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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第七章
214/515

フェルナン

 異母様の部屋からもう少し先。

 兄上の部屋は、昔からずっと、この場所だ。

 窓からは村が一望できて、かつては幼かった父上も、この部屋であったと聞いている。


「扉の鍵は、壊しました。けれど、家具等で塞がれている様子で……」

「中の人数は?」

「数名の騎士と女中がいると思われます」

「……まずは投降を呼びかけてみよう。

 中の者たちが家具を退けてくれるのが、一番早い」


 対処をしている間に、他の状況も伝えられていく。

 廊下で足止めをしていたシザーとジェイドは、さした傷も負わず役割を成し遂げていた。

 目潰しと石飛礫の効果は絶大で、騎士らは半数が自滅したも同然であった様子。

 そこを抜け出しシザーに向かった者も、学舎主席の腕前を前に、手も足も出なかったようだ。

 役割を与えられたシザーは、とても愚直だ。黙々と向かってくる相手を薙ぎ倒し、人垣を作り上げてしまう。しかも死ぬわけではないから、その人垣は呻くのだ……。死屍累々、呻き声の絶えない廊下に仁王立ちの大男。それは怖い光景であったろうと思う。


 一つ困ったのは、二階だ。

 執事長を捉えに向かったアーシュらだが、任務の遂行は失敗に終わったらしい。

 それも仕方がない話で、執事長はどうも状況を察知していたらしく、さっさと逃げ出し、その部屋には多くの騎士が待ち構えていたのだという。

 人数的には拮抗していたものの、不意を突かれたことと、後方からの援軍に挟み撃ちにあい、身を守ることで精一杯の状況に追いやられてしまったようだ。


「面目次第もありません……申し訳ございませんでした……」

「仕方のないことだ。あの少人数で、よく耐えてくれたと思う。兵にも君達にも死者が出なかった。そのことの方が、俺には重要だよ。

 まずは休んで、状況報告は、後で良いから」


 怪我をおして報告にきたアーシュを宥めて休ませた。

 決して軽い怪我ではないのに、報告なんて後で良い。ユストにちゃんと休ませてくれとしつこくお願いして、怪我人を任せた。あ、ジェイドも加えた。熱が随分と上がっていたというのに、黙ってやり過ごそうとしていたからだ。あの場に残ったのも、もう自分で戦力にはならないと判断したからであるっぽい。


「……さて。どうなった?」

「投降を了承しました。今、家具を退けていっている様子です」


 兄上の部屋まで戻ると、中でごそごそと作業する音と、囁き声のようなもの、すすり泣きのようなものが聞こえてくる。

 兄上の部屋の警備と女中は、投降を承諾したらしい。

 まあ、援軍はもう望めないと察すれば、そうするしかないだろうな……。

 程なくして、警戒しつつ出てきた騎士らは武器を取り上げられ、牢に連行となった。

 女中は四名いたのだが、そのうち二人はその……そちらの相手であった様子で……身繕いをさせてほしいと懇願されたため、見張りをつけるならばということで、了解した。流石にこれは、仕方がない処置だろう。セイバーンの女中に見張りをさせ、何かあれば衛兵らが飛び込めるよう、配慮した上でと念は押しておいたが。

 彼女らもまた、見張りを立てた部屋に集めて監禁となり、そちらへ連れて行かれる。

 結構な人数だから、牢では足りないのだ。


「……兄上は?」

「あ……その……寝室へ……引きこもられてしまい……。

 フェルナン様は、昼夜の関係ない生活をされておりましたので、レイシール様の行軍を目撃されて……我々に扉を閉ざすよう命じられてから、後はもう……」


 最後の女中に聞いたのだが、その言葉に、沈黙するしかなかった。


 酒の入っていない場合の兄上は、ただひたすら無気力で、現実から目を逸らしている様子だったから、酒が抜けた状態なのかもしれない。

 行軍を見たのに、逃げるでもなく、部屋を閉ざして寝室に逃げ込む。もうまともな状況判断など、できないのかな……。

 ハインと偽装傭兵団の数人を連れ、部屋の中に入ると、家具が動かされて雑多とした部屋は、しんと静まり返っていた。


 ……嫌な、気分だな……。

 ここで散々俺は…………。


 父上との面会時間を過ごすと、その後に待っていたのは兄上からの呼び出しだった。

 この部屋で、父上と何を話したのか、どう答えたのか、それを聞かれながら、振るわれる暴力にただ耐える時間。

 その間、ずっと、呪詛を浴びせられていた……。


 望んではいけないのだと。

 何一つ得てはいけないのだと。

 操られるまで動かない。それが唯一の正解なのだと。


 そうしなければ、俺だけではなく、俺の周りまで、壊されていく…………。


「寝室は、鍵が掛かっているのか?」


 頭を切り替え、とにかくまずは目前のことへ対処することを意識する。


「いえ……開いていますね」

「では、行こう」

「いけません。レイシール様は、お待ちください」


 ハインに押し止められ、数歩下がる。それを確認してから、ハイン自身が扉に手を掛けた。

 取っ手を回し、扉を押し開く。

 中に見えた光景は、薄暗い室内と、部屋の中心にある豪奢な寝台。そして盛り上がった上掛け。

 部屋が暗いのは、窓に帳が下されているからだろう。風に揺れて、室内の光量が変化していて、この寒い季節に窓を開けているなんて……と、不思議に思った。

 ハインもそれは感じた様子で、窓の方に視線をやり……。


「酒臭い……」


 と、呟いたのだが。


「⁉︎」

「ハイン⁉︎」


 ダッと中に駆け込んだハインが、膨れた上掛けを剥ぎ取ったのだが、そこにあったのは衣服の山だった。

 衣装棚から引っ張り出したものを適当に積み上げた様子。

 窓に駆け寄ったハインは、階下を見下ろし「ここから逃がしたのかもしれません」と、舌打ち。


「レイシール様はここにいてください!」


 それだけ言い残し、部屋を駆け出していった。

 ジークや兵士長の名を呼ぶ声が、遠退いていく。


 窓から……逃げた?


 その言葉を確認すべく、寝室に入り、窓に向かった。

 頭を出して見おろすと、露台のない窓の下は、地面まで筒抜けであったのだけど、横手に張り出た露台や、掴まれそうな出っ張りがあり、それを上手くつたっていけば、二階の窓へと移動できそうではある。二階からなら、飛び降りることも、無理ではないかもしれない……が。


 兄上が、そんなことをするかな?


 という、疑問が残る。

 兄は尋常じゃなく酒を飲むものの、食にはあまり興味が無い様子で、身体も細く、特別身体を鍛えているわけでもなかったと思う。

 その兄が、危険な状況だからって、窓から逃げるだなんてするのだろうか。

 部屋の入り口を塞いでいたのが時間稼ぎで、そのうちにこの窓から逃げたと、ハインは考えたのだろう。

 外はもう随分と白んで、あとは日が昇るばかりといった様子。空が、青くなってきている。

 けれど、兄の逃げたと思える時間は、もっと薄暗かったのでは……?


「……ここが、父上のお部屋であったことにも……理由があるのか?」


 一子をこの部屋にするという習慣は、父上の更に前の代からあったことなのだろうか?

 そうであるならば、この部屋のどこかに、何か仕掛けがあるのかもしれない。

 例えば隣室や、階下に逃げることのできる仕掛け……そういったものが。


「少し、良いかな?」


 俺と共に部屋に残ってくれていた、偽装傭兵団の面々に声を掛けた。


「もしかしたら、この部屋のどこかに、何か仕掛け等があるのかもしれない。

 家具を動かしたのも、それを誤魔化すためであったのかも」


 そう言うと、皆も得心がいった様子。それぞれ手分けをして、部屋の中を確認していくことになった。

 俺はそのまま寝室を。

 転がっていた酒瓶を拾って、机の上に置いた。机には小さな行灯があり、ゆらりと、炎が瞬いている。

 そのまま寝台を迂回して、窓に歩み寄った。帳を上げて、明るくなった室内を見渡すと、まだまだそこかしこに酒瓶が転がっている。

 溢れた酒が床を濡らしているし、この強い、酒の匂い……兄上は相当酩酊状態なのではないだろうか。

 壁際に歩み寄って、触れてみた。

 基本は石造りの領主の館だけど、この部屋の内装は木や漆喰が使われている。

 壁紙を貼られているが、それのどこかに、不自然な切れ目などないだろうか。

 隣室側の壁から、丁寧にじっくり。手で触り、目で確認しつつ、横に移動していく。

 寝台のすぐ横手まで来て、少し悩んでから、上に上がった。

 寝台奥の壁が、怪しいかなと思ったのだ。押し開くならば、家具があったって問題無いわけだし。なんとなく服を積み上げて寝ている風を装ったのも、ここから逃げていることを誤魔化すためではないのかと、そう思った。


 ……………………勘ぐり過ぎかな?


 特に、これといった怪しいものは、ない。

 逆側から降りて、壁の端まで続きを見ていこうと、したのだけれど。


「っ⁉︎」


 左足に激痛が走った。

 何が起こっているのかが分からず、ただ痛みに喉が詰まる。

 視線を下ろすと、寝台の下から手が伸び、握り込まれた小刀が、俺の脹脛を刺していた。

 体勢を崩し、そのまま床に倒れる。


「ぁ……がっ……っ⁉︎」

「レイシール様?」


 隣室からの声。

 けれどそれに応えようと開きかけた口は、小刀を引き抜かれた痛みで、裏返った悲鳴になる。

 寝台の下から、目を爛々とさせた兄上が、顔に笑みを貼り付けて、俺の脚を伝うように、這い出してきていた。

 条件反射の恐怖に身体が固まって、次の瞬間左太腿に、衝撃と、激痛。


「ッヴああぁァぁァァァ⁉︎」


 獣のように、吠えることしかできない。


「レイシール様⁉︎」


 また、引き抜かれた。

 やばい、次は、どこだ⁉︎


「レイシール様‼︎」


 部屋に駆け込んできた兵は、喉元に血塗られた小刀を突きつけられた俺を見て、動きを止めた。

 脚が、熱い、痛い。

 早鐘を打つ心音に呼応するかのように、ずくん、ずくんと痛みが走り、血が湧き、溢れていく。

 寝台下から這い出した兄上は、そのまま俺に馬乗りになり、目を輝かせていた。


「は、は。お前の従者、あいつがはじめに入ってきた時は、肝を冷やしたぞ。

 あいつは嫌いだ。怖い。何かにつけ、俺を睨んでくるし、やたらと、鼻が効くのか、すぐ俺に、気付くんだ」


 ふっ、ふっ、と、詰まるように笑い。兄上は俺を見下ろす。

 赤く充血した目。乱れた頭髪。俺にまたがる兄上の服装は羽織と夜着で、はだけた胸元は肋骨が浮き、酷く青白い。


「貴様、レイシール様から離れろ!」


 寝室の入り口で、そう叫び抜剣した兵だったが、小刀が俺の喉にプツリと穴を開けると、動きを止めるしかなかった……。

 ただ兄上を睨みすえ、ギリリと歯を食いしばる。

 部屋の外には他にも数人兵がいたと思うが、顔を覗かせはしなかった。きっと、助けを呼びにいったのだろう。


「お前、とうとう、来たな。

 いつか、そうしてくると、思ってた……。

 だけどな、俺は、お前なんかに、殺されてやらない。

 お前は、俺の弟だ。俺のなんだよ。ロレッタが、俺のためにお前を、用意したんだ」


 ブツブツと、よく分からないことを、言葉にする。

 俺を見ているのか、いないのか、いまいち焦点の定まらない視線。喉に突きつけられていた小刀が、小刻みに震える手の動きで、小さな傷をいくつも刻む。

 俺のだ。俺のなんだと繰り返される言葉。少しずつ荒くなる呼吸、それをただ、目を見開いて見つめておくことしかできない。


「なのにお前はあああぁぁぁ!」


 そうして振り上げられた小刀に、俺は死を、覚悟した。


 サヤ、ごめんっ。


 衝撃に、息が詰まった。が。

 俺の左胸辺りに振り下ろされた小刀は、何かに阻まれ、折れた。

 飛んだ刃先が、兄上の腕を掠めたのか、袖からのぞいていた腕に、赤い線が走る。

 兄上は俺を不思議そうに見下ろして、右手の折れた小刀を見つめてから、俺の胸に手を這わせて……。


「? 何が入ってる?」

「っ!」


 その瞬間、渾身の力で、気力を振り絞って、俺は跳ね起き、兄上を突き飛ばした。

 足の傷に激痛が走る。

 悲鳴は歯を食いしばって堪えて、寝台に頭をぶつけた兄から、必死で身を離す。

 とはいえ、床を這いずるしかできない俺が逃げられたのは、せいぜい一歩、二歩の距離……。


「逃さないんだよ……」


 ゾッとする兄の声。


 兵が俺に駆け寄ってくる前に、部屋に閃光が走った。


「ッヒッ⁉︎」


 寝台脇の机から、行灯を落とした兄上が、笑う。

 火が、這い回るように酒に引火し、あっという間に広がっていく。

 寝室に足を踏み込んでいた兵の長靴にも引火し、彼はそれを必死で脱ぎ捨て、後方に下がった。

 酒を踏んでしまっていたのだろう。

 俺は……意識していなかったものの、引火を免れていた。

 部屋を取り囲むように、火がのたうつ。二重、三重に。


 これは……酒だけじゃない、な。油も混ざって、いたのかもしれない。


 帳に火が移って、燃え上がっていく。

 立ち上がった兄上が、寝台に座って、積み上げられていた衣服を、その火に薪をくべるみたいに、投げた。

 炎の上に落ちた衣服は、だんだん侵食されるみたいに、ゆっくりと燃え上がる。


「……なぁ、レイシール。お前は、俺のなんだよ?」


 言い聞かせているのは、俺にか、自分にか……。


「なのにお前は、いつも逃げる。

 はじめだって、ほんの少しの間の、つもりだったんだ。

 我慢したんだよ。すっごく我慢した。

 なのに、せっかく帰って来たと思ったら、俺のこと、忘れてたよな、薄情者。寂しかったし、悲しかった。

 俺はずっと一人で頑張ってたのに。ずっと、頑張ってたのに。

 だからちょっとだけ、分からせてやらなきゃと思ったんだ」


 ブツブツと、言葉を続ける兄の手は、ずっと炎に、服を焼べていく。


「お前ばっかりずるいよ。ロレッタを独り占めして。

 俺だって母様は、ロレッタが良かったなぁ。あんな鬼婆が俺の母様って。ジェスルジェスル煩いし、ほんと嫌い。

 だけどさぁ、なんでだろうな。こんなに嫌なのに、母様の前に行くと、動けなくなる……」


 虚ろな瞳。まるで子供返りしたような、口調。


「殺してやるって、いつも思ってるのに、できないんだよ。腹が立つ。

 他の女で練習してみたけど、他は大丈夫だったんだ。

 だから今度こそって思うのに、できない。

 あいつが魔女って本当だよな? 俺たち、何か魔法がかかってるんじゃないかな」


 今俺の足に、刃を突き立てていたことすら、忘れているのか?

 見上げる兄は、あどけない表情で……だけど次の瞬間、悪鬼のような形相に歪んだ。


「あいつ! ロレッタも俺を裏切りやがった⁉︎

 帰るって、言ったくせに! 何年待ったと思ってるんだ?

 いつになったら帰ってくるんだよ⁉︎」


 あぁ……。

 もう、正気じゃ、ない……。

 酒のせいなのか、普段からなのか。分からないけれど、兄上はもう、きっとおかしい。


「俺がたくさん、殴ったから、嫌いになった?

 ごめんなさい、もうしないから。だけどロレッタが悪いんだ。レイシールは俺のなのに、なんで隠しちゃうんだよ⁉︎」


 叫んで、泣いて、せわしなく感情が入れ替わり、口角から唾液を垂らして、虚空に腕を伸ばす。

 そうやって、ただ一人誰かと言葉を交わしていた兄上が、不意に俺に、焦点を合わせた。


「……お前……」


 ゾクリと、背筋に悪寒が走る。

 やけに細く、節くれだった兄上の腕が、俺に伸びてくる。

 大きく開いた指が俺の首を、鷲掴みにしようと、顎門を大きく開くみたいに…………っ。

 必死でその手を打ち払うと、兄上は怒りに顔を歪め、さらに手を伸ば……。


「レイシール様⁉︎」


 ハインの切羽詰まった声に、兄上がびくりと跳ねた。


「来るな! シザー、止めろ!」


 巻き込んではいけない。犠牲者が増えてしまうだけだ。

 炎がのたうつこの部屋へ、あいつはきっと躊躇なく、飛び込もうとする。そんなことをしたら丸焼けだ!

 シザーがいるかどうかは賭けでしかなかったのだけど、想像通り部屋に突進しようとしたハインに黒い腕が伸び、抱え込んで阻止したのを見た時、ホッとした。

 だけど兄上には、それすら抗いがたい恐怖であったのか……。


「っぁぁぁぁぁああああ! くるなあああぁぁぁ⁉︎」


 部屋に立ち込める黒い煙を搔き回し、寝台を飛び越え、窓に向かって、炎をものともせずに駆け出して……っ⁉︎


「兄上⁉ 駄目だ!︎」


 開け放たれていた窓から、そのまま、空へ。


「兄上ええぇぇ‼︎」


 身を乗り出すも、足の激痛で、それ以上動けなかった。

 手を伸ばしたけれど、届くはずもなく。

 空に旅立った兄を、ただ、見送っただけ…………。


 ただ、それしか、できなかった。



 ◆



 救出された俺は、そのままユストの世話になった。

 傷の大きさは大したことないものの深く、洗われ、縫合されて、痛みに疲れ果ててしまった。


「……筋は、傷つけていないと思いますけど……出血はだいぶん酷い。

 お願いだから、安静にしてください。これ以上出血しないで。血を失いすぎです」

「…………分かってる」


 ずくんずくんと傷が脈打ってるのが分かる。

 痛いなんてもんじゃなかったけれど、それどころではなく……。


 三階から飛び降りた形となった兄上は、来世へと旅立ってしまっていた。

 何が起こっているのか、自分でも分かっていなかったのかもしれない。キョトンと、呆けたような表情で、空を見上げ、果てていたそうだ。


「フザケンナ。何怪我してやがンだ。お前ほんっとうに、なンでそうなる⁉︎」

「ごめん……」

「……チッ、サヤ戻ったら、こっぴどく怒られとけ馬鹿野郎!」

「うん……」


 すぐ隣のジェイドがむちゃくちゃ怒って文句を並べてくる。熱があるのに元気だ……。

 その向こうでは俺を一人にしてしまった兵らもアーシュに怒られているわけで……申し訳ないかぎりである。


「すまなかった。良いひらめきだと思ったんだけどな……全然見当違いで、君らに迷惑かけちゃったな……」


 叱られて帰る兵らにそう声を掛けたのだが、泣きそうな顔で、そんなことはどうだって良いのだと言われてしまった。


「良かった……良かったです。俺、あの時もう駄目かと……ほんと、駄目かと思って……」


 あの時……というのは多分、俺の胸に、小刀が振り下ろされた時のことだと思う。

 あれは俺も、もう駄目だと思った。

 小刀だったから、思い切り突き立ったとしても、致命傷にはならなかったかもしれないけれど……。

 三箇所も刺突され出血したら、助かる見込みはきっとずっと、低かった……。


「今だってまだ予断を許しませんよ⁉︎」


 ユストに念を押されて、分かってますと返事を返す。

 血が抜けすぎて貧血気味なのだ。

 それで済んで、良かったのだけど……。


「……怒られる……かぁ」


 サヤは、無事かな……。

 こちらを凌いだとて、命令が覆されていなければ、父上は狙われ続けていることだろう。

 自分の怪我より、サヤの安否が心配で、不安で、胸が潰れそうだった。


「……ジェイド、犬笛はまだ、無いの?」

「ねぇよ」


 その言葉に、心臓が軋む。

 サヤ、どうか、お願いだから、サヤも無事で……。

 必死でそう祈った。結局、祈るしか、できなかったのだ。



 ◆



 傷の治療を終え、しばらくしたら、部屋を移されることとなり……。


「……落ち着かない……」

「我慢してください」


 すごく機嫌の悪いハインに、否やなど言えるはずもない……。シザーに止められたことを、いまだ根に持っており、ずっとこんな感じだ。

 本館三階の、客間のひとつ。

 別館では警備に不安があるということで、ここに移された。

 ジェスルはだいたい捕らえたのだけど、逃げた執事長や、バンス別邸の管理に残っていた者らもいるから、油断はできない。

 兵士長の取り計らいで、各地域にジェスルよりセイバーン奪還という知らせが向かい、バンス周辺には残党の警戒と捕縛。別邸の捜索も命じるよう、手配がされた。


 その辺りで、俺の意識が途切れている。

 出血と、体力の消耗とで飛んだらしい。

 そもそもが寝不足であったし、食事もまともに摂っていなかったからだろう。

 痛みで何度か意識が覚醒したものの、そのまますぐに闇に落ちる。それを繰り返した。

 それから暫く……多分、結構な時間が経ったのだと思う。


「レイシール様、起きてください!」


 切羽詰まった声のハインに叩き起こされ、半覚醒のまま、寝台から無理やり引き下ろされて……。


「うあっ、あっ、あああぁぁ!」


 予期してなかった激痛に、蹲って悲鳴を上げた。


「申し訳ありません。ですが、急いでください。

 早く逃げなれば、火に巻かれてしまいます!」


 何を言われているのかが、いまいち飲み込めない。

 兄上の部屋は、もう鎮火してたよな? 今どうして、また火に巻かれてしまうなんてことに、なっている?


「夜襲です。

 残党が潜んでいたらしく、一階数カ所から出火したのですが、鎮火に駆け回っている間に、上階にも火玉が投げ込まれました」


 火玉⁉︎


 ハインの早口な報告に、ギョッとして顔を上げた。

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