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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第七章
192/515

西へ

 西への遠征は、マルを留守番に、シザーを加えてとなった。

 長旅で疲れているだろうに、休んでいたらどうだと言ったのだけど、ブンブンと首を大きく振られ、袖をしっかと握られて抗議された。

 もう置いていかれるのは嫌だと態度で示され、ディート殿にも武官は絶対必要だぞと説得され、承諾した。


「手合わせだけでも一度願いたいものだな。実に楽しそうだ」


 戦闘狂ですかと言いたくなるディート殿の発言……。

 シザーは確か、年齢的には俺の一つ上、十九歳。学年としては、一つ下だった。つまり順当に進級し、卒業したという事実から、かなり優秀だと言える。

 学舎では、一年も留年せずに卒業できる者は、三割に満たないのだ。

 彼は肌の色からも分かるように、異人の血が流れている。その影響か、身体能力が極めて高い。

 故に、俺が在学していた当時でも、学舎内全体で一位か二位という、極めて優秀な武術の成績を、常に維持していた。

 ……こうして考えると、座学首席のマルと、武術首席のシザーがここにいる……凄いな。


「士官の話は無かったのか?

 シザーなら、王都に残れたろう?」


 そう聞いたのだが、またブンブンと首を横に振られてしまった。

 唯一の身内である祖父の元を離れたくなかったということかな……。彼の肌の色は、周りに揶揄されがちだ。特に混血となると、風当たりは強い。

 けれど、実は彼、異人との混血ではなく、先祖返りなのだ。

 通常の肌色の両親から生まれた。それ故、両親とは縁遠かった彼を、引退した元衛兵隊長であった祖父が引き取り、育てたのだという。

 一人であったとしても、彼に理解者があったことは幸いだった。そのお祖父様は、とても立派な方だったのだと思う。


 さて、配置についてだが。

 御者は基本的にハイン。けれど、ジェイドがたまに交代することとなった。三日の行程だ。一人運転を続けるのは疲労が溜まる。

 シザーは馬で警護をしつつ同行する。馬車の中は、俺とカーク。そしてサヤと、休憩中の御者となる。

 また、見当たらないが、気配を察知されない程度離れて、忍が周りに配置されているらしい。

 もしくは、同じ方向に進む旅人のふりをしている可能性もあるが、誰がどこにいるかは俺にも伏せられていた。


「良い結果が得られることを祈っている」

「ありがとうございます。ディート殿も、道中お気をつけて」


 朝の出発は同時となった。

 サヤに弁当を渡されたディート殿はご機嫌だ。留守番のマルも、昼食は同じく弁当に入っているのと同じタマゴサンドが用意されている。マヨネーズ大好きだからな、彼もご満悦だ。

 夕食からは食事処にお願いしておいた。ほっとくと食べないから、管理必須だ。コダンの食事も食事処に手配しておいた。マル同様、生活力は限りなく皆無であるらしい。

 コダンの世話に関しては、兄弟の多いカーリンの家族が見てくれることとなった。子供らは変な大人に興味津々で、とてもやる気があるらしい。……うん、良いことかな。


「こちらは進められることは進めておきます。

 何かあれば連絡してください。それと……」


 出発間近に、マルから封筒が手渡された。

 そして、小声で耳打ちされたのは……。


「カークさん……確か、元々はご領主様の執事長をされていた方です。政務の補佐でもありました。

 つまりね、レイ様のお母上の、前任者ですよ。

 何かしら思惑があるのは確実だと思うので、もし情報が欲しいと思うことがあれば、これを見てください。とっておきのやつです」


 言葉で伝えず文面にしたのは……俺の気持ちを気遣ってのことなのだろう……。

 気持ちの準備ができた時に見れば良いと、そういう意味。つまり、そういった内容……ということか。


「……分かった。ありがとう、マル。留守を頼む」


 マル一人に見送られて、俺たちは本館前までカークを迎えに行った。

 荷物はもう詰め込んである。カークは、門前にきっちりと身繕いを済ませ、立っていた。


「では、よろしくお願いいたします」

「ああ、こちらこそ」


 異母様への報告は昨日のうちに済ませている。カークの言う、放置された山城を一度確認し、問題が多いようなら山賊等の根城とならないよう潰す必要があるからと伝えた。

 異母様ご本人には会えず、執事に言伝てたのだが、まあ、伝わるだろう。


 それはそうと、本館に泊まったカークだが、体調は問題ないだろうかと確認すると。


「概ね良好でございます。

 この歳になりますと、節々が痛むのはもう、常でして」


 とのこと。

 大型の馬車なので、普段使っているものよりは揺れもマシだろうし、連れて行っても問題無さそうだ。


 出発して橋を渡ると、もう見慣れた土嚢壁横を通り過ぎる。拠点村がある程度完成したら、交易路の着手となるが、来年春からとなるだろう。

 夏までにはきちんと堤にする。その後は、上道。そして、そこからは延々と伸ばしていく作業だ。


「こうして見ますと、凄まじいものを作られたのですね……。

 アルドナン様の積年の思いが、成就致しました。話を聞いたときは、耳を疑いましたが…………本当に、素晴らしい」


 ポツリとそう呟いたカークに、「皆が頑張ってくれたからね」と、言葉を返す。


「とはいえ……布告は出されないのですか?

 私がこの話を聞きましたのは商人からでしたが」

「表向きはアギーとの共同事業だからね。姫様が王位を継承されたら、発表があると思う」

「……それはつまり……」

「一応ね、そういうことになる。とはいえ、夏までには堤として作らないといけないから、こちらは先に進めさせてもらうことになるけど」


 国の事業として進める。

 祝賀会ではあえて言葉にしなかったが、聡い者は気付いているかもしれない。セイバーンとアギーだけでは、終わらないことに。

 そして、交易路を作る傍らで、土嚢壁を軍事関係者に徹底して叩き込む。我が国の防衛力強化を兼ねて。

 本日、姫様から賜った襟飾は身に付けていない。しかし、カークは先日、俺の襟に飾られていたそれを、ちゃんの見ていたのだろう。姫様の王位継承後という言葉だけで、察した様子だった。


「お一人で……これだけのことを成し遂げられるとは……」

「一人じゃない。私だけで思い付けることではないよ。

 知恵を貸してくれた者、方策を練ってくれた者、工事に参加してくれた者……はじめはただ、氾濫を防ぐだけを目的にしていた。

 ほとんど行き当たりばったりで始めたそれを、皆がこうして、育ててくれたんだ」


 隣に座るサヤを見ると、心なしか頬を染めて、俯いている。

 向かいのジェイドもどこか誇らしげに見えるのは……彼自身がその手で詰んだ土嚢が、あそこを支えているからだろう。

 そんな二人の様子に、自然と俺も気持ちが穏やかになる。

 皆で手にしてきたものだ。それがとても嬉しい。


「…………」


 ポツリと、何かをカークが呟いたけれど、車輪の音に紛れて聞き取れなかった。

 言い直す素振りもなく、独り言であったのだろう。

 気付かなかったふりをして、その後は雑談となった。


 カークは、父上のことを色々と話してくれた。

 彼は、祖父の代より執事としてセイバーンに仕えていたという。

 幼い頃の父上は、思っていたのとは随分と違った。

 俺の父上の印象は、優しいけれど、厳格……といったものだったのだけど、幼い頃の父は、一つのことに没頭すると周りが見えなくなるほど融通がきかなかったり、村の子供に混じって野山を駆け回ったりと、思いの外活発な面があったという。

 祖父母はあまり子に恵まれず、父上自身が随分遅い子供で、兄弟も望めなかったこと……。

 父が成人する前に、二人が他界してしまったこと……。

 許婚がおり、けれど最愛の人すら、結ばれる前に、失ってしまったこと……。

 長年相手を求めず、ずっと政務に没頭していたこと……。

 結局政略結婚という形で、異母様と結ばれたこと……。

 異母様と父上も、十も歳が離れている……その理由を、今日初めて知った。


「…………本日、初めてお聞きになられたのですか?」


 途中でカークにそう問われた。

 二十五年も前に引退しているのだから、俺の育った環境全てを知っているわけではないのだろう……。

 道中、ジェイドと運転を代わっていたハインが、その言葉にギッと、鋭い視線をやったけれど、やめなさいと視線で制す。


「あぁ……。幼い頃の記憶はもうさすがに曖昧で……聞いたことがあるのかもしれないが、覚えていないんだ。

 六つで学舎に行ってからは寮生活だったし、こちらには戻らなかったから、知る機会もなくてね」


 極力穏やかに聞こえるよう、抑揚に気をつけ、言葉を選んだ。

 どこまでを知っているか、知らされているか……探りを入れるためでもあった。

 また、俺の方からも、学舎での話は色々した。

 ギルのこと、ハインのこと……これには流石に驚かれてしまった。

 指の不自由についても知らなかったようで、眉をひそめられてしまったけれど、全く使えなかったものを、訓練して多少は動くものにしてくれたのが、シザーであったことも話した。

 アギーのクリスタ様との交流……それの延長が、今回の土嚢壁が国へと進言されるに至った理由であることも。


「学舎で、素晴らしき縁に、恵まれたのですね」

「うん。だから父上には、本当に感謝している」


 あの人にも。

 父の愛は、確かにあったと思う。俺にあの十年を与えてくれたのだから。



 ◆



 道中で、休憩を兼ねた昼食の時間。

 サヤが準備してくれていた弁当が、良い話題を提供してくれた。


「これはなんと美味なことか!」

「マヨネーズという調味料なんだ」


 人気だなぁ、マヨネーズ。

 数種類用意されたそれは、定番のサンドイッチだ。

 タマゴサンドカツサンド、そしてミックスサンド。

 このミックスというのが、カークはお気に召した様子。本来のミックスは、卵や薫製肉や野菜を重ねて作る、俺が一番初めに食べたサンドイッチを指すらしいのだが、サヤが今回作ったものは、細かく刻んで混ぜてある。卵と胡瓜、炙った肉が、マヨネーズでまとめてあるのだ。

 俺の隣では、シザーがカツサンドに恍惚としている。

 本当は、ソースというものが欲しいらしいのだが、流石のサヤも、それの作り方は知らないらしい。

 だから、ケチャップと塩胡椒で濃いめの味付けがされている。

 肉を叩いて柔らかくし、小麦粉や卵、麺麭の粉をまぶして揚げ焼きにしてあるのだが、俺もこれはとても好きだ。そのカツにケチャップを塗り、辛子を混ぜたマヨネーズを塗った麺麭に、炒め玉葱とともに挟んである。


 あっという間にペロリと平らげてしまって、ソワソワとカツサンドを見ているシザーに、サヤがもう一つどうぞと差し出すと、言葉は発さないものの、ぺこりとお辞儀をして受け取る。尻尾があればきっと大きく横に揺れていただろう。

 まるで武官らしからぬ可愛さだ。たまに俺より年上だということを忘れてしまう……。学年が下だからややこしい。


「私が仕えていた頃は、このような美味なものは食せませんでした。なんと豊かになったことか」

「うーん……食材はほぼ一緒じゃないかな。これはサヤが、国の調味料を教えてくれたから作れるんだよ。

 この子の国は、秘匿権にはあまり重きが置かれていなくてね。情報の共有を図ることで、色々なものが我々の国より発展している。料理もまた然りなんだ」


 俺の言葉に、サヤがぺこりとカークにお辞儀をする。

 教えてくれたということに少々驚かれたが、サヤはそこに拘りを持たないのだと伝えておいた。

 ここを言っておかないと、道中で多分、もっと驚かせることになるしな……。


 三日という行程は、随分長いと思っていたのだけれど、話は尽きず、時間が過ぎるのは案外早かった。

 半ばの野宿も、俺やカークは護衛の関係上、馬車の座席で休んだから、寝台とさして変わらない快適さで過ごすことができた。

 立ち寄った街で新鮮な野菜や肉、飼葉は確保できたし、道中の食事も、街以外ではハインやサヤが見事な手際で、普段となんら遜色のない食事を提供してくれる。

 サヤは試作の乾燥させた麺を持参していたので、これを出した時にはカークも驚いていた。

 初めて食べる麺の形状にもだが、現在保存食を研究しているという話にだ。


「地方行政官という職を賜るのだけど……まだ名ばかりでね。

 交易路がつまり、そういう扱いだからついた役職名なのだけど、市政の生活向上に関わるのは、私としてもおおいに興味がある事柄なんだ。

 だから、それに関することを色々。

 前も話した通り、サヤの国では秘匿権が特別重要視はされていない。

 それによって、我々とは違った価値観のもと、道具や料理が発展していて、大変興味深い。

 だから新たに立ち上げた事業で、その思想をこの国に取り入れられないかと考えているんだよ」


 恐ろしいことに、カークは大変な聞き上手だった。

 そこまで話すつもりはなかったのになということを、つい口にしてしまっていたりするのだ。

 とはいえ、サヤの秘密や獣人については伏せていた。流石に口を滑らせて良い事柄ではない。


「なんという勿体無いことをしてしまったことか。知っていれば、滞在している間に、拠点村も見せていただけたかもしれませんのに」


 そんな風に大変悔しそうに言ってくれるものだから、嬉しくなってつい話してしまうのだ。

 ブンカケンに関して、周りからは反発しか得ていない今の俺にとって、カークの肯定的な姿勢は気持ちが救われた。


 カークをあまり良く思っていないハインは、相変わらず棘のある態度であったけれど、それ以外は概ね良好。

 ジェイドは通常より爽やかな青年を演じており、サヤと二人でやり取りしている姿は、まるで兄弟のようで微笑ましい。

 シザーはというと、道中で随分と慣れてきた様子。こっそりとサヤの性別についても伝えたのだけど、元から人と距離を取りがちなシザーは、あまり問題としていない様子で、サヤとの関係も良いように見えた。

 一人だけ女性ということもあり、時には配慮も必要だったのだが、言葉にせずともそれとなく手助けしてくれ、彼の細やかに気がきく一面には、サヤも感心していた。


 道中は、至って順調。

 そう、そのはずなのに……。

 西に進むにつれ、俺は何故か、体調を崩していった。

 理由が分からない……ふと目にした風景や、感じた土の匂い。そんなものに、急に鳥肌が立ったり、不安に襲われたりするのだ。

 はじめは気のせいかと思っていた……父上との接点を掴むと決めたけれど、やはり気持ちとしては、恐れがある。それのせいなのかもしれないと。

 だけど違う。

 父や母の話を振られても、そんなザワリとした感覚が襲ってこない場合もあるのに、ただ景色を見ていただけで、襲ってくる恐怖があったりするのだ。

 次第に調子を誤魔化しきれなくなり、馬車酔いのふりをして体調不良を耐えていたのだけど、そのうちハインにバレた。


「何故言わないんですか!」

「いや、気のせいだと思って……」

「どこが気のせいですか!」


 最終日は、馬車の運転をジェイドに交代してもらったハインに責められつつ、サヤの肩にもたれさせてもらい、不調に耐えていた。

 寝転がると、揺れで逆に気持ち悪さが増したのだ。


「引き返し、医者を探すべきではないでしょうか……」


 心配してそう言うカークに、無理はしないからと、予定通り馬車を進めさせてもらった。

 多分、休んだって治らないと思う。熱もなければ、咳も出ないのだ。病というわけではないように、俺自身が感じていた。


「原因はいったい……食事は皆同じものを食べているのに、何故……っ」


 俺の額の汗を拭いつつ、ハインの方が体調の悪そうな顔をしている。

 ずっとカークを警戒しているけれど、彼が何か仕掛けている様子もない。

 というのも、カークも連日揺れる馬車に、少々体力を消耗し、疲れた様子だったのだ。


「私はまぁ、老体ですから」

「はは、馬車に揺られて運ばれているだけの二人が体調不良って、ちょっと笑えるな……」

「笑えませんよ!」


 本日、山城の最寄となる村に到着する予定だった。

 そこから山城へは半時間ほどで着くという。

 木々で埋もれ、麓から山城は見えないらしい。だから忘れ去られていたのだろうけれど、思いの外村と近くて、少々驚いた。


「村人にとっては日常風景の一部なのです。

 何もなければ山城は、子供の遊び場でして……。

 麓には邸が一軒あるのですが、そこももうずっと、空き家でございます。宿などはありませんから、本日はそこに」


  馬車が村に到着した。まずは一旦ここで、体勢を立て直すことにする。

 揺れから解放されれば、多少は体調も回復するかもしれない。

 サヤの差し出す手につかまり、なんとか馬車から降りたのだが……。


 その瞬間、目にした風景に、身が竦んだ。


「………………………………ぅそ……」


 足元から這い上がってくるような、恐怖。

 前かがみになっているせいで、視線が地面に近い。余計にそれは、忠実な再現がなされているようで……。


 俺が降り立ったそこは、出発地点にほど近い場所。

 見なくても、振り返れば、少し大きめで、小さな庭のある邸があるのだと、分かる。


「……レイシール様⁉︎」


 急に動きを止めた俺を訝しんだのか、サヤが俺の顔を覗き込み、慌てた様子で俺の名を呼んだ。

 多分、今まで以上に顔色が悪いんだろう。正直、頭がグラグラしていて、表情に意識すら回っていなかった。


 この先に、何があるかを、俺は知っている……。

 行きたくない…………。

 だけど……だけど確認しなくちゃ…………、ここは、ほんとうに、あの場所なのか。


「サヤ……こっちに、行こう……」

「レイシール様?……っ、レイ! あかん、そんな顔色で……」

「お願い、お願いだから……!」

「どないしたん⁉︎ 今は休まな……レイ、今自分が、どんな顔色か、自覚しとる?」

「いいから! 今はそんなことは、どうだっていいんだ‼︎」


 急に怒鳴った俺に、サヤがビクリと慄いたけれど、今の俺には気を配る余裕も無かった。

 連れて行ってくれないなら、自分で行く……。何度も何度も通った道。だから、案内は必要無い。

 そう、何度も何度も……身体に刻みつけてきた道だ。迷うこともない道なんだ。


 闇の底へと、続く道だ。


 くいと、手を引かれた気がした。

 あの日を繰り返すように、いないはずの人物が、俺の前に立っている。

 そう、繋がれていたのは、俺の右手。


 歩く。

 歩く。

 ひたすら歩く。

 手を引かれて。


 この道を歩いた。早朝だ。まだ村人も起き出してこないような時間に、俺たちは家を出た。

 朝食もとらないままに、無言で手を引かれて、前しか見ない母に、俺は、逆らってはいけないのだと感じていた。


 そう、あの時俺は、母に言葉を投げかけることも、できなかった……。

 握られた手が痛くても、黙って母に、ついていった。

 進む先に泉が見えても、それに母と、自らの足が浸されるまで、俺は状況を理解できなかった。


 そこで初めて抵抗したのは、生理的な恐怖から。

 だがまだ意味は理解していなかった。グイグイと引っ張られ、顔を水に浸す寸前にやっと叫んだけれど、そのせいで泥の混じった水が、口の中に流れ込んできた。


 あ、あ、あああぁぁぁぁぁぁ。


 ここ、だ。


 記憶の通り。


「ぅぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああ!」


 夢だったのに、夢じゃない。

 分かってた。あれは現実だって。

 過去のことだと理解してた。だけど過去じゃない。

 今もここは、かつてのままに、俺がちゃんと沈むまで、存在を消してしまうまで、口を開いて待っている、俺を、ずっと!


「レイ!」

「レイシール様⁉︎」


 意識が途切れるまでひたすら叫んだ。喉を掻きむしって、引き千切ってしまいたかった。

 夢よりも圧倒的な絶望が、現実となって俺にのし掛かってくる。

 なんでまだそこにいるのだと、問いかけてくる。

 俺はここで、死を望まれた。


 死ななきゃ、いけなかったんだ。

毎度ありがとうございまーす。

今週はなんとか三話いけそうです。約二万七千文字。読み応えもそれなりかと!

色々と踏み込む週になる予定です。

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