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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第一章
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少女

 で。

 なんか、ユッサユッサ揺すられて、俺の意識はほぼ無理やり繋ぎ止められ、急浮上させられた。

 無意識に手を挙げ、後頭部を触る。ああイテッ、コブになってる。もしかして、座ってた木の根に頭ぶつけた?

 けどまあ、コブで済んだなら良いか、髪の中だし目立たない。ハインにダメ出しされないで済む。

 まだ少々呆けた頭でそんなことを考えていると、頬に何かが触れた。


「気が付かはったん⁉︎

 かんにん……わざとじゃないんです。でも、痛かったでしょ……本当、ごめんなさい!

 あの、気持ち悪かったり、頭がグラグラしたりはしてはらへん?

 してはったら動かんといてください、今、救急車呼びます」


 女の子の声? なんか喋り方がちょっと変だけど、高くない、でも低いわけでもない、柔らかい声。

 慌てた様子だったから、咄嗟に口を挟んだ。


「や、待って、大丈夫。別にそんな、大ごとになるようなもんじゃないから……」


 意味の分からない言葉は聞き流して、とりあえず大丈夫だと見せるために上半身を起こした時、俺、誰と会話してるんだろうな? という疑問が浮かぶ。

 頭を振って、薄眼を開けたら、思いがけないほど近くに、知らない女性がいた。

 知らないと言い切れるのは、特徴的な髪をしていたから。

 漆黒の、磨き込まれた黒水晶のような、濡れた絹糸のような、艶めく射干玉(ぬばたま)のような光沢に、見惚れてしまう。

 

 黒……だよな?

 黒い髪なんて、初めて見た。

 

 鳶色の瞳は少々切れ長。これまた濃く長い漆黒の睫毛に縁取られている。

 唇はふっくらとしていて柔らかそうな桃色。形の良い鼻はほんのちょっと低め。

 すっきりとした輪郭で、髪の黒が、肌の白を際立たせているようで……。

 美人。ちょっと見かけない感じ。異国風の美人だ。

 なんだろう……簡潔な、ごちゃごちゃしていない顔立ちというか……。

 化粧をしているふうでもないのに、綺麗な人ってやっぱり元から綺麗なんだな。誰に言うでもなくそんなことを思った。

 だけどこの人なんか……やたらしっとりして……。


「あの……」

「っ、あっ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」


 不思議そうな顔をされ、釘付けになってた顔から慌てて視線を逸らす。咄嗟に下に。

 すると目に入るのは当然美人の服装。そこで俺は、驚愕の事態に遭遇した。

 ずぶ濡れ。この美人ずぶ濡れだ! しっとりとかじゃない、ぐっしょりだ!


 し、し、しかも服が、服が透けてる⁉︎


 女の子の服にしては変な形だった。

 ひだだらけな紺地の袴らしきものは幼女用かと突っ込みたくなるほど短くて、つるんとした膝が見えてしまっているし、足は短い靴下に踝までしかない革靴。

 変な形の襟をした水色の短衣は、首の所に赤い布が巻かれていて、胸にはどこの家紋なのか、見慣れない紋章が刺繍されてあるものの、それ以外は飾り気も何もない。

 そして、それゆえに中までばっちり透けて見えている。腕やら肩やらに張り付いていて、中の肌の色や、別の何かも見えている……って!


「ちょっ、ちょっと待って、ごめんっ、悪気はないんだっっ」

 

 何じっくり眺めてるんだよ俺、馬鹿じゃないの?

 ホント馬鹿なんじゃないの⁉︎ この変態!

 

 脳内で自分を全力罵倒しながら、慌てて上着を脱ぎ、前からばさりと女の子の身体に掛けた。


「ま、まず着て、それ着て! 着終わるまで見ないから、終わったら声掛けて!」

「あ、は、はいっ」


 自分でも恥ずかしいほどに慌て、俺はもう居たたまれなすぎてどうして良いか解らない。

 絶対に顔が赤い。自覚してる。火を吹けそうなくらい熱いから!

 見てない見てない、俺は何も見てないよと自分に言い聞かせ、冷静になろうと深呼吸。

 ごそごそ作業するような音が、やたら耳についていたたまれないっ。

 うーとかあーとか唸りながら雑念を振り払っていたら、ツンツンと肩を突かれ、恐る恐る顔を向けると、美人も心なしか赤い顔をしつつ、ゴシゴシと目元をこすって「おおきに」と小さく呟くように言った。


 よ、よかった……。怒っている様子はない……よね?


 上着に腕を通し、前を掻き合わせている。膝は隠れないけれど致し方ない。まあ透けてないから良しとしよう。服の前の留め金を引っ掛けてあげたいけれど、それだと近付きすぎるし触ってしまうし……考えなかったことにしよう。とりあえず見えない。うん。これ大事。


「あの、色々ご迷惑をおかけしてしもて、かんにん。

 私もちょっと混乱してて……あの、どちらの方? 留学生?

 この服、演劇部の衣装か何かですか?」


 ……リュウガクセイ? そしてエンゲキブとは?

 そういえば、さっきも謎の呪文を呟いてたな……。


「あー……ごめん、よく分からない。こっちも聞きたいんだけど、君は誰?

 ついでにこんな早朝に、泉に浸かって何してたのかな?」

「……早朝? 泉? 劇のシーンですか?

 ごめんなさい。私、演劇部員やあらへんし、分からへん。

 それより、貴方こそ……貴方……どこにいはったん?

 まさか泉の中やないやろし……?」

「いや、泉の中にいたのは君だろ?」

「え?」

「……え?」

「だって、私の手を引いたん……貴方ですよね?」

「確かに引いたけど……それは君が、水の中から手を出してたからだよ」

「…………え?」

「……ええ?」


 どう考えても自分が泉から出てきたのに、何言ってるのかなこの子……。

 二人して暫く沈黙し、互いを見つめた。

 会話が噛み合っていないな。うん、それだけは理解できた。


「ひとまず、疑問を一つずつ潰してみようか。

 俺はレイシール・ハツェン・セイバーン。ここの領主代行ね。

 君が泉から手を出してたから、溺れているのかと思って引っ張ったんだ」

「私は……鶴来野小夜(つるぎのさや)。常盤高二年です。

 近道通ろ思うたら、途中の池でなんやキラキラしてたから……誰かの携帯かもと思うて。

 生きてるみたいやし、交番届けなあかんかな? って拾おうとして……なんで引っ張られたんやろ?」

「……疑問を潰してるつもりなのに……疑問が増えた気がしてるのは俺だけかなぁ?」

「いえ、私もです……」


 謎の単語が増えた。そして全然意味が分からない。

 目の前の女の子がツルギノサヤという名前であることぐらいしか理解できなかった。


「えー……ツルギノサヤさん」

「サヤでいいです。レイシールさん? で、いい?

 そもそもほら時計。今五時二十八分。夕方です」

「俺半日も気絶してた⁉︎」

「えっ、いえ⁉︎ 一瞬だけやったよ?」


 見て。と言って差し出された腕には、金属の輪があった。

 ……これ時計?

 なるほど……確かに時計の形をしている部分がある。

 細い手首だなと思いつつ、ありえないほど小さな時計にちょっとびっくりしつつ……。


「動いてないけど?」

「えっ⁉︎ 水に濡れたから壊れてしもたんかも」


 サヤさん、慌てて横の小さな出っ張りをいじり出す。

 それで何がどうなるというのか分からないが、とりあえずこんな小さな時計は初めて見た。

 あんな精密なものをこれほど小さく作るって、どんな凝り性の職人だ。それを当然みたいに使ってる様子のこの子も……質素な服着てるのに、実は相当なお金持ち?

 聞き慣れない不思議な響きの名といい、見たことのない黒髪といい、妙な訛りといい……異国のお嬢様か、はたまた姫君なのだろうか。


「えーと、とりあえず。ここはセイバーンって名前の村だけどね。

 君はどこから来たのかな? 道に迷ったの? 従者や使用人は連れてこなかったのかい?」

「……あの? ここ常盤高裏の雑木林ですよね?

 従者って……あ、演技中?」


 未だ会話は噛み合う様子を見せません。

 頭を抱えた俺を、サヤさんは怪しい人を見るみたいな険しい顔で見ている。

 で、次の瞬間さっと顔色を変え、一気に二歩ほど飛び退いたからびっくりしたのだけど。


「どうし――」

「レイシール様」


 ……分かった。凶悪な顔を見てしまったんだね。


「一時間程度の暇つぶしに、何故一時間半かかってらっしゃるんです。

 早め早めの行動を、どうして心掛けて頂けないんでしょう」


 振り返らなくても分かる、重さすら感じる声が俺の背後から迫ってきていた。


「は、ハイン。ごめん、ちょっと立て込んじゃって……」

「無駄な早起きだけでは飽き足らず、こんな早朝から女性を口説いているとは……。

 私は貴方という人が分からなくなりました!」

「ち、違うからっ。口説いてないから!

 そういうんじゃなくて、なんかもう、説明もできない凄いことが起こっちゃってる最中なんだよっ」


 慌てて振り返ると想像通り、悪魔の形相のハインが怒気もあらわに(そび)え立っておりました。

 怒ると黄金色の眼がギラついてほんと怖いんだ。女性もいるし、怯えちゃってるからその顔はほんとやめて下さい、お願いします。

 とりあえずサヤさんに、大丈夫、顔は怖いけど悪い奴じゃないんだよ? と、詫びついでに説明しようと思って視線を向けたら。


「髪が、青⁉︎ 染めてる⁉︎」


 驚きは何故か悪魔の様な形相ではなく、彼の青髪でした。

 いや、そこはそんなに驚く部分?


「生憎生まれつきこの色ですがそれが何か?

 それよりも、貴女はどちら様ですか。こんな早朝から、屋敷の裏山で一体何を?

 女性だからとて、穏便に済ませられる状況ではないと、ご理解頂きたいのですが……」


 そう言いつつ近寄ってきたハインは、無造作に俺の腕を掴み引き寄せた。

 容赦無く引っ張られ、若干足をもつれさせる俺を気にもとめず、背後に庇って逆手で即座に抜剣。切っ先をサヤさんに向けたものだから、俺の方が慌ててしまった。


「ハイン止めろ! 見て分かんないかな、何も危険なものなんて無いだろう⁉︎」

「頭沸かしてるんじゃありません。

 まず見ず知らずの女が、早朝一人で彷徨いている時点で怪しいことに気付いて下さい」

「道に迷ってるとか、願掛けに来ただけとか、穏便な理由を先に考えろよ!」

「危険度の高いものから対処すべきに決まっております」


 慌ててごちゃごちゃ始めるこっちと違って、サヤさんに反応は無い。

 表情すら動かない。

 かと思ったら、急にぺたんと座り込んでしまった。あああぁ、ほら! 凶暴な顔に刃物とか向けられたらそうなるよね⁉︎


「早朝……本当に、今、朝なん……? 嘘、だって授業終わったし、部活あったし……。

 それに何、青い髪ってどういうこと?

 剣持ってるて、どういうこと?

 銃刀法違反やろ……何、これ……」


 血の気の引いた顔で、ブツブツとそんなことを呟いたサヤさんは、ジワリと瞳を潤ませた。

 繰り返される呼吸も浅い。恐怖で余計混乱させてしまっている様子に、俺は必死でハインの背中を叩いた。


「いいからっ、大丈夫だからその物騒なものを引けハイン!

 彼女は泉から出てきただけで、怪しい人じゃないよ。武器らしいものだって持ってないだろ⁉︎」

「はあ⁉︎ 何を寝呆けているんです?

 泉から出て来たなど、意味を分かって口にしてらっしゃいますか⁉︎」

「分かってる! 変なのも分かってるけど、事実なんだからしょうがないだろ!」


 グイグイ腕を引いてなんとかサヤさんから数歩引かせて、剣の間合いから彼女を外す。

 その途端、サヤさんは振り返り、泉に駆け寄ったかと思うと、勢いよく飛び込み、両手を中に突っ込んで。


「なんで⁉︎ こんな浅ぅなかったやんか!」


 何度もバシャバシャと水をかき回した後、そのまま崩れる様に座り込んでしまった。


「サヤさん落ち着いて、とりあえず状況を整理し直そう」


 なんとかハインを押しやりつつ、動かなくなったサヤさんに声をかける。

 剣をしまえと目で必死に訴えると、ハインは渋々ながら従ってくれた。

 ああ良かった……。剣突き付けて冷静になれって、どう考えても無理だからね。

 サヤさんの近くにしゃがみ、顔色を伺った。虚ろな瞳で、思考が働いているようには見えない。泉の中に座り込んだまま、ただ呆然としてる。けど、俺が根気よく声を掛けると、やっと反応が返ってきた。


「……何を、整理すればええの?

 今は朝で、ここはセイバーンって村で、貴方はレイシールって名前で、青い髪も生まれつき、剣とか当たり前に持ってる……それは解った。けど解らへん……。

 だってそれやったら私、今どこにおるん?

 小説や漫画やあるまいし、そんな……そんなん、あるわけあらへんやん……っ!」


 拳を握って自身の頭をコンコンと叩き、膝を叩き、夢やないの? なんで覚めへんの? と涙声でサヤさんが言う。彼女にとってもこれは、常識外れの出来事なのだ。混乱ぶりでそれは痛いほど分かった。

 俺はそんな彼女が落ち着くのを暫く待ってから、もう一度。


「うん……、あるわけないようなことだけど、現実今、こんな状態なんだよ。

 とりあえず、うちにおいで。そんなところにいたら、身体が冷えてしまうから。

 まず着替えて、きちんと温まって、落ち着いて考えよう。

 な? 大丈夫。焦らなくて良いから」


 サヤさんは何度も浅い呼吸を繰り返し、嗚咽を堪えるように背中を揺らす。湿った黒髪の間から、ぽたぽたと雫が溢れ、水面に波紋を作っていたけれど、暫くすると、それも止まった。

 膝の上の拳が、一度ぎゅっと握り締められた後、ソロソロと顔が上がり……。

 涙に濡れた瞳で俺を見て、サヤさんは小さくこくんと、頷いた。

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小夜さんとしてはいきなり知らない場所に放り出されて、優しく声をかけてくれるレイシールさんに頼るしかないですよね……。 話せば話すほど噛み合わない会話で、小夜さんの混乱は当然だと思います! 小夜さんの…
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