収穫
急がなくてはいけない。なので、馬車が壊れるかどうかは構っていられない。
サヤは取手に捕まっておくから飛ばしてくださいと言った。
早朝、荷物を馬車に詰め込む。
ハインの準備したものと、ギル達が用意してくれたものだ。
「サヤさん、お渡ししてた化粧道具、あれは差し上げます。
どうか、頑張って……。また今度、ゆっくりお話ししたり、しましょうね」
ルーシーがそう言って男装したサヤの手を取る。
サヤはありがとうございますとお礼を言って、また今度ゆっくりと……と、約束をしていた。
そして俺はギルと今後のことについての約束事をかわす。
「根回しは任しとけ。それと、当面のサヤの服と、今ある分の下着は荷物の中だ。
試作の補整着はどうしようもないんで、そのまま使ってて良い。サヤのものが出来れば持っていく。
定期連絡を必ずしろ。何もない時は愚痴でもなんでも良いから送れよ。
あと……ハイン、レイに無理させ過ぎんな。こいつ自分でその辺調節できねぇから……」
「貴方に言われずとも。それが私の仕事です」
なんでいちいち喧嘩腰に返事するかな……。
朝一からバチバチと視線で刺し合う二人。俺はそれに溜息を吐いてから、サヤを馬車に促した。
日の昇ったばかりの早朝なので人通りのまばらな街。申し訳ないが、速度を上げさせてもらう。門番にはギルが事前に連絡をしてくれてたのだろう。開いた門を、手続き無しで通過した。
相変わらず急ぐ馬車の揺れは相当だが、今回はサヤも取手に捕まり、揺れを自分で調整している。武術の達人であるサヤのことだから、二度目となれば状況も理解し、問題なくこなしている様だった。サヤは心配性だ。今までの中で、失敗らしい失敗なんて、雑巾を千切ってしまったことくらいなのに……気にし過ぎなんだよな。
休憩は極力挟まない。通常なら、一時間ごとに休憩を入れているのだが、今回は二時間ごと。そして、昼より早く、馬車は村に到着することとなったのだ。
「サヤ……まだ異母様や兄上は帰ってらっしゃらないと思うから、まずは村に直行する。
村人達に君を紹介するけど、設定はマルの時と一緒だよ。何か聞かれても、焦らず答えたら良い。マルみたいな警戒はしないで良いから気楽にね」
村に入るすこし手前から、馬車は速度を並足程度に落とされた。
使用人の住居や、店が並ぶ区画を通り過ぎ、そのまま橋を渡る。
馬車で直接村に向かうことは珍しい。道を塞いでしまうから極力避けているのだが、今日はそれよりも、速さを優先した。
手前の開けた場所で馬車を停める。ここより奥だと向きを変えられない。そこで降りて、ハインがまず御者台を降り、馬車の扉を開けた。
近くの畑からは、何事かと農民達がこちらを伺っていた。その中に、カミルの姿もある。
馬車から降りた俺を見ると、カミルはホッとした様に息を吐き……。
「あ、なんだレイ様か。馬車でくるから何事かとおも……っ。よ、嫁⁈」
え?
「うわあああぁぁ、レイ様が嫁連れて帰ってきた‼︎」
「ちょっ、ちがっ……なんで⁉︎」
サヤはちゃんと男装してるし、胸だって隠してるし、顔だってちゃんと……か、カミル、黙って! なんか違う方向に注目集めてるから‼︎
「違います。静まりなさい」
冷静沈着。氷水の様な冷え切った声でハインが言い、カミルの頭にげんこつを落とすことで黙らせた。
カミルが黙り、涙目で蹲って、カミルの大声で集まってきた村人達が固唾を飲んで状況を見守る。……ああもう、いいや……。注目集まったんだから丁度良いって事にしよう……。
「新しく、従者見習いとなったサヤだよ。でもその紹介は後。
それよりも、今は収穫の話をする!
急ぐよ! 水害が起こる可能性が高いらしい。できるだけ早く収穫を終えて、みんなの生活を移さなきゃいけない。
刈れる状態の畑から刈る。熟成次第だろうから、どこからでもいい。自分の畑とか関係なしに、協力し合って行って欲しい。
刈ったものから乾燥だけど、これは貯蔵庫の前にしようと思う。屋根を作って、雨に濡れない様にする。こちらも良いとなったものからどんどん脱穀する。脱穀したものから貯蔵庫に入れる。
麦穂の移動は手間だろうが、脱穀の作業は楽になるはずだ。どうか今回は、誰の畑かは関係なく、皆で協力してくれ!」
できる限り声を張り上げて、集まった農民達に言う。
カミルなど、子供はまだポカンとしているが、年齢が上がるにつれ、状況の飲み込みは早い。質問をしてくる者、準備のため一旦帰宅する者、ここにいない農民に伝えに行く者と、それぞれ動き出す。
「レイ様……氾濫、すんの?」
さっきまでの雰囲気とは打って変わって、不安そうなカミルが俺の袖を掴んでそう聞いた。
周りの動きで、状況が飲み込めてくるにつれ、不安になってきたのだろう……。
俺はその頭に手を置いて……でも、こう言うことしかできなかった……。
「分からない。……だが、起こったとしても、極力、お前達が困らない様、頑張るつもりだから……カミルも協力してくれな」
「……うん……」
◆
五の月二十六日。収穫が始まることとなった。
有難いことに、ここのところ雨が降っていない。おかげで麦を刈ることができる。
朝から総出だ。農民達は数組に分かれて、刈れる畑から刈っていく。それを束ねていくのは子供。そして、残りの者が台車に麦穂を乗せていき、貯蔵庫前に運ぶ。疲れると交代だ。
麦穂の乾燥を貯蔵庫前にしたのは、ここが川の蛇行の内側だからだ。万が一、氾濫したとしても、こちら側に水が溢れる可能性は低い。麦を守る事ができれば、村人の収入が守られるのだ。
貯蔵庫前では、大工作業の得意な農民が屋根を作っている。とはいえ、ざっくりとした簡単なつくりで、とりあえず麦が雨に濡れなければよしとする。
乾燥が済み、脱穀が進めば使い回せるから、数はそれほど多くなくて良い。
ここで意外なことに、役に立ったのがサヤだった。
木の棒三本を束ね、端を縄で縛る。縛ってない方を広げて立てたものを二つ作り、その上に木の棒を渡すという、単純な方法で、麦穂を干すための土台を作ってしまった。いつもなら地面に棒を打ち付けて固定するのだが、その手間はいらないという。
「私が知っているのは麦ではなく……稲作なんですけれど……工程は似てるみたいなので」
木の棒がたわまない様、途中でいくつか支えを追加する。そしてその棒に、括られた穂を二つに分ける様にして引っ掛けていくのだが、これも独特だった。麦の束を一対三の割合で裂き、それを互い違いになる様に、木の棒に掛けていくのだ。そして、ぎゅっと詰めて端に寄せていく。
一通り乗せ終わると、乗せた麦穂の上にもう一段乗せていく。
農民達がぽかんとしていた。効率が良いのだ。ただ無造作に乗せていくより、ずいぶん多く干せる。そして、麦穂が重ならない。
「サヤは……なんでこんなことを知ってる?君は……農家ではないよな?
それともサヤの学校というのは、農作業の効率すら勉強するのか?」
「いえ……その……私の両親の仕事柄……でしょうか」
とっさに皆がいる前で聞いてしまったのだが、サヤはちらりと視線をやって言葉を濁す。あ、そうか……しまった。
「私も、幼い頃に少し経験しただけです……。さして詳しくありません。
ですが、こうやって干せば、干し場を多く広げる必要がないので効率良いかなって。
あの頃は……何も思わず見ていたのですが……意味があったのだと今更知りました。
ここの作業を見てて、今日初めて気付いたんです」
「今……気付いたのか?凄いな……。あっ、やり方を、みんなにも教えてあげてくれないか」
俺がお願いするまでもなく、気の利いたものは見よう見まねで始めていた。
おかげで刈り取られた麦穂が干し場ができるのを待っているなんてことがなく、どんどん干されていく。
思った以上に、早く作業が進む。
なんだろうな……アミ神の思し召しだったのかとすら思えてくる。この時期に、サヤがここにいてくれること……何故かこの地に現れたこと……なんでこんな、都合よくいってるんだ?
「秀逸ですね。確かに効率が良い上場所も取らない。通常の三倍近く干せているのでは?」
「本当にな……。うまくすればもう一段上にも積めるんじゃないか?」
サヤが農民達にどの様に受け入れられるか……。明らかに、良家の生まれと伺わせるサヤなので、多少、懸念していたのだが……。その心配は、この初日で霧散した。
天候との戦いとなる収穫時期は、作業も多く、仕事が進まないことが多い。
麦穂を干すというこの作業も、手間の掛かる大変なものであったのだが、サヤは簡単な干し場と、効率良く干すという方法で、農民達の救世主となったのだ。
干し場を担当していた農民達が話したのだと思う。翌日からサヤは「サヤちゃん」と呼ばれ出した。
性別がバレているのではと思ったのだが、カミルは「サヤにいちゃん」と呼ぶのでバレていないのだと思う……。だが、補整着を身に付けているとはいえ、サヤは汗だくで作業を手伝う。化粧が、落ちてしまっているのも気になった。
まあ……誰も気にしてないし……みんなはもう、サヤを男だと思っているから、顔なんて気にしないということなのか……泥で汚れたりもするし、誤魔化せてるのだろうか……?考えれればきりがないのだが、とりあえず誰も指摘しないので有耶無耶のままだ。それよりも農作業。そんな感じで収穫と乾燥の日々が続く。そして、収穫開始から四日。とうとう雨となった。
「思ったより、随分と早くないか」
今日は作業が出来ない為、つかの間の休みだ。
外出の準備を進めながら、俺はハインにそう話し掛けていた。
天候に恵まれたとはいえ、それだけではないと思う。サヤが汗まみれ、泥まみれで農民達に混じって作業をしている……だが、サヤが力持ちだからというだけでもないと思う……。
なんだろう……効率の問題だけではなく、悲壮感が薄いのだ。氾濫が待っているかもしれないのに、畑も家も失うかもしれないのに、皆がとても前向きで、頑張っている。
子供の頃、たった三年だけ過ごしたセイバーンでも、一度小さな氾濫を経験しているが……こんな風ではなかったよな……もっとずっと、重く、暗い雰囲気だったよな……?
「そうですね。……天候抜きで、十日以上掛かると思っていた収穫が半分以上終わってしまいましたしね……。皆必死なのだと思いますが……」
そう言いつつ、不意にハインがこちらを見て、ありえないことに微笑んだ。
唐突すぎて唖然とする。年に数回あるかないかの……苦笑じゃない笑み。
「レイシール様は、お気付きではないでしょうね」
それだけ言うと、また視線を逸らし、作業に戻る。
…………なに? 俺だけ分かってない様なことなの⁉︎
「なんなんだよ! 一人だけ分かってないで教えてくれたっていいだろう⁉︎」
「教えたらどうなると思いますか。きっとレイシール様は否定されますし、受け入れませんよ。ですから教えなくて良いことだと思います」
素っ気無く答えてから、サヤの様子を見てきますと退室するハイン。
現在サヤは、昼食の下拵え兼、調理場で火の番をしている。例の、風呂鍋の、だ。
昨日、ギルからいくつかの荷物が届いた。主にサヤ用に頼んだ家具や衣服だ。
家具は寝台や衣装棚のような、時間の掛かるものはまだだが、机や椅子等だ。それでも随分早い。きっと急いでくれたのだと思う。
そのうちの一つが風呂場の仕切りとなる衝立だった。衝立というか……小部屋?
ギルが仕事で使っているものだということを、俺たちは知っている。貴族の屋敷に持ち込み、応接室等で仮の小部屋を作るものだ。採寸をしたり、仮縫い中の衣装の試着をしたりするときに使う。他の部屋に移動せず、試着している人以外と会話をしながら作業することができるのだ。
この小部屋はまあ、確かに衝立なのだが、一部が扉の様に開閉でき、中に鏡も設置してある。
ギルにお願いした時は、衝立と書いたはずなのに…この形が届いた。なんでだ…。そう思っていたら、犯人はハインだった。
「扉はあった方が良いでしょう?わざわざ衝立をずらして隙間から入るのですか?
そもそも、調理場で服を脱ぐのも、サヤは嫌だと思いますよ」
優秀なハインは、あれが使えると目算を立てていたようだ。扉の内側に中にもう一つ、仕切りの衝立を入れ、扉の前を一部仕切って、そこを脱衣場とした。
サヤに聞いて、サヤの国の風呂の形を参考にしたらしい。いつの間にやら……だ。
とはいえ、今日やっとその風呂を体験してみようとなった。
雨の中外出せねばならないから、風邪を引かない様に、という建前で。
因みに、鍋の水は昨日、夜の間に汲んである。空の様子で雨が降りそうだと察知していたので、早めに済ませておいた。そして朝からかまどの掃除を済ませ、現在火をくべたところだった。これから昼食の準備をし、食後に利用してみる。
ちゃんと風呂として機能するのか……若干不安だ。
「レイシール様、私がお供する様にと、ハインさんがおっしゃったのですが……」
風呂について考えていたら、火の番をしていたはずのサヤが部屋にやってきた。
ハインめ……雨に濡れるから、サヤは留守番させていようと思ってたのに……。
「あと、川の説明をしてもらう様にと、言われました。
決壊しやすい部分の下見に行くって伺ったんですけど……この雨の中行かれるのですか?」
「う、うん……。水量を見ておきたいんだ……。まだ決壊しないと思うけど心配だから」
「では、私も準備してきます。申し訳ありません、しばらくお待ちください」
今日のサヤは、男装しているものの補整着を着けておらず、化粧もしていない。
雨のせいで洗濯物が乾かなかったのと、外にも出向かないと思ったからだ。けど……まあ……外套を羽織るし、視界も悪い。従者用の服は着ているから体の曲線は目立たないし……解らないよな……きっと。それよりも、サヤと二人になることが、少し苦しい……。
しばらく忙しくて、考える余裕が無かったから、ずっと気持ちを隅に追いやっていた。
けれど……俺はまだ、サヤを好きだと自覚していた。
考えない様にしていたし、主従関係でしかないとはっきりしたのだから、態度には出さない。けれど、気持ちばかりは、好き勝手にできなかった……。いつの間にやら住み着いていた感情であるだけに、始末が悪い。
ここのところのサヤは、俺たちに随分慣れて、距離も近くなった。
たまに、触れ合うことすらある。そもそも、俺の髪を毎朝結わえにやってくる。
いつもサヤは長椅子の横に座り、髪を触るから、顔を見られはしないと分かっているのだが……緊張する。
ハインがいる時は、必死で他のことを考えて気を紛らわせていた。
サヤのことを感じていたら、顔が火照ってしまいそうなのだ。
「……はぁ……」
溜息が出るが、決して、サヤといるのが嫌なのではない。むしろ嬉しい。それが余計虚しいのだ。
どうにもならない、なれないと分かっているのに不毛だ……。
そして、それを思う度に、カナくんに嫉妬して、カナくんという人間を知りたくなる。
サヤは、カナくんに嫌われてると言う。俺には解らない。サヤを嫌う理由なんて……一体どこにあると言うのか。サヤを襲った不幸は、サヤの所為では無いのに……。そう考えると、カナくんに怒りすら覚える。ここにいるなら、胸ぐらを掴んで怒鳴ってやりたい。俺ならサヤを……っ!
「お待たせしました。行き……レイシール様?」
「っぃあっ⁉︎ ごめん、ちょっと考え事」
戻ってきたサヤに怪訝な顔をされ、俺は慌てて外套を目深に被った。
サヤについてくる様に言って、そのまま外に向かう。
いかん……知りもしないのに……偉そうだよな。俺はサヤの事情も、ましてやカナくんの事情も、知らないのに……。
「今日は馬は、良いんですか?」
そのまま馬車用の出入り口から歩いて出る俺に続きながら、サヤが問うてきた。
「ああ、馬が濡れてしまうし、後の処理も大変になる。
馬が体調を崩したら、厩番の管理が問われてしまうから」
そう答えて、歩いて坂道を下っていると、サヤが隣に並んできた。いつも一歩下がってついて来るのにどうしたんだ? 不思議に思って横を見ると、心配そうな顔のサヤと、目があった。
「あの……そんな顔なさらないで下さい……。レイシール様は、とても頑張ってらっしゃると思います。心配なのは、分かりますけど……」
何を言われているのか解らなかったが、俺の態度が氾濫の心配をしているからだと思ったらしい。
うわ……カナくんに嫉妬してた顔なんて知られたら恥ずかしくて死ぬな……。居心地悪くて視線を逸らす。するとサヤは、何故か外套の袖をツンと引っ張った。
「レイシール様……。その……村の皆さんも、感謝されてますよ。よくしてくれるって、おっしゃってます……。
レイシール様は、ご自分でそう思われてないかもしれませんけれど……みなさんは、貴方がとても頑張ってるって、分かってます。根を詰めないでください……」
「……あ、ありがとう…。でも大丈夫だ。別に俺は、そんな疲れてるわけじゃないし……そもそも、ほとんど肉体労働としては戦力になってないから、疲れるのも変だよ」
適当に誤魔化そうとしたのだが、サヤは誤魔化されてはくれないらしい。もうっと、少し怒った顔をして、上目遣いにこちらを見上げて来る。
俺が一番苦手とする顔だ……。一気に顔の温度が上がる気がした。可愛いなんてもんじゃない……これをされて平然としていられる男はいない。断言する。ギル辺りだったら抱きすくめてるのではないかと思う様な可愛さなのだ。
「労働は身体だけのものじゃないでしょう? 頭だって疲れます!
こうやって……雨の日だって仕事してるじゃないですか……。私がここに来て以来、レイシール様は、一日も休憩されてない様に感じます……。私たちには、すぐに休めって言うのに……」
昨日だって……夜更かしされてますよね……と、切ない声で言うのだ。もう降参するしかない。
「ごめん……分かった。今日は早く寝るから……。ほんと、約束します……」
日中は畑を見て回ったり、農民達の割り振りを行ったりしているから時間が無い。
だから夜に、仮住居をどうするか考えていたのだが……サヤには物音でバレるものな……聞こえるから誤魔化せない。ある意味ハインより相当やり難いのだ。
……どうせこの時期は寝れないのだから、有効に時間を使ってるだけなんだけどな……。
「ああ、サヤ、あそこだ。まだ水量はそうでもないけれど……。よく決壊するのはこの部分だよ」
話している間に目的地に到着していた。それで俺は話を逸らす。
まだ水嵩は大して高くない。それでも茶色に濁った濁流が、川の蛇行部分で岸に打ち付けている様は、異様に迫力があった。
「本当に急カーブ……。これじゃあ、確かに……」
「うん。決壊するたびに余計決壊しやすくなっていく……いたちごっこだよ。
もうすでに、結構削れてる感じだな…。石を置いたり、土を高く盛ったり、色々してきてるんだけどね…。流れが急すぎて、土も石も削れるのが早い。毎年整備してても…急に水かさが増したりしたら溢れてしまう。本当、キリがないんだ」
川岸には近付きすぎない様に注意して、サヤとしばらく川を見守る。
そして、外套にも水が染みてきて、少し寒くなってきたので、帰ろうと促した。
帰り道に、川岸近くにある一軒の農家が目につく。
ん……。ちょっとだけ……寄り道するか。
「サヤ、少しごめん」
前置きしてから、農家に足を向けた。
ここはカミルの家なのだ。
怪我の具合と、姉のユミルが気になった。
トントンと扉を叩く。暫く物音が無い。「カミル」と、声を掛けたら、慌てた様な足音がして扉が開いた。
「なんだ、レイ様か。雨降ってんのにどうしたんだ?」
「ここんとこ、お前の足の具合聞いてなかったろ? それと……ユミルを見かけないから、体調崩してるんじゃないかと思ったんだ」
この兄妹には親がいない。病気と事故で、早くに亡くしてしまっているのだ。
祖父はいたが、高齢だし……畑仕事はもっぱら子供達の手に委ねられる。
それ故、姉のユミルが無理をしがちだ。特に、今はカミルの怪我もある。俺が聞くと、カミルは、あー……と、居心地悪そうに頭を掻いた。
「俺の足は、もう大丈夫だよ。レイ様のお陰で膿まなかったし。姉ちゃんは……風邪」
言葉を濁すが、なんとなく、室内から血の匂いがする。……眉間にしわを寄せると、誤魔化しそびれたと思ったらしいカミルが言いにくそうにした。
「カミ……」
「レイシール様。待ってください」
途中でサヤに止められて、俺は背後を振り返る。
サヤが、小さく首を横に振っている。言うなってことか? だが……。
「カミルくん……。ユミルさんの体を冷やさない様にね。お腹を温めると少し楽になるから……白湯を飲んだり、するといい。あと、丸まってるのも少し楽になるって教えてあげて。
数日すれば治る。初めは調子が掴めないから、貧血になりやすいと思うけれど……病気じゃないから、大丈夫」
顔を出さない様にしつつ、サヤが早口に言う。
そして、お邪魔しましたと、俺の手を引き帰りましょうと促した。
「サヤ……だが……なんか様子がおかしかったぞ?
あそこは両親共に早く亡くしている。祖父も高齢なんだ。だからユミルが……」
「存じてます。畑で話をたくさん聞けましたから。
村の人たちも気にしてらっしゃいますから大丈夫ですよ。それから、ユミルさんは今、レイシール様にはどうにもできない問題で悩んでらっしゃるだけですから……」
「なんで? なんでサヤは分かってるんだ?
俺ってそんなに頼りにならないか? 俺に伏せて話をする理由はなんなんだよ!」
先ほどのハインのこともあり、ちょっとムッとしてしまった。
俺には分からない……。ハインもサヤも、農民達すら俺には分からないって言う……。
「違います。レイシール様が頼りにならないからとかじゃなく……女性の問題です。
ユミルさんは……たぶん生理……月の汚れが始まったんですよ。
初めのうちは、身体が慣れないから……しんどかったり、貧血になったりもします。
さっき血の匂いがしたのを気にされたんでしょう? それなら尚更、レイシール様が立ち入ってはいけないんです。ユミルさんはきっと、恥ずかしいでしょうから……」
サヤの説明を聞いている間に、俺も顔から血が噴き出しそうになった。
月の汚れって……そういえばユミルは十四歳……全然意識してなかった俺の鈍感さにびっくりだ……。
俺が真っ赤になってしまったのを見て、サヤが笑う。
そういえば、サヤにも言わせたことになるのだ……恥ずかしい話を、させてしまった!
「ご、ごめん……!」
視線を逸らして謝る。サヤは、いいえ、気にしてませんよと言った。
「レイシール様は、男性ですから。
男の方には分かりにくい事情ですよね。
ハインさんも、その辺は専門外でしょうし……。これからは、私が注意しておきますから」
「うう……うん。お願いする……」
とっさにそう返してみたものの、はたと気付く。
そういえば、サヤにもそれがやってくるのだ……。
その場合どうすればいいんだ……サヤも数日部屋に籠るのか……? 毎月⁈
それって女性だとバレてしまわないか⁇
「……あの……ギルさんとルーシーさんが、その辺のものに関しては、準備して下さいましたから大丈夫ですよ」
若干困った顔で、サヤは苦笑しながらそう言った。俺の考えていたことが丸見えだったらしい。昨日届いた荷物の中に、サヤ以外開けるの禁止と書かれていたものがあったが……下着だと思っていたら、それ以外も入っていたのか。頼りになる友人がいてくれて良かった……。
「そ、そうなんだ……良かった……」
……良かったのか? 仮にも出血なんだよな? それって体調を崩してしまったりしないのか?
不安であったが、あまり根掘り葉掘り聞くのも憚られた。
とりあえず今回は、この話を終わらせることにする。
今は、女性の身体の問題より前に、氾濫をどうするかがあるしな……。
「それはそうと……。川の補強って、どうされるんですか? あのままではないんですよね?」
ちょうど同じことを考えていたらしいサヤが話を変える。俺はうんと頷いて、指折りやることを上げていった。
「雨がやんだら土を盛って、叩いて固めたり……岩で補強したりしないとな。
少しでも高くした方が良いんだが……正直雨季になると土が緩む。あまり効果があると言えないんだ……。
やらないよりは、やった方が良いさ。
ただ、仮住居の建設もある……。こちらにだけ人手を割くことはできない。
そうなると、高さもそう稼げないし……」
「あの……? 土を盛るって……普通に、盛るのですか? その……土のまま?」
「? 土は、土のまま以外何かある?」
サヤの質問の意図が分からない……。小首を傾げると、サヤは少し考える素振りをした。
しかし、すぐにそれを止める。そして別の質問をしてきた。
「仮住居を建設……っていうのなんですけど……この前、レイシール様は、別館を使えないかって言ってましたよね……。それはやはり……難しいのですか?」
「うん……別館とはいえ、領主一族の持ち物だからね……。使用人ならともかく農民には……前例がないだろうし……」
「ここの農家の方たちみんなが入れるくらい、部屋が余っているのに……。
それが使えれたら、農家の方達総出で川の補強ができるのに……」
「うん……本当にね。
……やっぱり、一度掛け合ってみよう。無理だろうけど……万が一ということもある。
近いうち、異母様たちも帰ると思うから……その時に」
それを考えると憂鬱だった。
帰ってくる……。暫くゆっくりしていたけれど、この忙しい時期に……。できるなら、暫く別邸へ行っていて欲しいくらいだ。そうすれば、少々無理ができる。それこそ、許可無しに農民達に別館を使わせても、良いと思うのだ。……後は怖いけれど、そこは俺が責任を取れば良い。
そんな事を考えているうちに、別館に帰り着く。
外套の雨粒を払ってから、サヤと二人中に入った。
濡れた外套を入り口に出してあった衣装掛けに引っ掛けて、食堂に向かう。
食堂からは良い匂いがしていた。ああ、もう昼になるしな……。
「お帰りなさいませ。そちらの椅子に手拭いを置いてありますら、拭いて下さい。
少々寒いかもしれませんが、食後すぐに風呂を使いますから、暫く我慢して下さい」
ハインが調理場から顔を覗かせてそう言う。
手には鍋が一つ。それを机の上の、鍋敷きに乗せた。
……なんだこれ……ドロドロの何かだ……。ポテトサラダを連想するような……!
「サヤの料理?」
「はい。ホワイトシチューっていうんです。
途中からハインさんにお願いしたんですけど、凄いですね。あの説明だけでちゃんと出来てる。美味しそう」
「サヤの説明で充分理解できましたので。
これも面白い製法ですね。楽しかったですよ」
口角を上げて、ハインがそう言う。今日二度目の笑顔だ。
料理が絡むとほんと上機嫌というか……。普段からこれくらい和やかなら良いのにな。
「味見しますか?」
「必要無いと思いますよ。ハインさんが美味しく無いもの作るわけないですから」
「そうですか? サヤの思う味と違うかもしれませんが……」
「各家庭で味は違います。それが当然ですから。ハインさんの味覚は信用してるので、楽しみです」
俺の髪の湿り気を手拭いで挟むようにして取りながら、サヤがそう言って笑う。
俺はその手をやんわりと止めて、サヤの肩に大ぶりな手拭いを巻くように掛けた。
「俺は良いから……。サヤは先に自分の身体を拭いて。風邪を引く」
サヤの前髪からも水滴が滴っていたのだ。
俺の世話ばかりして自分事を後回しにしていた。仕事とはいえ……女性が身体を冷やすのは良くない。俺より小さいのだから、身体も冷えているはずだ。
「すぐに食事をしましょう。体も温まりますよ」
ハインがそう言って、深皿にシチューをよそう。
新しい料理が楽しみだ。
◆
美味な食事を堪能し、お茶を飲んで人心地ついてから、風呂の時間となった。
はたして大鍋は風呂として機能するのか。
問題なかった。寧ろ気持ち良いかもしれない。
鍋の底を小さな火で熱し続ける訳だが、底に沈めた簀で直接触れない為熱くないし、身体を沈めると、水量も増えるので、思っていた程には水も必要なかったのだ。
サヤによると、まず風呂の外で身体を流し、汚れを落としてから湯船に浸かるらしい。
風呂の前にサヤが櫛で髪の汚れを落としてくれたので、頭から湯を被ってざっと流してから、湯に浸かった。じんわりと染み込むような温かさが心地よい。熱くなりすぎたら、鍋横に用意してある水を足して調節するそうだ。
「湯に浸かるだけで、皮脂などもある程度落とせますから、衛生面は随分良くなります。
湯浴みするより短時間で綺麗にできますしね」
「ああ……。湯浴みは、結構寒いし、あまり好きじゃなかったんだが……これは気持ち良いかもなぁ」
「あまり浸かりすぎるとのぼせて頭がクラクラしますから、ほどほどで上がって下さい。
垢などを落としたいときは、湯に一旦浸かって暫く身体を温めた後、外に出て手拭いで擦ります。
体の表面をふやかしてあるので、あまりこすらなくても綺麗になりますよ」
衝立越しにサヤから風呂の使い方を教わり、風呂を楽しんだ。
次は、体が冷えているからという理由でサヤが利用した。
本来は火の番が必要だが、女性の入浴なので、我々は一旦食堂へ退避する。
「あれは確かに気持ち良いかもな……。正直、本館の風呂より良い気がする。
冷めないんだよ。あっちのは湯を継ぎ足すから、手間も人手もいるしすぐ冷めるからな」
「流石綺麗好き民族ですね。しかし、ここにも効率ですか……。
サヤの民族は……農作業といい、風呂といい……効率化が得意なのでしょうか……?」
「ああ、 それは言えてるかもな」
そんな話をしてるうちにサヤの入浴は終わり、上気した頬のサヤが嬉しそうな顔で出て来た。
「やっぱり良いなって思いました。
お風呂……毎日ではないにしろ、これからは使えるんですよね……」
「そうですね。レイシール様も気に入ってらっしゃるようなので、三日に一度使うくらいで考えておきましょうか。
では、私も使わせてもらいます。ああ、火の番は結構ですよ。調節してから入りますから」
ハインがそう言って調理場に消える。
で、余談なのだが。
結果として、二日に一度の利用が定着することとなる。
ハインが殊の外、風呂を気に入ったのだ。気持ち良かったらしい。
サヤは喜び、俺も異存は無かったので了承したのだった。




