに、こちらに背を向けて立つサヤが、腕を振るい、先を指差しているのが見える。

 グッと拳を握って、その背を見つめた。

 彼女はきっと、俺の視線に気付いているだろう。だけど、あえて振り返りはしなかった。


 馬車の通過を見送って、俺たちは一旦館に戻る。

 サヤに頼まれた、多くのものを用意しなければならない。

 道中で運良くギルとオブシズを見つけたから、まずは綿紗の在庫について確認しつつ、一緒に館に向かうことにした。


「ある。すぐに用意できる」

「今日中に行って、取って来れるか……」

「分かった。馬に積める量で良いなら。それ以上が必要な場合は明日また出直す」

「すまない、頼む」


 厩に走るギルを見送って、オブシズは引き取り、兵舎へ。館の前を通る時、シザーを使いに出した。

 マルを呼んでもらうためだ。申し訳ないが、今回は口を使ってもらう。


「なぁ、サヤはどうしたんだ? 姿が見えないが……」


 オブシズの質問は、あえて無視した。


「全員、集まってくれ!」


 兵舎の敷地に入り声を張り上げると、豚の周りでウロウロしていた騎士らが、緊急事態と察したらしく、それまでの雰囲気など振り捨てて、俺の前に整列する。

 状況は分かっていないだろうが、皆一様に緊張した表情……。

 俺の前に並んだ面々を見渡してから、ふた呼吸間を開けたのち、俺は沈黙を破った。


「この村の、宿舎管理を委託する予定であったウルヴズ行商団が到着した。

 が、少々厄介な状況だ。彼らに荊縛が蔓延している」


 その言葉に、一同とオブシズが息を呑む。

 今、村の中を避け、縁をを迂回するように宿舎へ案内したと伝えると、騎士の一部がザワリと浮き足立つ様子を見せたので、そちらを睨み付けて「静まれ!」と、命じた。

 俺は、覚悟の上でそうしてるんだ。


「ここが彼らを受け入れるしか、選択肢は無かった。これ以上の移動は無理なんだ。体力的にも、時期的にもな。

 我々がそうしなければ、春には何十人もの骸を弔うことになる…………そんなことにはできない」


 その骸の死亡理由は、病か、はたまた凍死か……。雪に覆われ腐乱もしていない沢山の骸……。そんなものを、作り出してなるものか。


「で、ですが!下手をしたら村人にも……」

「聞け!」


 大喝すると、一同はグッと、口をひき結んだ。

 言いたいことは、分かっている。分かっているが、まずは聞け。最後まで。


「幸い、この村はまだ住人が少ない。

 荊縛は、患った者に近付かなければ、他に飛び火はしないんだ!

 よって、宿舎をそのまま病人の隔離に使う。本日到着予定のリディオ商会は、宿舎ではなく、館に案内するように。

 今から緊急指令だ。

 倉庫に、工事で使っていた赤縄があるから、それで宿舎の周り十(メートル)四方を囲んでくれ。そこを、立入禁止区域とする。

 祝いの最中だから、村人には悟らせるな。何をしているのか聞かれたら、越冬中に入ると危険な区域を仕切っているとでも言っておけ。

 越冬に入れば雪で道は塞がれる。そうすれば、あえて接触しそうになることもないだろうから、それまでは門番同様、交代で警備も行ってもらう。飛び火を抑え込むためだ。心して任務に当たってほしい。

 その際お前たちも、赤縄の中には入るな。これは厳命だ、破ることは許さん!」


 厳しい口調でそう告げると鋭い号令。それに合わせ、一同がザッと胸に手を当てて命を受けたと姿勢で表す。

 有無を言わさぬジークの号令だったが、皆従ってくれる様子でホッとした。


「どうか頼む。病を封じ込めることに成功すれば、今後、悪魔の呪いに屈しない手段も手に入るだろう」


 病に潜伏期間があるという概念。これを証明できれば、罹患者を大幅に減らすことができるようになる。

 そのためにも、完璧な隔離をしなければならない。失敗は許されないのだ。


「これは戦いだ。必ず勝利するぞ」

「はっ!」


 一同が声を揃えたところで、全力疾走するシザーにおぶわれてマルが到着した。

 手に握っていた村の図面が、グシャッとよれてしまっている……。

 地面に降ろされたが、上下に揺すられていたためか、顔色が相当悪い。少々酔ってしまったのだろう。けれど、状況を理解しているから、泣き言など零しはしなかった。膝をつくように座り込んだけれど、そのまま地面に持って来た図面を広げる。


「速すぎます……。

 なんで僕背負ってその速度で走れるんですか……、まぁ、良いんですけど。

 ……皆さん、まずこちらへ。えっと、十米四方を囲むんでしたっけ? それはこの区画です。そうですね……キリが良いので、この通りからここまで。赤縄を張りましょう。立ち入り禁止の札をぶら下げるの、忘れないように。

 越冬に入った後のことを考えて、赤縄は上下に三本連ねます。雪に埋もれて見えなくなっても困りますからね。五十(センチ)ごとに、間隔をあけてください」


 ちゃんとシザーは口を使ってくれた様子だ。

 現場の管理をマルと一部の騎士に任せ、一応の完成を見せた豚の丸焼きを広場に運ぶことも託して、ハインを呼んだ。

 サヤにお願いされたものを用意するよう、内容を伝える。

 彼女がおらず、伝言のみであることで、ハインは状況を把握した様子だった。


「では……」

「他の選択肢は、無かった」

「……分かっています。急ぎ準備をして参ります」


 多くを語らず、嫌味も挟まず。サッと指示に従い館に戻る。

 その背中を見送り、俺も準備のため、館に戻ろうと足を向けたところを、騎士の中から飛び出してきた一人が、俺の前に回り込んで進路を阻んだ。

 本来なら不敬だけど……。


「レイシール様!」


 まぁ、ユストはこうして来るだろうと思っていた……。


「荊縛であることは、間違いないのですか⁉︎」

「間違いない。同行している薬師も、そう認めたそうだ」

「ならば、医師が向かうべきです!」

「…………それは、己が現場に向かいたいという、意思表示か」


 いつになく厳しい口調に聞こえ、驚いたのだろう。

 ユストは一瞬だけ、戸惑うように口を閉ざした。

 けれど次に視線を鋭くして「はい!」と、叫ぶ。


「病状の管理をする者が必要です」

「それはもう、一人いる」

「っ……? 薬師殿ですか……」

「違う。

 ユスト。これ以上を話す気は無いんだ。今は騎士として働いてほしい」

「騎士の前に俺は、医師ですよ!

 医師であるために騎士を選んだんだ!」


 食ってかかるユストを無視して足を進めるが、彼は引き下がらなかった。

 そのまま俺についてきて、行かせてくださいと声を張り上げる。

 このまま館についてこられて叫ばれたら、聞かれたくない相手に聞かれてしまうかもしれない。

 そう思えば止まるしかなく……溜息を吐いて、振り返った。


「ユスト……」

「あれは、対処を間違えばとんでもないことになるんです!

 だから医師が……っ」

「っ、分かっている! だから隔離している、最低限の人数しか、あちらにはやれないんだ!」

「あれには特殊な対処が必要なんです!

 素人には手に余る……半端な医師だって役に立たない!」


 そんなことは、こっちだって分かってるんだ!


 覚悟をして、対処した……。それに否やを唱えるユストに、イライラが募った。

 分かってる……全部、分かってるのに! だけどこうするしかなかったんだ!

 それに、サヤは対処できると言った。彼女はできないことをできるなんて言わない。ちゃんと確証があって、そう口にした。


 だけど……今回に関しては、そう、だろうか……?


 不安と、疑念と、苛立ちと、焦り。

 自分の中でぐちゃぐちゃに荒れ狂うそれらに翻弄され、つい、俺もユストに食ってかかる。


「では聞く。一度病に侵され、回復した者は同じ病には犯されない。正しいか」

「……正しいです……」

「病の前後に猶予を設け、他者との接触を避けるのは有効か」

「……有効、です……」

「病の素は呼吸により体内に入る。その病の素は、罹患者から咳等によりばら撒かれる飛沫である。正しいか」

「……レイシール様……その医師、どなたですか……」

「医師ではない。だが対処はできると、本人が言った。

 だから任せた。

 指示も、この内容も、その者からだ。間違っていないならば、彼女に任せる。今はそれしか手段が……」

「……彼女?」


 いらないことを、言ってしまった……。


 結局俺も冷静になれない。

 この程度のことで、苛立って声を荒げて、こんな風にボロを出す。なんて未熟だ。

 彼女を行かせた。俺の判断でだ。

 だけどやっぱり、それを後悔している……っ。


「……今の最善を選んでいる……。

 ユストを向かわせないのにも、ちゃんと理由がある……。だけど今それは、言えない……。

 どうか、今は従ってもらえないか……下手に騒ぎを大きくして、彼らをここから追い出すなんてことには、したくない……」

「おい、彼女って……サヤに、任せたのか⁉︎ 病の対処を⁉︎」

「サヤさんに⁉︎」


 伏せたことが裏目に出た……。

 オブシズまでが俺の決定に異を唱える態度を取るから、俺は今一度、声を荒げた。


「今の最善は、それだったんだ!

 彼女がそれを是とした。今、父上に病の素を近付ければ、命に関わる。

 村の中に病を蔓延させ、数代前の領主の二の舞を演じるわけにもいかない!

 だけど病に囚われた者らは流浪の民だ!

 この時期にあんな状況で、ここを去れなんて言えば、結果は見えている……彼らを切り捨てるなんて、それだってできないことだ!」


 一気に吐いて、苦しくて、後悔に顔が歪んだ。

 胡桃さんは、きっと自分たちだけで、なんとかしようとしたはずだ。

 ずっとそうして、生きてきた。だから今回も、多少の犠牲を払いつつ、やり過ごすつもりでいたと思う。

 けれど、そんなことを言ってられないほどに、状況が悪化したのだろう。

 蜘蛛の糸に縋るような思いで、ここに来た。それでも、本当に頼って良いのかと最後に確認したのは、俺たちを巻き込んではいけないと、ギリギリで踏み止まろうとしたからだと思う。


「今の最善……って、どういう意味ですか……。

 医師が向かうべき場に、向かわせないことが最善なんて言う……そんなの、おかしいでしょ⁉︎

 姉貴を巻き込むべきじゃないのは分かります。

 領主様に近しい立場の者は、近付くべきじゃない。だから、サヤさんが貴方を行かせないのは、理解できます!

 だけど貴方が俺を行かせない理由が、俺には分からない!

 分からないことを、納得なんてできませんよ‼︎」


 詰め寄って怒りのまま、乱暴に言葉を叩きつけたユストは。

 そのままこう続けた。


「荊縛の死亡率、本当に分かっているんですか?

 二割です……五人に一人が死ぬんですよ。

 そんな病の中に、サヤさん一人を行かせるなんて、常軌を逸してる!

 彼女は医師でもなんでもない、ただの一般女性なんですよ⁉︎」


 それは、俺が一番、よく分かってる……。



 ◆



 祝詞の祝いは、滞りなく進められた。

 中央広場に集められたご馳走に、皆は喜び、大いに食べて、飲んだ。

 騎士らや館の使用人にも交代で休憩を取らせ、祭りに参加させた。

 使用人らは、参加できるとは思っていなかったらしく……とても喜び、感謝の言葉を伝えてくれ、俺はそれにねぎらいの言葉を返すのが精一杯だった……。

 騎士の面々は、重苦しい雰囲気を、村人らに悟らせてはいけないと、気を張って振舞っている様子。

 当然俺たちもその場には出ないといけなくて、苦痛でしかない笑顔を振りまく。とはいえ、食事を楽しむことのできる精神状態ではなく、気兼ねせず楽しんでくれと言い置いて、早々に退散した。

 昼を過ぎ、暫くした頃、エルランドらの帰還の知らせを受けた俺は、館に案内された彼らを迎え入れたのだが……。


「……ロゼ⁉︎」


 村に帰還したはずのロゼが、何故か同行していた。そして、ホセの姿は無い……。

 いつも元気いっぱいのロゼが、目の周りを真っ赤に腫らして、エルランドにしがみついているものだから、何かとんでもないことでも起こったのかと、慌てて事情を確認したのだが……。


「この冬は、ロゼを預かることになりました……」


 神妙な面持ちで、エルランドが言い、ホセの奥方の容態が、随分宜しくないことを知った。


「だいぶん大きな子なのか、腹の張りが凄いんですよ。

 それと共に、悪阻も一向に治らず……青い顔をして痩せ細ってましてね」


 そこでエルランドは、ロゼに話を聞かせることを躊躇った様子で、口を閉ざし、視線を泳がせる。

 とはいえ、どうしたものかと逡巡したのだが……。


「ロゼ、今外で祝詞の祝いをやってるんだ。

 美味いもんがいっぱいあるぞ。一緒に食いに行こう」


 オブシズがそう言い、ヒョイとロゼを抱えた。

 労わるように、優しく背中を撫でて、心配するなという言葉の代わりに、頬に唇を落とす。

 ロゼはそんなオブシズの首にその小さな両腕を回し、グリグリと頭を首筋に擦りつけ、甘えた様子を見せた。

 席を外しますという二人を外に見送ってから、俺はエルランドを長椅子に促し、話の続きを請うと、彼は沈痛な面持ちで、言葉を続けた。


「この冬は、奥方にかかりきりになるだろうから、ロゼを預かることにしたのです。

 その……万が一ということも、ありうるような、状況らしく……」

「そんな……そこまで悪かったのか⁉︎ 何故もっと早く言わなかった⁉︎」


 ついそう口にしてしまったのだが、言えるわけがないと、頭では分かっていた。

 ロジェ村は捨場にあった隠れ里だ。冬を無事越せるかどうかも危ぶまれるような寒村。医者にかかれるような金が、あるわけもない。

 玄武岩で大きな収入を得ることができた今回だが、それだって冬支度にほとんど飛んでいるだろう。


「……今、この村に医師がいる。症状を伝えて、せめて何か……」

「もう無理です。あの村の辺りは、雪が積もり始めていますから。

 今からでは、雪に閉ざされてしまう。

 あとはホセと、村人と、奥方の体力次第といったところです。

 ……そんな顔を、なさらないでください。覚悟はしていたことなんですよ」

「だが……!」


 つい声を荒げてしまったのに、エルランドは何故か、優しい笑みを浮かべて言葉を続けた。


「ホセは、感謝していましたよ。

 少なくとも、食べ物への不安なく、冬を迎えることができたんですから。

 それに、奥方の傍にずっと付き添っていることができるんです。

 ロゼの時よりマシなくらいだと言ってましたよ。だから、レイシール様は、無事な出産をただ、祈っておいてくだされば充分。

 それだけのことを、していただいてますからと、そう伝えるように言付かりました。

 貴方のことだから、知ればきっと、そんな反応になりそうだと、笑ってましたよ。その通りでしたね」


 こんな状況で、俺の方を気遣う必要なんてない。

 そう思ったけれど、エルランドはもう、現実を受け止めたといった様子で、微笑みを絶やさない。

 彼らはもう充分話し、お互い納得して、ここに戻ったのだろう……。


 …………苦しかった。

 領民に、そんな決断をさせてしまったことが。

 そしてそれに、感謝の言葉すら、言われてしまったことが。

 そんな彼らに、何もしてやれない自分が虚しかった……。


 ちょっとした問題が起こり、宿舎が使えない状態になったので、本日は申し訳ないが、館に滞在してもらえるかと伝えると、エルランドは恐縮しつつ受け入れてくれた。

 食事に関しては、祝詞の祝いで沢山の料理が振舞われている。それを遠慮なく食べてくれと伝え、夜は湯屋も開くからと、極力平常心を心がけ、言葉を選んだ。

 使用人に、エルランドらを部屋に案内するよう伝えてから、見送って……。

 執務机に移動して、何か仕事でもと思ったけれど、席に着いた途端、根が生えたみたいに身体が動かなくなった。


 ホセたちのこと……もっとちゃんと見ていれば、気付けたんじゃないのか……。

 ホセはずっと、ロゼを伴っていた。

 幼子を長旅に同行させるなんて、安易にできることじゃない。そんなことは、重々分かっていたはずだ。なのにそうしていた理由を、俺はどうして、考えなかったんだ……。

 自分の身の回りのことに気を取られて、きちんと見ていなかった。気付く機会は何度もあったはずなのに。

 領民の生活を第一に考えなきゃいけないのに、俺の視野は、なんて狭いんだろう……。

 それに…………。


 やろうと思えば、まだやれることがあるということを、俺は理解している……。


 サヤのことだってそうだ。

 本当は、まだ選択肢がある。

 それを分かっているから、ユストの言葉に、あんな風に苛立った。図星を突かれて、腹を立てて言い返した……。


「貴方が俺を行かせない理由が分からない……か」


 あの言葉は刺さった。

 そして、五人に一人が亡くなるという、現実に、谷底へと蹴り落とされる心地だった。


 サヤは、大丈夫だと言った……気を付けると。

 対処できる自分が行くのだと。


 だけどサヤは、微々たる効果しかないことにさえ、縋ったのだ。

 現場に近付かない俺たちにまで、手拭いで口と鼻を覆わせた。


 ちぐはぐだ……。


 彼女の言動が。

 それにだって、俺は本当は、気付いてる…………。


 悶々と一人頭を悩ませていると、コンコンと部屋の扉が叩かれた。

 ハインとジェイドが戻ったのだ。その背後にもう一人、小柄な人影……。

 ハインは、荷物の準備ができたと俺に言い、ジェイドは、吠狼の中に行商団と接触をした者は一人もいないと、俺に言った。


「引き継ぎも済ませてきた。

 俺がここを離れる間、俺の代わりはこいつが受け持つ。獣だが……見た目は分からンだろ」


 そう言って前に押し出されたのは浅葱。

 そしてそれは、ジェイドの決意が揺らいでいない……ということだ……。


「…………行くのか……」

「あいつに任せて、俺が引っ込ンでおくなんざ、できるか」

「……命の危険があるって、分かってるよな……」

「…………今更悔いたって遅ぇ。

 なンで止めなかったンだよ。お前あいつの押しに弱すぎンだろ」


 ジェイドの覚悟を確認したのに、サヤのことを返されて……その通りだと、俯くしかなかった……。けれど。


「……正直、村に入れてもらえるなんて、思ってなかったんだ、我々は」


 あまり聞きなれない声が、そんな風に耳に届いたものだから、俺は重たい頭を上げて、視線を声の方に向けた。

 浅葱だ……。父上救出の時に、少し言葉を交わした程度の縁。その彼が、ジェイド不在の代わりを務めてくれるという……。

 それはつまり、ジェイドが死亡した(もどらなかった)場合、彼が人前に、姿を晒し続ける覚悟をしているということだ。


「浅葱も、良いのか……? 種が晒される危険が、増してしまうんだぞ?」

「貴方は、本当に変わり者だ。今、俺の心配をなんでする? こんな問題を持ち込んだのは、我々だぞ」


 冷めた表情でそんな風に返されて……俺はつい、苦笑を零す。

 ついさっき、似たことをエルランドに思っていた自分に気が付いたのだ。


「なんでかなんて、分からないけど……なんでだろうな……ほんと。

 だけど、手の届く場所に君らがいて、やれることが俺たちにはあった。

 だから…………だからサヤも、ああしたんだろう……」


 行くと言った。

 危険は承知で、最善を尽くすと、彼女は決心したのだ。後悔しないために……。


「今回のこと、問題を持ち込まれたなんて風には、思ってない……。

 だって君らは、俺の友で、志を共にする同志だ。

 悔いているのは…………自分の不甲斐なさだよ。

 俺にもっと力があれば……取れる手段があれば……もっと違う方法を、サヤを一人で行かせるような手を、取らずに済んだのになって、思うから……」


 本当の最善は、ユストをあそこに向かわせることだ。

 だけど、そうした場合に起こるであろうこと……獣人を目にした彼が、どう行動するか……。それを考えてしまって、俺は踏み出せないでいる。

 彼に知られたら、それは騎士らに……そしてガイウスらの耳に、最後には村の者らにだって、知られてしまうだろう。

 そうなれば全てが終わる。

 いつかはそうしなければならない。

 だけど今ではないんだ。まだ始まってないこの状況で、知られてはいけない。

 つまり俺は、今を守るための無茶を、サヤ一人に押し付けている…………。


「…………俺にできうる限り、守る……。

 病相手じゃ分が悪いが……あいつをちゃンと、ここに返す。

 だけど次は……もうこンなことにすンな。

 俺らは……元から、そういうもンだから、お前が受け入れられないっつったところで、それが当然ってだけの話だったンだ。

 お前にそンな顔、させたかったンじゃない……」


 思いがけない言葉を、ジェイドが口にしたせいで、俺の思考はプツリと途切れた。


「…………え?」

「悪かったと、思ってる……。お前はお人好しだから、こうなるって、分かってたはずなンだよ、俺たちも……。

 だから、次はもう、いい……。もう充分だから……。俺たちは、本来はお前が守る必要の無い存在だ……領民じゃないンだからよ……」


 その言葉がまた、心臓に刺さった。


「ギルの荷物がまだです。

 ギルが戻りましたら全てが揃うので、宿舎に向かうのは、それが届いてからにしてください。

 全体の人数と、罹患してから、回復した者……もう、病に侵されないと分かる者が何人いるかを確認して、手紙に記してください。

 食事にまで手を回していられないでしょうから、当面は汁物と麵麭(パン)程度になりますが、こちらで用意して、毎食届けます。

 鍋は次の食事時に回収しますから、指定の位置に……」


 ジェイドとハインがやりとりしているのを耳にしながら、俺はジェイドの言葉に頭を囚われていた。

 そんなことを、言わせたかったんじゃない……。

 もし実情を伝えられず、沢山の骸を前に、事実を知ったとしたら、俺はきっと、今よりもっと苦しかったと思う。

 頼ってもらえなかった、信じてもらえなかった……そのことに苦しくなった。

 なんで、言ってくれなかったんだと、きっとそう言う。

 信頼してもらえなかった自分の不甲斐なさに、悔しくて、悲しくて、絶望しただろう。


 つまり俺は……ジェイドらに、信頼してもらえていたと、いうことなのだ。

 だから縋ってくれた。頼ってくれた。

 そしてそれを今、後悔させている…………?


「…………」


 駄目だ。

 そう思うと、ザワリと全身に、何かが走った。

 彼らにそんなことを、思わせてはいけない。それは、今を守るための無茶を、サヤが背負った意味が、無い。

 彼女が何故一人で背負うことを選んだのか。

 それは、俺の立場を、信頼を、守るためだ。

 俺の選択を、正しいものにするためだと、そう言った。

 サヤは、俺を信頼して、その身を投じてくれたということだ。

 それは、俺が彼らを友とすることを、肯定してくれているから……獣人を隣人だと、認めてくれているからだ。


 じゃあ、ユストは何故怒った?

 伏せられた理由で、医者としての自分を、信頼してもらえなかったからだ……。


「ジェイド、ちょっと待ってくれ……」


 俺はさっき、本当はユストを向かわせるべきなのだと、分かっていた。


 ……じゃあ俺は…………俺の最善を、何故尽くさない……?


 だから、こんなにも苦しい。

 こんなにも、後悔してるんじゃないのか……?


「少し、待っていてくれ……。

 まだやれてないことが、あるんだ」


 俺は、後継になった。

 それはつまり、将来セイバーンを背負うということだ。

 そうなった時俺は、彼らを退けるのか?

 セイバーンを、そんな場所にするのか?

 彼らをずっとこのまま、流浪の民でいさせるつもりか?

 違うだろう!

 それを覆すために、この村を作った。

 ならば今責任を負わずに、この先があるわけが、ないんだ!

 俺の立場は、この貴族という身分は、元来そういったものだろう?

結局八時過ぎまで書いてたっていう……。

びっくりですね。いつも通りだ!書き貯め全くできてないよ!


ていうか、ツイッターで先日、キャラは勝手に動くのかというやり取りをしていたのですが、正しく勝手に彼らは自活してます。私の中に無かった答えを出してきよる……そういう生き物ですよ!

二百話以上書きゃね、そりゃキャラも勝手に動くようになるんですよ。そんなもん!


というわけで、来週も金曜日の八時以降にお会いできたらと思います。

このお話は、来週でケリがつくと思う……。多分な……彼ら自活してるから、思いもよらん方向に進む可能性が高すぎるが……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ