フェルナン
異母様の部屋からもう少し先。
兄上の部屋は、昔からずっと、この場所だ。
窓からは村が一望できて、かつては幼かった父上も、この部屋であったと聞いている。
「扉の鍵は、壊しました。けれど、家具等で塞がれている様子で……」
「中の人数は?」
「数名の騎士と女中がいると思われます」
「……まずは投降を呼びかけてみよう。
中の者たちが家具を退けてくれるのが、一番早い」
対処をしている間に、他の状況も伝えられていく。
廊下で足止めをしていたシザーとジェイドは、さした傷も負わず役割を成し遂げていた。
目潰しと石飛礫の効果は絶大で、騎士らは半数が自滅したも同然であった様子。
そこを抜け出しシザーに向かった者も、学舎主席の腕前を前に、手も足も出なかったようだ。
役割を与えられたシザーは、とても愚直だ。黙々と向かってくる相手を薙ぎ倒し、人垣を作り上げてしまう。しかも死ぬわけではないから、その人垣は呻くのだ……。死屍累々、呻き声の絶えない廊下に仁王立ちの大男。それは怖い光景であったろうと思う。
一つ困ったのは、二階だ。
執事長を捉えに向かったアーシュらだが、任務の遂行は失敗に終わったらしい。
それも仕方がない話で、執事長はどうも状況を察知していたらしく、さっさと逃げ出し、その部屋には多くの騎士が待ち構えていたのだという。
人数的には拮抗していたものの、不意を突かれたことと、後方からの援軍に挟み撃ちにあい、身を守ることで精一杯の状況に追いやられてしまったようだ。
「面目次第もありません……申し訳ございませんでした……」
「仕方のないことだ。あの少人数で、よく耐えてくれたと思う。兵にも君達にも死者が出なかった。そのことの方が、俺には重要だよ。
まずは休んで、状況報告は、後で良いから」
怪我をおして報告にきたアーシュを宥めて休ませた。
決して軽い怪我ではないのに、報告なんて後で良い。ユストにちゃんと休ませてくれとしつこくお願いして、怪我人を任せた。あ、ジェイドも加えた。熱が随分と上がっていたというのに、黙ってやり過ごそうとしていたからだ。あの場に残ったのも、もう自分で戦力にはならないと判断したからであるっぽい。
「……さて。どうなった?」
「投降を了承しました。今、家具を退けていっている様子です」
兄上の部屋まで戻ると、中でごそごそと作業する音と、囁き声のようなもの、すすり泣きのようなものが聞こえてくる。
兄上の部屋の警備と女中は、投降を承諾したらしい。
まあ、援軍はもう望めないと察すれば、そうするしかないだろうな……。
程なくして、警戒しつつ出てきた騎士らは武器を取り上げられ、牢に連行となった。
女中は四名いたのだが、そのうち二人はその……そちらの相手であった様子で……身繕いをさせてほしいと懇願されたため、見張りをつけるならばということで、了解した。流石にこれは、仕方がない処置だろう。セイバーンの女中に見張りをさせ、何かあれば衛兵らが飛び込めるよう、配慮した上でと念は押しておいたが。
彼女らもまた、見張りを立てた部屋に集めて監禁となり、そちらへ連れて行かれる。
結構な人数だから、牢では足りないのだ。
「……兄上は?」
「あ……その……寝室へ……引きこもられてしまい……。
フェルナン様は、昼夜の関係ない生活をされておりましたので、レイシール様の行軍を目撃されて……我々に扉を閉ざすよう命じられてから、後はもう……」
最後の女中に聞いたのだが、その言葉に、沈黙するしかなかった。
酒の入っていない場合の兄上は、ただひたすら無気力で、現実から目を逸らしている様子だったから、酒が抜けた状態なのかもしれない。
行軍を見たのに、逃げるでもなく、部屋を閉ざして寝室に逃げ込む。もうまともな状況判断など、できないのかな……。
ハインと偽装傭兵団の数人を連れ、部屋の中に入ると、家具が動かされて雑多とした部屋は、しんと静まり返っていた。
……嫌な、気分だな……。
ここで散々俺は…………。
父上との面会時間を過ごすと、その後に待っていたのは兄上からの呼び出しだった。
この部屋で、父上と何を話したのか、どう答えたのか、それを聞かれながら、振るわれる暴力にただ耐える時間。
その間、ずっと、呪詛を浴びせられていた……。
望んではいけないのだと。
何一つ得てはいけないのだと。
操られるまで動かない。それが唯一の正解なのだと。
そうしなければ、俺だけではなく、俺の周りまで、壊されていく…………。
「寝室は、鍵が掛かっているのか?」
頭を切り替え、とにかくまずは目前のことへ対処することを意識する。
「いえ……開いていますね」
「では、行こう」
「いけません。レイシール様は、お待ちください」
ハインに押し止められ、数歩下がる。それを確認してから、ハイン自身が扉に手を掛けた。
取っ手を回し、扉を押し開く。
中に見えた光景は、薄暗い室内と、部屋の中心にある豪奢な寝台。そして盛り上がった上掛け。
部屋が暗いのは、窓に帳が下されているからだろう。風に揺れて、室内の光量が変化していて、この寒い季節に窓を開けているなんて……と、不思議に思った。
ハインもそれは感じた様子で、窓の方に視線をやり……。
「酒臭い……」
と、呟いたのだが。
「⁉︎」
「ハイン⁉︎」
ダッと中に駆け込んだハインが、膨れた上掛けを剥ぎ取ったのだが、そこにあったのは衣服の山だった。
衣装棚から引っ張り出したものを適当に積み上げた様子。
窓に駆け寄ったハインは、階下を見下ろし「ここから逃がしたのかもしれません」と、舌打ち。
「レイシール様はここにいてください!」
それだけ言い残し、部屋を駆け出していった。
ジークや兵士長の名を呼ぶ声が、遠退いていく。
窓から……逃げた?
その言葉を確認すべく、寝室に入り、窓に向かった。
頭を出して見おろすと、露台のない窓の下は、地面まで筒抜けであったのだけど、横手に張り出た露台や、掴まれそうな出っ張りがあり、それを上手くつたっていけば、二階の窓へと移動できそうではある。二階からなら、飛び降りることも、無理ではないかもしれない……が。
兄上が、そんなことをするかな?
という、疑問が残る。
兄は尋常じゃなく酒を飲むものの、食にはあまり興味が無い様子で、身体も細く、特別身体を鍛えているわけでもなかったと思う。
その兄が、危険な状況だからって、窓から逃げるだなんてするのだろうか。
部屋の入り口を塞いでいたのが時間稼ぎで、そのうちにこの窓から逃げたと、ハインは考えたのだろう。
外はもう随分と白んで、あとは日が昇るばかりといった様子。空が、青くなってきている。
けれど、兄の逃げたと思える時間は、もっと薄暗かったのでは……?
「……ここが、父上のお部屋であったことにも……理由があるのか?」
一子をこの部屋にするという習慣は、父上の更に前の代からあったことなのだろうか?
そうであるならば、この部屋のどこかに、何か仕掛けがあるのかもしれない。
例えば隣室や、階下に逃げることのできる仕掛け……そういったものが。
「少し、良いかな?」
俺と共に部屋に残ってくれていた、偽装傭兵団の面々に声を掛けた。
「もしかしたら、この部屋のどこかに、何か仕掛け等があるのかもしれない。
家具を動かしたのも、それを誤魔化すためであったのかも」
そう言うと、皆も得心がいった様子。それぞれ手分けをして、部屋の中を確認していくことになった。
俺はそのまま寝室を。
転がっていた酒瓶を拾って、机の上に置いた。机には小さな行灯があり、ゆらりと、炎が瞬いている。
そのまま寝台を迂回して、窓に歩み寄った。帳を上げて、明るくなった室内を見渡すと、まだまだそこかしこに酒瓶が転がっている。
溢れた酒が床を濡らしているし、この強い、酒の匂い……兄上は相当酩酊状態なのではないだろうか。
壁際に歩み寄って、触れてみた。
基本は石造りの領主の館だけど、この部屋の内装は木や漆喰が使われている。
壁紙を貼られているが、それのどこかに、不自然な切れ目などないだろうか。
隣室側の壁から、丁寧にじっくり。手で触り、目で確認しつつ、横に移動していく。
寝台のすぐ横手まで来て、少し悩んでから、上に上がった。
寝台奥の壁が、怪しいかなと思ったのだ。押し開くならば、家具があったって問題無いわけだし。なんとなく服を積み上げて寝ている風を装ったのも、ここから逃げていることを誤魔化すためではないのかと、そう思った。
……………………勘ぐり過ぎかな?
特に、これといった怪しいものは、ない。
逆側から降りて、壁の端まで続きを見ていこうと、したのだけれど。
「っ⁉︎」
左足に激痛が走った。
何が起こっているのかが分からず、ただ痛みに喉が詰まる。
視線を下ろすと、寝台の下から手が伸び、握り込まれた小刀が、俺の脹脛を刺していた。
体勢を崩し、そのまま床に倒れる。
「ぁ……がっ……っ⁉︎」
「レイシール様?」
隣室からの声。
けれどそれに応えようと開きかけた口は、小刀を引き抜かれた痛みで、裏返った悲鳴になる。
寝台の下から、目を爛々とさせた兄上が、顔に笑みを貼り付けて、俺の脚を伝うように、這い出してきていた。
条件反射の恐怖に身体が固まって、次の瞬間左太腿に、衝撃と、激痛。
「ッヴああぁァぁァァァ⁉︎」
獣のように、吠えることしかできない。
「レイシール様⁉︎」
また、引き抜かれた。
やばい、次は、どこだ⁉︎
「レイシール様‼︎」
部屋に駆け込んできた兵は、喉元に血塗られた小刀を突きつけられた俺を見て、動きを止めた。
脚が、熱い、痛い。
早鐘を打つ心音に呼応するかのように、ずくん、ずくんと痛みが走り、血が湧き、溢れていく。
寝台下から這い出した兄上は、そのまま俺に馬乗りになり、目を輝かせていた。
「は、は。お前の従者、あいつがはじめに入ってきた時は、肝を冷やしたぞ。
あいつは嫌いだ。怖い。何かにつけ、俺を睨んでくるし、やたらと、鼻が効くのか、すぐ俺に、気付くんだ」
ふっ、ふっ、と、詰まるように笑い。兄上は俺を見下ろす。
赤く充血した目。乱れた頭髪。俺にまたがる兄上の服装は羽織と夜着で、はだけた胸元は肋骨が浮き、酷く青白い。
「貴様、レイシール様から離れろ!」
寝室の入り口で、そう叫び抜剣した兵だったが、小刀が俺の喉にプツリと穴を開けると、動きを止めるしかなかった……。
ただ兄上を睨みすえ、ギリリと歯を食いしばる。
部屋の外には他にも数人兵がいたと思うが、顔を覗かせはしなかった。きっと、助けを呼びにいったのだろう。
「お前、とうとう、来たな。
いつか、そうしてくると、思ってた……。
だけどな、俺は、お前なんかに、殺されてやらない。
お前は、俺の弟だ。俺のなんだよ。ロレッタが、俺のためにお前を、用意したんだ」
ブツブツと、よく分からないことを、言葉にする。
俺を見ているのか、いないのか、いまいち焦点の定まらない視線。喉に突きつけられていた小刀が、小刻みに震える手の動きで、小さな傷をいくつも刻む。
俺のだ。俺のなんだと繰り返される言葉。少しずつ荒くなる呼吸、それをただ、目を見開いて見つめておくことしかできない。
「なのにお前はあああぁぁぁ!」
そうして振り上げられた小刀に、俺は死を、覚悟した。
サヤ、ごめんっ。
衝撃に、息が詰まった。が。
俺の左胸辺りに振り下ろされた小刀は、何かに阻まれ、折れた。
飛んだ刃先が、兄上の腕を掠めたのか、袖からのぞいていた腕に、赤い線が走る。
兄上は俺を不思議そうに見下ろして、右手の折れた小刀を見つめてから、俺の胸に手を這わせて……。
「? 何が入ってる?」
「っ!」
その瞬間、渾身の力で、気力を振り絞って、俺は跳ね起き、兄上を突き飛ばした。
足の傷に激痛が走る。
悲鳴は歯を食いしばって堪えて、寝台に頭をぶつけた兄から、必死で身を離す。
とはいえ、床を這いずるしかできない俺が逃げられたのは、せいぜい一歩、二歩の距離……。
「逃さないんだよ……」
ゾッとする兄の声。
兵が俺に駆け寄ってくる前に、部屋に閃光が走った。
「ッヒッ⁉︎」
寝台脇の机から、行灯を落とした兄上が、笑う。
火が、這い回るように酒に引火し、あっという間に広がっていく。
寝室に足を踏み込んでいた兵の長靴にも引火し、彼はそれを必死で脱ぎ捨て、後方に下がった。
酒を踏んでしまっていたのだろう。
俺は……意識していなかったものの、引火を免れていた。
部屋を取り囲むように、火がのたうつ。二重、三重に。
これは……酒だけじゃない、な。油も混ざって、いたのかもしれない。
帳に火が移って、燃え上がっていく。
立ち上がった兄上が、寝台に座って、積み上げられていた衣服を、その火に薪をくべるみたいに、投げた。
炎の上に落ちた衣服は、だんだん侵食されるみたいに、ゆっくりと燃え上がる。
「……なぁ、レイシール。お前は、俺のなんだよ?」
言い聞かせているのは、俺にか、自分にか……。
「なのにお前は、いつも逃げる。
はじめだって、ほんの少しの間の、つもりだったんだ。
我慢したんだよ。すっごく我慢した。
なのに、せっかく帰って来たと思ったら、俺のこと、忘れてたよな、薄情者。寂しかったし、悲しかった。
俺はずっと一人で頑張ってたのに。ずっと、頑張ってたのに。
だからちょっとだけ、分からせてやらなきゃと思ったんだ」
ブツブツと、言葉を続ける兄の手は、ずっと炎に、服を焼べていく。
「お前ばっかりずるいよ。ロレッタを独り占めして。
俺だって母様は、ロレッタが良かったなぁ。あんな鬼婆が俺の母様って。ジェスルジェスル煩いし、ほんと嫌い。
だけどさぁ、なんでだろうな。こんなに嫌なのに、母様の前に行くと、動けなくなる……」
虚ろな瞳。まるで子供返りしたような、口調。
「殺してやるって、いつも思ってるのに、できないんだよ。腹が立つ。
他の女で練習してみたけど、他は大丈夫だったんだ。
だから今度こそって思うのに、できない。
あいつが魔女って本当だよな? 俺たち、何か魔法がかかってるんじゃないかな」
今俺の足に、刃を突き立てていたことすら、忘れているのか?
見上げる兄は、あどけない表情で……だけど次の瞬間、悪鬼のような形相に歪んだ。
「あいつ! ロレッタも俺を裏切りやがった⁉︎
帰るって、言ったくせに! 何年待ったと思ってるんだ?
いつになったら帰ってくるんだよ⁉︎」
あぁ……。
もう、正気じゃ、ない……。
酒のせいなのか、普段からなのか。分からないけれど、兄上はもう、きっとおかしい。
「俺がたくさん、殴ったから、嫌いになった?
ごめんなさい、もうしないから。だけどロレッタが悪いんだ。レイシールは俺のなのに、なんで隠しちゃうんだよ⁉︎」
叫んで、泣いて、せわしなく感情が入れ替わり、口角から唾液を垂らして、虚空に腕を伸ばす。
そうやって、ただ一人誰かと言葉を交わしていた兄上が、不意に俺に、焦点を合わせた。
「……お前……」
ゾクリと、背筋に悪寒が走る。
やけに細く、節くれだった兄上の腕が、俺に伸びてくる。
大きく開いた指が俺の首を、鷲掴みにしようと、顎門を大きく開くみたいに…………っ。
必死でその手を打ち払うと、兄上は怒りに顔を歪め、さらに手を伸ば……。
「レイシール様⁉︎」
ハインの切羽詰まった声に、兄上がびくりと跳ねた。
「来るな! シザー、止めろ!」
巻き込んではいけない。犠牲者が増えてしまうだけだ。
炎がのたうつこの部屋へ、あいつはきっと躊躇なく、飛び込もうとする。そんなことをしたら丸焼けだ!
シザーがいるかどうかは賭けでしかなかったのだけど、想像通り部屋に突進しようとしたハインに黒い腕が伸び、抱え込んで阻止したのを見た時、ホッとした。
だけど兄上には、それすら抗いがたい恐怖であったのか……。
「っぁぁぁぁぁああああ! くるなあああぁぁぁ⁉︎」
部屋に立ち込める黒い煙を搔き回し、寝台を飛び越え、窓に向かって、炎をものともせずに駆け出して……っ⁉︎
「兄上⁉ 駄目だ!︎」
開け放たれていた窓から、そのまま、空へ。
「兄上ええぇぇ‼︎」
身を乗り出すも、足の激痛で、それ以上動けなかった。
手を伸ばしたけれど、届くはずもなく。
空に旅立った兄を、ただ、見送っただけ…………。
ただ、それしか、できなかった。
◆
救出された俺は、そのままユストの世話になった。
傷の大きさは大したことないものの深く、洗われ、縫合されて、痛みに疲れ果ててしまった。
「……筋は、傷つけていないと思いますけど……出血はだいぶん酷い。
お願いだから、安静にしてください。これ以上出血しないで。血を失いすぎです」
「…………分かってる」
ずくんずくんと傷が脈打ってるのが分かる。
痛いなんてもんじゃなかったけれど、それどころではなく……。
三階から飛び降りた形となった兄上は、来世へと旅立ってしまっていた。
何が起こっているのか、自分でも分かっていなかったのかもしれない。キョトンと、呆けたような表情で、空を見上げ、果てていたそうだ。
「フザケンナ。何怪我してやがンだ。お前ほんっとうに、なンでそうなる⁉︎」
「ごめん……」
「……チッ、サヤ戻ったら、こっぴどく怒られとけ馬鹿野郎!」
「うん……」
すぐ隣のジェイドがむちゃくちゃ怒って文句を並べてくる。熱があるのに元気だ……。
その向こうでは俺を一人にしてしまった兵らもアーシュに怒られているわけで……申し訳ないかぎりである。
「すまなかった。良いひらめきだと思ったんだけどな……全然見当違いで、君らに迷惑かけちゃったな……」
叱られて帰る兵らにそう声を掛けたのだが、泣きそうな顔で、そんなことはどうだって良いのだと言われてしまった。
「良かった……良かったです。俺、あの時もう駄目かと……ほんと、駄目かと思って……」
あの時……というのは多分、俺の胸に、小刀が振り下ろされた時のことだと思う。
あれは俺も、もう駄目だと思った。
小刀だったから、思い切り突き立ったとしても、致命傷にはならなかったかもしれないけれど……。
三箇所も刺突され出血したら、助かる見込みはきっとずっと、低かった……。
「今だってまだ予断を許しませんよ⁉︎」
ユストに念を押されて、分かってますと返事を返す。
血が抜けすぎて貧血気味なのだ。
それで済んで、良かったのだけど……。
「……怒られる……かぁ」
サヤは、無事かな……。
こちらを凌いだとて、命令が覆されていなければ、父上は狙われ続けていることだろう。
自分の怪我より、サヤの安否が心配で、不安で、胸が潰れそうだった。
「……ジェイド、犬笛はまだ、無いの?」
「ねぇよ」
その言葉に、心臓が軋む。
サヤ、どうか、お願いだから、サヤも無事で……。
必死でそう祈った。結局、祈るしか、できなかったのだ。
◆
傷の治療を終え、しばらくしたら、部屋を移されることとなり……。
「……落ち着かない……」
「我慢してください」
すごく機嫌の悪いハインに、否やなど言えるはずもない……。シザーに止められたことを、いまだ根に持っており、ずっとこんな感じだ。
本館三階の、客間のひとつ。
別館では警備に不安があるということで、ここに移された。
ジェスルはだいたい捕らえたのだけど、逃げた執事長や、バンス別邸の管理に残っていた者らもいるから、油断はできない。
兵士長の取り計らいで、各地域にジェスルよりセイバーン奪還という知らせが向かい、バンス周辺には残党の警戒と捕縛。別邸の捜索も命じるよう、手配がされた。
その辺りで、俺の意識が途切れている。
出血と、体力の消耗とで飛んだらしい。
そもそもが寝不足であったし、食事もまともに摂っていなかったからだろう。
痛みで何度か意識が覚醒したものの、そのまますぐに闇に落ちる。それを繰り返した。
それから暫く……多分、結構な時間が経ったのだと思う。
「レイシール様、起きてください!」
切羽詰まった声のハインに叩き起こされ、半覚醒のまま、寝台から無理やり引き下ろされて……。
「うあっ、あっ、あああぁぁ!」
予期してなかった激痛に、蹲って悲鳴を上げた。
「申し訳ありません。ですが、急いでください。
早く逃げなれば、火に巻かれてしまいます!」
何を言われているのかが、いまいち飲み込めない。
兄上の部屋は、もう鎮火してたよな? 今どうして、また火に巻かれてしまうなんてことに、なっている?
「夜襲です。
残党が潜んでいたらしく、一階数カ所から出火したのですが、鎮火に駆け回っている間に、上階にも火玉が投げ込まれました」
火玉⁉︎
ハインの早口な報告に、ギョッとして顔を上げた。
 




