表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第七章
202/515

閑話 餞

 村を回って、それが終わったら気になる家を訪ねた。

 カミルと同じく、そろそろ手に職をと考える必要がある者がいる家や、内職をしている家。その内職も、いくつかは秘匿権が発生している。

 とはいえ彼らは農家で、内職は本業ではない。一応ブンカケンに、家族から一人所属してもらって、そのまま内職を続けてもらえることを説明し、将来子供が大きくなれば、職人を目指す道もあることを伝えて回った。


「その場合は、拠点村のウーヴェを訪ねてくれれば良い。適性を見て、良いように取り計らってくれると思う」

「……レイ様じゃなく、ウーヴェさんなんで?」

「ん? あぁ……ブンカケンの店主はウーヴェだから。

 それに俺は、ここを離れることが増えそうだからね」


 役職を賜ることは、まだ皆には伏せてあるから、そう誤魔化しておく。まあそれも、どうなるか分からないのだけど……。

 ……あぁ……姫様にも、手紙を書いておく方が良いかな……。

 手を煩わせてしまうかもしれないことと、地方行政官としての職務を全うできないことになってしまうかもしれないこと、謝っておかないと……。

 そうなると問題はサヤだな。一応はギルにお願いするけれど、その後をどうするか……。

 彼女の知識を知る姫様らは、サヤを放置してはくれないだろう……。だけど、サヤがどこに身を置くかは、本人に決めさせてやってほしいと、伝えておくくらいのことは、しておかないとな。

 あぁ……こんなことになるなら、彼女の帰り方、やっぱり探しておいてやるべきだった……。

 いや、今からでも良いのか。マルが帰ったら、お願いしておこう。

 あとは、サヤにどう、謝るかだな……。

 生涯を捧げると言っておきながら、その生涯が思いの外、少ないかもしれないだなんて……、彼女になんて、詫びれば良いんだろう……。

 まぁ、まだ分からない……。最悪の場合はってだけの話なんだけど……。


「あ、コダンさんですね」


 サヤの言葉で我に帰り、視線を巡らせると、確かにコダンがいた。

 …………何、してるんだろうなぁ……? 水路の水を飲もうとしているように、見えるんだが……。

 水路を跨ぎ四つん這いになった状態で、更に頭を突っ込んでいるコダンに呆れを通り越して、唖然としてしまった……。

 っと、いけない。水路の水なんて飲んだら、絶対に体調を崩す。世話をしているカーリンの家にも迷惑がかかってしまう。


「腹を下してしまうぞ。

 いくらなんでも、生でそのままは良くないと思うんだ……」


 そう声を掛けるが、反応が無い。

 それどころか更に頭が奥に突っ込まれた。

 …………くっ、仕方がない。

 シザーにお願いして、無理やり水路から剥がしてもらう。 この人ほんと、人の話聞いてないな……。


「コダン、研究熱心なのは良いけどね、人の話は聞いてくれないかな。

 ここの水は何の変哲もない、川の水を引いただけのものだ。こんなものを飲めば体調を崩すんだよ」


 そう言葉を掛けるが、シザーに羽交い締めにされつつも、全く聞いている様子が無い。何かブツブツと、ずっと呟き続けている。

 あー……このブツブツ……ずっと続いてるのか……。何なんだろうな、この人……。

 表情を見るけれど、俺たちに特別何かの感情を抱いている様子もない。というか、ここにいること自体を意識している感じすらしないのだ。

 まるで自分の世界にどっぷりと浸かってしまっているみたいに。

 頭の図書館に行っている時の、マル以上に違和感がある。


「水……の、質を確認したいみたいです。

 セイバーンが、水路を引いている理由も」


 げんなりしていると、何故かサヤからそんな答えが返ってきた。

 耳の良い彼女は、ブツブツの内容を聞き分けてしまったらしい。


 コダンに視線を戻すも、サヤのそんな呟きすら聞いていないみたいで、ものすごいクマを塗り重ねた、どこか土気色の顔が、やはりずっと水路を見て、ブツブツを続けていた。

 …………あーもう……このままってのもなあああぁぁ。


「……水路は!

 ……代々、作り足してきたものだよ。

 ずいぶん前の領主がね、きちんと水を撒いた方が、麦の実りが良いと気付いたらしい。まあ、麦も植物だものな。放置しても実るといったって、きちんと水をやる方が、より育つんだろう。

 あぁ、ここの水路は氾濫で壊れやすいから木材だけどね、他の地域はだいたい石だ。維持費を考えるなら、石の方が断然、費用対効果が高いよ。ここも今後は石に変えていくことになるだろう。

 あと……この時期に水を撒くのは、多分……氾濫効果の代替えだと思われる。

 ここは氾濫を繰り返すことで、川から運ばれた土が流れ込み、肥沃な土と入れ替えられてきたらしい。その土には、山から溶け出た草木に必要な養分が、多く含まれているそうだ。それでこの地は、特に実りが豊かだったのだろうと推測される。

 当然その養分は、上を流れる水にも溶け出ているらしい。

 勿論、土の入れ替えができればより良いのだけど、そうも言ってられない。だからやらないよりはマシだろうと、水を撒いて養分を染み込ませているのだろう。ひと月という長い期間を、水撒きに費やすのは、そういった理由だと思う」


 いつの間にか、コダンが動きを止めていた。

 ブツブツ聞こえていた声も無い……。

 コダンの急変に視線をやると…………充血した目が、ギョロリとこちらを見ていてものすっごい怖かった。


 半開きの口が戦慄いていたが、そのうち両手がばね仕掛けのように跳ね上がって、俺に摑みかかろうとするから、恐怖のあまり三歩ほど逃げてしまう。いやもう、命の危機とかではなく、背中を這い上がってくる恐怖なのだ。多分、本能的なやつ。心なしか、捕まえているシザーも涙目だ。


「な、何かな⁉︎」

「雨の後にぃ、麦を蒔かない理由はああぁぁ」

「め、芽が出にくいらしい! 雨の翌々日に植える方が、多く発芽すると言っていたけど⁉︎」

「あぁそれは……雨の後だと、土の中の空気が足りなくなるんです。麦も呼吸できなければいけないので」


 注釈を挟んだのはサヤ。

 その言葉にコダンの視線が、俺から彼女に移ったっ……っ!

 だ、駄目だサヤ⁉︎ この人真面目に君を、組み敷きにくるかもしれないから⁉︎

 慌ててサヤを抱き込んで庇う。もしシザーを振り切って襲いかかってきたら、身を盾にするつもりだった……が。


 コダンは、呼吸、呼吸と繰り返し、暫くするとまたぶつぶつが復活して、ひとしきり暴れ、シザーを振りほどいたと思ったら、その場で一心不乱、地面に何かを書き込み出した。もう、こちらのことは見ていない様子だ。


「…………し、刺激しないよう、帰ろうか……」


 そのままじりじりと距離を取り、馬に乗ってその場を離れる。

 はー……怖かった。なんか凄い、怖かった。

 あれは確かに、村の人らが恐れるよなぁ……、前いた場所の摩擦が凄かったって、ものすごい納得してしまった。

 だけど、カーリンのところの弟たちにはウケが良いって聞いたんだけど……。ウケが良いって……どういうことだろう……。

 ていうかマル……彼とどうやって意思疎通を果たしたんだ……変人同士の何か特殊な手法でもあるのか?


「変わった方ですね、コダンさん。でも本当に研究熱心」


 まだバクバクしている心臓を宥めていたら、くすくすと笑いながら、サヤがそんな風に言う。

 ……サヤ、怖くなかったのかな……?

 かなり特殊な感じの人なんだけど……なんか俺たちより全然、怖がっている風ではないよなぁ……。

 そう思いつつサヤを見ていたら、俺の考えは顔に出ていた様子。サヤが「コダンさんは、典型的な研究者気質の方ですよ。集中しすぎる人。父の同僚の方に、似た人がいました」と言った。


「生活から極力余分なものを省いてしまうみたいなんです。

 大丈夫。求めている答えに行き着いたら、目が醒めると思いますよ」


 ……マルも大概だけど、その上を行く人がいた……。


「……レイシール様、帰ったら、ここの農法を一通り、教えていただいて良いですか?」


 愕然としている俺をよそに、サヤは真面目な顔で、そんなことを言う。


「農法?」

「はい。できれば、ここ以外の農法も。私の知識と比べてみたいです。

 理由の分かることが含まれているかもしれないなって、今ので気付いて。

 ……あっ、私の農業知識、父に聞かされた程度のものなので、あまり高度なことは、存じ上げないのですけど……」

「あ、いや……。是非そうしてくれ。助かる……うん。戻ったらね。

 あと……すまないシザー。ちょっと怖かったな」


 いつも以上に縮こまっていたシザーが、こくこくと頷く。

 やっぱり怖かったよね……。

 俺からの指示だったから、離すに離せなかったのだろうな。……というか、通常時小心者のシザーには、少々刺激が強すぎる人だったよなぁ。


 そんな風にしながら戻って来ると、井戸周辺は洗濯物が山とはためいていた。

 朝の一番に洗って干したものはもう乾いている様子で、それを取り込んでいたハインが「おかえりなさいませ」と、声を掛けてくれる。


「凄い量を洗ったな……」

「どなたかが大いに汚してくださいましたので……。

 やはり数日時間が経ってしまってますし、落としにくかったですね」


 嫌味も言いつつ、それでも機嫌がよさげなハイン。

 ……料理の次の趣味が洗濯って……なんというか……うん。まあ、文句は無いのだけど……。

 苦笑していると、洗濯物の取り込みを手伝っていたサヤが「あっ」と、何かを思い立った様子。


「小さい洗濯板を作っていただくのも、良いですね。

 遠出の時に持って出られますし、酷い汚れものだけでも、その場で洗えると嬉しいですよね。

 あと、袖口とか、襟周りとか、細かい部分を洗う時にも便利なんですよ。

 私の国にもあったんです。おろし金くらいの大きさの洗濯板」

「それは是非欲しいです!」


 ぐりんと首を巡らせたハインが、とても熱い視線で俺を見る。

 …………あー……またヘーゼラーにお願いする感じかなぁ……。その前に、ブンカケンに木工細工の職人がいないか確認してみるか。


「ウーヴェが戻ったら、確認してみるから……」


 これも秘匿権登録……かなぁ……。大丈夫かな、こんなに連発してて……。



 ◆



 いく日かそのように過ごし、また異母様方が父上のおられる別邸に出向く日となった。


「レイシール様、髪を整えましょう」

「ああ」


 本日は早めに起床したため、準備にもゆとりがある。

 サヤに促されて長椅子に座り、三つに分けられた髪が結われて行くのを、眺めていた。

 本日は、左寄りから編み込まれ、左胸に髪が垂れてくる仕様だ。


「今年の夏は早く過ぎたなぁ……」

「やることが沢山ありましたもんね」


 ふと呟いた言葉に、サヤがそんな返事を返してくれた。

 うん。サヤとの出会いに始まり、氾濫対策に追われ、命を狙われるやら、川の経過観察やら、それに合わせて姫様の騒動やら……本当に忙しかった。

 あっという間に秋が来た。とはいえ、まだ日差しも暑いし、秋の雰囲気は全く無いのだけど……。


 ……結局、ギルの誕生祝い、山城のゴタゴタでできなかったんだよなぁ……。

 ルーシーの時も過ぎてしまって、しかも誕生祝いが女中体験っていう、中途半端なものだったし……。

 十一の月に入る前に、一度メバックに顔を出すかなぁ……。

 今行くと、バート商会への風当たりが強くなりそうで遠慮していたのだけど、次の機会は、もう無いかもしれないわけだし……。

 そんな風に考えていたのだけれど……。


「レイ……?」

「ん?」


 朝も早い時間から、様付きじゃなく呼ばれるのは珍しい。

 視線をやると、隣に座ったサヤは俺の顔を見つめていて……やや不安そうな顔で「あの……」と、また言い淀む。


「……大丈夫?……その……お見送り……」

「? 大丈夫だよ? もう準備もこの通り……」

「そうやのうて! い、異母様や、お兄様を……目にするのは…………辛いんや、あらへんかなぁって……」


 ……あぁ……。


「大丈夫。いつものことだから、もう慣れてるよ」


 笑顔を意識してそう言うと、サヤは少し困ったような顔で、それでも「そう……なら、ええんやけど……」と、無理やり笑った。

 まともな環境で育ってきたであろうサヤには、この状況というのは異様であるらしい。

 そりゃあまぁ……ねと、思うけれど……。

 母が、結局のところ、誰の手で殺められたのかなんて、分からない。

 あの二人が関わっているではあろうけれど、あの二人自身が手を汚したわけではないだろうし……。


 命じる立場の人たちだからな…………。

 自分で手を下すようなことは、きっとしない。


 そんなことするまでもなく、簡単に処理できたろう。

 処分しろと、ただそう言うだけで良いのだから。

 あの方々にとって、俺の母は変えのきく消耗品の分類だったというだけの話である。

 妾は所詮、貴族ではないのだ。

 まあ俺も、その分類なんだろうけどな。


 だけど……領主一族という立場だって、本当はなんら変わらないのだと、それを示してやろう……。

 貴族だって国家の部品だ。その立場を与えられているのは、責任を果たすためなのだ。

 ただ恩恵を与えられているだけではないのだと、示してやる……。


「…………レイ」

「ん? ああ、終わった? じゃあ、そろそろ行こうか」


 未だ心配そうな表情のサヤに、大丈夫だよと笑いかけ、ハインが俺たちを呼びに来たので、長椅子から立ち上がる。

 玄関広間に着くと、前日遅くに帰宅したマルが、シザーとともに立っていた。


「いってらっしゃい。すぐお戻りでしょうけど。

 あぁ、シザーは王都より派遣された護衛官ということにして伝えてありますから、説明は不要ですよ。

 シザー。レイ様のお命をさっくりと狙ってしまえる精神構造の方々なので、要警戒ですからねぇ」


 マルにそう言われ、どこかソワソワとしていたシザーがピタリと動きを止める。


「…………」


 言葉は発しないものの、こくりと頷き、腰の剣に手を掛け重みを確認するシザー。

 うん。異母様の前で気弱な様子は見せない方が良いからな。


「頼りにしているからな、シザー」


 そう声を掛けると。またこくり。

 うっすらと覇気をまとわりつかせると、途端に隙の無い、見事な武人の様相だ。

 本日は、このシザーを加えた四人で異母様のお見送りとなった。


 いつもの定位置にて出立を待ち、馬車が動き始めてから頭を下げる。

 俺も相手を見ないし、異母様方だって俺たちを歯牙にもかけていないだろうから、視線もよこさず通り過ぎる。

 もう気持ちはザワつかなかった。

 ただ無心でいつもの役割をこなし、呆気なく馬車列が通り過ぎていく。


 最後尾が門の外へと姿を消してから、ゆっくりと体を起こした。うん、今日も恙無く済んだ。


「さて、俺たちも久々の拠点村に行こう!」


 今日の移動は大人数だ。

 四人乗りの馬車一台に、幌馬車が一台。

 四人乗りの方は当然俺たちなのだけど、御者はハイン。マル、シザー、サヤ、俺が中だ。

 幌馬車の方は、御者がジェイド。食事処へ届ける荷物と、ユミル、カミルが同乗している。

 家移りを考えている二人に、本日は拠点村を見学させるのだ。

 二人の祖父も誘ったのだけど、馬車の揺れは腰に響くとのことで、往復は厳しいらしい。なので、孫の二人のみとなったのだが……。


「うわー!村って言ってたのに……これ町じゃねぇの⁉︎

 すげー、マジで水路がいっぱいだーっ」

「か、カミル……ちょっ、落ち着こう。みんなが、見てるから……」


 村に着くなり、興奮したカミルが駆け出して、それをユミルが必死で追いかける状況が展開された。

 ハインは馬車を仮置き場に進めて行き、ジェイドは幌馬車をそのまま村の中に進める。荷物があるため、食事処まで乗り付ける予定なのだ。

 それを、馬車を降りた俺たちは、徒歩で追いかける感じで、村に足を踏み入れたのだが……。


 拠点村は、半月ほどで、随分と様変わりしていた。

 民家や、館の建設も始まっており、水路の引かれた場所では路面の舗装も進められている様子。大通りに関しては、交易路同様、石で舗装する予定なのだ。

 現場で働く職人は皆忙しそうにしつつも、俺に気付いた者から、久しぶりと声が上がる。

 それに手を振って応えていると、ゆったりと歩きながらシェルトがやって来た。


「半月ぶりだなぁ、お嬢ちゃん」

「……?」


 お嬢ちゃん。という単語に首を傾げるカミル。

 苦笑する俺を見てニヤニヤ笑うシェルト。


「それ、そろそろやめてくれないか」

「え? お嬢ちゃんってレイ様? おっさんさ、レイ様男だぜ。綺麗だけど勘違いすんなよっ」

「…………お? いっちょ前に言いやがる坊主だな。どうした、子連れで?」

「あれ、村で見てなかったかな? カミルと言うんだ。ユミルの弟だよ。近いうち、湯屋の管理を任せることになって、今日は下見だ」

「ほぉ……ユミル嬢ちゃんの弟かぁ。この歳でいっぱしに仕事すんのか。そりゃすげぇなぁ」

「おっさん……ねぇちゃんにも手、出すなよ……」

「ガキは範疇外だね」

「レイ様だって十八だぞ!」

「いやカミル……揶揄ってるだけだから、真に受けるなよ……」


 やや不穏な会話を慌てて止めつつ、視線を巡らせる。

 ルカ……は、見当たらない。いないのかな……? それにしても、また職人が増えているように見受けられるのだが……。


「……人数多くないか?」

「上物の建設が進められるようになったんでな。マルの旦那が増やして良いとよ。館の建設は急いだ方が良いんだろう?

 それで大工を増員してある。あんたの汚名も払拭されつつあるし、そうなるとここは、良い儲け口だからなぁ」

「……あぁ、そうなのか。ウーヴェが頑張ってくれているからな。……シェルトの助言通りだったよ」

「ふん」


 そら見ろと、片眉を上げるシェルトに苦笑しつつもありがとうと伝える。

 今日はしばらく見学させてもらうよと言えば、好きにしろという返事。ただし、赤い紐が貼ってある場所は、危険箇所だから立ち入るなと注意された。


「カミル、まずは家を見に行ってみるか。まだ全部は出来上がっていないそうだけど」

「見る! カバタ見てみたいんだっ!」

「じゃあレイ様、僕らは先に食事処へ行っておきますねぇ。あ、シザーとジェイドは荷物運びに借り受けますよぅ」

「あぁ、じゃあサヤとハインはこちらに付き合ってくれ。ユミルも、手伝いは後で良い。今は、こっちを見に行こう」

「え……でも……」

「大丈夫だから。男手が二人もいるからさ、荷運びの手伝いは必要無いよ」


 因みにマルは、男手に数えられていない。戦力外だ。

 遠慮するユミルを、サヤがまあまあと宥め、手を引くこととなった。顔を染めるユミルに、カミルが姉ちゃん顔赤いぞと揶揄いの声を掛けると、ユミルはもうっ!と、怒った素振りで、カミルの頭をコツンと叩く。

 そんな様子に和まされつつ、俺たちは足を進めた。


「今日下見してもらう建物は、二軒あるんだよ。

 一つは、主筋通り沿いの店舗長屋。もう一つは戸建ての民家」

「……え? 店舗ですか?」

「うん。当面は食事処へ勤めてもらうけどね、それは選択肢の一つだと思って」


 そう前置いて、まず主筋通りに案内する。

 一番大きなのは主筋通りなのだが、その両側にもそれなりの広さの道が続いている。この村に入ってすぐの部分は、店舗が連なる場となるのだ。

 それぞれの通りの両側に、連なった店舗兼、民家が並んでいるのだが、横道を区切りに、数軒ずつ連なった賃貸長屋は裏側が繋がっており、作業場や調理場をある程度共同で利用する形に整えてある。共同利用することで、費用削減や協力体制を促すことを狙いにしているのだ。

 上部から見ると、水路が中心を貫いているものの、口の形がいくつも並んでいるように見えることだろう。

 それぞれの店舗にも作業場や調理場はあるが、こちらは簡単な作りのものとなっている。


「二人にはね、将来のことを念頭に、生活中も学んで欲しいんだ」


 一応形を成していた一階店舗部分に目を白黒させているユミル。そしてカミルは何が楽しいのか、中を駆け回っていたのだが、俺がそう声を掛けると、不思議そうに首を傾げた。


「将来……のこと?」

「そう。ちょっと難しいことだから、ちゃんと聞いて。

 ユミルとカミルは農家に生まれた。畑を耕していくことが初めから決まっていた。そしてその道を進んできたよな。

 だけど、氾濫対策で、畑を手放さざるを得なかった。畑の料金は、借金の返済に充てるしかなかった。色々、選択肢のない中を、それしかなかった生き方を、続けてきた」


 俺の言葉に、ユミルは神妙な顔になるが、カミルはよくわからないといった風に、首を傾げる。

 ユミルは家族を支えなければいけなかったものな……ずっと真剣に、このことを考えていたと思う。


「それで結局ユミルは、料理人になるしかなかったわけだけど……」

「わっ、私! 後悔なんてしていません! 今すごく、楽しい。美味しいって食べてもらえることが、幸せだって思えます!

 明日の不安無しに生きていける……それは全部、レイ様がくださったんです。

 まだ全然、腕前だってたいしたことない私を、ちゃんと料理人として扱ってくれるガウリィさんたちにだって、感謝こそすれ……」


 必死にそう言葉を連ねるユミルの頭にぽんと手を置く。

 愛おしいなという気持ちがこみ上げてきて、そのままぎゅっと、引き寄せて抱きしめた。


「ありがとうユミル。

 そう言ってくれるのは嬉しいよ。だけどな……ただ与えられた道を進むだけでは、駄目なんだ。

 それでは……それでは、俺がいなくなった時、ユミルの道の先は、俺と一緒に途絶えてしまうだろう?

 ユミルは、ユミルで立って、歩かないといけないんだよ」

「私で、立って?」


 そう言ったユミルが、俺を見上げる。

 その頭にもう一度手をやって、俺は言い聞かせるように言葉を続けた。


「そう。自分の将来を考えて、未来を思い描いて、そのための道を選ぶんだよ。

 今回、カミルのことを考えて、ここに移りたいと願ったね? それもそのうちの一つ。

 だけど、まだ駄目だ。もっとしっかり考えないとな。

 例えばさ、ユミルの将来は、食事処の手伝いをして終わって良いのか? ユミルは、いつかユミルの店を持ちたいと考えたりは、していないのかな?

 カミルはどうだろう。小作人という、与えられた未来を拒んだなら、では次は何を目指す?

 やりたいことはなんだろう。

 なりたいものはなんだろう。

 そのために、どんなことを学ばなければいけないだろう。

 まだ何も決められないのだとしても、将来決めるために、その準備をしていかなきゃいけない。

 人生っていうのはさ、そういうのの積み重ねなんだよ」


 俺の言葉が難しいのだろう。カミルがもう集中力が途切れたような顔をしている。それに笑って、彼も抱き寄せた。

 二人を腕の中におさめて、言葉を贈る。


「カミル……ここに移り住むならな、まず学校……幼年院に行くんだ。

 無論、湯屋の手伝いも必要だよ。だけど、カミルの全部をそれにつぎ込んでは駄目だ。

 学校に行って、文字や計算を習う。

 それから、いろんな仕事を見せてもらって、自分が将来どんな職人になりたいかを考えるんだ。

 学校のお金は、湯屋の管理と、ユミルの稼ぎで充分賄えると思うから、安心して学びなさい」


 一瞬顔を曇らせた二人だったけど、そう言うとホッとした表情になる。

 きっと学校にかかる料金なんて思いつかないのだと思う。けれど、それでやっていけるように学費は抑える方向でマルと調節している。

 初めの十数年は赤字であるだろうけど、それでも職人を育てることに意義があるという結論に至っていた。


「ユミルは、まずは食事処の手伝いをすることになるだろうけど、その先を必ず考えなきゃ駄目だ。

 一人前と認めてもらえるようになったら、どうしたいか。

 ダニルみたいに、店を任させる場合もあるかもしれない。もしくは、自分の作りたいものを作って売る、新しい店を持つことを選ぶかもしれないな。

 この長屋店舗は、そのための練習をする場所として作ってあるから、時が来たら、ここを借りて自分の店を始めても良いんだよ。

 だから今日はここの下見をしてもらおうと思ったんだ。見ていた方が、想像しやすいだろう?」

「ただ毎日を漠然と過ごすより、目標を用意して、それに向かうことを意識している方が、より成長できるんです。

 例えばユミルさんは、甘いものが好きでしょう?甘いものだけを扱う、甘味屋を作ろうと思ったら、何を学べば良いかな。

 食べ歩きができる軽食を扱う店を作ろうと思ったら、何を学ぶべきかな。

 そんな風にね、考えながら学ぶと、自分のやるべきことが見えてくるんです」


 サヤの言葉を、真剣な顔で聞き、噛みしめるユミル。

 今まで与えられたことのなかった、未来の選択肢。

 せっかく得たそれを、無為にしてほしくなかった。自分のために、考えて選んで欲しい。

 自分の幸せを、自分で掴めるのだと、理解してほしかった。


「はい。ここの見学は以上だ。

 まだ見てない場所があったら今のうちに見ておいてくれよ。次は借家の方に行くからな」

「カバタ⁉︎」

「そう、カバタを見に行くぞ」

「やったー!」


 やっぱりカミルには難しすぎたかなぁ……。

 将来の話なんてそっちのけで、カバタが見れることに盛り上がっているカミルに苦笑しつつ、店舗長屋を後にする。

 サヤと料理の話をするユミル。俺の手を引っ張って早く行こうと急かすカミル。そんな俺たちを、ハインはただ黙って見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ