予兆
「私の国の建造物は基本的に木造で、道は土。石畳なんて殆ど引いてありません。ですから、普通に生活していても砂まみれ、埃みまれになるんです。それで、洗うという事に特化したのだと思います……たぶん……」
サヤがしどろもどろ話を続けている。俺がマルの質問に答えられなかったので、自然とそうなってしまった。
サヤは、たまに空中を見上げつつ、ぽつぽつと話す。自分の中で、言えることと言えないことを、ある程度吟味しているのだと思った。配慮のできる子でほんと助かる…。
「はぁ〜。海を挟むとずいぶん変わるのですねぇ」
「私の国は、特別隔離された島国だったので。
海を渡るのが命懸け……季節や、潮の流れで運ばれる場所も変わりますから……」
「そうでしょうねぇ。そりゃ、帰ろうと思っても帰れないわけだ。ふむふむ。興味深いなぁ、面白いなぁ!」
「もう、いい加減にしてくださいな! 辛い過去を根掘り葉掘り……マルさんには配慮が無さ過ぎです! この話はもうおしまい‼︎」
ルーシーがサヤの頭を抱きすくめ、庇いながらマルをなじる。マルはえぇそんなぁと、悲嘆にくれた声を上げるものの、文句は受け付けませんと突っぱねられた。
ルーシー強いな……。いいんじゃないかこれ、マル対策に。
「そうしてやってくれ。サヤだって辛いと思うから。
今日はたくさん話を聞けたろ? 今度は俺の用事を済ませてくれないか」
マルを呼んだのは氾濫についての情報収集のためなのだ。珍しいサヤを披露するためじゃない。そこを思い出してもらわないと。
「はぁ、……仕方ないなぁ。まあいいか、また今度話を聞かせてもらいます」
一応、珍しい話を堪能できたマルは納得したらしい。案外あっさりと諦めた。
とりあえず仕入れた情報の吟味を優先するつもりなのかもな。
「レイ様には、言わなきゃなぁと思ってることがいくつかあるんですよねぇ。
今年は川の氾濫を見越して、準備しといてもらわないとだし」
なんでもない事のように言う内容がとんでもない。
一瞬呆気にとられた俺は、次の瞬間、右手が勝手に動いて、マルの肩を掴んでいた。
「どういう事⁉︎」と、俺がマルを締め上げる番だ。
「いえね、アギー領の材木の値段が上がってましてねぇ。
情報集めてみたら、今年の頭頃にまた下町を焼く大火災が発生したみたいなんですよねぇ。
あそこいい加減、あの密集状態をなんとかした方がいいと思いませんか?」
「知らねぇよ……他領の火災問題は関係ねぇだろ。自領の水害問題なんだよ今は」
ギルが呆れた風に横槍を入れる。するとマルは、だからその話ですよとギルに返した。
「あんまり昔の情報が無いんで、分析に苦労してるんですよ。
でも、アギー領で火災が起こった後とか、水位が上がってる気がして。拾えるとこだけ拾い上げて計算していったんですけどね。なんか気のせいとか、偶然とかじゃない感じなんですよねぇ。
アギーに鉱脈がみつかるまでは、水位上昇は見えないんですよ。
アギーが発展して、街が拡張されていくにつれ、水位の上昇が見られだしましてね、大火災。あれが度々起こるようになってから、もう少し加速した感じなんですよねぇ」
洗われたはずなのにやっぱり跳ねてる髪をばりばりと掻いて、マルが言う。
さて、と、前置きしてから、切り替わった。無表情のマルに。
「雨量も計算したんですよ? でも必ずしも、雨量と水位上昇が一致してないんですよ。
ズレてる年もちらほらあって、それよりはまだ火災の方が、高い比率で合致するんですよ。
とはいえ……虫食いもいいとこですからねぇ。長雨の時期に雨が多かったなんて情報、当たり前過ぎて残してくれませんから、正直全然、当てになりませんけどねぇ」
虚空を見つめる瞳が、さっきまでとはまるで別人のようになっている。マルが頭の中の世界に足を突っ込んでいる時の顔だ。彼の表現によると、脳内の図書館で資料を吟味しているのだという。その時はこちらの自分が疎かになるそうだ。それで、まるで蝋人形のような無表情で、抑揚の乏しい喋り方で、話をする。
「アギー領で木材の値段が上がると水位が上がる。今の所、雨量よりそっちの方が合致する確率が高い。となると、今年はヤバイんです。火災がありました。
気の所為だと思って今まで通りにしておいても良いんですけど、何かする方が良いんじゃないかなって思うんですよ。
そしてアギーの鉱脈はまだまだ全く枯れる様子がありません。
そうすると、まだどんどん、水量は上がるんじゃないかなと。
これからもずっと情報を集め続けていけば、三十年くらいである程度確証が持てるんじゃないですかね。でも、それまで待っててもらえないでしょう? だから、中途半端な情報ですけど提供してるんですよ。レイ様のためですし」
虚空を見つめ、抑揚のない喋り方のまま、マルがそう言う。
分析が絡む内容に関して、誤情報を提供するのは彼の流儀に反するのだ。それでも、今の情報を俺は必要としていると、流儀を曲げてくれたらしい。
「長雨が降っても、火災が無かった時は一割弱。
長雨があって、火災があった時は、三割で発生してますよ。
長雨が無く、火災が無かった時はほぼ水害は起こっていない。
長雨が無く、火災があった年は、微量ですが水害が発生している。
とはいえ、基本長雨があります。雨季ですからねぇ。雨が降らなかった年の数値も、やはり当てになりません。検証できるほど無いので。
火災にしても、規模に差があるし発生件数だって違ってくる。
長雨も、毎年降る量には誤差があるでしょうし。正直検証しただけ凄いと思って欲しいですよねぇ。こんなに揃わない数値でこんなことやりたくないんですよ。どうせ間違ってるし」
そこまで喋ってから、くあぁと大きな欠伸をした。時間切れだ。
マルが次の瞬間寝始めた。がっくりと項垂れて、いびきすらかかない。
「…………し、死んだ⁈」
「寝ただけだ」
一瞬で動かなくなったらビックリするよな……。ルーシーが死んだと思うのも無理はないか。
マル曰く、考えるのはとても体力を使うのだそうだ。頭の中の図書館は、膨大な資料で埋め尽くされている。その中をあちこち動き回って大量の情報を見比べたり計算したり、凄く忙しいのだという。毎日のように情報は更新されていくから、その都度必要なものには微調整を加えるらしい。だからマルは、分析途中の事柄は紙に書きだしたりしない。区切りがつくまでに何度も何度も、気が遠くなるほど計算をし直すのに、書き出してたらもっと手間が掛かるから。そして、そうしてる間にも状況は変化する。修正を加えてると、書き出す速度が追い付かないのだと言っていた。
なんかもう、説明されてもさっぱりだが、とにかく大変なんだとだけ、俺は理解している。
そうこうしてる間に、ギルがマルを小脇に抱えた。客間の寝台に放り込んでくるのだろう。
「また食えば動くと思うけど……胃が弱ってるからな……さして食えねぇと思うぞ」
「……休ませてあげて。充分だから」
これ以上は必要無いと思う。
マルが何かした方がいいと言うなら、そうなのだ。
もうずっと……。それこそ俺が生まれる前からの問題だった水害。今までずっと原因らしい原因も分からぬままだった。それを、たかだか二年で……可能性だけでも上げてみせたマルは凄いと思う。
そもそも、誰が考えるんだ? 木材の値段と、水害の関係性なんて。
きっと、ありとあらゆる数値を比べ尽くして、見つけ出したものなのだ。
趣味の一環とか言うけれど、きっと俺の為に無理してくれた部分も沢山ある。
「ありがとうマル……」
ギルに荷物よろしく運ばれていくマルに小さくお礼を言って、今度は俺が思考に没頭する時間となる。
水害があると仮定するなら、まずすることは収穫だ。極力早く、済ませてしまった方がいい。
次に、川の補強だが……。これは正直、付け焼き刃だ。川岸に沿って板を打ち付けたり、土を盛ったりしたことは数知れず。記録にも残っている。けれど、功を奏したことは殆んど無い。
それよりも、農民の生活と命を優先する方が良いだろう。
だが……どうする。
「レイシール様……。収穫を早める指示を、手紙で出しますか」
「それよりも、明日朝一で帰る方が早いんじゃないかな。
ハイン、水害のあったときの、農民たちの避難場所って、裏山手前の広場になってたよな」
「そうですが………」
「じゃあ帰ったら、あそこの整備だ。水害があると仮定するしかない。
収穫を早めて、仮小屋を建てるか……ああ……手っ取り早く、別館が使えたら良いのに……」
小屋なんて建てる時間があるなら、川の補強がしたい……。農民たちの生活は、畑が無ければ成り立たないのだ。命だけ守っても駄目なんだよ……!
「あ……あの?」
急に緊迫した雰囲気となった俺たちに、サヤは戸惑っている様子だ。
だが今は構っている余裕が無い。
えっとギルは……まだマルを連れて行ったままか……。
「ワド、一つ、お願いをしておいて良いだろうか」
「はい、何なりと」
壁際に彫像よろしく直立していたワドルが、この雰囲気でもやはり、微笑みをたたえて返答を返す。
「近く、大店会議を開く可能性が高いと思う……。
申し訳無いのだけれど、根回しをしておいてもらえるだろうか……。
あと、水害が起これば、メバックにも……貴方達にも迷惑を掛けることになる。すまない……」
「何を仰います。メバックもセイバーンですし、我々も領民です。
助け合うのが当然ではございませんか」
「……ありがとう。極力、被害が少なくなるよう努力する」
「ええ。農家のみなさんの為に。我々も、微力ながらお力になりますゆえ」
そんなやりとりをしている間に、ギルが帰ってきた。
手には何かの書類を持っている。それをハインに押し付けて、ルーシーにも指示を出す。あるものだけでも荷造りしろと、そんな内容だ。
「朝一で帰るんだろ? 買い出ししてる時間はねぇんだろうから、必要なもんは書き出しとけ。後で届ける。
あと、サヤの準備も、こっちで適当に進めるぞ。
戻ったら、できる限り状況報告を送れ。準備があるからな。
それで、その辺の準備が終わったら、今日だけはここでのんびり過ごせ。帰ったら休む間もねぇんだから。……半日くらい自分を甘やかしたってバチあたらねぇよ」
「……うん、ありがとう、ギル。
サヤ、ハイン。一旦部屋に戻るよ」
応接室を出て、部屋に戻ると荷造りだ。
とはいえ、持ち込んだものは殆んど無い。荷物の準備はハインに任せて、俺はサヤに事情説明をする必要があった。
「サヤ、帰ったら、君にも沢山、働いてもらう必要が出てきた。慣れるまでゆっくりなんて、言ってられない状態になりそうだ。ごめん」
「構いません。それより、何のお話だったのか、教えてください」
「うん……そうだね……。まずは、セイバーン村の説明をしようか」
セイバーン。正確には、フェルドナレン王国セイバーン領。俺たちが住むセイバーン村は、領地と名を同じくするのでややこしい。
国の中心部よりやや南にある、ほどほど大きな領地。とはいえ、農耕が主な産業の、田舎だ。
王都の食料庫の一つ。水に恵まれた肥沃な土地で、小麦の生産を主に行っている。
この周辺が最も小麦の生産に適した土地で、なおかつ管理が大変な地域なのだ。
その為、あえて村なのに領主の館が移されたのだと思う。
元々は、もう少し東北にあるバンスに領主の館があった。今は……父上が療養している別邸だ。
ここ近年のセイバーン領の問題点は主に二つ。ここセイバーン村の、水害。
そして、南にあるイスコ湖の水位の減少。
どちらも水が絡むのだが、より問題が大きいのはセイバーン村の水害だ。
雨季になると、この川が度々氾濫する。
この川は北のアギー領から続く川で、村の北にある裏山を迂回する形で蛇行し、東に流れて行くのだが、その蛇行部分が問題で、南西側……つまり畑や、農民の住む区画側にしょっちゅう決壊する。
大抵は麦の収穫の後なので、収穫量自体に問題は無いのだが、畑が泥や岩に埋まり、整備に膨大な時間と費用を費やすことになってしまう。当然、農民たちの住居も被害に合う。言葉通り、死活問題なのだ。
ずっと対策を練っているが、今のところ画期的な解決法は見出されていない。
俺が領主代行になってからは、まだ氾濫が起きていなかったのだが……。
「さっきのマルの話で、今年は警戒が必要だとなった。
もし氾濫が起こってしまえば、農民達の生活が大変なことになる。
……とはいえ、氾濫自体をどうこうすることは無理そうなんだよ……。
だから、帰ったらまず、麦の収穫を急ぐ。そして、農民達の雨季の仮住居を建てることになると思う。更に、氾濫後の畑の整備や農民達の生活支援……やることが山積みになると思って」
サヤに説明しつつも、農民達にどう話すか……それを考えると、気が滅入った。
皆、大変なことになると思う……。特にカミルのところは…………どうしようもないかもしれない……。とにかく、収穫だけは終わらせて、収入を失くすようなことは無いようにしないと……。
あとは、川と畑の整備で給金を出すようにして……食料の手配もしなきゃいけないよな……。ああもう、ほんと、農民達を別館に避難させることができるなら、家財も早く移動できるし、生活だって仮住居よりよっぽどマシなのに……。
「ハイン……やっぱり、別館に農民達を避難させないか。
仮住居を建ててる時間が惜しいよ。広場は家畜の避難小屋だけにして、川の補強を……」
「それは、労力に見合う成果をあげた試しがありませんよ。
あと、異母様達が農民を受け入れると思いますか?場合によりますが、数ヶ月以上をそこで過ごすことになるんです。仮住居を用意する方が、農民達が異母様の怒りに触れる機会も減るんですよ。あと、兄上様の魔手からも……」
「だけど!川の補強で氾濫が抑えられたら、それが一番じゃないか!」
「そうでしょうが、勝率が低いと言ってるんです!」
途中から、サヤへの説明すら後回しになってしまい、俺たちの言い争いがしばらく続いた。
だがどうにも収拾がつかない。つくわけがない。
農民達の生活を守るという目的は同じなのだが、優先すべきと考えていることが違うのだ。
「あの……今はとにかく、帰って収穫をするのですよね?
その後のことは、今保留にしませんか。ここで言い争っているよりも、村に戻って、状況を確認したり、情報を整理してからの方が良いと思います」
サヤの言葉に、項垂れる俺。その通りなのだが、気持ちばかりが焦ってしまうのだ。
「レイシール様……村のことを教えてください。この地域の今までのことを。
私はまだ、あの裏山と別館の中しか知りません。
明日からは、私も一緒に頑張りますから。お役に立てるよう、頑張りますから……」
サヤが俺の手を取り、握り締める。
俺を一生懸命励まそうとしてくれてるのだと思う。その気持ちが嬉しかった。
「ごめんハイン……お前の言うことも、正しいと分かってるんだ……」
「いちいち謝らなくて結構です。……こちらも言い過ぎましたので……」
普段なら、言い争ったままおしまいになって、しばらく口を利かないのだが、さすがにそれは大人気なくてサヤに見せられない……。ハインに謝ると、ハインも居心地悪げにそう言った。ちょっと笑ってしまう……うん。少し、落ち着けた。
「そうだね……。帰ったら、サヤを村のみんなにも紹介する。
良い人たちだよ。気さくで、無骨で、優しい人たちだ」
みんなを悲しませないように……頑張らなきゃな……。